「っ、セイバーですって?」
珊瑚は、咄嗟に護符を握りしめた。
最優のサーヴァントであるセイバー。それが、いま、目と鼻の先にいる。しかも、濃厚な殺気を醸し出しながら。
「どうする? わしとしては、ここでやりあってもいいんじゃが?」
セイバーは、挑発的な笑みを浮かべている。いまにも戦いたくて、うずうずしているみたいだ。珊瑚は喉元に刀を突きつけられているような緊迫感に、思わず唾を飲み込む。
「アーチャー」
珊瑚は護符を握りしめながら、アーチャーに視線を向けた。
アーチャーは、ぽりぽりと頬を掻くと――
「んー、やめておくぜよ」
すっからかんとした笑顔で応えた。
「ここには、こじゃんと一般人がおるぜよ。聖杯戦争は、魔術師以外に知られるのはいかんっちゅうあっつろうがや?」
「……っち。そういえば、わしらの戦いは秘匿を強いられておるのじゃったな」
セイバーは「めんどいのう」と嘆きながら、ポケットに手を突っ込む。殺気が幾分か和らいだ。
珊瑚は内心、ホッと一息ついた。あいかわらず、アーチャーが何を言ったのか理解できなかったが、どうやら「一般人が沢山いること」を盾に戦いを先延ばしにしたのだろう。
「それでは、今日の夜はどうじゃ?」
「んー、けんど、マスターの準備もあるじゃが。悪いけど、また今度にしてちょ?」
アーチャーはぱんっと手を叩き、拝むような姿勢になった。
あきらかに、弱腰な対応……否、珊瑚を出汁に使い、この場を修めようとしていることは明白であった。
たしかに、このタイミングでセイバーと戦うのは得策ではない。
アーチャーは接近戦のサーヴァントではないのだ。不意打ち上等のサーヴァントが、警戒している相手に攻撃を当てることが出来るとは考えられなかった。
しかし、もっと良い断り方があるだろうに。
珊瑚は、少し膨れてしまった。一方のセイバーも、アーチャーの対応に頬を膨らませている。
「はぁ? 先延ばしか。……ったく、しかたないのう。準備ができしだい、参るが良い。 わしは、だいたいこの辺りを根城にしておるからのう」
セイバーは不貞腐れた表情のまま、珊瑚たちに背を向けた。
黒い髪を揺らしながら、赤いジャケットが人混みの中へと消えていく。途端、緊張から解放されたように、どっと疲れが襲ってきた。珊瑚は車椅子の肘掛につかまりながら、長く息を吐いた。
「戦いを一時回避してくださり、ありがとうございます。
しかし、どうして断ったのですか?」
「決まってるやか」
アーチャーは、セイバーが消えていった方向を見つめながら告げる。
「セイバーが、女だったからぜよ」
「……女だから戦いを止めたのですか?」
「家に帰って紅でもつける。それが、普通の女ぜよ。
けんど、武術を学ぶ女は、まっこと恐ろしい。戦いたくないっちゃ」
ぶるりっとアーチャーは身体を震わす。
もしかしたら、生前、武術を学んだ女性となにかあったのかもしれない。
「それに、今日は一日、東京観光ぜよ。夜に戦いなぞ、無粋な真似をしとうないっちゃ」
アーチャーは、けろっとした笑みを浮かべる。
……どうやら、後者が断った主な理由だったようだ。
「この、遊び人」
珊瑚は、侮蔑するように睨みつけてやった。
こうして、珊瑚たちは渋谷を後にする。
のちに、珊瑚は回想する。
もし、このとき――■■ことを選択していたら――あのような結末にならなかったのではないか、と。
――23:50 恵比寿 住宅街
雨生龍之介は、モチベーションの低下に頭を悩ませていた。
巷では「殺人鬼」呼ばわりされてはいるが、龍之介自身は「死の探求家」を自称していた。
彼にとっての「殺人」とは、死の本質を実感し、理解するための手段に過ぎない。正確に表現するならば、殺人は雨生龍之介の趣味であり、己の生の実感でもあった。
だから、自分を単なる
さて、そんな彼が「死」の探求をはじめて、1つの問題が発生した。
今年で30歳を超え、探求方法のレパートリーも被り始めている。模索方法が被り始め、そこに感動や新たな発見は滅多に起きなくなってしまっていたのだ。新鮮味がなくなった結果、必然的に心は冷め始め、今年に入ってからは、まだ誰も殺していない。
死を見つめる殺人鬼は、一種のスランプ状態に落ち込んでしまっていた。
「……そういえば、あのときは楽しかったな」
ふと、龍之介は10年前の出来事を思い出す。
冬木という地で行った「儀式殺人」。土蔵で見つけた先祖が残した和綴じの古書。そこに書かれていた記述を元に、深夜の廃棄された工場で早速和綴じの古書の内容を再現したのだ。
はしゃぐあまり、4件も同じ土地、同じ方法で人を殺した。
結局、儀式通りの悪魔は現れなかったが、それでもスリルが味わえた。
あの時の感覚を、もう一度再現してみよう。
今度は冬木ではなく、大都会の東京で。
結論からいえば、この想い付きは大成功だった。
久々の試みは刺激的で面白く、儀式殺人というスタイルの虜になった。1件目、2件目と回数を重ねながら、本日で3件目。
そろそろ世間も騒ぎ始め、新聞の片隅には「黒魔術殺人!?」という文字が踊り始めていた。龍之介は凶行に恍惚としながらも、頭の冷静な部分は「そろそろ、やめた方が良い」と警告していることに気づいていた。
都内という限定された空間とはいえ、東京という同じ土地で目立つ殺人を繰り返してしまっている。こうも回数を繰り返せば、足がつく可能性もある。
龍之介は「あと、1、2回が限度かなー」と考えながら、儀式の準備をしていた。
龍之介は魔法陣は古書に記されていた通り、まだ温かい鮮血で描いた。余った血は壁や天井に書き殴り、いかにも「黒魔術」という雰囲気を作り出す。
儀式も大詰め。龍之介は和綴じの古書を片手に解読しながら、悪魔降霊の呪文を唱えていた。
「閉じよ、閉じよ、閉じよ、繰り返すつどに5度――か? うん、あってる、あってる! えっと、それから、なになに? ただ、満たされる時を破却するーで、あってるよな?」
いい加減極まりない詠唱。魔術師がいれば「もっと、真面目に唱えろ!」と殴りかかるところだが、生憎、この部屋に魔術師はいない。いるのは儀式の主役である龍之介、そして、猿轡とロープで縛りあげた修道服の少女だけだった。
龍之介は少女の反応を確かめようと顔を覗き込んでみたが、少女は切り裂かれた両親の躯を茫然と凝視してばかりいる。まったくもって、つまらない反応だ。龍之介は「やれやれ」っと肩を落とし、少女の前で座り込むことにした。
「ねぇ、君。君は、悪魔って本当にいると思うかい?」
固まる少女に問いかけながら、龍之介は芝居がかかった仕草で小首をかしげる。
当然、猿轡を噛まされた少女には返答したくても、返答する手段がない。もとより、龍之介は返答など望んでいなかった。
「新聞や雑誌だとさ、オレのことを悪魔呼ばわりしたりするんだよね。でも、それって変じゃね?だって、オレが殺した数なんて、ダイナマイトの一本でもあれば、一瞬で追い抜いちゃうのにさ」
龍之介は話し続けた。
龍之介は子どもが好きだ。大人が怯えたり泣き叫んだりする様子は時折ひどく無様で醜い時があるが、その点、子どもはひたすらに愛おしい。ぐっしゃぐっしゃに顔を歪ませながら涙を流し、しゃくりあげながら失禁しようとも、子どもであれば笑って許せる。
……もっとも、少女は子どもというには年を取り過ぎていた。中高校生の少女を子どもと呼ぶには、少し違う気もするが、まだ子どもの範疇だろう。
「まぁ、いいんだけどさ。オレが悪魔でも。でも、それってオレ以外に本物の悪魔がいたりしたら、ちょっとばかし相手に失礼な話だよね。
だからさ、本物の悪魔がいるかどうか、確かめようと思うんだよ!」
龍之介はますます上機嫌に昂ぶっていた。
いつもはしゃべるのも億劫だが、とかく血を見ると――とくに、死に瀕した者の前に立つと、彼は人が変わったように饒舌になる癖があった。
「でも、本当に悪魔が出てきちゃったらさ、何の準備もなくて茶飲み話だけってのも間抜けな話じゃん? だから、お嬢ちゃん。もし、悪魔がお出ましになったら――
ひとつ、殺されてみてくれない?」
「――っ!?」
異常。
極限状態にある少女にも、この異常さは理解できた。
少女は声にならない悲鳴をあげながら、少しでも逃げようと身を捩りもがこうとする。龍之介は、その様子を見て、ケタケタと笑い声をあげた。
「あははははっ!! 悪魔に殺されるのってさ、どんな感じなんだろうね? ともかく貴重な経験だと思うよ? ぐっちゃぐっちゃにされても、ざくって一突きされても、滅多にあることじゃないし――ぁ痛ッ!」
不意に鋭い痛みが手の甲に差す。
この痛みが、龍之介の躁状態に水を差した。
「なんだ、これ?」
身に覚えのない痛みだった。痛みの退かない右手の甲には、どういうわけか、刺青のような紋様が、まったく心当たりのないうちに刻み込まれていた。
「……へぇ」
右手の甲を見つめていたのも束の間、今度は背後で空気が動くのを感じた。龍之介が驚いて振り向く。
風が沸いている。締め切った屋内に、決してありえないほどの気流が渦巻いていた。そよ風のようだったそれは、次第に勢いを増し、旋風となって室内に吹き荒れる。
さすがの龍之介も、ここで息をのんだ。風は、魔法陣を中心に巻き起こっていたのだ。しかも、魔法陣は淡い燐光を放ち始めている。
「これは、まさか!!」
なにか異常が起きることは期待していた。しかし、これは期待以上だ。
龍之介は腕で顔を庇いながら、魔法陣を凝視した。
風は室内を巻き込む。リモコンが宙を舞い、血濡れの新聞が壁にぶつかった。木彫りの土産物は風に舞いあがり、勢いよくテレビに穴を開ける。花瓶なんて死体にぶつかって粉々になり、花と水と一緒に無残に散らばった。それでも、風は止まない。
立っていることも難しくなるような突風。光る魔法陣の中央には靄状のものが立ち込め、稲妻が火花を散らし始める。
龍之介は、手品に魅入る子供のように期待を胸を弾ませ、床に転がる少女は恐怖で身を固めた。
「――ッ!」
魔法陣から弾かれた稲妻が、龍之介に襲い掛かる。そのまま、閃光が龍之介の身体を駆け抜けた。それはまさに、高圧電流に焼かれるような感覚だった。
雨生龍之介。かつて、彼の先祖に伝えられていた異形の力。子孫にすら忘れ去られ、それでも綿々と受け継がれてきた血によって、今日この日まで龍之介の中に眠りつづけていた「魔術回路」という神秘の遺産が、巨大な波に押し流されるようにして解放された。
たったいま、彼のなかに開かれたばかりの経路を循環し、再び外へと流れ出て、異界より招かれたモノへと吸い込まれていく――。
さて。――ここで、もしもの話をしよう。
英霊を召喚するためには、かならずしも大がかりな儀式は必要としない。
英霊を招くのは聖杯であり、魔法陣や詠唱がいい加減、魔術回路が開かれていなかったとしても、降霊は成功する場合もある。
そう、英霊を招くのは聖杯なのだ。
故に、聖杯はマスターと相性の良いサーヴァントを召喚する。
雨生龍之介の場合、「殺人に耽溺する」という精神の共通性から、かのグリム童話「青髭」のモデルとなったフランス軍人、ジャンヌ・ダルクと共にオルレアンを奪還した「ジル・ド・レェ」が召喚されるだろう。
しかし、英霊とゆかりの深い品――触媒があれば話は別だ。
たとえ、マスターとサーヴァントの相性が良くないとしても召喚することができる。
幸か不幸か。
偶然にも、この部屋には触媒があった。
否、正確には海外土産物。イチイの木で造られたイギリス製の置物が、
「――サーヴァント、アサシン」
立ち込める靄の中から、若い男性の声が響いてきた。
いつのまにか、あれほどまでに強かった風は収まり、魔法陣の光も薄らぎ始めている。龍之介は腕を降ろしながら、おそるおそる、でも、どこか楽しげに胸を弾ませながら、靄の向こうにいる「悪魔」を見つめた。
「ここに推参っと」
靄が晴れ、緑が翻る。
そこに現れたのは、山吹色の髪をした青年だった。
深い森を思わす緑色の外套に身を包み、その間から軽そうな鎧が覗いている。
飄々とした態度の人物は、どこからどうみても悪魔ではなく――
「アンタがオレのマスターか?」
「……」
龍之介は、酷く失望した。
思い描いていた「悪魔」とは違う。絶対に違う。だが、頭の片隅で「いや、こういう悪魔もありかなー」とか考えている自分もいた。飄々としたつかめない態度で人を誑しこむなんて、人間の世界ではよくある話である。メリットばかりを口にし、デメリットや重大事項を説明せずに契約を結ぶ悪徳セールスマンはたくさんいるし、そのことを問い詰めれば「聞かれなかったから答えなかった」とのたまう外道もいる。
「まあ、こういう悪魔もいるのか」
龍之介は自分を納得させると、とりあえず自己紹介することに決めた。悪魔であろうとなかろうと、自己紹介は大切だろう。
「えっと、雨生龍之介っす。職業フリーター。趣味は人殺し全般。子どもとか若い女とか好きです。最近は包丁に凝っています。
とりあえず、お近づきの印に――あれ、どうですか? あれで、御一腹しません?」
龍之介は少女に指を向けた。
少女はひぃっと身を縮ませる。緑の男は垂れた目で龍之介を一瞥すると、次に少女へ視線を映した。吟味するかのように軽く部屋の様子も見渡し、やがて、疲れたように息を吐いた。
「リュウノスケ、だっけ?
これ、アンタがやったのか?」
「そうだよ」
悪魔から直々に、自分の殺人方法を評価してくれるのだろうか? 龍之介は、どこか興奮気味に口を開いた。
どうして、自分が悪魔を召還しようと思ったのか。それを、懇切丁寧に説明する。目を輝かせる龍之介とは対照的に、緑の男は冷めた態度で耳を傾けていた。
「つまり、自分とは縁もゆかりもない他人を『悪魔召喚の儀式をしたい』がために殺したってわけ?」
話の区切りがいったんついたとき、緑の男は龍之介に言葉をかけてきた。
「え、そうだけど?」
龍之介は当然のように言葉を返した直後――。
龍之介の頭部が消失した。
それは一瞬。あまりにも瞬間的な出来事だった。おそらく、龍之介自身も痛みはもちろん、なにが起こったのか理解できなかっただろう。余計な痛みを味わうことがなかった分、この男は幸運だったかもしれない。
緑の男は血の付いた小型ナイフを片手で弄びながら、床に転がった龍之介の頭を踏みつけた。
「あーあ。マスター殺すなんて、サーヴァント失格だわー。こんなに早く脱落するなんて、思ってもいなかったぜ」
緑の男は伸びをしながら呟く。自分を卑下する言葉を吐きながらも、どことなく心地よさそうな表情を浮かべていた。
「ほら、縄を解いてやるから、さっさと逃げな」
緑の男は、少女に歩み寄ろうとした。
少女も「ひとまず、自分は生き残ることが出来そうだ」と感じたのだろう。強張っていた表情が緩み、瞳からは警戒の色が薄らぎ始めていた。
緑の男の指が、少女を縛り上げた縄へ触れる。そして、縄を解こうとしたとき、まるで幽霊でも見つけたかのようにピタリと動きが止まった。
「――?」
少女は「どうしたの?」と、問いたげな表情を浮かべた瞬間だった。
そこに、青い稲妻が乱入してきた。
唐突な爆発音。
家の壁が轟音と共に破壊され、瓦礫がリビングのなかへ飛散する。緑の男は咄嗟に少女を抱えると血塗れの床を蹴り飛ばした。即座に部屋の奥まで退避すると、リビングに開いた巨大な穴を睨みつける。
「ビーンゴ!! 俺ってば、ついてるぜ!」
狂ったような雄叫びと共に、崩れた家の向こうから2つの影が現れた。
片方は顔色の悪い紳士。もう片方は、土煙に紛れて詳しく見えない。だが、2メートル近くの巨体であること、長い刀を手にしていること、人外離れした荒い息を繰り返していること。そして、煙越しからでも血走った赤い眼を輝かせていることだけは視認できた。
「超ラッキー。まさか、本当にサーヴァントがいるなんて! 俺の直感は、スキルEX? これって、聖杯が俺を認めたってことか?
……まぁ、お前たちは、ついてねーけど」
紳士はべろりっと舌を舐める。そして、裂かれたような口で、一言――この場を滅茶苦茶にする呪文を呟いた。
「こいつらを殺せ、バーサーカー!」
マスター1人脱落。
そして、アサシンのサーヴァントが召喚され、バーサーカーが舞台に上がりました。
アサシンのサーヴァントの真名は、型月に精通している方なら分かってしまうと思います。もっとも、公式のクラスはアサシンではありませんが……。
セイバーとバーサーカーは、完全オリジナルのサーヴァントです。