たにまのひめゆり   作:四乃宇内

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佐々木修次郎の受難 九

「――それと修次郎を頼む」

 

そう言うミオに突き飛ばされた修次郎は、イーヴィの前にごろりと無様な格好で尻餅をついた。高々尻っぺたを打っただけのこと、何の痛痒があろうか。しかし身体にダメージがないからと言って、ぞんざいなミオの態度を許容できるかと言う訳では、もちろんない。

幾許かの苛立ちを足に込めて立ち上がってみれば、しかし、今度は背後から強い力で引っ張られた。立つ瀬がないとは、このことか。見れば、イーヴィが襟首を掴んでいる。

 

「ちょ。離して下さい。イー」

「ダーメ。今、ミオの傍は危険だから」

 

名前を言うなという意味だろうか、修次郎の口をイーヴィの端正な人差し指がやんわりと抑えた。顔をさらけ出している龍井――今はデュベルと呼ぶべきか――やミオと異なり、イーヴィは今もって面相を隠したままだ。イーヴィの経歴を鑑みると、確かに名前や顔を露呈することは得策ではない。

MAIDの力に抗することなどできるはずもなく、修次郎はずるずると引き摺られていった。

 

「あそこの黒服。人間みたいな外見だけどプロトファスマだから。はい、これ飲んで」

 

手渡された抗瘴気剤を口に運びながら、舞台の対面に立つ黒服を修次郎は見た。

男の印象は、忌まわしいの一言に尽きた。鴉のように全身黒く、人を嘲笑うかのようにニヤニヤと口元を歪めている。イーヴィ曰く、プロトファスマだったか。拉丁語のような響きから、動物の学名を思い浮かべたものの、修次郎の知識――医学やら薬学やら――の内に、思い当たる単語がない。

 

「にが」

 

水もなしに飲み下した抗瘴気剤の苦味が、たまさか想像の助けとなった。

 

「もしかしてGですか」

「うん。正確には、エターナル・コアを宿したGの総称だよ」

 

冬の雨計画の時――とイーヴィが続けた。

二本鎖RNAを用いた対Gウィルスの開発計画があった。EARTHと一部の国が出資し、ミオが開発を担当したその計画と対Gウィルスの秘匿名を、それぞれ冬の雨、そしてウィンターレインと言う。ウィンターレインは、G染色体に特異的に見られる遺伝子――G Anomalous Gene:GAG――に選択的に作用し、G特有タンパク質――G Anomalous Protein:GAP――の生成を疎外する働きを持つ。GAGをノックアウトされたGは、重篤な代謝不全や内分泌疾患を発症し、ついには肉体の恒常性を維持できなくなり、急激な老衰のようにして死に至る。度重なる変異を重ね様々な耐性を獲得したワモン種やフライ種、マンティス種に対して、現行のバイオ兵器を大きく上回る致死率を有するウィルスの開発に至ったが、しかし未だ実戦に投入されたことはないらしい。周辺環境や人類に対して、どんな影響が出るか分からん代物は、恐ろしくて使えないのだろう、とはミオの弁だ。

 

「冬の雨計画の時、プロトファスマと戦ったんだけど」

 

冬の雨計画の際に割り振られた修次郎の役は、連携機関との連絡及び交渉、つまり渉外だった。聞いた分には大層な役回りだが、結局のところビニューだかビミョーだか言うMAID部隊とミオが取引を行う場に同席しただけだった。奇しくも長雨に街――ラヤード共和国の首都エガリム――が閉ざされた冬の日のことだったために、ミオと利発そうなMAIDが、あれやこれやと話し合っているのを横目に、煙る氷雨を気だるく眺めていたくらいの記憶しかない。ましてや商談の裏で、GだかMAIDだか判然としない連中とイーヴィが戦っていたなどとは、夢にも思わなかったことである。

 

「グ・ローズとか言ったかな。これが、もう、半端なく強かったんだよね」

 

龍井と組んで戦ったにも関わらず、退けることがやっとだったとイーヴィが言った。それを聞いた修次郎の感想と言えば、DPMaが二人がかりということは、都合エターナル・コア四基に勝る化物が相手か、などと安直に思った程度。ミオと、対峙する黒衣の男を眺める瞳も、遠巻きにしているためか胡乱に濁っている。

 

「ミオの適う相手じゃありませんよね」

「本人やる気みたいだし、任せてみようよ」

 

朗らかに笑うイーヴィと目を合わせた後、修次郎は中空に浮かぶ発光体をちらと見た。張り詰めたエネルギーは未だ安定しているものの、時折、大気と反応でもしているのか、じりじりと熱と音を発している。天文学的なエネルギーの塊を自在に操ることができるならば、一介の学者に過ぎぬミオにも、Gの駆除は可能か。勝算はあるのかもしれない――が。

 

「俺には関係ない」

 

ミオの言葉を思い返した。修次郎はミオに加担しているのではなく、あくまでも巻き込まれただけの一般人である。誰よりもミオに近しい立ち位置にいるにせよ、置かれている状況は拘束されている観覧客と大差ない。問題を解決するには無力で、状況を打開するには無気力な、そんな普通の人間なのだ。発起して何ができると、自らの足が言っている。身の安全だけを優先して考えろと、心臓が鼓動する。

 

「ミオが勝手にやっていること、か」

 

だからミオが誰と対峙しようとも、それは修次郎には関係のないことであり、わざわざ首を突っ込むなど間抜けも良い所だ。そも、とてつもなく出鱈目なやり取りの中に、一般人のしゃしゃり出る余地がどこにあるというのだ。常識から足を踏み外した輩同士で存分にやり合えば良い。そう。凡人を虚仮にして、好きなだけ乱恥気騒ぎに興じれば良い。

 

「馬鹿にした話だ」

「どうしたの、修次郎」

「――いえ」

 

束の間、イーヴィに同意を求めようとしたものの、結局、修次郎は黙ってうつむいた。イーヴィとてMAIDだ。非力な敗者の意志に、少しの共感も示さぬだろう。周囲の無理解に翻弄され、寄る辺なく項垂れる程度が、敗者にはお似合いである。

夢枕に立った阿倍野の言葉がよみがえった。加茂の係累という負け犬の業を受け入れろ、と。みすぼらしい烏の影を引き摺って生きろ、と。

だから修次郎は、貝のように自閉して、超人達との彼我の隔たりから目を背けたのだった。

 

「――Nevermore...」

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