発火のごとき痛みに、一瞬間、目がくらんだ。どの骨が折れたのかすら、激痛によって判断が遅れる。
あわや悲鳴が口をついて出そうになったが、ぎりと歯を食いしばって飲み込んだ。是が非でも、レギオンの暴力に屈する訳にはいかない。 大振幅のパルスが神経を走り抜けて数秒、骨折した箇所――左の前腕部を見た。他に外傷は見当たらない。
そうしてようやく、ふうとミオは深く長く息を吐き出した。
「短気は損気と、昔から言うだろうに」
「安い挑発に乗っちまったな」
半ば賭けだった。盲目のカ・ガノ・ヴィヂを、イトネ・ヴァ・ネーバの前で罵倒するなど、自殺行為にも等しい。そもそも険悪な間柄なのだから、問答無用で首をはねられていても不思議ではない暴挙だ。反面、激情に駆られ考えもなく手を血に染めるほど、イトネ・ヴァ・ネーバのパーソナリティは未成熟でもない。まがりなりにもミオは、カ・ガノ・ヴィヂが選んだビジネス・パートナーなのだ。
だから、ミオはそこにつけ込んだのだった。
百万遍の殺意と、強固な忠誠心と。どちらも根っこにはカ・ガノ・ヴィヂへの強い想いがある。それは、どちらにも転び得る想いだ。が。
結果、腕一本の骨折で済んだのだから僥倖だった。レギオン側にしてみれば――正確には、カ・ガノ・ヴィヂの立ち位置から見れば――技術の授受という目的を前にして、『安い挑発に乗ってしまった』という事実が加わった格好になる。ミオの口八丁に、暴力という絶対強者のカードをきってしまったカ・ガノ・ヴィヂ。いっそ激昂するイトネ・ヴァ・ネーバによって、ミオが殺害されていれば、話はもっと簡単だった。しかし最強のカードを出しておきながら、得たものといったらミオの前腕一本。ヌルい『示し』で済ませてしまった愚を、果たしてカ・ガノ・ヴィヂがどう受け止めるか。ミオの知るカ・ガノ・ヴィヂとは、安易な殺害によって自らの失敗を隠蔽するような、人間のごとき下卑た男ではない。
「チッ。イトネ。コイツを下ろしてくれ」
「しかし」
「コイツには、まだ使い道がある」
程なくして、ミオは糸から解放された。解放されるまでに要した時間は、イトネ・ヴァ・ネーバの逡巡か。
しかし、逆に左腕には糸が絡まり、寄り集まり、ついには凝固してギプスのようになった。さらには布状に織られた糸によって、左腕が首につるされた。まるで外科医のごとき処置である。
わずかに身をつまされた。
「理性なんぞに疎外されちまって。まったく。下手に意志なんぞ持つから――」
「勘違いすんじゃねぇ。ミオ・トーンライム。同じ真似は二度とすんな。次はないと思えよ」
「――胆に銘じておくよ」
カ・ガノ・ヴィヂの無表情に、ミオはそう返答することがやっとだった。
*
目指すは楼蘭皇国首都倭都の地下500メートルの地点だった。先行して地を掘り進むイトネ・ヴァ・ネーバの後を、ミオはカ・ガノ・ヴィヂと共に進んだ。足下は凸凹(でこぼこ)としていて、酷く歩き辛い。応急処置を施したとは言え、折れた左の前腕に、道の悪さが鈍く響く。
自然と歩みは遅れた。
「ちんたらしてっと、引きずってくぞ」
「時間はたっぷりあるんだ。ゆるりと行こうじゃないか。代わりと言ってはなんだが、面白い話を聞かせてやるでな」
「下らん。テメェの話なんぞ――」
「楼蘭には」
カ・ガノ・ヴィヂの話を、意図して遮った。全盲ゆえに身振り手振りが通じぬための、半ば強硬策だ。
「楼蘭には古くから門隠大社という集団がおってな。阿倍野、以磨川、嘉藤、九鬼、葛神、緋上、久月、森叢、加茂、この九家から組織されている。全員、退魔士だ」
「うさん臭ぇ話は止めろ」
「毛嫌いせずに、まぁ聞きなよ。この国を語るには欠かせないファクタなんだ。コイツらは退魔士であると同時に、古くから楼蘭の中枢を裏から支配してきた特務機関でもある。だから一般時事から秘匿事項まで、様々な情報が門隠に集まるんだ。特に久月の書庫は良かった。ビブリオマニア垂涎のキュレーションセンター。嗚呼。知のシャングリ・ラ」
過去に忍び込んだ久月家の閉架書庫を思い出し、ミオは恍惚の表情を浮かべた。ひしめく書棚、うずたかく積み上げられた稀覯本の数々、書恥を自認するミオをして、色々と濡れたことを良く記憶している。
だが、悦に入ったのも束の間、カ・ガノ・ヴィヂのキツイ殺気を首筋に覚え、ミオはぐるりと話を戻した。
「門隠九津化神絵巻(とがくれここのつけしんえまき)ってのがあってな。門隠九家の出自を描いた文献なんだが、その中でたびたび語られるテーマがある。それが『大地の穢れ』だ。もっとも有名なのが、海より現れる禍津神々かな。禍津神々は地上を占拠し、大地に穢れを撒き散らしたと言われている。後に最高神にして太陽神でもある狗頭大神(くずのおおかみ)によって、穢れもろとも禍津神は祓われ海に逃げ帰るんだけれども」
海とは異界の喩えだ、とミオは言った。古来より、水辺は一種の境界であると言う。町を分ける河川のように実際に境界としての機能を持つ場合もあれば、此岸と彼岸を別つマージナルな領域として現れる場合もある。三途の川が良い例か。そして、そういった境界には、良くないモノがわくとも言う。いわんや巨大な茫漠である海においてをや。
「この点を踏まえると、同じ絵巻の中の渡神(わたりのかみ)の記述が面白みを増す。門隠の嘉藤家が祀る渡神は誕生に際し、大地に穢れをもたらすと予言された。その予言を裏付けるように、渡神は神の骸から生まれたもんだから大変だ。死体なんてのは、穢れの最たるもんだからね。程なくして、産み出した狗頭大神によって渡神は殺されてしまう。その後、渡神の遺体は海を渡り、異国の地で鉄の身体をもって再生したと絵巻ではくくられる。一般的には、嘉藤の先祖が大陸から鉄を持ち込んだ史実を元にしているとか、大陸からの渡来人による製鉄技術の伝来を神話にしたなんて考えられている。が。実は、そんなものは後付だ」
「嗚呼。それで海か」
「聞き流されているかと思ったよ。ありがとう。さっき言った通り、海とは異界の比喩だ。嘉藤家ってのは、ハイレベルな陰陽師の家系でね。その先祖が異界に渡り、大地を穢す何かを楼蘭に持ち込んだんだよ。鉄に喩えられる何かを、ね。そもそも鉄が大地を穢すってのが、何だかピンと来ないじゃないか。もちろん地中に重金属でも混入させちまったら、そりゃ立派な土壌汚染だ。だけれども古代の製鉄による害なんざ、普通は森林伐採やら水質汚染やらをまず先に懸念するもんだろ。それが、どうして大地を穢すなんてイチャモンつけられなきゃならんのさ。あまつさえ渡神は、それが理由で殺されちまってるんだよ?」
「疑わしきは殺しちまえってんだろ? ヒューマンの得意技じゃねぇか」
「混ぜっ返すんじゃないよ。それに疑わしきは暴くもんだ」
だからアタシは秘密を暴いた、と言ってミオはふんぞり返った。
「門隠の一つ。加茂家が厳重に管理している施設に侵入したんだけど」
「カモ? カトウじゃねぇのかよ」
「持ち込んだのは嘉藤だが、その後、加茂の人間が地中に埋めたんだよ。絵巻にはこうある。加茂家が祀る神――金神(こんのかみ)は、金を地中に埋めた、と。その記述を裏付けるように、施設の地下部は豪い深くにまで達していたよ。で、その施設の最下層で、アタシは見つけたのさ」
「勿体振んじゃねぇよ。何を見つけた」
「ふふん。嘉藤の先祖が持ち込んだのは鉄なんかじゃない。コアだったんだよ。それもヒュージ・コアだ。制御できないコアのエネルギーは周辺環境に甚大な影響を与える。やむを得ず加茂と一緒になって地中深くに埋めちまったのさ。それが予言にあった『渡神がもたらした大地の穢れ』ってヤツだ」
「それで掘り進んでんのか」
「その通り」
力強く肯定したミオは、カ・ガノ・ヴィヂの反応をうかがった。大気圏外を航行する希望号を手中に収めるカ・ガノ・ヴィヂのこと、ヒュージ・コアのポテンシャルについては充分に理解しているだろう。産出可能なエネルギーだけ見ても、単純計算で通常のエターナル・コアの数百倍に昇る。一つよりも二つ、利用可能なヒュージ・コアが多いに越したことはないはずだ。
しかし、カ・ガノ・ヴィヂの反応は、どこか不満げだった。
「逆だろ。それ」
「逆とは?」
「それこそ後付だろって言ってんだ。絵巻を読み解いたっつー話は面白いかもしれんが、鉄や金がコアの比喩だってのは、さすがに飛躍が過ぎる。お前は先に施設でコアを発見し、その後に絵巻との関連性に気付いたんだろ。違うか?」
「だったら何だって言うんだい」
「お前は絵巻とコアだけで話を終わらせようとしている。絵巻を見て、土中に埋まったヒュージ・コアの存在を予測したとでも言いたげな口振りだが。なあ。ミオ・トーンライム。調子に乗るなよ。俺に隠し事は通じねぇぞ」
じゃりと音を鳴らして、カ・ガノ・ヴィヂが足を止めた。そして耳を指し示した。視覚以上に鋭敏な聴覚器官には、安いはったりなんぞ利かぬぞ、とでも言いたげだ。
「口が過ぎたんだよ。お前は。だからコアの情報くらいじゃ、全然足らねぇんだ。さっさとお前の本当の目的を、包み隠さず今、さあ、言え」
口が過ぎたとは、先刻の挑発の件だろう。そう思うや否や、折られた左前腕がずきりと痛んだ。
さても、人間よりも人間臭い超越存在だ。仲間を強く想うカ・ガノ・ヴィヂ、己に課した理によって自己疎外するイトネ・ヴァ・ネーバ、強固な肉体を持ってはいるが、その実、内に宿す命はまさしくヒトのそれだ。果たして、何の違いがあろうか。
だから、務めて無表情に、ミオはもう一つの目的について語り出した。