蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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Depth009:「出航」

 ローレンスの朝は早い。

 執事長として広大な屋敷を管理する彼は、日が昇る頃には活動を開始していた。

 屋敷内のことはメイドに(ふん)したロボット達――この時代、人型のアンドロイドも実用化されている――が行うので、ローレンスの仕事は主に2つだ。

 

 

 1つは「お嬢様」の世話、そして今一つが方々(ほうぼう)への連絡。

 身辺的な世話はメイド達がほぼやってくれるため、より重要なのは後者である。

 例えば彼は毎朝、必ずと言って良い程に連絡を取り合う相手がいた。

 

 

『それでは北管区の首相としての政務がありますので、私はこれで失礼しますよ』

 

 

 執務室らしき部屋の壁面モニター、そこに1人の少年が映っていた。

 おかっぱとでも言うのか、きっちりと前髪を切り揃えた顔には清潔感がある。

 白いスーツと言うのも清潔感に拍車をかけ、菊の飾り房がどこか格式めいた雰囲気を少年に与えていた。

 その瞳は閉ざされている、まるで見ることを拒否しているかのようだった。

 ――――そう思えてしまうのは、受け取り側の心にわだかまりがあるからか。

 

 

「ああ、(まこと)。次はまた夜に」

『……貴方は何と言うか、妙な所で真面目ですね。別に毎日連絡を取り合う必要は無いでしょう』

 

 

 眞、と言うのがその少年の名であるらしい。

 そして言葉を信じるのであれば、彼は北管区、つまり楓首相と同格の3人の首相の1人だ。

 それにしては年若い、おそらく普通の出自では無いのだろう。

 どこか超然とした、あるいは感情が抜け落ちたような雰囲気は、そのせいなのかもしれない。

 ただ今は呆れたような色が見えて、ローレンスは少し苦笑いを浮かべた。

 

 

『違いますか、()()()()?』

「いや、お前が元気かと思ってね」

『……たまに、貴方がわからなくなりますよ』

 

 

 そうして、()()との会話の後に「お嬢様」の下へ向かう。

 世話はメイドの仕事だが、起こすのは彼の役目だ。

 むしろ彼がそうしたがっている、のかもしれない。

 

 

「蒔絵お嬢様、朝でございます。お寝坊は関心できませんよ!」

 

 

 いや、単純に楽しんでいるのかもしれない。

 3連続で3度ノックをして返事が無いことを確認した後、ぬいぐるみに囲まれたファンシーな寝室に飛び込む様を見ているとそう思えた。

 あえて表現するのであれば、()が可愛くて仕方ない父親のようにも見えた。

 

 

 そして寝室の中心には、人間が1人で寝るには大きすぎるサイズのベッドがあった。

 やはり大小のぬいぐるみを囲まれたベッドの中心に、こんもりと盛り上がったシーツが。

 盛り上がり方からして小さな子供だろう、蒔絵と言う名からして女の子か。

 ローレンスが声をかけても身じろぎもしない、彼は溜息を吐くと、意を決してシーツを捲り上げた。

 

 

「お嬢様! 早起きは三文の得と以前よりお教えし」

 

 

 て、と言う言葉は、最後まで続かなかった。

 何故ならそこに、目的の人物の姿が無かったからだ。

 代わりにそこにあったのは、「おじいさまをむかえにいく」と書置きを貼り付けた大きなぬいぐるみ。

 古今で使い古された手段だ、子供なら誰しも一度はやるかもしれない。

 

 

「……蒔、絵」

 

 

 しかし残念ながら、今この瞬間に限っては違う。

 何故なら彼女は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 目の前の事態には俄かには信じ難かったのか、ローレンスは。

 ――――刑部藤十郎は、しばし呆然とその場に立ち尽くしていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 メンタルモデルを持ち始めてから、霧の艦隊にも変化があった。

 それまで艦種の違い以上の差は無かったのだが、メンタルモデルの稼動時間が長くなるのつれて、徐々にではあるが彼女達は個々に異なる「成長」を遂げる傾向にあった。

 人間で言うところの、個性や性格の違いが表れるようになってきたのである。

 

 

「さて、『ハルナ』。私達はここで待っていれば良いんだったかな」

「良い」

「ふふふ。さぁ、楽しみだな」

「……? 何が楽しみなの、『キリシマ』?」

 

 

 その2隻の巨大艦の名は、『キリシマ』と『ハルナ』と言う。

 排水量3万トン以上、そのカタログ上の数値は彼女達が『タカオ』の3倍、イ号400型潜水艦の5倍に相当する質量の艦体を有していることを意味している。

 武装もそれに伴い大型で強力なものになっており、その戦闘力は計り知れないものがある。

 

 

 霧の大戦艦、艦隊旗艦の資格を有するそれが2隻、横須賀南方の浦賀水道に陣取っていた。

 横須賀から外洋に出る船舶が、必ず通る場所である。

 当然、沿岸の人々はその存在に気付いている。

 特に統制軍の警戒網は早くから彼女達の存在に気付いており、すでに横須賀に警報を発していた。

 

 

「決まっているじゃないか。噂の401、『ヒュウガ』を沈めた巡航潜水艦。海洋封鎖なんて暇な作業よりもずっと楽しめそうじゃないか」

「イ401だけじゃない。もう1隻いる」

「ああ、404か。だが401程じゃないだろ、『ナガラ』にてこずるような奴だ」

 

 

 彼女達の周囲には、彼女達の半分よりも少し小さいくらいの艦艇が何隻かうろうろしていた。

 いわゆる駆逐艦と呼ばれる小型の軍艦で、旗艦の護衛や索敵が役割の艦だ。

 2隻のメンタルモデルの口ぶりからして、横須賀の出口を封鎖して何かを待っているのだろう。

 

 

「久しぶりにまともな()()が出来るかと思うと、ワクワクするよ」

 

 

 まず1隻、霧の大戦艦『キリシマ』のメンタルモデル。

 茶髪のショートアップの女性で、パンツスタイルのジャケットの上に黒いトレンチコートを羽織っている。

 ただジャケットの下は素肌であるのか、隙間からくびれのある腰とお臍が覗いていた。

 どこか好戦的なその表情は、霧にしては真に迫っている。

 

 

「ワクワク……未来への期待を表す言葉。タグ添付、分類、記録」

 

 

 そしてもう1隻、霧の大戦艦『ハルナ』のメンタルモデル。

 金髪のツインテールの少女で、キリシマに比べると幼めの容貌をしている。

 顔の下半分を覆ってしまう程のロングコートで身体を覆っていて、手足すら見えないだぼだぼのファッションが特徴的だった。

 

 

 この2人、もとい2隻は、同型艦と言うこともあって組んで行動することが多かった。

 17年前の大海戦の時も――最も、その頃にはメンタルモデルなどと言うものは無かったが――2隻は同じ部隊で人類側の艦隊と戦っている。

 そして今は、自分達の旗艦となっている『コンゴウ』の指示でここにいる。

 言葉の通り、人類側についたイ号400型潜水艦を沈めるために。

 

 

「まぁ、『タカオ』の尻拭いみたいな所は少し気に入らな「ねぇ――っ! ちょっとぉ――!」……何だ、『マヤ』」

 

 

 その時だった。

 比較的緊張感のある、そんな空気の中に酷くファンシーな色が乱入してきた。

 それはハルナとキリシマの隣に停泊する艦艇から上げられた声であって、2隻のメンタルモデルは同じタイミングでそちらを見た。

 

 

 重巡洋艦『マヤ』、キリシマ達の周囲にいる駆逐艦達を指揮する立場の艦艇である。

 キリシマ達が面倒がった――もとい戦闘に集中するために、麾下の駆逐艦隊を任せたのだ。

 そして実際、()()はある程度、真面目に駆逐艦達の面倒を良く見ていた。

 自らの主砲の上に立ち、先程まで弾いていたのだろうグランドピアノを指差しながら。

 

 

「キリシマもハルナも、一緒に輪唱してくれないとダメでしょ! ひとりでやってもつまんないじゃん!」

 

 

 エプロンドレス姿の、長い黒髪が美しい少女だった。

 頭を彩るコサージュの花と脚線美を引き締める黒いタイツ、そして何よりも豊かな表情がどこか彼女を可愛らしく、そして幼く見せていた。

 過去のメンタルモデルの事例で言えば、かなり独特なモデルであると言える。

 

 

「ひとりでやってろよ、私もハルナも音楽には興味が無いんだ」

「ええぇ――、何それぇ~~っ! おーぼー! キリシマは横暴だよ!」

「横暴……理不尽を表現する言葉。又はそれを弾劾する言葉。タグ添付、分類、記録……」

 

 

 鬱陶しげな様子のキリシマ、憤慨するマヤ、それらを静に見つめるハルナ、黙して語らぬ駆逐艦達。

 戦術、ワクワク、言葉、音楽、表情、そして感情。

 メンタルモデルの獲得と共に、それまで()()であった彼女達は()()ものになっていく。

 ――――まるで、人間のように。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 霧の艦隊、浦賀水道に現る。

 出航直前のタイミングで入って来たその報せに、横須賀の地下ドックは騒然となった。

 

 

『沿岸の警戒部隊からの情報によれば、戦艦2、重巡洋艦1、駆逐艦6。確認は取れていないが、他に潜水艦がいる可能性もある』

 

 

 出航を見送りに来ていた楓首相に呼び出された紀沙は、群像と共に彼の前に立っていた。

 事が事だけに緊急を要する、そのため呼ばれたのはアメリカへ渡航する()()の艦長だけだった。

 後は北と上陰、それから艦隊の顧問役になる浦上中将が会議に参加していた。

 

 

 浦上中将の乗艦は紀沙にとって少し意外だったが、1人くらいは将官が乗っていないと、アメリカに渡った時に何かと不便になると言う判断なのだろう。

 それからもう1人、こちらは特に驚きは無い。

 何しろ、もう日本に外洋を航海できるような潜水艦は1隻しか残っていないのだから。

 

 

「我々の出航の情報が、漏れていたと言うことでしょうか」

『そう考えて良いだろう』

「恥ずかしい話しだが、統制軍の内部情報が霧に漏れるのは珍しいことじゃないからな」

 

 

 原子力潜水艦『白鯨』、ネームシップでもある日本の最新鋭潜水艦である。

 その艦長が、緊張の面持ちで立っている駒城と言う男だった。

 紀沙は余り良く知らないが、当然、彼女より階級が上の正規の軍人である。

 今回、彼と白鯨はイ404とイ401と共にアメリカに渡航することになっている。

 

 

 これも、イ404とイ401と言う特殊な艦のみに作戦を任せることが出来ない事情を表していると言える。

 政治、と言う奴だろう。

 北の傍にいた紀沙には、それが良くわかっていた。

 

 

「なお白鯨には、少尉相当官として響真瑠璃を乗艦させることになった」

 

 

 ただ、北が言った言葉には驚きを禁じ得なかった。

 真瑠璃を白鯨に乗せる。

 ちらりと横に立つ兄を見たが、こちらはさして気にした様子は無かった。

 知っていたわけでも無いだろうが、小揺るぎもしない様子を見ると訝しみたくもなる。

 

 

 群像や紀沙のことを考えれば、真瑠璃の存在は悪いことでは無い。

 これも政治、ただ、真瑠璃自身はどう考えているのだろう。

 かつてイ401を降りておいて、今また海に戻るのは何故なのだろう。

 そこは、少しだけ気になった。

 

 

「出航後は衛星を使って連絡を取ることになる。そのためのキーコードは群像艦長、紀沙艦長にも開示し、軍務省の定期レポートも……他にも必要な便宜があれば最大限協力する」

『まぁ、そのためにはまず浦賀に展開している霧の艦隊を何とかしなければならないがね……残念ながら、それは君達の力に頼るしかない』

 

 

 気になること、考えたいこと、答えの出ないことは他にもある。

 

 

(今は、目の前の霧を突破することを考えよう)

 

 

 今は、霧の艦隊をどうやって突破するかを考えることにする。

 他のことは、後回しにする。

 真瑠璃のこと、兄のこと、そして。

 

 

「お前達に、日本の……いや、人類の未来を託す」

 

 

 ――――北のこと。

 自分達の肩に、日本の、人類の未来がかかっているのだから。

 だから紀沙は、今は他のことを考えるのをやめた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「と言うわけで、401と白鯨と協力して敵艦隊を撃破することになりました」

 

 

 そう言って、紀沙はイ404のブリーフィングルームに集まったクルーを見渡した。

 皆、思い思いの体勢と表情で紀沙の話を聞いてくれていた。

 『ナガラ』や『タカオ』との戦いを潜り抜けてきた頼もしいクルー達だが、流石に大戦艦2隻を含む10隻前後が相手となると、流石に表情も真剣なものになっている。

 

 

 いや、それ以前にアメリカである。

 ある程度年配の人間ならば大海戦以前に船舶や航空機で行った経験もあるだろうが、若いメンバーが多いイ404のクルーに渡航経験のある者はいない。

 正直、未知の世界だった。

 

 

(……降りるなら、今だよね)

 

 

 一度外洋に出てしまえば、そこは霧の巣窟(そうくつ)だ。

 戻ろうとしても出来ない、そんな世界に出て行こうと言うのである。

 やめるならば今しかない、幸い彼女達が乗っているのは無人航行が可能な霧の艦艇だ。

 だが、それを紀沙の口から言い出すのは違う気がした。

 

 

 学院卒であること、また政治的配慮もあって、階級は紀沙の方が高い。

 だが紀沙よりも年上のクルー達である、それにこれまで死地を共に潜り抜けてきた仲間だ。

 だから無理強いはしたくなかったし、彼らの意思を尊重したかった。

 それを言い出すことも出来ず、言いよどんでいると、ふと冬馬の視線に気付いた。

 

 

「……なぁ、艦長ちゃん」

「は、はい」

 

 

 その顔が、その声がいつになく真剣だったので、紀沙は背筋を伸ばした。

 冬馬はじっと紀沙の顔を見つめていて、思わず穴が開いてしまうのでは無いかと思った程だ。

 いつになく真剣な顔で、冬馬は口を開いた。

 

 

「艦長ちゃんのリボンって」

「え? り、リボン?」

「ああ、リボンな。艦長ちゃんがいつもつけてるやつな」

 

 

 確かに、紀沙はいつも髪をリボンで束ねている。

 子供っぽいかなと思わないでも無いが、こうしないと髪が跳ねて仕方が無いのだ。

 癖っ毛と言うわけでは無いが、跳ねが強い髪質なのだ。

 たまにストレートの人間が羨ましくなることもあるが、今、それが何か関係あるのだろうか。

 

 

「もしかしてさ」

「は、はい?」

 

 

 真剣な顔で、冬馬は言った。

 

 

「……下着(インナー)の色も、同じだったりする?」

「は? ……はああぁっ!?」

「いや、何か毎回色とか違うからお兄さん気になっちゃって夜も眠れな痛い」

「「死ね」」

「痛っ、マジで痛い! スパナはやめろスパナは! あ、やめ、ま」

 

 

 ごっ、がっ、と、鈍い音の中に沈んでいく冬馬、決戦の前に戦死してしまいそうだった。

 紀沙は熱を持った頬を両手で押さえて俯いていたため、梓と静菜が拳とスパナで冬馬に折檻を与える様子は見ていなかった。

 動揺しているのか視線が泳いでおり、その時に良治と目が合った。

 すると、彼は何故か怯えたような顔をして。

 

 

「ぼ、僕じゃないよ! 紀沙ちゃんの秘密を他に漏らしたりなんかしてないから!」

「良治君んんんんんんっ!?」

 

 

 思わず学院時代の呼び方をしてしまう程に動揺して、紀沙は思わず叫んだ。

 冗談では無い。

 それが事実かどうかは別として、そんな話になってしまったら、今後どんな顔をしてリボンをつけて歩けば良いのかわからなくなってしまう。

 

 

「あらあら、そうだったのね~」

「違います! 絶対に違いますからね!!」

「照れなくても良いのに~。あ、ちなみにお姉さんはたまに着けるのをわす」

「聞いてない! そんなこと聞いてないですからね!!」

 

 

 混沌とした状況の中、ただ1人冷静に推移を見守っていた恋は、はて何の話をしていてこうなったのだろうかと首を傾げていた。

 まぁ、今さら艦を降りるなどと言い出す人間いるとも思えない。

 何を話し合ったところで、最後はいつもと同じところに落ち着くのだろう。

 

 

 だから恋はとりあえず、浦賀水道突破作戦の説明がスムーズに進められるように、情報の整理を始めるのだった。

 ひとりで我関せずな態度を貫けるあたり、彼もなかなか図太い人物である。

 ――――なお、今日の紀沙のリボンは青地に白のレースだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 出航直前のドックとは、往々にして騒々しいものだ。

 魚雷や弾薬関係、水や食料、整備用物資から生活必需品までを含めた艦内備品関係。

 それらが()()()()に次々に積み込まれている様子を、スミノは自らの艦体の上に立って見下ろしていた。

 

 

「オーライオーライ!」

「モタモタするな、時間が無いぞ――!」

 

 

 彼女の足元で、作業員達が焦りの表情を浮かべて動き回っていた。

 横須賀湾の出口を霧の艦隊が封鎖している状況で、落ち着けと言う方が難しいだろう。

 しかも予定を早めての出航のため、諸々の作業を繰り上げて行わなければならないのだ。

 ただ、スミノから見ればそんな焦りに何の意味も無いことは明白だった。

 

 

 確かに、湾の出口を封鎖した霧の艦隊は脅威だろう。

 だが彼女達が能動的に横須賀を襲うかと言うと、それはあり得ない。

 そもそも霧は別に人類を絶滅させることを目的にしているわけでは無く、あくまで海洋から駆逐するために活動しているのだ。

 極論してしまえば、彼女達は人類そのものには興味が無いのである。

 

 

「まぁ、それはボクにも当てはまることなんだけどね」

 

 

 霧に対する最も正しい対処法、それは「関わらない」ことだ。

 現れても下手に刺激せず、遠巻きに眺めている分には無害なのだ。

 まぁ、それが出来ない事情と言うのも人類側にはあるのだろうが、そんな事情は霧には関係が無い。

 

 

「ん……?」

 

 

 その時だ、スミノはふと気になるものを見つけた。

 イ404の物資搬入用のハッチにクレーンで下ろされている積荷、そこに何かを見つけたのである。

 それは、生体反応だった。

 積み込みを行っている作業員のものでは無く、より小さな反応だった。

 他ならいざ知らず、霧の艦艇であるスミノがそれを見逃すことは無かった。

 

 

「スキャニング開始」

 

 

 虹彩が輝き、今まさにクレーンで艦内に収められようとしている積荷の中身を確認する。

 リストによれば食料品、生体反応などあろうはずも無い。

 しかしそこには、確かに生体――()()の反応があった。

 背丈が小さい、人間、それも小さな少女のように思えた。

 

 

 さらにスミノのスキャニングは、その背丈が人工的な処置の結果であることも見抜いた。

 発生、つまり受精卵の段階で薬物処置を施された痕跡が脳に見られたためだ。

 そしてその痕跡を、スミノは以前見たことがある。

 正確に言えば、資料で、だが。

 

 

「『デザインチャイルド』……?」

「おい」

 

 

 不意に声をかけられて、スミノの意識はそちらへと向いた。

 振り向くと、そこに姉妹がいた。

 イ401のメンタルモデル、イオナである。

 補給作業はもちろん彼女にも行われていて、イ401は隣のドックに鎮座していた。

 

 

「やぁ、401。何か用かい?」

「うちの艦長からだ」

 

 

 そう言って、イオナは左手首を掲げて見せた。

 そこに起動音を立てて現れたのは、彼女の紋章(クレスト)」だった。

 ユニオンコアのキーコード、要はマスターキーである。

 まぁ、人類には使えない代物ではあるが。

 

 

「受け取れ、404……いや、スミノ」

 

 

 イオナの周囲には、ドックの照明とも違うキラキラとした輝きが舞っていた。

 その細かな粒子の舞を目にした時、スミノはイオナの意図を読み取ろうとするかのように、目を細めた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――人類の未来を託すなどと、良く言えたものだ。

 3隻の潜水艦がそれぞれのドックから出撃していくのを、北は複雑な心境で見守っていた。

 イ404と駆逐艦4隻の演習を見守ったその場所は、今日も変わらない海風を吹かせている。

 

 

「…………」

 

 

 今、北は1人だった。

 付近に秘書やSPすら置かず、ひとりでその場に立っていた。

 その胸元には、しっかりと赤いネクタイが締められている。

 結び目の部分を指先で撫でながら、彼は静に海面に生まれる白い航跡を見つめていた。

 

 

 非公式ではあるが、「特務移送艦隊」と言う名称が与えられている。

 名目上の旗艦は白鯨だが、イ404とイ401は白鯨の指揮下にあるわけでは無い。

 人類側が霧の艦艇の性能を理解できていない以上、白鯨に2隻の指揮を執ることが出来ない。

 ましてイ401は傭兵であって、こちらの指示に従う義理は無いのだ。

 だからアメリカに渡るまでは、白鯨は逆に2隻の指示に従うことになる。

 

 

「すまんな、千早」

 

 

 後悔、北の胸中を占めるのはその感情だった。

 かつて、彼には優秀な――心から信頼する部下がいた。

 千早翔像大佐、千早兄妹の実父であり、10年前に失踪した男だ。

 大海戦で拿捕(だほ)したイ401の試験航海中のことだった、帰って来たイ401は無人だった。

 そして数年前、別の霧の艦艇の甲板上で発見された……。

 

 

「……恨んでくれ、私を」

 

 

 千早翔像にイ401を任せたのは、北だった。

 提案したのは上陰だが、最終的に千早群像のイ401を起用することを認めたのは北だった。

 そして、イ404を千早紀沙に与えると決めたのも北だ。

 こうして考えてみれば、北は千早家にとって疫病神のような存在だろう。

 

 

 そして今、北は千早兄妹を死地に送り出している。

 いや、それだけでは無い。

 千早兄妹を、吐き気を催すような地獄へと突き落とそうとしている。

 その自覚が彼にはあって、後悔をしつつも、しかし意思を翻すこともしない。

 

 

「私を恨め――――紀沙」

 

 

 もしかしたらなら、自分はもう狂ってしまっているのだろうか。

 時として北は、そう思うことがあった。

 

 

「……私だ」

『彼らは行ったようですね、北さん』

 

 

 それでも、狂気に沈むことは許されない。

 だから彼は平静そうな顔で、携帯端末の呼び出しに応じた。

 相手は楓首相であって、通話に応じつつ、北の目はじっと横須賀湾を見つめていた。

 もう、白い航跡は見えない。

 

 

「どうかされたのか、楓首相」

『ええ、実は珍しい人物から連絡(コンタクト)がありまして』

「珍しい人物……? 誰だ、それは?」

 

 

 瞑目して問えば、楓首相は即座の回答を寄越した。

 電子音声のせいで感情は読み取れないが、それでも、彼の口から発せられた名前は北を唸らせた。

 

 

『……刑部博士です』

「なに?」

 

 

 その名前は、北のような政府関係者には良く通った名前だった。

 何故ならば彼、刑部博士は、日本と言う国を存続させる上で無視できない功績を打ち立てた男だからだ。

 1つは振動弾頭開発プロジェクトの中心人物として、彼がいなければ振動弾頭は完成しなかっただろう。

 そして今ひとつ、表立っては公表できないもう1つの計画。

 ゲノムデザイン計画――通称「デザインチャイルド計画」の、発案者として。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 さて、どうなるか。

 イ401及びイ404の出航の報告を受けた後、コンゴウは次の展開について思いを馳せた。

 太平洋、広大な海上にぽつりと大戦艦級の黒い巨艦が浮かんでいる姿はどこかシュールだった。

 

 

「大戦艦2隻に重巡洋艦1隻。普通に考えれば、巡航潜水艦の1隻や2隻で突破できる布陣では無い」

 

 

 コンゴウの任務は、日本近海の封鎖だ。

 だからイ401達が太平洋を渡ると言うのであれば、これは彼女への挑戦である。

 少なくともコンゴウはそう受け取っていたし、そうである以上、これを止めるのは自分の使命であると考えていた。

 

 

 アドミラリティ・コード。

 

 

 霧の艦隊の至上命令、彼女達が()()()した時から認識しているものだ。

 ただ、それが何のなのかは彼女達自身にも判然としていない。

 しかもその命令は中途で途切れており、「人類を海洋より駆逐せよ」と言う命令だけが彼女達のコアに訴えかけてきたのだ。

 だがコンゴウにとって、中途であってもそれは己の存在意義も同然なのである。

 

 

『けれど、401はその「普通」を何度も覆してきたのでしょう?』

 

 

 その時だった、彼女――コンゴウの艦体のすぐ横の海面が盛り上がった。

 次いで巨大な艦首が顔を出し、海面を引き裂いて細長い艦体が突き出て来た。

 それはやがて重力に負けるように海面を打ち、大きな水飛沫を上げた。

 海水の飛沫がコンゴウの艦体を濡らすが、彼女は特に気にしていない様子だった。

 

 

「直に会うのは久しぶりだな、『ナガト』」

「ええ、お久しぶりねコンゴウ。お変わりなくて?」

「その質問に何か意味があるのか?」

「人間はこうして挨拶するそうだ、たまに模してみるのも面白い」

 

 

 コンゴウの言葉に返事をしたのは、()()

 どちらも長い黒髪を揺らす長身の美女であり、1人は女学生風の袴姿で、もう1人は着物を遊女のように着崩していた。

 彼女達は大戦艦『ナガト』――コンゴウよりもやや艦体が大きい――のメンタルモデルであり、ナガトはメンタルモデルを2体持つ艦なのである。

 

 

 霧の艦隊の中でも、これは珍しいことだった。

 通常、メンタルモデルは重巡以上のコアの演算力が無ければ形成することが出来ない。

 一方、総旗艦クラスの大戦艦級以上の霧の艦艇はより演算力の高いコアを有しており、彼女達の中にはナガトのようなメンタルモデルを複数持つ艦もいる。

 デルタコア、巡洋戦艦のコアの12倍の演算力を持つとも言われるそれをナガトは備えているためだ。

 

 

「そして、こちらも来たな」

 

 

 そして、ナガトが現れたのとは反対側。

 ナガトの時よりも大きく海水を巻き上げて姿を現したそれは、コンゴウ・ナガトよりもさらに巨大な戦艦だった。

 全長は40メートル以上も大きく、排水量で言えば実にコンゴウの2倍を越す。

 その威容は、コンゴウをして圧倒されるものがあった。

 

 

「霧の艦隊、総旗艦」

 

 

 コンゴウの言葉に、彼女同様艦橋の上に立っていたメンタルモデルが微笑を浮かべる。

 その笑みはどこまでも柔らかく、何もかもを包み込むような温かさを持っていた。

 長く柔らかそうな髪に、ピュアピンクの優美なドレス、たおやかな肢体……。

 聖母、人間の言葉で言えばそれが1番上手く彼女を表現できるだろう。

 

 

「『ヤマト』」

 

 

 霧の艦隊<総旗艦>ヤマト。

 無数に存在する霧の艦艇、その頂点に君臨する艦だった。

 ヤマトのメンタルモデルの女性は、自らを見つめるコンゴウとナガトに対し、にっこりと微笑みを浮かべたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 相手がどう出るのかに関心があるのは、コンゴウ達だけでは無かった。

 むしろそれはキリシマ達の方こそ気になる所であって、彼女達は浦賀水道出口を封鎖したまま動かず、横須賀方面の観測を続けていた。

 大戦艦級の性能を持ってすれば、この位置から索敵することも可能だ。

 

 

重力子機関(エンジン)の始動に伴う波動を検知」

「来るんだね、ワクワクするよ」

 

 

 そして、ついに横須賀から動くエネルギー反応を捕まえた。

 どうやら索敵能力についてはハルナの方が高いらしい、その情報はすぐに艦隊全てに共有される。 

 相手は2隻。

 イ401、そしてイ404。

 霧の艦隊を離れ、人類の側についた()()()()

 

 

 粛清。

 人類の表現を借りるのであれば、おそらくこの言葉が最も当て嵌まる。

 だが正直なところ、霧の艦隊――この場合は特にキリシマだが、彼女は別にそんな認識は無かった。

 イ401達を裏切り者と思ったことも無いし、己の行動を粛清だと考えたことも無い。

 ただ、楽しみたい。

 

 

「楽しみだよ、()()()()()のメンタルモデルと()れるんだから」

 

 

 凄惨な笑みを浮かべて、キリシマがそう言った。

 戦いは、兵器の本分だ。

 霧の艦艇が兵器でいる以上、それは本能とも言えるものだ。

 だが戦闘を喜ぶと言う行為は、彼女自身の個性であるのかもしれない。

 

 

「あっれー? 何かおかしいよ?」

 

 

 瞳の虹彩を輝かせながら、マヤが言った。

 彼女は南北に伸びる浦賀水道を巡回しており、そのメンタルモデルは艦橋の上に座って足をぶらぶらとさせていた。

 その仕草の割に、最初に気付いたのがマヤと言うのは意外ではあった。

 

 

「おかしいって、何がだ?」

「艦形と重力子エネルギーの波長がちょっとおかしい」

「……スキャニング開始」

 

 

 イ号400型の潜水艦は、概ね全長122メートルの水上艦形だ。

 今のイ401とイ404も、大きな枠では同じ形状をしていると言える。

 ただ細かな部位が異なり、それはタカオやイ400達を通じて共有情報として得ている情報だった。

 

 

 潜水艦の特性上、肉眼で確認は出来ない。

 だから艦形とエネルギーの波長で識別することになる、味方の場合は、それこそいちいちそんな探査は必要無いのだが……。

 特に潜水艦が相手となると、大戦艦と言えど情報の取得は難しくなってくる。

 イ401とイ404に不審な点が見えても、それが何かまでは特定できない。

 

 

「ふん。まぁ、戦ってみればわかるだろうさ」

 

 

 だが、キリシマはそれを重要なこととは考えなかった。

 何故なら彼女達霧の艦艇にとって、艦形はさほど大きな意味を持たないからだ。

 キリシマだって武装によっては艦形は変わるし、ナノマテリアルに依存する霧の艦艇に明確な形など無いに等しい。

 

 

 実際、キリシマのセンサーではイ401とイ404の艦形はタカオ戦の時と95%は一致している。

 それがどう言う意味を持つのかは、キリシマにも読むことは出来ない。

 いずれにしても、それは自分達を倒すための戦術の一端であるに違いない。

 

 

「早く来い、401・404!」

 

 

 だから彼女は、いわゆる「高揚」の感情と共にそう言った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 紅い。

 その艦は、紅い輝きを放っていた。

 水上艦艇型のそれよりも流線型に近く、円筒を上下に接続したような形状をしていた。

 水流を自然に受け流す構造、実際、その艦は静かにそして素早く海底を進んでいる。

 

 

『艦長』

 

 

 2階層構造の発令所、指揮シートに座らず手すりに腰を当てて立っていた彼に、頭上から声が降りて来た。

 艦内通信用のスピーカーから響いた声は、若い女性のものだった。

 その声を受けて、彼は組んでいた腕を解いた。

 

 

 容貌は、やはり若い男性だった。

 前髪を一まとめにして片側に垂らした金髪、知性を感じさせる冷たい青の瞳。

 白人特有の色の薄い肌に、軍服調の白いシャツとカーゴパンツを身に着けている。

 良く言えばスマート、悪く言えば冷たい印象を受ける男だ。

 

 

『戦闘が始まったわ』

「……そうか」

 

 

 声も、どこか冷えている。

 低く、落ち着いた声音がそう聞こえてしまうのかもしれない。

 

 

「どうするの、ゾルダン?」

 

 

 問うてきたのは、発令所の階下にいる少年――幼さが残る少年――だ。

 癖のある赤毛で、顔には両目を覆うヘッドセットを装着していた。

 

 

「そうだな、とりあえずは――()()()の息子に挨拶に行こうか」

「ありゃ、突破するのが当たり前みたいな口ぶり」

「当然、そのくらいはやって貰わなければな」

 

 

 少年が口笛を吹く。

 先の女の声も含めて、随分と親しげである。

 性別も年齢も異なるようだが、それを超えた何かで結ばれているのかもしれない。

 

 

『もう1人はどうするの? アドミラルの言っていた()()()

「……そうだな、とりあえずは」

 

 

 挨拶、突き詰めて考えれば彼らの行動はそのためのものだった。

 男――ゾルダンと呼ばれた彼は、考え込むように顎に指先を当てて考え込むような仕草をした。

 それがどことなく絵になる、そんな男だった。

 彼は、女の声にこう答えた。

 

 

「とりあえずは、迎えに行って見るとしよう」

 

 

 ――――紅い輝きが、海底で蠢いていた。




最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。

404のクルーが大人だと言うことをたまに忘れます(え)
でもライトノベル(?)ならこっちの方が正しいイメージがしないでも無いです。
ちなみに最後に出てきたのは原作ファンおなじみ、私的に作中屈指のイケメンキャラのあの人です(え)

そろそろ主人公の水着を考えないと(え)
それでは、また次回。


P.S.
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締め切りまであとわずかですので、まだ参加されていない方は、宜しければご参加下さい。

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