たにまのひめゆり   作:四乃宇内

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ミオ解禁 三

その場に居合わせた誰しもが言葉を失った。一般人はもとより、永く剣の理ばかりを追求した兵法家であっても、その身にエターナル・コアを宿し超人になんなんとするMAIDであっても、そして陸軍の総大将であっても例外ではなかった。衆目は、白々朗の足元でグロテスクに肥大する肉の塊に向けられている。血しぶきを上げ、異臭を放ちながら、蛋白質が膨張する光景が、見る者に沈黙を強制しているようだ。

それは最前までラットだった。

手の平大の小さな身体を小刻みに震わせているだけのラットだったのだ。

それが、どうだ。

今や発達した筋肉と骨格とに、頭も手足も埋もれてしまっていて、ラットだった面影など微塵もない。白々朗の腰のあたりにまで達する肉の塊に変じてしまったそれを、果たして誰が元はラットだったと分かるだろうか。

その異様な事態は、群衆の心理に、ある想像を喚起した。

 

「――Gだ」

 

どこからともなく声が上がった。無感動に、ただ気付いたことを、そのまま言葉にしたような口振りだった。

しかし、とても淡白な気付きの一言は、瞬く間に恐慌の波となって、一般の観覧客の中を口々に伝播した。

 

「G?」

「ネズミがGに?」

「何故、Gがこんなところに!?」

 

誰もが知っている最大の害悪、群れを成し、形ある物全てを貪り尽くしながら、都市から都市へと侵攻する不倶戴天の敵を総括してGと呼ぶ。その外見は概して虫に酷似している。ある種のGはおびただしい数の節足を有し、ある種は硬い甲殻を持ち、またある種は薄羽を用いて自在に空を飛ぶ。

そして、好んで人を食す。

人の怖気を誘う外見と、狂気に満ちた特性に、伝聞ながらも人々は戦慄した。幾許か情報の統制下にあっても、日毎に凶報は疫病のごとく知れ渡るものだ。

だが、存在を知っていたとしても、脅威を聞いていたとしても、防衛線によって守られた楼蘭皇国首都の内にいて、実物を目の当たりにする可能性にまで危機感を飛躍させる者など、まずいない。一般人にとって砲煙弾雨の戦場とは、遠い地の果てでの出来事なのだから、考えが及ばなかったとしても、已むなし仕方なしと片付ける輩は殊の外に多い。いや、そういった者が大半ではなかろうか。

だが、ミオはそういった考え方を好まない。

 

「Gリスクは、対岸の火事じゃない。自らの責任と力で向き合わなければならない事柄だと理解するんだね。知らない聞いていないじゃ済まない未来が、すぐそこまで来ているのだから。さあ、注意しろよ。諸君らの足元にも、ラットがうろついているかもしれんぞ。くれぐれも噛みつかれないように。あいすまんが、噛まれたことによる影響が、どうでるかなど保証せんでな」

 

武芸館が騒然となった。ミオによって十把一絡げに動きを封じられているために逃げることもできず、姿の見えぬラットの影に怯える人々ができることなど、たかが知れている。悲鳴を上げる者、警備体制の不備について文句を叫ぶ者、自らの境遇を嘆く者、混乱にあてられてただ泣き喚く者、一様にして滑稽な程に大声を張り上げるだけだった。

人々の嘆きを聞き漏らさぬためか、赤茶けた肉塊からラットの頭部が、次いで手足がずるりと突出した。刃物を彷彿とさせる歯や爪、隆起した筋肉、全て元のサイズではない。ラットというよりも、巨大な爬虫類の如き風体だ。

ぎいと産声が上がるや否や、しかし――喝!――と一声、白々朗が一刀の元に、目の前のラットだったGを斬り伏せた。

 

「何匹、持ち込んだ」

「何のことだい」

 

空惚けてみれば、泰山鳴動するがごとくに白々朗の両目が、見るからに嫌悪の色に染まった。ぞくぞくと肝の冷える思いだったが、夏の暑気には返って心地が良い。

静かに恫喝する白々朗から距離を置くように、ミオは龍井の脇に寄った。

 

「さて、どうしたものか」

「やっこさん。滅茶苦茶にキレてんぞ」

「見りゃ分かるさ。どうにかしておくれよ」

「自分のケツは、自分で拭け」

「そうかいそうかい。なら龍の字には頼まんよ。ポールシフトだ」

「待て。ふざけ――」

「やだね。墜形之所載、六合之間、四極之内、照之以日月、経之以星辰――」

 

途端に龍井が虚脱した。

言葉半ばで口を閉ざし、目を虚ろにする龍井を愉悦交じりに眺めながら、ミオは鴻宝墜形訓を唱え始めた。

DPMaには二基のエターナル・コア――便宜的にミオはポジ・コアとネガ・コアと呼んでいる――を搭載している。生命機能を維持するための通常稼働に必要なエネルギーを産出しているのは、主に『緑龍井』というパーソナリティを司るポジ・コアである。

 

「紀之以四時、要之以太歳、天地之間、九州八極」

 

龍井の頭から、トレードマークのボルサリーノが地に落ちた。

同様にネガ・コアも、別個のパーソナリティを司っている。もちろん龍井が目を覚ましている普段は、表に出てくることは、ほぼない。龍井の意識の下で、静かにまどろんでばかりいる。そのまどろみは、DPMo起動時においても大差ない。

 

「土有九山、山有九塞、澤有九藪、風有八等、水有六品」

 

がくんと龍井が首を垂れた。力なく項垂れた反動で、後ろに撫で付けていた髪が、ばさりとほつれる。鴻宝墜形訓とは、メインとなるエターナル・コアの切り替え――ポジ・コアの強制停止と、ネガ・コアの強制起動――のコマンドである。

長い前髪に隠れて、龍井だった男の目蓋が薄っすらと開いた。引付を起こしたかのような反応とは裏腹に、その表情は至極穏やかで、微かな笑みすら見せる面影には、どこか女性的な雰囲気を漂わせている。

さながら別人だ。

 

「おはようございます。博士」

「やあ。おはよう。早速で何なんだが、あすこの白髪頭とツェダイの相手をしてやってくれ」

 

ミオは、意図してヨーダーとパトリシアをゆっくりと見詰めた。ツェダイ流と因縁を持つのは、何も龍井だけではない。アルトメリア連邦を追われたミオはもちろんのこと、龍井がその身の内に宿すネガ・コアにだって数奇な縁がある。その縁は、ミオや龍井に比べて、ずっと深く、かつ古い。

 

「これから、ちょっと手間のかかる実験を行う。葛神一人に莫大なエネルギーを割く訳にはいかない。だから葛神の枷を少し緩めるけど、大丈夫かえ?」

「お任せ下さい。アサマシイヤツメです」

「デュベル君。それを言うならアサメシマエだ。分かって言ってるだろ」

「失礼致しました。そこに懐かしい顔があるものですから。つい彼女に倣ってしまいました」

 

龍井――ミオはデュベルと呼んだ――の視線を、ミオは追った。その先には、月光二刀を構えるパトリシアがいる。

うんと一つ、ミオは首肯した。

 

「随分とご無沙汰のことだろう。気兼ねなく発奮したまえ」

「ありがとうございます」

「じゃ頼んだよ。デュベル君」

 

言って踵を返すと、ミオは顔から笑みを消した。脳裏に浮かぶ、以前に試算した閾値、その値が表情から漏れ出ぬように、きりりと口元を結び、色素の薄い瞳を半眼に隠す。

 

――TeV領域のエネルギーくらいは欲しいもんだが。

 

過去、エターナル・コアが五十基もあれば可能だろうと、ミオは試算した。しかし。その数量はほぼG5クラスの国家が保有するMAIDの数に等しい。連合軍が投入されている巨大な戦場でもない限り、五十を超えるエターナル・コアが集まる機会など、まずない。だからミオは、数多くのエターナル・コア――MAIDが集まる楼蘭剣術大会黄龍旗に飛びついたのだ。

DPMaとは、ミオにとって永子の力を意のままに操るためのモジュールである。つまりDPMoのフィールド内を乱雑に飛び回る永子を統御し、一つの力学として行使するという思想を内に宿している。

白衣のポケットに両手を突っ込んだまま――

 

「これより永子加速衝突実験を開始する」

 

ミオは、厳かに宣言した。

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