結界装置《タリズマン》
ファインダーの持たされる装備の一つ、科学班が開発した名の通り結界発生装置であり、特定の場所に向けて起動することで結界を作り出す。その効力はアクマの攻撃を防ぐのみならず、アクマ自体を結界の中に閉じ込める頑強さを誇っている一般人に唯一装備させることの出来る武器、正確には防具と呼んだ方が正しいだろう。
欠点は、結界故に固定範囲しか発動出来ないこと。一度、発動すれば解除するまで動かすことは出来ず、動かせば結界は歪み、脆くなる。
一通りの扱いを指導され、結界装置についての研修を終えた後、早速と言っていいほどに俺とフィールティアは探索班としての仕事に駆り出された。
「……えっと、結月君、何してるの?」
「何って、分解、改造してるんだけど」
ある任務地へと向かう列車の中で俺は青い顔をしているリナリーに問われた。
手の中にあるのは、分解された結界装置、タリズマンと呼ばれる、件のファインダーの命綱。それを科学班から借りてきた工具により、内部改造していた。
「えっ、でもそれって、分解したら戻せなくなるんじゃ」
「その時はその時。それより、任務だから今回の任務内容を確認するよ」
結界装置改造中の手を止めず、工具に手を伸ばしながら説明を始める。
今回、俺がフィールティアとリーバー班長の言う通り任務にリナリーと向かっているのは、ある港町だ。
最近、とある港町である噂が発足された。漁が盛んな港町は魚を取ることで他の街に出荷し、利益を得ることで生活をしている。その港町ではある日から、近海で渦潮が発生しておりどの漁船も魚を捕ることが出来ていない。
その渦潮、普通なら一日二日で消えるというのに、今回に限って渦潮が発生したまま収まらないらしい。
「で、ここからは聞き流してくれて結構」
「なに?」
あ〜また始まったなぁ結月の考察推論。と、フィールティアが呆れながらも聞く体勢に入る。
そのとおり、考察だとリナリーに伝えると、彼女は疑うわけもなく聞くと言い出した。科学班の人間でもない他人の考察した推論を聞くというのは、普通の人ならまずしないこと。誰の悩みも話も聞くリナリーからしたら、当然のことだったんだろう。
真剣に聞こうとしてくれているリナリーに若干、微笑んでから俺は作業に戻った。
「その現象の原因は間違いなくイノセンスだろう。アクマも気づいたら、なんて最も恐れる敵は、イノセンスの脅威は少なからず空気で感じるはずだ。いや、感じているけど本能的に感知できるアクマは理解していないだけで行動だけがイノセンスを敵と認識するようにプログラムされているんだ。アクマは恐怖を感じない。感じるのは殺人衝動だけで、殺せれば過程なんてどうでもいいからな」
アクマは肌でイノセンスの存在を感知する、だがアクマ自身その機能、因果関係に気づいておらず、無意識にイノセンスへと引き寄せられる。
戦う者同士の宿命、と言えばいいのだろうか。
アクマは闘争本能以外にも、殺人衝動以外にも、少なからず身の危険は感じているのだ。
「じゃあ、エクソシストは基本狙われ放題っていうこと? そんなの、兄さん達は全然言わなかったよ……」
リナリーが不安そうに呟き、自分の身を抱き締めるように両手を持っていった。
「いや、大丈夫だよ」
作業の手を止め、リナリーの頭を撫でる。
そう言えば、神田に後で聞いた話、あの日リナリーに『はいあーん』をすれば室長、即ちコムイお兄さんに手を出したなと殺されていたかもしれないらしい。シスコンだから気をつけろ、とくにお前はな。
なんて注意され、神田は意外にも優しい一面があった事に気づくのだが、いったい何で俺なんだろうか。
殺せない。そう思っている以前に、不安そうなリナリーに説明を続ける事にする。頭を撫でながら。
「イノセンスを武器に加工することでリナリー達、装備型は戦っているよね? 寄生型はその身に原型のイノセンスを宿すことで力を得ている。それを収束し扱うことで戦うエクソシストの基本とも言えることだ」
それがどうしたというのか、話を遮ることもなくリナリーは二の句を待った。
「対して、自然に放置され回収されていないイノセンスはありのままの存在だ。故に力を発し始めたイノセンスは空気からアクマに危険を察知させ、居場所を知らせてしまう程強大な力を発する」
「どういうこと?」
「言葉足らずで申し訳ない」
説明するのは苦手なのだ。
レスティアに教えてもらうことはあれど、逆に誰かに教えるということを経験した事がない。
「そうだな……寄生型は体内にイノセンスを宿し、戦う事が出来るが、原型を体に留めているが故にイノセンスの力は膨大で人間には扱い辛いものだ。寄生型は装備型と違い、寿命が縮まると聞いたことあるだろう」
こくりと頷いたリナリー。
自分でも訳が分からなくなってきたので、まとめることにした。
「つまりだ。教団が回収したイノセンス、装備型は武器へと作り変えることで波動を抑え、寄生型は体内に収束し留めることで、本来の力を、肉体を器として抑制し宿して力の放出を抑えている。それがない回収されていないイノセンスは対となるダークマターで造られたアクマに少なからず、嫌悪感のような肌で感じられる程度の危機感を与えるから。だから、回収されていないイノセンスだけがアクマを呼び寄せやすいだけでエクソシストが狙われやすいということはないんだよ」
悪く言えば、莫大な力を持つイノセンスの力を抑制するということは、アクマに対抗する手段に枷をつけていることとなる。
しかし、そうしなければエクソシスト達が耐えられない程の力が放出され悪影響を及ぼす。その代償として、寄生型は寿命が若干縮むらしい。
それは、神からの罰なのか、神の領域へと踏み出した人間の咎なのかは別として、大きな力を得る代償というものはアクマという悪性兵器と変わらない。
「……イノセンスに寄生され代償を払わなければいけないなんて、報われないな」
呟いた言葉は、列車の停車音と共に空へと消えた。
列車から降り立った港町、普段は活気で溢れていたであろう街道は物静けさだけが残っている。人も疎らにチラつくだけで子供達が外に出ている様子もなく、ただひっそりとその街は佇んでいた。
「人少ないね」
「それも当然だ。毎日渦潮が発生しているのなら、漁に出ることの出来ない港町は他の街との交易も何も行えないからな。魚介類で生計を立てていたこの街は今や、終わる一歩手前だと言ったところか」
市場のような通りは人も疎らで物価が高くなっており、果物一つでも二倍の値段に膨れ上がっている。
確かにここで商売をすれば儲かるだろうが、やはりこの街に売りに来た商人と、次の街で仕入れる商人がいなければ儲かるということ自体はない。隣町で安く仕入れ、ここで売れば儲かるんじゃなんて邪推も湧いたが、フィールティアが許さないだろうと頭を振り切った。
「さて、ここが例の海だけど……」
市場を抜けて、漁船が見えてきた。
街の端の方まで歩き、辿りついたのはやはりどこか活気と活力に乏しい船着場。海岸沿いにあるそこに海面を前にして立ち止まり、俺は予想外の光景を目にした。
「…………」
「ねぇ、結月、これが渦潮?」
グルグルと螺旋状に渦巻く波が、海一帯を覆い尽くしている。その規模は、漁船をいくつものロープで固定していないと流されてしまいそうなほど。
そして、何より驚いたのが、渦潮の大きさが並大抵ではなく数キロはありそうな規模で発生している。それも、たった一つの渦潮だけなのだが、周りは真ん中の大きな渦潮に連られて幾つもの渦潮が発生していた。
―――飲み込まれたら、死ぬよな?
聞くまでもない。海底の底に引っ張りこまれて、もう二度と遺体として浮き上がっては来ないだろう
「ねぇ結月君、渦潮ってこんなにデカイものなの」
「俺も見たことないよ。映像としては科学班のフロアからいろいろ見ていたけど、これは流石に……イノセンスとしか考えられない」
俺もフィールティアもリナリーも、普通に育ったわけでもないし、まして自然現象なんて発生しても拝めることはそうそうに無い。
今回の任務に、全く適してはいなかった。
それでも行かなければ。はぁと嘆息すると同時に、俺は手元のタリズマン改を作動させる。
「じゃあ、行こうか」
「えっ、私一人で行ってきた方が……」
リナリーが何かを言い切る前に俺は右足を踏み出し、海の上へと身を踊らせる。
と、彼女は吃驚してか細い声を漏らした。
「結月君! そこは……!」そう言い終わるまでに、彼女は目の前で起こった出来事に唖然とする。俺は平然と焦る彼女を無視して、フィールティアに手を伸ばしていた。
「いやいや、何驚いてるの? タリズマンは確かに結界装置でありアクマへただの人間が対抗する唯一の手段だけど、それくらい頑丈なら、上くらい歩けるよね」
「リナリーちゃん気にしちゃダメだよ。あなた達の常識は結月には通用しないから」
「えー、なにその俺がキチガイみたいな言い方」
「それだけ結月がすごいってこと。まぁ、科学班の人もまさかタリズマンがこんなことに使われているとは思わないだろうけどね……」
呆れるフィールティアが手を取られながら、海上に構築された結界の上にゆっくりと飛び乗る。その際、勢い良くフィールティアが飛びついて来たために一瞬よろけたが何とか海に落ちずに持ち直した。
それからリナリーはオドオドとタリズマンで構築した結界の上を歩き、俺達は渦の中心を目指す。
もしここで結界装置が壊れてしまえば、全員が海の底へと真っ逆さまに引き込まれていく。そうリナリーとフィーをからかいながら進んだ。
呪術と魔術、魔法があればそうならないけど。使えることを隠しているこれらの術を、こちらの国では導術と呼ばれているらしい。
それを使いさえすればこんな結界装置は要らないのだが、それでもやはり、まだエクソシストを信頼するには値しなかった。
「ここが渦の中心か」
他の渦潮を発生させている、一際大きな渦潮の中心地点に立ち止まり中を覗き込む。歩き始めて約数十分、例の渦潮は今も止まる事を知らず渦巻き、唸りを上げている。
「ここからはどうするの?」
「エクソシスト様に聞かれてもなぁ。というか、イノセンスだって確証自体無いわけだし」
渦潮が発生していることは極々自然の現象である。
イノセンスが世界に暴動を起こしているわけでもなく、自然現象、と一言で片付けられた。
が、俺の中では確実にイノセンスだと、そう直感が告げているのでは悲しいことに引き下がれない。
あの娘に頼めば楽なのに。
そんなバラすわけにもいかない願いが、頭の中に浮かぶも忘れようと頭を振った。
その時、ピリピリとした空気が背中を刺すように“呪い”へと反応する。
これは、予兆だ。
もうすぐ何かが、アクマが来る―――
フィールティアも異様な気配に気がついたのか、あの時代の感が、彼女を不安な顔にさせた。バッと俺に視線を合わせて叫ぶ。
「結月っ!」
「リナリー、イノセンスを発動させろ!」
「え? な、なに……?」
渦潮を見ていた……いや、俺を見ていたリナリーが驚き仰け反ると共に彼女の背後、渦潮の中からザバーンと大きな何かが飛び出した。
潜水艦、そう表すのが正しいようなフォルム。
この渦の中、こんな形で現れるのは―――
『ウィィィィ〜〜〜ッ! ひっさしぶりのエサだァ、しかも三匹、三匹だよォ。この海域に人が来なくなって以来だァ。ヒヒっ、待ってた甲斐があったぜェ』
―――AKUMA しかいない。
『この忌々しい渦潮に閉じ込められて早数日、オデもついにツキが回ってきたってか。さぁさぁ、恐れ慄け、泣き叫び逃げ惑え! この出られない渦潮の中を延々と泳ぎ続け絶望するがイィ!』
ギョロギョロとアクマの目が動き、俺達を捉える。
長い沈黙を後に、レベル2であろうアクマはこちらを見上げながら戸惑うように言った。
『いや、あのォー……驚かないの?』
「ゆ、結月君! あ、危ないから下がって!」
全く違う反応の二人?が見える。
リナリーは突然のアクマに驚き、俺とフィールティアを下がらせようとするも、何せここは海の上だ。逃げる場所も隠れる場所もない。俺は平然とアクマを見下ろしながら、肩を掴むフィールティアの力が強くなるのを感じた。
嘆息。
俺は、アクマを見下すように言った。
「別に。ってか、出られないんでしょ? 潜水艦型のアクマは外に出られない。違う?」
『だったらどうだってんだ! この海域でテメェラを海の藻屑にしてやる、逃げなきゃ死ぬぜェ! ッハァ!』
「あっそう。じゃあ、早く攻撃してきなよ」
『…………えぇ?』
戸惑うアクマは汗のようなものを流す。
しかし、気を取り直したアクマはハイテンションで攻撃を開始し、リナリーが身構えてイノセンスを発動するもそれも無駄に終わる。
『―――って、浮いてるゥゥッ!?』
今更ながら、海面でもなく、宙の結界の上に立つ人間に驚くアクマは次第に焦りを見せた。
攻撃は、届かない。
それどころか、音はするのに気配はなかった。
「これは俺の推論だけど。あの街、防波堤は削れてるくせに街には被害一つ無い。そして、お前はここから出られないと言ったよな。なら簡単だ、お前は対空用の装備なんて一つもついてないだろ」
『……バ、バァロぉ、そ、そんな訳あるかよ』
「なら、俺達を撃ち落とせよ」
『……………………』
長い沈黙が続く。
結界は変わらず、アクマは変わらず下で上を見上げるのみであった。その沈黙を破ったのは、アクマだ。
『だってよォ仕方ねぇだろォ! 水中戦を主体とした、むしろ専門のスタイルのオデにゃ対空ミサイルなんて外道なんだよォ! 魚雷だろ、水雷だろ! それさえあれば船の一つくらい楽勝なんだよォ!』
逆ギレするアクマは悲しげに叫ぶ。
イノセンスのせいで、このアクマは外には出れず、船を沈没させられず。
大量虐殺兵器はなんとも悲惨だった。
『だから、テメェラを焦らせて海に落として痛ぶろうと思ってたのに……チクショウ、普通そこは驚いて逃げ惑うだろ』
水中戦特化型のアクマは空を仰ぎ見る。
目の前に獲物がいるのに、手を出せない悔しさ。
忌まわしいイノセンスがアクマの移動すら許さず、ただそこに閉じ込めている。
「じゃあリナリー、絶対に海に入らずにこのアクマを壊すこと。ほら、援護として動きくらいは止めるよ」
そう言って、改造済みのタリズマンで結界装置を張りアクマの身体を一部動けないように固定した。
逃げたくとも、相手は潜水という唯一の手段を無くし、逃げの一手すらも残っていない。無力なアクマを複雑な顔でリナリーは破壊するのだった。
「――という訳で、任務は滞りなく終了しました」
報告を終えた俺はコムイ室長、リーバー班長の前でズズズと紅茶を飲みながら報告書を渡す。
その際、リナリーは回収したイノセンスをヘブラスカの所まで届けに行っており、今はいない。
「……うわぁ、なにこれ、柔らかさ重視のタリズマンにタリズマンの上を歩くって……流石に思いつかなかったなぁ」
タリズマンにいたっては、アクマを閉じ込める事に重点を置き改良を重ねてきたことで、柔らかくするなんていう発想はなかった。一度は上がったものの、柔らかくしてどうすると意見が出たようで没案だった筈だ。
そう、コムイ・リーは語った。
「まぁ、こうやって功績積んできゃいつかは部隊長くらいにはなれるだろ。つか、あれ……そのタリズマンは?」
言われてリーバー班長の前にタリズマン改。本来の二分の一ほどの大きさを持つ機械を取り出し手渡す。
「すみません、重いんで要らない部品捨ててきちゃいました」
「……」
「……リーバー君、今日から僕ら徹夜だね。因みに、どうやってこんな小さくなったの、結月君」
コーヒーを片手にタリズマンらしきものを触るコムイさんが言う。
タリズマンとは、化学の結晶だった筈だと。
それから、タリズマンの改造に研究費を費やされたという。
こんなアクマがいてもいいはずだ。
何? 可哀想?
―――知らないなぁ。
アクマもリナリーに足蹴にされて満足なはずだ(多分)