――9:00 新宿:某ホテル
「いやー、まさか、マスターは偽物の触媒をつかまされたとは」
がははは、と下賤な笑い声が、最高級スイートルームに木霊する。
「けんど、安心しろ。わしの弓が火を噴くぜよ。まぁ、弓っちゅうか銃けんどな」
「黙りなさい、アーチャー」
珊瑚はフォークを握りしめたまま、ぴしりっと言い放った。
昨夜の失敗を思い起こせば、ルームサービスで取り寄せた最高級の朝食も味がしない。巫城珊瑚、一生に一度の不覚だった。
結論からいえば、ジークフリードを召喚できなかった。
それどころか、目の前のサーヴァントはセイバーですらない。
召喚したのは、得体のしれぬ和風サーヴァント。
ぼさぼさの髪を後ろで縛り、さほど高級でもない着物を纏っている。腰には刀を差しているが、彼のクラスはアーチャー。銃を得手することから考えるに、かなり近代の英雄だ。
「はぁ……近代の英霊は、神秘性が薄くなるといいますのに」
近代の英霊ほど、英雄としての核が落ちる。
アーチャーはアーチャーでも、ギリシアやローマで活躍したような古代の英雄なら勝機はあっただろうに。
「あの聖遺物を売った魔術師は、絶対にこらしめてやりますわ」
珊瑚はパンをちぎりながら、憎たらしい魔術師の顔を思い浮かべる。
どれもこれも、あの魔術師のせいである。僻地出身の小娘だからって、かなり足元をみていたに違いない。珊瑚は、悔しくて堪らなかった。
「マスター。怒っちゅうばかりじゃと、皺が寄るぜよ?
そげなことより、すっと東京見物へいかんちや。戦争は地を知ることから始まるじゃか」
「無論です。そのようなことくらいは分かっていますわ、アーチャー」
「あこ、行きたいぜよ。岩本町に道場があっつろうがや?
わしが通ってた道場にゃー。いやー、づつのーて、たまらんぜよ! ニコライ堂は知っちゅうか? あこで親戚の琢磨が――」
「はぁ……分かりました。行きましょう」
珊瑚は、なかば投げやりに応える。
朝食は、なんとか完食した。
魔力も大半が持って行かれたが、食事をとったことで少しは回復するだろう。いざとなれば、魔力を無理やり増強させる薬でも飲めばよいだけの話だ。
「それよりも、アーチャー。貴方は言葉づかいを標準語に近づけてくださいまし」
珊瑚はコートを羽織りながら、浮かれ気分のアーチャーに釘を刺した。アーチャーは、つまらなそうに唇を尖らせる。
「えー! げにまっこと、ほんまか?」
「貴方が何をおっしゃっているのか、わたくしに理解できないからです」
珊瑚の額に青筋が浮かび上がる。
アーチャーの言葉が聞き取り難いあまり「令呪を使おうか」とまで考えたほどである。
無論、使う一歩手前で自分を制したが。
「それに、貴方は日本の英霊でしたわよね?
方言のせいで、真名が絞られてしまいますわよ」
珊瑚は、アーチャーが日本の英雄であることを危惧していた。
幼いころから、魔術ばかり習ってきた。実のところ、珊瑚は日本の学校に通っていない。家庭で魔術のみを教えられ、学校を知ったのは13歳の夏――家族の反対を押し切り、時計塔の門戸を叩いてからだ。
珊瑚は日本の歴史を知らない。
だから、日本の偉人も知らなかった。
「今回の聖杯戦争の舞台は、日本の東京。したがって、今回、参加する魔術師も日本人が多くなることが予想されますわ。
もし、アーチャーが有名な日本人でしたら、方言だけで真名が割れることだってありえますのよ?」
「そーりゃ、いかんぜよ。
まっ、ぼちぼち気をつけるから安心せえ」
アーチャーは、がははっと陽気に笑う。アーチャーの能天気な態度に、珊瑚は一抹の不安を覚えるのだった。
タクシーを捕まえて、とりあえず貸切にする。
電車やバスを利用しても良いのだが、生憎――珊瑚は使ったことがない。それに、公共機関を車椅子で利用するのは大変だろう。
「お嬢ちゃんたち、東京観光かい?」
タクシーの運転手は、ルームミラー越しに珊瑚とアーチャーを見比べていた。
珊瑚とアーチャーは似ていない。
一応、アーチャーには洋服を着させている。いくら日本人のサーヴァントだからとはいえ、現代の東京で着流し少し浮く。仕方ないので、ホテルの従業員に軽い暗示をかけ、適当に見繕ってもらった。
それでも、珊瑚とアーチャーは似ていない。言葉使いはもちろん、仕草や雰囲気まで正反対。髪の毛の質まで違う。共通点は、髪の色くらいだ。
「ええ。従兄に東京を案内してくれと頼まれまして」
しかたないので、田舎から出てきた従兄設定にした。
事実、アーチャーは高層ビル群を興奮して眺めている。5歳児か!とツッコみたくなる気持ちを抑えると、珊瑚は上品な笑みを浮かべた。
「ですが、わたくしの足はこの始末……今日は1日、よろしくお願いしますわ」
「いやいや、こちらこそよろしくお願いします。
それじゃあ、最初はどちらへ?」
「そんじゃ――」
「東京タワーまでお願いします」
アーチャーがなにか言う前に、珊瑚は目的地を告げる。
生前、ゆかりの地へ行きたいのだろうが、そこへ行く前に、東京の全体図を見せなければならない。あと、聖杯降臨にふさわしそうな重霊地をいくつか巡る必要もある。アーチャーの希望を聞くのは、その後である。
「なんじゃ、東京たわーって?」
「ははは、お兄さん、東京タワーを知らないんですか?」
タクシーの運転手が「冗談がお上手で」と笑う。恥ずかしさのあまり、珊瑚の顔は赤く染まった。
さすがの珊瑚でも、東京タワーくらいは知っている。
「お兄さん、出身どこなの?」
「ん? そうじゃのう――おまさんは、わしが何処じゃと思うぜよ?」
「そうですねー、高知、でしょうか?」
「ほう。なんでそう思ったんじゃ?」
「そうですね。時代劇に出てくる坂本龍馬みたいな話し方ですから」
ははは、とタクシーの運転手が笑う。
アーチャーは腕を組み、がははっと笑った。
「ほうか、ほうか、坂本龍馬かー。
坂本龍馬っちゅう男は、有名か? 死んでから、めっそう経つはずじゃが?」
「そりゃ、もちろん有名ですよ。教科書にも出てきますし、東大生が選ぶ日本の偉人ベスト30にランクインしてるくらいですからねー」
「すみません、運転手さん。ちょっとそこで止めてくれません? あそこで、写真を撮ってもよくって?」
珊瑚は何気なく外を指さしながら言った。
運転手は「はい」と快く返事をすると、道の端に車を停車させる。
「お嬢ちゃん、なにを撮るんだい? そこまで有名な建物は――」
ここにない、という前に、運転手の意識は途切れる。
運転手は珊瑚に暗示をかけられ、一時的に眠りへと落ちてしまっていた。
「……アーチャー」
「いやー、わしがここまで有名になっちょるとは思わんかったぜよ」
「霊体化します? それでしたら、少しくらい口を開いたところで、誰にも疑問視されませんから」
「それだけは、勘弁してちゃ! せっかく現世に蘇ったんじゃから、東京の空気を肌で感じたいぜよ!」
「なら、できるかぎり黙っててくださいね」
アーチャーは黙って頷いた。
よほど、霊体化したくないのだろう。おちゃらけた雰囲気は一切なく、真剣そのものの空気を纏っていた。珊瑚は肩を落とすと、運転手の肩を軽く叩く。
今日は、あとどれくらい――このサーヴァントのせいで頭を悩ますことになるのだろう――と、先行きを不安に思いながら。
その後、なにごともなく順調に東京観光は進んだ。
もっとも、何事もなかったわけではない。アーチャーは東京タワーで「江戸も様変わりしたぜよ」と感動し、各種重霊地――おもに寺社を見て「昔より緑が少なくなったのう」と郷愁に浸り、商人たちが声を張る雑踏の活気に「人の賑わいだけは、変わっとらんか」顔を喜ばせた。
その度に、「現代人とは思えない」リアクションばかりする。珊瑚は、はらはらしたものだったが、もともと様々な価値観の人間が集まる東京だ。たいして気にも留められず、大事には至っていない。
「それにしても、大変ですわね」
新聞に目を通すふりをしながら、珊瑚は肩を落とした。
今回の聖杯戦争の舞台は「東京」。
正確にいえば、東京都23区内に張り巡らされた「山手線」の内側だ。日本の電車は西洋の鉄道より短いとはいえ、かなりの距離があった。なにしろ、人の足で移動することが不便故に電車が利用されるのだ。自分たちが「新宿」にいる間に、他のマスターたちが「品川」に集結していたとしても、なかなか気づくことはできないだろう。
これが、亜種の聖杯戦争。
参加する魔術師は、多くて5人。それが、29駅内に散らばっている。万が一、自分を含めて2人しかいなかった時のことを考えると、逆に魔術師と遭遇する方が幸運に思えてくる。
「どーいたもんじゃ?」
アーチャーが能天気な声をかけてきた。
珊瑚は『これで2件目。黒魔術殺人!?』『観布子町で連続殺人。心臓を抉り取る男』などという滑稽な見出しの紙面をたたんだ。
「別に。痛くもかゆくもなくってよ」
「……いや、痛むか?と聞いたんじゃのうて……そうっちゃのう……わしは、『なにかあったか?』と尋ねたんじゃが?」
「……方言、やめなさいと伝えましたわよね? そろそろ、本気で令呪を使ってもよろしくって?」
「おおっ!? あれは、なんぜよ!」
次の瞬間には、アーチャーの関心は渋谷のスクランブル交差点に向けられていた。
運転手はスクランブル交差点の説明をし、アーチャーは外人のようにふむふむと頷いていた――が。
「ん?」
唐突に、その顔から興奮の色が消える。
タクシーの運転手からは見えないだろうが、なにかを探る真剣な表情に一変していた。
『マスター、ぶっちゅう気配ぜよ』
……珊瑚は、アーチャーの真剣な態度に背筋を伸ばす。
『ぶっちゅう』なる意味は分からないが、サーヴァントのアーチャーが念話を利用してまで警戒しているというのであれば、それが指す意味は1つしかない。
「運転手さん。少し渋谷を見て回りたいので、車を止めて貰えます?」
「ん?別にいいけど……車椅子で渋谷は大変じゃないか?」
「お気になさらず。慣れてますから」
不可視の魔術と人避けの魔術を応用すれば、渋谷の街も車椅子で悠々と移動することが出来る。珊瑚はタクシーの運転手の視界から隠れるや否や、自分に魔術をかけた。無論、さきほどまでいた車椅子の少女が消えたことで、何人かの一般人が驚いたような声をあげたが――それは一瞬。すぐに「目の錯覚か」と自分を納得させ、次の用事に足を向ける。
魔術をたいして隠ぺいせずにすむのは、忙しい人間の多い渋谷ならではの利点だろう。
「それで、アーチャー。サーヴァントの気配はどちらから感じますの?」
「さっきの交差点の所ぜよ」
珊瑚はアーチャーとともに、スクランブル交差点へ急いだ。
別段、いつもと変わったところはない。人種・背丈・身分・服装・価値観と多種多様の人で溢れかえっている。「どれが魔術師か」といわれても分からないし、サーヴァントが潜んでいても分からない。
それこそ、気配遮断スキルを持つ「アサシン」だった場合、すれ違いざま刺されて殺されることだってありえる。
「……気配を感じたということは、アサシンの英霊ではないとは思いますが、注意してくださいね」
「おうよ!」
アーチャーは、どんっと胸を叩いた。
赤い信号が点滅し、青へと変わる。青になった途端、人が流れた。一応、アーチャーにも同様の魔術をかけているので、突っ立っていても人が避けていく。珊瑚は、アーチャーと一緒に人混みに目を凝らす。
しかし、違和感などどこにも――
「ん?」
向こう側から、悲鳴があがった。
誰もが一瞬足を止め、悲鳴の方角に視線を向ける。賑やかな宣伝を流す大型トラックだ。トラックは、何を間違ったのだろう。まだ赤信号だというのに、交差点へ進行してきたのだ。
幸いなことに、ほとんどの人は渡りきることが出来ていたのだが、交差点の真ん中には青黒い髪をした修道女が倒れている。おそらく、あわてて走ったせいで転んでしまったのだろう。大型トラックの進行線上、ど真ん中で動けなくなってしまっていた。
「アーチャー!」
「言われなくても、分かってるぜよ!!」
珊瑚が叫び、アーチャーが駆けだす。
だが――
「ったく、手間のかかる娘じゃ」
赤が跳躍する。
赤い少女が誰よりも先に年若い修道女の下へ駆け寄り、瞬時に抱きかかえた。そのまま、ヒーローのごとく颯爽と横断歩道側まで連れていく。
「ほら、命は大事にするのじゃぞ?」
赤い少女はぶっきらぼうに呟くと、そのまま修道女を道に降ろした。
でも、だれもこの2人のやり取りに注目していない。
人々の関心は、暴走トラックに向けられている。駅の壁に突っ込み動きを止めたとはいえ、黒い煙をあげるトラックは人目を惹く。転んだ少女の救出劇よりも、トラックの惨状に携帯のカメラを向けていた。
「マスター、気をつけるぜよ」
アーチャーの視線は、赤い少女に向けられている。
珊瑚も同じだった。サーヴァントであるアーチャーよりも素早く、少女のもとに駆け付けた。それだけで、人外離れしている。
「ほう、アンタたちも参加者かのう?」
艶やかな黒髪を乱雑に纏め上げ、真っ赤なジャケットを羽織った美少女だ。
否、ただの美少女ではない。もちろん、そこらのアイドルでは太刀打ちできない美少女だったが、それ以上に全身から凶暴な殺気が滲み出ている。一般人はもちろんのこと、喧嘩慣れした不良やヤクザでさえ、「あの女に手を出したら不味い」と遠巻きにしそうなくらい――濃厚な死の気配を漂わせている。
「わしはセイバー。ここで殺りあうか、弓使い?」
はい。
あっさりと、アーチャーの真名が判明しました。
的中された方、おめでとうございます。
なお、こちらのアーチャーは公式の彼とは別人です。まさか、コハエースに本物が登場するなんて……構想当初、考えもしていませんでした……。
なお、今作では東洋系の英霊を多数起用しております。
また、次回登場予定のアサシンはハサンではありません。あらかじめ、御了承を。
さて、今回登場したセイバーのサーヴァント。
彼女の真名を当てる方は、いらっしゃるのでしょうか?
次回もお楽しみに!