東京喰種√H   作:三木春

7 / 9
≪登場人物モデル≫
シスター :ラウラ・パウジーニ
ルナ   :シャーリー・テンプル
ジャンニ :ジェイク・ロイド
老シスター:ヴァージニア・アン・リー



聖 母 : 07

ジャンニはもう見つかったのかな。

 

少女は学校からの帰り道、未だ行方の知れない少年を案じていた。

まだ年端もいかない我が子が勝手に家から跳び出し喰種に襲われかけたと聞いた両親の動揺は凄まじく、ルナは初めて父から頬を平手打ちされ、母に抱きしめられて号泣された。普段は温厚な父がそれ程までに怒り、いつも明るく笑う母が堰を切ったように泣くのを目にした少女もまた自分の軽挙を深く反省。今日は大人しく学校へ登校していた。それでも少年の姿が頭から離れてくれない。結局授業も上の空で、気がつけば学校は終わっていると言う有様であった。

 

気分が晴れないまま、帰宅したルナを最初に迎えてくれたのは母ではなく、スーツをきっちり着こなし、アタッシュケースを持つ強面の男達。どうせ守ってくれるなら、あのきれいなおねえさんか、やさしいおじさんがよかったのにな、と思いつつ玄関の扉を開く。ちなみにその「おねえさん」は「おじさん」よりも年上であると少女は知らない。無知と無邪気とは実に恐ろしい。

ドアの向こうには、母ともう1人。件の「おじさん」がいた。こんにちは、と柔らかに話しかける青年。だが、子供心ながらに、彼の身に纏う雰囲気が昨日よりも冷たくなっているように思え、ルナはか細く、こんにちはと返した。

 

「ジャンニは?」

「まだ見つかっていないから、助けて欲しくてここに来たんだ。一つ教えて欲しいことがあってね。」

「最後にジャンニ君と会ったのは何時?」

 

なんでそんなこと聞くんだろう。と思いながらも、すぐに答えることはできなかった。母に聞かれたくない内容が混ざっていたからである。母がお茶を持ってくるために席を外した隙に、時間や場所も言わないと駄目?と問うと、それも約束かい?と返された。コクンと頷く少女を見て、青年はしばし黙考。

応えたくない内容が混ざっていると見て良い。一瞬だが母親に目をやったから私にというより親に聞かれたくないのだろう。問い詰めるなら今の内か。

 

「最後に会ったのは何日前か教えてくれるかい?」

「……1週間前」

「じゃぁ、これが最後の質問。会ったのは朝?それとも夜?」

「…夜」

 

うつむきがちに答えると、ありがとうといって青年は席を立った。

その後すぐに家を後にする青年を見送りながら、何故か自分が取り返しのつかない事をしてしまったのではないかという思いに、ルナは心を苛まれていた。

 

 

 

 

 

最初はただの気紛れだった。

観光客など見向きもせず、人が居るのかも定かではない荒れかけた教会。隠れ家にでもなるかと忍び込んだその先には、1人の老いたシスターがいた。こんばんは、こんな時間にいらっしゃるなんてお祈りですか?と問われ、喰種はとっさに頷いた。

 

案内された聖堂は、磨きこまれた石でできているとはいえ、ぞろぞろと外からやって来る人間共が群がる絵画も彫刻もない。

ただ、その最奥に一体の像があった。赤子を抱いた女性の像。神の子とその母親。神がそこにいるわけでもなかろうに、こんなものに毎日祈るとはやはり人間というのは理解しがたい。

 

――そもそも、私達(グール)を化物扱いする「神」など、ただの人間よりも性質が悪い。

 

神の御意志の下になどとふざけたことをほざきながら襲い掛かってくる喰種捜査官など、文字通り吐いて捨てるほど目にしてきた。お前たちなどいなければ、喰種は今よりは穏やかに暮らすことができたかもしれないのだ。

その像を睨みつけていると、立ち去ったはずのシスターがいつの間にか背後に立っていた。

 

「汝の隣人を愛せよ。主はそう仰りました。」

「…そうですね。」

 

胸糞悪い。喰ってやろうかこの婆。

 

「信仰を持ったその時から、主は常に私達の傍で、心の支えとなり、愛を伝えて下さります。」

「ですが、私達の心は弱い。信仰を持っていようとも、孤独の中でそれを保ち続けること程、困難なことはありません。だからこそ、主はこの教えを私達に残して下さったのです。貴方が貴方の隣人を愛し、隣人もまた貴方を愛する。その繋がりを作り保つ場所がこの聖堂です。貴方が何に祈っているのか私には解りかねます。ですが今日、貴方は私の隣人となり、私も貴方の隣人となりました。苦しい夜、孤独に苛まれる夜はいつでもここにいらして下さい。」

 

言うだけ言って、自分もまた黙して祈り始める老婆。

 

結局その日、シスターを喰うことはできなかった。

 

 

 

 

 

その日から喰種は、この教会に度々足を向けた。いつ来ても良いと言われたのだ。痕跡を残さず食事をした夜。うっとおしく絡んでくる同種を面白半分で壊した夜。適当に忍び込んで朝まで時を明かしても、シスターは何も言わず、やはり近くで祈るだけだった。

稀に、彼女が朝食を持ってくることがあったが、祈りの場所を貸して頂くだけで結構ですと断った。なら代わりに席だけでもご一緒してくださいなと言われ、小さな机を共に囲む回数が増えた。何が嬉しいのか、微笑みながら日々の糧を口にするシスター。自分の前には湯気の立つカフェの入ったカップが一つ。いつも自分が先に飲み終わり、彼女の食事を眺める羽目になる。

……自分も同じものが食べられたらなら、彼女の様に微笑むことができるのだろうか。

 

そう思うと、人肉を漁る自分が少し惨めになった。

 

生来会話を楽しむ性格ではなく、シスターも口数が多い方ではなかったため、互いの間には大抵静寂が満ちていた。乏しい会話の中で、シスターは喰種に神の教えを伝え、喰種はその日見たささいな光景を言葉少なに語る。何故この老婆は外に出ないのだろうか。

シスターとはそういうものだと随分後で知った。もう長い間、1人この教会に住んでいるという。貴方とお話しするのが楽しいわ。とにこにこしながら彼女は立ち去る喰種を見送ってくれた。

……自分も人間に生まれていれば、彼女の様に他者との関わりを喜べたのだろうか。

 

そう思うと、人を喰らう自分が、何を楽しんで生きているのかわからなくなった。

 

次第に喰種は狩りを控えるようになり、死体を見つけて食べるようになった。教会へ訪れる回数が増え、シスターに話しかけることも増えた。今日は彼女に何を話そうか、そう思って歩くと、いつもの街が何故か新鮮に見えた。

 

少し、毎日が楽しくなったような気がした。

 

 

 

 

 

ある夜のこと。喰種は同族狩りに遭った。数こそいれ、どいつもそこまで強くはない。全盛の自分なら十分対処できる連中。

だが、肉を食べる機会の減った喰種は戦闘に勝ったものの、負った傷を治しきることができずにいた。更に面倒なことに戦闘を喰種捜査官に嗅ぎ付けられ、市内には警戒網まで敷かれていた。

折しも降り出した激しい雨で、臭いが薄れることを幸い、喰種は件の聖堂に転がり込んだ。

シスターは見当たらない。この近辺にも捜査官がうろついている。あまり長居はできない。それでも、すっかり慣れ親しんだ場所が喰種の警戒心を一段階下げた時。

 

扉の開く音がした。

 

とっさに赫子を展開し、扉の奥に見えた小柄なシスターの姿に安堵する。だが次の瞬間、自分が何をしたのかに気付く。自分の正体を、晒してしまった。呆然となっている喰種に追い打ちをかける様に、聖堂に隣接したシスターの住む家の側のドアを叩く音がした。

喰種に何も言わず、そちらへ向かう老婆。今の隙に逃げなければと思いながらも、体が動かない。

 

「夜分遅く失礼致します。先ほどこの付近で喰種の縄張り争いがありまして、何か不審な人影などご覧になってはいないでしょうか、シスター。」

 

もう、ここまで来たのか。神の家に転がり込んだ自分の下にやってきたのは、死神だったという訳だ。皮肉すぎる結末に笑えてくる。喰種には、すがる神などいないのに。だが、シスターが発した言葉が喰種の運命を変えた。

 

「ごめんなさいね。ここから出ていないものだから、怪しい人や知らない人など見てはいないの。」

 

ご用心を、捜査官が去って行った後、シスターは喰種の所に戻ってきた。

喰種の体は、まだ思うように動かない。

 

「どうして、嘘をついた。」

 

汝偽証するなかれ。神の教えではなかったのか。

 

「シフラとプアという助産婦は、「ヘブル人の女性が男の子を産んだら殺せ」という王の命令を、神を敬う心から拒否しました。彼女らが嘘をついて王の詰問をやり過ごした時、神はむしろ彼女らを祝福なさいました。人よりも神に従い、王よりも神を畏れたからです。それに、貴方は怪しくも、見知らぬわけでもありません。気紛れにやって来るけれど、私がここから出ない事を不憫に思って、私が行くことのできない場所や、見ることのできない光景を教えてくれる、優しい「人」ですよ。」

 

 

 

 

 

それから、喰種はシスターの家に住むようになった。死体を探すか、目に余る同族を倒すことで糧を得、シスターと共に、あるいはその代わりに祈りを捧げて暮らす日々。

だが、そうして過ごせば過ごすほど、自分がここにいる意味がわからなくなった。平穏ではあるが、もしシスターがいなくなったら、自分の生はまた、誰からも必要とされないものに戻ってしまう。

 

そして、そうこう悩んでいる内にシスターは逝ってしまった。貴方はこれまで、孤独な私に生の喜びを与えてくれた。だからこれからは私以外の誰かにその喜びを分けてあげてね、という言葉を残して。

 

教会に1人住みながら、それから抜け殻のように過ごした。誰かと関わろうにも、「人」と関わることは難しい。今更喰種の世界に戻ることも嫌だった。

自分はこのままこうして死ぬまで日々を消費するだけなのだろうか。これまで犯した背負いきれぬ罪から、目をそらし続けて。

 

 

 

 

 

そんなある日。死体探しの途中、喰種捜査官が徘徊する地域で、同族の流す血の匂いに気付いてふと路地に入った。

血の主は女性であった。腕に何かを抱えている。こちらに気付くと後ずさったが、臭いで同族とわかると、逆に懇願するような表情でこちらに近付いてきた。

 

「お願い。この子だけでいいの。どうか安全な場所に匿って下さい。」

 

腕に抱いていたのは、あどけない表情で眠る子供だった。喰種は母親を見やる。出血がひどい。恐らくはクインケによるものだろう。この傷で接近しつつある捜査官から逃げられるとは思えない。

 

瞬間、今際の際のシスターの言葉を思い出した。

そうだ、私は、私が、これから母を亡くし、世界に絶望してしまうかもしれないこの子供に、生きる喜びを与えてあげられるのではないだろうか。シスターにしてあげたように。シスターがしてくれたように。それが、私が生きる意味になるのではないだろうか。私の罪は消えずとも、それを贖うことができるのではないだろうか。そう思うと、この場に居たことが運命にすら思えてきた。

 

「…この子の名前は?」

 

 

 

 

 

ジャンニという名の男の子を引き取ってからは、毎日が驚きの連続であった。子供というのはこれ程までに危なっかしいのかと肝を冷やしたことも数えきれない。

教会の近くに住む人間には、玄関に置き去りにされていた捨て子だと偽った。すると、住民たちから食料などが届けられるようになり、見向きもされなかった教会に人の声が響くようになった。

食事は自分の肉を切って与え、どうしても入用になった時だけ、身寄りのない者の葬儀にかこつけて遺体の一部を頂いた。人も狩らず、その身が無垢のまま育つ少年。

喰種として生まれながらも、間違いなく「人」として生き、少女と心を通わすこともできる。賢く、すばしっこく、そして優しい、私の下に舞い降りた天使。

 

この子のおかげで、外に出て再び「人」と交流することができた。そして、大切な友人すらできた。ただ、死と罪の上に日々を積み重ねていたあの頃があってなお、自分もまた「人」であれることを教えてくれた。

我が子を抱くマリアの慈愛に満ちた瞳の意味が、今ならわかる。自分勝手であることは解っている。それでもこの子は、私の生の全てなのだ。

 

だから、何があっても護り抜いて見せる。この子には、決して罪を背負わせない。――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「目標発見。「ルマーカ」と思われます。本隊の到着まで、こちらで引き止めます。」

 

これが、私の命の最後の使い道。

 

 

 

 

 




~うらがき~
未だ名前の出ていない主人公が東京喰種の中で一番好きなのですが、
鉢川さんが2番目に好きです。3番目は平子さん。

鉢川さんと入見さんの悲恋ものとか、読んでみたいと思うのは私だけでしょうか。
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