6話 手がかりを探して
いまから、10年前――。
私は、地元の幼稚園に通っていた。
1年前までは、兄と一緒に。今年からは、1人で。寂しくはないし、むしろ、兄がいない方が清々した。
兄は病弱で、3日に1度は熱を出す。
熱を出すのは、たいてい家で勉強した後だったけど、ごく稀に幼稚園でも熱を出すことがあった。
真っ赤に頬照らせて、胸を抑えながら倒れ込む。苦しげな兄を見て、私は「可哀そう」と思った。でも、それだけ。
兄は、優等生。私と似てるところは、櫛で梳いても直らない癖毛だけ。
お遊戯も運動も、工作だって幼稚園で1番の出来だった。物腰穏やかな振る舞いも、どこかの国の王子様みたいにカッコいい。だから、ちょっぴり憧れた。
そう、ちょっぴり。
だって、兄が優等生だったのは家族や先生の前だけ。
幼稚園の子どもたち、そして、なによりも、私に対しては暴君だった。
「ゆかりのモノは、僕のモノ。僕のモノは、僕のモノ。
僕はお前の兄なんだから、当然だろ?」
兄は高らかに宣言すると、私の玩具を取り上げる。
大切な人形の首は折られ、ぬいぐるみの足はもげ、絵本なんて帰ってこなかった。抵抗は出来ないし、それを父に訴えたところで、兄はケロッと「え、でもくれるって言ったよね? ちょうだいって言ったら、渡してくれたじゃん」と言い放つのだ。
まさに、ジャイアニズム。
6歳の兄が5歳の妹に
「いいか? この家も、財産も、知識も、みーんな、僕が引き継ぐんだ! お前の取り分なんて、最初からないんだぜ?」
なんて宣言するのだから、もう手が付けられない。
抵抗する気はなかった。抵抗できなかった。抵抗しようとも思わなかった。ただ、熱を出して倒れる兄を見て、「いい気味だ」と思ってしまう私がいて、そんな私自身が嫌いでたまらなかった。
そのためか、1人で幼稚園に通えるようになって嬉しかった。
もう、兄が配下を引き連れて玩具を獲りに来ることはない。
工作物を壊される心配はないし、兄と比べられることはない。
でも、現実は非情なもので、兄の息がかかった子どもたちが、兄のように振舞い始めた。もちろん、その振る舞いは暴君とは程遠いし、あっさりと見つかって先生に叱られることも多かったけど、私に対する周りの雰囲気は大して変わらない。
明るい女の子たちと騒がしい男子どもが戯れる。その様子を、私は1人ぼっちで遊戯室から眺める。その繰り返し。他にすることはなかったし、別にしたいこともなかった。
こうして、私の幼稚園での一日は終わる。あとは、お手伝いさんが迎えに来てくれて終了。
しかし、あの日は――ひどく霧に覆われた冬の日だけは違った。
「――紫ちゃん、おじいちゃんが迎えに来てくれたわよ」
先生が嬉しそうに話しかけてくれた。
お祖父ちゃん!
私は目を丸くしてしまった。祖父は兄や父とは言葉を交わすが、私と話してくれた経験は皆無に等しい。たまに家ですれ違っても、冷たい目で一瞥してくるだけ。そんな祖父が迎えに来てくれるなんて、自分の正気を疑ったものだ。
幼稚園の門の前には、祖父がいた。むすっと顔をしかめたまま、杖に身を預けている。
「うむ。帰るぞ、紫」
呆然とする私をよそに、祖父は歩き始めた。
私は慌てて後を追いかけると、祖父の隣――を歩くのは、なんだか悪い気がして、その半歩後ろ辺りを歩いた。
祖父は意外にも良く話しかけてきた。
「幼稚園では上手くやってるか?」とか「友だちは出来たのか?」とか。
私はなるべく真剣に、当たり障りのないように答えていく。だけど、ある質問に差し掛かったとき――私は、答えに躓いてしまった。
それは、兄と仲良くしてるか?という質問。
その質問だけは、すぐに答えることが出来なかった。私が黙っていると、祖父が答えを促してきた。祖父の目は、まっすぐ私を覗き込んでくる。祖父の双眸を見ているうちに、なんだか嘘をついてはいけない気がした。
「おにーちゃんは、わたしのものを壊すの。わたしのものを、みーんな取り上げて、壊しちゃうの」
「そうか。あ奴はそのような性質があるからな。辛かっただろう」
父親にすら信じて貰えなかった言葉。
祖父は、それを当たり前のように受け入れてくれた。
「帰ったら、おまえだけのモノをくれてやろう」
祖父の手が、私の頭の上に乗る。
暖かさを感じない手だったが、祖父の優しさが伝わってくるようで。
祖父の無骨な手の感触に、不思議と安心したものだ。
だって、はじめてだった。
私だけのモノを手に入れるのは――。
だけど、私は――祖父から何を貰ったのか、覚えていない。
※
――8:30 私立礼園女学院、学生寮
眩い光が、締め切ったカーテンの隙間から差し込まれる。
何処からともなく聞こえてくる小鳥の声。きっと、窓のすぐそばにある木に止まっているのだろう。
「ん――ううん」
眠い瞼をこすりながら、時計に目を向けた。
まだ、朝の6時30分。まだ、朝食の時間まで余裕があった。あと10分ちょっとは眠っていても問題ないだろう。朝の光を遮断するかのように、私は毛布に潜りなおす。毛布は自分の体温で、ほどよく温かさを保っている。一度でも剥いでしまえば、二度と心地よい眠りを味わえないことをよく知っていた。
「――ん?」
6時30分?
この時期の6時30分は、まだ太陽が昇り切っていないはず。
でも、カーテンの隙間からは暖かな陽が差し込まれている訳で。
もう一度だけ、毛布を持ち上げてみる。机の上の時計は、ひどく大人しい。時計の針は、まだ6時30分。長針も短針も、ついでに秒針まで、きっちり固まっていた。
「え、ええっ――!?」
慌てて跳ね起きると、時計に駆け寄った。
時計は動かない。まるで、屍のようだ。おそらく電池が切れたのだろうが、まさか今日、このタイミングで動かなくなるなんて。
「朝食っ!!」
朝だと分かった途端、お腹は「なにか食べ物を寄こせ!」と唸り始めている。いまは、着替える手間も惜しい。幸いにして、昨日は制服のまま着替えることなくベッドに潜り込んでいた。
私は、扉を乱暴に開き――
「どこへ行くのですか、霧ヶ丘さん?」
見張りのシスターに呼び止められた。
鬼の寮監――シスター・アイベンバッハ。基本的に、彼女が寮を見張るのは夜のみ。昼間はいないはずなのに――。
「昨日の傷害事件。犯人の目星が付くまで、授業は延期。
寮の部屋でおとなしく自習をするように、通達してあるはずですが?」
「あっ……」
そうだった。
昨日の騒動が脳裏に浮かび上がる。
たしか、私が昼食を食べ終わる頃にサーヴァントに襲われた生徒が発見されて、午後の授業は禁止。生徒は寮に戻されたんだっけ。
「食事の時間は、7時、12時、18時。
ただいまの時間は、8時30分。生徒は学習室か、寮の自室で静かに自習することになっていますが?」
アイベンバッハは、どこか機械的に言い放つ。
……8時30分。どうやら、私は2時間も寝坊してしまったらしい。がっくりと項垂れ、渋々と部屋へ引き下がる。ぱたん、と扉を閉めると、急に無気力感が腹の奥から湧き上がってきた。
「……おなか空いた……」
へなへな、と座り込む。
昨日くらいから、どうもお腹の減りが激しい。以前から、やけに大食いの気があるなーとは思っていたが、普段の倍以上は食べないと満足しなくなってしまっていた。夕食なんて「はしたない」と言われながらも、ご飯を3杯もお替りした。でも、もう全部消化されてしまっている。
おまけに、どことなく身体が怠い。なんだか動くことすら億劫だった。
「お困りのようですね、お嬢さん」
ふと、頭上から声が聞こえる。
顔を上げてみれば、2段ベッドの上に緑の男――アサシンの姿があった。
「アサシン!?」
「よい年頃のお嬢さんが着替えずに寝るのもはしたないですが、腹の虫を盛大に鳴らすのも品がないですよ」
アサシンは、ひょいっと猫のように軽く着地する。
そんなアサシンの手には、小さな籠が握られている。
「それは?」
「なにって、朝食。マスターの体調管理もサーヴァントの仕事の内なもので」
朝食!
その瞬間、背筋がピンっと伸びた気がした。そんな私を見て、アサシンは苦笑いを浮かべながら、籠を差し出してきた。
「でも、どうやって手に入れたの?」
私は受け取りながら尋ねてみる。籠の中には、ロールパンとマーマレードジャムの瓶が入っていた。マーマレードの橙色をみて、ちょっと安堵する。ジャムはジャムでも、クランベリーや苺のジャムは、どうしても色的に好きになれないのだ。
――赤は、あんまり好きじゃない。
「オレはアサシンのサーヴァント。潜入、盗みはお手の物です。ほら、こっちは飲み物」
「ありがとう」
遅めの朝食をとる。
小麦粉の味しかしないロールパン。でも、マーマレードを塗れば甘酸っぱいパンに早変わり。とろりと口の中に広がるマーマレードの風味を味わっていると、アサシンが新聞を広げた。
「それから、興味深い記事を見つけましたよ」
私はパンを口にくわえたまま、新聞に手を伸ばす。アサシンの「はしたないですよ」という声が飛んだが、気にしない。
「――『小学生誘拐! 長門ミカちゃん、いまだ行方不明』」
一面には、新宿駅前の様子が映し出されていた。車の上を飛び越えていくのは、和服の男。和服の男は片手に日本刀を握りしめ、もう片方の腕で幼い養女を抱きしめていた。それを追いかけるのは、褐色の肌をした変態――。
「誘拐って、ひっそりやるものじゃないの?」
私はパンを飲み込むと、口を開いた。
誘拐にしては派手すぎる。日本刀装備の和服姿なんて、時代劇の中にしか登場しない。ほとんど衣服を身につけていない変態にいたっては、コスプレ関係のイベントでも滅多にお目にかかれないだろう。
「はっきり顔も映し出されてるし、犯人はつかまるわ。だから、特別興味深いとは思えないんだけど?」
「やれやれ、マスターの目は節穴ですか?」
アサシンは呆れたように首を振った。
「よく見てくださいよ、褐色の得物」
再度、写真を見下ろす。
褐色の男は、手に巨大な棒を持っていた。紅い紐を束にして結びつけている。これは――
「槍?」
「御名答。つまり、こいつの正体は
「じゃあ、こっちの逃げてる方は……日本刀を持っているから、
「おそらくは」
「……サーヴァントは一般人を誘拐するの?」
「普通はしませんね。魂食いするにしても、その場で食い逃げですし。
ましては、こいつはセイバー。さぞ高潔な理念をお持ちの英雄様だ。本人は誘拐というより、人助けのつもりで浚ったんじゃないですか」
アサシンは吐き捨てるように呟いた。
アサシンに言われて、「そういえば、サーヴァントって英雄の幽霊みたいなものなんだっけ」と思い出す。
つまり、この紙面をにぎわすセイバーやランサーも英雄で、昨日の虐殺未遂を敢行したサーヴァントも過去の英雄。そして、目の前にいるアサシンも――。
……アサシンも?
「そういえば、アサシンはどこの英雄なの?」
いままで聞き忘れていた。
アサシンがサーヴァントというならば、いったい何処の英雄なのだろう? 好奇心が鎌首を上げる。
「お生憎様」
アサシンは酷く傷ついたような表情を浮かべていた。でも、それは本当に一瞬。あれ?と思った次の瞬間には、いつもの顔に戻っていた。つかみどころのない微笑みを浮かべながら、私の手にしていた新聞を回収する。
「オレは英雄なんて呼ばれる大層なサーヴァントではないんで。
はじめに言いましたよね? オレは三流サーヴァント。逃げて隠れて奇襲することしかできない暗殺者。
まっ、オレの真名なんて、どうでもいいです。それよりも、ライダーの真名を考察する方が先なんじゃないですか?」
「いや、でも――」
「ライダーは校内にはいませんが、マスターはどうか分かりません。お嬢さんは、いつ狙われても不思議ではないんですよ」
アサシンに指摘され、改めて昨日のサーヴァント――ライダーのことを思い出した。
結界が壊されて撤退しただけ。あのサーヴァントを倒したわけではない。また、いつ襲ってくるのか分からないのだ。
ライダーのマスターは、礼園の生徒、もしくは教師。しかも、魔術師としての側面も持っている。おそらく、生徒だとしたら1、2学年上。生徒でも教師でも、私より人生経験を積んでいることは確かだろう。
「まっ、この部屋にいる間は平気だ。 侵入者避けの罠は仕掛けてありますから」
「えっ、どこに!?」
慌てて部屋の隅から隅まで視線を奔らせる――が、罠を仕掛けたような痕跡は見当たらない。どこからどう見ても、見慣れた私の部屋である。変わったところなど、なにひとつなかった。
「そりゃ、オレの得意分野ですから。一般人に分かるような罠は仕掛けませんって」
アサシンは、どこか得意げに答える。
そういえば、アサシンの罠といえばランサーから逃げているときも発動していた。あれは、いつ仕掛けたものなのか。
「最初に偵察出たときですね。ここには一般人も多いんで、霊体やサーヴァントに効く罠しか仕掛けることが出来ませんでしたが」
「この部屋以外にも?」
「特別教室から廊下まで万遍なく。普通の教室は夜のうちに」
――誰もいない真夜中の教室。
アサシンが、部屋の隅で丸まって作業する。その姿は妙に馴染んでいて、思わず吹き出しそうになった。
「なーに笑ってんですか、マスター」
アサシンは不機嫌そうに顔を歪ませている。
ごめん、ごめん、と謝りながら、一晩で校舎内に罠を張り巡らさせるなんて改めて凄いと感心する。私が眠っている間にも、アサシンは働いてくれていたのだ。
結局、私はマスターの手がかりを見つけることが出来なくて。
それどころか、サーヴァントに襲われて。
そう、私は何もしていない。
戦いから逃げないと決めたのに、まだ何もしていないではないか。そんな自分が酷く情けなく、私もなにかやらないと――という気持ちが強くなった。幸い、籠の中の朝食は空になっている。まだ食べ足りない感はあるが、それでも胃は膨れていた。
私は拳を握りしめると、勢いよく立ち上がった。
「ちょっと、学習室へ行ってくる」
「へっ?」
「ライダーについて、調べようと思って」
学習室には、世界史を記した本が所蔵されている。
写真付きの書籍を片っ端から探せば、ライダーの武器から真名の手がかりがつかめるかもしれない。
「なぁ、お嬢さん。昨日、ライダーに襲われたこと忘れたの?」
「忘れてないけど……だけど、なにもせずに籠城するくらいなら、少しでも敵の情報を探さないと。
それに、ライダーは校内にいないし、学習室にもアサシンの罠があるんでしょ?」
万が一、襲われたとしても、多少なら防ぐことが出来る。
そもそも、いまは礼園全体が緊張に包まれていた。わざわざ昨日の今日、攻撃を仕掛けてくるほど馬鹿ではないだろう。
「少しくらい問題ないよね?」
「……はぁ。まぁ、オレも霊体化してお供しますし、問題ないですけど。くれぐれも、気をつけてくださいよ」
アサシンは渋々といった面持ちで頷くと、空気に溶けるように消えていった。どうやら、アサシンは外出――学習室行きを認めたようだ。
「私も、ちゃんと手がかりを探さなくちゃ」
気を引き締めるように頬を叩くと、扉に手をかけた。