――9:00 新宿
「――っん、ううん」
軽い電子音が聞こえる。
巫城珊瑚は、ゆっくりと眼を開けた。
机に伏したまま、うたたねをしていたらしい。時計に目を向けてみれば、もう夜の9時を回っている。かなりの時間を無駄にしてしまったようだ。
「はぁ、まったく。誰かしら?」
珊瑚は軽く伸びをすると、電子音の方へ視線を向けた。それは、携帯電話だった。
魔術師が、携帯電話を使うなんて――と、最初こそ感じたが、簡単な連絡は魔導機によりも使い勝手が良い。それに、珊瑚を受け入れてくれた学部『現代魔術論』――通称『エルメロイ教室』では、かなり受け入れられていた技術であった。
「……」
そう、エルメロイ教室では。
だから、ほとんどの魔術師は携帯電話なんて使わないし、珊瑚の家族も使わない。むしろ、珊瑚の家族に至っては携帯電話という存在自体を知らないのではないだろうか。
よって、珊瑚の携帯にかかってくる相手は、かなり絞られる。珊瑚は躊躇いながら携帯を手に取ると、慣れない手つきで通話ボタンを押した。
「……もしもし」
《私だが》
通話機越しに聞こえるのは、かなり陰鬱な声。
どんぴしゃり。珊瑚の嫌な予感は当たってしまった。珊瑚の整った顔は、酷く嫌そうに歪む。
《巫城珊瑚。君は、「休暇を取ります。少しばかり、実家に用があることを思い出しましたので」と言っていたな。しかし、奇妙な話を聴いた。君が日本の東京で聖杯戦争に参加しているとか――》
哀しいかな。先方には、すべて事情は見通されているらしい。こうなったら、隠し立てしても無意味である。珊瑚は小さく肩を落とした。
「……ええ。わたくしは、聖杯戦争に参加するマスターになりました」
珊瑚は内心、「やっぱり、教会に参加を届け出るのは間違いだったか」と後悔しながらも、なるべく平静を保ちながら言葉を口にする。
「なにか問題がありますでしょうか、
《おおありだ、馬鹿者め!》
教授と呼ばれた受話器の向こうの人物――ロード・エルメロイⅡ世は、いかにも不機嫌であると言わんばかりの口調で言い放った。
《重要機密とまではいかないが、聖杯戦争のことをどこで知った? 君のような魔術師が参加してもろくなことにはならないぞ》
「どのような結果になるのかは、蓋を開けて見なければ分かりませんことよ? わたくしには勝ち残る算段がありますし、なによりも知名度の高いサーヴァントを召喚しましたから」
珊瑚は得意げに言葉に出してみたものの、脳裏に一抹の不安が横ぎった。
珊瑚の召喚した自由人――もとい、サーヴァントのアーチャーだ。彼は、この部屋にいない。少なくとも、珊瑚が視認できる範囲には。
アーチャーのクラスで召喚されたサーヴァントには『単独行動』というスキルが付加される。珊瑚のアーチャーの単独行動はA。いま、彼がどこをふらついているのか、珊瑚では探知できない。
もちろん、令呪による繋がりは感じているので、契約が切れたようなことはないはずだが――。
それでも、あの姿恰好のまま、しかも、方言丸出しで行動しているところを、他のマスターに発見されたら、まっさきに真明看破されかねない。
珊瑚の顔から少し血の気が引いた。
「……まぁ、わたくしも魔術師相手でしたら十分戦えますし。サーヴァントも使いこなしてみせますわ」
《ファック! それが傲りだというのだ》
叱責が飛ぶ。つーんと珊瑚の耳が痛くなる。珊瑚は思わず電話から耳を遠ざけた。
《たしかに、君の魔術礼装は魔術師相手に有利な戦いを繰り広げることが出来る。それは認めよう。しかし、それはあくまで一時的な有利に過ぎない。あれを封じられたとき、君の残されたのは生来の呪術しかなくなる。
君の呪術は一般人には作用しても、魔術師には効果ない。無論、高位の霊体であるサーヴァントにもだ》
珊瑚は黙って教授の小言を受け入れる。
そのようなこと、指摘されるまでもない。珊瑚の戦う術は、時計塔に渡ってから完成させた十八番しかない。いままで「巫城家」として積み重ねてきた呪術は、サーヴァントにはもちろん、魔術師にも効かないだろう。
やがて、教授は長い溜息を吐いた後、優しく言い聞かせるような声を紡ぎ出した。
《魔術師同士の闘争というものが、どういうものなのか知っているのか? 死ぬよりも悲惨な目にあった挙句、なにも為すことのできないまま惨たらしく死ぬかもしれないんだぞ?》
「それは覚悟の上ですわ」
珊瑚は即答する。
教授の沈黙は長く続いた。そして、さきほどよりも長く、そして深い息を吐いた。
《……参加してしまった以上、しかたあるまい》
「用件はそれだけでしょうか?」
《いや、ここからが本題だ。
実は、1つ――奇妙な出来事が発覚した》
「奇妙なできごと?」
珊瑚は首をかしげる。
珊瑚の知る限り、聖杯戦争の兆候たる戦いは1つしか思い浮かばない。
山手線の内側――恵比寿だかどこかの家が半壊し、連続黒魔術殺人を行っていた殺人鬼が死亡した事件。
山手線の内側という立地条件はもちろんのこと、普通、家が倒壊するわけないし、テレビに映し出された魔法陣は、サーヴァントの召喚陣だった。十中八九、なにも知らない一般人がバーサーカー辺りを召喚して制御不能に陥り、そのまま自滅したというオチだろう。巻き込まれて死んだ一般人は憐れだとは思うが、とくに奇妙な点はなかった。
《今回の聖杯戦争で使用される大聖杯が、行方不明になった『冬木の大聖杯』、もしくは、それに非常に酷似した聖杯ではないか、という話が浮上した》
「えっ!?」
珊瑚は驚きのあまり、携帯電話を落としそうになってしまった。
「冬木の大聖杯とは、あのアインツベルン・マキリ・遠坂が作り出したという――しかし、あれは失われたのではなかったのでしょうか?」
《監督役の神父から通達があったのだ。今回の聖杯戦争は、7騎のサーヴァントが召喚されているとな》
「7騎ですって!?」
亜種聖杯戦争のサーヴァントは、最大5騎までだった。それが、7騎すべてのクラスで召喚に成功したということは、それだけの大聖杯が東京のどこかに眠っていること他ならない。
《すでに、時計塔の日本支部が調査に動き始めている。だが、その調査団一行は、1時間も経たないうちに消された。調査団には狩猟に特化した魔術師が10名ほど同行していたのだが、ひとりとして音沙汰がない》
珊瑚は息をのんだ。
いくら、イギリスから遠く離れた僻地「日本支部」であっても、魔術師は魔術師。
「狩猟」、もとい、戦闘に特化した魔術師が10人もいれば、たいていの魔術師は敗北を目にする。事実、珊瑚は10人の戦闘に特化したフリーランスを相手に生き残れる姿を想像できなかった。
そんな強者たちに連絡の隙も与えず、ひとり残らず殺し尽くせる存在は1つだけ――
「……サーヴァントの仕業ですわね」
《そう、サーヴァントだ。つまり、われわれ時計塔には介入して欲しくないマスターとサーヴァントがいる。おそらく、その陣営が冬木の聖杯を盗み出し、今回の聖杯戦争を企てたのだろう》
「あら。教授は、わたくしを疑っていらして?」
《まさか。君が冬木の大聖杯が奪われたのは、いまから60年以上も前だ。君は誕生していないし、君の一族も聖杯戦争に興味がなかったことは調べがついている。今回、君が参加した理由は、数年前に時計塔の門を叩いたことと同じ理由だ。おそらく――》
「勝利の栄光。巫城の経歴に華やかさを添えるため。それだけですわ」
珊瑚が欲しているのは、「聖杯戦争に勝利した」という錦の御旗。
時計塔や一族内での不当な評価を引っ繰り返すため、正当な実績が必要なのだ。ロード・エルメイⅡ世は、しばし沈黙した後、ややあってから話し始めた。
《……分かった。そういうことにしておこう。
さて、ここまでの話で理解したとは思う。
我々、時計塔は冬木の大聖杯、または、それに酷似した偽聖杯の回収に動き出している。だが、サーヴァントに立ち迎える手段がない》
「つまり、わたくしに大聖杯を確保しろと?
ですが、教授。わたくしの他にも時計塔関係者として封印指定執行人が参加しているはずですわ。たしか、名前を――」
《『縛炎』のカルロ・ヴァルガス・ユグドミレニアだな。しかし、彼とは昨晩から連絡がつかない。さきほどから、召喚科学部長のロッコ・ベルフェバン翁たちが彼に連絡しようと四苦八苦しているが、一向に音沙汰ない。無論、私からも彼の携帯に連絡を入れている。だが、それにすら応答しないのだ》
珊瑚は眉をひそめた。
ここまで、頑なに返事をしないとは異常だ。
魔術的介入で居場所が割れることを防ぐため、ベルフェバン翁たちの問いかけを無視し続けているのなら分かる。しかし、魔術的介入の余地がない携帯電話まで拒否するとはどういうことだろうか?
ここから編み出される答えは2つ。
1つ目は、連絡が取れない場所にいる。そして、もう1つは――
「すでに、彼は脱落したと?」
《可能性としては考えられる。
口惜しいことだが、現時点において時計塔と繋がりのあるマスターは巫城珊瑚、君しかいない》
「光栄ですわ」
珊瑚は口元に笑みを浮かべた。
これで、時計塔も巫城珊瑚の実力を認めるだろう。
《君たちが聖杯確保後、願いを叶えてから明け渡してくれても構わない。
回収部隊は都内に待機させておこう》
「かしこまりました。ですが、教授。わたくしから条件を付けくわえさせていただけます?」
《なんだ?》
「このままでは、タダ働きも同然。なにしろ、願いを叶えることは聖杯戦争の勝利者に与えられた権利。時計塔から依頼された仕事に対する報酬にはなりませんわ。
聖杯を明け渡した暁には、わたくしが希望する学部へ無条件転入を許可すること。そして、研究資金として提示する額を払うこと。この2つを飲んでくださるのでしたら、喜んで引き受けますわ」
本来、珊瑚は創造科や降霊科に興味があった。しかし、いざ門を叩いてみたところ、受け入れを拒否されてしまったのだ。
理由は1つだけ。
――巫城が、東洋の呪術の家系だからだ。
そう、それだけの理由で門を閉ざされる。おかげで、それらの魔術は独学で学ぶしかなく、唯一、受け入れを表明してくれた現代魔術科に入ったのであった。もっとも、珊瑚は入学してから新しい発見や開発した魔術礼装もあり、受け入れ許可を出してくれたエルメロイⅡ世に感謝していた。だが、それでも、やはり専門の所で学びたいという思いは根強く残っていた。
《わかった。便座をはかろう。それで、今後の作戦方針なのだが――》
ロードがなにか続けようとしたときだった。
「おー、マスター! おどろいたぜよか?」
能天気な声が乱入してくる。
珊瑚は視線を向けてみると、アーチャーが楽しげに帰宅したところだった。
「いいえ、おどろいていませんわ」
「いんや。おどろいたっちゅうのは、目が覚めたかって意味で使ったんじゃが……ん? マスター、それはケータイデンワか? そいつで遠くの人と会話できるっちゅう……うわぁ、ごっつい機械じゃが!!」
「少し黙ってくださりませ、アーチャー。いま、教授――わたくしの恩師と大切な話をしているところですので」
「ほうか、ほうか。マスターの恩師か。ほんなら、わしも挨拶しとこうがや」
「結構です。あなたは大人しく――あら?」
そのとき、珊瑚の視界に妙なモノが目に飛び込んできた。
アーチャーの足の後ろ、白いなにかが翻っている。白いスカートだ。白いスカートからは、2本の華奢な足が延びている。黒いローファーが、その足の細さと白さを浮き立たせていた。
《どうした、珊瑚?》
「い、いえ。なんでもありませんわ」
珊瑚は必死に自分を取り繕う。
さっさと教授との回線を切り上げ、アーチャーに尋問しなければならない。
そんな珊瑚の焦りを知ってか知らずか、アーチャーは「テレビでも見るにゃー」と言いながら、ずかずかと部屋のなかに入り込んできた。その後ろに隠れていたスカートの主――5,6歳くらいの少女だった――も、てくてくと上がり込んでくる。そして、珊瑚とすれ違う瞬間、怯えたような視線を向けると、ぺこりっと少しだけ頭をさげてきた。珊瑚は、つられて頭をさげる。
《……これは魔術師の師としてではなく、聖杯戦争経験者としての忠告だ。サーヴァントを使い魔として扱うな》
珊瑚が少女を、そして、アーチャーのリモコンを探す姿を交互に見つめていると、受話器の向こうから教授の声が聞こえてきた。珊瑚は教授との話に注意を傾け直す。
「サーヴァントは使い魔ですわ、教授」
《いや、単純な使い魔の範疇から大いに外れる破格の存在だ。常にコミュニケーション、意思疎通を忘れないことが重要になってくる。サーヴァントとの意見や考えの食い違いの結果、破滅した魔術師は何人もいる》
「……考えておきますわ」
「マスター! ちょっと観てくりゃー!!」
それでは、と会話を終わりにする前に、再びアーチャーが騒がしい声を上げた。
どうせ、くだらないテレビ番組に興奮しているのだろう。さらっと流して終わらせようと、珊瑚は画面に目を向ける。
『本日の午後5時、新宿駅前で少女誘拐事件が発生しました。
誘拐されたのは、渋谷区在住の長門 ミカちゃん(6歳)。犯人は、いまだ逃走を続けており――』
画面に大きく映し出されているのは、数年前にオープンしたばかりのサザンタワーとJR南口前。その間を割くように伸びる甲州街道には、2人の男が映し出されていた。
1人は、見覚えのない巨漢。ほぼ全裸で鎧だけを纏った褐色の男が、誰かを追いかけている。追いかけられているのは、もう1人の男――ぼさぼさの髪に、時代錯誤な袴姿の男だ。右手には日本刀を握りしめ、もう片方の手には、白いワンピースの少女を抱えていた。
そう、ぼさぼさ頭で和装に日本刀を装備した男が、白いワンピースの幼女を連れて――。
『逃走中の男は、新宿の西口方面へ逃走したとみられています。また、危険な武器を所持しており、警察は捜査員200人を増員し、厳重体勢で捜査を続けています』
《おい、どうした?》
女性アナウンサーの声と教授の声が遠くに聞こえる。
珊瑚は携帯電話を床に落とすと、わなわなと震え、そして――
「せ、せ、せ、聖杯戦争の秘匿はどうしたのですか!? この、馬鹿サーヴァントが―――!!!」
巫城珊瑚。
恥も外聞も関係ない。呪術師――もとい、魔術師として培ってきた冷静さも何もかも殴り捨てて、悲鳴にちかい叫びをあげてしまっていた。
《……やれやれ。さっそく、サーヴァントに苦労しているようだな》
ロード・エルメロイⅡ世は、憐みと郷愁入り混じった声色で呟くと、静かに通話ボタンを切ったのであった。