たにまのひめゆり   作:四乃宇内

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佐々木修次郎の受難 十七

武芸館で見た空間の裂け目と同じものが、白いGの真上に突如として現れ、修次郎はただただ言葉を失った。ニューローマ型永核炉の下準備が終わり、肩の荷が下りたと一息ついたときだったために、したたかに面食らったのだ。武芸館からの脱出直前の記憶が、脳裏を過ぎる。また、どことも知れぬ場所に飛ばされるのか。またぞろ別の異界に跳躍したならば、現世に戻ることを諦めるべきか、などと思考がネガティブになる。ただ分裂的に愚考した修次郎の視界を、裂けた空間が埋め尽くしていく。

無情にも、時が修次郎に許したのは、たったそれだけの猶予だった。

 

 

*

 

 

ぐるりと天地が逆転したような浮遊感を、修次郎は束の間覚えた。八方に向いたモーメントが全身に働く。星の慣性を感じているかのような心地だ。

しかし、それも一瞬のことで、不意に全身に作用していた力から解放されたのだった。状況に思考が追いつかない。分からない。

果たして、視界に融通が利くようになると同時に、強い重力を全身に感じた。覚束ない足元に力を込めてみるものの、その足をつける地が見当たらない。

中空に放り出されたと理解したのは、悲しいかな、落下し始めた後のことだった。重力に引かれる肺腑が、修次郎の意思に反して悲鳴を搾り出す。コマ落としのように遠ざかるコンマ一秒前の光景が、地面との衝突の激しさを物語っている。

しかし、地面への落着は早く、そして衝撃はほぼなかった。否、実際には地面にすら到達していなかった。

 

「センセー。格好のつかん再会じゃのう」

 

修次郎は自らが置かれた状況よりも先に、聞き慣れたミオの声を判別した。そして、その後にイーヴィによって抱き上げられていることに気がついた。微笑むイーヴィに、優しく地に下ろされて、遅まきに羞恥を覚える。まるで夢物語の中のお姫様のようだ。

跳ねるように強がりが口をついて出た。

 

「どこぞへ飛ばしたり、呼び出したり、どういう了見だ」

「センセーを呼び寄せたんじゃない。加茂の式で召喚された燭に、修の字がついてきただけじゃん。イーヴィもご苦労様。センセーの子守は大変だったでしょ」

「ちょ。子守とは何だ。イーヴィさんも何とか言って――」

 

無言で微笑むイーヴィに、修次郎は顔を赤くして訴えた。とんでもない無茶ぶりを処理したのは、他でもない修次郎なのだから、いま少し労いがあっても良いものではないか。意識のない白いGを切開し、異形の体液に両手を濡らし、怖気のする肉を掻き分けて、人工ヒュージ・コア――ニューローマを埋め込んだのだ。それだけではない。加茂の太祖の複雑怪奇な呪と式を、ミオの望むように書き換えもした。これ以上に何を望むつもりだ。

 

「子守がどうのと言うならば、右王と左王は何だ。式神を使役するならば、しっかりと教育しておけ!」

「弱いモノには強く言えるんだから。さすがはセンセー」

「茶化すな!」

 

腹に据えかねるミオの横暴に大きく声を張り上げてはみたものの、その熱っぽく激した憤りは、残響する自らの怒声に似て漸減していった。次第に静けさを取り戻す周囲。沈黙に反比例して膨れ上がる気まずさ。

なぜか、いたたまれなくなった。己に非はないはずだと強く思っていながらも、静寂の圧迫感に修次郎の根っこの部分が揺らぐ。たじろぐ。

自然と、目があちこちをさまよった。薄暗い真四角な部屋、板張りの壁やら床、心もとない灯り、陰陽の符で覆われた巨大な塊が一際に異様だ。

塊の仄暗い灯りに、修次郎はよもやと思った。

 

「これは――コアか?」

「その通り。またの名を穢と言う。オマエさんも幼い時分に、耳にしたことくらいはあるだろう」

「ケガレ? 何だ、それは」

「門隠九津化神絵巻くらい読んでんだろ?」

「絵巻――ああ。渡神が云々という、アレか」

「そう。ソレ」

 

過去にかじった記憶を、修次郎はゆっくりと反芻した。しかし、いかんせん四半世紀近くも昔の話、長じてから紐解くことはおろか、その存在すら失念していた書物の内容など、大海に垂らした醤油のように薄らいでしまっている。元より記憶力に自信がない。そんなものだから一族の間における穢の扱いに思い至るにも、いくらか時間を要する。

うんうんと唸った末にようやく、修次郎は今いる場所について検討がついた。

 

「ここ禁域か?」

 

門隠大社の名の元に管理される立入禁止区域を総称して禁域と呼ぶ。迂闊に足を踏み入れようものならば、厳罰を免れない直轄管理区だ。

 

「そう。門隠加茂の管理する禁域の一つ。管理対象は、もちろんこれ。穢」

「先刻ショクとも言ったな」

「うん。アレ」

 

天井を指差すミオに促されて見上げてみれば、先までメスを入れていた白いGが、未だ目を開けぬまま、額づくように赤い鳥居から半身を乗り出している。

 

「燭とは白いGのことだったか。いや、そんなことよりも」

「修の字。何をそんなに気にしているだい?」

 

嫌らしく笑うミオを、修次郎は睨みつけた。

修次郎の記憶が確かならば、穢を祀る禁域の管理を主務とする組織は、厚生省医政局だったはず。つまり穢、及び燭の管理責任者とは、佐々木家の現頭首に他ならない。佐々木宇陀清一郎――あれだけ再会を忌避していた実の兄その人だ。

 

「そんなに清一郎のこと、嫌わんでもよかろ?」

「嫌っている訳じゃ、ない」

「あ、そう。ま、何だってイイさ。いずれにせよ、ここへの入域についちゃ、ちゃんと話を通してある。問題にすら、ならんさ」

「それは兄――佐々木の家とか?」

「佐々木つーか加茂とさ。そんな気にするでないよ。ぶっちゃけ出たとこ勝負で動いているけど、相応に根回ししてるし。それに清一郎だって、加茂の処理に奔走しているから、こんなトコに来やしないよ」

「加茂本家の処理? 武芸館での一件の落とし前か」

「まあ、そうね」

 

含みを持たせるような曖昧な返事だった。加茂も犯罪者との関わりを、大衆の面前で暴露されてしまったのだから、追求は免れ得まい。しかし、ミオの曖昧な返答からは、まだ権謀が裏にあるように感じられる。

疑いの目を向けると、察したか、修次郎の懸念を遮るように、ミオが手をかざした。

 

「時間がない。その話は、また後で。そろそろ燭が目を覚ます頃合さね」

 

反射的に修次郎は上を仰いだ。天井一面に広がる鳥居から、頭部と胸部、歩脚を出している白いGが、もぞもぞと体躯を動かしている。ニューローマ型永核炉の準備の最中、メスを入れようが、神経に触れようが、ぴくりとも動かなかったことを鑑みるに、目覚めは近いのかもしれない。

 

「右王! 左王! おいで!」

 

ミオの声が速いか、人の形をしていた式神――右王と左王が、元のエターナル・コアに姿を変えた。重力に逆らって中空に浮いたまま、ミオの方へ、するりと移動する。

 

「外装型DPMo制御呪式。アーマード・コア・モードとでも名付けようかね」

 

右王と左王だったエターナル・コアが、ミオを中心に、まるで衛星のように周回を始めた。左王の説明が頭を過ぎる。『テレコネクション用の外装インターフェイスになり――シンクライアント形式で出入力を実行するこれらシステムを――』

ミオの目的の一つが、はっきりとした瞬間だった。

 

「ミオ。出力先はお前か」

 

肯定するように、ミオがにやりとほくそ笑んだ。

ミオにとって、DPMaとは人間のままにしてエターナル・コアの力を行使するためのモジュールであることは、武芸館における永子加速衝突実験によって示された。鴻宝を元に組み上げられた命令言語によって入力し、近傍にあるエターナル・コアを使役するという。しかし、モジュールがDPMaである必要性は、実はない。ミオの呪が縛る二基のエターナル・コアさえあれば、事足りるのだ。

くるくるとミオの周りを回る、右王と左王――エターナル・コアを修次郎は見た。左王の言葉を借りるならば、それはテレコネクション用外装インターフィエスだ。ニューローマ型永核炉となった白いGが産出する莫大なエネルギーと、超高速の演算処理を出力する端末である。

 

「時間がない。修次郎や。コイツの蓋を開けておくれ」

 

修次郎の考えを他所に、ミオが何処からか木箱を取り出した。人間大のサイズはあるため、木箱というよりも棺おけに近い印象を受ける。脇には『骸』などと、不穏当な文字が入っているのだから不気味だ。

ふっと既視感を覚えた。

 

「どっかで見たな、コレ」

「入国の時、お前さん、これに腰掛けてたね。罰当たりなことだ」

 

ミオの言葉にギクリとした。楼蘭皇国に入国した際、長い船旅に疲れた修次郎は、確かに旅の荷に腰を下ろしていた。その荷にも、骸と書かれていた。その時は実験に死体でも使うのかと、幾分かゲンナリしたように思う。

嫌な予感が、ぶくぶくと膨れ上がった。恐る恐る蓋をずらしてみれば、予想した通りに死体――顔つき肉づきは、明らかに女性のそれだ――が一つ横たわっている。保存のためか、凍っているようだ。

 

「凍った死体なんぞ、どうするつもりだ」

「燭の伝承を思い出してごらんよ」

 

加茂の太祖が調伏したと伝えられる燭。目を開けば陽が昇り、閉じれば陽が沈むと言う。今、その目蓋は閉じられているが、開眼と同時にこの薄暗い部屋には光が満ちるというのだろうか。

 

「目を覚ますと同時に、燭は光を放つのだよ」

「やっぱりそうか。それで開眼すると、夜が明けるなどと言われているのか」

「そう。で、そのMAIDに光を照射する」

「MAIDなのか。この娘は」

 

修次郎は箱の中の娘――ミオが言うにはMAID――に視線を落とした。蓋を全開にして、よくよく全身を見てみれば、なるほど、確かに一般的な人間とは異なる外見をしていることが分かる。

 

「燭の光はね、肉体の細胞を活性させるのさ」

 

冷凍保存されたMAIDの死体活性化を謳うミオの言いに、修次郎は耳を疑った。穢と燭を用いて何を成すのか、修次郎の推測通りならば、ミオの目的とは一つや二つではない。

 

「もしかして、このMAIDはアレか。先に龍井がベンケイから持ち帰ったコアの、本当の持ち主か」

「頭が回ってきたようだね。修次郎や。いかにもベンケイで回収したコアを宿していたMAIDさね。アタシの一言で廃棄されちまったMAIDでさ。アルトメリアとの技術開発計画を進める上で、そういった禍根は洗い流さなくっちゃならんでしょ。だから」

「つぐないってか?」

 

口の端を曲げて、ミオが悪辣に笑った。返事はない。つまり燭の開眼が間近だということだ。

燭に向き直ったミオの背を眺めながら、修次郎は思った。白いGとニューローマを用いたシンクライアント形式のエターナル・コア利活用、廃棄MAIDの転生、アルトメリア連邦及び楼蘭皇国との技術開発を進める上での交渉材料の調達、ミオの目的とやらは、この他にもあるような気がした。しかし、気がしただけで、それ以上のことまでは、どうにも分からない。修次郎に開示されている情報が少なすぎる。

 

「さあ。始まるよ」

 

ミオの声を合図に、燭が発光を始めた。反射的に上を向いたが、しかし、途端に修次郎は寒気を覚えた。背筋に走る冷たいモノの原因は、燭に対する恐怖か、理解し難いミオの目的か、それとも武芸館で目の当たりにした発光体アル・ニヤトのエネルギー量を思い出したが故か。

気付けば修次郎は、燭の灯りから逃げるように両手で上方を遮り、そして背を丸めて俯いた。

姿勢悪く両手を挙げた格好が足下に作った影は、たまさか羽を広げた鴉に酷似していた。

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