勢いよく水が肌に当たる音が響いていた。摸擬戦の後、セシリアは即座に部屋へ戻りシャールームに飛びこんだのだ。
その理由は、勿論さっきの戦闘でかいた汗を流そうという気持ちもあったのだが、それ以上に変に熱を持った頭と胸を冷ましたいという思いがあったからだ。
「……織斑、一夏」
思わずその名前を呟いていた。
頭に浮かぶのは真直ぐに自分を見つめる二つの瞳。
考えてみれば、セシリアに向けられていた一夏の目は常に真直ぐで意志の籠ったものだった。クラス代表を決めるHRで揉めたときも、実際にISで向いあったときも、どうしようもなく劣勢に立たされたときも、その目に諦めの色はなかった。
セシリアにとってそれは純粋な驚きとある記憶を呼び起こすものだった。今の世の中、女尊男卑が当たり前とされていて、それを支えているIS操縦者の中でも特に国家代表候補生を相手にするということが如何に無謀かというのは考えるまでもない。
最初は唯の無知だとセシリアは思っていた。例えあのブリュンヒルデ・織斑千冬の弟と言えど、ISについては素人以下の知識しかない愚か者。それ故の蛮勇だと。
だが一夏はそうではなかった。実際に戦い、追い詰められ、集中砲火を浴びようとも、彼は諦めず活路を見出そうとし続けた。結果、素人でありながら四度もセシリアに喰らいついたのだ。
「どうして……?」
答える者のいない問いがセシリアの口から零れる。
どうしてそんなに強いんだろう?
それはセシリアの男性像の根本とあまりにもずれた姿だったからだ。一夏と対比して思い出されるのは弱々しい父の顔だった。
セシリアの父は、弱い人だった。母は今の女尊男卑の世の中になる前からいくつも会社を経営する遣り手で、セシリアの記憶に残る父はいつも母の顔色ばかりうかがっていた。ISが開発され、男の立場が弱くなると、それはさらに顕著になり、母はいつしかそんな父を疎ましく思うようになっていた。
二人が離婚をしたのは誰もが想像した事態だったのだ。
だがそれは幼いセシリアの心に傷をつけるのには十分すぎる出来事で、実の両親の離婚の原因を、セシリアは父の弱さのせいだと思っている。父がもう少し強くあってくれたら、とそう思わずにはいられなかった。
だからセシリアは母に憧れ、強い女であろうとしていると同時に、強い男という存在にも憧憬を持っているのだ。相手が自分より強くても真直ぐ向かい合い挑むような強い男に……。
「織斑、一夏……」
もう一度その名を呟く。
共に脳裏に浮かぶ父の影。
「どうして……?」
どうして父と母は共に亡くなったのだろう。
疑問が浮かぶ。両親のことを思い出す度に考えてしまうことだ。離婚までした『反りの合わない』二人が亡くなったのは、共に越境鉄道の横転事故。死傷者が百人を超える大規模な事故の被害者に二人の名前は並んでいた。
どうしてあの日、二人は同じ鉄道に乗っていたのだろう?
そのことがしこりとなって、セシリアが両親のことを思い出すたびにチラチラと脳裏をかすめるのだ。
だがこの三年間は、あまりに怒濤でそんなことを考えている余裕などセシリアにはなかったことも事実だった。幼いながら両親が残してくれたものを守ろうと、様々な教育を受け努力をしてきた。ISの操縦者となったのもその一環で、結果セシリアはIS適正A+非常に高い成績を出したのだ。英国もそんな才能ある存在が国から離脱しないように便宜を図ってくれたので、セシリアは両親の遺産を守ることができた。
「強い、瞳……」
顔からシャワーを浴びるために目を閉じると、目蓋の裏に浮かぶセシリアに向けられた一夏の眼。その輝きを思い出しながら、セシリアはシャワーを止めた。
体を拭き、髪を乾かしてバスルームを出ると、いつの間にかルームメイトが帰って来ていた。部屋の隅のベッドに横になっている。
IS学園の学生寮は二人一組の相部屋が基本だ。本来ならお互いに配慮し合いながら共有の快適な空間を作っていくのが普通である。しかし、セシリアはそうではなかった。元来のお嬢様気質と、広い部屋での生活に慣れ過ぎていた為に、寮室を完全に自分好みの空間へと作り変えてしまったのだ。高級な調度品や家具を所狭しと並べ、自分好みの壁紙やカーテンへとリフォームまでした。普通なら喧嘩になる傍若無人っぷりだ。
だがそうはならなかった。それは偏に相部屋の人間がそういったことに頓着なかった故のことだ。ベッドがあれば事が足り、持ち物も殆ど身一つに近い状態での入寮だったから、特に諍い合うこともなかった。
セシリアは自分のベッドに腰掛けて、ルームメイトに一週間ぶりに声をかける。
「レインさん……」
「………………何だ?」
ベッドに横になったまま、レインは気だるげに返事をした。セシリアはレインにベッドで寝るなら着替えればいいのにと思ったが、今はその言葉を呑み込んだ。
「その、今日は残念でしたわね」
口から出たのはそんな言葉だった。本当はもっと別のことを言いたかったような気がしたが、咄嗟に思い浮かばない。
そんなセシリアの内心の狼狽にレインは興味を示さなかった。
「今日は、な」
「今日は?」
上げ足を取るような言い回しだったが、セシリアは特に気にしない。寧ろその言葉の意味を純粋に知りたくなった。
「あれで諦める男じゃないということだ」
セシリアの考えを感じ取ったレインが先に応える。望んでいた答えであったが、セシリアの胸には僅かに痛みが走った。
「…………それはこの一週間の特訓で言えることですの?」
「そうだな」
少し暗くなったセシリアの言葉に、レインはどう返事をしてよいものかと考えるが、結局何が正しいのか分からずに思ったことをそのまま伝えることにした。
「たった一週間じゃ、分からないことの方が多いさ。あんなにシスコンだったのは驚いた。それでも、全く何も理解できない、は有り得ないだろう?」
事も無げに言ったつもりだったが、セシリアにはそれが余裕の発言のように思えた。自分は何も知らないのに、向こうは知っている。そんな怒りが理不尽と自覚しながらも湧き上がってくるのだ。
「…………あの人は、どうしてそんなにも」
強いのか、という言葉は呑み込んだ。理由はセシリア自身自覚していなかったが、一夏のことをレインに聞くのに何か釈然としないものを感じていた。
「さてね」
レインは興味がないとばかりに言いきった。
「自分で聞けばいいだろう? 私だって一夏のことをどうこう言えるほどよく知っている訳じゃない」
そう返されてはセシリアは黙り込むしかない。ろくに会話も交わしていない相手にいきなり内面的な部分を問いかけることなんてできるわけがないのだ。
何か、切っ掛けを。
そう考えるセシリア。腕を組み、整った眉を顰めて必死に解決策を捻り出そうとする。
だが、状況は悪い。セシリアはその本人を挑発したあげくに、倒してしまったのだ。今更勝者が敗者に声をかけるわけにもいかない。
必死で思案する中、少しでもヒントが貰えないかとレインに視線を向けたとき、セシリアに天啓が舞い降りた。
「レインさん?」
「……あ?」
「これからも特訓は続けますの?」
セシリアの意図が理解できずに、レインは訝しがる視線を返しつつも答える。
「……一夏次第だ。とはいえ、専用機も手に入れているし時間制限があるわけでもない。これからはISの訓練をメインにしないといけないだろうな」
「レインさんは、ISの操縦については?」
「できる訳ないだろう。経験で言えば私も一夏と大差はないさ」
予想通りの答えに、セシリアは内心でガッツポーズをする。
(そうと決まれば早速行動ですわ)
ベッドから立ち上がり、寝間着を脱いで制服に着替えるセシリアに、レインは不審げな顔をした。
「どこかに行くのか?」
「ええ、ちょっと」
「今からか?」
確かにセシリアも、千冬から休むように言われてはいたが、今は思いついた計画を実行に移す方が先だと考えた。手遅れになってからでは意味がない。
「先に寝ていただいて構いませんわ」
この一週間、同室でありながらセシリアはレインの寝姿を見たことがなかった。いつも先に起きて出かけ、セシリアが寝た後に帰って来るからだ。ルームメイトの寝顔を初めて見るかもしれない。そんなことでも、今のセシリアには楽しいイベントに思えた。
「あ、ああ…………」
あまりの変わり様に、レインは呆然と生返事を返すだけだが、セシリアは一向に気にも留めない。着慣れたIS学園の制服に着替え終わると、矢のように部屋を飛び出した。
ばたん、としまった扉を事態に取り残されたレインが見つめる。
「……はぁ」
いろいろと面倒臭くなって、レインは目を閉じて眠るのだった。
◇◇◇
「では、一年一組代表は織斑一夏くんです! あ、一繋がりでいい感じですね」
「はぁ?」
朝のSHR初っ端、山田先生の爆弾発言が投下されて、俺は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。関係ないが素っ頓狂の素っ頓て何だ? いや、今はそれよりも大切なことがあるだろう!
「山田先生? 俺昨日負けたんですよ? なのに何でクラス代表なんですか?」
「それは、私が辞退したからですわ!」
勢いよく立ち上がり、左手を腰に、右手を胸に添えたポーズを決めたのは、当然ながら昨日戦ったセシリア・オルコットだった。
「まぁ、私も少々大人げなかったと反省いたしまして。相手が私なのですから敗北は仕方ないですけど、あそこまで善戦されたのですから、私も貴方を認めようかと」
長台詞なうえに上から目線なのは何なの?
クラスを見回すと「いいぞ、セシリア!」とか「分かってるねぇ!」とか概ね好意的な反応が返されている。箒はぶすっとして、レインは頭を抱えているが、どうにも俺は辞退するのは難しい状況らしい。
しかし、何とかならないかと思案する俺の沈黙を、セシリアは不安からくるものと勘違いしたらしい。
「大丈夫ですわ、一夏さんの訓練はこのイギリス代表候補生セシリア・オルコットがきちんと見て差し上げますから」
「待て!」
どうして箒が立ち上がる?
「一夏の訓練は〝私〟が〝直接〟頼まれたのだ。もう十分ことは足りている」
「あ~ら、ISランクCの篠ノ之さん、Aの私の方がコーチには向いてますわよ?」
「ぐ……ランクは関係ない!」
得意気なセシリアに箒が歯噛みをする。というか箒ってランクCだったんだな。ちなみに俺は入試ではBと判定された。とはいえこんな数値は無意味だと千冬姉も言っていたし……。ランクなんて唯の数値だ、後は努力と根性で補えば良い。
あ、レインが完全に諍いから目を逸らした。ずるいぞ。
「喧しい!」
その一喝で二人の争いは終結した。威圧感のあるその声の主はクラス担任にして我が姉、織斑千冬だった。
「オルコット、ISランクなど今のお前達には何の意味もない。全員そろってひよっこだ。せめて殻が取れてからにするんだな」
「う……」
千冬姉に軽く詰められてセシリアが息を飲んだ。その気持ちはとてもよく分かる。あれは怖い。
「篠ノ之。何を得意気な顔をしている」
「……別に」
セシリアの様子ににやにやしていた箒も同様に睨まれていた。全く……。
「では、織斑一夏のクラス代表決定に異論が有る者は挙手をしろ!」
「はいっ!」
「却下だ。推挙されての辞退は認めん」
そう言えばセシリアは立候補だった。だけど少しは俺の意見を聞いてくれよ千冬姉。
「いないな。では、決定だ!」
俺は何でかクラス代表なんてものになっていた。
皆さんお待ちかねぇ!
クラス代表として対抗戦への特訓を行う一夏。
そして繰り広げられる一夏をめぐっての乙女のバトル。
そんなとき、IS学園に一人の少女が訪れるのです。
次回IS武闘伝「波乱の予感! 再会のチャイナ・ガール」にReady~Go!