それは、読者の皆様が考えていたものとは違うかもしれません。
それでもよろしければ、ご覧ください。
織斑一夏が、ゆっくりと階段を降りてくる。その光景に、照彦は一瞬夢を見ているのではないかと考えた。しかし、時折吹く風の冷たさが、今起こっていることが現実だということを刻み込むように教えてくる。それが示すのは、死んだはずの一夏が、今目の前に存在しているという事実に他ならない。
一夏が死んだことは、既に確認済みだ。実際に彼の死体をこの目で確かめたし、DNA鑑定でそれがまぎれもなく彼であるということも知っている。なのに、織斑一夏は生きている。あの時死んだと思っていた人物が、生前と変わらない姿で、今自分たちの目の前に立っている。はっきり言って、意味が分からない。
そしてそれは、楯無も同じことだった。彼女の場合、実際に一夏の死を目の当たりにしているのだ。それなのに、その一夏が何もなかったかのように目の前にいる。このようなことを目の当たりにして、困惑するなという方がおかしい。
そんな二人の様子を察したのか、一夏は階段の途中で足を止め、スコールの方に視線を送る。視線に気が付いたスコールは、一夏の方に顔を向け、笑顔のまま小さく頷く。その動作に、何かに納得したように笑みを浮かべ、一夏は二人の方へと顔を向ける。正確には、自分を見ながら立ち尽くしている楯無へと目を向ける。そこで偶然、楯無と一夏の視線が交錯した。目を逸らそうと思えば逸らせるが、二人はそのようなことはせず、暫しの間見つめ合った。一夏は優しげな笑顔を、楯無はどこか悲し気な表情を、誰も言葉を発しない静寂の中で、それぞれ浮かべていた。
一分にも満たないその静寂を最初に破ったのは、一夏の方だった。
「楯無さん」
「――本堂で待っています」
そう言って、一夏は照彦と楯無に背を向け、階段を上がっていった。
待って、と彼を呼び止めようとして、自分の言葉が吐き出せなかった楯無を、横から見ていた照彦の心には、幾分かの冷静さが戻ってきた。何故、死んだはずの織斑一夏が存在するのか、何故彼がスコール・ミューゼルと仲がよさげなのか、わからないことはたくさんある。だからこそ、照彦は自らの言葉で、スコールに問う。
「これはどういうことだ」
彼の問いに、スコールは笑みを崩さないまま、ゆっくりと答える。その様子は、まるで自分たちがそう言ってくることが最初からわかっていたかのように感じられた。
「私から言えることは、真実を知る権利があるのは、あなたではないということよ」
そういって、スコールは楯無に目を向ける。何故か、その瞳の色は、優しげなものだった。
「更識楯無、あなたは彼の元へ行きなさい――そうすれば、すべてを知ることができるわ」
そう言って、スコールは右手で本堂への階段を示す。優しげな瞳と、余裕そうな笑みをそのままに、まるで旅人を誘う悪魔のような声色で、彼の元へ行くように促した。
だが、彼女の言葉に、照彦は納得できなかった。それどころか、心の内に抱く疑念は募るばかりだ。何故楯無だけなのか。楯無を彼の元へ行かせること自体、こちら側を分断する罠ではないのか。当然と言えば当然だ。こちらにとって、彼女たちは敵なのだ。あちら側にはそのような思惑がなくても、そのように思ってしまう。
悪い考えだけが頭をよぎる中で、照彦は彼らに指名された楯無を見る。彼女は、苦悩に満ちた表情をしながら、うつむいていた。こちらも、ある意味では当然の反応か、と照彦は思う。
今回の作戦で、彼女は指揮を執る立場にある。そのため、勝手な行動は許されない。しかし、彼女個人としては、死んでいたはずの大切な人が、少し動いた先に存在している。ならば、もう一度彼と話したい。でも、自分の役目を果たさなくてはならない。そのような二つの感情が鬩ぎ合っているのだろう。そして、今回スコールが言ったことが真実であり、自分たちには切り札となるような有力な情報をこれといって持っていない。
そのうえで、自分たちが最善の手を取りたいのならば――自身が納得できずとも、取るべき選択肢は一つだ。そう考え、照彦は楯無に言う。
「行ってください」
たった一言だけ、告げる。照彦の言葉に、楯無は驚いたような表情を浮かべ、彼を見る。おそらく、何か言いたいことがあるのだろう。しかし、それらの言葉を言わせないように、さらに言葉を紡ぐ。
「あちらはあなたを指名しているし、あなたはあいつと話したい。そうであるなら、行くべきだと俺は思います」
本心からの言葉を、楯無に告げる。スコールは笑みをそのままに、こちらの様子をうかがっているだけだ。動く様子はまだなさそうだ。しかし、楯無はまだ迷っている。本当に自分は行ってもいいのだろうかと考えているのだろう。その迷いを断ち切るべく、言葉で彼女の背を押すように、彼は言う。
「俺のことは大丈夫です。それに、今行かなきゃ絶対にあなたは後悔すると思います。手を伸ばして届くなら、伸ばすべきです。だから――」
行ってください、今すぐに。
何の根拠もない、だがそれでもこの機会は逃してはならないという確信が、照彦にはあった。彼の説得にようやく覚悟が決まったのか、楯無は何も言わずに本堂への階段へと歩いていく。その時の彼女は無防備であったが、スコールはそんな彼女を襲おうとしなかった。それでも照彦は油断せずに、いつでもISを展開できるように準備していた。
やがて、楯無は階段の前までたどり着いた。そこで彼女は、照彦の方に顔を向けた。照彦は彼女の方を見ず、鋭い視線をスコールに送っている。それでも彼女は、その顔にどこか悲壮な決意を浮かべながら、口を開く。
「ここをお願いね」
「わかっています」
楯無の言葉に、照彦のその言葉に即答する。彼の返答に背中を押されるように、楯無は前を向き、階段を上り始める。この先に何が待っているのかは、今から向かう楯無にはわからない。だが、それでも進まなければ、真実を知ることはできない。そして、今まで恋焦がれていた彼と会うこともできないだろう。
そう考え、はやる気持ちを抑えながら、楯無は一歩一歩階段を上っていった。
楯無の気配が遠ざかっていくのを感じ取った照彦は、鋭い視線をそのままに、口を開く。
「どういうことだ」
その問いに、スコールは答えない。ただ、笑みを浮かべているだけだ。ISすら展開しようとしない。その様子に、照彦は微かな苛立ちを覚え、さらに言葉を紡ぐ。
「あいつは、誰だ」
織斑一夏の姿をした、何者か。それが何者であるか、照彦はスコールに問うが、彼女が自分に返す答えは簡単に予想できた。それでも、言葉にして表さなければ、彼の気が収まらなかった。
「見ての通り、あなたたちが知る織斑一夏じゃないの」
彼女が返してきたのは、やはり予想通りの答えだった。
しかし、その返答に対して、照彦は心の中で否と叫んだ。自身が知っている織斑一夏は、あのような
苛立ちは、憤りへと姿を変える。照彦にとっての織斑一夏は、中学時代に出会い、ともにIS学園で学び、そして先立ってしまった彼だけなのだ。だからこそ、照彦は心に湧き上がる憤りに任せ、言葉を紡ぐ。
「――何故あいつがここにいる」
そんな彼の様子に、スコールは純粋な驚きを抱いた。一夏を強く思っているのは、彼が愛してやまぬ更識楯無だけかと思っていた。しかし、実際はどうだろうか。目の前の少年は、一夏の友として、純粋に一夏を思っているではないか。恋愛か、友情か、ただそれだけの違いで、抱く想いに遜色はない。更識楯無も、秋月照彦も、織斑一夏という存在を大切に思っていたのだ。
ならば、認識を改めなくてはならない。彼もまた、
「私からは、一つの真実を伝えることしかできない」
ならば、もう秘密にしておく必要はない。
「その真実こそが、あなたが求めていた答えよ」
スコールの声色の変化を、照彦は敏感に感じ取っていた。一瞬だけ、罠かもしれないという思考が、頭をよぎった。だがそれでも、彼は彼女の言葉を聞くことにした。もちろん、いつでも自身の身を守れるように、警戒だけは解かず、話を聞く態勢を整えた。
その様子を確認し、スコールはゆっくりと口を開く。
「これは、ある幽霊の話よ」
清水寺本堂、その舞台。そこにたどり着いた楯無は、京都の街を眺めている一夏の姿を目に映した。彼女が来たことに気が付いたのか、一夏はゆっくりと彼女の方を向き、口を開く。
「待っていましたよ、楯無さん」
その言葉で、一夏は楯無を迎えた。だが、楯無は一夏の言葉に答えない。否、答えられない。今、彼女の心の中では、様々な感情が渦巻いていた。また会えたという喜び、何故生きているのかという疑問、そして敵となったことへの悲しみ。様々な感情が、楯無が言いたい言葉を言えなくしていく。それでも、ただ一つだけ、それらの感情を押さえつけてでも言わなければならない言葉があるのだ。その言葉を言うべく、彼女は必死に声を絞り出し、ようやく言葉にすることができた。
「――久しぶり」
たった一言、その言葉を言うのにどれだけ労力を使っただろうか。おそらく、普通にISで戦うよりも、断然辛かった。そんな自分に情けないと思いながら、楯無は一夏の顔を見る。一夏は、楯無の言葉に一瞬だけきょとんとした表情を浮かべたが、すぐに笑顔に戻り、口を開いた。
「お久しぶりです」
一夏の言葉が、楯無の心に染み渡っていく。ゆっくりと、まるで解けない氷を溶かしていくかのように、温かい何かが自身の中に広がっていく。
楯無は一夏を見つめる。一夏もまた、楯無を見つめる。どちらも言葉を発しない。言葉など不要だと言わんばかりに、静かに見つめ合う。しかし、二人の心の中は、二人の間に流れる静寂とは違い、感情の奔流が渦巻いていた。
楯無は、内心少し焦っていた。言葉にしようとしても、それを声として発することができないでいた。今まで言いたかった言葉、あの時言えなかった言葉、そしてこれから言いたい言葉。それら全てが、渦巻く感情に流されていく。あなたの存在を、忘れたくなかった。あなたとずっと、一緒にいたいと思っていた。あなたの姿から、目が離せなかった。
――私は、あなたに恋をしていた。たった一言、その言葉を言いたいのだ。でも、どう言えばいいのかわからなくなっていく。様々な感情が、どう言えばいいのかわからなくしていくのだ。だから、言葉を発することができない。想いを届けることができない。
そして、それは一夏も同じだった。しかし、彼の場合は、後ろめたさと後悔によって、言葉を発することができないでいる。自身の死を目の前で見せたこと、そして、彼女の敵対者として目の前に立っていること。それらのことがあったから、一夏は楯無に言葉をかけることができないのだ。あなたという人が大切に思えて、汚したくなかった。自分という存在にとってかけがえのないものだと思ったから、何よりあなたという存在を壊したくなかった。
――俺は、あなたを愛しているから。ただ一言、その言葉を言う資格は、自分にはない。どんなに恋い焦がれても、遠ざけ、離れるしかないのだ。自身の想いを、届けてはならないのだ。
そうして、二人は、心の内の感情に苦しみながらも、自らが言いたい言葉を探していく。そして、ついに二人の間の静寂は破られる。先に言葉を発することができたのは、楯無だった。しかし、その言葉は、彼女が本当に伝えたい一言ではなかった。
「なんで、あなたは生きているの?」
それは、疑問だった。当然だ、彼は、彼女の前で死んだのだ。ありがとうと言い残し、自殺したのだ。あれは、幻ではない。まぎれもない、現実の出来事だ。
しかし、彼はこうして自分の目の前に立ち、あの時と変わらぬ笑みを浮かべ、あの時と変わらぬ声色で、言葉を紡ぐのだ。まるで、過去の彼そのものが、そのまま現在に姿を現したように思えてしまう。今この瞬間が、もしかしたら夢なのかもしれない。だが、風が頬を撫でる感触。そして、階段を上り、ここまで来た影響で早鐘のように打つ鼓動が、今見ているのが現実の光景であることを伝えてくる。
そんな楯無の心を知ってか知らずか、一夏は顔に笑みを浮かべながら、ゆっくりと口を開く。
「すべて話しますよ」
まず、あなたの前で死んだのは、今ここに立っている俺ではなくて、5年前に生み出され、俺の代わりにそちら側で生きてきたクローンなんです。クローンが活動している間は、ずっと眠り続けていました。
では、なぜ俺が一度も会ったことの無い楯無さんのことを知っているかというと、それは俺自身とクローンには特殊な処置が施されていて、定期的にクローンの記憶のバックアップを取って、その記憶を俺自身へとフィードバックしていたんです。といっても、俺とクローンの性格から自我の何から何まで同一のものですから、別の自分のことを追体験しているような感覚ですね。もちろん、あいつらの暴力とか、テルとの大喧嘩も経験としてありますよ。
その、俺と外界をつなぐためのクローンは、自壊衝動が最初からインプットされていて、本来それは俺が18歳になったら発動するはずでした。だけど、クローンがある感情を抱いてしまったから心が不安定になってしまって、それが原因で早期に自壊衝動が発動してしまい、結果的に死んでしまいました。
――楯無さん、ごめんなさい。多分、あなたの近くで死んでしまったんですよね? その時の記憶がバックアップの範囲じゃないから、その時のことを俺は知りません。でも、あなたの表情を見れば、そうだってことがよくわかります。だから謝らせてください。あいつの大本は俺なんです。だから、ごめんなさい……
――こんな空気ですけど、話の続きをしましょう。
今ここにいる俺は、まぎれもなく今まで眠り続けていた本体です。元々、クローンが死んだら目覚めるように設定されていましたから。いくら今回のことがイレギュラーな事象だったとはいえ、結果的にクローンは死にました。だから目覚めたということです。スコールさん曰く、約束の時より2年早く目覚めることをクローンから告げられた時にはびっくりしていましたけど、その時にはもう修正する時間がなかったと言っていました。
「俺が話すことができるのは、ここまでですね」
何を言っているのか、楯無には意味が分からなかった。自分が恋をしていた彼は、あなたの代替だったとでもいうのか。それとも、彼という存在自体、今目の前にいるあなたが作り出した幻想だったとでもいうのか。そう考えれば考えるほど、自分の中にある何かが、音を立てて崩れていく感覚に襲われる。自分の知っている人が、知らない存在に変わっていく。その事実を楯無は理解できない。否、理解したくない。
だから、彼女の口からその言葉が出てきたのは、自然なことであったと言えるだろう。
「あなたは、誰なの?」
楯無の言葉に、一夏は悲し気な笑顔を浮かべる。まるで、そのことを言われることがわかっていたかのような、そんな表情だった。
「――そうですね」
だから、彼は言葉を紡ぐ。
「俺が誰かという問いに答えるには、一つ話をしなくちゃいけませんね」
既に彼の心は、覚悟を決めていた。もう、彼女に隠しておく必要はないと判断した。
「何の話?」
楯無の問いに、一夏は笑みを浮かべたまま、答える。
「――亡国機業が、存在する理由です」
定められた死。それは本来、未来にあるはずのものだった。そんな理由です。
しかし、この作品の一夏は書けば書くほど嫌な奴に見えてくる不思議。
ちなみに、プロットを作っているときから、クライマックスは清水寺にしようと思っていました。いいよね、清水寺。
最後に、ここまで読んでくださり、どうもありがとうございます。
よろしければ、感想をもらえると幸いです。
これからも、どうぞよろしくお願いします。