東京喰種√H   作:三木春

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≪登場人物モデル≫
アンドレア:ディノ・デ・ラウレンティス
エドワルド:デヴィッド・ストラザーン
バリスタ :アーシア・アルジェント
シスター :ラウラ・パウジーニ


共 有 : 02

古びた見た目に反して音一つたてず滑らかに動いた扉の向こう、薄暗い店内に客は2、3人しかいなかった。カウンターの奥で背を向けてカップを拭くバリスタもこちらに気付いた様子はない。客と話し込んでこちらに目もくれないバールの店員など珍しくもないが、逆は青年にとって初めての経験だった。客が居るにも関わらず、店内に会話が一切無いこともイタリアのバールにあるまじき光景といえよう。

 

Scusami, Signorina.(すみません。)注文しても宜しいでしょうか。」

「あら、ごめんなさい。ちょっとぼうっとしてて。」

 

応えたバリスタは若い女性だった。丸窓から彼女の左肩に差し込む光、「妖艶な」と言って差し支えない容姿が相まって、どこか話しかけることを躊躇わせる不思議な雰囲気を纏っている。

 

「カフェを2つ。どうです景気は。シーズンが過ぎて観光客も減ったのでは。」

「元々この辺りは観光客が散策するような地域ではありませんから。常連さんばかりですよ。」

「常連ね、見たところ年齢層は高めのようで。新規層の開拓は必要でしょうかな?」

 

振り向いた彼女に思わず続く言葉の出なかった青年に対し、詩情あふれる感想なぞ欠片も抱かぬアンドレア。店内を一瞥しながら言いたい放題である。情緒とか静寂という言葉はこの男の辞書とは無縁だ。喰種が解さぬそうした感覚は長年の捜査でとっくに擦り切れていることは、当人が一番よく知っていた。

 

「あら、そんなことはありませんよ。私と同じ年頃の女性だってよくいらっしゃいます。」

「いやいや、我々の様なカフェの違いの解る男性陣を取りこんだらいかがかな。こんな界隈だ、高嶺の花に手を伸ばす無粋な輩がいないとも限りません。」

「まぁ、お上手。ではカフェと一緒に手の届かないもっと高くに咲こうかしら。」

「これはつれないお言葉ですな。」

「花は愛でるものであって摘み取るものではありません。」

 

他方、中年からの不躾な評価を軽やかに受け流した彼女は、ずけずけと物を言う男たちを変わった人だと思いながら、笑顔だけは忘れない。ここらでは見慣れぬ顔に日本人とイタリア人という組み合わせ。彼らの素性についてバリスタが答えを抽出する前に、エスプレッソマシンが黒褐色の液体を2杯の小さなカップに満たし切った。

 

ややあって、どうぞ、と差し出された至福の一杯に、口さがない中年は無造作に、彼女に見惚れていた青年は一瞬遅れて手を伸ばした。

 

口に含んだ瞬間、オレンジのような酸味と甘みが広がる。アメリカンに比べて遥かに濃く抽出してあるにもかかわらず、苦みは喉を通った瞬間に寧ろ清涼感を伴って抜けていく。

 

青年は思わず顔を綻ばせ、同時にアンドレアがここを選んだ理由を思い出し、緩んだ顔と気持ちを引き締める。だが、美味しいものは美味しい。別に味わうことを咎められているわけではない。どうせこの後嫌という程別の上司の不興を買うのだ。この一杯を楽しんで何が悪い……。

開き直った青年は、元々量の少ないエスプレッソをことさらゆっくりと飲み干した。

 

その上で、これは「当たり」ではないかと隣を見やる。

見やって、後悔した。「当たり」どころではない。「大当たり」だ。

 

エスプレッソを飲み切り、こちらを品定めするかのようにながめるアンドレアは、いつもの如く人を食ったような表情を浮かべ、しかし目つきだけはがらりと変わっている。小さく頷き、バリスタにGrazie.(ありがとう。)と言って店を後にするその足取りは、つい先程よりも明らかに力強い。

 

獲物を狙う鷹の様な目つきをし、風を切って歩くようになったこの男がどれだけ好き勝手動き出すか、青年は知っている。これまでも、これからもそれにつき合わされ、後始末に奔走するのは彼自身なのだから。

もはや諦めの境地に達し、せめて素晴らしい店に連れてきてくれたことだけは感謝しようと、すでに店の外に出つつあるアンドレアの背中を追いかけようとした青年は、しかし後ろから艶のあるバリスタの声に呼び止められた。

 

「どうしました?」

「代金。2ユーロです。」

 

 

 

 

 

あの、禿中年。

 

 

 

 

 

車に戻った開口一番、アンドレアがどう思う、と問い詰めてくる。

聞くのは構わないが、尋問同然の圧力で迫ってくるのはやめてほしい。後、奢ると言った約束はどうした。青年は頬を引き攣らせつつ、しかしはっきりとした口調で「()()()()()()()()()()()()()」答えた。

 

「いるとは思います。ですが、バリスタの彼女かどうかはわかりません。」

「お前の勘じゃ、どっちだ。」

「……難しいですが、違うのではないかと。」

「正解だ、若造。上出来だ。」

 

彼が何時でも何処でもバールに入り浸るのは、何もさぼり癖によるものだけではない。

無類のカフェ好きだったアンドレアに神が与え給うた恩恵、それは「カフェの味でそれを好むのがどのような喰種かが解る」こと。15年以上ローマで喰種を狩り続けた彼は、その才能を経験でもって昇華させ、「それが喰種の淹れるカフェかどうか」まで山を張れるようになった。

「一杯のカフェと一分の会話で喰種を嗅ぎ分ける」と称えられた、イタリアに7人しかいない()()()、アンドレアの「特技」がこれである。

 

「ついでに言うとだ、あの手の味を好む喰種は大抵腹に一物かかえてる。舐めてかかると痛い目見るぞ。」

「…肝に銘じます。「ルマーカ」好みの味でしょうか?」

 

惜しむらくは、「特技」にひっかかった喰種が自分たちの捜査している喰種かどうかは別問題ということであろう。結果的に喰種を討伐できても蓋を開ければ他班の獲物だったことなどざらであり、青年の意識はせめて自分たちの獲物が引っかかってくれる可能性があるかどうかに向いていた。

 

「赫子を出して人を殺した癖に、何処も喰わずにほったらかす様な奴だ。ああいうお上品なカフェは似合いだよ。」

 

どうやら余計な始末書は書かずに済みそうだと安堵する青年。

一方、目下捜索中の喰種の下馬評を彼の頭に叩き込みつつ、アンドレアは先程のやりとりに心中頷いていた。やはり、この若造はいい感覚を持っている。OSGで組まされた新人は腕や頭は良かったが、アンドレアの持つ感覚を理解できなかった。それでは、無意味だ。腕も、頭も、自分以外の連中がどうとでも磨いてやれる。自分が育てるべきは自分の経験を五感で受け取れる奴でなければ駄目なのだ。

そう思いながらも傍からは新人潰しと敬遠され、半ば厄介払いで送り込まれた国際共同捜査班でのことだ。この若造を見つけたのは。

 

「レートはA~。いえ、貴方の言を踏まえれば確実にSは行くでしょう。殺しだけで捕食しないとなると、食料を持ってくる別の喰種がいる可能性もあります。万全を期すならやはり増援を要請すべきではないでしょうか。」

 

とはいえ、課題は山積みである。まだまだ舌は粗いし、尻も青く度胸も足りない。なにより殺し合いの腕が平凡だ。成れても騎士、あちらで言うところの準特等に滑り込むのがやっとだろう。単独でレートSS討伐経験のある自分はともかく、この若造にそれを求めるのは余りに早い。

 

「ま、確証が取れればあの頭の固い紅茶野郎も動くだろう。それまでは大人しく捜査するとしよう。」

「大人しく、慎重に捜査しましょう。私は五体満足で帰国したいんです。」

「なんだ、恋人でも残してきたのか?」

「いえ、猫を一匹。飼っているわけではないのですが、可愛くて。」

「猫なんぞ、アレア・サクラに掃いて捨てるほどいるだろうに。飼うなら犬にしろ。従順で飼い主を裏切らない。」

「…だから嫌いなんです。猫みたいに自由奔放に生きる姿が動物の本来の姿でしょう?」

「ほう。お前、女に振られたことあるだろ。」

「……プライベートな質問には答えません。」

 

図星であった。大方仕事に没頭しすぎて愛想を尽かされたクチだろう、と口には出さなかったアンドレアの予想も100点満点大正解である。いわゆる「仕事と私とどっちが大事なの?」の二者択一に失敗し、彼女に振られたのは1ヵ月と少し前。その直後に実質左遷され、赴任先で上司が殉職して碌でもない中年とコンビを組まされと、落ち目が続く今日この頃。

忘れようと努めていた古傷を抉られ、燃え尽きている青年を横目に、色恋についても教えることが増えたとアンドレアは内心一人ごちる。だが、悪くない。久しぶりに手ごたえのありそうな喰種が相手で、隣には面白い若造がいる。決して、悪くない日々だ。

 

かつて多大な功績を挙げながらも、後進を認めない独断専行にOSG内で孤立したアンドレア。やがて一人永遠の都を彷徨うことにも慣れた。だが小生意気とはいえ同類の若造が隣にいる今、徐々にかつての志が色を取り戻していることを、確かに感じていた。

 

ほんの僅か口元を緩めつつ、この若造をどう仕込んだものかと思案する禿頭の中年捜査官と、なぜわかったのだと内心冷や汗をかきつつ表情を取り繕う青年捜査官。

2人の乗る車はヴィットーリオ・エマヌエーレ2世橋を越え、騎士団の本部の置かれる場所にして世界20億とも言われるキリスト教徒の総本山、バチカンへと向かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不思議な2人組だったな、と2ユーロ硬貨をキャッシャーから取り出しつつバリスタは思う。彼女自身、自分の店を持ってまだ1年だが、接客経験はバイト時代から通算で5年。決して短くはないキャリアの中でも、あの2人は一風変わっていた。

カフェを出した時。日本人の青年は意識の全てをカフェに向けた。まるで彼女の様に。一方、舐めるように味わった後一気に残りを飲み干したイタリア人の方は日本人しか見ていなかった。あの目は、カフェのいろはを叩きこんでくれた祖父が、自分の手際を見る目と同じだった。

 

「ごめんなさい。遅くなったわ。」

「あら、いらっしゃいシスター。いつもの時間に来ないからどうしたのかと思っていたのよ。」

「ちょっと子供たちが喧嘩しちゃって。まだ、開いている?」

 

噂をすれば影、というわけではないが、意識がいったと同時にバールの扉が開き、件の彼女が現れた。あの日本人の様に、初めて自分のカフェを見てくれた人。こうして自分が店を持つという夢の、後押しをしてくれた人。今日も相変わらず孤児院の悪ガキに翻弄されたらしい。

 

「大切な友人が来たのよ。御馳走するわ。ドルチェが余っているけどどう?」

「いいえ、あの子と食べてきたの。カフェだけでいいわ。でもどうしたの?いつもよりもちょっと機嫌がいいみたい。」

「あなたが来なかった代わりに、変わったお客さんが来てね。バリスタの修行をしてるのに2()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ね、ちょっと変わってるでしょ?」

「…ええ、そうね。変わってるわ。ねぇ、どんな人達だったかもうちょっと聞かせてくれる?」

 

いつもは向かい合って静かに楽しむカフェだが、彼女も興味を持ってくれているようだし、たまにはおしゃべりしながらでもいいだろう。手際よくエスプレッソマシンを操りながら、時計に目を向ける。

 

時刻はそろそろ16時。永遠の都に夜の帳はまだ、降りない。

 

 

 

 

 




※コーヒーについては淹れるも飲むも素人です。
※主人公の名前は当分出ませんので、あしからず。

2/8:バリスタとシスターの会話における表現を一部修正
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