尋常ではない速度で迫りくるパトリシアを斜に眺めていた龍井は、武鶴二尺七寸を鞘に納めると深く腰を落とした。そうして肩幅よりも大きく足を広げる。
浅く息を吸い込むと――
「天墜未形、馮馮翼翼――」
龍井は鴻宝天文訓を、早口に諳んじた。DPM(Di-Pole Mode:以下DPMo)の永続的な制御は不可能に等しいため、またエネルギーの浪費抑止を兼ねて、常日頃は一基のエターナル・コアを休止させている。エターナル・コアの二基同時起動――つまりDPMo起動には鍵が必要だ。その鍵こそが、鴻宝第三巻天文訓の冒頭部分に他ならない。言い換えれば、天文訓に記述されている宇宙万物の生成原理を唱えぬ限り、龍井のDPMoは起動しない。
「――四時之散精為萬物! 陰陽二気を和し、日月の光を理めん!」
声高な宣言が響くと同時に、龍井はプラズマのように揺らめく緑色のエネルギーをまとった。立ち昇る暗緑の光は、DPMo起動の明かしだ。
そして龍井は、間髪入れず、空を斬るように武鶴二尺七寸を抜き打った。同時に、はるか遠間合いから急接近するパトリシアが、何かを避けるように身体をするりとひねる。
――やはり避けるかよ。
うっすらと予見こそしていたとは言え、龍井はパトリシアの天稟に舌を巻いた。
テレコネクションという機能が、DPM(Di-Pole Maid / Male:以下DPMa)には元々備わっている。二つのエターナル・コアが形成する力場において、物理攻撃などの現象が遠隔地に作用する機能のことだ。今、そのテレコネクションによって龍井の放った不可視の斬撃が、あえなく空振りに終わったところだった。
――相変わらずに勘の鋭い。
つくづく呆れながらも、龍井は立て続けに刀を振るった。いくら直感鋭くとも、何十間も離れた間合いで、見えぬ斬撃を躱し続けるにも限度がある。近づけず、反撃も許さず、一方的に攻撃を加えている以上、負けはない。
しかし。
「Yee-ha!」
龍井の遠当てをアクロバティックな体術で回避するパトリシアが、観覧席の端で光剣月光を振るった。蒼く灯る月光の刀身が途端に目映さを増したかと思うや否や、光の塊――光波がパトリシアの手元から飛来する。
ちぃ――舌打ち一つ、龍井は足を踏み出すと同時に、肉薄する光波をかいくぐった。光波の影から覗けば、大舞台の袖に着地したパトリシアが追撃に月光を振るっている。
負けじと龍井も武鶴二尺七寸を袈裟に斬って、迎え撃った。
「しゃらくせぇ!」
テレコネクションと光波の刃が、幾重にも入り混じった。一撃必死の乱撃のただ中を、互いに大股で進撃する。その回避は、まさに紙一重だ。寸毫の見切りをもって避けて死地へと踏み出し、かつ攻撃に転じることの連続にも関わらず、急速に間合いが縮まっていく。
そして、ぎゃりん――と一際甲高い音をたてて、刃が交わった。加速した刀を一合重ねた後、走り寄った勢いそのまま互いにすれ違う。距離を取って再度、対峙してみれば二間とない。
応――と一声かけて、連撃の攻防に転じた。
パトリシアの剣の重さは相変わらずだった。否、ジオ・ドミナントでの戦闘より、一振りの速さもキレも、もちろん膂力さえも格段に増している。MAIDとは言え、女の細腕とは、ただただ信じがたい。
「ツェダイ流。元気そうじゃねぇか」
「ユーコソ」
転瞬、直下、視界の外から恐るべき速度と角度で昇り来る足先を、龍井は寸でのところで、無理矢理に仰け反って回避した。言わずもがな、パトリシアの蹴りだ。ジオ・ドミナントでは腹を打たれ、先日は楼蘭皇国首相東郷に顎先を打擲(ちょうちゃく)された。その経緯が活きたか。
しかし何よりも驚いたのは、パトリシアのようだった。蹴り上げた太ももの向こうで、ただでさえ大きな目を、さらに見開いて丸くしてる。
勝機とばかりに、龍井は上半身をひねりながら、勢いを殺さずに下段から片手で武鶴二尺七寸をはね上げた――が。
「Oh...エッチ」
パトリシアもまた蹴りの勢いと供に、背後へとくるりと転じて、龍井の一撃を回避した。結果、龍井の持つ武鶴二尺七寸が斬ったのは、パトリシアのスカート一枚だった。
舞台中央、それまでの自在な邁往が嘘のように、向き合ったまま場が膠着した。片や武鶴二尺七寸を正眼に構える龍井、片や光剣月光を上段に構えるパトリシア、その下半身は下履き――パンツ丸出しだが、その格好に注意を払う者はいない。
剣を交える当人のみならず、他の誰しもが突然に始まった剣術の実戦――命の奪い合いに、寸余も見逃せないと引き込まれていた。
時幾許かの沈黙の後、パトリシアが口を開いた。
「ヘイ。バルベロ。コンナ所ニ、ノコノコ現レルナンテ、イイ度胸ネ」
「虎穴に入らずんば、虎児を得ずってな。あの糞爺はどこだよ。ヨーダーは」
「センセー? 知ラネーヨ」
「知らねぇだ?」
はぁ?――目的の外れた龍井は、落胆の声をもらした。昨日の雪辱を晴らすために、剣術家達が集まっている黄龍旗の会場にわざわざ乗り込んだにも関わらず、肝心のムカつくヨーダーの所在が分からぬとは無駄足もいいところではないか。ぐるりと周囲を見回してみても、ヨーダーや東郷の気配は感じられない。
途端に興が削がれた。しぼむ風船のように、やる気とともに肩から力が抜けていく。
力なく納刀すると、龍井はきびすを返した。
「んだよ。マジかよ」
「チョット。バルベロ。ドコ行クヨ」
「帰るわ。そんじゃな」
「いや~難しいかもね」
言ったのは、舞者の衣装をまとったままのイーヴィだった。仮面で顔を隠したまま、警戒するように首を傾げている。見ればパトリシアは元より、いつの間にやら何人ものMAIDが大舞台に降り立って、龍井とイーヴィを取り囲んでいる。黄龍旗の舞台で真剣を振り回す不審者を捕らえるためだろうか。それとも。
その内の一人、詰襟に学帽、下駄姿という風変わりな格好をしたMALEが、ずいと前に出た。
「黄龍旗の妨害だけならまだしも、その下手人が大罪人朝日那夜一とあっては、さすがに黙って帰す訳にはいかねぇなぁ」
その物言いと同時に、武芸館が騒然となった。突然の乱入者が日華三十人殺しとして悪名高い朝日那夜一であると知れたためか、それとも乱入者を朝日那夜一であると看破したのが楼蘭皇国陸軍総長である葛神白々朗その人だったためか、どうにも判然としない。あるいは、その両方か。
腰に落とした刀の鯉口を切ると、下駄の音も高らかに、白々朗が進み出た。
「たしなむ程度の剣術で出場しては申し訳ないと思っていたが、よもや貴様のような輩が釣れようとはな。日華三十人殺し。おとなしく縛に付けや」
「誰だテメェ」
「生憎と悪党に教える名など持ち合わせておらん」
白々朗の言葉に、昨夜のヨーダーの姿が重なった。名乗る気なしという嘲りの、あの見下した態度である。
龍井の怒りを再燃させるには、充分過ぎる一言だった。
「テメェもあの糞爺と一緒か。取り合えず、死んで――」
「ヤン」
場にそぐわぬ嬌声に、数瞬、時が止まった。
龍井の向き直った先、パトリシアの隣で足を止めた白々朗が、妙な所に手を伸ばしていた。妙な所とは、パトリシアの背後、腰よりも少し下、つまり尻の辺りだ。白々朗の手がもぞもぞと動くのに合わせて、顔を赤らめたパトリシアが、甘く切なく声をもらしている。
「うむ。張りや由」
「俺の尻に、勝手に触ってんじゃねぇ!!」
怒髪天衝、龍井はとうとうブチキレた。