――0:30 恵比寿 児童公園
「あれは、なんだったの?」
バーサーカーと呼ばれた巨人と紳士が消えてから、数分が経過しただろうか。
私は緑の男に連れられ、気がつくと近くの公園まで辿り着いていた。深夜の公園には私たち以外に誰もおらず、あんな爆発音がしたというのに、誰も起きてくる気配がなかった。それが酷く不気味で、怖くて堪らない。
私は震える身体を抑えつけながら、緑の男を見上げた。
「それから……あなたは、なに?」
「なに、とは失礼なお嬢さんだ」
緑の男は、少し気分を害したように顔を歪めた。
いまさらながら「なに?」と聞くのは失礼だったことに気づく。せめて「誰?」とか「何者?」と問うべきだった。なに?なんて物みたいだし――いや、そもそも、目の前の存在は人間なのだろうか?
私が戸惑っていると、緑の男はがしがしっと山吹色の髪を掻きながら自己紹介をしてくれた。
「オレはアサシンのサーヴァント。アサシンと呼んでくれ」
「アサシン?」
変な名前だ、と思う。
さっきのバーサーカーも変な名前だったし、アサシンも聞いたことがない名前だ。少なくとも、英語のテキストに出てくるようなトムやジャックではない。
英語の名前もけっこうあるんだなーって、考えていると、まだ助けてもらったのに、お礼の言葉はおろか、自分の名前すら教えていないことを思い出した。
「アサシン、さん? 助けてくれてありがとうございました。
私は霧ヶ丘 紫です。えっと、霧ヶ丘は苗字で、名前が紫で――」
「あー、そういうのはいいから。あと、『さん』とか敬語はいらない」
「じゃあ、アサシン? その……えっと……」
なにを尋ねれば良いのだろうか?
尋ねたいことがあり過ぎて、どれから聞けばいいのか……。目を彷徨わせていると、視界の端に自販機が入ってきた。
「えっと、少し待っててください」
私は自販機に駆け寄ると、とりあえずペットボトルのお茶を2つ買う。ほんのり暖かいペットボトルで冷え切った両手を温めながら、私は片方の茶をアサシンに差し出した。
「はい、これ……って、緑茶、飲めますか?」
なにも考えずに緑茶を買ってしまったが、アサシンは明らかに外国人。友人の美里が「外国人のなかには緑茶が苦くて無理という人も多い」って、教えてくれたことを思い出す。せめて一言「なにが飲みたい?」って聞けばよかった、なんて反省していると、アサシンは「問題ないですよ」と言いながら受け取ってくれた。
「とりあえず、契約ってなに? そもそも、アサシンは魔法陣のなかから現れたように見えたんだけど……アサシンって、人間なの?」
「はぁ、やっぱりそこからか」
アサシンは疲れたように肩を落とした。
「まず、オレは人間ではありません。聖杯戦争を勝ち抜くために召喚されるサーヴァント……まぁ、使い魔って奴ですよ」
それから、アサシンは説明してくれた。
聖杯戦争――それは、万能の願望器、聖杯を奪い合う戦い。
それに参加するのは、神秘の行使者、魔術師。
参加する魔術師は地球上の歴史の記された英雄、すなわち英霊をサーヴァントとして召喚して戦い抜く。今回、アサシンは殺人鬼が口にした呪文と書き上げた魔法陣で召喚された、と。
アサシンは召喚者を殺して消えるはずだった。でも――
「私と契約したから、消えずに残ってるってこと?」
「そういうこと。まっ、もともとアンタはマスターとして聖杯に選ばれてたみたいだけど」
「聖杯に選ばれてた?」
「お嬢さんの右手に聖痕――令呪っていうんですけどね。それが、マスターの証だ」
私が首をかしげていると、アサシンは右手の甲を指さしてきた。
「手の甲って、これ?」
それは、昼間浮かび上がった痣だった。
熱い痛みはとっくに引いているが、消える様子はなかった。
「そいつが、サーヴァントを従える呪文みたいなものです。
サーヴァントに3回まで言いつけを強制的に護らせる優れもん。まぁ、使い切ったらマスター権もなくなるから、実質2回まで。
それがあるから、てっきり他の英霊様と契約を交わしてると思ったんですけどね」
「へぇ……ただの痣じゃなかったんだ」
私は、しげしげと令呪を見つめた。
夢のような話だが、ここでアサシンが嘘を言うメリットがない。だから、真実なのだろう。
「でも、どうして私に? 私、魔術なんて習ったことないんだけど?」
「きっと、祖先が魔術師だったんじゃないですか? お嬢さんから魔力供給はされてますから」
「祖先が魔術師、か」
聖杯。
魔術師。魔力。
殺し合い。サーヴァント、使い魔。
どれも、いままでの人生で無縁だった言葉だ。きっと、これからも聴くはずのなかった言葉だし、関わるはずもなかった単語だろう。私のなかに魔術師の素養があるなんて、絶対に気づかないまま人生を終えていたはず。
でも、私は迷い込んでしまった。魔術師たちの生存競争に。
いままで知らなかった、世界の裏側に――。
「……マスター、続きは後だ」
途端、アサシンの雰囲気が変わった。
ぴしりと緊張の糸が張り詰められ、垂れた瞳には警戒の色が宿る。なにかあったの?と聞くまでもなかった。
「――失礼。聖杯戦争の参加者でいらっしゃいますよね?」
公園の入り口に、1人の男が立っていた。
黒いカソック姿の男は「降参」といわんばかりに両手を挙げながら、柔らかな笑みを浮かべている。
「申し遅れました。
わたしは南海 彦太郎。聖堂教会から派遣された監督者です」
※
そこから、車で数分。
辿り着いたのは、教会だった。
学校の校庭――というか、裏の森にある聖堂も立派なものだが、ここの教会も立派なものだ。雑居ビルに挟まれているが、その威厳は健在である。ロケット型をした大理石の教会は、夜の闇の中で白く輝いていた。
「こちらですよ、霧ヶ丘さん」
南海と名乗った神父が、手招きをしている。
私は車を降りると、教会に足を踏み入れた。
静謐な空間。
ずらりっと長椅子が奥まで並んでいる。
荘厳なステンドグラスからは青白い月明かりが差し込まれ、奥の祭壇を照らしている。祭壇の前には、すでに神父が立っていた。年の頃は30歳前後だろう。黒いカソックが良く似合っている。ただ、どうも男の醸し出す重圧のような重たい空気と柔らかな笑みが釣り合っておらず、なんだか言いようもない悪寒を感じてしまっていた。
「あらためまして、こんばんは。わたしは、この南海教会の司祭であり、今回の聖杯戦争の監督役――南海彦太郎と申します。以後、お見知りおきを」
「こちらこそ、はじめまして。霧ヶ丘 紫です。それで、あの……監督役とは、いったい?」
「名称の通り、聖杯戦争を監督する役目です」
私が尋ねると、南海神父はニッコリ微笑んだまま答えてくれた。
「現在、東京都心は戦争状態ですが、この教会に限って中立地帯となっております。
この場所でのマスターとサーヴァントの戦闘は禁じられていますので、緊張をお解きになってください」
「戦争って、えっと……その、聖杯戦争のことですか?」
「……どうやら、貴方は聖杯戦争に巻き込まれたマスターのようですね」
ふむ、と南海神父は顎に手を当てた。
「聖杯戦争の知識については、サーヴァントに教えてもらいましたか?」
「あ、はい。アサシンって人から。……さっきまで一緒にいたんですけど」
「まだいますよ、マスター」
たちまち金色の粒子とともに、アサシンが姿を現した。
私が車に乗る直前、アサシンは「そんじゃ、オレは霊体化してますんで」と言って姿を消してしまっていたが、どうやら透明になっていたようだ。まるで幽霊みたいだ、と他人事のように思っていると、南海神父がアサシンを凝視していることに気づいた。
「……君が彼女に召喚されたサーヴァント、ですか?」
「あー、召喚した奴は別の人間なんだけど、わけあって嬢ちゃんと契約したってとこ」
「つまり、彼女が召喚したサーヴァントではないのですね?」
「そういうこと」
「そうですか。不思議なこともあるものですね」
南海神父は、ほうっと感嘆の声を漏らす。そして、その柔らかな視線を私へ戻した。
「霧ヶ丘さん。貴方は、聖杯戦争に巻き込まれた一般人です。
私からも可能な限り質問に答えましょう。なにか聞きたいことはありますか?」
聞きたいこと。
もちろん、それは山のようにある。それを一つ一つ尋ねていったら、夜が明けてしまいそうだ。私は少し悩んだあと、まず気になっていることを口に出した。
「アサシンから聞いたんですけど、聖杯を巡る魔術師たちの戦争なんですよね?
聖杯を手に入れるのは1人だけってことは、その……生き残るためには、他のマスターを殺さないといけないんですか?」
熟練の魔術師たち相手に、完全に素人な私が勝てるわけがない。
今回は、たまたま生き残れたけど、これから先、まだ戦い続けないといけないとなったら、私は絶対に死ぬ。ほんの数日、命が延びただけだ。
「いいえ、必ずしも、マスターを殺す必要はありません」
「でも……」
脳裏に浮かぶのは、バーサーカーと紳士の姿だった。
おそらく、あの紳士は魔術師で、バーサーカーのマスターだったのだろう。彼は間違いなく「マスターとサーヴァントを殺せ」と命令し、殺意をもって戦いに臨んでいた。そのことを説明すると、南海神父は丁寧に答えてくれた。
「聖杯は、霊体――つまり、さきほどまでの貴方のサーヴァントのように、透明な存在なのです。呼び出すことは魔術師だけでもできるのですが、降霊した聖杯に触れるためには、同様の存在――サーヴァントでなければなりません」
「人間は触れないの?」
「ええ。だから、聖杯戦争とは自分のサーヴァント以外のサーヴァントを撤去させ、サーヴァントに聖杯を取らせるのです。
だから、必ずしもマスターを殺さなくても良いということなのですよ」
「そうなんですか」
ほっと胸を落とした。
これで、私の致死率は下がった。少なくとも聖杯戦争で死ぬことは――いや、でも、待て。
「私は命を狙われました。サーヴァントであるアサシンの命が狙われるのは分かりますが、なんで私まで?」
「無論、サーヴァントはマスターがいなければ存在できないからです。
マスターを失ったサーヴァントは消滅します。なかには、すぐに消滅しないサーヴァントもいますが、それでも本来の力を出し切ることはできません。
だから、サーヴァントを簡単に消すために、マスターを潰すことを最優先する魔術師も多いのです」
「――あ」
そういえば、アサシンは私と契約を交わす前、異常なまでに疲れていた。
だけど、私と契約した瞬間、その疲労が拭い去られ、能力も一気に上がったような気がする。
そう考えると、マスターを殺そうとすることは、当然の行為のように思えてきた。
英雄と呼ばれる存在と戦うなんて困難な道を選ぶより、マスターを殺しながら確実に勝ちにいくのが効率的だろう。
「それに、君のように令呪だけ持っていて、サーヴァントと契約していないマスターもいます。せっかく倒したのに、令呪を持ったマスターが新たな障壁として立ち塞がってはかないません。ですから、参加者は他のマスターを確実に殺そうとするのです」
「それじゃあ、令呪が全部なくなったら?」
マスターは他のサーヴァントと契約することが出来ない。
つまり、その時点で聖杯戦争の参加資格がなくなる。
「令呪を無駄遣いする魔術師がいるとは思えませんけどね」
アサシンが長椅子にもたれかかりながら呟いた。
「まぁ、オレは構わないけど」
「え?」
アサシンは私に視線を向ける。
「むしろ、マスター権を放棄した方がいいですよ。なにせ、お嬢さんは巻き込まれた一般人。逃げ回ることしか脳のない三流サーヴァントでは、誉れ高い英霊様から護りきれる保証ありませんから」
「でも、それなら……アサシンはどうなるの?」
「そりゃ、消滅しますね。
もともと、バーサーカーが襲いかかって来なければ、自然消滅する予定でしたし」
アサシンの顔に迷いの色は浮かんでいない。むしろ、出会った時のような悔いのない清々しい表情だった。
「霧ヶ丘さん、ここは中立の教会です。
アサシンとの契約を断った場合は、聖杯戦争が終わるまでの安全を保証します。マスターでなくなった者を保護するのは、監督役の最優先事項ですので」
思い起こせば、アサシンは最初っから自分との契約を切るために、監督役のところまで連れてきたのだろう。そうでなければ、アサシンが見ず知らずの神父に警戒を解くはずがない。
現に、この神父が現れる直前、アサシンは非常に警戒を高めていた。アサシンが警戒を緩めたのは、神父が己の身分を明かしたからだ。
「マスターに選ばれるのは、基本的に魔術師だけです。
魔術師なら、命をかける覚悟はとうにできていましょう。
あなたにそれがないというのであれば、仕方ありません。いまここで、令呪をすべて使いきるべきかもしれませんね」
「命をかける覚悟、ですか」
私は右手の甲に視線を落とす。
そこには、相変わらず3つの紋様が刻まれている。私がマスターである証。そう、私が聖杯戦争の参加者である証だ。
私は――
「命をかける覚悟はなんて持てないけど……でも、逃げたくないです」
小さく、絞り出すように、でも、はっきりと宣言する。
「……ほう」
「はぁ? オタク、馬鹿なの? 死ぬ気なの?」
南海神父は感心したように呟き、アサシンは私を問い詰めてくる。さきほどまでのおどけた表情は消え、いままでにないくらい目を光らせた決死の表情へ変わっていた。
「もちろん、死にたくないよ」
そう、私は死にたくない。
でも、それ以上に――
「参加資格があるのに逃げるなんて、カッコ悪いもの。
それに、なんでも願いを叶えてくれる聖杯が手に入るんでしょ? ここで逃げたら、きっと後悔するから」
私は、聖杯が必要なわけではない。
両親の遺産で金銭的に苦労しているわけでもなければ、どうしても叶えたい願いがあるわけでもない。
だけど、たとえば――聖杯を手に入れたマスターが「世界滅亡」なんて、とんでもない願いを叶えてしまったら?
もし――近い将来、私が聖杯でなければ叶えられない願いを抱いてしまったら?
きっと、ここで私が聖杯を手に入れる権利すら放棄したことを悔やむにちがいない。
……もちろん、前者の場合、私程度が止められるわけないと思うけど。
「後悔って……死んでから後悔しても遅いんですよ?」
「私は、そう簡単に死なないわ」
私は、不審そうに眉をひそめたアサシンに笑顔を向けた。
「だって、アサシンが守ってくれるんでしょ?
バーサーカーから守ってくれたときみたいに」
途端、アサシンの顔から色が消えた。
まるで、急に水をかけられたかのように、ぽかんっと口を開けている。言葉を失ったアサシンの代わりに、南海神父が口を開いた。
「彼はアサシン。攻撃や防御に特化したサーヴァントではないですが、よろしいのですね?」
「かまわないわ。私自身も頑張れば良いんだから」
……もっとも、どう頑張るのかは、これから模索するつもりだが。
祖先が魔術師だったのだ。私だって、護身術くらいなら頑張ればなんとかなるかもしれない。
他にも、アサシンが万全の態勢で戦えるように準備を整えるとか――うん、そのくらいなら出来る。
「分かりました。
それでは、霧ヶ丘 紫をアサシンのマスターとして認めます……次に貴方がこの教会の敷居を跨ぐのは、サーヴァントを失ったときになります。よろしいですね?」
「はい。でも、1つ質問してもいいですか?
他に参加しているマスターは何人いるんですか?」
そのくらいなら、質問しても良いだろう。
南海神父は少し考えた後、「まぁ、霧ヶ丘さんは魔術師じゃないというハンデもありますから……」と言いながら、なにやら文字盤を持ってきた。
「これは、聖杯が招いた英霊の属性を表示する霊器盤です。
いま、この東京にはセイバー、ランサー、アーチャー、ライダー、アサシン、そして、バーサーカーの召喚が確認されています。
いままでの亜種の聖杯戦争は、多くても4,5騎しか召喚されていませんでした。今回の英霊召喚は亜種史上最大規模ですね」
今回、召喚された英霊は6騎。
そのうち、マスターは既に脱落した殺人鬼を含めて7人。私はサーヴァントを召喚していないのだから、勝利するためには残り5人のマスターと英霊を倒す必要がある。
「協会に届け出ているのは、封印指定執行人『縛炎』カルロ・ヴァルガス・ユグドミレニア、時計塔『エルメロイ教室』の巫城 珊瑚、それから、フリーの魔術師 東坂常義。この3人ですね。残りのマスターは、まだ――」
届け出がでていない。
南海神父が続けようとした直後だった。
ばちばちっと火花が飛び散り、霊器盤の上に新たな星が生まれた。
既に表示された6つの星に加わるように、新しい星が輝きを増している。それを見た南海神父は、ぎょっと眼を見開いた。
「ば、馬鹿な!!?」
神父は何度も何度も目をこすり、霊器盤を凝視した。でも、その星が消えることはない。
「あの、これはいったい?」
「召喚、されたのです」
南海神父は、かすれるような声で言葉を紡いだ。
「キャスターのサーヴァント……召喚されるはずもない、7騎目のサーヴァントが!」
こうして、8人のマスター(1人脱落済み)と7騎の英霊による聖杯戦争が幕を開けるのでした。
さて、8人目のマスターはどのようにしてキャスターを召還したのでしょうか?