たにまのひめゆり   作:四乃宇内

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龍井得道 二

「時に龍井」

 

横を並んで歩くミオが、天頂を見上げるようにして龍井に視線を向けた。対して、足下を見るかのように首を傾げて、龍井はミオを見返す。伸長差にして一尺余り。大人と子供ほどの隔たりがある。

雑踏の喧騒にも負けぬ、良く通るミオの声が凛と鳴った。

 

「渡しておいた資料は、しっかりと憶えたかえ?」

「天道は員と曰いってヤツだろ? 一通りはな」

「ならばテストをしようか――陰陽相い薄まり」

「感じて雷と為り、激して霆と為り、乱れて霧と為り」

「誠に二十篇に通じ、凡を睹、要を得て、以て九野に通じ、十門を径、天地を外にし、山川を?まば」

「其の一世の間に逍遥し、万物の形を宰匠するに於いて、亦た優遊たらん」

「日月を挾むも?らず、万物を潤せども耕せず」

「曼たり?たり、以て覧るに足り、藐たり浩浩曠曠たり」

「以て遊ぶ可し――結構」

(書き下し分超訳:陰陽二気交わる時 / 和合すれば雷生じ、反発すれば電生じ、行き違えば霧生ずる / 鴻宝二十篇を明らかにし、広い視野を持ち、かつ要点を掴んで、山川を見下ろせたならば / 現実においても、万物を支配することにおいても、常に融通無碍を失わず / 太陽や月を抱えていても輝かず、万物に施しを与えても減らず / 永遠に連なり、清らかに洗い流して、一切を見ることができる。彼方に在り、広大かつ空しく / どこへでも遊び行くことができるのだ)

 

合格という意味だろうか、ミオが小さな拳で龍井の胸を、とんと叩いた。

楼蘭皇国へと向かう航海中、暇を持て余していた龍井は、いくつかの宿題をミオから言い渡された。その内の一つが、たった今、諳んじてみせたテクストの丸暗記だった。無学な龍井には、何が何やら意味不明な内容だったが、ただ文面を記憶するだけならば、頭を一切使わずとも可能だ。何ら難しいことではない。

龍井の内心を察したか、意地の悪い笑みをミオが浮かべた。それはミオが人を虚仮にする際に見せる――大変迷惑な――予兆だ。

悲しいかな、ミオのそういった仕草に慣れてしまった龍井は、少しだけ嫌そうな顔をして――それしかできない無力感は我慢だ――“何だよ”と一言だけ牽制した。

 

「むか~し華国で編纂された百科全書のようなものからの引用だよ」

 

揶揄もなければ痛罵もないミオの言いに、肩透かしを喰ったような心地を覚えたのも束の間、龍井は、全く説明になっていない発言の裏にある真意――コイツには説明しても分かるまいという侮蔑――に気付いた。回りくどいが、やっぱり馬鹿にしているのだ。

言外に反意を込めて、だから龍井は聞き返してしまった。

 

「言葉の意味くらい教えろよ」

「よろしい。少し勉強しようか」

 

ミオが右手の人差し指を、ぴんと立てた。それは長広舌が始まる、お決まりの合図だ。

 

「紀元前百四十年の華国、正確には前環の舞帝の治世に成立した雑家の書があってな。名を鴻宝という」

「コーホー?」

「そう。鴻宝。大きな宝という意味だ。雑家の書と言われるだけあって、全二十一篇からなるその内容は雑駁にして多様、神話あり、思想あり、天文地理、兵法にまで及ぶ。それでいて一貫した主義主張があるわけでもなく、時には矛盾した箇所まである。なぜ、こんなにも多岐に渡る内容になってしまったか。なぜ矛盾ある内容なのか。龍の字。どうしてだと思うよ」

 

ミオの挑戦的な瞳と、これから始まるだろう長い講釈に早くも辟易した龍井は、答えを探すように――あわよくば別の話題に転じようと思い――往来に視線を向けた。閉鎖的で排他的だった楼蘭皇国も近代化の影響を受けているようで、行き交う人々や、その身なりから異国の文化の雰囲気が感じられる。

 

「この国も随分と変わったもんだ。色んな人間がいるな」

「うむ。豊かな資源と技術力を背景にG5に名を連ねて以後、外資の注目が集まっているからね」

「資源? この島国に資源なんてあんの?」

「エターナル・コア(EC)に決まってるだろ。推計になるが、楼蘭皇国の保有MAID数は、ワールドワイド全体の12%強にも昇るとされている。この統計には龍の字みたいな在野のMAIDが含まれていないから、実際のシェアはもうちょっと低いかも知れんが、それでも極東の一小国には、十分に過ぎた戦力だよ。いやはや。どこから調達しているものやら。皇国政府はECの産出地についてかたくなに口を閉ざしているがね。G危機を背景に今やEC関連ビジネスは、年率二桁成長を遂げている。国内にEC鉱でも持たない限り、楼蘭皇国の財政じゃまかないきれんだろうさ。いずれにせよ現在の国際社会における楼蘭皇国の優位性は、生半には揺るがない。それどころか発言力を日々増すばかりじゃないか。現在の東郷内閣が推し進めている産業保護政策によって、国内における外資企業の活動はきつく制限されているけれども、それでも外様の連中にとって旨味のある市場であることには変わりない。地続きでない土地柄か言語も独自だが、それでもこの国に現地法人を設けて参入するもやぶさかでなしと考える企業は後を絶たない。ほれ。先般、報道されていただろう。G瘴気の暴露被害の拡大を懸念して、抗瘴気剤の研究開発を行っている民間の創薬企業を厚生省が支援すると。あの事業にはアルトメリア連邦の投資会社、もちろん楼蘭法人のな。そこの資金が一部入っている。楼蘭の技術や文化を差してオカルトだ何だと騒ぐ者も多いが、それでも高性能なMAIDを次々と世に輩出していることには変わりない。EC技術開発者からも投資家からも注目されているんだ。だからこの国はこれから雑多な人種がひしめく土地になっていくのだろうさ」

 

まるで呪詛のごとき文句を、よくもスラスラと言い続けるものだと龍井は感心した。ただし、肝心の話の内容については、途中から聞き流していたために、さっぱり分からなかったが。

面倒が片付いたら遊廓にでも繰り出すか――そう考えた矢先、右のつま先に激痛が走った。声にならぬうめき声を漏らしながら、足元に視線を落とすと、キツい目付きで睨み返すミオの不機嫌な表情とぶつかった。見れば龍井の足の小指は、ミオの嗜虐的なかかとにグリグリと蹂躙されている。超人的な頑健さを持つMAIDとは言え、痛いものは痛い。

 

「痛ぇな! 何すんだよ!」

「人の話を聞く。これ常識」

「俺の理解を一切シカトして。ベラベラとしゃべり続けといて。何言ってやがる。質問する間すらなかったじゃねぇか」

 

返事の代わりに、ミオが胃の腑の底からため息を漏らした。

 

「はぁ。今日び学徒の方が闊達に頭を使い、疑問を明らかにするよう学んでいるというのに。実に嘆かわしい。あまつさえ質問一つも満足にできぬ自らの低能を、他人のせいにするとは。尋常小学校からやり直すんだな。そも話の腰を折ったのは、龍の字、オマエさんだ。それを懇切丁寧に説明してやったというに。何て言い草だい」

 

ミオに質問したことを、遅まきながら龍井は後悔した。経験則として知っていたはずではないかと。一聞く者あれば十も百も答えを返し、反論する者あればあれかこれかとあげつらい、思い悩む者あれば猿と同義だとこき下ろすような、ミオ・トーンライムとは、そんな精神であるということを深く知っているはずなのに。

返事の代わりに目尻にしわを寄せると、腹立たしいことにミオが表情を和らげた。歪んだ嗜虐心を満足させたのだろうか。

 

「よろしい。今後この国には、もっと多くの人間と思惑が流れこんでくる。時代の潮流に乗ってな。これは国際社会で頭角を現す楼蘭にとって、避けられぬことだ。混迷はより深まる。矛盾も多く抱えるだろう。これはね。鴻宝が成立した経緯と良く似ているんだ」

 

あまりにも突然に、ぐるりと巡り巡って、話題が元に戻った。経済の話に逸脱して後、鴻宝のことなど奇麗に失念していた龍井は、だから返す言葉もなくただ舌を巻くのみだ。

 

「前環の頃、時の政治中枢に比べ、鴻宝が編纂された地には、開放的で浪漫的で、神話伝承が強く残る風潮があった。それゆえにタオイズムに代表されるような多くの思想家や論客家がここに集い、思い思いの書物を世に残した。道家だけじゃない。儒家やら墨家やらもだ。その集大成こそが鴻宝なんだ。非常に多くの人間が編纂に関わっている。だから内容が雑駁になったんだ。言葉に表しがたい道を説き、処世術や政治道徳を論じ、自然科学と神話伝承を合わせて言及したりもする。それもこれも多くの人間が、それぞれの立場から製作に携わったため。しかし、それこそが鴻宝の理想とする積力衆智の目指すところ――多様性を貫く統一性――だ。道を言いて事を言わざれば世と与に浮沈するなく、事を言いて道を言わざれば化と与に遊息するなし。故に二十篇を著わせり。ってね。今回、龍の字に覚えてもらったのは、二十一篇からなる鴻宝の内、原動、俶真、天文、地形の四篇と、巻末の要略訓一篇の計五篇だ。さて、それぞれ内容についてだが」

「いや遠慮しとく」

 

もう腹一杯だった。

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