たにまのひめゆり   作:四乃宇内

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ミオ解禁 四

すうと一息吸い込んで、いざ実験を開始しようとした矢先に、白衣のすそを引く手に邪魔された。見れば、情けない顔をした修次郎が、未だ地に膝を着けたまま、すがるように手を伸ばしている。

自らの肩越しに修次郎を見ながら、ミオはつとめて冷ややかに口を開いた。

 

「なんだ?」

 

端的なミオの言いに、しかし修次郎が返したのは、首を横に振る仕草だけだった。理解できないながらも実験の危険性を察したのだろう。酷く保守的な修次郎のこと、生存本能を人道やら倫理やら、その手の耳に優しい言葉――おためごかしで修飾して訴えようとしたが、目の前で繰り広げられている状況を許容できず、結果、失語したといったところか。

だから、ミオは少しばかりの優しさを見せた。

 

「安心おしよ。TeV(テラエレクトロンボルト)領域にまで加速させた永子を、正面から衝突させるだけじゃないか。莫大なエネルギーの永子反応が見られるぞ」

「な、何を暢気な」

 

顔に血でも昇ったか、わずかに赤面する修次郎が妙に滑稽だった。

 

「出来るわけがない。そもそも何のためにやるんだ」

「見たいじゃん」

 

開いた口が塞がらないといった体の修次郎の反応が、豪く傑作だった。短くない付き合いだ。純粋な好奇心のみで行動できることなど、とうに知っているにも関わらず、いざ、その通りの状況に直面してみれば、まだまだ理解が及ばないに違いない。

 

「観光と一緒だよ。登山のために海を渡る者があれば、夜空を観測するために空を飛ぶ者もいる。それと、おんなじってこった」

 

言って、けらけらとミオは笑ってやった。

 

「加速は、制御は、どうするつもりだ」

「デュベル君がいる。サポートにイーヴィもいる」

「DPMaを実験装置の代替とするからといって、コントロールできる訳ではないだろうが。膨大な演算処理はどうする? それをあの二人に任せようってのか? 出来っこない!」

「アタシ」

 

ミオは自信満々にふんぞり返った。

 

「この大天才ミオ・トーンライムが演算し、この場に散在する全ての永子を統御する。だから失敗はない」

「なにを言っているんだ。もし万が一のことがあったら」

 

搾り出すように言葉を吐き出す修次郎の表情が、今度は実に哀れだった。

 

「大勢の人が――」

「――死ぬというのかえ? ここにいる全員が死ぬと?」

 

震えるように首肯する修次郎の瞳を、ミオはじっと見詰めた。焦点が覚束ないのか、わずかに充血した白目の中を、瞳孔が不安定に揺れている。

 

「構やしないよ。ここにいる全員を鏖にしてでも、修次郎や、お前さんのことは守るさ。それで足りなきゃ、倭都を滅ぼすのも吝かでなし」

 

ミオは裾をつかむ修次郎の手に、自らの手をそっと重ねた。定まらぬ修次郎の視線が、ちらと手元に移る。

そして目を戻すと同時に、ひきつけのように息を飲む修次郎を、ミオはこの上ない至福に浸りながら見た。修次郎が目にしたものは、おそらくミオの瞳に映る自らの焦燥した顔に違いない。下らないヒューマニズムなど、真っ向から挫くに限る。

 

「名も知らぬ人間の生き死になんぞ、お前さんには関係あるまい」

「し、しかし」

「世間様には、こう言えば良いさ。あの実験はミオが勝手にやったこと、俺は関係ない、とね。事実、これはアタシの勝手だ。お前さんには、これっぽっちも責任はない。だから、ほれ」

 

無理をするでないよ――と、ミオは修次郎の耳元で甘く囁いた。えてして人は権威に弱い。一個人の良識など、常軌を逸した莫大さの前では、無に等しい。だから、責任の所在を明らかにしてやるだけで、修次郎のような手合いはすぐに屈する。

果たして、微睡のごとき沈黙が数瞬、それが修次郎の葛藤の時間だった。項垂れるばかりで、続く言葉もなければ、目を合わせる素振りもない。

ミオは、修次郎の手を優しくほどくと、無言できびすを返した。

 

「四方百間永子彌漫」

 

混乱と恐怖の入り混じった狂騒を、ミオの良く通る声が破った。再び両手を白衣のポケットに突っ込んで、かつかつと足音を尊大に響かせながら、大舞台のど真ん中へと我が物顔で進む。

 

「これよりTeV領域まで加速させた永子ビームを、この場で正面から衝突させる。観測史上、最も高エネルギーの永子反応となる訳だが、永子加速など肝心の制御に関しては、貴様らMAIDから漏れ出るコア・エネルギーを用いる。装置は、あれに見るDPMaデュベル・モルトガットだ。そして制御にかかる全ての演算を、このアタシが行う。ゆえに以後、デュベル及びアタシに危害を加えることを禁ずる。もし永子衝突の邪魔をしようものならば、この倭都、ひいては楼蘭皇国が高濃度の永子線に被爆し、向こう百年、G侵攻以上の被害を受けることになる。分かったね。特に、そこな総大将殿」

 

憤怒の形相で睨む白々朗に、ミオは笑みの失せた視線を向けた。人質は、楼蘭皇国の国民全てであるという意味を込めて。

しかし、白々朗の胆力の前では、脅迫など寸毫も意味を成さないようだった。

 

「始める前に貴様の息の根を止めれば済むこと」

「満足に動けぬ状態で、よくぞ言ったものだ。デュベル君。絶対に白髪頭をアタシに近づけないようにね」

「御意に」

 

ツェダイ流剣術の師弟と言い争っていたデュベルが、音もなくミオと白々朗の間に立った。その手には、緑色の刃を成す光剣干将と莫耶が握られている。

ミオは満足そうに微笑むと、凛と声を発した。

 

「有始者、有未始有有始者、有未始有夫未始有有始者!」

 

変化は突然だった。

ミオの頭上十数メートルの付近に、桜色の光の輪が現れた。それは一つではなく、大小の輪が幾重にも折り重なるようにして、中空に浮いている。悉皆、輪は同心円のようだ。

音はない。否、音波を発しているのかもしれなかったが、武芸館を包む喧騒の方がずっと大きいようだ。

 

「有有者、有無者、有未始有有無者、有未始有夫未始有有無者」

 

折り重なる桜色の輪が、永子の束であると始めに気付いたのは誰だったか。円軌道を加速しながら駆け巡る永子が輪を成しているようだ。それまでのミオの口上から、誰しもが光の輪が形成された時点で気付いていたことやも知れない。

ただ、漲溢するエネルギーの奔流が、エターナル・コアから齎されているということを、そこにいる全てのMAIDが見るからに直感した。自らの内から沸き起こる全き力と同一であることを、ただちに悟ったのだった。

 

「所謂有始者、繁憤未発、萌兆牙蘖、未有形埒垠無無蠕蠕、将欲生興而未成物類」

 

光輪は互いに寄り集まっていった。近傍を走る永子の輪が引き合うように触れ、同じ流れとなり、より大きな光の輪となる。引力に似た力が、輪の間で働いているのだろうか。輪の統合そのものが加速していく。

 

「有未始有夫未始有有始者、天含和而未降、地懷氣而未揚、虚無寂寞、蕭條霄、無有倣佛、氣遂而大通冥冥者也」

 

朗々と一息に言い切ると、呼応するかのように桜色の輪が急速に集い、そして同時に音を発し始めた。指数関数的にエネルギーを高める永子が大気を切り裂く音か、はたまた場に充満するエターナル・コアの擦過音か。

輪の数が五を下回った頃、ミオは表情をわずかに曇らせた。

 

「有無者、視之不見其形、聽之不聞其聲、捫之不可得也、望之不可極也、儲与扈冶、浩浩瀚瀚、不可隱儀揆度而通光耀者」

 

放っておけば四方八方に飛散してしまう永子を、周回軌道に乗せて加速させることの困難さの表れか、一つ一つの永子の持つエネルギーが膨れ上がるにつれミオの眉間に一つ、また一つと皺が刻まれていった。だからと言って、鴻宝を元に組み上げたDPMaへの操作入力の言語を間違える訳には、けしていかない。一寸のミスが、全てを灰燼に帰す原因となりかねないのだから――実験の成否のことであり、楼蘭皇国やそこに住む人々について、当然ミオは寸毫も憂慮していない――細心の注意が求められる。

 

「道出一原、通九門、散六衢、設於無垓之宇、寂寞以虚無」

 

中空を飛び交う永子が、とうとう巨大な二対の輪となった。今や桜色ではなく、真白で強烈な発光体と化し、直視が出来ぬほどの光彩陸離たる目映さを以って、楼蘭武芸館の舞台上空で加速を続けている。

それは太陽染みた威圧感を放っていた。いや、太陽よりもずっと大きな、それこそ気が違いそうになるほどの莫大さと言うべきか。人の理解を超えた、度し難き力が、そこに顕現したようだった。

誰かが言った。

 

神よ――と。

 

「美しき百合どもよ。刮目せよ」

 

ミオの宣言が早いか――

 

「鴻宝万畢!」

 

二対の光の輪が重なり、巨大なエネルギーを孕む永子の衝突が果たされたのだった。

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