IS学園部活棟廊下。雨足は弱まったとはいえ、それでも止むことのない雨が太陽を遮り、廊下は暗く湿気っている。既に一時間目の授業が始まっているこの時間、こんな場所に学生はまずいないはずだが、そこには一人の女子学生の影があった。
「……………………」
無言で歩く少女の名はレイン・カッシュ。
廊下で一夏とシャルルに思わぬ遭遇をした彼女は、千冬に言伝を頼んで別れ、人気のない場所まで歩いてきたのだった。
「…………出て来い」
立ち止まり振り返るが、返事はない。繰り返すが既に授業中である。部活棟にいる者など皆無と言っていい。
だが、レインには確信があった。
十年もの間、南米の秘境ギアナ高地での修行は、レインの感覚を野生の獣以上に研ぎ澄ましていた。一カ月やそこらで鈍る程ゆるい修行は積んでいはいない。
「出て来い」
視線を動かすことなく、真直ぐに廊下の影を見据えてレインは呼びかける。
数秒の沈黙の後、一人の女生徒が観念したように姿を現した。
「さすがに、ばれちゃったか」
女生徒は黄色いリボンを付けていて二年生だと分かる。手には扇子を持っていて、そこには〝天晴〟と書かれていた。
「一年一組のレインちゃんよね」
「レインちゃん……」
初めての呼ばれ方にレインが戸惑う。身に纏う武闘家の雰囲気や、ぶっきら棒な言動から、レインは〝ちゃん〟を付けられる機会が少なかった。クラスメイトの布仏本音が〝レイレイちゃん〟と呼んだので抗議したくらいだろう。
「何故私をつけていた」
気を取り直してレインが問いかけるが、相手の女生徒はどこ吹く風といった様子だ。
「さ~、何ででしょう?」
「…………力尽くで吐かせるまで」
瞬間、レインは一気に踏み込んだ。
五メートルはあったであろう距離を一足飛びで零にする。
「破っ!」
同時に放たれる掌底。
しかし女生徒はそれを、ブリッジの体勢でかわす。
そのままバック転の要領で足を上げ、レインの顎に蹴りを放つ。
「ちっ!」
舌打ちをしてレインはもう一歩踏み込んだ。
さらに加速し、バック転をする女生徒を追い越し蹴りを避ける。
「まだ!」
女生徒はバック転の途中で脚が真上に向いた瞬間、腕の力で体を回転させると同時に脚を開いて蹴り技を繰り出した。
だが、レインは反射的に水面蹴りを放ち、回転軸の両手を払う。
それを予想していたのか、女生徒は払われる前に自らバランスを崩して背中から倒れる。
受身を取って隙なく起き上ると、しっかりと構えを取った。
「カポエラ、の派生か……。他にも齧っているな」
腰を落とし、レインも相対して構える。
「分かる? 古武術とかサンボも使えるわよ」
飄々とした女子生徒の態度に、レインはIS学園に来て初めての緊張を覚えた。得体のしれない相手。格上とは思っていないが、何か隠し玉を持っているのかもしれない。
「貴様、いったい何者だ?」
「ふふふ、それはお姉さんに勝ったら教えてあ・げ・る♪」
唇に人差し指を当ててウィンクをする女生徒。色っぽいその姿にレインはイラッとした。
「分かり易くて良いか」
「そうそう、物事はプラスの方向に考えないと」
何処までも軽い発言だったが、レインは相手を完全に敵だと認識した。態々心を乱す愚は犯さない。
「行くぞ!」
再度レインは先手を取る。
「え……」
だがその速度は先程の比ではない。
最初は完璧に対処しきれた女生徒が驚きの声を上げるだけだ。
「覇ぁ!」
左のラッシュが炸裂する。
腕が増えたかと見紛う連打を女生徒がガードしながら後退。
だがレインは、後退を許さない。
右の掌底を撃ちこんだ。
「頸!」
右手の掌から気が放たれる。
「かはっ!」
ガードなど突き抜けた腹部への衝撃で女学生は吹っ飛んだ。
「気を直接体内に撃ちこむ技だ。もう立てはしない」
レインの言葉通り、女学生は仰向けに倒れて起き上らない。ただ、ダメージを逃がすために荒れた呼吸を繰り返すだけだ。
油断なく、レインは女生徒の傍らまで歩いて行く。
「つ、強いのね……」
「…………お前は何者だ。何故私をつけていた?」
「ふふふ、約束だものね……」
女生徒は何とか状態を起こして座り込んだ。立ち上がることはできないだろう。
「……レイン・カッシュ。IS学園一年一組。入学前は十年間南米ギアナ高地で修行の日々を送る。使う武術は流派東方不敗。そしてその修行前は――」
「止めろ!」
言葉を遮ると、女生徒は楽しそうに笑う。
「あ、じゃあここまでは合ってた?」
「……ああ」
「でもね、それでも調べきれないものもあったのよ。例えば流派東方不敗はどんな武術なのか、とかね」
「だから実際に手合わせしてみようとしたのか」
「ピンポーン!」
人差し指と親指で輪を作る女生徒にレインは溜息を吐く。
「そのジェスチャーは〝金〟だ」
「うん、知ってる」
まともに体の動かない状況でもギャグを飛ばす様子にレインは呆れるしかない。
「ちょっと後悔してるんだけどね。もうちょっと何とかなると思ってたんだけど」
「甘く見過ぎたな」
「そうみたい。これでもIS学園最強だったんだけどね」
そう言われた所でレインには返答しようもない。そもそもレインに最強になりたいという思いはないのだ。いや、武闘家である以上最強を目指す思いはある。しかしそれは未だ影すら踏めない師匠に対するもの。また、師匠に挑んだ盲目の剣士の様な強者への勝利で、同年代の女子高生を降したところで自慢にもならない。
自惚れでなく、レインは自分の実力を判断していた。
「ねぇ」
「何だ」
「さっきは本気だった?」
「それなりにな」
少女の質問に簡潔ながら真摯に答える。嘘でも偽りでもなく、余力を残しているのだ。とは言え、当然一夏や箒との組み手よりは手加減を控えてはいた。木刀を持った一夏達よりこの女学生が強いと認めたからこその発言だ。
「お父さんの――」
「………………」
「ライゾウ・カッシュ博士の作った専用機、持ってるんでしょ?」
頷きだけで答える。
「専用機持ちなんだから、もっと使った方が良いわよ?」
「…………それを言うのも目的の内か」
「勿論」
入学と同時に、レインは専用機を受け取っていた。代表候補生ではなかったが、諸事情により断ることもできず、今まで一度も起動していない埃を被ったISを持っている。
「あのね、専用機持ちってのは専用機を使う権利を得たんじゃないの。専用機を使う義務を背負ってるのよ? そこから得られるデータに価値があると認められたってことなんだから」
「……………………」
沈黙することしかできないレインに、女学生は話を続けていく。
「格闘技を極めたいと思うのもいいけど、だったらどうしてIS学園に入学したの?」
「…………私が尋問する側だったはずだが?」
「いいじゃない。等価交換よ」
「…………師匠がこの学園に入るように言って姿を消したんだ。まだ教わりたいこともたくさんあったのに、いったい何処へ行かれたのか」
レインは受験直前のことを思い出していた。
ギアナ高地での修行中、ある日突然レインは師匠に日本に戻るように言われたのだ。元々修行中でも師匠から学問の手解きを受けていたレインは、受験そのものに苦労することはなかったが、あまり気乗りはしなかった。
「でも、それなら師匠と繋がりがある人に当たれば良いんじゃないの?」
「………………そうだな」
女生徒の助言にレインは同意をする。そのことはレインも入学してからずっと考えていたのだ。
レインがその人物に思い至ったのは、入学後専用機が用意されていることを知ったときだ。その人物は、レインが修行を終えてIS学園に入学することを、かなり以前から知っていたはずなのだ。そうでなければ製作に時間のかかる専用機を入学に合わせて作っていられるはずがない。現に四組の代表候補生の専用機は未だ未完成で、完成している一夏の白式も、千冬が以前使っていた〝暮桜〟の改造・発展なのだから。
「……だが、その前に!」
レインは傍の壁に回し蹴りを放った。
轟音が響き、壁が陥没する。
「ど、どうしたの?」
レインの行動の意図が理解できずに狼狽する女生徒に、レインは陥没した壁から目を離すことなく説明をする。
「監視してたのは一人じゃなかった……ということだ」
「え?」
「最近ずっと感じていた気配は、お前ほど簡単に気取らせてくれる奴じゃなかった」
女生徒もその説明でレインの行動の理由が分かり、苦しげに立ち上がって油断なく壁を睨みつける。
「だから私の質問に答えていたのね」
「ああ。私の様子を伺っているのなら、プライベートな話は興味を持つかもしれないからな」
「私はダシにされたってわけだ」
二人の視線が固定され沈黙する。そこに誰かが隠れていることを確信しているのだ。
「ふふふふふふふふふふふふ…………」
廊下に響く不敵な男の声。出所の掴めない声に、女生徒は目を逸らしそうになるが、レインが一切視線を逸らさないことからそれに習う。
「この私の気配に気付く程度の腕はあるようだな」
「な!」
驚きの声を上げる女生徒。
視線の先の壁からドイツ国旗の色の覆面をした男が、まるで雲か霧の中から現れるように壁から浮かび上がって来たのだ。
「か、壁抜け?」
「貴様何者だ?」
呆然とする女生徒を無視して問い質すレインに、覆面の男は威風堂々と言った風体で腕を組み、大声で答える。
「私の名はシュバルツ・ブルーダー。こうして話すのは初めてだな、レイン・カッシュ!」
シュバルツの威圧感に、レインは思わず拳を作ってしまう。レインから見ても強者であることを、体が感じ取っているのだ。
「シュバルツ・ブルーダー、ドイツ語で〝黒い兄弟〟?」
その名の意味を女生徒が呟く。その説明では偽名の可能性も多いにあるが、レインの思考はシュバルツとドイツを繋ぎ合わせる。
「ドイツ……ラウラ・ボーデヴィッヒの関係者か?」
「愚か者め!」
目を向いてシュバルツが一喝する。
「未熟な貴様に他人のことを気にかけている余裕があるのか? この学園で他人を見下すことを学んだか!」
「……未熟、だと」
その暴言にレインは拳を握り込んだ。
「なら未熟か試してみるか?」
「ふ、良かろう。だが、ここでの戦いは施設を壊しかねん。また今度相手をしてやろう!」
シュバルツが懐に手を入れる。
「さらば!」
『……っ!』
その言葉と同時に懐から取り出した物を床に投げつけると周囲が煙で満たされた。
「え、煙幕? ゲホゲホッ」
「ゴホッゴホッ! し、しまった!」
煙を掻き分けシュバルツのいた場所の視界を確保するが、そこには既に影も形もなくなっていた。
「くそ……」
「……まるで忍者――にして派手だったわね」
女生徒の言葉にレインは頷く他ない。
「だが、強い」
「…………」
気配の消し方も逃亡の仕方も、女生徒とは比較にならないことを本人も理解してるのだろう。無言で女生徒は肯定する。
「まあいい。私は授業に行く」
もうこの場に用はないと離れようとするレインに女生徒が声をかける。
「あら、じゃあ私を保健室に連れて行ってくれない?」
「自業自得だろ。歩いていけ」
「あん、いけず」
最後まで茶目っ気を忘れない女生徒に、普段なら好意を抱いたであろうが、レインはシュバルツのことが気掛かりでそれ所ではなかった。
「未熟……」
指摘されて腹も立ったが、それ以上に自分の力を試してみたい気持ちで頭が一杯だった。
久しぶりに〝武闘家〟の魂が燃え上がった。