方々から集まる好奇の目に、龍井は機嫌を悪くしていた。すれ違う通行人の大半が、興味本位にじろじろと寄越す無遠慮な視線が何とも鬱陶しい。
理由は明白だ。
「和装にすりゃ良かったな」
「この通り着物だが?」
「いや、お前じゃなくて」
背の低いミオを、龍井は見下ろした。郷に入っては郷に従えという故事にある通り、生来からの金髪を黒く染め、友禅染の着物をまとったミオが不敵に笑っている。素性を隠すための変装だ。対して龍井は、普段の対外向きの格好――ヴェルキオーリ製のタイトなダークスーツとボルサリーノ――に、ふち無しのサングラスをかけただけ。袴や着流しといったような着物姿が埋め尽くす往来に、マフィアの如き風体の龍井がどうして馴染めようか。
「似合ってるよ。悪人然りとしててさ」
「警察屋に呼び止められても知らんぞ」
「頼りにしてるさ、龍の字」
公僕を殴り倒せとでも言っているのだろうか、ミオの言いに龍井は先行きを危ぶんだ。
日華三十人殺しという事件があった。日華流という剣術流派の門人三十名が一夜にして惨殺されたというものである。被害者の中には当時の頭首も含まれており、事実上の日華流の壊滅を意味した。その犯人が朝日那夜一――人間の頃の龍井である。MALEとして生まれ変わった今、事件当夜の記憶など、とうに忘れてしまったが、外見まで変わってしまった訳ではない。当時の事件を知る一般人からすれば、夜一も龍井も同一だ。
せめて人が寄り付かぬようにと、龍井は紙巻煙草を口にくわえ、肩で風を切る無頼漢の体を決め込んだ。
「今回の要件は?」
「先般、龍の字が回収したエターナル・コアを加茂のジイ様にくれてやる。門隠内での復権をかけてMAIDで武装する腹積もりらしいよ」
龍井は右手に持つ黒塗りのスーツケースを、ぐいと握り直した。
ミオの依頼でアルトメリア連邦の地下施設に赴いたのが、およそ二ヶ月前のこと。半世紀も前に作られた上下水道路の端に設置されたエターナル・コアの回収が目的だった。ツェダイ流――けったいな剣舞を得意とする連中だ――との交戦や、自然災害の猛威、帰還ルートの消失など、艱難辛苦を乗り越えてラヤード共和国のねぐらに帰ってみれば、待っていたのは次なる任務だった。大酒を喰らって、のんべんだらりと休む算段だったが、実にあっけなく水泡に帰したものである。
ミオ曰く――
――次は楼蘭皇国だよ。
――出発は一週間後。
――修の字も一緒だ。喜べ。
耳を疑った。聞けば、修次郎も初耳だと言う。何が喜べだ、と珍しく修次郎が声を荒げていたことを良く覚えている。当然だ。血縁との確執に悩む修次郎にとっても、罪人である龍井とミオにとっても楼蘭皇国は鬼門だからだ。とりわけ社会に馴染めぬ犯罪者には、ラヤード共和国のような善悪やら貧富やら糞みたいな価値が綯い交ぜになった、どうでも良い国がお似合いなのだ。誰からも相手にされない小国で沈黙しているに越したことはない。
それを、わざわざ、どうして、過去に罪を犯した土地に赴こうと言うのか。かつて楼蘭皇国から国外へ逃亡した際に、考えなしの龍井ですら二度と戻るまいと思ったものだ。こと楼蘭皇国に限れば、ミオよりも龍井の方が罪人としての認知度は高いのだから。
龍井は追憶を止めた。
「で?」
「でって何が?」
「目的はなんだ」
「心外だな。迷惑をかけたから、つぐないに来ただけよ」
よもやミオの口から“つぐない”などという言葉を聞けるとは夢にも思わなかった龍井は、またしても耳を疑った。他人への迷惑など一度たりとて考えたことのない人間が、リスクを冒してまで危険な地に足を向けたかと思いきや、その理由が“つぐない”である。ちゃんちゃら可笑しい。これは何かの冗談の類に違いないと結論付けた龍井は、話半分に聞きながら言葉を合わせることにした。
「オマエ一人の方が良いんじゃねーか。俺みたいなゴロツキが同席する必要ないだろ」
「荷物重いじゃん」
「荷物持ちね」
荷が肩にずしりと重く圧し掛かった。
*
楼蘭皇国の首都圏に足を踏み入れた途端に、景観が様変わりした。密航船の乗りつけた港街は、諸外国との交わりが色濃く反映されていて、近代的な建築物が散見できたが、首都倭都だけは未だ古式ゆかしい木造建築が整然と並んでいる。道行く人々も服装からして違うため、悪目立ちする黒衣の龍井に寄せられる物珍しげな視線は、ますます強まった。それは異なる文化に対する微弱な嫌悪を内包する、ある種の敵愾心の表れでもある。
「相変わらず異物に対して極端に排他的だな。この国は」
「他所との国交を長く断っていた国だ。仕方あるまいて」
「監視されているみたいで気分が悪い」
「なに。アタシらが楼蘭入りしていることは、先刻承知しているだろうさ」
「誰が? 国がか?」
「門隠だよ」
ミオの言葉を聞くだに、龍井は周囲への警戒を強めた。背後を振り返らずに、五感という五感を研ぎ澄ます。
果たして、思い思いに道を行く雑踏の中に、追跡者や監視者の気配は感じられなかった。
「つけられてはいないさ。ただ、門隠には耳聡いのがいてね」
面倒なので極力関わりたくない、と珍しくミオが口をにごした。
門隠大社。九つの退魔士一族から組織され、古来より楼蘭皇国の政に影から関わってきた特務機関の名である。組織の性質上、歴史に名前が出てくる機会も稀――数百年前の説話集に詳しい――なために、巷間に流布されることもほぼない。今は昔の物語がまことしやかに人口に膾炙されるには、いささか夜は明るくなり過ぎてしまった。今となっては伝承や風習に、その面影を残すのみとなっている。
しかし、それは、あくまでも民草の間での話である。
近代国家間における競争、Gの隆盛、そして加速するMAID技術の開発、楼蘭皇国内におけるこれら時事の裏では、必ずと言って良いほどに門隠大社が暗躍している。
「形骸化してんじゃねぇのか?」
「エターナル・コアの応用技術が飛躍的に進歩する昨今、それでもまだまだ門隠の異能は侮れない。諸外国に対する影響力も、最近、随分と増してきているようだしね。それに――」
楼蘭だけじゃない――と言って、何が面白いのか薄っすらとミオが笑った。
「出歯亀趣味のシステマもいるじゃないか。アレの天眼通にかかれば隠しようもないさ。EARTH統合司令部を通じて、門隠のみならず政府要人には通達されているに違いない」
「知っててなお監視もつけねぇってか。ナメられたもんだな」
「一個人程度、危ぶむ必要もなしと思ってるんだろうさ」
見方を変えれば、軽視されている現状は好機でもある。ミオが出張る以上は、今回の案件が面倒な事になるのは半ば必定だ。ならば監視の目が弱い今こそ、大胆に行動しない手はない。
だから修次郎を一人で放逐したのかと、龍井は得心した。鈍感な修次郎を連れて歩いたとしても、行動の邪魔にはなるだろうが、どう欲目に見ても良い結果を生む要因にはなりえそうもない。
あまりの駄目さ加減に、龍井はいささか修次郎のことが気にかかった。
「修次郎を一人にして良いのか?」
「そっちにはアタシが監視を付けた。もっとも修の字はアタシらより、ずっと潔白だ。それに一応は門隠に連なる血統だからね。殺されるようなことは万に一つもないよ」
修次郎の根暗な顔を、龍井は思い浮かべた。今頃、薄らぼんやりと都をさまよった挙句に、面倒事に巻き込まれているのではなかろうか。平凡な才覚と身体に、人よりも少し上等な家柄と“頭”を持って生まれたのが修次郎にとっての不幸の始まりだ、と龍井は分析する。余計なことに気付いてしまう迂闊さ、十手先を読んで十一手先を疎かにする稚拙さ、善にも悪にもなり切れない意思の薄弱さ、何から何まで中途半端なものだから、まるで自ら好んで首を突っ込んで行くかのように、面倒事に巻き込まれるのだ。
龍井は不幸体質の修次郎を哀れみ、次いで己の境遇を省みて、そして同じように哀しくなった。
「変装いらなくね?」
「お前さんは、かの殺人鬼朝日那何某なんだからね。一般人の目から面相を隠さなくちゃならんし、それに」
「それに?」
「久方ぶりに、コレを着たかったんだ」
そう言って、ミオが袖を広げて見せた。ミオの動きにあわせて、淡い藤色の生地に、白い鈴蘭の花が染め抜かれた裾がひるがえる。この日のために倉から引っ張り出してきたそうだ。平素は女らしさなど微塵も感じさせぬくせに、妙なところで色気づくのだから、女心というものはつくづく分からない。板についた普段のミオの格好――白衣姿が、まるで嘘のようだ。
ちらりと横目でミオを見ると、龍井は“ああ、そうかい”とつとめて関心なさそうに言った。発育不良のきらいがあるものの、小作りな顔と、腰まで伸びる黒髪が友禅染の色合いに栄えていて、なかなかどうして似合っているように感じられた。もちろん口が裂けても、言葉には出さない。ミオを相手に、物の良し悪しは評しない方が無難だからだ。
「しかし、システマのヤツも暇だな。俺らなんぞ監視してるとはよ」
「や、楼蘭に行くよって連絡したんだ。アタシ」
「はぁ!?」
龍井は往来のど真ん中で、疑問の声を張り上げてしまった。あまりの大声に、すれ違った通行人が振り返って注視する始末。今や道行く誰もが、なんだなんだとミオと龍井に目を向けている。
衆目の存在など完全に忘れて、龍井は声を大にしてミオに詰め寄った。
「ツェダイのマスダ翁宛に、手紙を送りつけてやったのさ」
「なんで」
「ツェダイとケリ付けたいだろ? ライトニングも来るといいね」
龍井の激昂を無視しながら、ミオが一片の紙切れを寄越した。西洋の新聞広告を切り抜いたものだろうか、瑛語の記事に混じって、楼蘭皇国の文字が印刷されている。
――痴れ者が、首を洗って、待っていろ。
妙に音が良いと思ってみれば、何故か五七五の構成になっていることに、龍井は気付いた。ただ、だからそれが何なのかという肝心要の部分については、皆目見当も付かないのだが。
「何だよ、これ」
「マスダ翁に連絡して数日後、アルトメリアの全国紙の一面に掲載された広告だよ。随分と洒落た川柳じゃないか。ご丁寧にも“EMへ”と書いてあるだろう。言わずもがな、それはアタシがアルトメリアにいた頃のイニシャルだ」
返事の代わりに、龍井は万の苦虫を噛み潰すように、ただ表情を歪めた。