赤茶けた荒野は、人目を避ける妖精達が年に1度の輪舞曲を踊る舞踏会場の様に。
青白く照らす月光は、生前を憂う死霊達が鎮魂歌を唄うオペラ劇場のスポットライト。
外を歩く為に人工心肺が必要な汚染された空気と、空気中を漂う粒子に長期的に曝される事による失明防止のフルフェイスマスク
"曇らないクリアな視界と人工心肺の負担軽減"をキャッチフレーズに、最大手の防塵・防毒マスクメーカーが販売する売上第一位のマスク越しでも、現実世界では決して見ることが出来ない景色。
青々と茂った木々、川底を見る事が出来る渓流の様な大自然を見た訳ではない。
どこまでも広がる視界の先まで赤茶けた荒野が広がるだけだが、それでも彼らは思わずにはいられなかった。
『本物の景色とは、何と美しいのだろう』
スルシャーナは澄んだ空気と光害の無い夜空という存在を始めて知った日の事を思い出す。
義務教育が撤廃された中で通わせて貰った小学校の頃、歴史の授業だったか理科の授業だったか。
教科書に載っている昔の夜空を見て、そんな時代もあったのかと達観的に捉えていた事だけは覚えていた。
それから20年は過ぎた今、目の前に広がる光景はあの当時よりも彼の心をくすぐる世界。
ほとんど手の加えられていない荒削りな大地には、どんな生き物が息づいているのだろう。
感傷に浸っていたスルシャーナだったが、城壁の上にいた下僕達が伏していることに気が付き、慌てて口を開く。
「すまない、楽にしてくれ」
僅かに顔を上げ、次の言葉を待つ彼らに、スルシャーナと仲間達は狼狽していたが、アーラ・アラフは代わりに一歩前に出た。
「私達は今の状況を直接確認してする為にこの場所に来た。この場の責任者はリラで良いのかね?」
決して飾ってはいないのだが、それでいて上に立つ者の態度を持ってアーラ・アラフは尋ねる。
自然とそんな態度が取れる辺り、定年間近まで勤めた会社では、それなりの地位に居るのかもしれない。
「は…はい。あの…わたしでお答え出来る事なら…」
伏し目がちにどこか自信無さげな表情のリラは、アーラ・アラフの問いに答えて立ち上がった。
小さな手で弦楽器に似た弓を持ち、指で軽く摘む程度に片手でワンピースの裾を握っている。
まるでこれから叱られる様な様相を見せる幼子に、孫を持ち高齢者に片足を突っ込んたアーラ・アラフは無性に罪悪感に駆られた。
「おー大丈夫、大丈夫。おじいちゃんは怒ってないよー」
咄嗟と言うよりも自然に出た小さな子供をあやす様は、ユグドラシルでは一度も見たことがない言動だが、ゲーム時代に設定した聖職者の姿に違和感を感じさせないもの。
先程まで響かせていた弦の音はなく、静かな城壁の上でアーラ・アラフは弓兵隊を指揮していたリラの、絹とも思える肌触りであろう黒髪を愛玩動物の様に撫でようと手を伸ばす。
祖父と孫と言えば違和感はない姿だが、そんな感傷的な場面に浸る事を許さない存在がいた。
「ちょっと爺様。あたしより先にこの子の髪に触れようとはいい度胸じゃない?」
いつの間にかという表現が正しいのだろう。
袴姿の変質者は、リラの後ろから両腕で抱きついて、その赤みを帯びた柔肌の頬に頬ずりしている。
当の幼女はくすぐったそうに目を細め、しかしその行為に何の疑問も抱いてる様子はない。
「舞矢……まったく君はどんな状況でも
眼鏡を外しながら目尻を抑えるアーラ・アラフは皮肉を込めて告げる。
もちろん長い付き合いの中でレディ・ロッテン舞矢の性格を知っており、この程度の皮肉では彼女が傷付く事がないのも理解していた。
状況や場面を考えない彼女の行動は褒められたものではないが、だからこそ仲間達はいつも通りの彼女の言動に少しだけ気が楽になる。
「結局のところ、ここはどこで、何が起きたんだかわからないな」
城壁の上に来たことで、周囲の状況を掴めたスルシャーナは、ギルド拠点がが元来あった場所とはかけ離れた位置にあると理解した。
ただし、理解したのはそれだけで、他のあらゆる理解不能な状況を解決するにはいたらない。
遠方に僅かに確認出来るのは、複数の死体と思しき物体と、未だに立っている様に見える物体。
「遠すぎて見えないですね」
芋豊T・ヒデヨシは遠くを見る様に目を細めているが、戦場後がどうなっているのかを把握するには至っていない。
「生存者は一人……いや、一応二人おります。処置は如何致しますか?」
五右衛門は野伏としての視力を以って、その問いに答えた。
細長い骨の指で顎骨を撫で、黙して考えていたスルシャーナは唐突にその手を広げ、前方に伸ばす。
「行動してから考えよう。―――《ゲート/異界門》」
ユグドラシルで使用可能な転移魔法の中で、最上位の魔法。
それを発動させるのに、一切の迷いは無かった。
どうやれば魔法が発動するのか、自らのMP量と使える魔法の種類はどれくらいあるのか、どの魔法を使えばMPをどのくらい消費するのか。
まるで初めからそうであったかの様に、何の問題もなく発動した魔法を見ても、スルシャーナに感情の変化は無かった。
楕円の下半分を切り取った闇が現れ、城壁から覗む視界一杯どこまでも広がる荒野と、拡大鏡越しに感じる目の前に存在する地表が脳に錯覚をもたらす。
一泊置いて周囲の反応は蜂の巣を突付いた状態へと変化した。
「お待ちくださいスルシャーナ様!御身自ら動かずとも――」
慌てふためくシュトルフの言葉を最後まで聞くことなく、スルシャーナは大地の感触を踏みしめる様に一歩踏み出した。
僅かに体重をかけると柔らかな地面が沈み、先程までは聞こえない悲しげな虫の音が小さいながらも耳に届く。
命を散らした獣人達が死屍累々と周囲の大地をさらに赤く染め上げ、彼らにもたらされた惨劇を物語る。
その中で動く影は2つ。
大地に身を委ねてはいるが、一定の感覚で胸部が動く為に、辛うじて生きている事はわかる。
数える気が起きない程、その斑模様の身には矢が突き刺さっていた。
そしてもう1体、この場でスルシャーナを除いて唯一二の足で踏みとどまる存在。
鬣を血に滴らせ、身体中至る所から出血をしているが、致命的と言える傷はない。
肩で粗い息をしながら、目の前に現れた脅威に対してなお鋭い眼光で威嚇するビーストマン。
粗雑な造りの大剣を構える腕が小刻みに震えるのは、果たして酷使した肉体の疲労からくるのだろうか。
それとも死を間近に感じた一方的な攻撃が止んだ後、突然目の前の闇より零れ落ちる様に這い出た存在に対する恐怖だろうか。
「――――」
獣が言葉を発した。
正確に表現するなら言葉を発している様に吠えた。
「何か言いたいのか、たた吠えてるだけなのか。相手は人間じゃないし、理解出来るわけもないか」
その様子を観察し、スルシャーナは目の前の生き物を意思疎通が出来る種族では無いと判断する。
「…何もわかって無い中での独断専行は褒められたものじゃないですよ」
背後からかけられた言葉には諦めの口調が含まれており、闇の隙間から這い出たナポリたんはやれやれとでも言いたげな態度でスルシャーナの横にお目付け役として並ぶ。
「何があっても大丈夫だから、自ら強行偵察が出来るってもんじゃないの」
その言葉を裏付けするのは、ユグドラシル時代からスルシャーナがギルドの最大戦力であり、人数制限がある職業(クラス)を保持している事が証明している。
「あそこのビーストマンがワールドエネミー級だったら……まぁありえないですけど」
自動POPのモンスターにすら手こずる存在など、ワールドエネミーであるはずもない。
一切警戒する様子もなく、満身創痍のビーストマンを前の談笑する二人は、傍から見るとどう見えるのだろうか。
闇と混沌をもたらす死を体現する様な偉業な存在と、動きの妨げにならない適度に身軽な鎧を着て、紅い套をなびかせる、物語から出てきた様な人間の男。
その二人が今しがたまで、ビーストマンの戦士達を一方的の虐殺していた場で肩を合わせて会話をしている。
希望も絶望も何もない、圧倒的で理不尽で不条理な世界のパワーバランス。
「さてどうするか。そこで死に掛けてるのと、威嚇してくる2体しか生き残ってないけど。・・・ナポリ君良い案ある?」
「意思疎通が出来る種族ではなさそうですし、捕まえても意味がなさそうな・・・。ビーストテイマーの職業(スキル)でもあれば別ですけど」
冷静に会話を進める二人を前に、唯一動けるビーストマンは剣を構えつつ、自身の背で瀕死の仲間を庇えるようような位置にゆっくりと移動した。
その動きは勿論彼らの視界には入っているが、一切気にかける様子はない
「瀕死な方を助けて、捕らえておくってのはどうだろう。あいつが仲間を呼びに本隊と合流してくれれば、後をつけて俺達の拠点を目撃した奴らを一網打尽でPK・・・じゃなくて始末できる。」
「ついでにどこかで人間が見つかれば、情報を聞けるんですけどね。ただこの世界でのレベル基準がどの程度なのか、まだはっきりとはしてないので、無茶なことをするのも考えものですけど・・・」
普段の飄々とした態度とは違い、ナポリたんはいつになく慎重な考えを吐露する。
彼の意見はもっともなことであり、仮に今の状態で同格以上の存在と戦闘をして死んだ場合、復活できる保障はないのだ。
「この異常事態から現実に戻るのが最優先だと考えると、無茶でも何でもやってみるしかないんじゃないかな」
その心情をを見据えてか、スルシャーナは最優先事項を明確にした上で再度選ぶべき道を示す。
何もせずアントゥールダウンで引きこもっていたところで、結局は事態は解決しないだろうし、遅いか早いかの違いで動かないといけないことになるだろう。
ナポリたんは説得を諦めて肩をすくめながら首を横に振ると、片手で軽く頭を掻きむしった。
「あー、まったくこの人は・・・。まぁ、この良くわからない状況で何をするにしても――」
そこで言葉を止め、視線の端での動きに反応して腰の長剣に手を伸ばす。
親指ほどの赤い金剛石が彩る柄を握ると、鞘と柄が別れの挨拶を告げるように僅かに金属の摩擦音を鳴らした。
「――僕らはあなたについていくだけですよ」
抜刀状態から振りぬいた刀身はフランベルジュのように炎を纏い、その美しい剣と比べると目の前に迫る大剣など無骨な鉄の塊と表現してもいいだろう。
突然の出来事にも関わらず表情を崩さないナポリたんは、身の丈程の大剣を目の前で火花を散らしながら、刀身に沿って滑らせるように衝撃を横に受け流した。
「このケダモノは、実力差もわからないのか!」
決して細くはないが、ビーストマンに比べたら骨と皮しかないに等しい人間。それであれば近接で倒せると思ったのか、それとも別の理由があったのか。
背に受けた月光の影に覆い隠せる程の体格差がある人間ですら、全力の不意打ちを受け流す力を持っていると知った獣人の瞳は何を思う。
「これで大人しくしてくれよ!《インサーサリィ・ダンシング・ケルビム/絶え間なく踊る智天使》」
ナポリたんは特殊技術を発動させると、刀身に纏う炎が使い手の意思により触手の様に無数に伸びて、受け流した大剣を攻撃対象として突き刺した。
近接武器として質の差は歴然で、攻撃に耐え切れず穴を空けながら形を変える無骨な鉄の大剣は、焼きたてのトーストに乗せたバターを思わせる。
一方的な攻撃は、大剣が無残にも柄の部分のみになるまで続いた。
神器級武器、世界樹を守護する回炎剣。
ナポリたんの主要武装であり、軽戦士の武器としても上位の性能を持っている。
モンスターがドロップするクリスタルの中でも最上位の物を複数個使用し、長剣1本分の超希少金属と共に作り上げた一品。
その至高の宝剣で武器だけを狙うという圧倒的実力差を見せ付けられたビーストマンは、先ほどまで膨れ上がっていた闘志を失っており、力なくその場に座り込んだ。
「やりすぎじゃないか?これ仲間を呼ぶ気力もなくなってるだろ」
「・・・いやぁ、身の程知らずな行動についカッとなりまして。とりあえず、あっちの奴は人質にする前に死んでも困るので回復させますよ。《ライト・ヒーリング/軽傷治癒》」
照れくさそうに笑いを浮かべるナポリタンを上から下まで見返した後、スルシャーナは先ほどまでの慎重な男との違いを探そうとする。
全身に矢が突き刺さりハリネズミ状態の中で、ギリギリ生きているのが不思議なビーストマンに手を伸ばして治癒魔法をかける表情は、先ほどまでと違い不安が感じられない。
「色々と吹っ切れたみたいだな」
「スルシャーナさんが初めから吹っ切れすぎなんですよ。こんな状態に陥ったら普通の人は怖いもんです。」
鋭い返しに少しだけ反応して、胸に刺さった小さな棘がその存在を主張した。
骨の手を何度か閉じて開く。スルシャーナにとって、初めからそうであったかのようにこの身体に違和感はなく、異変が起きたこの状況でも恐怖や絶望、はたまた3大欲求を感じていない。
治癒魔法をかけながら、無造作にビーストマンから矢を抜いている目の前の男は、現実と同じ人間の身体を持っている。
ナポリタンだけではない。スルシャーナ以外のメンバーは全て人間種である。
彼らが死の恐怖を持っているのは当たり前で、消極的な行動しか出来ないのもようやくスルシャーナは理解できた。
「《スリープ/睡眠》。・・・さて、こいつを人質にして戻るって事でいいんですよね」
治癒が終わったのか、慌てて起き上がったビーストマンに状態異常魔法をかけて眠らせたナポリたんは、再度確認するように尋ねる。
眠ったビーストマンの片腕を掴んで脇の間に頭をくぐらせると、軽く見ても1.5倍はある体格差を微塵も感じさせることなく軽々と持ち上げた。
その問いに頷いて返したスルシャーナは、仲間を連れ去るのに、僅かな抵抗を見せようとしたもう一体のビーストマンに向けて手を上げて静止させ、《ゲート/転移門》を発動する。
「まぁ、何言ってるかわからないだろうけど、望み通り動いてくれたらこいつは返してあげるよ。後は精々頑張って仲間の下に逃げてくれ」
「まさに魔王の所業。攻め込んできた敵に容赦ないですね」
「そうそう正当防衛だって。戻ったらうちのNPC達にも無闇に戦うなって言っておかないと」
再び現れた転移門に足を踏み出したスルシャーナとナポリたんは、他愛のない会話をしながらアントゥールダウンへと繋がる闇の中に消えていった。
彼らはまだ知らなかった。
この世界では魔法を使えるものは竜族の他には、ごく僅かしか居ないこと。
そんな魔法の発展状況で、魔法を使えるモンスターは存在しないこと。
つまりスルシャーナの姿、死者の大魔法使い《エルダーリッチ》はこの世界にはまだ存在しない、未知の異形である事を知るのは、もうしばらく先のことになる。