ドアを開けると、壁の代わりを果たす巨大な窓から、闇の中に星々を散らしたような夜の町並みが目に飛び込んできた。
そんな背景の真ん中で、ディスプレイを凝視しながら、せわしなくキーボードを叩いている男に目が留まる。
相変わらずのしかめっ面。目の前に人が来ていることに気が付いているはずだが、コンマ一秒ほども意識を向けようとはしない。
少しだけ機嫌を損ねたサラは、その集中力をぶち壊してやろうと、努めて陽気に、能天気な挨拶をしてみた。
「ハァ~イ。おひさしぶり~です、セト」
キーボードを叩く手が止まり、海馬コーポレーション社長、海馬瀬人は、実に面倒くさそうに顔を向けた。
しかし彼女を確認したものの、小さく鼻で「ふん」と息を吐き、すぐさま先ほどのようにディスプレイに視線を戻してキーボードを叩き始める。
「前触れも無しに来るとはな。よっぽど断ってやろうと思ったが、重要な話というから会ってやったのだ。用件をサッサと話せ」
一年ぶりに会ったというのに、以前と全く変わらない仏頂面が出迎えたのを見て思わず吹きだしそうになる。
日本人でもなく、しかもクリスチャンである自分が「仏頂面」などという別の宗教が由来の言葉を覚えてしまうくらい、彼はいつもそんな顔をしていた。
「相変わらずですね、セト。一年ぶりに再会したガールフレンドにキスのひとつくらいは無いのですか?」
「フン、相変わらずくだらん事を。そんな事より、まずは無駄に流暢過ぎるその日本語を何とかしろ。それにオレは次世代決闘盤のテスト経過チェックや細かいバグの修正で貴様のつまらん話を聞いているヒマなどない」
「話題のフリカエとは、セトらしくないですね」
「……すり替えだ。そうやって知っててわざと間違えるその言い方も耳障りだ。戯言を言いに来たのなら帰れ。オレは貴様と違ってヒマではないのでな」
言いながら変わらない毒舌の瀬人を見て、サラは肩を竦めて嘆息した。
結局は本題以外に話を聞くつもりは無いらしい。少し悲しく思いながらも、これ以上のジョークが通じる相手じゃないことをサラは改めて認識した。
「……オベリスク」
キーボードを叩く瀬人の手が止まった。
「なぜ貴様がそれを知っている」
瀬人は疲れを吐き出すように嘆息すると、手を休め、椅子の背もたれに寄りかかって顔を俯かせる。
「あのカードを誰が作ったかは聞いたはずです」
「なるほど。すると、あの女は貴様の差し金か」
「いいえ、反対です。今の私が彼女の差し金……といったところです」
その言葉に瀬人がピクリと反応し、いぶかしげな目をようやく向けた。
「ミス・イシュタールから話を聞いた時は、私も驚きました。彼女の動きを辿れば、その狙いもおおよそ想像は出来ます。しかし兄が倒れた今、当社はもうそこに不要な存在。このように来る必要も無かったのですが……結局、彼女のぶら下げた餌にまんまと釣られてやってきました」
続きをじらすように、サラは一息入れた。
ちらりと様子を伺うと、さすがの瀬人も話に聞き入っていた。内心で少しだけほくそ笑みながら、続きを口にする。
「あのレアカードハンターズの名前を出されては、黙っているわけにもいきません。我がインダストリアル・イリュージョン社は彼らを殲滅するため、エージェントを派遣させていただきます」
「フン、そのような――」
「貴方の許可を得るつもりも必要もありません。あくまでもこちらの決定事項を伝えただけです。私が来たのは、彼らの掃討を効率よく行えるよう、貴社に当社との連携を要請するためです。もちろん、この要請を断られようとも当社は当社で勝手にやります。しかし我々の手の者が勝手に動き回るのも、貴方にとって都合が悪いのではないですか?」
瀬人の言わんとすることを、さらなる言葉で斬り捨てた。彼の言いそうなことなど予測済みである。彼のこういう部分は分かりやすかった。
「そういう事か。フン、小ざかしいことをする」
「先に言っておきますが、我々は貴方のやろうとすることの邪魔をするつもりはありません。あくまでも彼らの掃討に徹します」
彼女はスポーツバッグの横に屈み込んでファイルケースを取り出すと、そこから数枚の書類を瀬人に渡した。
「詳しくはこの書類に書いてあります。人を多く派遣すると、向こうに感づかれて掃討がやりにくくなる可能性があります。そこを考慮し、当社はエージェントを少数精鋭で選出・派遣し、強力な狩人達を潰していくつもりです。他、彼らの人数が予想よりも多い場合の対策も、その書類に書いてあります。これらに書かれている件で発生する損害は全て、我がインダストリアル・イリュージョン社が補償するつもりです。それほどの損害が出ると思ってはおりませんが」
「……まあいいだろう。雑魚共の掃除にはおあつらえ向きだ」
肘掛けに手を付いて、背もたれに寄りかかっていた姿勢を正すと、瀬人は机上の内線ボタンを押して人を呼んだ。
「良いのですか。そんなに簡単に決めてしまっ……て?」
もう話は終わったと言わんばかりに、瀬人の視線は再びディスプレイに注がれていた。その両手は思い出したようにキーボードを叩き始める。
サラは内心、少し落胆した。どうやら彼の興味を最後まで引くには、自分では力不足だったようだ、と。
この鉄面皮をどうにかしてやりたいと常に思っているのだが、その徹底された不可侵な心の壁は《聖なるバリア-ミラーフォース》よりも硬いらしい。
彼が凍てついた感情を燃やし、鋼鉄の表情を崩して活き活きと脈動するのは、常にあの宿敵――武藤遊戯と相対するときのみ。
宿敵と肉薄したときの瀬人の表情を思い出し、サラは小さくため息をつく。
なんだか少しだけ――悔しかった。
***
海馬コーポレーションの担当役員との話し合いを滞りなく済ませたサラは、海馬ビルディングを出ると何気なく空を見上げた。
乱立する高層ビルの隙間から覗く空は、暗幕をかけられたような闇に包まれていた。星の瞬きも、海馬ビルディングの電飾に遮られて、あるのかどうかも見えない。
淀んだ空気を吐き出し、夜の澄んだ空気を肺に送り込む。夏も近いというのに、少しだけ肌寒いような気がした。
手首を返してピンク色の腕時計を見ると、日付がすでに変わっていたことに気付き、大きく息を吐いた。
自身のすべき仕事を済ませホテルへと足を運ぶ彼女だったが、その足取りは、沼地を歩いているかのようにひどく重たかった。
大会社の会長代理をやっている身分だから金をケチるつもりは無い。無いが、せめてホテル料金を持つくらいの待遇はないものかと彼女は思う。それが社交辞令であっても。
まるで自分が全く眼中に入れられていないような気がして、腹が立つよりも悲しくなってくる。
「やっぱり、私は兄さんのようには出来ない……」
夜天を覆う暗闇に向かってつぶやく。
出身大学の良し悪しや、知能指数の高さだけが、必ずしも仕事にとって重要ではないことを、今こうして会長の代理をしてみて初めて思う。
サラには決定的に存在感が足りなかった。そこに居るだけで周囲の空気を変えてしまう兄、ペガサスのような。
そういう意味では、やはりペガサス・J・クロフォードは天才だった。いくら出身大学や知能指数が兄より上であろうとも、やはり自分の力は書類上でのこと。その実力は遥か及ばず、兄の偉大さをつくづく思い知らされる。
自分は兄のような偉大な経営者の跡を継ぐに相応しい人間になれるのか。そんな不可視の未来にサラは大きな不安を抱いていた。
「そこの方、なにか悩み事をお抱えですか?」
不意にかけられた声に振り向くと、いつから居たのか、そこにはエジプト民族衣装ガラベーヤに似た服装をした褐色の女性が、ビルの壁を背にひっそりとたたずんでいた。
頭から被ったフードと口元に渡した布が彼女の人相のほとんどを覆い隠し、隙間から覗く目は、夜天の星のような冷たい視線をサラへと送っていた。
「なんのジョークですか」
そう言って両の掌を上に向けて、大げさに肩を竦める。その女性は知った顔だった。
「ふふっ。半分は冗談ですが、半分は本気で聞きました。私は占いが出来ますが、気休めでよければどうですか?」
占いは嫌いだった。未来は不可視であるからこその未来だ。見えてしまった未来は、もはや過去と言っても差し支えは無い。サラはそう思っている。
しかし胸中に渦巻く不安を鎮めたいとも思っていた。果たして、その誘いを受けるべきか否か……。
「安心してください。占いは私の力を使ってのものではなく、貴女のデッキをお借りしての至極簡単なものです」
「分かりました、お願いします。貴女は人を……その、コントロールするのがとても上手なようですね。これも貴女の見た未来の映像ですか?」
サラのデッキを受け取った女性は、「さあ、どうでしょう?」と曖昧な答えを返し、シャッフルの終わったデッキを差し出してきた。
「これから四枚のカードを引いてもらいます。一枚目から順番に、過去・現在・未来を。そして四枚目は今度の計画での貴女自身を示します」
神妙な面持ちで頷くと、サラはデッキに手を伸ばし、一枚目のカードを引いた。
「……《Illusionist Faceless Mage》」
一枚目は、ノーマルモンスターカード《幻想師・ノー・フェイス》だった。そのカードを見て、あまりに当て付けなカードに失笑した。
半端に優秀な能力値、しかし顔が無い。無個性。確かに過去の自分で間違いは無かった。次のカードへと手を伸ばす。
「……《THORNY RESTRAINT》」
二枚目は、カウンター罠カード《いばらの拘束》。その意味するところを少し考え、しばしの後にカードが逆位置であることに気付き、ようやく思い当たる。
つまり、自分が使うのではなく相手に使われる、と。仕込んだ罠を適切なタイミングで使おうとしても、いつもそれを止められる。相手の反撃を極点まで想定できない自身の認識の甘さゆえに、ベストのタイミングを常に外されてしまう。そんな経営者としての自分を示しているとサラは理解した。三枚目に手を伸ばす。
「……《Soul Release》」
三枚目は、《魂の解放》だった。実に微妙なカードが現れた。しかも逆位置だった。効果から解釈するべきか、名前から解釈するべきかサラは迷う。
効果から解釈すれば、サラは回復可能だったものを完全に失うことになる。それは病の床に伏せている兄、ペガサスの事を指すようにも思える。
名前から解釈すれば、自身を縛り付けている様々なものを克服するのか、脱出するのかは不明だが、それらから解き放たれる事を指す。つまり、兄ペガサスの回復をも示すようにも思える。
解釈の仕方で、ほぼ反対の意味になってしまうことに、サラは苦い面持ちを浮かべた。
「それぞれのカードに何かしら思い当たることがあったようですね。しかしこれらはあくまでも占い。要は、過去や今が悪くとも、将来がより良くなれば良いのです。過去はすでに過ぎ去ったものであり、現在も近く過去へと変わります。今に不安があるのであれば、より良い未来を目指し、これから努力していくことが大切です」
その言葉を聞いて、サラは嘆息する。
「なんだか世界中のどこでも聞けるようなテンプレートな話ですね」
サラの言葉に、女性は苦笑しながら「可能性を否定しないのが占いですから」と言葉を続けた。
「示された結果は、その者の可能性を限定するのではなく、それによって別の結果への可能性を示すためのもの。占いの結果は恐れるに値しません。どのような結果が出ようとも、結局は本人の努力次第。どの道を選ぶのかを決めるのは、やはり自分以外にはありえません」
言葉巧みな女性の誘導に、なんだか上手く丸め込まれているような気がした。
しかし少しだけ心が軽くなったのも感じて、サラは「人間、時にはダマされてみることも大切なのデース」という兄の陽気な言葉を思い出した。
その言葉を聞いた当時は、どこの漫画から持ってきた言葉だと眉を顰めたものだったが……なるほど、今ならそれが良く分かった。
「では、最後のカードを引いてください」
女性はまるでサラの心中の動きを察しているかのようなタイミングで、最後のドローを求めてきた。
海馬コーポレーションがやろうとしている大規模な計画……そこに立ち入ろうとする自分はどうなるのか、せめて良い結果になればと、思い切ってカードを引いた。
「……《Dramatic Rescue》?」
引いたカードは、正位置の《救出劇》のカードだった。効果から考えるのか、名前から考えるのか。これもまた解釈によって意味が変わる微妙なカードだった。
その意味を掴みかねてカードを凝視していると、手触りがやや厚いことに気がついた。指で強く挟んでゆっくりとずらしていくと、その後からもう一枚のカードが現れる。
「……《Amazoness Chain Master》」
出てきたのは《アマゾネスの鎖使い》。正位置。どうやらカードがくっついていて二枚引いてしまったようだった。
「二枚引いたこともまた、未来からのメッセージ。その指し示したものが、あなたのより良い未来の糧となるよう願ってます」
それだけ言うと、女性はデッキをサラの手に渡し、立ち去ろうと背を向けた。
「待ってください、ミス・イシュタール。これらのカードが示す未来を貴女は――」
言いかけ、続く言葉をイシュタールと呼ばれた女性の出した手に遮られる。
「カード達の指し示す未来は、全ては彼――ミスター海馬の作り出す新たなる闘いの道程の中にあります。ここでの答えは意味を成しません。その引いたカードの意味の揺らぎは、不安定な未来そのものを指しています。日本の古い言葉に『急いては事を仕損じる』とあるそうですよ。焦ってはいけません。ご自身の意志と力で、揺らぐ未来から、より良きものを掴み取ってください」
そう言うと、立ち尽くすサラを置いて、イシュタールと呼ばれた女性はビルの谷間の闇へと消えていった。
しばらく呆けていると、どこからか良い風が吹いた。
銀色の髪が背後からの風になびいて視界の両脇を遮る。まるで「脇目を振らず前だけを見ろ」と誰かに言われているように。
残された正面の視界には、これから待ち受ける闘いの道程を示すように、ビル群に挟まれた道が遥か遠くまで伸びていた。
先ほどまでの不安はほとんど吹っ飛んだ。道程は長く遠いが、たどり着くそこに答えがある――そう思うだけで俄然やる気が沸いてきた。
「セトの作り出す、新たなる闘いのロード……そこに全ての答えが」
と、そこでサラは、結局彼女に上手く乗せられた事に気がついた。恥ずかしいような、照れくさいような、情けないような複雑な気持ちが沸いてくる。
決意と共に突き上げようと強く握った拳は、中途半端なところで止まってしまう。そこで先ほど引いた《いばらの拘束》のカードを思い出し、さらにしてやられた気持ちになった。
「まったくあの人は……」
全部見透かされてしまったのを誤魔化すようにつぶやくと、サラは兄の言葉をまた思い出して、別の意味でもう泣きたい気分になってきた。
彼女も兄も、ちょっと物事が見えすぎだ。全ての言葉に先回りされている。もう少し手加減してくれても良いのではないか。サラは心の中で、二人にそう愚痴を漏らす。
上手く乗せられたせいで釈然としないが、しかし今はこの湧き上がってきたやる気に騙されてみるのも良いような気がした。
サラは再び歩き出す。その足取りはいつしか靴底にバネでも仕込んでいるかのように軽くなっていた。
全ての可能性は決闘の中にあり、全ての答えは海馬コーポレーションの打ち出す大計画の内に混在する。
「ならば私も私自身の道を見つけるために行きましょう。私の――」
小さくつぶやいて、サラは遥か遠くまで伸びるストリートを見据えた。
「――新たなる闘いのロードへ!」