たにまのひめゆり   作:四乃宇内

53 / 58
佐々木修次郎の受難 十八

肩の痛み鈍く。

 

「いたた」

 

楼蘭武芸館での騒動から数日が経ち、世相がわずかに平穏を取り戻した頃、修次郎は肩凝りに悩まされていた。数年来の腰痛が完治した代わりに、首の付け根から後背にかけての筋肉が酷く強張るようになってしまった。首やら肩やらを伸ばしてみれば違和感どころか、引きつるような痛みが走る。どこをどう違えたか、横になっても筋が張って首のあたりを圧迫する。寝返りを打つ、枕を上げ下げするなど、小さな所作一つで鈍い痛みを覚えるのだからたまらない。

眼精疲労だろう、そう修次郎は思った。

武芸館にてミオが造り出した巨大な発光体の影響に違いない。あれほどに強烈な光を直視したのだ。極端に視力が低下し、眼鏡の度と合わなくなってしまったのではないだろうか。

 

「眼鏡を新調するかい?」

 

そんな修次郎の様子を見て、ミオが嬉々とした口調で言った。にやにやと笑いながら、自分の眼鏡をくいとかけなおしている。肩凝りの遠因を造っておきながら、少しも悪びれる様子も見せないのだから驚きだ。

自然と返す表情も険しくなった。

 

「またぞろ敵を増やしておいて、随分と気楽なもんだな。ミオ」

「なに。増えたと言っても数にして百足らず。百万の敵が百万飛んで百に増えたところで、誤差の範囲じゃないか」

 

皮肉も意に介さず、ミオが着物の裾をひらひらとはためかせた。見慣れぬ柄だった。水色の地に、白く染め抜かれた鈴蘭の花が、ぼんやりとした視界の中でまぶしく揺れている。

 

「新しくあがなったのか」

「うむ。せっかく若返ったのだしな」

 

若者の素振りを真似たのか、ミオがくるりとその場できびすを返した。

若返った――この言いを修次郎は、心の内で反芻した。加茂本家が管理する禁域から脱出してから、ずっと疑っていたことだ。果たして若返りは可能か。『覆水盆に返らず』という訳ではないが、肉体という器からこぼれ落ちた時間が、逆しまに戻るとはどうにも考えにくい。それこそ得体の知れぬ白いG――燭の放つ光が肉体を若返らせるなどという説明で、得心が行く訳がない。そもそもミオの特徴とは、幼い外見ととうが立った内面の食い違いにある。そして、未だ発育不良な面体に老成した物言いをしているのだから、疑問を抱かぬ方が不自然というものだ。

だから修次郎は懐疑を表すように、渋面を作った。

 

「どこが変わったんだか」

「修の字もアイツも一緒だな」

「アイツ?」

「これだから男ってヤツは」

 

アイツとは誰を差すのか、明確な返答は終ぞなかった。ぱっと思いつくのは龍井だ。日々の鬱憤から、口を滑らしたのかもしれない。他人事ではないが、相憐れむばかりだ。

ふと連想が心配に取って代わった。

 

「そういえば龍井はどうしたのやら」

「知り合いのトコに厄介になってるよ」

「あの狐面の?」

「うむ」

 

ミオの知り合いという点が、酷く気がかりだった。それこそ楼蘭皇国政府や門隠大社の連中よりも、厄介な輩の世話になっているのかもしれない。

パラノイアのように膨れ上がる想像だったが、しかし、それも紙巻煙草に火を点けるまでだった。ニコチンを摂取した途端に、龍井に対する憂いは、ゆらゆらと昇る紫煙と共に虚空に消えた。

ふうと修次郎は息をついた。

 

「今後はどうするつもりだ?」

「当面は鈴蘭計画を進める。素体の調整も終わったしね」

 

初めて聞く『鈴蘭計画』なる名称に、修次郎は首を傾げた。今回の訪楼の目的について、MAID関連技術の共同開発への参画だと、入国直前に説明を受けただけだ。武芸館にて強行した永子加速衝突実験も、禁域での燭を用いたグノーシス開発も、ミオの私的な行動である。あれだけの右往左往を経て、ようやく主目的にたどりついたということか。

 

「で、俺は何をすればいい?」

「あれ。やけに殊勝な返事だね。てっきり『まだやるのかー』とか、『そんな計画聞いてねー』とか言うと思ってたんだけど。まあいいか。説明の前に煙草をおくれ」

「貰い煙草ばっかしてると嫌われるぞ」

 

何を今さら――と言って、ミオがこわく笑った。

曰く、鈴蘭計画とはブラッタリア遺伝子をノックアウトするウィルス兵器『谷間の姫百合Lily of the Valley:LV』の開発、及びLV兵器を実装するMAIDの開発を目的としているとのことだった。当該計画にはアルトメリア連邦と楼蘭皇国、民間企業からはBADC、古家製薬、そしてSIASの三社が参画しているという。

 

「ブラッタリアが機能不全になったら、さて修次郎、Gはどうなる?」

「ガス欠か」

「うむ。ウィンターレインはジャンクなmRNAをヒト遺伝子にも逆転写しちまう可能性があるってんで実用化を見送っちまったけど、LVならブラッタリアだけに選択的に作用するから、比較的に戦場でも使いやすいのさ」

 

Gのエネルギー源ともいえるGAP内共生器官ブラッタリアは、元々ブラッタ・バクテリウムというGとは別個の生物――細菌である。つまりヒトのミトコンドリアと同様に、Gと異なる遺伝子を独自に持っている。ブラッタリアDNAのみに反応するから、ウィンターレインよりも低リスクで利用可能だという理屈だろうか。

少しだけ疑問が残った。

 

「結局はウィンターレインの技術を流用するんだろ? ヒト遺伝子やミトコンドリアにも影響が出るんじゃないか?」

「今のところ、そういった結果は報告されていないよ」

「よもや、もう既に臨床試験を行っている訳じゃ」

 

ちらと嫌悪感を覚えた。

 

「古家製薬がね。芳原の遊女で試したらしいよ。ほら。昨今、巷をにぎわせている、遊女かどわかしの大烏事件だよ」

 

何だそれは――と言って、修次郎は眉をひそめた。わずかに忌避した理由は、誘拐という事件性に対してでもなければ、人体実験を平然とほのめかすミオに対してでもない。ひとえに烏という単語が、耳に卑しく響いたからだった。とかく今回の旅は、烏にまとわりつかれているように思えてならない。

幸か不幸か、事件に関する言及はなかった。ただ、ミオが新聞を差し出しただけだった。

修次郎は大儀そうに新聞を手繰った。細かく、かつ大量の文字が目に踊る。瘴気除染完了――武芸館騒動の続報のようだ。首都上空にて初のオーロラ観測――東の空を貫いた永子線バーストが未だ影響しているのだろうか。亜国防長官来楼――G危機対策協議。なるほど。どうでも良い。厚生省職員行方不明――

 

「これのことか?」

「それじゃなくて」

 

再び、ミオが新聞を手にした。修次郎と異なり、慣れた手つきで頁をめくる。

ふとその時、修次郎はある記事に目を留めた。

 

「厚生大臣罷免?」

「ああ。犯罪者との関わりがバレちまったんだから当然だろうよ」

 

処分された大臣の名は加茂泰徳、関連を疑われている犯罪者の名はエノルミテ・モワと言った。つまり国際指名手配されているエノルミテ・モワ――過去のミオとの関係が明らかになったことによって、門隠大社の一角加茂家現頭首が表向きに身分を失ったことを報じているのだ。

 

「まだ後任人事は発表されてないけどね」

「どうすんだよ。これ」

「どうするもこうするも。加茂の人事についちゃ政争の結果なんだから、もうどうしようもないよ。武芸館での葛神の口ぶりじゃ、もっとキツい処分が下されるかもね。こういったスキャンダルは、世論の格好の的にもなるし。まあ。後の始末は、清一郎が何とかするだろうさ」

 

修次郎は兄の清一郎を想った。跡継ぎに恵まれなかった加茂泰徳に代わり、分家筆頭の佐々木家頭首が問題解決のために担ぎ出されるのだろう。損な性分だけが、兄弟で唯一似た点か。

 

「さすがに無理じゃないか。この状況を打開するのは、いくら兄さんでも。本家のクビ一つで事態を収束させられるとは思えんが」

「なんで?」

「なんでも何も、ミオ、お前、重罪を負っている上に、あれだけ武芸館で好き勝手やらかしておいて、それでお咎めなしなんて離れ業、兄さんのさじ加減でどうなるもんじゃないだろ」

「何だか考えがとっ散らかってるようだね。修の字や。アタシの罪、ミオ・トーンライムの罪は武芸館での騒動だけ。エノルミテ・モワっつー何処ぞの誰かとの関与なんて取ってつけたような罪は、加茂のジイ様一人が被るだけだよ。そんなもん放っとけば良かろ。そも、清一郎にどうにかしてもらおうなんて、これっぱかしも思っちゃいないし」

「だから、エノルミテ某とは、お前のことだろうが」

「誰だい。そりゃ。アタシはミオ・トーンライムだよ」

 

エノルミテ・モワとの決別を、いけしゃあしゃあとミオが断言した。

 

「清一郎の仕事は、退陣する加茂の後釜に座り、LV実用化に向けて、アルトメリアと一緒に鈴蘭計画を推し進めること」

「SIASが関わっている以上、お前の関与がついて回るじゃないか」

「アタシはSIASに在籍してないよ。だから表向きには鈴蘭計画に関与してないし。アタシはお前さんがラヤードに持ってる家に住む、ただの居候に過ぎないんだから。そんな国家的事業に参加するなんて、はなはだ恐れ多い。くわばらくわばら」

 

おどけて言うミオの態度に、どこか得心がいった。嗚呼と息がもれる。鈴蘭計画に参加している国や企業に対する今後の技術供与は、全て『佐々木修次郎』の名の下に行われるということだ。

 

「つまり表向きの担当者は俺なのか」

「修次郎の経歴は真っ白って訳じゃないけれど、アタシや龍井みたいに真っ黒って訳でもない。灰色だ。白と黒がちょうど良く交じっちまってんだから、黒い部分だけを抽出することなんて、ねえ?」

 

誠明が抽象した金神のイメージが、ふと脳裏を過ぎった。白と黒、善と悪、生と死、相反する属性を併せ持つ金神の在り方は、修次郎のぬかるみのような内面をよく表しているように思う。しかし。

修次郎は武芸館で目にした、葛神白々郎の嵐のごとき剣幕を思い浮かべた。烈火のごとく怒りながらも、ミオとSIASの関係について看破していたではないか。それだけではない。アルトメリア連邦のMAIDであるパトリシアもそうだ。パトリシアが所属するツェダイという組織とミオ――エノルミテ・モワは、因縁浅からぬ関係だという。パトリシアの師匠ヨーダーに至っては、有無を言わさずミオを刺し貫くほど。

しかし、修次郎の不安を知ってか知らずか、渦中にいるはずのミオが他人事のように口を開いた。

 

「門隠大社全体に関わるような案件は、組織の八割超の賛同を得ないと決められない。事件として大々的に報道されちまった加茂のスキャンダルについちゃ、処分せざるを得ないとして満場一致で議決されたそうだけれど」

 

が――と殊更強く次いで、ミオがふんぞり返った。亀裂のように浮かべた笑みには、優越の色が混じっていて、どこか不快だ。

 

「鈴蘭計画は別だ。大国アルトメリアの手前、計画をペンディングさせる訳にはいかない。そして鈴蘭計画には遺伝子の逆転写技術が必要不可欠だ。いわんや世界で唯一、メイトリアーク由来の逆転写酵素RNA依存性DNAポリメラーゼの開発に成功した佐々木修次郎先生を、わざわざ計画から外す道理があるかい? 革新的技術を多数持つお前さんを、法的根拠に乏しい事案で拘束して、一体全体、誰が得をするというんだよ」

 

政治的判断が下される――ということだろうか。国益と諸外国とのパワーバランスを勘案し、白と黒がおのずからグレーゾーンに手を突っ込み、あまつさえ誰もよく分からない点をいいことに、グレーゾーンの中で手と手を取り合って脱法行為に及ぼうと言うのだから、まさしく世も末だ。

 

「天網恢恢とはよく言ったもんだ」

 

過去の賢者に対する嫌味が、力なく漂った。模糊とした灰色の領域で、今後、様々な思惑がうごめくのだろう。利権だとか面子だとか、有象無象の目的が行き交い、結果、不透明で不細工な形状に変質するに違いない。まるで金神のように。灰色の中心には、金神の業を背負う修次郎がいるのだから、なおさらだ。

いつの間にやら短くなった紙巻煙草を火鉢に放り込んで、ゆるりとミオが立ち上がった。

 

「さて、アタシは外向きの用があるでな。ちと出てくるよ。お前さんは、どうする」

「メガネでも冷やかしてくるさ」

「それがいい。それがいい」

 

何故か得意気に言うミオを、修次郎はしかめっ面で送り出した。思い出したように痛むのだから、いかにも憎らしい。

どうにも気乗りはしなかったが、修次郎は夏の夕間暮れをそぞろ歩くこととした。

 

 

*

 

 

で。ぶらりと立ち寄った眼鏡屋でのこと。視力を検めた後に、店主涼しげな顔で、こうのたまった。

 

「眼鏡の度、あってませんね」

「そうなんですよ。そのせいで肩凝りがひどくて難儀してまして」

「大変でしたねぇ。では、度の弱いレンズを用意しますので」

「ん? 弱く?」

「はい。今のお客様の目には、今のレンズは強すぎですよ」

 

一瞬間、店主が何を言っているのか、理解できなかった。若い頃から近視を患う修次郎、最後にレンズを調整したのは学生の時分だ。以来、使い続けている、この眼鏡。その頃に比べ視力が低下するならばまだしも、はたして回復するようなことあるのだろうか。なかんずく武芸館で強烈な光を見て、眼を酷使したばかりだ。眼が悪くなることはあれど、良くなることなど――

大量の疑問符に頭を傾げていると、店主が冗談交じりでこういった。

 

「まるで若返ったみたいですね」

 

ひやり――と、背筋を冷たいものが伝った瞬間だった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。