アリーナに併設された第二整備室で少女は一機のISと向かい合っている。簡易ディスプレイである眼鏡越しに少女が見つめる水色のISの名は〝打鉄弐式〟。日本で最初の純正第三世代機となるはずだった機体だ。第二世代機である打鉄の発展形ではあるがその形状は全く異なっており面影は部分的に残すのみだ。まず装甲が徹底的に薄くなっており、無骨な打鉄と比べてずっとスマートなシルエットになっている。またスカートアーマーは独立したウィングアーマーへと変更されていた。安定性と防御力に重点を置いた打鉄に対し、打鉄弐式のコンセプトは高機動重火力、共通点を見出す方が難しい。
少女は手持ちのデバイスを打鉄弐式に繋ぎ制御プログラムの調整を始める。今の打鉄弐式は単体では姿勢制御すらままならない状態だ。武装でも機動でもその全ての元となる制御プログラムが完成するまでは先には進めない。
打鉄弐式は未だ未完成の専用機だった。
「すまん、待たせた」
その声を聞いて少女は振り返る。近寄ってくるのは鉢巻をした同い年のお節介焼きだ。少女の作業を自分の勉強も兼ねて手伝わせろと言ってきて、どんなに断っても強引に押しこみ仕方なしに手伝わせている女。
「レイン……」
少女は相手の名を呟いた。レインの姿は共に活動することの多い織斑一夏を連想させるに十分すぎる。それが自分でも理不尽だと思い持て余している感情を大きく揺さぶって湧き起らせるのだ。
少女――更識簪《さらしきかんざし》は日本の代表候補生である。本来であれば所属する四組のエースかつ専用機持ちとしてセシリアと華々しく腕を競い合っていたはずの少女は、イレギュラーである織斑一夏の登場によって最も割を食った存在だ。一夏が悪いわけではいと理解しながらも、簪は彼を悪い意味で意識しない訳にはいかなかった。
しかし、レインはそんな簪の胸中など意に介した様子もなく打鉄弐式の脚部装甲を取り外す。ソフト面の調整を傾注している簪に代わりハード面の整備を受け持っているのだ。
その手腕はとても四月まで一度もISに触れたことがなかったとは思えないほどで、代表候補生である簪でさえも素直に脱帽せざるを得なかった。脚部にかかる負荷を最小限に抑えるためには関節部の調節は不可欠だ。関節強度が高すぎればIS特有の自由かつ繊細な挙動が取れなくなり、逆に柔らかすぎればパワーアシストも加えた際に破損してしまう。そんな作業をレインはずっとこなしていた。
「ねぇ……」
「何だ?」
お互いに顔を向けることも手を止めることもなく簪が話しかける。
「今日も、織斑一夏と訓練?」
「ああ。学年別トーナメントが近いからな」
何でもない風に話してはいるが、学年別トーナメントの一言に簪の胸は締め付けられる。本来であれば自分も出場していたはずの大会だったが、一夏の白式開発のために研究員が動員されたため、同じ倉持技研で作られていた打鉄弐式は無残にも放置されることとなった。簪はそのときの自分が高校生活に思い描いていた夢が崩れる思いをどうしても想起させられてしまうのだ。
「タッグマッチになったって聞いたけど?」
「あいつは組む相手には困らないだろう。何と言っても世界で唯一の男性操縦者だ。一緒に出るだけで世間の注目を集めるだろうさ」
未だに一夏への世間の関心は大きい。それは簪も十分に承知していることだ。だがそのことと今は一切関係がなかった。レインの返答が自分の意図とかけ離れていることを察した簪は質問を変える。
「レインはどうするの?」
「私は出る」
「相手は?」
「あてはあるが、これからの交渉次第といったところか」
初めてレインと会ったときはこんな答えは返ってこなかっただろうと簪は考える。当初は自分からISと距離を置くような行動が多かったレイン。簪への協力も勉強の一環でこそあるが、それを自分のために使おうという意図は一切感じられなかった。
それが、彼女が専用機を使用してラウラと戦ってからは一変したと言っても過言ではない。最近ではソフト面への興味も増したようで、ヤマトを更に自分に最適化させるためにプログラムを弄れないが簪に相談してきたくらいなのだ。
ディスプレイを直視し続けていた簪だったが、ふとその注意をレインへと向けてしまう。馴れた手つきで作業をするその姿を見てIS操縦者、ましてや生身では超高校生級の武闘家だと思う者がどれほどいるだろうか。簪にはむしろ今の在り様の方がレインの本質に近いように感じられた。勿論そこにはレインの父や兄が世界でも上位に来るIS研究開発者だという色眼鏡もあることは否定しきれないが。
「どうした?」
視線に気付いたレインと目が合い慌てて簪は目を逸らす。不思議そうな顔をしながらも作業を再開するレインを見ずに声をかける簪。
「…………お父さんとかお兄さんのこと、意識しないの?」
それは以前から簪が抱いていた疑問だった。優秀な身内と比較される苦悩は彼女にとっての人生の課題だ。一つ違いでありながらも自力で専用機を完成させロシアの代表となった姉は常に壁となって簪の心に重圧をかけてくる。
そしてレインも同様に父と兄は優秀なIS研究者として知られていた。その彼女が武闘家と言う全く別の道を選んだことに、同類としての共感が働いたように簪は思うのだ。
僅かだがピタリとレインの手が止まる。少し思案するように目を閉じるとゆっくりと作業を再開した。
「するさ……。しない訳がない」
目を開いたレインは敢えて作業中の箇所を凝視して意識を一点に集中する。いつだって彼女の心にあったコンプレックスは顔を出すだけでもそれなりの苦痛をレインに与えるので、それに耐えるよう心を定めるための作業だ。
「何をやっても勝てない兄に一度くらい勝ちたかった。それが私が武術を学んだ理由の一つだから」
「………………そうなんだ」
いつもの男のような言葉遣いとは違う優しく静かな女口調に簪はレインの本質を見た気がした。普段もきっとレインの本質であるには違いない。だがそれは強い〝武闘家〟レイン・カッシュなのであり、きっとそれ以前から持っていた〝人間〟としての本質はむしろ女性らしいものであるのだろうと推察する簪であった。
そしてそれを簪は羨ましく思う。同じ身内に劣等感を持つ者同士でありながら、父や兄とは別の道を修めその後結果として同じ道に来たレインと異なり、ただ姉の後ろ姿を追いかけるだけの自分が堪らなく弱く感じるのだ。自分も姉とは違う道で姉と同じように功績を残せたかもしれない、しかしもし残せなかったら……。そんな思考が無意識にあったのかもしれない思うだけで簪は自分のことを罵りたくなった。
「でも……それって逃げたのかもしれない……」
自嘲するレインの言葉に簪は驚く。まるで反対の感想であることとレインから弱気な発言がでたことが意外だったのだ。
「そんなことないと思う。レインは流派東方不敗を修めた一流の武闘家だし」
「そうだったら良かったんだけどね……」
「違うの?」
「私なんてまだまだだった。少しぐらい腕が立ってももっと強い人間はいくらでもいる」
その言葉は簪の想像を超えていた。簪から見たレインの強さはおよそ常識外れのものでしかなかったが、そのレインをして未熟と言わせる者が存在するのか。
勿論簪はレインがそんな嘘を吐くとは考えていない。だが人は己の経験の中からしか物事を推察できないものだ。簪にとって生身での戦闘能力の上限がレインである以上、その上は直接その眼で確かめないことには想像すらできないものであった。
「だから今は謙虚になろうと思っている。学べることは全て学んで更に上に昇るために」
淡々と語る内容に簪は身震いする。つまりレインはあらゆる点で父兄に勝とうと挑んでいるのだ。
姉を完全に超える。
そんな自分は夢想だにしなかった。自分が追いかけることばかり考えてその先は一切想像の埒外だったのだ。しかし本当に追い付くためには絶対に必要なビジョン。辿るべき過程だけではなく、辿り着くべき結果がなければ無意味だ。
「その、師匠とかにも勝てると思ってるの?」
「いつか。今は無理でも必ずあの頂に私も立ちたいから」
レインからの返事に淀みはなかった。根拠があろうとなかろうとただその未来だけは信じていることが伝わる。だからこそレインは全てに全力で打ち込んでいるのだろう。覚悟を決めた彼女にとって残るのは力の限り駆け抜けるのみなのだ。
(負けたくない、な)
同類と思っていた少女の強さを、体の強さではなく心の強さを見せられて初めて簪は人に勝つことを渇望した。
そして少しだけ理解する。何故レインが織斑一夏に肩入れをするのか。憧れる人物に追い付きたい、勝ちたいという思いはむしろ簪よりも一夏の方が強かったのだ。彼女は自分と一夏を重ねている。
(今回は無理だけど……)
未完成の打鉄弐式のことを考えると学年別トーナメントに出場することはできないと諦める簪。だがその心には一つの小さな野望が灯っていた。
(いつか……織斑一夏と戦おう)
レインの肩入れする少年がどれほどの決意と力を持っているのか、それを自分で確かめるという本当に小さな野望を。