怒りに任せて、龍井は翔けた。身を低くし、武鶴二尺七寸の切っ先を白々朗の喉元に向けて、真っ直ぐに突進する。
ゆうに沸点を超えた龍井の怒りは、今や、はらわたどころか、二基のエターナル・コアをも煮えたぎらせていた。日華流のしがらみも煩わしいし、負け続けているのも我慢がならない。あまつさえ人のモノに勝手に手を付けるなど言語道断だ。
白々朗まで五寸を切った頃、しかし、横合いから刀を弾かれて、龍井は急激に足を止めた。
「バルベロ。ユーノ相手ハ、ミーネ」
龍井と白々朗の間に割って入ったのは、光剣月光を手にしたパトリシアだった。下半身をさらけ出していることも意に介さず、龍井の刀を抑えながら、強い視線で見返しているではないか。
束の間、龍井はパトリシアのライトブルーの瞳に見入った。相変わらず凛と鳴るほどに澄みきっている。
だから龍井は、パトリシアの手首をつかんで、力任せにぐいと引き寄せると――
「女子供が邪魔すんじゃねぇ」
わざとらしく伝法な口調で言って、パトリシアの肩を抱いた。
「お前の相手は後回しだ」
先ほど脱ぎ捨てた袴――舞者の衣装だ――を拾い上げながら、龍井はパトリシアを自らの背後へと押しやった。そして手にした袴をぞんざいに押し付けた。
「これでも着てろ」
「バルベロガ切ッタンジャン。スカート」
「違ぇねぇ」
パトリシアを背にして、龍井は再び白々朗と向き合った。先と変わらず、刀の柄にすら手をかけず、腕を組み微笑む白々朗がそこにいる。
「よぉ、白髪の大将。待たせたな」
「いや。待ってはいないが。なるほど。誰彼構わず噛み付く狂犬のような輩かと思っていたが、なかなかどうして、面白いじゃないか」
見るからに、白々朗の目の色が変わった。瞬く間に、存在感が膨らんでいく。まるで何十倍もの大きな巌に化けたかのようだ。獲物ではなく、敵として見なされたのかもしれない。
嵐の前の静けさのような声で、白々朗が言った。
「悟りを覚えると書いて覚悟だ。さあ。悟れ!」
言うが早いか、白々朗の刀――明夜散魔が吼えた。風を斬る音が、獣の咆哮のように唸り狂って周囲をさらう。その迫力たるや、膂力や鋭さ、剣の速さなどという単純なものではない。畏怖を誘う、圧倒的な奔流というべきか。
言い知れぬ怖気を覚えたのは、その時だった。受けるも流すもマズい――と、直感が警鐘を鳴らしている。
龍井は咄嗟に背後のパトリシアを抱えると、わき目も振らずに、白々朗の間合いから脱した。巨大な威圧感を背筋越しに覚えながら、大きく後退する。
そして、刀を振るっただけにも関わらず、どおんと武芸館全体が揺らいだのだった。
振り切って数秒の間、空間がたわむように、抜き打ちの余韻が場に満ちた。一声すら許されぬような制圧だけが、ただ残る。
幸い、追撃はなかった。
龍井は、抱いていたパトリシアを地に下ろすと、今一度、白々朗に向き直った。最前までの怒りとはまた別の、心に爪を立てられたような苛立ちに眉間を寄せながら。
すると、龍井の表情を汲み取ったか、泰然自若としていた白々朗が破顔一笑した。
「今の一撃に怒るか。いよいよ興味深い」
「どういうつもりだ」
「女を背にして、どう出るか気になってな。女を置いて逃げようものならば、有無を言わさず背中から斬り殺したさ。あるいは自慢の技と刀で受けようならば、そう、その鼻っ柱を砕いてやるつもりだった。ただし、その場合は後ろのパトリシア嬢も巻き添えを喰ったろうな。なぁ」
白々朗の抜き打ちが異常なことなど、もう充分に分かっていた。技や力などとは別の次元のモノ、それこそ神がかった破壊のエネルギーだ。だからこそ、いっかな武鶴二尺七寸が業物であろうとも、また龍井の技術を以ってしても十全に受けきることが、どれほどに困難なことか、深く理解した――否、理解させられた。一たび受ければ、二つ三つと続いて出鱈目な暴力にさらされたに違いない。そうなってしまったが最後、自然災害染みた攻撃を、龍井のみならず周囲に居合わせた者まで被ることになる。
白々朗が言った最後の『なぁ』が、言外にそう物語っていた。またパトリシアの身の安全など省みずに振るわれた一太刀だったのだ、とも。
「落日の鬼、連続斬殺魔、日華三十人殺し、音に聞く貴様の犯行は陰惨極まるものだと言うに。それが、どうだ。あろうことか貴様は女を庇いおったではないか。ずいぶんと罪人らしからぬことをする。のみならず背を見せた。武士(もののふ)としては実に恥ずべき行為。刀を腰に落としておきながら、良くぞ背など見せられたものだ。それでいて、なおも刀を向ける。うむ。その奇妙な胆力と慧眼。犯罪者らしくもなければ、武士らしくもない。豪く珍妙な――これを面白いと言わずして、何と言う」
「人のこと試しておいて、面白がってんじゃねぇ」
かんらからからと笑う白々朗の表情が、酷く龍井の癪に障った。軽蔑や嘲笑とは異なる、晴天のような笑いだが、何もかも見越しての態度であるがゆえに何とも苛立つのだ。パトリシアならば、たとえ白々朗の太刀に巻き込まれたとて、その技量を以って難を逃れただろう。また、そもそも龍井には逃げるつもりなど毛頭ない――と、看破している素振りが実に腹立たしい。つまり充分な算段に基づいた一撃だったのだ。『龍井がパトリシアを守る』ということと、『万が一パトリシアに刃が及んだとしても問題ない』という確信を持っていたに違いない。白々朗が言った『なぁ』と、その真っ直ぐな瞳には、そこまでが含まれている。試されたのだ。何が面白いものか。
「パトリシア。離れてろ」
「後回シカヨ」
「オメェは俺が倒すんだ。分かったな」
「オウ。約束デス。ユーコソ負ケンナヨ」
充分にパトリシアの気配が遠ざかったのを確認した後、龍井は構えもなく武鶴二尺七寸を抜き打った。DPMoは未だ起動したまま。目標である白々朗めがけて、音を超えた斬撃が空間を伝播する。
そして微動だにせぬまま、白々朗がそれを甘受した。一拍の後、白々朗のたくましい首筋に、浅く傷口が開き、つと一滴の血が流れ落ちた。白々朗が表情を変える気配は、微塵もない。
「楼蘭皇国に生きながらにして神と祀り上げられているMALEがいると聞いていた。たいそうなこった。皇国内にいる限りは、神にも等しい力と不死性を授かるそうだが」
「誰のことやら。もし仮にそれが俺だとしたら、どうなる。貴様の勝機が潰えるだけではないか」
首筋をぐいと拭って滴った血を払い、塞がり始めている傷跡を誇示する白々朗を見て、龍井はしたたかに笑った。歴然とした力の差を表すためか、それとも龍井の言いを認めるためか、いずれにせよ、それら全て予想した反応だったからだ。それどころか妙に得心したような白々朗の顔付きに、幾分か気が晴れやかになる。
「三十人殺し。貴様も試したというのか」
「借りは返す主義でね」
「カッ! その意気や由!」
笑って、黙り、そうして初めて白々朗が刀を構えた。薄く目を半眼に、呼気静かにし、しかし得意の笑みを顔に貼り付けたまま、うなり声もひそめて、じりじりと摺り足で向かってくる。
何がたしなむ程度の剣術だ――と龍井は毒づいた。刀身を隠すよう脇に構えた立ち姿は、見事、堂に入っている。隙もなければ、乱れもない。それでいて最前からの威圧感は極まりつつあるのだから、さながら牙を隠す巨獣のようだ。
だから龍井は――
「夫道者、覆天載地、廓四方、柝八極、高不可際、深不可測――」
異様さに相対して、鴻宝原動訓を唱えたのだった。
DPMoとは、MAIDにテレコネクションを付加するだけの単純なシステムではない。そもそもDPMaの基幹技術は、エターナル・コアが生産するエネルギーの高効率利活用を目的としたコ・ジェネレーターである。エターナル・コアからエネルギーを産出する際に消失する分、大気に発散する分、MAID躯体に蓄積される分など、諸々の過程で失われるエネルギーを回収するために開発された技術が根底にある。そのコ・ジェネレーターを内蔵したDPMaのテレコネクションを起動するのが天文訓であり、ハインドランスを起動するのが原動訓である。
「包裹天地、稟授無形――」
そして龍井は見た。早くも変化に気付いたか、余裕ばかりを見せていた白々朗の表情に、ぴくりと一瞬の緊張が走ったのを、龍井は見逃さなかった。しかし驚くべきは白々朗の並外れた才覚か。ハインドランスの影響は極微にして繊細。十合でも斬り結んで初めて異変に気付くものだろうに、パトリシア同様、あまりにも勘が働き過ぎる。
勝機はハインドランスの本質が知れる前か、そう判断した龍井は、やにわに攻めに出た。足を踏み出すと同時に、対する白々朗もまた構えを上段に変えながら前に飛び出す。
「約而能張、幽而能明、弱而能強、柔而能剛、橫四維而含陰陽、紘宇宙而章三光」
上段の構えは守りを捨て、攻めに特化した型である。いわんや最前の出鱈目な抜き打ちを超える一手に転じたことを意味する。
龍井は、迫り来る莫大な力の塊に、刀を寝かせて横に薙いだ。
「麟以之遊、鳳以之翔!」
交わりは一瞬、擦れ違いざまに、腰を落としながら上半身を転じて白々朗の左の腱を寸断すると、間、髪を容れずに背中から心臓をも貫いた。息つかせぬ連続技に、白々朗が両目をむいている。否、刀傷などよりも、自らを襲った不可思議な変調にこそ驚いているのか。先までの空を揺るがすほどの抜き打ちが、明らかに減衰しているのだから。十全の一撃だったならば、今頃、身に刃を負っていたのは龍井に違いない。
巨大な獣のごとく白々朗が吠えて後、ようやく都合三つの傷口から鮮血が吹き出した。
「――三十人殺し。何をした」
胴を割られ、腱を裂かれ、心臓を刺されてなお、白々朗が威風堂々と龍井に向き直った。衣服を血に染め、充血しきった目を閉じることもなく、見るからに満身創痍にも関わらず膝を折る素振りすらなく、全身に力をみなぎらせている。
「教える馬鹿がいるかよ」
言って龍井は、武鶴二尺七寸に血振りをくれると、ねめつけるように周囲に視線を巡らせた。敵は白々朗一人ではない。
「何処へ行く。まだ仕舞いではあるまい」
「もう化物の相手は願い下げだ」
「つれないことを言うな。借りっぱなしが嫌いなのはお互い様でな」
龍井と白々朗がにらみ合う中、しかし水を差すように――なら、もう少し貸そうじゃないか――と、女の声が割って入った。微塵も気配なく、空から声が降って現れたというべきか。血まみれの白々朗と黒衣の龍井の合間に、白衣姿の小柄な女がいる。腹立たしい笑顔は健在だ。
「ご無沙汰。葛神の」
「貴様――照野恵美!」
「その名前は、もう捨てたんだ」
ニタニタとした嫌らしい笑い顔に向けて、白々朗が明夜散魔を振り上げた。その時。
「白!」
遠くで叫ぶ声が上がった。高めのしゃがれ声だったが、大きく、かつ良く通る響きだ。
声の主は、観覧席の端にいるヨーダー・マスダだった。
「やっと現れやがったな、ジジイ」
「やあ。ヨーダー。さっきはよくもやってくれたね」
「老師。なぜここに」
三者三様、口々に声を返したが、ヨーダー自身がそれに応えることはなかった。
ただ若干荒げた声で忙しなくまくし立てるように続けた。
「其奴は式じゃ! 人形(ヒトガタ)の式神は捨て置け! 彼奴は――」
そこにいた女が、途端に音もなく姿を消した。
後には、ひらりと中空を舞う人の形をした紙切れが一枚、残った。
「上じゃ!」
天を仰ぐや否や、武芸館の大天井に影が躍った。先の式神と同じ外見をしているにも関わらず、酷く濃い影を落としているのは気のせいか。丈の合わぬ白衣の裾をばたばたとはためかせ、舞台と観覧席を尊大に睥睨している。
「予能く無有れども、未だ無無なること能わず、其の無無を為すに及びては、至妙何に従りて此れに及ばんや」
重力を無視しているのか、緩慢な速度で自由落下する女が、両手を広げた。あたかも万雷の拍手を受けているかのような仕草だ。
「わくらばの毒に朽ちよ、あららぎよ」
公の場に、犯罪者ミオ・トーンライムが姿を現した瞬間だった。