蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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Depth103:「ソラへ」

 

 大戦艦『ビスマルク』、と言う存在がいた。

 2年前、クリミアで千早紀沙に『アドミラリティ・コード』を託した霧。

 そして迷えるヨハネス・ガウスを、くびきから解放した少女。

 クリミア崩壊の後、その存在は消え失せた――――はず、だった。

 

 

「どうして……!?」

 

 

 『ハシラジマ』のエレベータ・ルームに案内された時、紀沙は彼女と再会した。

 より正確に言えば、その妹の方である。

 腰に下げた大きな月の懐中時計には、見覚えがあった。

 破損したエレベータを修復しているのだろう、彼女の周りには金色の粒子が浮かんでいた。

 

 

「あの時、姉さんが守ってくれたのは貴女達だけでは無かった。それだけのことよ」

 

 

 『ビスマルク』の姉は、クリミアの崩壊から紀沙達を守った。

 そして、逝った。

 紀沙達は気を失っていたため、その様は見ていない。

 だが目を覚ました時、その事実だけは何故かすとんと胸に落ちてきた。

 

 

「……姉さんは、貴女達に感謝していた」

 

 

 だから『ビスマルク』は、隠棲をやめて出てきたのだ。

 あのリエル=『クイーン・エリザベス』も、同じ気持ちだろう。

 託した世界を、()()()などと言う異邦人に明け渡すわけにはいかない。

 そうでなければ、そのまま海底で自身が朽ちるのを待っているつもりだった。

 

 

「だから、私は貴女達を助けようと思う」

 

 

 『ビスマルク』の全身から、金色に輝くナノマテリアルが舞い上がっている。

 それは軌道エレベータの中に入り込み、大戦艦級の艦体すら構成できるそれらが、破損部分を修復していく。

 宇宙(ソラ)まで伸びよと、そう想って。

 

 

「……感謝する、『ビスマスク』」

「構わないわ、千早群像。私達はもう託し終えた、ただそれだけのこと」

「…………」

「千早紀沙」

 

 

 つい、と、視線を向けて『ビスマルク』が言った。

 

 

「だから千早紀沙。貴女がどんな結末を望んでいようとも、私達は受け入れる。それが貴女に全てを託した、私達の義務と言うものでしょう」

 

 

 それは、紀沙達の前に世界と向き合った者としての言葉だった。

 当時を見聞きした者達は、<宇宙服の女>を除けばもう誰も残っていないが、だからこそ、けして軽い言葉では無かった。

 託した者は、託した相手を信じるだけだ。

 そして託された者は、ただ、自分の判断を信じるしかない。

 

 

 それが正しいのだと、そう思える道を歩むしかない。

 嗚呼、『アカシ』がやって来た。

 軌道エレベータの各所を配下の工作艦と確認していた彼女は、親指を立てて笑顔を浮かべていた。

 さぁ、出発の時間だ。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ()()に座って自覚が沸いてきたのか、冬馬は神妙な顔をした。

 彼が座っている座席は、イメージとしては航空機の座席をそのまま持ってきたと言う風だった。

 おそらく、霧の持つ人間を運ぶ輸送機のイメージがそれだったのだろう。

 クリーム色の壁だとか青い生地の座席カバーだとか、小さく丸みを帯びた窓が雰囲気を出している。

 

 

「まぁ、何となくイメージはついてたけどよ」

 

 

 「シートベルトヲシメテクダサイー」などと言っている小さな西洋鎧――『チョウカイ』の()()だ――が通路を通り過ぎていくのを見つめながら、そのまま冬馬が続ける。

 

 

「俺って、実は高いところ駄目なんだよな……」

「初めて聞きましたよ!?」

「艦長。どーせ嘘だから、真面目に取り合っちゃダメさね」

「姐さんヒデー!」

 

 

 まぁ、冬馬が本当に高所恐怖症なのかどうかはともかく。

 実際、この飛行機のような内装のカーゴが自分達を宇宙まで運ぶと言うのだから、不安にもなると言うものだった。

 と言うより、人類をまともに宇宙に上げるのはこれが初めてのことでは無いだろうか。

 

 

 この『ハシラジマ』自体、人類が放棄してすでに20年以上経っている。

 そう考えると、冬馬の不安も良くわかるのだった。

 だが不安を煽っているのは、別にそんなことでは無かった。

 不安を煽ってくるのはむしろ、座席前のモニターに映し出されている映像だったろう。

 

 

『アッテンションプリーズ! 今からこの『アカシ』が、『ハシラジマ』上昇用カーゴの非常用マニュアルを説明するよ!』

 

 

 工作艦『アカシ』による、避難方法の説明映像である。

 飛行機が出発前に乗客に見せる映像を参考にしているのだろうが、はたして宇宙行きのカーゴで避難方法の説明の意味があるのだろうか。

 成層圏で停止したらどうにも出来ないだろうに。

 

 

「スミノの姐さん! 私、宇宙って初めてっス!」

「いや、何で来てるわけ?」

 

 

 隣のスミノには、何故かトーコがくっついて来ていた。

 最近はスミノが本気で閉口している様子がわかって、紀沙としては実害は無いので放置していた。

 武装の無いイ15を、地上に置いていても仕方がないと言うのもある。

 いや、しかし……宇宙か。

 

 

「宇宙かー、まさにロマンって感じだよね!」

 

 

 蒔絵が、全てを一言でまとめてくれた。

 問題なのはロマンよりも危険の方が遥かに大きいだろうと言うことだった。

 モニターの中で、『アカシ』がライフジャケットの説明をしていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 コミカルなようで、割と人間向けに作られたムービーだった。

 『アカシ』の映像を見て思った感想だそれで、群像は感心していた。

 ただ1つ難点があるとすれば、人間の耐久度を霧と同等に考えている点だろうか。

 途中、明らかにナノマテリアルが無ければどうにもならない事例がいくつかあった。

 

 

「楽しみだねぇ、群像くん。上についたらまずどこに行く?」

「そうだな……とりあえずは、コントロール・ルームだろう。施設の状態を確認したいしな」

「ええ~。そんなとこより、ほら、こっちの展望台に行ってみようよ」

「電力供給がどうなっているかもわからない、酸素もだ。ステーションは大丈夫だろうが……」

「「いやいやいやいや」」

 

 

 そんな風に普通に話している群像と()()に、いおりと杏平は揃って片手を左右に振った。

 

 

「いや、何をデートプラン練るみたいに話してんのよ!?」

「今そう言う場合じゃねーから!」

「えー」

 

 

 不満そうに唇を尖らせるのは、『コトノ』だった。

 どこから入り込んだのかはわからないが、いつの間にか群像の隣の座席にいた。

 霧印の軌道エレベータ観光パンフレットを片手に、実に不満そうな顔をしていた。

 と言うか、そのパンフレットは何のために用意したのだろう。

 

 

「んー、もう。そこまで言うなら、しょうが無いなあ」

「いや、何でそんな不満そうなの……?」

 

 

 深々と理不尽に――理不尽と言う表現で間違ってはいないだろう――溜息を吐いた後、『コトノ』は周りを見渡した。

 杏平やいおり、僧を見て最後に静を見た。

 静は、ほとんど初対面だが。

 『コトノ』は、にっこりと微笑んだ。

 

 

「久しぶりだね、皆」

「……ああ」

 

 

 本当に天羽琴乃なのか、と、もはや問う者はいなかった。

 答えは、「イエスであり、ノーでもある」。

 天羽琴乃は、千早紀沙と同じように『アドミラリティ・コード』と<宇宙服の女>に選ばれ(適合し)た少女だった。

 だから彼女は琴乃であり、『コトノ』である――今の紀沙が、『紀伊』であるようにだ。

 

 

 それでも、「久しぶり」と言われれば、静以外のメンバーは複雑な気持ちになる。

 ことに、群像はそうだ。

 けれど群像と言う男は、そう言う感情をなかなか表には出さない。

 だから『コトノ』は、そんな群像を見てただ微笑むのだった。

 

 

「紀沙ちゃんの方にも、ちゃんとナイトが乗ってるから。心配しないでね」

「ナイト?」

「うん。まぁ……ナイトって言うには、ちょっと癖が強いけどね」

 

 

 少しだけ困った顔をして、『コトノ』はそう言った。

 宇宙旅行、と言うには、少しばかり殺伐とした状況だ。

 それだけを残念に思いながら、『コトノ』は皆に座るよう促した。

 

 

「それでは皆様、シートベルトをしっかりとお締めください?」

 

 

 おどけたように、『コトノ』はそう言った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 『ハシラジマ』、発射シークエンス開始(スタート)

 施設内全域に警報と警告(アラート)が鳴り響き、外への退避が勧告される。

 そんな中で、『ビスマルク』はカーゴ打ち上げの全てを掌握していた。

 

 

「『ハシラジマ』、最終カウントダウン開始」

 

 

 打ち上げるカーゴは2つ、『ハシラジマ』の電力供給から考えればこれがギリギリだった。

 『ビスマルク』の視界は、赤い警告色が明滅している。

 カーゴに積載しているのは十数人の人間と、イ号潜水艦質量の()()のナノマテリアル。

 重量的にそれが限界で、後は上で調達する予定だ。

 

 

「コントロールシステム直結、チェック――オールグリーン」

「オールハッチクローズ、キャビン漏洩チェック――オーケー」

「アクセスアームパージ、電力供給開始――」

 

 

 『ビスマルク』の両目が白く明滅し、肌に月の智の紋章(イデアクレスト)が輝いている。

 その唇から漏れ聞こえてくるのは、打ち上げシークエンスの工程だ。

 これは、本来は『コンゴウ』がやるはずだった作業だ。

 だが状況が当初の予定よりも厳しく、『イセ』と『ヒュウガ』に任せる予定だった。

 

 

「『イセ』、『ヒュウガ』。電力重点状況知らせ」

『こちら『イセ』。404機、電力供給率50パーセント』

『同じく『ヒュウガ』。401機、電力供給率55パーセント』

 

 

 『ヒュウガ』のオプション艦操作の経験値を活かして、カーゴにコアとして乗せた。

 だからエレベータ・ルームにいるのは、『ビスマルク』と『アカシ』だった。

 他の霧は、もう『ハシラジマ』の()()を始めている。

 打ち上げさえ完了してしまえば、『ハシラジマ』には戦略的価値が無くなるからだ。

 

 

 一方で、逆に言えば打ち上げの最後の瞬間までは、『ハシラジマ』は地球最大の戦略拠点だ。

 だから『コンゴウ』は、『ビスマルク』に打ち上げを委ねて、自らは戦闘に専心することにしたのだ。

 千早兄妹の宇宙(ソラ)への旅路を、邪魔をさせるわけにはいかないと。

 そしてそれは、『ビスマルク』も同じだった。

 姉が全てを託した人間達、()()()にくれてやるには余りにも惜しい。

 

 

「『アカシ』、貴女はもう離れて。ここは放棄される」

「馬っ鹿言うなよ! ここは私がずっと見て来た場所だよ、私のサポートが無くてどうすんのさ!」

 

 

 戦闘と打ち上げの影響で『ハシラジマ』はどうなるかわからない、だが『アカシ』だけは避難する様子が無かった。

 その背中を見やって、しかし『ビスマルク』はそれ以上は何も言わなかった。

 『アカシ』の背中がどこか喜々としているようで、実は『ハシラジマ』を一番起動させたがっていたのは彼女なのでは無いかと思えた。

 

 

「――――打ち上げまで360!」

 

 

 エレベータ・ルームの照明が消えた。

 後は、霧の瞳の輝きだけ。

 それはまるで、宇宙に散らばる星々のようだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 『ハシラジマ』周辺の霧が、一気に戦線を縮小した。

 まず包囲の東西を『リシュリュー』と『サウスダコタ』の2艦隊で突破、退路を維持しつつ損傷艦や小型艦艇を退避させる。

 そして戦闘力の残る艦艇を、『ハシラジマ』周囲に集結させた。

 

 

 『ハシラジマ』に集結したのは、そのほとんどがメンタルモデル保有の大型艦だった。

 これは最悪、艦体を捨ててスペースを確保できる利点を考慮されたためだ。

 メンタルモデルは、戦闘においても霧になくてはならない存在になっている。

 皮肉なことに、この戦いはメンタルモデルの有用性を霧の懐疑派に示すことになった。

 

 

「装甲の厚い艦を前に出せ。フィールドを展開して()()()の侵食を遅滞させろ!」

 

 

 『ハシラジマ』に影響を与えかねないので、重力子兵装は使えない。

 そう言う意味でも、艦体はむしろ邪魔だ。

 霧の艦艇は防御用のフィールドと限られた武装で、ほんの僅かの時間を稼ぐ腹積もりだった。

 ぐねぐねと身体を変化させる()()()は、もはや個々の形を保っていなかった。

 

 

「『ヒエイ』、『ミョウコウ』! 敵の継ぎ目を狙え、遅滞させるだけで良い。押し返そうとはするなよ」

 

 

 『ハシラジマ』外縁部を横に駆けながら、『コンゴウ』は全体の指揮に専心していた。

 配下の霧を要所に配して艦隊同士の継ぎ目とし、逆に敵の継ぎ目に打撃を与える。

 ()()()は怪物や触手の姿から、半分溶けた流動体となって『ハシラジマ』に迫っている。

 個体では突破できないと、そう判断したのかもしれない。

 

 

 その時、ヒューッ、と言う空気を裂く音が聞こえた。

 空からだ、そして次の瞬間、()()()の継ぎ目に何かが落ちた。

 数瞬の後、爆発した。

 それが各所に数発、『コンゴウ』はそれが振動弾頭によるものだとすぐに理解した。

 

 

「人類の攻撃機か」

 

 

 空に待機していた人類の航空機による、爆撃だった。

 もうほとんど残っていないだろうに、義憤にでも駆られたか。

 人間のくせに、無理をする。

 『コンゴウ』がそう思った時だ、今度は後ろから轟音が響いてきた。

 音の衝撃すらも伴ってきたそれは、海面をも揺らしていた。

 

 

「『ハシラジマ』か!」

 

 

 打ち上げ、開始。

 そう直感した『コンゴウ』はその場に立ち止まると、全ての霧に対して告げた。

 それは謹厳な彼女にとって、それまでの「生」で最も無責任な言葉だった。

 

 

「死守せよ! 方法は何でも良い、()()()を『ハシラジマ』に触れさせるな!」

 

 

 ことここに至れば、もはや指揮など要らず。

 後は、個の武力だ。

 『ハシラジマ』から、再度轟音が響き渡った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 実を言うと、触腕に近付きさえしなければ、人類の航空機でも十分に援護は出来た。

 ()()()は触れたものを取り込むと言う性質を持っているが、しかし飛び道具を持っているわけでは無い。

 だから遠距離から振動弾頭の巡航ミサイルを撃ち込む分には、危険は少ないのだった。

 ただ……。

 

 

『クソッ、もうミサイルがねえっ!』

『こっちもだ。誰かまだ撃ってない奴はいるか!?』

『最初の攻撃で使い切っちまったよ!』

 

 

 ただ、やはり攻撃の効果は薄い。

 振動弾頭は表面を破壊するのには適しているが、殺傷力はそこまで高くない。

 とは言え他の兵器では、そもそもダメージを通すことも出来ない。

 だから、今はこのミサイルに頼るほか無かった。

 

 

 そしてそんな彼らの下にも、『ハシラジマ』から響く轟音は聞こえる。

 それは『ハシラジマ』の壁面を、滑車で引き上げられるかの如く上昇しているカーゴが発している音だ。

 火花を散らして壁面を上がり、カーゴが雲を超えて、さらに上昇を続けていく。

 人類のパイロット達は、一瞬それに目を奪われた。

 

 

『……どおわっ!?』

 

 

 その時、1機の戦闘機がバランスを崩した。

 重い衝撃が走り、機体が傾く。

 何事かと思って顔を上げたパイロットの目の前に、あり得ないことに、人間がいた。

 いや、飛行中の航空機に立つ存在が人間のはずが無い。

 ヘッドホンをかぶったその()()()()()()()は、日本を襲撃した『アスカ』だった。

 

 

『グワッ!?』

 

 

 『アスカ』は跳んだ、その際に()()にした戦闘機が墜ちていく。

 だが、それは気にした様子は無い。

 『アスカ』の目標は、下から上がってくるカーゴ、特にその内の1つだった。

 そして、『アスカ』の跳躍の距離とタイミングは抜群だった。

 

 

「…………!」

 

 

 風圧がかかるが、ものともしない。

 『アスカ』の身体が、カーゴに触れようとする。

 まさに、その刹那だった。

 『アスカ』は逆に、何者かが自分の身体に触れたと感じた。

 

 

 この高度と速度で、いったい何者が()()()たる『アスカ』を掣肘できると言うのか。

 答えはすぐに出た。

 『アスカ』の視界の端に、長い……長い金色の髪が揺れて。

 小さな手が、『アスカ』の肩を掴んでいた。

 

 

「艦長が乗っているカーゴに、触るな」

 

 

 『アスカ』は、その存在を知っていた。

 イ号と同じく、『アドミラリティ・コード』の欠片を持つ霧の艦艇。

 『U-2501』。

 Uボートの一撃が、『ハシラジマ』の側で今一度、轟音を響かせた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――やはり、来ていたか。

 上昇のGに、身体を椅子に押さえつけられている。

 カーゴの強度はナノマテリアルによって強化されているが、霧のナノマテリアルも重力と言う物理法則そのものには干渉できない。

 そして重力圏を抜ければ、次は、放り出されるような()()()の世界だ。

 

 

「こう言うのも、無賃乗車って言うのかな」

「…………」

 

 

 カーゴに乗っている他のクルー達は、それぞれひたすら堪えていたり、目を閉じていたり、色々だ。

 ただふたり、紀沙とスミノだけが違う。

 彼女達だけが、カーゴで座りながらにして外の様子を窺うことが出来る。

 カーゴのすぐ外に『アスカ』が来ていたことも、気付いていた。

 

 

 だがそれに紀沙達が対処する前に、『U-2501』が対処してしまった。

 ゾルダン・スタークが乗っているからだ。

 <騎士団>を連れて戦場に参じた彼が、いつの間にかこのカーゴに乗り込んでいた。

 姿は見えないが、デッキかどこかにいるのだろう。

 

 

「私も、兄さんも。そしてあのゾルダンも」

 

 

 別に、誰かに向けて話したわけでは無い。

 一方で、スミノだけは聞いているだろうとわかっていた。

 彼女はいつだって、紀沙の言葉を聞いている。

 聞いていなかったことは無い。

 

 

「いろいろ、託されているから」

 

 

 地球のこと、霧のこと、人類のこと。

 他にもまぁいろいろあるが、結局は3人だ。

 千早兄妹とゾルダン、千早翔像を通して、『アドミラリティ・コード』を託された者達は。

 唯一の例外は、天羽琴乃だけだ。

 だが琴乃――コトノは、誰かに託されたわけでは無い。

 

 

「だから、簡単には諦められない」

 

 

 託されて、答えを出した。

 だが、出した答えは違う。

 だから、紀沙には予感があった。

 予感と言うよりは、それは確信だった。

 

 

「そうだな、千早紀沙」

 

 

 そして紀沙の予測通りに、ゾルダンは紀沙達のカーゴのデッキにいた。

 通常は上昇中に人がいるべき場所では無かったが、ゾルダン、そしてフランセットの3人はそこにいた。

 内装のナノマテリアルを『U-2501』が操作して、彼らのためのスペースを作っていた。

 

 

「オレもまた、譲ることの出来ないものを託されている」

 

 

 やはり、確信する。

 紀沙と群像、そしてゾルダンの3人。

 この3人はこの後、決定的なまでに決裂する。

 そんな確信が、静かに、しかし明確な形を持ち始めていたのだった。

 

 

  ◆  ◆ ◆

 

 

 翔像はひとり、『ハシラジマ』を見上げていた。

 『ハシラジマ』からは、未だにカーゴを打ち上げている音が聞こえてくる。

 ただ、流石にカーゴはとっくに見えなくなってしまっていた。

 もう、子供達の姿を見ることは出来ない。

 

 

「……終わった、な」

 

 

 誰にともなく、そんな言葉を呟いた。

 周りを見渡してみれば、戦闘も止まっているようだった。

 霧も、()()()も、同じように『ハシラジマ』を眺めていた。

 誰もが、ここでの戦いの目的が終わってしまったと感じているようだった。

 

 

 もちろん、陸地では未だに()()()による侵食を続けているだろう。

 だが、この海域での戦闘目的は終わった。

 紀沙達の打ち上げを止められなかった段階で、()()()は戦う意味を失った。

 そして、もはや霧も戦いを続けることは出来ない状態だった。

 だから、『ハシラジマ』海域での戦いは終わった。

 

 

「朝日、か……」

 

 

 水平線に、太陽が顔を覗かせていた。

 空気は乾いていて、空の青さがより一層際立つようだった。

 嗚呼、空があんなにも高い。

 あの水平線の輝きが、子供達の先を照らすものであれば良いと思った。

 

 

 ふぅ、と息を吐いて、翔像は『ムサシ』の甲板にそのまま腰を下ろした。

 バイザーを外し、むき出しの目で『ハシラジマ』を見上げた。

 もう、昇降音もずっと遠くになってしまった。

 海風も、心地よい。

 

 

「長かったような、短かったような……」

 

 

 まぁ、翔像にとって時間の感覚はあって無いようなものだった。

 クリミアで、紀沙が『アドミラリティ・コード』を継いだ時点で、翔像の役割は実は終わっていたのだ。

 彼が張り子の虎と承知で『ムサシ』の艦体を維持していたのは、<緋色の艦隊>を以ってヨーロッパ諸国に圧力をかけるためだった。

 大戦の後遺症はまだ残っていて、欧州はいつまた大戦に戻るかわからなかった。

 

 

「だが、これでオレの役目も本当に終わった」

 

 

 先祖への責任と言うわけでは無いが、故意にしろ偶然にしろ、やり始めた責任と言うものはあるだろう。

 家族には、やはりすまないと言う気持ちしか沸いてこなかった。

 こんな自分を未だ父親と呼んでくれる子供達には、感謝していた。

 この世界の今後のことは、その子供達の判断次第だ。

 

 

「そうだな、沙保里。オレ達の子だ」

 

 

 きっと、自分の正義を持った人間に育ってくれている。

 自分なりの正しさを、ほんの少しの仲間と一緒に信じられる人間に。

 翔像は父親として、それ以上は求めなかった。

 後はただ、結果に後悔さえしなければ良いと。

 翔像は、そう思っていた。




最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。

いよいよあと数話というところ、思ったよりも延びました。
それでは、もうしばしお付き合いください。

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