たにまのひめゆり   作:四乃宇内

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龍井得道 十二

月が見下ろしていた。取り戻したばかりの意識には、少しまばゆい。軟風に乗って香る酒気を追ってみれば、月よりも白い顔のトキハが、夜の闇の中で竹葉の一献を舐めている。

節々の痛みをこらえながら、龍井は無理やりに上体を起こした。

 

「餓鬼が酒を飲むな」

「こう見えて、お前さんよか長じていてな。年長者は敬えよ」

「徳利でラッパ飲みするような、みっともない女に誰が礼を払うか」

「強堅を気取るなら、せめて我に一太刀入れてからにするが良いわ」

 

大仰に徳利を傾けるトキハの仕草が、龍井の無力さをことさら嘲っているようだった。

口惜しいことに、龍井の剣がトキハに届くことは、ただの一度もなかった。皮一枚、髪一本すら斬ることができなかったのだ。日華の技も、DPMoの術も一切通用せず、一方的にトキハの妖しい刃を身に受けるばかり。峰打ちによる無数のアザが、ことさら癪に障る。仏のたなごころの上を跳ね回る大猿のように、歯牙にもかけられなかったのだ。

だから龍井は、億の苦虫をかみ締めたかのような顔で、ただ舌を打った。

 

「日華の教えは、剣すなわち王道。知らぬ訳ではあるまい。それをおろそかにしおって」

「日華流を修めた俺の前で、日華を語るな」

「修めたとな。児戯にも等しいような手前で、よもや修めたとな。これは恐れ入った。いやはや誰に吹き込まれたやら」

 

苛立ちながらもトキハの言いに触発されて、はたと龍井は思い返してみた。

エターナル・コアの添加によって記憶は手放したが、日々の研鑽で手に入れた日華流剣術は肉体が覚えていた。DPMaとして目覚めて直後、意識がはっきりとしないまま、刀を握らされ、そして――

 

――おはよう。日華流剣術道場師範代殿――

――なに? 自分が誰だか分からない?――

――仕方なし。アタシが教えてやろう。オマエさんは――

 

瞬間、龍井の脳裏を、ミオの邪笑が過ぎった。

 

「錯誤の元は、大方あの小ずるい女であろうな」

「ミオのこと知ってんのか?」

「酒を酌み交わす程度の知己じゃ」

 

不可解な女同士、何がしか通じるものがあるように龍井は思った。容姿のみならず、その性質も似通った印象を受ける。酒に関してもそうだ。トキハもまたミオと同様に、いわゆるザルの類に違いない。酒の飲み方が、いかにも大虎を彷彿とさせる。

酒気につられて、疲弊した咽喉が自然と鳴った。

 

「飲むかい?あいにくと椀などない。そのまま、やっとくれよ」

 

放られた徳利が、龍井の腹の上に転がった。痛む手を伸ばし、口を付けてみれば、かつて知った味と香りに知らず知らず気が緩む。

 

「天原の紅大吟醸とはな。高ぇ酒、飲んでやがんな」

「ほ。舌だけは確かなようだ。朝日那よ。いや、今は緑龍井だったか」

 

素性を看破されようとも、最早、龍井は驚きもしなかった。幼い面体と圧倒的な剣技を併せ持つ、奇態な童女だ。情報に通じていることくらい、何が不思議か。何が突飛か。

 

「龍井よ。王道とは何ぞや」

 

試すような、そんな口調だった。

日華流の掲げる剣即王道とは、基礎を重んじ、朝な夕なと愚直に剣を振り、剣を中心とした日常を通じて事上練磨する剣、正攻の法である。構えの本意は正眼であり、数多ある型もまた正眼より派生する。日華流にとって、正眼の構えこそが正攻法であり、すなわち剣即王道の要諦である。

 

「我は日華の技を修めておらんが、かつて幾度となく宮城峡と刃を交えたことがあるゆえ、半可通程度のことは知っておる。宮城峡の坊主が、ぴたりと中段に構えるや否や、この我をして攻めるに受けるに労したものじゃて。龍井や。お主の剣とは雲泥の差じゃったぞ」

 

宮城峡初助の実力を、トキハが手放しに賞讃した。トキハに肩を並べる人間の存在など、軽くあしらわれた龍井にとっては受け入れがたいことだが、MAIDと同等以上の実力を有する人間を知らぬ訳でもない。ヨーダーや東郷に後塵を拝した記憶は、未だ新しい。

屈辱をよそに、なぜか、ふと興味がわいた。

 

「日華の頭首ってのは、どんな男だったんだ?」

「気になるか。そうか。気になるか。教えてやらんでもないが、さて――」

 

トキハが色のない瞳で徳利を見つめた。酒の中に過去を探しているかのような表情である。

 

「真っ直ぐなヤツじゃった。威風堂々という言葉の良く似合う偉丈夫でな。変わり者ばかりの四剣の中では、珍しく真っ当な性根をしておった。人望も厚く、常に周りには笑顔が絶えなかった。白加賀流の東郷とは同年でな、特に気が合ったようだ」

 

楼蘭皇国に入国した日のことを、龍井は思い出した。芳原遊郭の外れで交戦した時のこと、東郷が見せた憤怒の理由は、親友宮城峡の命を奪った朝日那に向けられたものか。

 

「道理でキレてた訳だ。なるほど。仇が目の前にいりゃな」

「東郷と会うたか」

「会った。つーか戦った。お偉いさんと斬り合うなんざ初めてで、面食らったよ」

「そうかそうか。やり合ったか。して、東郷の坊主は何と言っておった」

「さんざっぱら虚仮にされた。人の力を舐めるなやら、初助が哀れだやら」

「ははん。仇だ何だとは言うてなかろ。日華事件の下手人は、お主ではないのだからな」

 

トキハの指摘に、龍井はただ眉根を寄せた。どうにも理解が追いつかない。日華流剣術道場門人三十名を、一夜の内に斬殺した犯人として、朝日那夜一――緑龍井は指名手配されている。少なくとも朝日那夜一イクォール殺人鬼という図式が、世の中の認識だ。龍井自身も、そのように聞かされている。

ミオに。

再び、ほくそ笑むミオの顔が、脳裏を過ぎった。

 

「いやいや。冗談だろ。日華三十人殺しは俺のこと――」

「正和十五年、夏の夜、凶行は門隠子飼いのMAID罰神によって行われた。もちろん宮城峡を殺害したのも罰神じゃ」

「待て。自慢じゃないが、俺は頭が悪ぃんだ。理解できるように言え。何で突然に門隠が出てくんだ。三十人殺しは、つまり、ああ、何だったんだよ」

 

哀しみよりも物憂げながら、どこか愉楽の交じった瞳に、龍井は見つめられた。それはヨーダーや東郷が垣間見せた視線に、どこか通じている。

 

「鈴蘭というMAID関連技術の開発計画があってな――」

 

エターナル・コアを添加した後も、被験体が持つ記憶や経験を保存する技術の開発計画があった。門隠大社所属の陰陽師が管掌となり、計画は進められたという。計画を進めるための基幹技術に陰陽術が利用されたのだとか。計画の被験体を都合する場として日華流剣術道場が選ばれたこと、宮城峡の計画離脱と被験者引渡し拒否、それに対する軽はずみな報復措置――死者三十名にも昇る大虐殺など、トキハが酷くつまらなそうに語った。

 

「宮城峡が引渡しを拒否した被験者とは、皆まで言わずとも分かるであろ?」

 

無言のまま、龍井はトキハを見返した。散らばっていた過去と過去が、少しだけつながったようだった。それにしても間の抜けた話だ。日華三十人殺しの咎によって、あれこれと制約を受けた経験は枚挙に暇がない。面体を隠す、素性を偽る、あるいは殺める等々、どれほど手を煩わされてきたことか。

深く嘆息した。

 

「嘘を言ってる――って訳じゃなさそうだが」

「生まれてこの方、嘘と島田はゆったことがないが、さて、真実がいずれにせよ、世間的にも公的にも、日華三十人殺しはお主ということになっておるがな」

 

龍井は心のどこかで朝日那の腕前を誇りに思っていた。倫理やら道徳やらの是非はともかく、音に聞く四剣の一つ日華流門人三十名を、一夜にして鏖殺せしめる力量である。のみならず肉体に刻んだ数多の研鑽は、MAID化の道理を曲げて、龍井の手の中に残ってさえいる。それは膨大な修練を想像させるに余りある事態だ。しかしトキハの言う通りならば、日華三十人殺しという所業は冤罪で、己が剣術は宮城峡に遠く及ばず、それどころか今や朝日那の根底にあった事上練磨すらも揺らいでしまいかねない。龍井の剣術は、龍井の誇った朝日那の努力によるものではなく、門隠大社の妖しげな術によるものかもしれないのだ。

 

「間の抜けた話だ」

 

龍井は武鶴二尺七寸に手を伸ばした。

 

「この日華の技も、門隠の計画の産物ってことか」

「可能性の話であれば、門隠というよりかは、ミオ・トーンライムが計画を引き継ぎ、今のお主を産み出したと考えるべきじゃな。罰神の凶行に前後して、計画は凍結されたでな」

「たしかにデュベルのことを考えると、その方がしっくりくるな」

 

龍井は懐中から、二対の光剣干将と莫耶を取り出した。龍井の体内にあるもう一基のエターナル・コア――デュベルを司るネガ・コアが、未だにツェダイ流を継承している点を鑑みるに、日華の伝承もまたミオの仕業と考えた方が自然である。いずれにせよ他者の介入は否めない。

考えを振り払うように、龍井は酒をあおった。

 

「憧憬が色あせてしまったかえ。大切なものを失った時、宮城峡のはな垂れもそのような顔をしておったわ」

 

そう言って、トキハが龍井の手から干将を引っ手繰った。

 

「コイツを使うには、なかなかコツが要ってな。そこらのMAIDに持たせたところで、刃を造ることすらままならんだろうさ。龍井や。その莫耶、お主に使えるか?」

「からきしだ。刀の方が性に合って――」

 

トキハが握る干将から光の刃が現れるや否や、龍井は閉口した。

 

「豪く出鱈目だと思や、やっぱMAIDだったか」

「いや違う。が、似てはいる」

 

それ以上、身の上について話をするつもりがないのか、トキハが刃を消した干将を龍井に返した。

 

「お主の中のもう一人、デュベルと言うたか、そっちの方はしっかりと転生しておるのだろ。ツェダイ流の技も、デュベル某の人格も。角流の狒々――ヨーダーと伍したのだから、十全と言わずとも、以前の素養を多く残して転生できたのであろうな。しかし、それに対してお主はどうだ。日華の技は中途半端、朝日那の記憶やら精神やら諸々失われてしまっておる。さて、なぜだと思うよ」

 

少しだけ、勘が働いた。

 

「嗚呼。デュベルの転生が目的だったのか」

「うむ。DPMo開発の第一目的は、腹心デュベル・モルトガットの転生じゃ。ゆえにミオ・トーンライムは鈴蘭計画に目を付け、朝日那の肉体に二基の永核を埋め込んだ。成功すればツェダイの技とDPMoを操るMAIDの誕生だ」

 

が、しかし、と言葉を継いで、トキハが沈黙した。龍井自ずからの解答を促すような静寂だ。

ミオの公算では、朝日那の肉体には、デュベル一人の人格が宿る予定だったのだろう。忠誠を誓う女デュベルを脇において、見ず知らずの男を生かす道理がない。あるいは現在の二重人格のごとき形態も視野には入れていたかもしれないが、その場合でもポジ・コアはデュベルに配当する手はずだったに違いない。それがどういう訳か蓋を開けてみれば、デュベルのコアはネガに配置されている、朝日那の精神も記憶もない、唯一、不完全ながらも日華流の剣技が残っていた、といったところか。

ぼんやりとではあるが、ようやく見当がついた。

 

「つまり俺はミオにとって失敗作だったってことか」

「おそらくじゃがな。なぜ日華の技がお主の手に残ったか。日華の技が失伝しなかったのは、門隠大社でもミオ・トーンライムでもなく、お主の肉体、朝日那の修行が刻まれた肉体が覚えていたと、そう我は思うぞ。あの女はプライドが高いゆえ認めんだろうがな」

 

ううんと一つ、龍井は唸った。唸るよりほかなかった。確たる証拠はない。ないがミオの気質を考えると、あながち間違いでもないような気がする。

 

「我が開陳できるのは、この程度。何を信じ、いかに行動するかは、お主の勝手じゃ。さて、どうするよ。緑龍井」

 

訳知り顔のトキハから目をそらし、龍井は夜空を仰いだ。満天の星空に、なお明るく照る月一つ、龍井を見返している。

龍井の内に残る朝日那の過去は、酷く曖昧模糊としている。むしろ他者の記憶の中でこそ鮮明だ。楼蘭皇国に来て以来、そういった傾向を頻繁に感じる。東郷然り、トキハ然り。龍井の振るう剣の中に、朝日那や日華の影を探し、そしてかつての記憶との差に齟齬を覚え、時に怒り、時に嘆き――

そこまで考えて、途端に面倒になった。

 

「面倒は嫌いなんだ」

「お主の面倒など、周りは考えてくれんじゃろうな。特に東郷は自身の力のみならず、強大な権力をも持っておる。この国にいる以上、看過はできまい」

「知るか。突っかかってくるんなら、戦ってやる。それよっか今は――」

 

青白く冴え渡る月を、じっと見返した。こじれにこじれた過去よりも、真っ先に決着をつけなければならない相手のことを失念していた。東郷でもない。葛神でもない。ましてやヨーダーやトキハでもない。夏の夜に栄える月光の冷たさは、あのMAIDに似て。

 

「待ち人がおるようじゃな」

「そんなところだ」

「重畳。ならば、この我がお膳立てをしてやろうじゃないか。あいや余計なことと言うなよ。お主には、我を楽しませる義務がある」

「義務? 何の話だ」

「この剣姫トキハの教えを受けられるなど、一国の主ですら適わんこと。光栄に思えよ」

 

徳利片手にほくそ笑むトキハが、たまらなく嫌だった。

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