今作では、自分の思う純愛の形のうちの一つを書いているつもりですが、おそらく読者の皆様の思うそれとはずれている可能性があります。
そこらへんは「こんな考え方もあるのか」くらいで流してもらえれば幸いです。
それでは、どうぞ。
……結局、ISの戦闘シーンをガッツリ書かずにここまで来てしまった。
胸を紅く染めながら、楯無の目の前で一夏が崩れ落ちようとしている。何が起こったのかわからない彼女であったが、ほぼ反射的に彼の身体を受け止めた。
――今度は、
そうして傷口を抑えながら、楯無は銃声が発生した方向――すなわち、自分たちの死角となっていた後方へと顔を向ける。そこには、一人の少女が立っていた。まず楯無の目に付いた特徴は、少女の顔立ちだった。その顔の作りは、どこか織斑千冬に似通ったものであった。しかし、今立っている少女が千冬でないことは、背格好や髪型から察することができた。ただ一つ分かることは、少女がだらんと下げた右手に持っている拳銃の存在から、一夏を撃ったのが彼女であるということだけだ。
一夏を撃った少女――織斑マドカは、肩で上下させ、荒い息で呼吸しながらも、その顔に歪んだ笑みを浮かべている。彼女の心の中には、暗い達成感と喜びで満ち溢れていた。達成感は、自らの願いである織斑一夏の殺害を成し遂げたこと。そして喜びは、一夏を殺すという目的を達成したことにより、ついに
だが、その二つの感情は、一夏のうめき声によって憎悪へと変わる。
「まだ生きているか……!」
憎しみが、自然と口から言葉を吐き出させる。その言葉に、楯無は顔を強ばらせ、一夏を抱く手に力を入れる。しかし、マドカにとってそんな楯無の様子などお構いなしだった。誰がいようと関係ないのだ。彼女の目的は、一夏を殺すこと。一夏が生きている限り、自分は自分となることができない。それゆえに、彼が生きていることは許せない。何故自分が彼に憎悪を抱くのか、詳しい理由はよくわからない。ただ、姉と一緒にいる姿を見ているだけで、憎悪が心を支配する。姉は私のものだ。そしてお前の立ち位置も、私のものなのだ。ただそれだけの理由で、彼女は撃ったのだ。
しかし、殺しそこねた。ならば、もう一度殺すまでだ。例え誰かの邪魔が入ったとしても、一緒に排除すればいい。その考えとともに、マドカは腕を上げ、一夏に向けて銃を構えようとした。その様子を見て、楯無は一夏を守るべくISを展開しようとした。しかし、どちらも自らの考えていた行動を取ることはなかった。
突如として現れた何者かが体当たりをかましたのだ。背中に体当たりをくらったマドカは、そのまま倒される。その時に彼女が持っていた銃は手から離れ、楯無の足元に滑ってきた。一夏の傷口を抑えている関係上、拾うことはできない。倒れたマドカは起き上がろうとするが、体当たりをした人物は、そのままマドカの上に馬乗りになり、どこからともなく取り出したアンプルを首筋に刺す。
「麻酔とナノマシンだヨ、少し寝てるといいサ」
その人物の言葉通り、アンプルの中身を投与されたマドカは、徐々に抵抗する動きが緩慢になっていき、ついには意識を失ったようだ。マドカが気を失ったことを確認したその人物は、ゆっくりと立ち上がり、楯無と一夏の方に顔を向ける。その人物は、楯無の知っている人物だった。
「怪我はないか――とは言えなさそうだネ」
見覚えのある、着崩した着物と右目の眼帯、そして、やけどの跡と欠損した右腕。間違いなく、楯無の知るアリーシャ・ジョセスターフだった。
立ち上がったアリーシャは、気を失って動けないマドカを放っておき、ゆっくりと楯無と一夏の方へと歩いてくる。何故、彼女がいるのか。何故、彼女はこの場の現状を気にしないのか。楯無の頭に疑問が浮かぶ。その疑問が、楯無に一つの問いかけを口に出させた。
「あなた、何しに来たの?」
アリーシャが来た目的が、全くわからない。一夏の身柄を確保するのが目的ではないことは、彼女の態度でわかる。しかし、かといって自分を助けに来たというわけではない。何故なら、彼女が行った行動は一夏を撃った少女を行動不能にしただけである。つまり、楯無にとって敵であるか、味方であるかはまだ不明な状態なのだ。だからこそ、楯無の口からそのような問いかけが出てきたのだ。
「嫌な予感がしたから、隙をみて抜け出してきたんだが…… 案の定知り合いがまずいことになってしまったヨ」
楯無の問いかけに対し、アリーシャは特に感慨がなさそうな声色で答えた。しかし、楯無にとっては、彼女の言葉は寝耳に水であった。そして、驚きの感情のまま、アリーシャに問いかける。
「あなた、一夏君と知り合いだったの?」
接点など、それこそ一夏の姉関連しか思いつかない。しかも、当の姉は、一夏をISに関わらせないように苦心していたと聞いたことがある。そのため、彼自身とアリーシャの接点はないと思っていた。だからこその問いかけだった。しかし、その問い掛けに答えたのは、アリーシャではなかった。
「――彼女とは、何度か父とともに、会ったことが、あります」
楯無の問いかけに答えたのは、一夏だった。いきなりの言葉に、楯無は一夏の顔に視線をやる。呼吸が荒く、顔色が見るからに悪くなっていることが分かる。
「どうやら、手遅れみたいだネ」
いつの間にか二人の側まで歩いてきていたアリーシャが、一夏に言葉を投げかける。そう言われた一夏は、痛みに耐えながら顔をアリーシャの方に向け、口を開く。
「残念、ながら……そのよう、です」
そう言ったあと、一夏は二度咳き込む。言葉を口に出すのも辛いのか、先ほどから表情が苦痛で歪んでいる。そんな一夏に目を向けながら、アリーシャは静かにため息を吐く。彼女のその行為が、一体何を意味しているのか、過去の一夏を知らない楯無にはわからなかった。ただ、それが呆れなどといった感情から来るものではないことは、先の短いやり取りを聞いただけで理解できた。
だが、
しかし、楯無の言葉が喉まで出かけた時に、聴き慣れた甲高い音が耳に届いた。その音がするのは、頭上。アリーシャが見上げるのにつられるように見てみれば、そこには装甲の損傷が激しいISを身に纏いながら、スコール・ミューゼルを横抱きにした秋月照彦の姿があった。
「更識先輩――織斑!」
一夏と楯無の様子を確認した照彦は、思わず大きな声を上げた。何が起こったのか、その場にいなかった自分には分からないが、一夏の足元に広がっている血だまりと、楯無の足元に転がっている拳銃、そして意識を失っているのか、倒れ伏しているマドカの存在を確認し、何が起こったのかを理解した。そして、状況を理解した後の彼の動きは早かった。清水の舞台に降り立ち、スコールをゆっくりと降ろした後、急いで一夏と楯無のもとへと駆け寄った。
照彦によって、舞台に降ろされたスコールは、一夏と楯無のもとへ向かう照彦に目を向けた後、自身のもとへゆっくりと歩いてくるアリーシャを睨む。自身のISは、照彦との戦闘でエネルギーを使い果たしてしまった。だが、それでもただで負けてやるつもりはない。そう考えながら、いつでも戦うことができるように身構えるスコールに向かって、アリーシャはどこか猫を思わせる笑みを浮かべながら、口を開く。
「そんなに警戒しなさんナ、私はあんたと戦う気は全くないんだかラ」
「……その言葉を、信じろと?」
「信じてもらわなきゃ困るさネ」
そう言って、胸元から煙管を取り出して一服をする。そんなアリーシャの様子をしばらく観察していたスコールだったが、やがて彼女が本当に戦う気がないということを確信すると、ゆっくりと構えを解き、小さくため息をついた。油断はできないが、少なくとも、今だけは信用ができるだろうと判断したからだ。そして、そうするのと同時に、スコールは自身が知るべきことを知るために、口を開く。
「何があったか、説明して頂けるかしら?」
スコールのその言葉に、アリーシャは簡単なことサ、と言い、煙管の先である場所を指し示す。スコールがそれを辿り見てみると、示された場所には倒れ伏したマドカの姿があった。スコールがマドカの姿を見たことを確認したアリーシャは、続いて楯無の足元の拳銃を指し、そのままの流れで煙管の先を動かして、楯無の腕の中にいる一夏を指し示した。たったそれだけの動作であったが、スコールはそれだけで何が起こったのかを理解して、目を見開いた。しかしそれも一瞬で、すぐにその視線は鋭いものとなった。
「――そういうことなの」
スコールの口から漏れ出した言葉は、怒りに満ちたものだった。彼女にとって見れば、換えの効く捨て駒が勝手な暴走を引き起こし、守るべきものを害したようなものだ。スコール自身も、マドカが一夏にたどり着かないように細心の注意を払い、命令を下していた。だが、彼女はこうして一夏に弓引いたのだ。自身にとってみれば、到底許されるものではない。そう考えたときには、スコールの口から言葉が紡がれていた。
「ここをお願い」
ただ一言、スコールはアリーシャに言い、倒れているマドカの方へと歩いて行った。その様子をしばらくの間目で追っていたアリーシャであったが、やがて興味が無くなったのか、目を離し、別の方へと顔を向ける。
その視線の先には、少年が二人と少女が一人。誰も望んでいなかった再会をしていた。
一夏と楯無のもとへとたどり着いた照彦は、楯無の腕の中にいる一夏の顔色の悪さを見て、事態の深刻さを再認識した。そして、荒い息を整えながら、彼は楯無の方へと顔を向け、愕然とした表情のまま問う。
「先輩、織斑は……」
照彦の言葉に、悲しげな表情を浮かべている楯無は何も言わず、ただ静かに首を横に振った。ただそれだけの動作で、照彦は自身が間に合わなかったことを悟り、沈痛な面持ちになる。そこから少しの間、二人の間には沈黙が流れた。その間どちらも表情を変えずに、何かに堪えるように俯いていた。そんな二人に、一夏は言葉を紡ぐ。
「――二人共」
一夏の言葉を聞き、二人は一夏の顔を見る。彼の顔色は相変わらず悪いが、それでも何かを伝えようと、苦しそうにしながら口を開く。
「ちょっと、聞いて欲しいことが、あるんだ」
そう言って、一夏はあることを語り始める。それを、二人は何も言わずに耳を傾けて聞くことにした。
――彼の口から語られたのは、彼自身の本心の言葉だった。
「本当は、俺、楯無さんやテルと、一緒にいたかった」
ゆっくりと、一夏は言葉を吐き出していく。既に彼の瞳は焦点を失い始めており、虚空を見つめていた。
「でも、あの時の俺はクローンの体だったから、どう頑張っても自壊衝動のせいで18歳までしか生きられなかった」
虚空を見つめたまま、一夏は言葉を紡ぐ。
「それに、クローンが死んでしまえば、俺は亡国機業の首領として生きていく運命からは、逃れられない」
そこで、一夏は顔を楯無に向け、光のない瞳で彼女の顔を見つめる。
「――最初から、詰んでたんだよ、俺の人生は。だけど、自殺することは許されていたんだ。現に、過去に何人かはそうして首領の役目から解き放たれている。だから、俺も一時期そうしようと考えたことがあった」
その言葉に、照彦は何かを言おうと口を開きかけたが、それを楯無は視線を向けて止めた。そんな二人のやり取りを気にせず、一夏は言葉を止めない。
「でも、そうしなかった。理由は簡単だ、そんな自分勝手な選択をしてしまえば、今まで世話になってきた人たちや、俺だからこそついてきてくれた人たちの期待とか、そうした人々が遺してくれたものを、全て捨てることになってしまうんだ」
その言葉が、楯無と照彦の心に響く。徐々に一夏が今まで背負い続けてきた重責が、二人の頭の中で形作られてきていた。
「そういう考えが、自分の中で大きくなってきた時から、俺は誰かに助けて欲しいと思い始めたんだ」
それは、彼の心が上げた悲鳴だった。背負い続けたものに押しつぶされようとしていた、一人の少年の限界点であった。
「でも、亡国機業の長として、そんな弱音を吐くことなんてできやしない」
しかし、彼はその限界をひた隠していた。そんなこと、相談できるわけがない。そう考え、自らの本当の想いを心の中にしまい込んだのだ。
「誰かが自分の代わりに、この重荷を背負ってくれないかと考えたことは、一度や二度じゃない。でも、その願いは、誰にも言ってはならないものだった」
だからこそ、抱え込んだ。だからこそ、しまい込んだ。自分がそうすれば、ほかの誰かが苦しまずに済むと思ったからだ。誰かを信用していないわけではない。だが、自分のことで誰かが傷つくことが、許せなかったのだ。
そうして、本音を誰にも言わず、望んでもいないことを口に出し続け、苦しいことがあってもそれを誰にも相談せずに自分の心の中にしまい込む。そうして、織斑一夏は生き続けてきたのだ。
「――そうしたことの積み重ねが、今の状況を招いたんだ」
そう言ったあとに一夏は咳き込み、血を吐き出す。それでもなお、一夏は語ることをやめない。楯無も、照彦も、本当は彼の言葉を止めたかったが、光のない瞳の奥に見える何かを感じ取り、止めることはできないでいた。
「これは、報いなんだ。確かに、俺は、自分がしたいことを言い続けてきた…… でも、その言葉は、本心で言っていたわけじゃ、ない。皆から、寄せられる、期待に応えるために、そして、ついてきてくれた、人たちを、絶望させない、ために…… 嘘を、つき続けたんだ」
一夏の表情は、言葉を吐き出すたびに、どんどん歪んだものになっていく。それは、傷の痛みからくる苦痛だけではなく、心を吐露していくたびに再認識させられる自分の愚かさに対する悲痛も混ざっていた。
「――嘘をつくのが、下手なくせに…… 必死に嘘を、積み重ねた」
また、口から血を吐き出す。それでも、一夏は続ける。
「その末に、本当に欲しかったものは、手に入らないで、代わりに命を、失いつつある」
そう言ったあとに、一夏は弱々しい笑みを浮かべる。楯無と照彦には、その笑みが彼自身を嘲笑っているように見えた。
「世の中、そんなものなんだ。たった一つの、小さな綻びから、全部台無しに、なる……」
紛れもない諦観が、一夏の言葉に込められていた。その感情をいち早く察知したのは、いつの間にか楯無の隣に立っていたアリーシャだった。彼女は呆れたような表情を浮かべ、一度ため息をついたあとに、言葉を紡ぐ。
「それは、あんたが臆病だったからだろウ? 他の誰かが傷つくのが怖かったから、傷つけないために嘘をついた。だが、それが結果的に自分の首を絞めた。それだけのことサ」
アリーシャは辛辣な言葉を一夏に投げかける。しかし、その言葉に込められた感情は、怒りでも悲しみでもない。そもそも彼女はそのような感情を一夏に抱いたことはない。今回も、今まで
「――返す言葉も、ありませんね」
力のない笑顔を浮かべながら、一夏は言う。そして、一度咳き込んだ後、楯無と照彦の方に顔を向け、口を開く。
「――二人共、ごめんなさい」
ただ一言、一夏は言う。その声は、震えていた。それに気がつかない楯無と照彦ではない。だが、そのことに関して一夏に追求するほど、二人は暇人ではないし、鬼ではない。
――どちらも、彼に言いたいことがあるのだ。
そうした感情とともに、最初に口を開いたのは、照彦だった。
「……お前は、本当に馬鹿だよ」
そう言った照彦の表情は、今にも泣き出しそうなものであった。現に、よく見ると目元が少しだけ潤んでいる。その様子から、ひと目で一夏に対して並々ならぬ感情を持っていることが分かる。
そして、彼はその感情を必死で抑えているかのような表情のまま、言葉を続ける。
「なんで…… なんで俺に相談してくれなかったんだ」
様々な感情が、心の中で渦巻いているのだろう。そのことがよくわかる声色で、照彦は言った。彼の言葉を聞いた一夏は、あの時と同じだよ、と弱々しい笑みを浮かべたまま言い、そのまま言葉を続ける。
「迷惑を、かけたくなかったんだ。だから、相談しなかった」
その言葉に、照彦は目を見開く。その目からは、一筋の涙がこぼれ落ちた。
「この、大馬鹿野郎……!」
涙は止まらず、流れ続ける。そして、表情を悲しげなものに変えながら、照彦は続ける。
「頼ってくれって、言っただろうが……!」
搾り出すようにそういったきり、照彦は自身の顔を俯かせた。肩の震えと、時々聞こえてくる小さな嗚咽から、彼が泣いていることが一夏にもわかった。
「……ごめん」
だが、一夏はそう言うしかなかった。例え飾った言葉を彼に投げかけたとしても、今この状況では何の意味がないことを、知っているからだ。だから、一夏自身が彼に言うべき言葉はその一言しか思いつかなかった。
そうして唯一無二の親友に負い目を感じている一夏の頬に、一粒、水滴が落ちる。不思議に思い、落ちてきた方へと顔を向ける。水滴の正体は、直ぐにわかった。
――楯無の、涙だった。彼女の表情は、悲しいという感情を隠そうとはしていないものであったが、それよりも儚げな笑みを浮かべていることが目についた。
「楯無、さん?」
一夏は彼女の名を呼ぶ。しかし、楯無は言葉を返さず、ただ一夏を見つめていた。そんな彼女の様子に、一夏は漠然とした罪悪感を抱いた。それが、彼の口から言葉を紡がせる。
「もう、俺に付き合わなくても、いいんですよ?」
あとは死を待つだけの自分のことなど、放っておいてもいいはずなのだ。なのに、楯無も照彦も、自分を思ってくれている。しかし、そうしていると、彼女らの心が傷つくだけだ。だからこそ彼は、自分に付き合わなくていいということを言葉にした。その言葉は、やはり本心から言った言葉ではない。もう、本心を隠して人と接するということが、自分の体に染み付いてしまっている。そう考えた一夏は、そんな自分が少しだけ嫌になった。
しかし、一夏の言葉を聞いた楯無は、首を横に振り、一夏君、と彼の名を呼ぶ。そう言った時も、儚げな笑みを浮かべたままであった。何故、ひどいことを言ったのに表情を変えないのかわからない一夏に対して、楯無はゆっくりと口を開く。
「私の本当の名前はね、刀奈っていうの」
彼女のその言葉は、一夏にとって全く予想をしていないものであった。何故、このタイミングで彼女は自分の本名を明かしたのか。その理由が全く思いつかない彼は、ただ困惑することしかできなかった。そんな一夏の心のうちをわかっているかのように、彼女は言葉を紡ぐ。
「私の願い事はね、あなたに本当の名で呼んで欲しいというものなの」
それは、彼女の願いだった。一夏が抱いていた困惑が、さらに深いものになる。その困惑が、一夏の口から問いかけを語らせた。
「――何故、その願いなんですか?」
その問いに、彼女は笑みを深めながら答える。
「愛している人が名前で呼んでくれるということほど、幸せだと思うことはないのよ」
その言葉に、一夏は目を見開いた。彼女の口からそんな言葉を言われるとは思ってもいなかったからだ。そして、その言葉がきっかけで、徐々に一夏の心にある感情が広がっていく。
「こんな、俺でも…… 未だに想って、くれていたんですね」
そう言った声は、震えていた。感情が湧き上がっていくにつれて、自分の感情が抑えきれなくなってきていた。
彼女は、一夏の言葉に無言で頷き、瞳から一筋の涙を流した。その顔には、優しげな笑みが浮かんでいた。その笑顔を見た瞬間、一夏は自分がどれだけ彼女に想われていたか、そして自分が彼女をどれだけ想っていたのかを理解した。彼女は、自分を愛していた。そして自分も、彼女を愛していた。それは、今まで自分が想い続けていたことであるはずなのに、その本当の意味を知ることができたのが、今この時であるというのは、どこか皮肉なものを感じさせる。それでも、ようやく彼女と本当の意味で両想いになれたような気がして、そのことを彼女に伝えようとした。
しかし、彼の死にいくその身体が、それを阻んだ。掠れゆく意識と、徐々に遠くなっていく周囲の音が、失われていく命の残量がもうすぐ無くなることを伝えてくる。ようやく、正しい意味で愛を知ることができたのに、それを伝えることができずに死んでいくのか。まだ彼女と話していたいし、まだ彼女とともに居たい。今の瞬間が自身の自業自得で生み出された現状であったとしても、そんな叶わぬ願望を抱かずにはいられない。だが、自身のその願望を叶える機会は、永遠に失われてしまった。
ならば、せめて彼女の願いだけでも、叶えなければ――
その感情とともに、一夏は最後の力を振り絞り、口を開く。もう、彼女しか見えないし、わからない。自身の言葉も、彼女にさえ届けばそれでいい。たった一言、その言葉を言えれば、それが自身の愛の証明になるのだ。口から出た自身の声は、かすれていた。
「――刀奈、さん」
それでも、その言葉は、しっかりと刀奈に届いていた。その証拠に、彼女は今まで見せたことのないような綺麗な笑みを見せながら、口を開いた。
「一夏君」
確かに聞こえた、自分の名。彼女の声でそれを聞くと、不思議と力が沸いてくる。その小さな力に身を任せ、とぎれとぎれになりながらも、もう一言、一夏は言う。
「愛して、います」
一夏の言葉に、楯無は答える。
「私も、あなたを愛しているわ」
そう言って、刀奈は一夏に自分の顔を近づけていく。ゆっくりと、二人の唇は近づいていき、やがて重なった。近づければわかる、血の匂い。唇を触れるだけでも感じることができる、彼の体温の低さと鉄の味。刹那とも永遠とも言える時が終わり、ゆっくりと刀奈は唇を離し、顔を遠ざけていく。
もう一度、一夏の顔を見たときには、既に安らかな表情で瞳を閉じていた。
一夏は、旅立った。もう戻ってこない。その事実が、刀奈の心に広がっていく。その事実はゆっくりと彼を失った悲しみに変わり始めていた。自然と、瞳から涙が流れ始める。その量は、まるで緊張の糸が切れたかのように、どんどん多くなっていく。やがて、彼女の心が感情を抑えきれなくなり、自然とすすり泣き始めた。
そんな彼女の様子を見ていて何か思うことがあったのか、今まで事態を静観していたアリーシャが、ゆっくりと口を開いた。
「――なあ、更識楯無」
原作十巻とにらめっこしても、アリーシャの口調を掴みきれない。というよりも情報が少なすぎてこれでいいのかと思ってしまう。
そんなこともありましたが、今回の話が終わり、あとは結末を書くだけになりました。
しかし、今回の話を書いているうちに、結末が二つに分岐してしまう現象が発生し、急遽本来の結末とは別の結末のプロットを書いています。
なので、次の話は今回までとはいきませんが、少し待っていただくことになるかと思いますので、ご了承ください。
最後になりましたが、ここまで読んで下さり、どうもありがとうございます。
あと少しの間ですが、お付き合いいただければ幸いです。