1話 3度目の死と緑の男
――0:05、恵比寿 霧ヶ丘家
巨体が飛ぶ。
バーサーカーと呼ばれた2メートルの巨体が、煙の中から部屋の隅まで、十数メートルの距離を一息に詰めてきた。
荒い息を間近で感じる。まるで、包丁で全身を突き刺されているような、濃厚な死の空気。
――ああ、とうとう死ぬんだ。
緑の男に抱えられた私――霧ヶ丘 紫は、本日3度目の死を感じた。
※
すべての始まりは、あの小包だっただろう。
その日は、特別寒い朝だった。
屋内にもかかわらず、制服の上からコートを羽織り、手袋をはめて身を屈める。ストーブなんて贅沢な品は備え付けられてなく、凍えるような冬の寒さに震えていた。欲を言えば暖かな布団にくるまって惰眠をむさぼりたいところだったが、そろそろ朝食の時間だ。それまでに身なりを整えておかないと、寮長の雷が落ちる。
せっかくの日曜日。怒られて嫌な気持ちのまま、一日を終えたくない。
「あー、しんどい」
ぶるりっと震えながら、ますます身を固めた。
私が閉じ込められているのは、泣く子も黙る現世の監獄――ではなく、山奥に隔離された学び舎「私立礼園女学院」の寮だ。世間でも珍しい、由緒正しい令嬢育成のための、刺激の薄い要塞である。
私の場合は中学から放り込まれているので感覚が麻痺しかけているのだが、高等部から入ってきた編入生たちは、その規律の厳しさに絶望する。
「……まぁ、今の御時世に、全寮制で外出することはもちろん、隣の部屋に遊びに行くことすら届け出がいる生活なんてね……時代遅れも甚だしいというか」
私は、ほんのちょっぴり編入生に同情する。
でも、そういう編入生たちは、きっと家では何不自由のない幸せな生活を送って来ていた御令嬢なのだ。好きな時間に起床し、3時には紅茶を嗜み、自由に外出し、めんどうなことは執事に任せて、後さき考えず買い物できるような――羨ましい子たちなのである。
「霧ヶ丘さん」
ふと、扉をノックする音が聞こえてきた。
人数の関係上、本来、私は2人部屋を1人で使わせて貰っている。だから、こうして扉をノックするのは必然的に寮監のシスターであった。
「はい、いま開けます」
はて、怒られるようなことをしただろうか……なんて、考えながら開けてみれば、小包を抱えたシスターの姿があった。
「お届け物です」
「あ、どうもありがとうございます」
私は小首を傾げながら、小包を受け取った。古びた和紙に包まれた箱は、ちょうど片手で抱えられるほどの大きさだ。それでいて、そこそこ重みを感じる。
私は扉を閉めると、どさりと机の上に置いた。
「誰からだろう?」
私に贈り物をするような人物はいない。
母親は、物心つく前に死んでいた。
父親は5歳のときに他界してるし、母方の祖父母も死んでいる。母方の親戚である霧ヶ丘家に引き取ってもらったが、義父母は私のことを厄介者扱いしていた。最低限の小遣いはくれるものの、クリスマスプレゼントはもちろん、誕生日プレゼントすら貰ったことがない。
きっと――私を育てるのが面倒だから、全寮制の学校に入学させたのだろう。
「差出人は……書いてない? 変なの」
とりあえず、開けてみる。
箱の中には、何重もの和紙に包まれた古びた巻物が入っていた。触るだけで壊れてしまいそうな巻物である。端は黒ずみ、ところどころ虫で喰われたような跡が目立った。
どうして、こんなものを私に送って来たのだろうか?
そもそも、女子高生への贈り物ではない。大きな博物館に所蔵されているような巻物を、どうして一介の女子高生に送って来たのだろうか? 疑念ばかり浮かんでくるが、考えていても拉致が明かない。
「……とりあえず、ご飯を食べよう」
箱を閉じると、私は部屋を出る。
部屋の外は一段と寒く、びゅうびゅうと冷たい風が吹いている。歩くたびにギシギシと音を立てる木造の廊下を足早に通過しながら、送り主のことを考える。
いったい、だれが送って来たのだろう?
『――1年B組の霧ヶ丘 紫さん。お父様からのお電話を預かっていますので、1階事務室まで――』
考えながら歩いていると、館内放送が響き渡っていた。
そこで、届いたばかりの小包の謎が解けた気がした。私は、がっくしと肩を落とす。
あぁ、きっと、これは義父に送られてきたものだったのだ。
冷たい冬の朝、雲一つない青空と引き換えに、どんよりとした灰色の雲が私の心を覆い隠しているような――ひどく憂鬱な気持ちで、重たい足取りを事務室へ向けた。
※
どんぴしゃり。
義父からの電話は「間違って届いた小包があるだろう? 夕方、わしのところまで持ってこい」という用件だった。仕事の関係ですぐに必要らしく、朝っぱらから盛大に耳元で怒鳴り散らされる。
正直、「そう簡単に外出できない」と断りたかったのだが、この日に限って、シスターは外出許可を出しやがった。
『霧ヶ丘さんは、中学のときから1度も家にお帰りになってはいないでしょう?
たまには、ご家族と顔を合わせることも大切です』
という寛大な措置らしい。
そんなところで慈愛心を出すなら、もう少し数学のテストを簡単にするとか、ロックなCDを聴くこととか、御飯のおかわりは無制限にするとか、そのくらい許可してくれても良い気がするのだが……下手に反論して話をこじらせたくないので、ご厚意を黙って受け入れることにした。
外界は嫌いではない。むしろ、甘美な魅力で溢れている。
のんびり朝食をとったあと、着替えなんて贅沢品はないから、修道服そっくりな制服で礼園を出た。
我らが監獄――もとい、礼園があるのは、東京の山奥。対して、義父母の家は恵比寿の住宅街。礼園からバスで1時間、そこから電車に揺られること30分弱で都心に到着。
ちょっと時間つぶしにーって思って立ち寄った渋谷では、トラックに轢かれそうになる騒ぎもあったが、それは同い年くらいの赤い少女に助けてもらったことで、九死に一生を得た。
トラックが迫ってきたときの恐怖感や絶望感。絶対的な絶望を前にして、私は足が縫い付けられたように動かなくなってしまったのである。あのとき、赤いジャケットを羽織った少女が颯爽と助けに来てくれなければ、間違いなく死んでいた。
私が立ち直ったときには、もうすでに人混みの中に消えてしまっていて「ありがとう」と伝えられなかった。
でも、あぁ――命が助かって良かった。
私が胸をなでおろしたとき――ここで、不思議なことが起きた。
「――ッ」
右手の甲に、焼けるような痛みが奔ったのだ。
熱せられた焼きごてを押されたような強烈な痛み。思わず右手を押さえつけ痛みが引くのを待っていたのだが、一向に熱は引かない。
数分経過し、若干痛みが和らいだ頃には、右手の甲に不思議な紋様が刻まれていた。
爪みたいな紋様が3つ、三方対称に絡み合っている。
「なに、この痣?」
さきほど、トラックに轢かれかけたときに出来た痣――にしては、痛むのが遅すぎる。
なんだか、もう渋谷や新宿で時間を潰す気分ではなくなっていた。
ぱっぱと用事を済ませて、礼園に帰ろう。
トラック暴走の目撃者として取り調べを受け、やっと義父母の家に着いたときには、とっくに22時を回っていた。
一応、警察から連絡は言っているとはいえ、あの義父母のことだ。「遅い! 荷物を届けるのに、何時間かかってるんだ!」と激怒しているに違いない。
陰鬱な気持ちに浸りながら、玄関の鍵を開ける。
まさか、その扉の向こうで――義父母が殺人鬼に殺されているなんて夢にも思わずに。
※
「ほら、殺せ! サーヴァントともども、マスターを切り殺せ!! バーサーカー!!」
「■■■■■■―――ッ!!!」
そして、現在。
私は、2メートルの巨人と狂った紳士に命を狙われていた。
「――ッ! よりにもよって、バーサーカーかよ!」
緑の男は小型ナイフで器用に縄を切り取り、猿轡と縄を外してくれた。
でも、逃げられるわけがない。巨人は身の丈ほどの日本刀を振り回しながら、私と緑の男の首を狙ってくるのだ。いくら四肢の自由を取り戻したとはいえ、私1人で逃げようとしたが最後、すぱんっと首が飛ぶに違いない。
「おい、お嬢さん! オレから離れるな!!」
緑の男は緊迫した声で叫ぶ。
私に「逆らう」なんて選択肢は存在しない。男の手を握りしめながら、急いで頷いた。でも、状況は最悪。緑の男は、私という荷物を護っているからだろう。あきらかに、全力を出し切れていない。攻撃が来る瞬間に避けながら、間合いを詰められないように回避するのがやっとのようだった。まさに、防戦一方。しかも、体力が有り余っている巨人と引き換えに、緑の男は体力をかなり消耗しているようだ。緑の男は肩で息をしていて、なんだか今にも崩れ落ちてしまいそうな感じがした。
「どうした、どうした、どうしたんだ!?
避けてばかりだと、芸がない。せめて、華々しく宝具を使ったらどうだ? 無論、それもバーサーカーが押しつぶしてみせるがなぁ!!」
紳士は額に手を当てながら、高笑いを続ける。
圧倒的不利な状況。しかし――緑の男は、疲弊してなお不敵な笑みを浮かべていた。
「笑ってな、魔術師」
小さく呟くと、緑の男は右拳を床に叩き付けた。私は、緑の男がやり場のない怒りを地面に叩き付けたのかと思った。だが、それは間違いだったことに気づく。空気を揺らすような地鳴りの後、紳士と巨人の足元から茨のような植物が勢いよく噴出したのだ。
「なっ、茨の魔術か!?」
「■■ッ――!?」
紳士は面を喰らったような驚きようだった。
茨は紳士と巨人の足元を縛り付けるように絡み付き、締め上げていく。紳士も巨人も外そうとするが、もがけばもがくほど茨の蔦が締めつけていく。
「逃げるぜ!」
私が目の前の光景に呆然としていると、緑の男は私の手を握りしめ、一目散に走り出した。緑の男は速かった。まるで、風のように夜の街を駆け抜ける。
深夜の街は人通りがない。否、あまりにも人がいなかった。まるで、この一角から人を消してしまったかのよう。
街の半ばあたりまで進んだとき、緑の男は足を止めた。
「ほら、ここから走って逃げな。しばらく時間は稼ぐから――って、アンタ! 令呪あるじゃん」
急に、緑の男の態度が一変した。弾かれたように握りしめた手を払うと、わずかに後退する。
「令呪?」
何のことだろうか?私が尋ねると、緑の男は右手の痣を凝視しながら、呆れかえった口調で言葉を返してきた。
「マスターだったなら、さっさと自分のサーヴァントを呼びなって。こんな役立たずの三流サーヴァントに任せておかないでさ」
「マスター? サーヴァント?」
「……はぁ。まさか、オタク、聖杯戦争のこと知らない一般人?」
私は何も答えられなかった。
マスターとかサーヴァントとか意味わからないし、この痣の意味とか見当もつかない。困惑したまま首を横に振ると、緑の男は考え込むように眉間にしわを寄せた。
「……あの、マスターとかサーヴァントって……」
なに?
と、私が口を開きかけた直後だった。
家の方角から、なにかが崩壊するような地鳴りが響いてきた。
「ッ、時間がねぇ。
いますぐ、オレと契約してくれ」
緑の男は、一段と険しい表情を浮かべていた。声色も切羽詰まったものを感じる。その険しさに、私は思わず後ずさりしてしまった。
「け、契約?」
「細かい話はあとで説明する。だから、オレに続けて呪文を唱えろ」
「ちょ、ちょっと待って! 意味が分からない!」
本当に、話の流れが分からない。
マスターだがサーヴァントだか何だか知らないが、いきなり「契約しよう!」と持ちかけてきた。
緑の男は殺人鬼の魔法陣から召喚された怪しげな存在で、しかも召喚者である殺人鬼を殺している。でも、彼は私を護ってくれて―― 彼は、善い人なのだろうか? それとも、法外な契約を持ちかけてくる詐欺師なのだろうか?
私が戸惑っている間にも、地鳴りは近づいてくる。
きっと、あの巨人だ。巨人が、私と緑の男を探しているのだ。ぞくりと背筋が冷たくなる。私はぎゅっと両手を握りしめた。
「その契約を結べば、生き残れるの?」
「とりあえず、この場はやり過ごせる。あとで、契約を切ってもかまわない!」
だから早く!と、緑の男は訴えていた。
緑の男は召喚された当初より、遥かに顔色が悪くなっている。疲労の色が濃く、いまにも倒れてしまいそうだ。とてもではないが、あの巨人に対抗できるとは思えない。彼がこの場所に残り、私が逃げる時間を稼いでくれたとしてもスズメの涙にしかならない。あの巨人は、すぐに私に追いついてしまうだろう。
これから結ぶ契約が、いったいどんな契約かは分からない。でも、きっと、ここで契約を結ばなければ――
わたしは、死ぬ。
まっかな血を吹き出して、人形みたいに無様な死を迎える。
「分かった。教えて、その呪文を!」
そんな末路を想像し、私は気が付くと手を伸ばしていた。
緑の男は口角を上げると、伸ばされた手を力強く握り直す。そして、契約の呪文を唱え始めた。
「告げる。汝の身は我の下に、我が命運は汝の剣に」
「――告げる。汝の身は我の下に! わが命運は、汝の剣に!」
「聖杯のよるべに従い、この意、この理に従うのなら」
「聖杯のよるべにしたがい、このい、このことわりに従うのなら」
私は手を握り返しながら、彼の紡ぐ言葉を唱える。
意味なんて分からない。そんなもの、あとで考えればいい。今はとにかく、彼の呪文を一字一句逃さずに唱えきることが大切だ。私は全神経を集中させて、男の呪文に耳を傾けていた。
「我に従え。ならば、この命運、汝が剣に預けよう」
巨人の足音が、確実に近づいてきている。
もはや、時間は残されていない。緑の男が口早に、しかし丁寧に唱える。
「我にしたがえ! ならば、この命運、なんじが剣に預けよう!」
その言葉を私は叫ぶように告げる。
「アサシンの名にかけて、誓いを受ける。
アンタをマスターとして認めるぜ、お嬢さん!」
瞬間、互いに握りしめた手に閃光が奔った。
身体の内側から力が抜け、それが緑の男へ伝わっていくような感覚。身体全身を電気に撃たれたような痛みが迸る。痛みのあまり、小さく呻いてしまった。
きっと、これが「契約」なのだろう。いま、彼と私は
「んじゃあ、一丁いきますか!」
緑の男は私の手を引くと、そのまま抱きしめるように担ぎ上げた。
巨人の足音は、すぐ近くまで迫っている。おそらく、あと角を1つ分曲がれば、追いつかれてしまう。
「
巨人が過度の向こう側から姿を現した瞬間、緑の男はマントを広げると、それで私ごと包み隠した。
イギリスの児童文学に登場する「透明マント」ならいざしらず、ただの緑色をしたマント。私はもちろん、大の男を隠しきれるわけがない。私はそのことを訴えようとしたが、彼は私の口をふさいだまま「まぁ、様子を見てみなって」といわんばかりの微笑を浮かべた。
……よく視れば、さきほどまでの疲労の色が綺麗さっぱり拭い取られていた。
これも、契約の影響なのだろうか?
「おい、バーサーカー! まさか、あの2人を逃がしたのか?」
やがて、紳士も巨人に追いついた。
紳士の腕からは、ところどころ赤い血が滲んでいる。あの茨を乱暴に引き裂いてきたのかもしれない。
たいして傷一つ負っていない巨人――バーサーカーは不満げに小さな唸り声をあげる。紳士は舌打ちをすると指を軽く噛んだ。
「っち、ついてねぇな。逃がしちまうなんて」
紳士も巨人も、私たちが目の前にいるのに気づいていない。
とくに、巨人なんて私たちの目と鼻の先にいるのに、手を伸ばせば届きそうな距離にいるのに、まったく気づいている様子はなかった。
マントが、完全に私たちを視界から消してくれている。いや、周囲の風景と同化していると言った方が適切なのだろうか。いずれにせよ、これが緑の男のマントの性能なのだろう。
「気配もないってことは、奴はアサシンか。それとも、キャスターか? まぁ、どっちでもいいか。
この聖杯戦争、勝ちぬくのは
紳士はひとしきり笑い声をあげると、そのまま夜の闇へ消えていった。
バーサーカーと共に――。