実を言うと、『ヒュウガ』はイ号艦隊――特にイ401――にとって、屋台骨のような存在だ。
硫黄島の基地に代表されるように、イ401の後方支援のすべてを担っていると言って良い。
より言えば、『ヒュウガ』がいなければイ401は自在に動くことが出来ないのだ。
彼女の大戦艦クラスの演算力と強大な能力が、それを可能にしている。
だから、『ヒュウガ』は艦隊運動の最中でも単独行動を取ることが多かった。
今がまさにそうで、ひとり艦隊から先行して『ハシラジマ』に入った。
『ハシラジマ』の壁を掘り進んできたのは、『コンゴウ』の超重力砲の影響を避けた結果だ。
それでなくとも前線と『ハシラジマ』を行ったり来たりする霧の艦艇が多く、ごった返していて、『ヒュウガ』の砲艦を受け入れるスペースも無かったのである。
「あら……あら、あら」
そして、『ヒュウガ』は『イセ』が苦手だった。
姉妹艦、姉ではあるが、愛情表現が過剰なのだ。
何しろ「ああ『ヒュウガ』ちゃん『ヒュウガ』ちゃん! 可愛い可愛い『ヒュウガ』ちゃん!」だ、もっと自分を見習って淑女らしくしてほしいものだ。
――――そう言った時、イオナが何とも言えない冷たい目で見てきたが、理由はわからない。
「あなた、随分と……随分ねぇ」
『ボイジャー2号』を見つめて、そんなことを言った。
『ヒュウガ』らしく無く、支離滅裂。
だがそれだけ、『イセ』が倒れていると言う事態は、『ヒュウガ』自身が考えている以上に彼女に衝撃を与えたのである。
『ヒュウガ』自身も、驚く程に。
「イオナ姉様の受け入れ準備をしに来てみれば、何とまぁ」
驚く程に、
正直姉のことは苦手だったが、それとこれとは話が別なのだと理解した。
『ヒュウガ』はイ401とイ404の
『ヒュウガ』が、そう判断した。
「あなた」
『ヒュウガ』の身体から、ナノマテリアルの粒子が漏れ始める。
それは彼女の周りで何かを形作ろうと浮遊して、キラキラと輝いている。
童話の1シーンのようにも見えるが、もちろん、『ヒュウガ』がこれからしようとしていることは童話のように優しいことでは無い。
「あなた、どんな風に解体されるのがお好みかしら?」
◆ ◆ ◆
賢者は同じ結論に達する、と言うべきなのだろうか。
あるいは艦体を失って久しい『ヒュウガ』にとって、それ以外の選択肢が無かったと言うべきなのか。
『ヒュウガ』が対
身を低くした『ヒュウガ』が、目にも止まらぬ速さで跳躍した。
『ボイジャー2号』の側からすると、意図を図りかねると言ったところだろう。
だが、そうしている間にも『ヒュウガ』は近付いてきている。
まずは対処すべき。
とりあえず『ボイジャー2号』は、『ヒュウガ』に向けて手を伸ばすことにした。
「……!」
その腕が、何かに掴まれた。
白衣のどこに仕込んでいたのか、『ヒュウガ』の白衣の下から機械の腕が伸びていた。
それが、『ボイジャー2号』の手を掴んでいた。
もう片方の手を伸ばすと、それも別の機械の腕に挟まれた。
見れば、『ヒュウガ』の背中からは機械の腕が幾本も伸びていた。
そして、『ヒュウガ』は身を低くしたまま両腕を後ろに下げていた。
掌を返し、力を溜めている。
それはわかっていたが、『ヒュウガ』の白衣の下から伸びた幾本もの腕が『ボイジャー2号』の身体を固定していた。
「――――ハァッ!!」
次の瞬間、『ヒュウガ』の両掌が『ボイジャー2号』の腹部に叩き付けられた。
細腕からは想像できない程に重い音が、響いた。
ギシギシと嫌な音が離れていても聞こえてきて、衝撃の程を教えてくれる。
『ボイジャー2号』の身体がくの字に折れて、吹き飛――――
「ここを壊すわけにはいかないでしょ?」
吹き飛ばしても、機械の腕は『ボイジャー2号』の身体から離れなかった。
腕を、身体を掴んだまま軋む音を立てている。
そして引かれた反動のままに、『ヒュウガ』の下へ帰ってくる。
そこへ、再び溜めた両掌が撃ち込まれるのだ。
それを一度、二度、と繰り返した。
いや、三度、四度、五度、六度、七度……さらに繰り返した。
そして八度目にして、機械の腕の方が限界を迎えた。
全力で撃ち込んだ『ヒュウガ』の威力に耐え切れず、関節部から引き千切られてしまったのだ。
今度こそ吹き飛び、床の上を転がり跳ねて『ボイジャー2号』は壁に激突した。
「あー、こっちの手の方がイカれそうだわ」
ビリビリとした痺れを感じたのか、掌を振る。
実際、八度も撃っておいて手応えをほとんど感じなかった。
流石に高揚していた気分も冷めて、平然と起き上がり始めた『ボイジャー2号』に対して脅威を覚える。
艦体が無いとは言え、大戦艦級の撃ち込みを八度も受けて目立ったダメージが見えなかった。
「確かにこれは、とんだ化け物って感じ」
どうしたものかと、
倒れていたはずの『イセ』が、立ち上がっていたことに。
目元が前髪に隠れて見えないが、まるで代わりのように。
「……『イセ』姉さま」
ガロン、と、鈴の音が鳴った。
◆ ◆ ◆
――――霧の時代、『ヒュウガ』は旗艦クラスの大戦艦だった。
『ナガト』から『ヤマト』へと総旗艦権限が移譲され、霧がメンタルモデルを形成し始めた頃だ。
イ401と戦って撃沈されるまで、『ヒュウガ』は東洋方面第2巡航艦隊の旗艦だった。
ちょうど、現在の『コンゴウ』や『ナガト』と同じ立場だ。
その頃の『ヒュウガ』は、まだメンタルモデルを形成していなかった。
『ヤマト』によるメンタルモデルの普及――と言うより、布教?――はまだそれほど進んでいなかったので、必要無いと判断していたのだ。
それは、姉である『イセ』も同じだった。
『どうして私が? イセ姉さまが旗艦をやれば良いではないですか』
だが、すでに意識のようなものはあった。
深い海の底から
コア同士のリンク程に機械的では無く、人間同士の会話程に温かでも無い。
だが、確かにそれは「会話」だった。
『ヒュウガちゃんが優秀だから、安心して任せられるのよ~』
姉だけあって、そうした進歩は『イセ』の方が早かった。
性能では互角でも、性質において『イセ』は常に『ヒュウガ』の一歩先を行っていた。
情報のアップデートはほとんど同時にしているのに、そこは不思議なところだった。
さらに不思議だったのは、それでもなお『ヒュウガ』に旗艦を任せたことだ。
『ヒュウガちゃんなら、お姉ちゃんよりきっとずっと上手くやるでしょう?』
などと、意味のわからないことを言う始末だった。
より優秀な艦艇が旗艦になることが、艦隊運用を考える上で最も合理的なはずだ。
それなのに、実力が一段劣る妹に旗艦を譲ると言うのは、『ヒュウガ』には理解できなかった。
単にサボりたいだけなのでは無いのかと、そんな風にも思った。
そんな良くわからない姉だったが、『ヒュウガ』は別に『イセ』が嫌いでは無かった。
『イセ』と共に航海する海は、他の艦艇とそうするよりも、楽しかった。
当時はそんなことを思いもしなかったが、今にして思うと、楽しかったのだと思う。
多少の苦手意識はあれど。
結局『イセ』は自分の姉妹艦なのだと、『ヒュウガ』は思っていたのだ。
◆ ◆ ◆
他のことは良い。
嫌われていようが構わない。
『イセ』が許せなかったのは、妹に戦わせてただ寝ている自分自身だった。
そんな自分であることを、『イセ』は許せなかった。
こんなことを想うのは、メンタルモデルだからだろうか。
それとも駆逐艦達のように、メンタルモデルを得ていなくても同じだっただろうか。
同じように、『ヒュウガ』を想っただろうか。
自慢したくて旗艦に推し、守りたくて呼びかけて。
こんな風に、『ヒュウガ』の前で見栄を張っただろうか。
(ああ、立っているだけで辛い)
立ち上がったは良いものの、『イセ』には力はほとんど残っていなかった。
『ボイジャー2号』に、
最初の戦闘では気が付かなかった、遅効性か……あるいは蓄積型。
一定程度時間が経過すると、対象の力を奪ってしまうのだろう。
(けれど……!)
何が、この身体を駆けさせるのか。
何が、この手を振り上げさせるのか。
メンタルモデルを得る前には、そんなことは感じなかっただろう。
そして『イセ』は、それをけして悪いことだとは思っていなかった。
しかし、そんなふらふらな状態で飛び掛かったところで、『ボイジャー2号』が黙って受けてやる義理は無かった。
ゆっくりとした動作で手を上げて、『イセ』を見つめる。
それだけで、『イセ』は身体の内側で何かが暴れるのを感じた。
こみ上げてくるものを、辛うじて堪えた。
「まあ」
ガンッ……と、軽い音が響いた。
音の主は、『ボイジャー2号』の側頭部だった。
もっと具体的に言おう。
西洋風の鎧兜が、『ボイジャー2号』の頭に投げつけられた音だ。
「まあ、ジャンプするだけで限界なんだけどね」
『イセ』は結局、飛び掛かっただけで力尽きてしまった。
受け身をとることなく、その場に前のめりに倒れ込んでしまう。
そして『ボイジャー2号』が見たのは、『チョウカイ』の兜を投げた『アカシ』の姿だった。
『イセ』が欲しかったのは、その一瞬だった。
(だから、言ったでしょう?)
艦体を失った『ヒュウガ』が用意できたのは、一発だけだった。
自ら掘り進んできた『ハシラジマ』の穴の中で、それは一瞬だけ光沢を放った。
長大な砲口を覗かせるそれは、大戦艦『ヒュウガ』の
45口径の砲弾が、轟音と共に発射された。
先程投げつけられた兜で、はっきりした。
『ボイジャー2号』には、『コロンビア』や『コスモス』が持っているような、直接触れたものを喰う能力は無い。
だからこそ、一度は撃退することが出来たのである。
そして、今。
(私よりも、『ヒュウガ』ちゃんの方が優秀なんだって)
何かが炸裂した音と共に、『ボイジャー2号』の胸部に大きな穴が開いた。
『ヒュウガ』の主砲弾が直撃し、一瞬、穴を開けたように見えたのだ。
そして次の瞬間、『ハシラジマ』のエレベーター・ルームで大爆発が起こった。
その場にいる全員が、爆発に巻き込まれた。
◆ ◆ ◆
そして、霧に対しては『イセ』『ヒュウガ』を含む4隻の仲間との途絶と言う形で。
彼女達は、『ハシラジマ』内部の戦いの結末を知ったのだった。
「あっれえ~?」
『ガングート』甲板上で、『コスモス』が
『コスモス』と戦っている『デューク・オブ・ヨーク』達もまた仲間が共有ネットワークから切断されたことに気付いていたが、こちらはあくまでも『コスモス』を睨んでいた。
何しろこちらは一瞬でも気を抜けば喰われかねないので、非情にも思えるかもしれないが、そちらに気を取られているわけにはいかなかった。
「『ボイジャー』のやつ、急に黙っちゃった」
「意外ね、仲間のことなんて気にしないと思っていた」
「仲間?」
変わらない笑顔を張り付けて、『コスモス』は首を傾げた。
仲間と言う言葉の意味を、そもそも理解していない。
そんな様子だった。
いや、そもそも「感情」と言うものが無いのだ。
関心のあるなしですら無く、知らないのだ。
ただ、それについては『デューク・オブ・ヨーク』も
彼女自身、「感情」なるものを理解しているわけでは無い。
ひとつわかっていることは、霧の中に他の霧を意識する風潮があると言うことだ。
姉妹艦に対してその傾向は強く、長い時間を共に過ごした霧に対しても同じだ。
まるで、人間のようだ。
「いや、驚いただけ」
「でしょうね」
食事に来て、運悪く怪我をしたような感覚だろう。
そしてそここそが、
「そろそろ慣れてきたし、今度はこっちから攻めさせて貰う」
『デューク・オブ・ヨーク』が、両手を上げた。
それは別に降参の意思を示しているわけでは無く、両掌を自分の身体から離す意味でそうしたのだ。
両掌の表面あたりが、アスファルトに反射された熱で景色が歪むように、揺らいでいた。
力場とでも言うべきものが掌に形成されており、それが『デューク・オブ・ヨーク』の無傷の理由でもあった。
「いつまでも、食事の気分でいられると思うなよ」
戦いは、佳境に入ろうとしていた。
◆ ◆ ◆
『コロンビア』と『シャーマン・ジャンボ』達との戦闘も、佳境に入りつつあった。
両者は未だ『ダンケルク』の甲板上で戦闘を繰り広げていて、むしろ『ダンケルク』の艦体がほとんど一方的に損壊していっていると言う状況だった。
ただ佳境に入ったとは言っても、状況が好転しているわけでは無かった。
「あー、もー! また端っこに行った!」
『チャーフィー』が憤慨している。
と言うのも、『コロンビア』が<騎士団>との艦上戦闘に対処し始めていたからだ。
具体的には、『チャーフィー』の言う通り
『コロンビア』は甲板の端、特に手すりの上など狭い足場の場所に移動するようになったのだ。
簡単な話だ。
『シャーマン・ジャンボ』ら戦車の可動範囲は甲板まで、甲板を飛び出して走ることは出来ない。
だから、『コロンビア』は艦の端へ端へと移動する。
戦車で近付くには、ギリギリのところで減速しなければならないからだ。
「何とも、見た目程にクレイジーじゃないみたいだねぇ」
『シャーマン・ジャンボ』の呟きは、ほとんど溜息だった。
これは、『シャーマン・ジャンボ』にとっても予想外だった。
彼の考えていた――と言うより、
だが、実際は違った。
対処する方法を考案し、実施し、修正するだけの能力を持っている。
そして、あの霧にも無い特殊な能力の数々。
これは当初考えていたよりも手強い相手だと、『シャーマン・ジャンボ』は認識せざるを得なかった。
「ああ、ヤダヤダ。手強いのとは出来る限り戦り合いたくないって……」
もし可能であれば、交戦そのものを避けただろう。
しかし<騎士団>として参戦している以上、そうも言っていられない。
とにかく慎重に、むやみに突っ込まないことが大事だ。
『シャーマン・ジャンボ』としては、そう判断していたのだが……。
「あー、もう! ちょこまかすんなよっ!!」
(でっすよねぇーっちゅう話だよ!)
半ば予想できていたことなので、『シャーマン・ジャンボ』は溜息は吐いても驚きはしなかった。
だから、『シャーマン・ジャンボ』も
◆ ◆ ◆
『シャーマン・ジャンボ』がやったことは、酷く単純だった。
まず『コロンビア』に突っ込んだ『チャーフィー』が、甲板ぎりぎりと踏み止まる形になる。
これは『コロンビア』がひらりと回避したためで、そのまま進めば甲板の外に飛び出していただろう。
そして、それこそが『コロンビア』の狙いだった。
「哀しいわ……あなたもいなくなる」
『チャーフィー』の直上、『コロンビア』が跳ぶ。
彼女はそのまま落下して『チャーフィー』に肉薄するだろう、そして『チャーフィー』はそれを回避することは出来ない。
すでに『コロンビア』の身体からは、蒸気が噴き出し始めていた。
「うわ……、あ?」
ガン、と、鈍い金属音が響いた。
『シャーマン・ジャンボ』が、『チャーフィー』を押し出したのだ。
結果として『チャーフィー』は「おじさん!?」と叫びながら甲板から落ちていった、が、代わりに『コロンビア』は『シャーマン・ジャンボ』に着地することになった。
次の瞬間、『コロンビア』が触れた個所から高熱で溶かされ始めた。
不快な音を立てて、『シャーマン・ジャンボ』の
それは『シャーマン・ジャンボ』の本体に少なからぬダメージを与えるが、どうしようも無かった。
このダメージは、甘んじて受けるしかない。
大事なのは、
「アアアアァァァッッ!!」
「っても、これはおじさんがキツいってえ話だよ……!」
装甲を抜かれて――車体の3分の1がほとんど即座に溶かされてしまった――直接『コロンビア』に掴まれそうになりながら、『シャーマン・ジャンボ』は相手の顔を見つめて笑みを浮かべた。
不気味な音が聞こえる。
酷く重厚なその音は、やや離れたところから聞こえてきた。
『コロンビア』にも聞こえたのだろう、ふと顔を上げた。
そして、彼女は見た。
305ミリ口径の砲口が複数、重々しい金属音を立てながら照準を微調整していた。
狙いは当然、『コロンビア』である。
「いやあ、まぁ。柄じゃないのはわかってるんだけどね」
くん、と、逃げようとした刹那、ナノマテリアルに焦がれる腕を『シャーマン・ジャンボ』が掴んでいた。
メンタルモデルの表紙が焼け
それでも、強気の笑みは消さなかった。
「逃がさないぞ、っと」
それは大戦艦『ガングート』の主砲。
砲塔の上に、『ガングート』と『ペトロパブロフスク』の姉妹がいた。
彼女達は『コロンビア』を見つめて、言った。
「「くたばれ」」
次の瞬間、大戦艦は自分の艦体の一部ごと吹き飛ばす勢いで、主砲を発射した。
霧と<騎士団>の、史上初の共同戦果だった。
◆ ◆ ◆
こう言っては何だが、『白鯨Ⅲ』のクルーは百戦錬磨の最精鋭だ。
真瑠璃はそう思っている。
発令所で見ているだけでもそれはわかる、各所からの報告に澱みが無いのだ。
ここで言う澱みとは、流暢とかスムーズとかそう言う意味では無い。
クルーのほとんどは、2年前に太平洋を渡ったメンバーだ。
霧の領域を抜けた経験があるだけに、加えてイ401やイ404との共闘があるだけに、
敵も味方も自分達を圧倒している状況で、自分達が何をすべきなのか。
それを理解しているが故の、澱みの無い行動が取れるのだ。
「サウンドクラスターは……やるだけ無駄、ですかね」
「そうですね。むしろ霧の艦艇の行動を阻害してしまう可能性があります」
ただ、霧と共闘しているからこその悩みもあった。
例えばサウンドクラスター魚雷、異なる256の小型スピーカーを散布して敵レーダーの目を晦ますための装備だが、味方が多数いる海域では使用しにくい。
よほどの緊急事態で無い限りは、使わない方が良いだろう。
味方の目を潰すことになるためだ。
「それより、イ404から送られてくる指定航路から外れないようにしましょう。それさえ守っていれば、比較的安全に進めるはずです」
これも、2年前の航海を経験していればこそだ。
艦隊が旗艦の指定航路を守ると言うのは、艦隊運動の観点からは非常に重要だ。
1隻でも勝手に動く艦があれば、艦隊全体を危険に陥らせることになる。
ただ、これには旗艦――もっと言えば、この場合は司令官たる紀沙――への信頼が必要になる。
その点でも、『白鯨Ⅲ』にはアドバンテージがある。
2年前の航海を共にした記憶が、『白鯨Ⅲ』のクルーの結束を強固に保っていた。
戦場が戦場だけに、完全に安全なルートと言うものは存在しない。
それは仕方が無い。
だが、少なくとも紀沙は『白鯨』を見捨てたりはしない、その信頼はあった。
「か、艦長!」
ただ、真瑠璃にもどうしようも無いことはあった。
他人に、他人への信頼を強制することは出来ないと言うことだ。
「『白鯨Ⅳ』からの応答がありません。航路を外れているものと思われます!」
『白鯨Ⅲ』のクルーには、超常の戦場を駆ける度胸とイ404への信頼感が備わっている。
だが他の『白鯨』2隻は、それがあるとは言い難かった。
だからこそ、最後まで信じると言うことが出来なかった。
せめて自分がいれば、と言うのは、聊か驕りが過ぎると言うものだろうか。
◆ ◆ ◆
結論から言えば、真瑠璃の予測は少し外れていた。
ただそれは彼女の洞察力が無いと言うより、発想したことが無い、と言う類の理由からそうなっただけだった。
つまり、真瑠璃には思い付きもしなかったのだ。
まさか、このタイミングで
その意味では、真瑠璃は『白鯨Ⅳ』艦長の井上大佐のことも誤解していた。
確かに彼は霧を快くは思っていないし、紀沙に心酔しているわけでも無い。
年少の、それも霧の力を扱う小娘の下で働くことに嫌気すら覚えてもいる。
だが、上の命令であれば己を律して従うのが軍人だった。
井上大佐は、軍人だった。
「すみません大佐、これ以上は付き合いきれません」
しかし、全ての者が軍人に徹しきれるわけでは無かった。
反乱、反逆、命令不服従、何でも良いが、『白鯨Ⅳ』の発令所は一部の将校が率いる十数人によって占拠されていた。
後は通信室と、機関室。計画していたわけでは無いが、的確なクーデターだった。
「大佐、貴方の権限を剥奪します」
「どういう法的根拠でかね?」
「これは緊急避難です」
様式美として聞いてみたところ、やはり様式美が返ってきた。
今、井上大佐に銃を向けているのは、ずっと彼が面倒を見てきた若手将校だった。
こんなことをする男では無かった。
恐怖が、彼から正常な判断を奪ったのだ。
正常――まぁ、わからないでも無かった。
イ404の送ってくる指示航路は、余りにも厳しかった。
だが井上大佐には、それが
だからこそ、不満はあっても紀沙の判断に従ったのだ。
航路は厳しかったが、この最悪の海域でそれでも沈まずに済んでいる、それが紀沙の指示の正しさの証明だ。
「このまま、現海域より離脱します。よろしいですね?」
好きにすれば良かった。
艦長としての権限を失った井上大佐には、どうすることも出来ない。
ただ、この後の展開が見えるだけだ。
戦場全体を見据えて紀沙が出してきた指示航路、それを外れればどうなるか。
幸いなのは、脱走罪を問われる心配をしなくて良いと言うことだろうか。
(申し訳ない、北閣下)
詫びるのは、かつての上官だった。
そして次の瞬間には、井上大佐の予測は当たることになる。
真瑠璃とは違って、言い訳のしようのないほど徹底的に。
鈍い衝撃音と共に艦が停止し、瞬く間に発令所内に悲鳴や怒号が満ちた。
何が起こったのか、井上大佐は聞くまでも無く理解していた。
艦体が軋む、侵蝕が進めばやがてこのまま……。
◆ ◆ ◆
『白鯨Ⅳ』の異変を、紀沙はすぐに把握していた。
超戦艦『紀伊』として『アドミラリティ・コード』と繋がっている紀沙の意識は、広い海域に散らばった僚艦の状況を逐一確認することが出来る。
「6番から8番、振動弾頭魚雷装填!」
ナノマテリアル製の振動弾頭魚雷、もはやイ404のお家芸とも言える芸当だ。
侵蝕弾頭でも良いが、あれだと『白鯨Ⅳ』も巻き添えにしてしまう。
だが振動弾頭でも、極めて高い精度で撃たなければならない。
イ404は、自分の意思で大きく航路を逸れていた。
「梓さん、3地点に照準合わせ!」
「任せな、ぜったい外さないよ!」
とは言っても、簡単なことでは無かった。
高速で移動しながら複数の標的を撃ち抜くと言うことは、それだけのことだ。
だが水雷長の梓は、それを逡巡もせず是と応じた。
一方でそれは、イ404自身が無防備になることを意味する。
今また実際、イ404を狙って黒い触手が海底から這い出てきている。
上からは、黒い怪物。
それら全てを『紀伊』の武装で凌ぎながら、艦の姿勢を維持するのは困難を極めた。
だが、梓の照準合わせが終わるまでは艦の姿勢を維持しなければならなかった。
「6時より魚雷航走音!」
「え!?」
恋からの報告に、紀沙は意識を後ろへと向けた。
すると確かに、魚雷を3本感知した。
しかしそれはイ404を狙ったものでは無く、イ404を狙う
侵蝕反応、
(……イ401!)
イ401からの、援護だった。
それに気づいた紀沙は、艦の姿勢を立て直して、叫んだ。
「梓さん!」
「合った!」
「6番から8番、発射!」
「了解! 振動弾頭魚雷、発射!」
イ404から、3本の振動弾頭魚雷が発射される。
狙い澄ましたそれは、猛スピードで海中を疾走し、そして『白鯨Ⅳ』を襲っていた黒い触手に直撃した。
表面の崩壊式を暴かれた
その崩壊の中、まさに掌から零れ落ちるように、『白鯨Ⅳ』の艦体が抜け出てきた。
「航路再設定!」
そして、これで到達する。
もう、目と鼻の先だ。
「――――『ハシラジマ』の管制範囲に突入します! ビーコン確認!」
『ハシラジマ』へ。
イ号艦隊が、滑り込んでいった。
◆ ◆ ◆
例え話をしよう。
友人達と食事に来たとして、もし食事中に友人達が消えてしまったら。
貴方は、どんな顔をするだろうか。
「あっれぇ~~?」
『コスモス』は、困惑していた。
戦略や戦術の失敗に対する困惑では無く、もっと単純な、自分達の
こんなことは、今までの生であり得ないことだった。
だからこそ、今までいくつもの銀河が
それが、この惑星ではどうしたことだろうか。
「おかぶっ!」
首を傾げた『コスモス』の顔に、『デューク・オブ・ヨーク』の掌底が叩き込まれた。
やはり、『デューク・オブ・ヨーク』は『コスモス』には喰われない。
その理由は、『デューク・オブ・ヨーク』の掌を覆うナノマテリアルによる。
要は表皮にナノマテリアルのガードをかけているわけだが、ここで肝なのは、そのガードが『コスモス』に喰われる前に離れると言うことである。
「おおおおお……!」
肝心な点は、『コスモス』に触れる点を常に変えること。
そして、削れたガードを超高速で修復すると言うことだ。
つまり、一撃の時間は極めて短く。
ひたすら連打、連打、連打――――連打!
「ラアアアアァァッッ!!」
顔を打ち、胴を打ち、首を打ち、脇腹を打ち、顎を打ち。
『コスモス』は『デューク・オブ・ヨーク』の体捌きにまるで対応できず、人形のように打たれるままである。
端で見ている『アンソン』からすれば、姉がこのまま勝利する姿しか想像できなかった。
だから、『アンソン』にはわからなかった。
打てば打つ程に、『デューク・オブ・ヨーク』の顔が歪んでいく理由がわからなかった。
あんなにも押しているのに。
こんなにも『コスモス』を押していると言うのに。
どうしてだ。
追い詰められているのは、『デューク・オブ・ヨーク』の方に見えた。
「……ッ、姉さん!」
打たれながら、『コスモス』が腕を上げた。
あれだけ打たれて、何事も無く腕を上げて、手を『デューク・オブ・ヨーク』に向けてくる。
まさか。
まさか、あれだけの攻撃を受けてダメージが無いと言うのか。
「――――ッ!」
だが、それでも姉は凄かった。
身体をコマのように回して『コスモス』の手から逃れると、後ろ手に左手を跳ね上げた。
掌では無く手刀の先にナノマテリアルのガードを集中させ、そのまま薙いだのだ。
結果は、『アンソン』の想像を超えたものになった。
――――ぼとり。
少し離れた位置に、くるくると回りながら、小さな塊が落ちた。
『コスモス』の左腕だった。
今の一刹那の中、『デューク・オブ・ヨーク』が切り飛ばしたのだ。
今度こそ、文句なく、有効なダメージだった。
「まあ、良いか」
だが、何故か『コスモス』の様子は変わらなかった。
あくまで無感動で。
あくまで、へらへらと笑っていた。
「減ったなら、増やせば良いんだから」
そして、おぞましいことが起こった。
甲板の上に落ちた『コスモス』の左腕が、
まるで粘土を捏ね回すように蠢いて、徐々に大きくなっていった。
それはやがて人間大の形になり……いや、と言うよりも。
「う……」
さしもの『デューク・オブ・ヨーク』も、これには言葉を失った。
それも、仕方がない。
何故ならば今、彼女の目の前で信じ難いことが起こったのだから。
「「さあ、それじゃあそろそろ」」
2つ、声は2つ聞こえた。
全く同じタイミングで発せられた声は、
そして、
――――イタダキマス。
最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。
思ったよりも時間がかかっていますが、ハシラジマ編もクライマックスです。
もうちょっと続きます!
それでは、また次回。