見るからに異界の風景は奇天烈だった。否、日常と様相を異にするからこその異界。奇妙であって当然なのだが、いかんせん青い空に慣れ親しんだ半生が、異界の奇っ怪な雰囲気を忌避している。雲の白さとも違う純然な白色の空は、硬質な一枚の壁のようで酷い圧迫感に満ちている。たとえ無限の広がりがあったとしても、息苦しさを覚えずにはいられない。
吐いた息が、寄る辺なく口元を漂った。
「白と黒のモノトーンの世界なんて、まるで――」
空が白ければ、大地は黒一色だった。真っ平らで真っ黒な大地が、気の遠くなるような均一さで広がっている。そして白と黒に二分された地平が、はるか彼方に横たわっているのだから、狂気の沙汰だ。これでは夢と現実の区別など、あってないようなものではないか。
白い空に際立つ黒い真円――異形の太陽を、修次郎は仰ぎ見た。
「何だか太極図の中に閉じ込められたみたいだな」
「修次郎。随分と落ち着いてるね」
「おかしな展開に、返って気が抜けたというか」
自嘲気味に笑って、修次郎はイーヴィに向き直った。
「白の女王の存在予測なんて、眉唾だと思ってましたが」
「こんな所で、あんなの見ちゃったらねぇ」
二人して空に浮かぶ一匹の白いGを見上げた。遠目にも分かる白いGの巨体が、わずかに蠢動している。寝息だろうか。襲ってくる気配はない。だが害意は感じられなくとも、生命を脅かす存在であることは明らかだ。
今すぐ逃げようと提案した修次郎を、この場に引き止めたのはイーヴィだった。
「遅いですね」
「そろそろ戻ってくるんじゃない? 右王と左王、三十分くらいで戻るって言ってたし」
イーヴィが修次郎を引き止めた理由は三つあった。一点目は、喫緊の危険がないこと。白いGが目を覚ます気配はない。むしろ状況を正確に把握していない以上、無策に歩き回ることの方がリスキーだと言う。二点目が右王と左王の存在だった。右王と左王は、ミオが使役するエターナル・コアを依代とした式神だ。修次郎が気を失っている間に、周囲の探索に出たのだそうな。辺りの安全の確認が取れてから、動いた方が良いでしょう?――と、微笑むイーヴィに言われてしまっては、同意する他なかった。そして三点目が、イーヴィの背後に転がっているヒュージ・コアだった。いっかなMAIDと言えども、イーヴィの手には余るサイズとのことだ。持って歩くには、さすがに難儀する。
修次郎は、ヒュージ・コアの脇に寄った。
「しかし、まぁ、グロテスクですよね。コレ」
ミオが武芸館で産み出したヒュージ・コアは、なぜか人間の臓器を彷彿とさせる造形をしていた。全体は濁った桜色に染まっており、所々を白い筋が走っている。脈拍のように明滅を繰り返しているのは、鉱物であるがゆえか。濡れたようにてらてらと発光する様子は、まるでヒトの身体から摘出したばかりの腫瘍のようだ。いつか見た手術の光景が眼裏(まなうら)に浮かぶ。
「ミオは、こんなものを造って、どうするつもりなんでしょう」
「さあ? ミオってほんと何を考えてるか分かんない時あるし。でも、この状況は半ば想定してたんじゃないかな。コア製造できたら良いなあ、くらいには考えてたと思うよ。剣術大会に多数のMAIDが集まることは、事前に知ってたはずだし。あわよくば、くらいに思ってたんじゃない?」
「ああ。なるほど。龍井が武芸館に乗り込んだから」
「そうそう。便乗して実験を強行したんだよ」
「何とも行き当たりばったりだな」
ミオの無計画性に辟易した修次郎は、レギオンの登場も、またレギオンの手を借りた脱出も、その場での思いつきなのかもしれないな、と考えを飛躍させた。レギオン――カ・ガノ・ヴィヂだったか――の乱入時、ミオにしては珍しく焦燥の色を顔にのぞかせていたように思う。
ゆらり――と、少しだけ心配になった。
*
右王と左王が戻ってきたのは、それから間もなくのことだった。曰く、この短時間の内に百キロ四方を探索したそうだが、その顔には疲労はおろか汗の一つも見られない。エターナル・コアの式神ともなると、代謝のメカニズムも異なるのだろうか。品定めでもするような目つきで、修次郎はそんなことを考えた。
左王がペコリと頭を下げた。
「改めまして。修次郎様。ミオ様の式、左王です。よろしくお願いします。あ、ほら、ミキも。挨拶!」
「あ、そっか。よろしくお願いしまーす。ミキ、じゃなくて右王です」
消沈した雰囲気に不釣合いな右王と左王のノリに、修次郎はいささか気後れした。若い。所作がいかにも若い。言葉遣いもまた、未成熟だ。幼さに拍車をかけるビスクドールのような出で立ちに至っては、くたびれた修次郎に対する排他的な意思の表れのようにも感じられる。
ミオに龍井、イーヴィ。修次郎と日常を共有する者は、皆年近い。それ以外の交わりと言っても、年の離れぬ知己か、あるいは年長者か。三十路を過ぎた修次郎の交友範囲――恐ろしく狭い――において、十代半ばの女性とは他に類を見ない個性である。
これが『じぇねれえしょんぎゃっぷ』かと思いつつ、修次郎は半ば失語した。
「修次郎。そんな怖い顔しないで。右王と左王が困ってるよ」
イーヴィの助け船に、右王と左王が安堵したようだった。しかし修次郎は、まだかけるべき言葉を見失ったままである。
思考の停止した修次郎をよそに、イーヴィが話を進めた。
「ミキって呼んで良いかしら」
「あ、はい。ありがとうございます。右姫(ミキ)です。こっちは左姫(サキ)」
「コラ。調子に乗るな!」
左王がゲンコツで、右王の頭を引っ叩いた。
「スミマセン。ミキったら礼儀をわきまえてなくて」
「いいのよ。気にしないで」
「右王と左王って名前、ちょっと――だから、ミキとサキって互いに呼び合ってるんです」
「良い名前ね。私のことも気軽にイーヴィって呼んでね」
「ハイ!」
親しげに話す女性三名を、修次郎は遠景のように眺めた。話の輪に加わる余地が、これっぽっちもない。どこからか冷たい風が吹きつけているような気さえする。
しかし酷い疎外感に苛まれはしたが、接し方の分からぬ右王と左王から距離をおけた修次郎は、考えるだけの平静さを取り戻した。子供の相手はイーヴィの方が適任だと自らに言い聞かせつつ、目下の脅威である白いGについて記憶を手繰る。
ブラッタリアDNA――だったか。
Gの細胞には、ヒトの持つミトコンドリアのように共生由来の小器官が存在する。それがブラッタリアである。適者生存の原理に基づき形質を変える各Gに始り、エターナル・コアを併呑したプロトファスマ種は言うに及ばず、バストン大陸という特異な環境下で進化したバストン固有種など、その系譜は多岐に渡るが、共通して細胞内には小器官ブラッタリアが確認されている。
その機能は、エネルギーの生産である。
ミトコンドリアと同様の機能だが、生産するエネルギー量はGの運動能力を証明するかのように桁が違う。数値を見たミオが、破顔一笑するほど、らしい。エネルギー生産能力だけでも目を見張るが、最大の特徴はブラッタリアが独自のDNAを持つということだ、とは赤の女王メイトリアークの弁だ。元はブラッタ・バクテリウムという別個の細菌を細胞内に取り込み、自らの小器官としてGが進化したことが原因だと言う。
言説は、さらにこう続けた。
――ブラッタリアDNAを解析することにより、Gの進化系統樹をさかのぼることができる。
と。
ミトコンドリアと同じように母系遺伝する特徴から、各地に生息するGのブラッタリアDNAを解析することにより、いくつかのクラスタに分類することができると言った。そして、そのクラスタからG進化の系統樹を作成し、ついには原初の一匹を特定することも夢ではないと付言したのだった。
しかし、メイトリアークによるブラッタリアDNA解析は、明確な解答を出すことなく幕を閉じる結果となった。どうしても系統樹に親和しないサンプルがあったためだった。くっつかなかったのだ。99パーセント完成した系統樹と。
言わずもがな、残りの1パーセントがこのミッシングリンクとでも呼ぶべきサンプル――アルトメリア連邦西部域で採取された複数のアルビノだった。数多くのブラッタリアDNAを解析しても、このミッシングリンクをつなぐピースは見つからなかった。系統樹の幹が太くなるだけで、断絶した種に向かって枝を伸ばすサンプルはついぞ見つからなかった。
そして、おびただしい数のサンプルの上に出された結論が、これだった。
――異界(Another Brane)に隔離(Isolated)された種(Species)が存在する。
それがミッシングリンクをつなぐピースだと、最終的にメイトリアークは結論付けたのだった。分かたれたクラスタを構成するサンプルは、実はアルビノではなく、白い身体を持つ種の遺伝形質だろう、そしてその原種は異界という特殊な環境に耐え、独自に進化しているに違いない、とミオが推論に口を添えた。後に、Another Brane Isolated Species――ABIS、アビス耐性種、あるいは白い外見から白の女王種と呼称されることになる。以上が、ブラッタリアDNAの塩基配列解析による白の女王の存在予測だ。
「たぶん。あれ、白の女王だよなぁ」
存在予測を裏付けるような、中空に浮かぶGの白さが酷く恨めしかった。本来この場には、知的好奇心の旺盛なミオかメイトリアークが居合わせるべきである。Gの新種だか珍種になど、修次郎は寸毫の興味も抱かない。
深く吐き出した溜め息に、イーヴィが反応した。
「修次郎。聞いてた?」
「え、は、あ、なにを?」
「まったく。ごめんね。もう一度、説明してくれるかしら」
呆れ顔で説明を促すイーヴィに向かって、右王と左王が元気良くはいと返事をした。突然に会話に加えられた修次郎は、体裁を保つために厳しい顔をするのがやっとだった。
「これからニューローマ型永核炉の製造準備を行います」
「うん? ニューローマ? neuroma? 神経の腫瘍のこと?」
「いえ。これです」
左王がイーヴィの背後に鎮座する巨大な肉塊――もとい肉塊に酷似したヒュージ・コアを指し示した。
「ミオ様は、このヒュージ・コアをニューローマと呼称しておりました」
「あ、ああ。うん。そういうことか。このデカいコアを使ってエネルギー炉を造るってことね。でも、どうやって」
今度は右王が、親指で何かを示した。その先を目で追う。
が。
途中で修次郎は目を伏せた。分かったからだ。右王が何を指しているかを。それは、さっきまで胡乱に眺めていた、アレ、だ。 修次郎は現実から逃避するように耳を塞ごうとしたが――
「白の女王でっす!」
右王の天真爛漫な声が、修次郎の耳朶を無慈悲に襲ったのだった。