000五
立川宗治。彼は僕と同じクラスに在席しており、席も隣同士のために良く話もする。だけど友達かどうかと聞かれれば僕は知り合いであると即答する。そう、立川宗治は明らかに壁を作っているのだ。
必要以上は踏み込まず、踏み込ませない。それは僕が彼と初めて会って話しをした時から感じていて今も変わらない彼に対する心境だ。普通に話せば返事は返ってくるし、ジョークだって悪口だって言うが、まるである一点を隠蔽するかのように彼は頑として誰ともクラスメイト以上の関係にはなりたがらない。その所以は勿論僕には分からないが、だけどそれ自体が僕に非常に悲しく思えてしまう。
誰にも心を許さないということは、誰も信用も信頼もしていないということだ。何も隠し事をするなという訳ではなく、ただ少しでも本音を晒してほしいとは僕も常日頃から思っていることである。
しかしそれでも仮面のようにテンプレートな笑みを顔に貼り続ける、それが立川宗治に対する僕の印象なのかもしれない。
000六
「よお立川、今日はまた早いんだな」
「まあね。昨日はあんま寝付けなかったからそのまま徹夜したんだよ」
「つまり授業中は存分に寝る気と」
「そりゃもちろん」
「…お前次の定期試験見てやがれ。絶対に抜かすからな」
「俺が何をしてても馬鹿な七瀬、略して馬鹿瀬に抜かされる訳ないだろ?」
「五月蠅え!そこまで言うんなら昼飯一回分賭けても良い!僕は絶対お前を圧倒的かつパーフェクトに抜かしてやるからな!」
「その賭け乗った。君の財布の中身を全部ドレインしてあげるから精々中身を肥やして待っていると良いよ」
…こいつ、いつまでも殊に成績に関してだけは僕を見下しやがって…次は絶対見下ろしてやる…!
そんな確固たる決意を燃やしていると、唐突に立川は足を止める。
「…?どうした立川、便所か?」
「違う!…まあ何というか、純然たるただの勘なんだけど、今日は寄り道しない方がいいと思う」
「どうしてだ?」
「…今この町には不吉なモノが流れ込んでいる。何かは分からない、が、良くないモノなのは確かだ。だから夜…いや、夕方だな、その時間帯は絶対家に居た方がいい」
いつもの軽い雰囲気を押さえ込み、立川は真剣な眼差しで僕を制する。もしかしたらコイツの秘密の一端にはこの妙な"勘"にあるのかもしれないがしかし、僕がそれに踏み込むには敷居が高すぎるだろう。
今思えばこの時の僕はクラスメイトの珍しい一面を見てしまい、少し、ほんの少しだけ心の中から好奇心が溢れ出ていたのだろう。自分から率先して首を突っ込もうとした訳では決してない。だがそこまで重要な事だとは捉えていなかったんだと思う。
「ああ、そうするよ。まあ賭けのついでくらいには覚えとくわ」
故に、そう返事をしてしまい、後々アレに遭遇するのは最早必然の理だったのだろう。
000七
退屈な高校の授業を時折ペン回しで遊びながらノートを取っていると、気付けば今日も放課後になっていた。
隣に座る立川は授業が終わると同時に颯爽と席を立ち上がって教室を出ており、僕自身も部活動には属していないために特に何か用がある訳でもなく、今日も今日とて直帰することにする。
「七瀬〜今日カラオケでも行かね?」
「いや、今日は手持ちも少ないから遠慮しとくわ」
「ちぇ、付き合いわりーな」
名前と顔だけは知っているクラスメイトの誘いを適当に断りつつ、僕も教室を退室する。ちなみに手持ちが少ないのは事実だ、何せ財布には500円硬貨が一枚しかない。…まあ本音は当然面倒臭いからなんだけど。僕はあまり仲良くない奴と遊びに行くほど奇特な人柄はしていない。
校舎の校門を抜けると、それを見計らうかのように携帯電話が振動し始める。ズボンのポケットから取り出して見ると『愚妹』と画面には表示されていた。
取り敢えず通話ボタンをタップした。
「もしもし、愚妹か?…あ」
『…兄ちゃん、まさかまた携帯の私の電話帳変えたよね…?』
やばい、純粋に間違えてしまった。
だってお前の下の名前の『美海』って登録するとなんか雰囲気美少女っぽくて誰か分からなくなるだとか、普通に『妹』と登録したら今度は素早く着信拒否に設定したくなるから僕の心理的安寧のためには仕方ない事なんだとか、そのような様々な言い分はあるが多分この妹が聞き受け入れてくれることはないだろう。
「つかお前だって僕の名前どう登録してるんだ?どうせ『馬鹿兄』とか『ウンチマン』とかだろ?」
『普通に『和八』で登録してるけど何か遺言はある?』
「本当にごめんなさい10割0分僕が悪かったです!」
まさかド直球で僕の名前そのままを登録してるとは思わなかった。流石にこの年になって気恥ずかしいとか特に無いが、それでも少し照れるものは照れてしまう…それが多少ムカついたので今頃電話口でドヤ顔してるだろう妹を想像する。…よし、普段の表情に戻れたはず。
『…と言うか要件はそんなんじゃないよ!』
「じゃあ何だ?一個前のお前の電話帳の名前を阿呆と妹で掛けて『アホうと』にしたことか?」
『…それはそれで思い出すとムカつくけどそれとはまた別件。ただ、冷蔵庫の牛乳とケチャップ切れてたから帰りにスーパーかコンビニで買って来いってことだけ』
「そうか、了解」
『あと兄ちゃん、帰ったら覚悟しててね?その身体還してあげるから』
「会話だと微妙に分かりにくい脅し文句を使うのは止めような」
『帰ってきたら殺す』
「ドストレート過ぎるわ!!」
000八
妹からのパシリを終え、僕の手ぶらだった左手にスーパーで買った牛乳とケチャップの入ったレジ袋が収まってる頃には太陽は既に傾き、オレンジ色の光を辺り一帯にバラ撒いていた。
ありがとうございました〜という形式張った店員の声をバックに店内から出ると、比較的地元では大通りでである駅前にも人が少なく、閑静な町並みがそこには広がっている。
僕は時期に赤信号で止まりながら、車線を走る車を眺めつつ大通り沿いの歩道を淡々と家に向けて歩いていく。ここから家までは半時間ほどの道のりである。こういうのを考えると、やはり微妙に片田舎であるこの町でこれからも住むならば原付バイクくらいは欲しいなとも思ってしまう。ただやっぱり普通に18歳で車の免許を取れば一緒に原付バイクの免許も取れるこのご時世で、態々焦って原付バイクだけ先に免許を取ろうとしたら金が幾ら有っても足りはしない。少なくとも僕の両親は僕に免許を取らせる気はないようだから、自分でバイトして稼ぎながら教習所代を賄わなければならない訳で、よって別々に免許を取るよりかは18歳になった後に一緒に免許を取ったほうが僕の金銭事情からして優しいのだ。なので僕は未だこの家までの長い道のりを一年弱は歩き続けなくてはならない。…バイクか車、欲しいよな…。
そんな事を考えながらも歩いていると、次第に僕は目の前に広がる景色に何処か違和感を感じ始める。
…さっきから人が居ない。居なさ過ぎる。
少し前までは学生とすれ違ったり帰宅途中のサラリーマンが僕を追い越して行ったりと人の姿を度々見かけていたはずなのに、今はサッパリ見ることができない。生活音すら聞こえることはできないのだ。
そしてもう一つ、先程から夕日の位置が変化していないような気がするのだ。
太陽の光は既に昼間の輝きを失い、西に沈みかけてもう40分は経っている。なのに、なぜまだギリギリ地平線に居座り続けている。その情景はどこかこの空間自体に異質な空気を放ち続けているようだった。
"異常"、そんな言葉がこの状況下にはよく似合う。
そう言えば立川も朝も早々な時に、こんな事を言っていた。
『…今この町には不吉なモノが流れ込んでいる。何かは分からないが、良くないモノなのは確かだ。だから夜…いや、夕方だな、その時間帯は絶対家に居ろ』と。
僕は別にこの忠告を忘れていた訳ではなく、寧ろ立川の珍しい信念な姿に興味を覚え今の今までずっと脳裏の片隅にこの言葉の存在を置いていた。こんな時にだからなんだ、と言われるとコレもみっともない言い訳にはなってしまうが、僕はあの立川をそこまでさせるソレに好奇心を抱いたのだ。幸い妹のお陰、というと少し癪だが、ともかく事前におつかいを頼まれ夕方に出歩く口実を手に入れていた。だからちょっとした散歩で、何かあるなら良いな程度の本当に軽い気持ちでここまで来たのだが結果的には全て立川の言う通りだった。
僕は臆しながらも先を進む。もしかしたら家に着くまで何もないかもしれない、そんな気持ちを心の片隅に置きながら震える足を無理矢理動かす。今のところは人の気配と太陽の位置以外に異変はない。だからこれ以上は何もない。そう自分に言い聞かせながら。
そうして気付くと僕は急な上り坂の麓まで来ていた。僕の家は上り坂を上がってすぐ突き当たりにある、つまり距離的にはもう目と鼻の先なのだ。
僕は坂を上るために力を右足に加えて坂道踏破のための第一歩目を力強く踏み抜き、すると足元からポチャンという音が響く。
ーーー果たして先ほどまで雨は降っていただろうか、しかし僕が外を歩いていた時はずっと雲ひとつ無い快晴だったはずだ。お天気雨という可能性もあるにはあるが、そもそもの問題今まで辿ってきた道のりには水溜りなど一個も無かった。
じゃあどこかの水道管が水漏れでもしていて地表に水が溢れたのか…と考え、僕は足元に目を遣る、いや見てしまったのだ。
紅くドロドロした、理解を超えるソレを。
000九
「…うわああっっ!?」
思わず尻込みを付いてしまい、ズボンにも何とも言えない生暖かい感触がこべりつく。
血。どう見ても血。何故そこに有るのか分からないがどう見ても血だ。これは血液だ。
そう頭の中で復唱している内に、身体の中の恐怖が全身に広がる。手足は携帯のバイブ機能のように震え上がり、頭の中は一瞬真っ白になる。
そうして再び顔を上げると、既にそこには僕のいた世界の趣は完全に消えていた。
「なんだ…これ…」
電柱"だった"だろうものは血液が上から流れ落ちているせいで紅く染まりきり、周りにたくさん存在していた民家はまるで全部が血液の塊で出来ているような錯覚さえ覚えてしまう程紅く、紅い。どこまで嘘みたいでどこまでも否定したい光景だ。
更に今まで来た道を振り返ると、黒い穴のような物が点々と存在している。どうにも、僕にはこの、何もかもを塗りつぶしたように黒い穴が周囲一帯の景色を呑み込んでいるように見える。それは僕を通せんぼするかのように、大きくなっていく。…あの中に一度入ったら一生現世には戻ってこれないだろう、そんな本能からの確信は僕の感情の境界を狂わせるには十分なようだった。
「…つまり逃げるなってことかよ…!」
…もうこうなりゃヤケっぱちだ!
さっさと坂を登りきって意味不明な空間も突っ切って帰宅してやる!
そうして激情に従うがまま、僕がそんな思考に辿り着くのは必然だっただろう。
僕はレジ袋を右手で握りしめるように持ち、ーーー走り始めた。
足元はどういう原理かは知らないが血溜りが重力の力に逆らっていて、坂なのにまるで無風の穏やかな海面のように静かなのを荒々しく僕は踏み付け、上る。
既に僕の中の怯えは抜けきっており、寧ろ「この巫山戯た現状からグッバイしてやる!!」という闘争心にも似た意思を持ち始めてもいた。
しかし、そんなヤケクソから生まれた激情は坂を登りきると同時に消え失せた。
「…やっと来た。…七瀬和八」
交差点だった場所、その横断歩道の中央。
そこでこの場所にはチグハグで似つかわない、歪で不自然なほどの美しさを持った少女を見たからだ。
やっと前話の000一に辿り着いた…けどこれからが本番です。