部隊を送り出し無理矢理にも休暇を与えられた結月はやむなく惰眠を貪ることにしたのだが……。
私は“今日も”いつものように彼を探していた。
彼――鈴白結月。新しく立ち上がった“イージス”と呼ばれる部隊の隊長で、創設者。彼の類稀なる才能により開花した部隊はこれまで誰も出来なかったファインダー部隊の効率的運営方法を模索し、的確に割り出した。更には科学班の手伝いもこなすなど数多くの仕事が出来る有望な人材。
そして――
『あ、結月君か。あの子は本当にやってくれるよね』
『科学班の仕事も手伝ってくれるし』
『そうそう。イノセンスの情報は回せば勝手に部隊を動かして解決してきてくれるし』
『俺らより、イノセンスを割り出すのが得意だもんな』
結構、信頼は厚く不思議な人だったりする。
その彼は毎朝、早朝から体を動かすために修練場によくいるのだけど今日に限ってはそうではなかった。日課と言える鍛練を毎日しているはずの彼、任務に向かった日でも、帰ってきた後でも、私に『おかえり』と挨拶などを言ってくれる彼は何故かいない。
「どうしたんだろう……」
風邪とか。病気とか。心配になりながら無意識に私は彼の名前を口にして修練場から離れる。これまで彼が病気になったことは無かったから。
「結月君? 任務じゃない?」
修練場から離れると向かったのは室長室だった。
そこで執務をこなしていた寝不足気味の兄さんに適当に返される。私が何時も結月君の話をすると決まって不機嫌になり、だけど嘘は言わないから、そうなのだろう。
と、横からリーバーさんが沢山の書類を手に戻ってきた。
「結月なら働き過ぎって言われて副隊長ちゃんに無理やり休まされて今日は休暇じゃないっすか」
「そうなの?」
兄さんが興味なさげに聞き返した。
確かに彼は働きすぎなのかもしれない。何かを焦っているような、彼の優しさと仕事に対しての正確さと積極性は類まれない。
ドンッ、と置いた紙の束が崩れ落ちたところでリーバーさんがやっちまったと拾い始める。私も手伝いながら詳しく話を聞くことにした。
「リーバーさん、結月君がどこにいるか知ってる?」
「おお、ありがとう。……で、結月の話だっけか。確か副隊長ちゃんが口を酸っぱくして言ってたな。朝の鍛練も書類仕事もさせないで下さいね、って。俺に」
「じゃあ、どこに……?」
「部屋じゃねぇの?」
「行ってもいなかったよ」
部屋も調べてみたがいないことは確認済み。なら、何処に消えたのかがわからないからこうしてここに来たのだ。
任務に行ってないことはわかった。
それだけでも収穫だと自分に言い聞かせ、私は彼の居場所を考え始める。
部屋――もぬけの殻。
図書館――職員によると『今日はまだ見ていない』らしい。
修練場――誰もいなかった。
科学班フロア――兄さんとリーバーさんが仕事に仕事をさせられているだけ。
「あー……。そういや副隊長ちゃんの様子も可笑しかったな。あの娘、結月大好き人間だからわからん事もないけど。不憫な娘だよなぁ」
「どういうこと?」
「いやいやこっちの話。まぁ、こういう事についてはリナリーが……いつかわかるさ」
遠い目をしながら室長である私の兄を見つめるリーバーさんは仕事仕事と自分に活を入れるとデスクに戻っていく。
私は、今知りたい。『いつかわかる』とはどういう事なのか。言いかけた言葉は何なのか。
けれども、リーバーさんの邪魔をする事は出来なかった。
「ねぇ兄さん、いつかわかるってどういうこと?」
「リナリーはそんなこと知らなくていいんだ。僕だけの天使でいてくれさえすれば」
□■□
「それでアタシのところに来たわけね。いいわいいわね、若いって! それなら何でもアタシに訊いてちょうだい! ……と言いたいところなんだけどねぇ」
研究室から出た私は、もっとも出現する可能性のある食堂へと足を運んでいた。結月君は食い意地ははっていない方でここに来るのは毎日三回、つまり朝昼夜の三色分となると予想してきたのだけど。
ジェリーさんによると、一度来たけど何も頼まず、隊員達の様子を見ていただけらしい。副隊長である飛燕ちゃんが何かしら雛鳥みたいに与えていたとは、殆どの誰もが見ていたようで……。
そんな話をした後、兄さん達との会話を相談した私に返ってきたのは気落ちしたような声で喋り続けるジェリーさんの声のみだ。
「こればっかりは自分で気づかないとねぇ。自覚がないとは結月ちゃんにとっては酷なことだけど、もうあの子に同情すらできるわ。というか、室長も室長ね。大人げないったらありゃしないわ」
「兄さんがどうかしたの?」
「あー……。室長ってば結月ちゃんに対してキツく、でもなく攻撃的でしょ? だから、それが大人げないったらもうそれは酷いの」
私にも思い当たる節はあった。
栄養剤と言って、自白剤を飲ませようとしたり。
私が結月君に触れたり、触れられたりすると、ガトリングガンを乱射したり。
飲み物に下剤を混ぜたり(兄さん開発)。
他にも、コムリンなんてロボを造っていきなりコムリンが暴走を起こし、結月君が殺されかけた(全くの無傷)。
「その度、フィーちゃんに何かあったらどうするんだ!って怒るあの子は凄いわ。自分のことじゃなく、本当に誰かを思いやるあの子、結月ちゃんもフィーちゃんのことを好きなんだろうけど。それでも、あんな誰かを思える人間はこの世界には希少ね。ちょっと不器用なところもあるけど必ずやり遂げてみせるし、何度失敗しても立ち直る、ああいうのが部隊を創って、上に立つと誰かが付いていくのは必然かしら」
私もこくりと頷き、同意する。
あの人は、そう。一度だけ、アクマを相手でも刀を手に戦った。破壊こそできないものの、無傷で立ち回り危ない私を援護してくれて、大量に現れたレベル2を相手に私が一体一体破壊するのを手助けしてくれて。
エクソシストである私が、守るはずのファインダーに守られて。
私は無力さを知った。
彼と比べて、私は弱いままだと。
一般人を、彼を守る対象と見ていた私はいかに愚かだったのか。エクソシストである事が強いことだと勘違いしていた私に『慢心は自らを危機に貶める』そう彼は言った。
何時から私は勘違いしていたのだろう。
最初は弱くて、何も出来なくて、エクソシストになるのが嫌で嫌で仕方なくて。
それが何時しか力を持つのが当たり前だと感じて。
力を持っているんだから、せめて少しだけ好きになった教団のみんなを、私の世界を守らないと。
それが、私は――
「――ところで、朝御飯は何にするのかしらん」
深く思考の迷路に入り込んでいたせいか、ジェリーさんが顔をのぞき込んできたことに気づかなかった。
「……ざるそばをお願い」
自然と出てきた食べ物。その名前を聞いてかジェリーさんは眉をひそめてから、聞き返す。
「いいの? 箸も苦手でしょリナリーちゃん、ざるそばってそんな好きだったかしら」
「食べたいの」
「まぁ、止めはしないけど……そういう事は自然体であるべきだと思うけど。あの子も別に強要とかはしないだろうし」
「いいから、作ってジェリーさん」
「ユウちゃんに対する対抗心かしら。最近、結月ちゃんと仲いいものね」
対抗心、なのだろうか。
急かされるようにジェリーさんは厨房に戻り、数分程でざるそばを手に戻ってきた。なんでも二人の男の子がほぼ毎日食べるから早朝に作っているらしく、先程出来上がったものを持ってきたらしい。
それを私は受け取ると、適当な席を探し、席に着く。
そこからはジェリーさんのいる場所が見える。もちろん、厨房で食事を済ませるために注文をしに行く人も必ずと言っていいほど避けては通れない場所。
箸を不器用にも、格好がつかない持ち方で、持つとざるそばをからめとろうとする。それを避けるようにざるそばは箸から滑り落ち、私は何度も挑戦した。
「なんで掴めないのかなぁ」
神田と結月君は箸を簡単に使えるのに、私はいつまで経っても上手くなれやしない。
パスタはあんなに簡単に食べられるのに、同じ麺類の癖にどうしてこうもうまくいかないのか。むしろざるそばよりパスタの方が滑りやすい筈なのに、この差は何なんだろうか。
私がざるそばと箸、二つの強敵と闘っている間にも一人、また一人と席を立っていく。
やっと半分食べ進めたところで、見かねたようにジェリーさんが厨房から出てきた。
「箸の持ち方が疎かになっているわよ。淑女たるもの、テーブルマナーは完璧でないと」
「教えて貰ったんだけどな。その、実践するとなると、難しくって」
「まぁ、箸の持ち方は一時間ほど結月ちゃんに手取り足取り教えて貰ったレベルではあるわね……躰で覚えるってこういう事なのねぇ」
しみじみと、どこか微笑ましそうに頷きジェリーさんは思い返すように少しの間、私の様子を伺っていたのだが、私はふと手を止めてジェリーさんを見上げた。
「ごめんなさい、早く食べるから」
「あら違うのよ! 別に急かしに来たわけじゃないんだから。ほら、こういう娘がいるとワタシ応援したくなっちゃ――」
と、そこまで言った時。
『非常警戒宣言発令。非戦闘員は階下に移動。エクソシストは至急、最上階の脅威に対応してください。――アクマが教団内部に侵入しました』
甲高い警報の音と共に、そう機械的なアナウンスが流れた。
「行かなきゃ……!」
「そう。ついに教団までアクマが侵入したのね。アタシには何も出来ないけど、気をつけていってらっしゃい」
「ジェリーさんも気を付けてね。……絶対に私が倒してみせるから」
焦り食堂を飛び出す人達。アナウンスが何度も流れる中、隔壁の閉鎖が報せられた。机の上に残るのは食べかけの朝食達、僅か数分で彼らは大移動を開始した。
◇◆◇◆◇◆
『第一隔壁閉鎖。非戦闘員は退避してください』
機械的なアナウンスが流れる中、コムイ・リーは数十のモニターの前で爪を噛んでいた。
「城内のエクソシストは!?」
「現在、誰も彼も任務中でリナリーしかいないっすよ」
「一応、任務が終わりそうなエクソシストに伝令は出しましたが生憎どこも遠くて……」
研究員たちの報告にコムイは歯噛みし、ギリっと小さな音を口から漏らした。
モニターの中にはアクマと思わしき人型の異形が三体、それも形状からしてレベル2以上の特殊能力持ちときたものだ。これら全てを相手にするには、リナリーの今の実力ではキツイものであると確信していた。
だから、コムイ・リーは焦っていた。
子供である、まだ成長途中の少女には荷が重すぎると。
妹贔屓だけではなく、ただの室長としての判断で言っても誰しもが頷ける回答であると。
「クソッ……! そうだ、結月君は!?」
「いくら何でもそれは無理ですよ室長! あんた、妹のために一人の子供死なせる気ですかッ!?」
「じゃあ、ファインダーと結界装置をできるだけ集めてレベル2と一対一に持ち込めば……!!」
「確かにそれなら勝機はありますけど、リナリーなら探索班気にして守りながら戦うだろうし。それにですよ、このレベルのアクマ相手にタリズマンが何分持つか……」
その時、リナリーがアクマと接触した。
(くそっ、どうすればいい……ッ!?)
モニターの中ではアクマレベル2と思わしき三体と抗戦に入り、己がイノセンスを発動する小さな少女の姿が科学班の目に入る。
コムイの焦りも、それを見ていっきに加速する。
何より大切な妹の危機が、人間であり優秀な彼の脳の働きを、判断力を鈍らせる。
「……リーバー班長。至急、団員を集めてタリズマンを教団内から全部集め、後にリナリーの援護に向かわせて」
「確かに方法としてはそれしかないっすね。でも、指揮は誰が……」
「教団内に結月君が居るはずだ。この中で戦場を知り的確に判断できるのは彼だけだ。だから、アナウンスで敵にバレてもいいから呼び出すんだ」
――ピッ、ガガガ。
コムイがリーバーに指揮を渡した時、不意にモニター近くで雑音がした。
まるで、ノイズのような。
機械的な、聞きなれた音が研究員たちの耳に残る不協和音を奏で次には気だるそうな少年のような声が聞こえてきた。
『ふぁぁぁ〜〜〜……。おはようございます室長、どうやら外が騒がしいようですが、何かあったんですか?』
「結月君かいッ!? 今どこにいるんだ!?」
『どこって、今までゆっくり寝てて今し方起きたところですよ』
部屋にはいなかったと、リナリーからの事前情報は得ていた。それでも焦るコムイはそんなことお構い無しに怒鳴りつけるようにその通信装置であろう、見えないものに向かって叫ぶ。
コムイやリーバー、科学班の誰もが知らない。備え付けられた装置は向こう側の行方不明のはずの結月からの連絡だった。
「それよりだ、結月君っ。休暇中悪いんだけど、城内にアクマが侵入した。君の力を貸して欲しい。今、城内にはリナリー以外のエクソシストがいない。レベル1なら問題はなかったのだろうけど、相手はレベル2以上なんだ。それも3体。だから、君にはファインダー部隊を指揮してもらってリナリーの援護にあたってほしい」
手短に説明をするコムイの言葉は若干焦りつつも、的確に今の状況を伝えていた。
それを聴いて、通信相手の結月の方からは何か硬い床を歩く音が聞こえ、次にはガチャリと扉を開ける音がした。
『……その提案は却下させていただきます室長』
続いて、神妙な声で僅かに聞き取れるほどの声量の結月の声が発せられ、その答えにコムイは立場を忘れ怒鳴り散らす。
「何故なんだい結月君ッ!? このままじゃリナリーが。君はそれを、自分に好意を向けてくれる少女を見捨てるというのかい!!」
認めたくない事実まで認め、コムイは更に熱を上げ手元にあった資料を握り潰す。
無意識にも掴まれたそれはくしゃりと丸まりシワができ最良の状態とは程遠くなる。周りが声をかけようとするもこの状態のコムイにはどう言葉をかけていいかわからず、皆押し黙ってしまう。
唯一の希望が絶たれたと思った時、結月の側からとんでもない事実が明かされる。
『あれはレベル2じゃない。レベル3。それも、3体全てが至っています』
「なっ!? レベル3!?」
「ちょっと待て、今レベル3って……どうしてそんなことが判る」
「そんな、この状況でレベル3なんて……」
「リナリーの最高で倒したレベルは2。それも、かなりの苦戦を強いてだ。報告には、他のどのエクソシストもレベル3との抗戦履歴は……」
研究室が絶望に駆られる中、リーバーの問いに結月は対照的な落ち着いた声で返す。
『何も簡単な事ですよ。呪いによってレベルは判るんです。気配が違う。容姿が違う。そして何より、俺はレベル3なんて腐るほど見てきた』
「……腐るほど見てきた? いったい、君は何を言って……」
『援護は必要無いです。いえ、むしろ邪魔です。神に楯突く牙なら少しは力になれたでしょうが……俺にはこの3体を相手に、他人まで守れる自信が無い』
「おいおいおいおい、待て結月。そのレベル3相手にお前は一人で何をしようとしてるんだ? 馬鹿な事はやめろ、お前には大切な人がいるだろう! そこにフィールティアもいるんだろ。こんなこと、お前は止めなくていいのか!」
諭すようなリーバーの声に、少年と少女が答えた。
『大丈夫ですよ。というか、こんなところで見捨てたりしたらますます嫌われてしまいますし。彼女は俺がやらなければ自分でやっちゃいます』
『もう、結月ってば照れ隠しばっかりなんだから。そうやって私を理由にいつも助けちゃうくせに』
『誰が照れ隠しだよ。俺は誰かに死んで欲しくないから、傷ついて欲しくないからそうしてるだけであって。昨日いた奴が死んでるなんてなんか嫌だから、自己満足のためにそうしてる訳であって助けてる訳じゃない。……もしフィーが男の人を助けて惚れられて、それでフィーもその人を好きになったら……って思うとなんか、なぁ』
『半分、本音が漏れてるよ』
いつも通りの二人の会話に研究員たちが和み、ほっとし肩の力を抜く中、まだ向こうからは言い争い、じゃれ合うような会話が聞こえてくる。
そこで、状況を忘れていなかった結月は会話内容から逃げるように現実へと逃避した。もっとも、逃避したい現実は既に目の前でリナリーがレベル3と戦っているということなのだが。
『……出来れば、もう少し時間が欲しかったんですけど。そうも言ってられないしな』
通信は途切れ、コムイ達はモニターへと視線を移す。
そこには、まるで弄ばれているようなリナリーの戦う光景だけが映されていた。
彼らはまだ知らない。
アクマが命令によって、襲撃してきた事を。
ただ、一人を除いて。