「ここで退場していただきます」
男は剣を軽く回すと、静かに構え直した。
研ぎ澄まされたような鋭い気迫を感じる。どうやら、次の一撃で決める気でいるらしい。アサシンの背中にも緊張が奔ったような気がした。
「お嬢さん、俺から離れないでください」
アサシンは私を庇いながら、じりじりと後退する。
アサシンの握りしめた武器の耐久度は低く、私という荷物のせいで、きっと本来の力を出し切れない。勝機は絶望的。数秒後、あの剣は確実にアサシンを破り、私の心臓を貫く。
だから、私は思わず――
「し、質問してもよろしいでしょうか?」
敵サーヴァントに向けて、そんなことを叫んでいた。
男はぴたりと動きを止める。
「質問?」
「は、はい」
せめて数分。時間を稼げばよい。
だって、ここは礼園女学院の廊下。いま、この瞬間にもシスターが通りかかるかもしれないし、通りかかった生徒が悲鳴を上げるかもしれない。聖杯戦争と無関係な人物が現れたら、あのサーヴァントは否応なしにでも剣を引っ込めなくてはならないだろう……たぶん。
「ちょっとだけ、質問があります」
だから、他の人たちが来るまでの時間。なんとか、攻撃を先延ばしにさせよう。
幸か不幸か、相手は武人系。死ぬ間際の祈りの時間くらい、大目にみてもらえる気がした。
「時間稼ぎでしょうか? だったら、はじめから期待しない方が良いですよ」
男は、鼻で小馬鹿にしたように笑った。
私は、ぎくりっと固まってしまう。図星だったことに加え、それが叶わぬ望みだと断定されてしまったのだ。なるべく平静を保とうと思ったが、男は追い打ちをかけるように言葉を重ねてくる。
「ここら一帯には、マスターが結界を張っています。認識疎外の結界を」
だから、第三者が介入する手段はない。
いくら会話を先延ばしにしたところで、結果は見えているのだ。「絶望」の二文字が、じんわりと身体のなかに広がり始める。
「魔術師なら結界の有無くらい気づかなかったのでしょうか? どうやら、アサシンのマスターは技量がかなり低いようですね」
「――うぅ」
否定できない。
さらにいえば、私は技量が低いのではなく、技量がないのだ。だが、それを訂正しても事態は好転するどころか、悪化してしまうにちがいない。
「それでは、三流魔術師。アサシンともども、あの世へ逝きなさい」
男の剣が延びる。
稲妻のように素早い切っ先は、私たちの心臓めがけて繰り出される。避けよう、なんて思いもしなかったし、そもそも無意味。だって、それが稲妻である以上、人の目でとらえられるわけがないのだから――。
「あきらめなさんなって、マスター」
でも――。
稲妻は、私に届かない。
人の目でとらえられない稲妻は、英雄として昇華された暗殺者の目が見逃さなかった。アサシンの右手から放たれる一筋の光が、男の判断を狂わせる。
「――っ!?」
男はアサシンの唐突な攻撃を避けようと、わずかに身体を捻る。その結果、攻撃にずれが生じた。アサシンは私の腕を引っ張り、攻撃の的を逸らす。男が突き出した剣は、そのまま宙を貫いてしまった。が――
「ひゃっ!」
私に、のんびり見ている余裕などなかった。アサシンは私の腕をつかむと、そのまま疾走する。
「振り返るなよ!」
私も我武者羅に足を動かす。正面から戦っても勝てないことは明白だ。だから、今の私たちには撤退しか残されていない。今はただ、少しでも早く、少しでも遠くへ。
「はぁ、はぁ、はぁ」
息が詰まる。
ちらり、と後ろに視線を向ける。古びた廊下が広がっているだけで、何の姿も見えない。だけど、男の圧倒的な威圧感が、背後に迫ってきているのが分かった。
「――っく」
体育の時間以外、積極的に運動してこなかったせいだろう。
徐々に体力が切れ始め、私の意志とは反対に速度が緩やかに減少していく。昨日の今日で足は悲鳴を上げ始めてるし、だからといって止まるわけにはいかない。足を止めた瞬間、すぐに追いつかれる。間違いなく殺される。あいつに追いつかれたら、私なんて剣に貫かれて、それで――
「――っ、しかたねぇ。おい、しっかりつかまりな!」
アサシンは腕を強く引くと、ひょいっと私を抱え上げた。そのまま、ほとんど倍以上の速度で廊下を駆け抜ける。外ほどではないにしろ、冷たい風が顔に突き刺さる。その激しさは、目を開けていられないほどだ。
「いいですか。ここは、人目につかないよう区域ごと遮断されてる」
アサシンは私を抱えたまま、現状の説明を始めた。私は半分だけ目を開けながら、アサシンの説明に耳を傾ける。
「外から入ることも出来ねぇし、逆もまたしかりです。外に出るためには、結界をしかけた本人か、その基点を破壊しなければなりません」
「でも、それって、どこに?」
「だから、それまで辛抱してください」
乗り心地は悪いでしょうが、と、アサシンは飄々とした口調で続ける。
アサシンの口調に焦りとか不安はなかった。でも、痺れるような緊張は強く感じる。
「……分かった」
アサシンにしがみつきながら、自分なりに脱出方法を考えてみることにした。
結界の基点、なんてものは分からない。
結界を仕掛けた本人――それは、分かる。さっきのサーヴァントと契約したマスターのことだ。そして、結界を仕掛けることが出来るということは、絶対に相手は魔術師。私みたいな一般人では思いもつかない方法で、結界を築き上げているはず。
確実に、私程度には見つからないように細工を施しているに違いなかった。
「……」
アサシンは廊下を駆け抜ける。
ところどころ、思い出したかのように礼園の生徒が倒れている。
たぶん、あの男の犠牲者。彼女たちも結界に捕らわれ、犠牲になってしまったのだろう。
「……でも……あのサーヴァントは、どうしてマスターじゃない人を襲ったんだろう?」
「おそらく、魂食いの真似事だな。ただの出血より衰弱が激しい」
魂食い。
南海神父から聞いた話を思い返す。
サーヴァントが人間の魂を吸収することで、魔力を蓄える行為のことらしい。
「大方、魔力を補うためだろうけど……おっ、あった」
アサシンの目が光った。奔る足を止め、廊下の角を慎重に凝視する。アサシンの視線を辿ると、そこにはチェスの駒があった。たしか、黒のポーン。その反対側の角には同じ駒が、ひっそりと置かれている。
「あれが結界の基点?」
「おそらくは――」
「そこまでですよ」
廊下の曲がり角から、男が姿を現した。
私は心臓を鷲掴みされたように縮こまりかけた――が、ふと、男の様子に違和感を覚える。
男は怪我を負っていたのだ。
額からは大量の血を流しているし、スーツの至る所が裂け、生傷が酷く目立つ。唇なんて、紫色に腫れ上がっていた。
アサシンは男の顔を一瞥すると、冷やかすように口笛を吹いた。
「おっ、ずいぶんと罠にかかったようで」
「……あれは、貴方のしかけた罠でしたか」
言葉使いこそ変化ないが、その口調からは静かな怒りが見え隠れしていた。怒りのあまり、剣を持つ手が微妙に震えている。
「罠は大いに結構。しかし、一般人の通る可能性があるところに仕掛けることは、いかがなものか? 貴方には、英雄としての誇りがないのですか? 恥を知りなさい、アサシンのサーヴァント」
「誇り、ねぇ」
轟くような声に対しても、アサシンはいつも以上の平静さで迎え撃つ。
「そんなもん、オレに求められても困るんですけど。
というか、一般人には罠が作動しないように考えてるし」
アサシンは口元に笑みを浮かべながら、ゆっくりと私を降ろした。
『マスター。あいつはオレが止めておくんで、その隙に基点を壊してください。なに、オレの見立てだと、倒すだけで壊れる基点ですから』
アサシンは男を睨みつけたまま、私に念話を送ってきた。
男の注意はアサシンに向けられている。その隙に基点を壊せば、結界が崩れる。結界さえ崩れてしまえば、この戦いを一旦は終わらせることが出来るのだ。
『分かった』
私はそれだけ返すと、ゆっくり後退する。
基点の位置まで、10数歩。走れば5秒で辿り着く。5秒――それだけあれば、男が私を仕留めるのに十分な時間。だから、せめて――あと数歩だけ、下がってみる。走り出すのは、それからだ。
「困る? たとえ敵対する兵士であれ、一握りの矜持を抱えて参戦しています。
それを尊重し合い、互いに知恵や力量を競い合うことこそ誉ある戦いです。人間同士の戦いである以上、最低限の法と理念を護った戦いをしてもらいたいものです」
男は、まだ私の後退に気づいていない。微かに充血した双眸は、まっすぐアサシンに向けられている。
「御高説、どうも。だが、オレは反骨心で動いていただけの殺人者でね」
アサシンは怯むことなく、軽い調子で会話を続けた。
「サーヴァントなら誰でも自分の人生に誇りを持てるわけじゃねぇって、分かんねぇのかなー、この脳筋サーヴァントは」
「脳筋、ですか?」
「事実だろ? そうじゃなかったら、そこまで罠にかからねぇよ。もしかして、オタクは理性が蒸発したバーサーカー?」
「御冗談を――っ!?」
男は何かを口にしかけたが、その言葉を最後まで言いきることはなかった。
男の視線がアサシンから外れ、私に向けられたのだ。男は、私が基点に近づいていることに気づいてしまった。くわっと眼を見開くと、剣を握る手に力を入れ直す。
「――っ!」
「させませんよ!!」
私が廊下を蹴り飛ばし、男の剣が奔る。それは、ほぼ同時の出来事。もちろん、速度は男の方が早い。あっという間に背後に巨大な気配が近づいてくる。例えるなら、昨日、大型トラックに轢かれかけたときの感覚に似ていた。あのトラックは前からだったけど、死の圧迫感は同じ。でも、今の私は昨日の私とは違う。足を止めることなく、黒の
あと、数cm。一歩踏み込めば、届く距離。でも、背中には息遣いまで感じられるくらい、迫って来ていて――
「覚悟――っ! なっ!?」
瞬間、足元から不穏な音がした。
思わず振り返ると、男と私を遮るように紫色の霧が噴出していた。
「げほっ、げほっ! これは、毒!? アサシンめ、姑息な真似を!」
男は、咳き込んでいる。
いまだ。この隙を逃すまい。私は一歩踏み込むと、倒れ込むように指を伸ばす。指の先が、黒のポーンに触れた。そのまま、指を思いっきりポーンを薙ぎ払う。ポーンは軽い音を立てながら、地面に転がった。
その途端、空気が変わる。
「空気の変化を肌で感じる」とは、まさにこのことを指すのだろう。
いままで遮られていた昼時の雑音や礼園特有の空気が一気に戻ってきた。
「……毒の地雷を仕込んでいましたか。
また、地雷で足止めをくらうことになるなんて……」
顔を上げてみれば、男は少し離れたところで膝をついていた。
「人生、何が起きるか分かりませんね」
「それで、どうする? 結界壊れたけど、まだ殺り合うか?」
「いや、この勝負は結界が壊れた時点で私の負けです。ひとまず君たちの首は預けておきましょう」
最後に――と、男は言葉を続ける。
「私のクラスはライダー。真名は教えることが出来ませんが、以後お見知りおきを」
男は空気に溶けるように消えていった。
アサシンの姿は何処にも見当たらない。まさかとは思うが、あの男にやられてしまったのだろうか?
『ほら、マスター。さっさと、この場から離れた方がいいですよ。こんなところにいたら、めんどうな事情聴衆が待ってるでしょうから』
頭のなかに、アサシンの声が響いてくる。
その声にホッと胸をなでおろすと、疲れ切った足に鞭を打つ。アサシンの言い分は、もっともであった。こんなところにいた理由はもちろんのこと、どうして、1人だけ無事なのか説明するのは骨が折れそうだ。
場合によっては、全部の罪を押しつけられてしまうかもしれない。そんなこと、御免こうむる。
『了解』
見つからないうちに、さっさと食堂へ急ぐことにしよう。
逃げ回ったせいで、おなかはペコペコだ。食堂までの最短距離を思い浮かべながら数歩足を進めて、ふと、アサシンに伝え忘れていたことを思い出す。
お腹は「さっさと食べ物を寄こせ!」と反乱を起こしかねないが、この言葉を伝えてから食堂に向かっても遅くはないだろう。
私は一旦足を止めると、どこにいるか分からないアサシンに言葉をかけた。
『守ってくれて、ありがとう。アサシン』
『……はぁ。オレはサーヴァントとして当然のことをしたまでですから、礼を言われる筋合いはないですよ』
やや間が空いてから、アサシンの声が聞こえる。
たしかに、彼にとっては当然のことなのだろう。でも、私にとっては、それが生命線だった。助けてくれたことに対して感謝もしないなんて、それこそ、人の道を外れた行為である。
『ほら、お嬢さん。さっさと、場所を移動してください』
アサシンは急かすように言葉をかけてきた。
私も慌てて足を動かす。一歩一歩、地面に足がつくたびに痺れるような痛みが上ってきた。正直、歩くのがしんどい。
午後に、体育がなくてよかった。
聖杯戦争とは場違いなことを考えながら、歩き続ける。
やがて、冷たい風と一緒に、焼きたてのパンの香りが漂ってきた。
ほのかに、シチューの暖かな匂いも鼻をくすぐる。私の足取りが、心なしか早まった気がした。
とりあえず、ライダーのステータスを(一部)公開します。
【CLASS】 ライダー
【マスター】???
【真名】 ???
【性別】 男
【身長】 166cm
【属性】中立・善
【ステータス】筋力C 耐久D 敏捷A 魔力D 幸運E 宝具B,B+
こうしてみると、かなり小柄なライダーですね。
本編でもヒントを幾つか散りばめておきましたが、この段階で正体まで辿り着ける人は凄いと思います。
次回、久しぶりにアーチャー陣営登場です。
お楽しみに!