王の右手の栄光。それは莫大なる賞金。
全ての挑戦者を薙ぎ払い、その頂点へと到達し、王となった者だけが手にする右手に宿る栄光。
右腕に輝く命の星はあまねく黄金となり、新たなる王に富を与える。
しかし金を欲するは王のみに非ず、また富を得し者が王に相応しいとも限らない。
黄金の鈍い輝きは心に闇の暗幕を生み、捕食すべき餌を求め、弱者への刺客となる。
***
その身から、まるで凍りついた冷たい炎が見えるようだった。
かつてワタルがこれほど怒りをあらわにしていると感じた事があっただろうか?
ワタルと知り合ってから、もう十年ほどになる。
しかしこのワタルを、ボクは知らない――。
ダイナソー竜崎との戦いの後、あまりの悲惨な負け方にデュエルモンスターズを辞めようかとすら思っていたボクを、ワタルが立ち直らせてくれた。
そこに現れたのが、孔雀舞という聞いたことのない女性デュエリスト。
彼女はボクのデュエルを見ていたようで、「勝機はいくつもあったのに、場を読む力の無さと未熟な腕が、それらを全て自分で放り投げていたのだ」と、虫の居所でも悪かったのか、必要以上に痛烈に批判してきた。
その言葉にまた落ち込みかけたボクだったが、傍らで未だかつて無いほど激しく怒りを燃やすワタルに驚いて、そんなものは全て吹き飛んでしまった。
傷心と混乱からか、ここからデュエルまでの展開を良く覚えていない。
ただ、ワタルを初めて怖いと思ったことだけは覚えている。
「…………」
ワタルの顔から表情が消えていた。
怒りのボルテージが限界を超えると、火山が噴火したかのように大暴れする人と、殺意すら感じさせる身も凍るような沈黙を宿す人といるが、ワタルはどうも後者らしい。
その冷たい無言は見ているだけで身震いが起きそうな、未だかつて体験した事のない恐ろしい無表情だった。
そして、その相手を念殺するような無表情をサラリと受け止めているのは、さっきボクを痛烈に批判した孔雀舞という女性デュエリストだ。
「へえ……ただのお坊ちゃんかと思ったけれど、なかなかやるじゃない。いっちょ前な気迫見せてくれるわね」
あのワタルの無表情を受けて平然と――いや、むしろ楽しそうにデュエルテーブルに着いた孔雀舞は、肘を着いた手にあごを乗せると、「でもね」とつぶやいた。
「そんな気迫、他の奴に通用しても私には通用しないわよ。その程度の修羅場、私は飽きるほど潜ってきているのよ……ボーヤ」
孔雀舞は、ワタルとは違う意味で身も凍る妖艶な微笑を浮かた。
そのプレッシャーに動揺したのか、ワタルの表情が一瞬だけ元に戻ってしまう。
なんか……嫌な予感がした。
「く……くそっ! これならどうだっ!」
ダメだ、ワタル。落ち着いて。
「ふふん。気迫だけはいっちょ前だったけど、デュエルの腕はシロートに毛が生えた程度ね。そんな腕で私に噛み付こうなんて……あははは、笑わせるわ!」
キーの高い嘲りの言葉が、デュエルボックスの内側で高らかに響く。
自分のカードを伏せた状態のまま全て完璧に把握するという意表を突く彼女の能力に動揺したワタルは、完全に自分を見失っていた。
「落ち着いて! 落ち着いて、ワタル!」
ボクはワタルを何とか落ち着かせようと、必死でデュエルボックスを叩く。
しかしデュエルフィールドには届かない。
――いや。
今のワタルには、どんな言葉もおそらく耳に入らない。
ワタルといえば、どんなデュエル展開になっても決して大負けしない、底辺に強い安定感を見せるデュエリストだ。
ボクみたいに長所と短所が分かれやすいタイプとは違う。長所が地味だが、短所も目立たない。
肝が据わってないせいか緊張で硬くなることはあるけれど、デュエル展開そのものは、本人の心境とは関係なく、何故かギリギリで踏ん張れてしまう底力を持っている。
それが……
「ち、ちくしょう! こいつならどうだっ!」
ワタルは無名のデュエリスト相手にまるで歯が立たず、全てが空回りし、誰が見ても明らかなほど、ひどく混乱していた。
その顔には、もはや怒りなんて存在する余裕はなく、ただ自分を見失って見苦しく足掻くだけの歪んだ表情が張り付けられているだけだった。
泣きそうな顔をしながら半ば自暴自棄気味に出したカードは、普段のワタルならありえないほどに不用意で無警戒。自身の負うリスクに対して、二手三手先には早々に詰んでしまうのが簡単に分かるような、悲しいくらい無意味なコンボだった。
魂のカードは出された瞬間に打ち砕かれ、練り上げた戦略は全て意味を失くし、勝利への祈りを込めた命のデッキはフィールドに留まる時すら与えられず、ただ流されるままに墓地へと吸い込まれて行く。
「うわああああああああ!」
ヤケクソとも恐怖の悲鳴とも取れる叫び声をあげ、ワタルは無意味なプレイングを繰り返し、孔雀舞が手を下す必要すらなく自滅して往く。
こんな醜態を晒すワタルを見るとは思わなかった。
ワタルのデュエルは壊れてしまったのだ。
「それじゃ、スターチップは頂くわね。フフ、弱小なボーヤは、早くお家に帰ることね」
彼女の言葉への返事はなかった。ワタルは、まるで時間が止まってしまったかのように、デュエルフィールドをじっと見つめたまま動かない。
相手のモンスターを一体も倒すことなく、相手のライフポイントを1ポイントも削ることなく、ただ自身の墓地に積み上げられたカードの山と、一枚のカードも無い相手の墓地が、パーフェクトゲームという結果となって、二人の実力差をこれ以上なく明確に物語っていた。
歯が立たないとか、相手にならないとか、そういう次元の話ではなく、パーフェクトゲームという結果の他に、全て相手の都合のままに動かされたという屈辱と敗北感も上乗せされる最悪の負け方だった。
ボクは、自分がこれ以上なく悲惨な負け方をしたと思っていたけれど……このワタルの負け方に比べたら、逆に自慢話に出来るくらいの実に甘っちょろいものであったことを痛感した。
かけられる言葉が見つからない、でも何かをしなければならない。
ボクはどう言葉をかけるべきか考えながら、重い足取りでデュエルボックスへと入った。
「なに、これ……?」
中に入った途端、ボクの足が止まった。
これって、もしかして。
「……ビューティー・ローズ?」
「なっ……!?」
デュエルボックス内に充満している何種もの香りの中から嗅ぎ取れたものを口走ると、顔に戸惑いの色を映して孔雀舞が立ち上がった。
彼女の反応を見る限り、どうやらここにトリックのタネがありそうだ。
ボクはさらに鼻を利かせて、香水の種類を分析していく。
「ええと……ボリステック、プリズン・ガーデン、ジャンヌ・リバー、ステイフロウと……あとジャン・フイルム? それとこれは……たぶんビューティー・ゴージャスかな。あと……これ最近なんかあったような……ええと……そうだ、シルビアヴェールだ!」
まだまだボクの未熟な鼻では分からないものもあったが、これだけの香水が使われているにも関わらず、全体でひとつの大きな香りへと統一させるよう、バランスの調整はしっかりしているようだった。
普通の人がこの香りを嗅いでも、たぶんこんな何種類にも及ぶ香水が使われているなんて思わな――
「そうか、わかった! ちょいとカードを失礼するヨ!」
「あ、私のカードを勝手にさわるな!」
孔雀舞は噛み付かんとする犬のように身を乗り出したが、そんなものはもうどうでも良かった。
一人で使うには香りの種類が不自然に多すぎるのだ。
「なるほどネ。《ハーピィ・レディ》は、ビューティー・ローズ。《サイバー・ボンテージ》が、ビューティー・ゴージャスね。香水の名前からカードが想像できるように選んである。それに何種類もの香りだと悟られないよう、全体の統一感にもちゃんと気を遣って香りを選んでるね」
彼女のカードには、やはり香り付けがなされていて、何枚かのカードを嗅ぎ比べると、わりと簡単にトリックのタネが分かった。
ダテに、一代で化粧品会社を立ち上げた母と、かつて一流の料理人だったという父の間に産まれているわけじゃない。
でもこの香りを嗅ぎ分けられる人はたぶん、ボクのようにそういう事に馴染みのある人か、生まれつき嗅覚の鋭い人くらいだろう。
……ワタルが気付けなかったのは仕方がない。
「フン。まさかまた私のアロマ・タクティクスが見破られるなんてね。しかも今度はお子様に。まあいいわ。どうせこんなもの雑魚用の小手調べみたいなものだし、それに私の勝ちには変わらないもの。スターチップはこの通り頂いていくわよん」
スターチップをこれ見よがしにこちらへ向け、彼女は無理にはしゃいで見せた。
彼女も少なからず動揺しているのを感じたけど、残念ながら確かに勝敗は決している。
何も言い返せないのが悔しかった。
「これで賞金に近づいたわん」とつぶやき、「賞金は何に使おうかしら」と、孔雀舞はあさっての方を向いて皮算用をし始めた。
「カードの香り付けに使ってる香水から分かるけど、お金持ちなんでしょ? それなのに、そんなにお金持って何に使うの? くだらないよ」
「なんですって!?」
「高級な香水を何種類も寄り合わせて、これ見よがしにその数を誇ろうとする人は、心が貧しい可哀想な人だって。お金もそれと同じだって、ママが言ってた」
急所に入ったのか、孔雀舞の言葉が詰まった。しかしここで黙るほど彼女の人間が出来ているとは思えない。
反撃の言葉は当たり前のように返ってきた。
「フ……フン、何を言おうとも私の勝ちは変わらないわ。負け惜しみもそこまでね、お嬢ちゃん」
「う……」
せめて香水とお金というコンボで一矢報いるつもりが、結果というキラーカードによって切り替えされてしまった。
ボクは勝ち誇って出て行く彼女の背中を、何も言えずにただ見送ることしか出来ないのか……と思っていたら、孔雀舞が何やら複雑な表情で振り向いた。
「そういえばあなた達。『見えるけど見えないもの』て何だか知ってる?」
ほわい? なんぞそれ。
「『タコ焼きの中の具のタコ』とか言うオチ……じゃないよネ?」
「……聞いたあたしが馬鹿だった。もう用は無いわ、じゃあね」
孔雀舞は、聞き返したボクの言葉にわざとらしく大きなため息を吐くと、先ほどまで勝ち誇っていた背中を力無く丸めてデュエルボックスを出て行った。
「そういえばママに聞いたことがあるヨ」
彼女は歩みを止めて振り向いた。
わざと聞こえるか聞こえないかというきわどい大きさの声を出したのに、その耳はしっかりと言葉を捉えていたらしい。
しかし振り向いたその表情は、「どーせロクな答えじゃないんでしょ」と言わんばかりに、激しく期待薄である事をこれ以上なく物語っている。
少し前に『化粧をする女性が常に問われることだから覚えておきなさい』と、ママが教えてくれた話がある。
たしか一種の『とんち』として、『見えるけど見えないもの』という話が出てきた。
それは――
「見えるけど見えないもの……それは『鏡に映った自分』だってママが教えてくれたヨ」
その意味をどう汲み取ったのか、孔雀舞は顔を紅潮させ「余計なお世話よっ!」と怒鳴って去っていった。
あるぇ~?
「さて、お互い負けちゃったし……帰ろうか」
孔雀舞が去って行くのを見送ったボクは、背後のマイナスオーラを察して、振り向かずに声をかけた。
「…………」
ワタルは何か声を出そうとして、でも出せなかった。そんな気配を背に感じた。
「まー、どうせ負けて帰されるんなら明るい内の方が良いってダイナソー竜崎も言ってたし。ほら、行くよワタル」
背を向けたまま振り返ることなく、ボクは一人しゃべってデュエルボックスを出る。もちろんワタルの返事はない。
ボクは足を止めた。
「……ここにいても、もう、どうしようもないよ」
「ああ……」
小さな声が返ってきた。
それはひどく空っぽで、機械的で、まるで人間味の感じられない、魂の抜け殻のような声だった。
――ボクだってそうだ。
無理して明るく声をかけても、ボクの心に空けられた風穴は隠せない。
心を込められない、ただの音でしかない今のボクの声は、この場においてのみ少しだけ都合が良かった。
ワタルの受けた屈辱に対して、自分はどういう立ち位置を取れば良いのかなんて事を考えなくても良いからだ。
「ボク達の大会は終わったんだヨ」
たぶん、気分が落ち着いてしまったら言えないと思った。だから今の内に言っておきたかった。
ボク達の見ていた夢は目に映すことすら叶わず、気付いた時には既に終わっていた。
それを自分にも言い聞かせるために。
「帰ろう?」
ボクは、もう一度言う。
つぶやくように応えたワタルの声は、ボクの心にもひどく悲しかった。
***
黄金に魅せられた捕食者によって奪われた命の星。
屈辱的という言葉すら生ぬるく感じてしまう圧倒的敗北。
受け止めるべき現実はあまりに大きく、全国という壁に玉砕した二人に慰みはない。
王の右手がつかむ栄光は、莫大なる賞金という幻などではなく、敗者の血であり肉である。
見えるけど見えないもの。王の右手の栄光は、敗者の遺志を受け継ぐ者にこそ相応しい。
それ故に、輝きを失った敗者という抜け殻は舞台に残る資格を持たず、ただ去るのみなのである。