たにまのひめゆり   作:四乃宇内

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龍井得道 十三

巨大な雲の塊が、夜空を足早に駆けていった。西からの強風に煽られて、千切れ、形を変え、東の空へと消えていく。

濃紺の夜空と、鈍色の雲のコントラストに、龍井の胸の内で、デュベルが反応した。体内に宿した二基のエターナル・コアの一つ――ネガ・コアのかつての持ち主、デュベルである。

 

『ねぇ、知ってる? 夜の雲ってミオにとって特別な意味を持つのよ』

「聞いたことねぇし、興味もねぇな」

『ミオにとって夜の雲って、パラダイム・シフトの象徴なの』

 

迂遠に対話を拒否したにもかかわらず、デュベルの語りが止むことはなかった。勝手なところが、酷くミオに似ている。デュベルとミオの付き合いは、龍井や修次郎よりも、ずっと長い。似通う部分も多いだろう。しかし、その長い間に築かれた関係性は知る由もないし、知りたくもない。ただ、龍井は不思議に思うだけである。龍井とミオ、そして修次郎、今、共同で生活を送っている三者は、似ても似つかないからだ。

 

「楼蘭に戻ってから、ほとんど顔を合わせちゃいねぇな、あいつらと」

『ナニ? 何の話? つか私の話ちゃんと聞いてた?』

「やかましい女だな。パラ何ちゃらとか言われても分かんねぇよ」

 

デュベルの甲高い声が胸の内で響き、龍井は顔をしかめた。もっと大人しいMAIDのコアと一緒にして欲しかったものだ。そもそもネガ・コアの起動コードを入力しない限り、デュベルのパーソナリティは眠ったままのはずなのだ。

それがどうしたことか、黄龍旗での騒動を契機に、勝手にデュベルが眼を覚ます機会が増えたのだった。たがでも外れたか。

胸中でわめき続けるデュベルを黙らせるために、やむなく龍井は話を合わせることにした。

 

「うっせーなあ。ったく。嗚呼。そういや前に言ってたよ。ミオが。夜の雲のようになりたいとよ」

 

ミオに関するエピソードを振ってみれば、案の定、嬉々としてデュベルが語り始めた。ミオへの心酔は、はたして何処から来るのか、龍井には理解できない。ただ、やかましいことに変わりはないが、非難よりかは何倍もマシである。

デュベルの声を聞き流しながら、龍井は空を仰いだ。雲の合間から、見事な満月がのぞいている。

月下、龍井は武芸館の扉を開いた。

 

*

 

侵入を誇示するように、森閑とした通用口を、足音大きく進んだ。通路の先は、楼蘭武芸館の大演舞場。先の黄龍旗の際に、大立ち回りを繰り広げた、あの舞台だ。トキハの言う通りならば、そこに待ち人がいるはずである。

 

――雪辱を晴らすための場を用意してやろう。

 

得意気に笑うトキハの顔が、薄闇に浮かんで消えた。誰との決着か、言うまでもない。

アルトメリア連邦の地下水路ジオ・ドミナントでは、莫大な排水に流されて有耶無耶になった。

黄龍旗では、楼蘭皇国陸軍総大将やらプロトファスマの乱入によって場が荒らされた。

肝心要のところで、いつも横槍を入れられた。

 

トキハ曰く――誰にも邪魔されないよう、お膳立てしてやる。

 

決着の舞台として、楼蘭武芸館が用意されたのは、トキハの言いから一週間と経たぬ内だった。何が目的か、方々に手を回したそうだ。トキハにとって得るものもなかろうに、酔狂なものである。

世には、面白そうだからという単純な理由だけで、リスクも省みずに行動してしまうやからがいる。ひとたび動き出したが最後、どこの誰が割を食おうと構うことなく、満足するまで突き進んでしまうのだから始末に終えない。反面、面白くなければ面倒といって、弱者でも足蹴にするだろう。トキハも、そういった手合いに違いない。

 

『常軌を逸した莫大さを通常の規範に』

「デュベル。突然、何の話だ」

『ミオ様の座右の銘よ。常識だとか社会通念だとかに縛られない考えを、考え方を世に広めることがミオ様の究極的な目的の一つなのよ』

「だから何の話だ。啓蒙主義にでも傾倒したか?」

『だから。理解できないからって、そこに理屈がないわけじゃないって話よ。トキハのこと、そこまで分かってんでしょ? だったら、あとちょっとじゃないの。つうか理解できてんでしょ。貴方だって充分に通常の規範から足を踏み外してるわよ」

「これは俺とアイツの問題だ。そういうのは余計なお世話っつーんだよ」

『気になるものは気になるんだから。仕方ないじゃない』

 

ぶつくさと文句を垂れるデュベルを尻目に、龍井は楼蘭武芸館の演舞場に足を踏み入れた。広がった空間の分だけ、闇が希釈されたように感じる。どこか、うすら寒い。

夜気のしじまを、ゆっくりと見渡した。法龍寺の夢殿を模して作られた大演舞場は、鉛直に見ると正八角形の形状をしている。その形状をさして、遁甲盤のようだと言ったのはミオだったかトキハだったか。東と西に、それぞれ演舞場と外をつなぐ入場口がある。

龍井は自らが通ってきた東の入場口を振り返った。東とは龍が守護する方角らしい。伝聞ゆえに詳しくは知らぬ。知らぬが、自らの名前を暗示しているようで、どこか鬱陶しく感じられる。名に縛られるのは、もう御免だ。

入場口を向いて、上方を仰いだ。先だってミオが穿った大穴が、天井に未だ残っている。もっとも風雨の差し込まぬように、巨大な幌(ほろ)で覆われているが、それでも永子線バースト――アル・ニヤトの傷跡を隠すには不充分だ。

 

「天墜未形、馮馮翼翼、洞洞濁濁――」

 

慣れた鴻宝天文訓を早口に唱えると、静かに武鶴二尺七寸を抜き払った。起動したダイ・ポール・モードの基本機能テレコネクションによって、虚空に向けた斬撃が、天井の大穴を覆う幌へと不連続に作用する。

はたして天幕は落ち、斬り取られたかのような夜空があらわになった。雲もない。月もない。さやけき濃紺の夜空が、昏い口を開けている。

啼くように、風が吹いた。そして風に具して、人の気配が現れた。一つや二つではない。大演舞場のそこかしこに、知った気配が乱立している。

 

「なんだ、こいつら」

「今宵の果し合いの立会人どもじゃ」

「立会人って数じゃねぇだろ――って、テメェ、トキハ、いつからそこにいた」

「最前からおったわ。たわけ。こやつらは見届けるだけ。口出しも手出しもさせん。決着に不服も言わせん。じゃから存分にし合えよ。誰にも邪魔されぬようお膳立てすると言うたじゃろ」

 

内心、気取ることもできずにトキハの接近を許したことに焦りつつ、再度、龍井は演舞場に散在する気配を見渡した。手出し無用とトキハは言うが、明確に敵意を向けている気配が複数ある。名も知れぬ気配にまぎれてなお、ひときわ際立つ存在感は、陸軍総大将の葛神白々朗か。黄龍旗で刺し貫いた傷も癒えたか、巨木のごとき圧迫感は健在だ。

舞台袖を見れば、鋭い殺気を隠そうともしない影が一つ目にとまった。またぞろ覚えがある。楼蘭皇国首相の東郷清志朗か。芳原遊郭で刃を交えた時と同じように、今にも襲い掛かってきそうな雰囲気である。

 

「トキハ。手出し無用ってことで話はついてんだよな」

「うむ。いかにも」

「決着と同時にお縄なんて嫌だぜ」

 

敵意を現す影二つを、指し示した。

 

「ここで今、お主が実力を示せば、東郷の坊主は何もすまいて」

 

芳原遊郭の外れで受けた雪辱を、龍井は思い浮かべた。汚名を返上する良い機会ではある。

だが、面倒くさいと思うのも、また事実だった。

 

「あすこの葛神は?」

「白は、まぁ、大丈夫じゃろ」

「歯切れ悪ぃな」

「我ではなく、ミオ・トーンライムが話をつけたと聞いておるぞ」

「初耳だ。が、なおさら信用ならねぇな」

「仲間じゃろ。いま少し信じても良かろうに」

 

仲間という言葉の響きに、龍井は薄ら寒い息をもらした。日華流の失伝を懸念する東郷と、日華三十人殺しの罪を問う葛神、龍井に敵意を抱く二者ではあるが、根っこにある動機が異なる。トキハが言うように、日華流の力を示せば、東郷は手を引くと思わないでもない。事実、芳原遊郭での交戦は、龍井の振るう日華流が気に入らないという東郷の言いがかりに端を発する。ならば葛神、否、門隠大社の連中はどうか。此度の訪楼は、ミオと門隠大社――正確にはその一翼である加茂家――の研究開発事業『鈴蘭計画』を目的としている。ミオが加茂を通じて門隠大社の連中に根回しをしただろうことは、容易に想像がつく。しかし、己が研究に対してのみ忠実なミオのこと、果たして同道しただけの龍井の身の上にまで考えを巡らせているだろうか。はなはだ疑わしい。

 

「今、お主がすべきことは――」

「分かってるよ。けっ。出歯亀趣味の暇人どもが」

 

雑念を振り払って、龍井は演舞場の中央へと進み出た。百を下らない気配が注視する真っ只中に立って、ただ時を待つ。

夜の雲とは、目的論的自然観の象徴だった――と、かつてミオが言ったことを思い出した。幼少時のミオにとって空に浮かぶ雲とは、太陽を隠すためだけのものだったらしい。そのため闇に閉ざされた夜空に、雲を発見した際に驚愕したと言う。太陽を欠いた空に、太陽を隠すためだけにある雲が存在するなど、幼いミオの認識を逸脱していたからだそうだ。頭でっかちなミオらしい嫌味なエピソードである。

が、今だけは、少し龍井にも共感が持てた。なるほど。夜の雲とは、月を隠すためにあるのだ。

 

「ヘイ。日華流。待ッタカヨ」

「いや。俺も今来たとこだ。ツェダイの」

 

待ち人来たり。

手にする刀は、月光に似て。

静謐な瞳も、青白く。

気炎万丈、閃光のパトリシアが白虎の方角より現れた。

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