「隊長殿!」
書類整理をしていた午後の時間、執務室に可憐な少女の凛とした声が響き渡った。扉を開け放ち足早に駆けてくるその少女は、数ヶ月前、俺が日本で拾った子供だった。
『何故、今になって日本で子供を拾っているのか?』
そう疑問に思うものもいるだろう。
比較的平和な生活を手に入れたはずなのに、どうして自ら片足を突っ込むのか。危険へと踏み出し慈善ならぬ偽善的活動を行っているのか。
答えは簡単だ。
感を忘れないために日本で剣を振り、その過程で逃げ惑っているこの少女――湊飛燕を拾ってしまった事にある。
その際、彼女には口裏を合わせてもらって、違う場所で拾ったことにしてある。イノセンスを使ったことも全て、拾われた恩に対してか黙秘をしている。
特にフィールティア辺りが一人で日本に向かったことを怒るため、という理由の方が理に叶っている。エクソシストになってもいいかなと最近思うようにもなってきたが、やはり俺は―――
「隊長殿、大丈夫ですか、少し働きすぎでは?」
「ああ、大丈夫だよ」
―――こんなに慕ってくれる仲間を捨てられず、探索部隊を続けていた。
これまでに一年の月日が経った。
沢山の功績を積み上げたあと、部隊長までになり探索部隊の中でも屈指のファインダーが後に憧れる部隊を作り上げ今に至る。
『
神に従いながらもその忌名を掲げる部隊、エクソシストではなくファインダーである彼らのもがき暴れる部隊であり誰も死なない夢の塊。
任務の成功率百パーセント、死亡率ゼロのイノセンスの当たりばかりを引くラッキージョーカー。
数ヶ月前に立ち上げられたこの部隊は、そう呼ばれファインダーの憧れの的になっていた。
「大丈夫なら良いのですが……ですが、隊長は休みなく働きすぎだと思うので」
その夢の部隊に黒の教団、入団当初から入れられた飛燕は心配そうに顔を覗き込んでくる。
綺麗な蒼の瞳、艶やかな腰あたりまで伸ばした黒髪、華奢な体は見栄えするもので、俺は無防備な彼女からゆっくりと距離を取りつつ報告書に目を通し直す。
「それより、報告があるんじゃないのか」
「いいえ隊長、まずは隊長がしっかりと休養を取ってからです」
「却下だ。俺は充分休んでいる。ってか、前にも言ったが名前で呼べと言っているだろう」
急にもじもじと飛燕は身を小さくした。
「……隊長の名前を呼ぶのは、私にはまだ無理ですよ」
ぼそぼそと何か聞こえた気がしたが、何かしらの因果が関わっているのか言葉を聞き取ることは出来なかった。
こういう時にだけ、俺は酷い難聴に陥る。
戦場ではどんな音も拾うというのに、二人きりの静寂では何故か機能しない。
『先が思いやられるわ』
『ユヅキは残念さん、です……増やされても困りますけど』
『あのなぁ。まず、フィールティアとあれだけくっついている時点で“言い寄る女はまずいない”。増やすも何も無いだろう』
『どうかしらね』
『そこがユヅキの怖いところです』
『同感するわ、剣精霊』
『久しぶりに意見が合いましたね、闇精霊』
こちらの国には法律というものがあり、男女の結婚は一夫一妻らしい。
それを知らなかったのは単に法律とかそういうものは千年公の恐怖と独裁により廃れてしまったからだ。
というよりも、日本の法律は既に失われ形としては殺戮の日々の無法地帯が法律であり、ルールであるから生き残るためならどんな事でもしろ、人間同士愚かに殺し合えというのが伯爵の目論見である、そう思っていた。
「そ、そそそそれよりも隊長! やはり休養を取ってもらわないと新しい情報は渡しませんからね!」
「えー、俺ちゃんと夜は休んでるよ」
「目の下にクマが出来ています。説得力無いですよ」
それはあれだ。諸事情だ。
精神的な癒しを得てるんだよ?
夜を更かしてしまうのは仕方ないことであり、最後には結局寝るのだから、当然睡眠は三時間ほど取っている。
人間としての欲求は、自然現象であり何もやましいことはないと願いたい。
俺の目の下を指差し、睡眠時間を聞いた飛燕は更に詰め寄ってくる。
「そんな夜遅くまで執務をしてるんですか!?」
「……違うから。夜はプライベートな事をしてて、少し寝るのが遅くなってるだけだから」
特別製の二人用チェアに座る、傍らのフィールティアに助けを求める。
と、顔を赤らめてぷいと逸らされた。
「…………日課をしてるだけだよ。私達があそこにいた頃、最も“生きている。幸せ”だって感じられたこと」
「え……あ、すみません」
控えながらもフィールティアの口から放たれた言葉に、飛燕は大人しく引き下がった。
フィールティアは彼女の出身地を知らなくとも、似たような境遇だとは薄々肌で感じている。
飛燕は俺の出身地と幼馴染という関係から、フィールティアの生まれを知った。
たとえお互いに理解を深めていなくとも、引き際を飛燕は心得ているようで何も話さなかった。
「……そうだな。次の任務が終わったら、少し休養をとることにするよ」
渋々、空気を変えようとフィールティアの頭を撫でながら提案する。
ここ最近、フィールティアやエスト、レスティアに構っていられるのが夜だけということもあり、フィーに関しては仕事中も構っているつもりだったのだが、やはり少しだけ配慮が足りなかったらしい。
本当ですか、と喜ぶ飛燕の差し出してくる報告書を受取りながら俺は笑むのだった。
□■□
「では、行って参ります隊長」
先日、任務を終えて休養をとることを約束させられた俺は飛燕や“神に楯突く牙”の面々を送り出していた。
この隊は俺が率いる事を前提とした部隊であり、だからこそ死なずに機能していたこともある。それを踏まえた上での隊の見送りに俺は気が気じゃない。
「隊長、絶対に休んでくださいよ。書類仕事とかしちゃダメですからね。あと鍛練も。それから食べ過ぎや風邪に注意してくださいよ。それから趣味に没頭するのはいいですがやりすぎに注意してください」
「うぉぉぉぉーーー! 隊長が自らお見送りに来て下さるなんて、感激でありますっ!」
「湊副隊長は私が守りますのでご安心を」
「おーい、グラン。湊副隊長に手を出すと死ぬぞ。主に副隊長に視線で殺されるか、隊長に笑顔で撲殺されるかむしろ俺らが殺すか」
「むっ……花に対して愛を向けて何が悪い。お前らこそ欲求はないのかこの方を前にして。こんな綺麗な花を前に“こんな嫁が欲しいな”と思うのは仕方ないことであり――皆の共有財産なのだから、この機会に――」
「それ以上は言うな。冗談でも隊長がキレるぞ」
「この前迫った時は湊副隊長が泣き出して、隊長が笑顔でなんか怪しい薬打ってたからな。グランに」
「その前はフィールティア秘書官だもんな……隊長のモテ度が異常なのは置いておくとして、その時は二十四時間ぶっ続けで戦闘訓練という名の鬼ごっこしてたっけ」
「リナリーちゃんに手ぇ出そうとした時は、コムイ室長がガトリング出してきたし」
心配なのは俺だけではなく、色々と飛燕の方も大変そうだ。
個性的な男達数人に対して女一人の飛燕を送り出すのは凄く抵抗があるのだが、それでもこれは必要なことであり経過の一つに過ぎない。
口々に話を始める団員を前に、俺は念の為に釘を刺して置くことにする。
「―――飛燕を泣かせたり嫌がるような事をしたら、お前ら死ぬよりも辛い目にあわせるからな」
数人の隊員がサッと顔を青くする。
俺は笑顔で話しかけたつもりだったのだが、彼らはガクガクと震えながら己の身を抱き締めた。
「しませんよそんなこと! つか、したら地獄でもどこでも隊長は追ってくるでしょう!」
「ああ、あれを前にして平然としていられるグランが羨ましい。いやむしろ、あの勇気に恐怖さえ覚えるわ」
「分かればいいんだ。あっ、もし一人でもそうなっても俺の判断で連帯責任になるから気をつけてね」
「……ぜ、全力でグランを止めさせていただきます」
笑い飛ばす一人の男は置いておくとして、周りの皆の意志が団結したところで俺は飛燕の頭に手を伸ばし、絹のような髪に触れ撫でる。
ふぁぁ、と甘い声を出しながら気持ち良さそうに目を細める彼女の笑顔がいつまでも続きますように……。
そう願い、俺は他のメンバーを見渡した。個性的な団員達で結成されたこの部隊は他の隊とは違い、笑顔で溢れている。
もう一度、視線を戻し飛燕を見る。
(……隠れてついていこうか)
隠密スキルなら俺やフィールティア、飛燕はたいへん優れていると言ってもいいほどに高い。あの戦場での経験が全面的にプラスされ常人では有り得ないほどに。だがそれ以上に、飛燕という女の子は察知スキルも高く、俺の居場所の特定が上手かった。どこかに雲隠れしても必ず見つけるほどである。
「結月、そろそろ止めないと飛燕ちゃんが使い物にならなくなるよ」
「―――♪♪♪」
「あ……。それもそうか」
フィールティアに言われて飛燕の頭から手を離す。
名残惜しそうに見詰め、上目遣いに見てくる様を見せると少女はしゅんとする。しかし、一瞬で頭を切り替えたのかちょっとだけ微笑み口を開く。
「では、行って参ります隊長様」
―――なんか『様』に上がってる。
いつもの事でありながら、やはりしっくりこない。
せめて名前で呼んでくれれば妥協できないこともないのだが、このテンションのまま行かせた方が生存率はいいだろうと胸の内に留めた。
口々に一時の別れを告げ去っていく。
背中を見せながらも時々振り返る少女は俺の姿とフィールティアの姿を見ると、手を振った。
こちらもフィールティアはくすりと笑い手を振る。その背中すら見えなくなったところで、フィールティアは俺の手を握り締める。
「行っちゃったね。……もしかして結月、ついて行こうとか考えてないよね」
――バレてた。
けれど、信じるしかないのだろう。
「そうも考えたよ。だけど、俺がいなければいけない部隊のままじゃ、それじゃダメなんだ。性格には難があるけどあいつらは結束している。だから強い。それを長所に仲間を見捨てない最高の部隊になれば……それこそ、本当に誰も死なない部隊が出来ると俺は信じてる」
「……の割には、飛燕ちゃんに肩入れしてるみたいだけど」
「まぁ……あの娘は、選ばれてしまったみたいだしな」
「もしかして――頑なに結月と契約しようとしてたあの水精霊?」
思い浮かぶのは、柩の中に眠る槍だ。
それは仮の姿であり、人型になれる水精霊、美しい水色の髪を持った少女がじゃれて来ていたことを思い出す。
慕い、従い、俺に必要以上に尽くそうと――果てには外に出ようとし、教団内で俺にじゃれつこうとして我慢していたエストとレスティアを差し置いたために何故かハクアの怒りまで買い封印中だが。
……尚、精霊全ての怒りを買った結果なのかも知れない。
「あぁ……うん、その娘」
「……泣いてたりしない?」
「嫌われたって泣いたりしたけど、そこはまぁ何とか一日に一回は会いに行ってるから」
そうしなければ自害しかねない勢いだった。
綺麗な女の子が死ぬのは、俺の本意ではない。
大切だと思っている娘に死なれるのは心苦しかった。
故に先の通り、そういう契約で落ち着いたわけである。
「ふぁぁ〜〜〜っ。それより今日はどうする?」
何時もなら仕事をしていたために、休み無しの有給ゼロ生活のせいか計画はない。
欠伸をする俺に、フィールティアは微笑み同じくして眠そうにまぶたを擦る。
「寝よっか。みんなで」
「……寝れる気がしないなぁ。まぁ、いいけど」
隣を取り合って争奪戦が起こることは間違い無いだろう。
そんな日常を見るのが何よりも楽しみだ。
銀髪の剣精霊が裸ニーソになっていたり。
黒髪の闇精霊が対抗するように“ドレスに皺が出来るから”と言い訳しながら、下着姿でベッドに入ってきたり。
火猫精霊が人間体になりながらもお腹の上で丸くなっていたり。こういうのだ。
『マスターが風邪をひかないように温めてます』
それに対抗し、水精霊である槍が人間体(※裸)になり。
『寝苦しくないよう私がマスターを冷やします』
と、肌を擦り合わせてくるのだ。
暑苦しいのはこの人数のせいだろとか、幸せそうな彼女達を前にしてそんなことは言えず。結局、自分自身がその可愛い娘達を甘やかしてしまう。
その光景に遠慮するようにフィールティアと白狐の精霊は浴衣姿でくすりと笑う。
―――願わくば、このまま世界が平和でありますように。
ただ一つの願いは永遠には続かない。
だから一日一日を噛み締めるように過し。
俺はこの日々を再確認した。
昔ではありえなかった光景に、心の余裕に感謝しながら。
また、どこかで俺はこの日々が続かないことを感じていた。