たにまのひめゆり   作:四乃宇内

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――We came out from the deep . (我ら深淵より来たり)
Enigma / Out From The Deep


幕間 しんえんよりきたり

闇は静寂を好む。大振幅の波だろうと、大量の光だろうと、ことごとく闇は飲み込む。沈静させてしまう。声を大にして叫んだところで、闇の沈黙を破ることはできない。ただ平らかで揺るぎなく、漠然と広がるのみである。それがカ・ガノ・ヴィヂの慣れ親しんだ、寄る辺ない闇の在り方だ。

 

「We came out from the deep . To learn to love , to learn how to live . We came out from the deep . To avoid the mistakes we made . That’s why we are here」

(英文意訳:我ら深淵より来たり。愛を学ぶため、生き方を学ぶため。我ら深淵より来たり。かつての過ちを繰り返さぬために。そのために我らはここにいる)

 

以前にウィー・ウィル・ロック――プロトファスマから成るレギオンの同胞――に聞かされた歌の一節を、カ・ガノ・ヴィヂは闇に奉げるように口ずさんだ。人の在り方について、人が作った歌だ。すぐに目的を見失う人類にとって、実におあつらえ向きな歌詞だからこそ、カ・ガノ・ヴィヂが歌うに足るというものだ。人の無知から誕生したプロトファスマが、人間社会を嘲笑するためにあるような歌詞ではないか。

しかし、カ・ガノ・ヴィヂの歌声――嘲りは闇に吸収される前に、その場に居合わせた人間の叫び声によってかき消された。

 

「目が見えないくらいで、ぎゃあぎゃあ騒ぎやがって」

 

恐怖やおののきに染まった狂騒が、場には満ちていた。人の混乱は耳に良い。心地が良い。しかし会話の最中に、周りで騒がれてはたまらないのも、また事実だ。何より恐怖の中心に自らが不在ならば、面白みも半減である。

だからカ・ガノ・ヴィヂは、紫煙と一緒に瘴気を吐き出した。Gの呼気に混じるエアロゾル――瘴気は、概して人類を含む動植物に対して強い毒性を示す。いわんやプロトファスマの吐き出す瘴気の毒性たるや、凡百のGとは比べ物にならない。大気中にごく微量の瘴気が混入するだけで、生物の神経系や呼吸器系、免疫系などありとあらゆる器官に障害をもたらす。

果たして赤々と血しぶきが上がった。

瘴気の強毒性の表れか、観覧席に並ぶ一般人が次から次へと大量の出血によって倒れていく。その光景は、さながら異様なドミノ倒しのようだ。

結果、ものの数分で、武芸館内から人の声が途絶えたのだった。高濃度の瘴気が充満する環境に耐えるには、人類の身体は脆弱すぎる。

 

「少しは静かになったか」

「派手にやったもんだ」

 

例外的に瘴気に耐えた人間――ミオに、カ・ガノ・ヴィヂは皮肉な笑みを返した。否、耐えたというよりも、過去に相見えた際と同じように、抗瘴気剤なる薬物の服用によって難を逃れたと言った方が正確か。ミオとカ・ガノ・ヴィヂの確執は、今に始まったことではない。それほどに深い間柄ではないが、利害の関係から時に味方となり人間社会に爪を立て、時に敵となり互いに向けて牙を剥いた経緯もある。

現状、カ・ガノ・ヴィヂは明確にミオを敵視していた。

 

「トリーノから言付かっている。ウィンターレインの解析、及びワクチンの開発が完了した、だそうだ」

「スフィアを使ったんだね。まったく。どんな揺り返しがあるか分からんというに」

 

ミオの指摘どおり、対Gウィルスであるウィンターレインを解析するために、大気圏外を航行する希望号に搭載されていたヒュージ・コア――スフィア0079を用いた。スフィア0079には、現代の科学をはるかに凌駕する英知が記録されている。その一部を解析に用いた理由は、現代の科学では、治療薬の開発はおろか解析すら不可能だろうとの判断からだ。それでもスフィア0079と表層的な同期のみで事足りた、とはトリーノの弁である。

 

「ウィンターレインくらいの進化圧が適度だよ。悪いことは言わない。過度の進化圧は種の寿命を縮めるだけだ」

「ならば赤の女王をこちらに渡してもらおうか。一個人には過ぎた代物だろ」

「赤の女王とお前さんらでは、思想が異なるだろうて」

「それは俺らと赤の女王が決めることだ。人間のオマエが口を挟むことじゃない」

「何を言うかと思えば。思い出してもらいたいね。アタシを選んだのは、メイトリックスだってことをさ」

 

ミオとの確執の原因の一つが、この赤の女王メイトリックスの遺産の所有権だった。

本来的な赤の女王とは、外来遺伝子を卵割前のG受精卵に逆転写することにより、性交による遺伝子の交配に比べ、よりダイナミックかつ合目的的に遺伝子の改変を行うGを指す。トリーノ・ガ・ラ曰く、G進化を支えるシステムの一つ、だったか。

しかし、カ・ガノ・ヴィヂは旧来のシステムではなく、次世代の赤の女王について言及していた。つまり。

 

「メイトリックスのことじゃねぇ。その娘、次の女王のことだ」

「知らんよ。どこぞでヨロシクやってるんじゃなかろうかね。ほっといてやったらいいじゃないか」

 

赤の女王は世継ぎを出産すると、役目を果たしたとしてG進化システムから退く。ミオが独占しているG進化に関する技術とは、つまり新旧のG進化システム及びそれを元に研究開発された叡智のことである。そして、それら技術をミオが独占しているという状況は全Gにとって、ひいては303計画を控えるカ・ガノ・ヴィヂやレギオンにとって障害となる恐れがある。あまつさえ障害どころか、その技術を応用してウィンターレインのような対G兵器の開発を実際に行っているのだから、看過できるようなことですらない。

 

「人間どもの社会で悪さするくらいなら大目に見てやっても良かったんだがな」

「今後も贔屓目にしておくれな」

「駄目だな。俺は人間が大嫌いなんだ」

「あら残念」

 

思った通り、ミオがげらげらと声を上げて笑い出した。下品な笑い声が、カ・ガノ・ヴィヂの観る闇の世界に、不細工な波を立てる。

 

「賢しらぶる女は特に嫌いでな」

 

闇は静寂を好むのだ。

だからカ・ガノ・ヴィヂは勿体振った仕草で、単分子ブレード――黒刀シャニをすらりと抜いた。静寂を貴ぶ闇は、光を飲み込む。果てしない空漠の広がる宇宙然り。心の虚(うろ)然り。武芸館に突如として出現した発光体とて、カ・ガノ・ヴィヂの慣れ親しんだ闇が許せるはずもない。

いわんや――

 

「ミオ・トーンライム。例えばオマエとかな」

 

返事代わりか、中空に浮かぶ発光体からビームが放たれた。盲いたカ・ガノ・ヴィヂの視覚細胞にも、明暗を喚起するほどの光量が迫る。

カ・ガノ・ヴィヂは皮肉げに一つ笑うと、闇色に染まった黒刀シャニを片手に駆け出した。

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