たにまのひめゆり   作:四乃宇内

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断片 七

黄昏の只中、遠ざかる烏面の男の背。

それは随分と印象的な光景だった。黄昏時とは、誰そ彼時と言う。そこかしこが薄闇と傾ぐ斜陽に染まり、人の顔すら判然としない時間を差す。だから目端の利く烏が、夕闇には相応しい。自らを佐々木宇陀清一郎とかたく信じる烏面の男、今こそ誰よりも疾く駆けるに違いない。

その烏面の男を見送りながら、黒衣の男――明治屋闇阿弥(めいじやあんあみ)は、感嘆の息を漏らした。

 

「律っちゃん。もう出てきて良いよ」

 

音もなく、陰間から刑部律子(おさかべりつこ)が姿を現した。

 

「彼は門隠大社に所属していたんだけど、日華事件で失脚しちゃってさ。そりゃ、あれだけ人死にを出しちゃねぇ。で、その責任取らされて、僕の所に回されてきたんだよ」

「門隠の人間が、日華事件に関与しているのですか?」

 

闇阿弥は目を丸くして、律子に顔を向けた。変化に乏しい律子の表情から、虚飾の色はうかがえない。

 

「知らなかったの?」

「はい」

「君のボスも相変わらず不親切だね。ある程度、情報が開示されてないと、身動き取り辛いでしょ」

「いえ」

 

素っ気ない律子の返事に、雄弁な闇阿弥も言葉を詰まらせた。有能な律子のこと、詳らかな情報がなくとも、淡々と任務を処理するに違いない。冷然というべきか淡白というべきか。

ふいと闇阿弥は黄昏に視線を戻すと、そ知らぬ顔で説明を始めた。

 

「MAIDの育成って手間暇ばかりかかって大変でしょ。だから、初めからある程度の技能を持たせたMAIDってのが可能なら、すこぶる愉快じゃない?」

「教育にかかる時間や費用を削減できるのであれば有益かと。ただ、愉快か否か賛同しかねますが」

「あれ、つれない。今の知識や経験を持って、子供の頃からやりなおしたいとか、思ったことない?」

「闇阿弥様。話がずれています」

 

闇阿弥は口を尖らせた。

エターナル・コアの添加による著しい年齢退行や記憶障害は、対G兵士として教育を施す際に利点にもなれば欠点ともなる。戦闘行為に対する忌避感の払拭や自由意志の抑制など、上官の命令に追従する精神を育成する上では非常に都合が良い。しかし同時に、経験則や武器の扱い方など長い年月をかけて獲得する、いわゆる技術までもがエターナル・コアの添加により失われてしまう。MAID保有国は一日も早い戦場への投入を目的に、教育担当官と呼ばれるポストを新設し育成に当たっているが、それも苦肉の策でしかないとの意見も少なくない。間々、お稚児だなんだと揶揄されているくらいだ。

初期段階における時間対効果を改善するために、エターナル・コア添加以前の素養を残したままMAID化を果たす技術の開発計画を楼蘭皇国政府がを策定したのは、1940年も初めの頃だった。

 

「主管部署は陰陽寮。で、責任者が彼。陰陽道における反魂の技術を中心に、鈴蘭計画は進められたんだ」

「陰陽寮を通じて、門隠の阿倍野や嘉藤、加茂などが参画したということは想像つきますが」

 

思案しているのか、律子が無表情のまま言葉を切った。門隠大社は、今も昔も数多くの陰陽師を擁している。冷たい瞳の奥で思い当たる陰陽師を、片っ端からリストアップしているのだろう。

彼も陰陽師の一人だよと、闇阿弥は付言した。

 

「陰陽道の主祭神である太山府君は、生命を司る神様でね。阿倍野の何代か前の頭首は、政敵に首をちょん切られちゃったんだけど、白道上人っていう陰陽道の偉い人によって行き返してもらった、なんて伝えられているよ。記録によれば、当時の阿倍野某はよみがえった後も、記憶も意識も確かで、生前と何ら変わらなかったそうだ」

「つまりパーソナリティを保存したまま、生命活動を復活せしめる陰陽の術が、計画の機軸となったわけですね」

「その通り。そして被験者を都合する場として白羽の矢が立ったのが、他でもない日華流だったんだ。でも日華流って男所帯でねぇ。永核への適正が男で見られることって、ほとんどないでしょ。そもそも数の少ない女性の武術家か、男性の永核適正者か、サンプルの多い後者が選ばれた訳だけど、案の定、計画は難航してね。目立った成果が出ないもんだから、色んな場で槍玉に挙げられたそうな」

 

わざとらしく闇阿弥はにやけた。

 

「だけど計画策定から二年目の夏に、幸か不幸か適正者が見つかった。もちろん適正の確認に誰しもが安堵した。適正者とは、言わずもがな朝日那夜一だよ。ほら。日華事件と門隠がつながったでしょ」

「いえ。まだ日華事件へと発展する過程について、説明が足りません」

「どうにも手厳しいね」

 

律子の指摘通り、計画は楼蘭皇国犯罪史上、前代未聞の大量殺人事件へと発展する。

事の発端は、日華流頭首による適正者引渡しの拒否だった。

 

「頭首宮城峡初助が、朝日那夜一を計画の被験者として引き渡さなかった。それだけじゃない。一切の説明もせずに、計画からの離脱を申し出たんだ。憶測の域を出ないけれど、情がわいたんだろうって言われているよ。朝日那は捨て子でね、妻子のない宮城峡が男手一つで育て上げたらしい」

 

未確立の技術ゆえに、被験者のパーソナリティの完全な保存を、計画は確約していない。我が子同然に育てた朝比奈夜一を実験に供することを嫌ったか。不器用ながらも培った過去――思い出ごと失ってしまう可能性が付きまとうのだから、宮城峡初助による突然の約定反故も分からないでもない。そもそも人体実験のごとき計画を、嫌忌していたとも聞く。

 

「それに激怒しちゃってね。彼」

 

走り去った男の方を、闇阿弥は指差した。

 

「怒っただけならまだしも、考えなしに罰神を使役しちゃったものだから、もう大変。結果は知っての通りの大惨事。死者三十名。日華流は壊滅するし、罰神は目撃されるし。短慮にもほどがあるよ」

「では、日華事件の犯人は朝日那ではなく」

「実行犯は罰神だよ。最悪の殺人事件は、最大の冤罪事件でした実は、ってオチ」

 

火消しには骨が折れたよ――と言って、闇阿弥はわざとらしく自らの腰を叩いた。不幸中の幸いだった点は、照野恵美――ミオ・トーンライムが在楼していたことだろうか。日華事件唯一の生き残りである朝日那夜一の身柄を、罰神による三十人殺しの罪と共に、国外へと持ち出してくれたのだから僥倖である。

 

「面倒なものを楼蘭から持ち出してくれただけじゃなく、凍結しかけた計画を進めてもくれたしね」

 

一転、闇阿弥は表情を曇らせた。

 

「それにしても何というか。我ながら業の深い代物をこしらえてしまったものだ。自らを佐々木家頭首と信じて疑わない狂人なんて。君のボスは、どうするつもりだい?」

「加茂家の不始末が、未だに残っておりますので」

「嗚呼。やっぱり、そういうことなんだね。想像通りで安心したよ」

 

闇阿弥は深く長く一息ついた。視線を部屋の中に戻してみれば、作り物めいた調度の数々が並んでいる。空の本棚、空の机、空の箪笥。虚飾にまみれた部屋で寝起きしていた男。過去を消され、現在を捏造され、そして未来を利用される男。何から何まで空虚だ。

乱れた寝床の上の詩集『大烏』に、闇阿弥は手を伸ばした。

 

「Soul from out that shadow that lies floating on the floor. Shall be lifted...Nevermore――影身に添わぬ魂の帰すること能わず。律っちゃん。古代の哲学によるとさ、僕らが見ているこの世界ってのは、ここではないどこかにある真実の世界の影でしかないんだってさ。国も企業も、太陽も月も、そして君も僕も、全てがイデアの影なんだ。ただし影と言えども、僕らにとっては紛れもない現実。その虚実は、どうやったって判別できやしない。悲しいかな、僕らの耳目は、影(現実)に触れることでしか機能しない。だから、もし影(現実)を離れたモノがあったとしたら、そんな哀れな輩(ともがら)に、果たして何が約束されようか。いわんや、その魂においてをや」

 

そして再び――Soul from out that shadow...――と大烏のくだりを読み上げた。詩中、青年と大烏の問答は、全て『Nevermore』の一言で片付けられる。青年が名を問えば、大烏が『Nevermore(二度と答えぬ)』と返し、救いはあるかと問えば『Nevermore(けしてない)』と答え、今は亡き愛した人に会えるかと問えば『Nevermore(二度と会えぬ)』と答える。そして、ついには影から離れた青年の魂に向けて、大烏がやはり『Nevermore』と言い添えて、詩が終わる。この青年に対する憐憫と、十八のスタンザで繰り返される押韻に、読者は自らの魂を奪われるかのような不安に苛まれるという。

 

「彼はMAIDなんだ。いや、正確にはMALEか。いずれにせよ彼に適正があるなんて因果なものだよ。かつての魂なく、自らが大烏になった後は、どこへ向かって飛ぶんだろうね。いやしかし、エターナル・コアほど記憶の改ざんに都合の良いものはない」

 

さてと一言、闇阿弥は律子に向き直った。

 

「さて、この仕事も、これでお仕舞い。この部屋ともおさらばだ。楽しかったよ。律っちゃん。いや、この部屋での仕事が終わった以上、もう刑部(ぎょうぶ)君と呼ぶべきでしょうか」

「でしたら私も闇阿弥様ではなく、山県中佐とお呼びします。山県中佐。ご協力頂いたこと、改めてお礼申し上げます」

「あまり気にしないで下さい。好きでお手伝いしたまで」

 

闇阿弥――山県犀軒は、意識的に口調を変えた。否、平常に戻したというべきか。それは耳に優しい慇懃な言葉ながらも、揺るぎない意思の強さを現す語り口だ。闇阿弥独特のおどけた物言いとは、天と地ほども異なる。

 

「少しの間、倭都を離れることにします。大陸に渡るかもしれません。永子線バーストが揺るがした東の空、この国の東端に鎮座する華島大神。東の正位に配当される卦は『震』であり、象徴する五行は木気。今や、この国に満ちた木気は、充分過ぎるほどに旺んです。果たして、どれだけの人間が、この意味に気付いているやら」

 

顔だけで振り返り、ところでと闇阿弥は話を変えた。

 

「トーンライム博士がWMODを発生させた理由は、つまるところ、この国の夏の火気を強めるためです。五行相克の火克金。火気は金気を弱めます。華島神社の要石は、鉱物ですから当然に金気。近い内に、その要石も撤去するのでは、ありませんか?」

 

違いますか――山県は刑部に低い声で返答を求めた。肩越しに見る刑部の表情に、変化は見られない。視線も泳がせず、無駄な言葉を発することもなく、静かに微笑んだままなのだから大したものである。しかし、沈黙は肯定と同義だ。

 

「こんなにも土気を克す木気を強めて、何をしようとしているのか」

「私は詳細を知らされておりませんので」

「既に答えは私の中にあります。貴方から聞き出すためではありません。これは貴方への警告です。お気をつけ下さい。木気の卦は震。震動です。天を揺るがす木気が雷ならば、大地を揺るがす木気とは」

 

すっくと背筋を伸ばして、山県は刑部に詰め寄った。覗き込むように、刑部の無表情に顔を近づける。

生半には動じない刑部が、ゆらりとたじろぐ様がありありと見て取れた。

 

「地震とは土気ではありません。木気です。生と滅を内包する土気が、木気によって克される時の結果として大地が揺らぐのです。だから今、木気の旺んな楼蘭皇国は、どこよりも危険な地域と言えます。よろしいですか? トーンライム博士の手札の中に、首都圏域への大地震があることは明白です」

「だから海外へと?」

「その通りです。理解が早くて助かります。では、後の処理は任せましたよ。またの機会に」

 

現世(うつしよ)は夢、夜の夢こそ真――そう言い残して、いよいよ暗い夜の闇に、山県は足音もなく姿を消したのだった。

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