「心臓の外壁って、まさか――」
イーヴィの結論を遮るように、遠くでカ・ガノ・ヴィヂが口を開いた。途端に周囲が沈黙し――もっとも視界を奪われたMAIDや一般人は、未だに呻きや叫びをか細く漏らしているが――衆目が集まる。
「ミオ・トーンライム。科学者は科学者らしく、机に向かってシコシコやってろ。見苦しい」
「アタシは実践主義者でね」
「知るか。分不相応だから出しゃばんなっつってんだ。対等の立場だとでも思ってんのか?」
ミオに投げつけられるカ・ガノ・ヴィヂの悪口雑言が、なぜか妙に修次郎の背筋をざらざらと舐めた。劣等感、いやヒトと言う脆弱な種を見下すプロトファスマへの反意か、修次郎の身体を流れる血が、熱を帯びたかのように脈を打つ。
身体の中の熱が、窮地に立たされているミオの名となって、修次郎の口から漏れた。
「ミオ――」
苦し紛れとでも言わんばかりに、永子線バーストが乱射された。闇雲に打ち出された光線は、目標カ・ガノ・ヴィヂに掠ることもなく、ただ空を貫き、無為に地を穿った。よくよく見れば、ミオが表情を曇らせている。
「愚図が。少しは当てろよ」
口汚い罵言に反論もせず、ただ出鱈目に光線を放つだけのミオの姿を見て、修次郎は己の目を疑った。修次郎の知るミオとは知略権謀に長け、露悪な手練手管に通じ、呼吸するように人を韜晦することを好む女だったはずだ。
それが、なぜ、言われるがままにしているのか。
そんな女は、修次郎の知るミオではない。
そんなミオは見たくない!
自然と修次郎の視線は、カ・ガノ・ヴィヂへと移った。
「まだ、やんのかよ」
咥えていた紙巻煙草を吐き捨てるカ・ガノ・ヴィヂの仕草が、殊更に修次郎の鼻についた。まるで自らが唾を吐きかけられたかのように感じられる。
苛立ちに歪む視界の中で、カ・ガノ・ヴィヂが黒刀の切っ先三寸を、音もなく床に突き刺した。付き合いきれぬと、その表情が雄弁に物語っている。
その行動に何を予期したのか、青ざめた顔のミオが、咄嗟に人形(ヒトガタ)の符をばらばらと周囲にまき始めた。目くらましか、床に触れた符から、次々と人の形(なり)をした式神――外見はミオのそれだ――が立ち上がる。
しかし。
「飽いたぜ」
カ・ガノ・ヴィヂが唾棄して寸余、床から無数の黒刃が突出した。切っ先にかけて僅かに反る真っ黒な片刃が、舞台の上、ミオの式神を狙いすましてずかずかと乱立する。論なく、紙切れを依代とした式神が持ちこたえられるはずもない。
鎧袖一触、ミオの外見を模した式神が、千々に細切れとなった。符を巻きちらしたミオ当人をも巻き込んで。股座から挿入された黒刀が、内臓脊髄その他諸々の器官ごとミオの矮躯を貫き、百舌の速贄さながら、ついには小さな口から刃の先端をのぞかせている。
しかし、余さず斬ったにも関わらず、カ・ガノ・ヴィヂが相好を崩すことはなかった。不機嫌な表情で、上空を見上げている。
「いい加減、降りて来いや」
刃に囲まれたまま叫ぶカ・ガノ・ヴィヂの声は、舞台の上ではなく、中空に浮かぶ発光体のさらに上に向けられていた。真意の知れぬ言動に疑問を抱きながらも、眩い光に目を細めてよくよく見れば、発光体の真上に人影がちらつく。まさかと思い、舞台に視線を戻したが、黒い刃に貫かれたミオの死体が消えている。やはりと言うべきか。あるのは裁断された式神の依代――夥しい数の紙片だけ。なるほど。二度あることは三度あると言う。
発光体の上の人影――本物のミオが、いつものように不敵に見栄を切った。
「式とは言え、自分の死に様を日に何度も見るってのもオツなもんだね」
ミオが笑った――ようだった。否、正確には、目蓋をかっと見開き、口の端を吊り上げている、と言うべきか。見るからに笑顔なのだが、どうにも疑ってしまうのは、その目が笑っていないからに違いない。平素、眼鏡の奥でにやにやとほくそ笑んでいる目の嫌らしさすら消え失せ、宿した茫漠が妖しげに淀んでいるだけなのだから、その胸の内を知ることがどうして出来よう。
冷たいミオの瞳の暗さに、修次郎は嗚呼と溜め息を漏らした。
「有未始有夫未始有有無者、天地未剖、陰陽未判、四時未分、萬物未生――」
ミオの一言一句が、炉心と化した発光体を表層部から冷却しているようだった。放射される光の量は漸減し、所々に黒ずみが生じ始めている。まるで太陽の黒点のようだ。
「汪然平静、寂然清澄、莫見其形、若光燿之間於無有、退而自失也――有意義な実験だった。が、それもそろそろお仕舞いにしよう。美しき百合達よ。協力を感謝する。ささやかな礼として、面白いものを見せてやろうじゃないか――予能有無、而未能無無也。及其為無無、至妙何從及此哉!」
ミオの宣言を合図に、表層部の光に変化が生じた。視力を奪うような強い光ではない。暖かくて柔らかい光が、仄かに灯っている。
「陰陽二気相交わり、万物と為す。ヒト然り。MAID然り。いわんやエターナル・コアとて例外ではないと知れい!」
緩々と光が収束していった。光量の減少に比例して、全体像までもが委縮していく。
そして一回りほど収縮した頃、突然に発光体はふっと光を失った。
後に残ったのは――
「やっぱり、そうか」
エターナル・コアだった。修次郎の予想した通り、発光体の表層である心臓の外壁アル・ニヤトの内側で蠢動していたエターナル・コアが、全容を明らかにしたのだった。それも通常のサイズなど比較にもならないほどの極端なスケールだった。さらにはグロテスクでもある。脈動する様子は、いかにも神経腫瘍のようであり、あるいはさながら肉塊のようである。
吐き気を催す生々しさを断ち切るように、ミオが朗らかに、純粋に、そしてどこか少女のような可愛らしさで笑った。
「どうだい。カ・ガノ・ヴィヂや。この感じ。覚えがあるだろう?」
突如として光の中から出現した巨大なエターナル・コアが意味すること。それは。
まさか――と、舞台のいずこから声が上がった。
「まさか造ったのか。コアを。この場で」
傷も癒え、視力も回復した白々朗が、驚愕と苦渋の綯い交ぜになった表情で言った。真半身に構えた刃をカ・ガノ・ヴィヂに向け、斜にミオをねめつけている。
「ご名答。葛神の。精子と卵子のように、対になる永子を亜光速で衝突させてな。生じたエネルギーごと閉じ込めてやった。あは。史上初のエターナル・コア製造現場に立ち会えたのだ。喜べよ」
「不可能だ。そんなことで製造できる代物ではない」
「細工は流々と昔から言うではないか。企業秘密――だけれども、対価によっちゃ技術の開示もやぶさかでなし」
以磨川との良い交渉材料になるかね、などと言って、ミオが宙に浮いたまま九字を切った。異界とのチャンネルを開く陰陽の術、九字。ミオの実行した法が、オカルト染みたものなのか、それとも永子衝突によって生じた超エネルギーを流用した空間歪曲なのか、どうにも修次郎には判然としなかったが――
「ご開帳の時間は終わりだ」
突然に空間が裂けたのだった。比喩や誇張などではなく、事実、ヒュージ・コアの真上の空間が、音を発てて裂け始めている。まさしく穴。空中に穿たれた奈落のごとき裂け目が、ずるずるとヒュージ・コアを飲み込んでいく。どこへと通じているのか、皆目検討すらつかない。
同時に、ヒュージ・コアの付近を周回していたエターナル・コアが、熟れた果実のように地に落ちた。ぼとりと果実が二つ転がって、そして人の形を成した。
「右王(うおう)や。左王(さおう)や。そこな二人を足止めよ」
修次郎にもさすがに察しがついた。あれはエターナル・コアの式神だ、と。器物を式神として使役する陰陽師も多聞に及ぶ。いわんやエターナル・コアとて例外ではない。今まで誰もやらなかっただけのこと。
白々朗とカ・ガノ・ヴィヂ、式神の右王と左王が対峙する舞台を指して、思い出したようにデュベルが口を開いた。
「行くよ。潮時だ」
その声に即応するイーヴィに、修次郎は抱きかかえられた。MAIDとは言え外見は女子。その女子に抱きかかえられるなどという構図に気恥ずかしさを覚えたものの、そのようなつまらぬ考えは、次の瞬間に消し飛んだ。
イーヴィが、空に開いた穴に向けて、駆け出したからだ。
「え。ちょ。アソコ?」
異界を通って武芸館から脱する算段か――気付いた時には既に遅く、修次郎の眼前に得体の知れない異空間への入り口が迫っていた。