果たして誰が知恵をもたらしたのかわからないが、窓が少なく、建物の角に細長い石造を垂直に積み上げた長短工法による石造建築は、この世界に於ける一般的な建物として広まっている。
装飾品のみならず、そういった様式美を持った建造物は
強さこそ全てとも言える強靭な肉体を誇示するビーストマンの国も、限りある国土で年々増加する人口をまかなうために、高床式の木造建築などから生活様式が変わって1世代ほどは経った。
推定人口10万人というビーストマンの住まう国土の中でも有数の都市。
その地を治めるのは、国王にも匹敵する権力を保持した元老が治める領地であり、東の山脈の麓一帯に広がる土地だった。
そんな長い年月を経て発展してきた都市は、光源のない夜分にあっても周囲を照らす明かりが街中から零れている。
さすがは夜行性も多い種族も抱える都市だと普段なら関心するものだが、その温かみを感じる明るさとは対照的に、街の住人達は喧噪や悲鳴交じりの鎮魂歌を奏でていた。
「こんなことが・・・あって良いはずがないのじゃ」
贅沢を極めていたであろう、でっぷりとした腹部を苦しげに揺らして、卑しい目つきの獣人のうつろな表情で街から遠ざかる。
背にして振り返ろうとしない街並みからは、大地を震わすひときわ大きな嘶きが3つ。
とても生者が発するとは思えないそれは、逃げる獣人の足を早くさせる。
「儂の・・・元老たる儂の治める地でこのような・・・・・・」
紡ぐ言葉は呪詛となり、恨みで相手の命を奪えるのであればどんなに容易いことか。むしろ、あれ程の怪物を野に放った彼の者が呪詛を紡げば、恐らくは本当にあらゆる生命を刈り取ることが出来るだろう。
最早、都市に住まう住人は一人残らず助からないだろうことから、元老パーシアンが逃げ延びねばこの大虐殺が誰によって引き起こされたものなのかも隠されてしまう。
真実とは勝者が作り上げるものである。この世界で2〜3指に入るビーストマンという種族の栄光の歴史も、まさにそれを物語っているのだ。
今回の元老パーシアンが統治する都市への襲撃で、大幅に勢力を失うことになった彼らが、この先の世界で強者として君臨し続けるのは困難であろう。表面上は表立ってぶつかり合うことの無かった
彼らの種族に待ち受ける絶望的な未来を悲観する元老パーシアンは、既に都市部からの喧噪が聞こえなくなった場所にたどり着いていた。
このまま何とかして生き残るにはどうするべきか、豚の様な鼻から息荒く呼吸を整えながらビーストマン国の首都に情報を持ち帰る方法を模索する。
贅沢により溜め込んだ脂が排出されるよう、醜い顔中に湧き出る汗を脱ぐうべく一息を着く。フーフーと短く呼吸を繰り返し、近くにあったちょうど良い大きさの岩に腰掛るために手を伸ばした。
しかし、体重を支えてくれるはずの腕は力が入ることなく前のめりに岩に倒れみ、顔面を強打すると共に激痛が走る。
一瞬、何が起きたのか自身でも理解できないパーシアンは、少し重めの何かが地面に落ちる音を耳にすると、岩に押し付けた顔に生暖かい液体がかかった。
それが何か理解する前に、何十年も調律をしてこなかった弦楽器を無理やり弾き鳴らした様な、不快な音が馬上ほどの高さから発される。
「貴様が最後の一人だ。我主の命に従いその命を頂戴する」
どことなく高潔な口調を思わせる言葉が死刑宣告を告げると、そのおぞましい声色も相まって一気にパーシアンから体中の体温を奪った。
肘から先が無いことにようやく気がついたのは、視界が揺れて醜く太った身体を正面から見ることになってからだった。
元老パーシアンが最期に耳にするのは、街に死を告げた馬の嘶き。
それは6柱の神が降臨してから1週間後に起きたとされる伝承の一幕である。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
太陽が真上に頂く真っ青な空を、純白の天使達が賛美歌を奏でて舞う。
その日、強大な軍事力を誇るビーストマンは牙を失った。
スルシャーナが死の神として顕現した時と同刻、ビーストマン約350名からなる救出部隊はアントゥールダウン城砦を襲撃した。
種として劣る人間の守る拠点などを攻めるのは、本来ビーストマンから考えれば攻防とは言えない一方的な虐殺である。
だが、襲撃と同時に彼らの誰もがそのような甘い考えは捨て去った。
城壁の上から群がる獣共を見下ろした聖職者は、袂を揺らして両手を広げると、低めの声量で周囲一体に声を響かせる。
「《アーマゲドン・グッド/最終戦争・善》」
虫の鳴き声、風の切る音、ビーストマンの足音、息遣い、武器や防具の打ち鳴らす喧騒、それら全てを含めて戦場から音が消え去った。
ドの全音。金管楽器の音が響く。
大気から零れ落ちる様に淡い光の玉が現れた。
レの全音。金管楽器の音が響く。
淡い光の玉は周囲を覆い尽くすべく、無数に、どこから現れるのかわからないまま無尽蔵に生み出された。
ミの半音。金管楽器の音が響く。
周囲を覆う淡い光の玉は大小様々な大きに変わり、空気中の見えない流れに乗って漂い始めた。
ファの全音。金管楽器の音が響く。
淡い光の玉は、その形を残したまま隣り合った光と結合を始めて、大きさを変えていく。
ソの全音。金管楽器の音が響く。
淡い光の玉は無数に人型を形成し、召喚主の真上に位置する1体のみがその大きさを増していた。
ラの全音。金管楽器の音が響く。
人型の淡い光の玉は4属性の
シの半音。金管楽器の音が響く。
最後に召喚主の真上で、神の啓示を伝えるべく召喚されたのは、巨大な天使。
右手に剣を、左手に秤を手にした無数の天使軍を率いる軍団長。最高位天使である
生み出された天使たちは歓喜、感謝の賛美歌を神に捧げ、召喚主は祝詞をあげる。
それと同時に喧騒が舞い戻り、ビーストマン達は目の前で起こされた神の身技が、部隊中で恐怖となって伝染した。
召喚魔法で生み出される汚れなき聖なる存在は、それと初めて相対するビーストマン達にとって生命を感じられない不気味な種族。
唯一、それくらいの事を成し遂げると予想していたビーストマンの戦士長は、周囲の動かない仲間たちを鼓舞すべく野性的な遠吠えを上げる。
もしかすると、挫けそうな己の心を奮い立たせる為の物だったか、それは定かではないが、ビーストマン達は彼らの英雄による鼓舞を耳にした。
戦場で赤子の様に泣いていては強靭な肉体を持つビーストマンの名が廃る。何より彼らの行動原理は強者への追従。
自らが認める戦士長の一喝が、この世の物に思えない目の前の光景よりも今はまだ強者であると信じている。いや、信じていたかった。
果たしてどれほどの数が居るのかすら把握出来ない天使の軍勢は、アーラ・アラフが得意とする第10位階の召喚魔法。
人数が少ない彼らのギルドにとって、それを補うタンクの大量召喚は、幾度もユグドラシルのイベントを攻略する際に使用された。
天使の最高位熾天使級、Lv95の
Lv95相当の召喚モンスターにしては自身のステータスは乏しい。しかし、自軍構成員の攻撃力、防御力を大幅に引き上げ、自らも
そして、回数制限はあるが第7位階から第9位階の召喚魔法が必要な天使を、MP消費がない代わりに各位階3回〜1回召喚可能であるが、総合的に見ると熾天使の中では下から数える方が早い強さ。
未だ恐慌状態の残る中で体制を立て直す前のビーストマンに向け、
いくら第10位階召喚魔法で呼び出した天使の軍勢と言っても、冷静に見ればビーストマンの人数の方が3倍近くはいるだろう。
しかし、彼らにとって初めての事象である、無から天使を生み出す未知なる魔法は、数の利を得てなお、圧倒的な力への恐怖を与える。
大きく広げた2枚の羽根と、ドワーフの名工すら霞む美しき甲冑を身に纏い、収穫時期の重く垂れた麦穂を思わせる金色のしなやかな髪。
天使の中でも
行動を開始した天使という死の概念がない存在は、待ち構える形となるビーストマン達へと切り込む。
上位天使の振りかざした剣の一撃は、最前線でビーストマンの持つ得物とぶつかり合った。
戦場特有の喧騒が舞い戻り、金属を打ち付け合う鍔迫り合いの音が至る所から奏でられる。
勢いのまま切り込んだ上位天使のほうが、やや押していると見えるが、ビーストマン達は上位天使とのレベル差が然程離れていなかった事もあり、開始早々圧倒的な殲滅戦にはならなかった。
「《サモン・エンジェル・4th/第4位階天使召喚》」
拮抗した前線を見て、絵画の様な美しき顔に影を落とした
アーラ・アラフ以外は皆同じ様に城壁の上で佇んで、天使が織りなす未知なる戦場を見つめたまま、それ以上手を出す素振りも見せない。
濁流の如く襲いかかる天使を相手に善戦するのは、部隊長と思わしき数名の獣人達。
更にその中で飛び抜けた動きを見せて、
千切っては投げるという表現が相応しい働きで、ビーストマンの戦士達が倒れる数より多くの上位天使を、着実に両断していく。
目の前を塞ぐ上位天使を横薙払いで倒すと、血路を開くべく上位天使の奥に控える
障害の無い場所であれば10秒とかからない、おおよそ100m程度の距離だが、それを阻止すべく2体の上位天使も進路を塞いだ。
そんな状況を打破しようと、黒の毛並みを所々出血で赤く染めたビーストマン副官のクーガは、リオンの脇を抜けて一人で天使2体の足止めをする。
この戦闘自体には勝利など無い。彼ら自身、攻撃を仕掛ける前から理解していた事だが、それでもまだ目の前の脅威から逃れる事はしない。
捕らえられた仲間を救う、ただその1点がビーストマン達の勝利条件。
僅かな時間になるだろうが、命懸けでリオンの進路を作り上げた部下の働きが一切無駄にならぬよう、地を蹴る足に尚更力を込める。
迫りくる対象を認識した
疲れを知らない天使とは違い、次第に蓄積される疲弊によって苦悶の表情を浮かべるビーストマン達を尻目に、
力尽きた前線に楔を打ち込む様に、戦場に僅かな綻びが見受けられ始め、少しずつ、すり潰されるビーストマンの部隊。それはジリ貧とでも言うべきか。
血と砂塵の舞う戦場は赤茶けた大地を、より妖艶な淑女の口化粧色へと染め上げる。
そんな光景を目の当たりにするアーラ・アラフ達が、先遣隊の受けた一方的な蹂躙との違いを感じ取ったのは、風に乗って微かに耳に届くビーストマン達の断末魔。
半日前までは獣が吠えるだけの鳴き声だった物が、意味を持った言葉として頭の中に入り込む。
元々ただの一般人でしかないアーラ・アラフ達にとって、それを耳にしてからは更なる追撃の魔法を戦場へもたらす事を躊躇させた。
無論、召喚魔法によって生み出された
やがて訪れる終焉の時は、着実に数を減らしていくビーストマンのすぐ目の前まで近づいていた。