たにまのひめゆり   作:四乃宇内

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幕間 みえるものとみえぬもの

芳原遊郭の義朗組番屋を尋ねると、縁側へと通された。平素は妖十五の自室にて面会するものだから、見慣れぬ廊下を行く途中、折原の目にはそこかしこが妙に物珍しく映った。茶けた砂壁に板張りの床、人の気配がちらほらと揺れる障子、知らぬ風景だからといって特段に奇妙な調度品が並べられている訳ではない。それでも、なぜか違和感を覚える理由は、ひとえに――

 

「ハナ。何だって、こんなに暗いんだい?」

「妖様が屋敷中の明かりを取り払ってしまわれましたので」

 

案内に立つ英一兆(はなぶさ いっちょう)が、振り向きもせず無愛想に言った。折原や妖が『ハナ』と呼ぶこの娘は、妖の身の回りの世話を一手に引き受けている本職のメイドである。できることと言ったら炊事洗濯、掃除に買い物届け物の遣い等々。間違っても銃器や刀剣の類を手に、戦争に赴いたりはしない。物静かな侍従だ。聞けば、妖が視力を失うよりも、ずっと前から付き従っているのだとか。

折原の友人である妖は、盲目の弁護士だ

大学で始めて知り合った頃は、妖も十全な視力を持っていた。それが通り魔だか悪漢だかに襲われて光を失ったのが、大学卒業を間近に控えた冬の日のことだった。黄昏時の薄闇に乗じた犯行ゆえに目撃者もおらず、被害者である当の本人も突然に目を奪われたために被疑者の顔はおろか背格好すら見ていないと言う。未だ事件は解決の目処すら立っていない。

欧国の血が混じる妖の碧眼を見なくなって、随分と久しいものだと折原は思った。

 

「目が見えぬからと言って、こんな薄暗くすることもあるまい。ハナや、他の義朗組の人だって、明るくなくっちゃ何かと苦労するだろうに」

「問題ございません」

 

根拠も素っ気もない断言に、いささか面食らった折原は、英がその理由について付言することを黙して待った。しかし、表情に乏しいメイドから続きを得られる様子は、微塵も感じられない。ただ静寂に板張りの廊下の軋む音が、むなしく響くばかり。果たして、ついぞ理由が明かされぬまま、縁側に出たのだった。

 

りぃん――と、その時、どこかで鈴が鳴った。

 

「やぁ、こっちこっち。座りたまえよ」

 

目も眩むほどの夕陽を浴びながら、妖がそこにいた。縁側に姿勢良く腰掛けている。妙なことに、折原のすぐ前を歩いていたはずの英が、いつの間にやら妖の背後に移動しているのだから不思議だ。

 

「失礼しますよ。アヤトさん」

 

折原は妖のことを、アヤトと呼ぶ。妖十五を略して妖十、これをアヤトと読む。折原もまた同様に、折佐(オルサ)と知己に呼ばれている。学生の時分に慣れ親しんだ、いわゆるあだ名だ。

挨拶もそこそこに、折原は胡坐をかいて座った。

 

「屋敷の中が薄暗すぎやしませんか? 足下が危なっかしくていけませんよ」

「大丈夫だよ。僕を誰だと思っているんだい」

 

両の瞼を閉じたまま、しかし折原の目を見詰めるように、妖が端正な顔を向けた。過日、失われたはずの青い瞳が、折原の心中に去来する。

折原は目をそらすように、愉悦交じりの妖の口元を見詰めた。

 

「一度でも歩いた道は、全て記憶しているさ。だから大丈夫だよ」

 

人並み外れた記憶力を持つ妖のこと、事実、覚えているのだろう。義朗組番屋の構造はもちろんのこと、家具の配置から、人伝に聞く壁の傷跡等に至るまで、事細かに丸暗記できてしまうような、そんな男なのだ。少なくとも、先ほど通ってきたばかりの折原よりも、あの薄暗い廊下を想起するに違いない。そして、その驚くべき記憶力が網羅する範囲は、妖の弁にある通り、一度でも歩いた道全てなのだ。否、道に限らず、言葉にしろ出来事にしろ、人が知識として蓄えることの可能なものならば全部が全部――は、さすがに言いすぎか。

返事の代わりに、折原は眉を寄せて呆れてみせた。盲いた妖に対する、ささやかな意趣返しだ。

 

「頼まれていた件ですが」

 

折原は持参した茶封筒の中から書類を取り出すと、咳払い一つの後に掻い摘んで報告を始めた。春先から続く連続芳原失踪事件に関連して、第一被害者である古家啓子女史が勤務する古家製薬の調査を依頼されたのだった。今回の訪問は、その報告のためである。要領が悪いだなんだと妖が茶々を挟む中、古家製薬の沿革や概要などを抑揚なく読み上げていく。

 

「取得している特許の数は四。申請中のものを含めると十弱。主に医薬品に関する技術が多いようです」

「昨年から抗瘴気剤の開発に着手しているよね」

「はい。昨年の四月から」

「その一年くらい前、一昨年の春頃に、リボ核酸に関する特許とか、出願してないかな」

 

耳慣れぬ単語だったため、おうむ返しに答えてみれば、『Ribo Nucleic Acid――RNAだよ』と別称を妖が付言した。何も説明をしていない不親切な言いではあるが、言われるまま書類に目を落としてみれば、確かにRNA云々という記述がある。

 

「特定塩基配列を標的としたmRNAの分解とありますが、どういうことですか。これ」

「さあ? 門外漢の僕にも分からんよ」

 

会社名からも分かる通り、古家製薬の前身は、古家女史が皇国大学に在籍していた頃に設立したベンチャー企業である。その後、外部から経営責任者を招き、古家女史自身は開発責任者に退いて、現在の体制となる。

 

「代表取締役社長、佐々木修次郎。経歴には、民間の技術研究機関の所長とありますが、所在は、えっと」

「ラヤード共和国だよ」

 

折原は書類から顔を上げた。

 

「MAID技術関連の国際特許を数多く取得している研究者さ」

「人の悪い。知っているなら、早くに言って下さいよ」

「折佐君。この男については、どうでも良い。それよりも古家製薬が近年申請した特許について」

「でも。あれ。古家女史の夫も、確か佐々木――」

 

不意に背後の薄闇から真っ白い手がにゅうと伸びて、折原の口を強引につぐんだ。右の手が口を閉じ、左の手が――なぜか――股座をするすると這い回っている。

貞操の危機を直感した折原は、華奢な白い手を払い除けながら、慌てて中庭へと脱した。汚れることもいとわずに反転して縁側に向き直ってみれば、いつか見た桃色の髪をした下女が、そこにいる。

 

「こんちわ。桜でーす」

 

初めて義朗組を訪れた時のことを、折原は思い出していた。その際にも、やはり今のように蠱惑的な仕草で誘惑されたのだった。以後、顔を合わせるたびに、悩ましく、かつ妖しく惑わされてばかりいる。

警戒する折原を他所に、妖が笑いながら桜に向けて声をかけた。

 

「桜。こっちへおいで。今、折佐君と大事な話をしているところだから」

 

妖の言いには素直に従うのか、桜が英の横に並んだ。平素は折原の拒否など一切聞く耳を持たず、身体中を無遠慮にまさぐり、穴という穴、出っ張りという出っ張りに舌を這わせると言うに。

どうにも納得のいかない話ではあったが、折原は恐る恐る――再び襲われるかも知れぬことへの危機管理意識だ――妖の隣へと腰を下ろした。

そうして、古家製薬に関する報告が再開されたのだった。

 

 

*

 

 

日が落ちた。宵闇に染まった中庭には、淡い色合いの灯明が静かに浮かんでいる。義朗組の番屋が芳原遊郭の外れにあるためか、夜の賑わいも随分と遠い。風が凪いでしまったためかもしれない。しかし完全な無音より、わずかでも喧騒の混じっている方が、ずっと静けさが際立つのだから不思議だ。

さやけき鈴に似た音が、りぃんと再び響いた。

 

「またか。風もないのに、鈴が鳴るなんて妙なこともあるもんだ」

「風鈴ではなく鈴虫だよ。行商人から鈴虫をあがなってね。駕籠に閉じ込めるなんて、いかにも野暮じゃないか」

「それで庭に放ったんですか? また物好きなことで」

 

しかし言われてみれば、男二人が顔を突き合わせて駕籠の中の鈴虫を眺めるよりも、ほの暗い庭に鳴る鈴の音に耳を傾ける方が、ずっと粋なように感じられた。秘してこその風情もあろうか。巷を騒がすカラスの噂やら、政治経済に関わる事件やら、乾いた話題を追う日常とは雲泥の差だ。

 

「その内に色々と隠しているから綺麗だと、昔から言うじゃないか」

「女性に隠し事が多いのも、そのためですかね」

「さすがは花柳界担当。色事に通じるもんだ」

「何ですか。その言い方は。まるで僕が朴念仁みたいじゃないですか」

 

口を尖らせてみれば、機嫌を取るためか酒を供せられた。横合いから無遠慮にずいと突き出された杯を追ってみれば、そこには無表情の英がいる。

断る理由もない折原は、黙って酌を受けた。

 

「色々と調べてくれてありがとう。助かったよ。折佐君」

「時間があれば、もう少し詳しく調べられますが」

「いや。もう充分だ。芳原義朗組はこの一件から、手を引かせてもらう」

「え」

 

妖の意外な結論に、折原は思わず声を漏らした。てっきり外部機関を排除した上で、義朗組主導の下、捜査が行われるものだとばかり思っていたからだ。徳に今回の事件――連続芳原失踪事件――の被害者は、最初の一件を除いて全員が芳原遊郭に所属する遊女である。事件現場のみ見れば、全て芳原遊郭の中で起こった出来事と言える。妖の出した結論は、見返り大門の内で隠然とした権限を持つ義朗組の体質と明らかに相反しているではないか。

 

「警察に任せるんですか?」

「うん。楼蘭の警察は優秀だからね」

「なぜ。行方不明の遊女が、まだ何人もいるというのに、義朗組は静観するというのですか?」

 

見えぬ目で夜空の月を仰ぎながら、妖がああと言った。何事かを納得するような仕草だ。

 

「その遊女達だけれど、今朝方、義朗組の若い衆が身柄を確保したよ」

「初めて聞きましたが」

「まだ、どこも報道してないしね」

 

新聞記者を生業としているためか、行方不明者の発見というネタを把握できていなかった事実に、折原は動揺を隠せなかった。情報が外部に出ぬよう義朗組が意図して働きかけただろうことは容易に想像がつくのだが、いかんせん報道に携わっているためか憤り染みた感情がどうにも拭えない。溶けた鉛を飲み込んだかのような気分だ。

 

「明日にでも発表があるだろうさ。以後、芳原遊郭及び義朗組は、事件の再発防止に向けた対策を講じる」

「随分と受け身な考えなんですね」

「事件は近々の内に収束に向かうだろうさ」

「収束?」

 

妙に臭った。記者としての勘が働いたか、妖の物言いに違和感を覚えたのだった。縄張り意識の塊のような義朗組が素直に引き下がるという点が奇妙であれば、事件に対して楽観的な憶測のみを開陳する妖の態度もまた奇異である。

 

「アヤトさん。何か隠していませんか」

 

折原の指摘に、妖が口を閉じた。

 

「本気で事件が収束すると考えているんですか。巷間ではカラスの噂で持ち切りですよ。最初の古家女史失踪から既に三ヶ月が経過しているにも関わらず、未だ衰えを見せない。それどころか、今こそ隆盛といったところじゃないですか」

「そうかな。今回の事件の発生頻度は、ほぼ一週間から二週間に一回。最後の被害者を最後にこの四週間、行方不明者は出ていないよ」

「いいえ。大門の中はそうかもしれませんが、外は違います」

「芳原の外で、行方不明事件が頻発していると?」

「事件は拡大する一方です。にも関わらず、アヤトさんは先ほど収束すると言った。らしくない。実にアヤトさんらしくない」

「だから僕が何かを隠していると言いたいのかい?」

 

問いには答えず、はたと折原は妖の顔を見詰めた。閉じた瞳からは何も読み取れない。口元にも変化が乏しい。

妖の無表情を前にして、折原の心の内には、様々な憶測が湧いては消えた。それこそ犯人は義朗組の構成員ではないか、という可能性にまで、猜疑を飛躍させたほどだ。

果たして、妖が鼻で笑った。

 

「隠しごと。うん。隠しごとね。そりゃ、もちろん色んなことを隠しているさ」

 

では――と自らの考えを披瀝しようとした矢先に、随分と淡白な口振りで――でも――と妖が反語を被せた。

 

「でも誰だって、そういうものじゃないか。君に言えることと、言えないことがある」

「僕が新聞記者だからですか」

「いいや。友達だからだよ」

 

気恥ずかしい台詞にも関わらず、妖があっけらかんと言った。困るのは、言われた方である。恥ずかしがったものか、それとも文句を言ったものか、対処に困るではないか。

困惑が雰囲気にでも現れたか、たしなめるように妖が口を開いた。

 

「芳原の中と外の事件だけど、おそらく別だよ」

「別とは?」

「そのまんまさ。異なる犯人、あるいは犯行グループが、それぞれ異なる動機から犯行に及んだといったところさ」

 

しばし妖の見解について考えた後に、折原は、その根拠について問い質そうとして、止めた。おそらく根拠こそが、妖曰く言えぬことの部類なのだろう。

そして妖の説を是として考えて、折原は事件に対する義朗組の策の意味を理解した。

芳原遊郭外部の事件が拡大するか否かなどという問題は、義朗組にとってどうでも良いことなのだ。反対に、大門の内の事件については、解決の目処が立ったに違いない。手を引くという妖の発言とは、そういうことなのだ。

 

「あまり深入りしない方が良い。芳原の闇は様々なものを隠している。隠されたものは時に魅力的に映るが、モノによっては酷く毒性が強い。気付かずに近づけば、首までどっぷりと毒に浸かっているなんてことは、ざらさ。せいぜい一夜の夢を買うくらいが良いんだ。だから深入りしないでくれ」

 

りぃん――と、どこかで虫が鳴いた。辺りは暗い。日が没してなお残る暑気に、月だけが涼しい。

そして、音もなく風が吹き抜けた。

 

「調査を依頼しておいて、今更関わるなってどういうことですか」

 

少しだけむくれて返してみれば、それもそうだと言って、妖が珍しく謝辞を付言した。そして、静かに酒を勧められた。

多くを語らぬ沈黙とは、その内に二つ三つと秘めているのだから、やはり美徳だ。

だから、折原もまた、黙って酌を返したのだった。

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