その光は、地球からも見ることが出来た。
言うならば、彗星の衝突に等しい、それ程の光だった。
夜を昼に変えてしまうような、太陽が2つになったような。
「いったい、どうなっているのでしょうか」
「さぁ、な……」
『コンゴウ』は、『ヒエイ』と共に空を見上げていた。
いや、彼女達だけでは無い。
霧も<騎士団>も、そして地上の人類も、あるいは
地球に存在する何もかもが、皆一様に空を見上げていた。
空を引き裂いた光の衝突を、見つめていたのだ。
互いに少しでも譲ることが出来たなら、あるいは避け得た衝突だったのかもしれない。
もっと他に、賢いやり方があったのかもしれない。
けれど残念ながら、2つの光は譲ることが出来なかった。
「どうして、2人だったのだろうな」
「え?」
『コンゴウ』の言葉の意味がわからなくて、『ヒエイ』は間の抜けた声を上げてしまった。
すぐに気づいて、んん、と咳払いをした。
『ヒエイ』の頬が赤く染まっていて、『コンゴウ』は少しだけ口元に笑みを浮かべた。
「いや何。千早兄妹は、どうして2人だったのか、と思ってしまってな」
「それは、双子だったから……としか」
「そうだな。現象としてはそうなのだろう」
同じ遺伝子を分け合っていながら、千早兄妹は対極の位置にいた。
どうしてだろうかと、『コンゴウ』は思ったのだ。
何故なら、どちらか片方だけが生まれ落ちていたのであれば、こんな事態にはなっていないと思えたからだ。
「もし兄だけで生まれてきていれば、人と霧との共存とやらが実現していただろう」
共通の敵を前にして、人と霧は協定を結んだ。
だがその内容はけして強いものでは無かった、その理由は、紀沙の存在が大きかったからだ。
霧に対して発言力を有している人間は、かなり少ない。
しかも『アドミラリティ・コード』を有している紀沙の存在を、霧は無視できない。
人類側で霧との融和に反対する勢力は、明らかに紀沙に助力を与えていた。
千早兄妹以外に霧と交渉できる人間がほとんどいない以上、兄妹の認識の違いが協定の内容に表れるのは仕方がなかった。
だからもし紀沙がいなければ、群像が主導してもっと友好的な、同盟に近い協定になったはずだ。
そうすれば、人と霧の融和はもっと加速度的に進められただろう。
「もし妹だけで生まれてきていれば、人と霧は互いの生存をかけて争っていただろう」
融和などと言って
不俱戴天の仇同士として、海を、生存圏をかけた<大反攻>が実行に移されていただろう。
そしてその先鋒に、イ404がいたはずだ。
復讐の権化と化した人類は、さぞや強敵であったことだろう。
だが現実には、そんなことにはならなかった。
人と霧の全面戦争を防いだのは、ひとえに群像の存在があればこそだ。
イ401と言う
霧と話し合える可能性を提示した彼の
「2人で生まれてしまった、それがあの兄妹の本当の悲劇なのかもしれないな」
光が薄れていく空を見上げながら、『コンゴウ』はそう言った。
「それを運命と言うのか、あるいは神の悪戯とでも言うのかはわからんが、な……」
そしてそんな『コンゴウ』を、『ヒエイ』以外の者が見つめていた。
その存在は霧の索敵に引っかかることなく、『ハシラジマ』の柱の上に立っている。
古い宇宙服で全身を覆った、長い金髪を海風にたなびかせる存在。
地球に、
――――<宇宙服の女>が、そこにいた。
◆ ◆ ◆
衝撃――――。
その衝撃は、余りにも大きかった。
地球への影響を避けようと、空間の
何か、壊れてはならぬものが割れる音が、衛星軌道上に響き渡った。
それは、艦が折れた音だ。
『紀伊』と『尾張』の中枢を担う艦艇が、半ばから砕けた。
2つの巨大な超重力砲の威力は、単純に倍になると言うものでは無く、何倍にもなって2隻の超戦艦を襲ったのだ。
『紀伊』の追加装甲が、『尾張』の連結艦が、激しい音を立てて剥離していく。。
「ぐ、お……! 『ハルナ』、『レパルス』!」
「連結……維持……出来……無い……!」
「クラインフィールド、なおも崩壊中。艦体を構成するナノマテリアルが、何も反応を返してこない……!」
『タカオ』艦隊にとっても、ここまでの損傷は想定外だった。
と言うより、超戦艦同士の超重力砲同士のぶつかり合いなど、想定しようが無い。
想定があり得るとすれば、「耐える」と言うだけだ。
そして、耐えられなかった。
「400、無理に繋がりを維持しようとしないで」
「離さ、ない……402!」
「メンタルモデルを……維持、できない」
無理に連結を維持しようとしても、どうにもならなかった。
まして『レパルス』に演算力を分け与えられてメンタルモデルを維持している『ヴァンパイア』は、自分のメンタルモデルを維持するこすら難しくなってきていた。
『尾張』の破片が、宇宙に散っていく。
「ぬ……ぐっ、う」
そして、最も苦悩していたのが『タカオ』だった。
言わずもがな、『タカオ』は『尾張』の中枢艦である。
たとえ艦体が砕けるとしても、人間が乗っている区画は維持しなければならない。
その演算に、全力を注いでいる時にだ。
「おおおおおねえええちゃあああああっ!!??」
『マヤ』である。
『尾張』が崩壊すると言うことは、『マヤ』もピンチと言うことである。
『タカオ』にしてみれば、群像達を見捨てるか『マヤ』を見捨てるかと言う話である。
「おるぅあああああああっ!」
ひとつ隣の連結艦まで跳び、落ちかかっていた『マヤ』のメンタルモデルを横抱きにして、連結艦の維持には力を割かずにそのまま放棄し、元の中枢艦に戻る。
簡単に言っているが、その間、人間の生命維持を保ちながらである。
もちろん、問題が無いわけでは無いが……。
「連結艦一つ墜ちたわよアンタ……」
「良いじゃない、どうせ保たなかったんだから」
「いや、まぁ……うん。まぁ」
『アタゴ』が呆れているが、『タカオ』は悪びれる様子も無かった。
艦体の破片は地球へと落ちていくが、ほとんどは燃え尽きるか霧の対空砲火で撃ち落とされるだろう。
そんなことを考えている『アタゴ』の視界に、あるものが映った。
それは、こちらと同じように崩壊し、墜ちていく『紀伊』だった。
「あれは……」
だが『紀伊』の落ちていく先は、地球では無かった。
超重力砲のぶつかり合いの衝撃で、2隻の距離は開いた形になっていた。
そこに、あったのは。
◆ ◆ ◆
自分の身体が崩れていく、それがわかっていて止められない。
今の『紀伊』の状態は、そういうものだった。
それはすなわちスミノの状態と言うことであって、彼女は両の瞳を白く明滅させながら、崩壊していく艦体を何とか維持しようと奮闘していた。
「スミノ、艦体の方は良い」
そんな時に、紀沙はスミノに声をかけた。
すでに『紀伊』は、中枢艦であるイ404の艦体を維持できない程にダメージを負っている。
紀沙は、そちらに演算力を割くなと言っているのだ。
まるで「無駄な努力はやめろ」と言われたようで、さしものスミノもさっと顔色を変えた。
「でも、艦長殿」
「良い」
2人のいる発令所ですら、壁面に罅が入り、空気が漏れる音が聞こえていた。
ここでスミノが抵抗をやめれば、イ404は完全に崩壊してしまう。
しかし、紀沙はそれで良いと繰り返した。
紀沙は、足元を見つめていた。
「
はっとして、スミノは足元を見た。
そこには床がある、当たり前だ、だが2人の見ているものは床では無かった。
超重力砲の衝撃で、吹き飛ばされる形で、ちょうど良い位置まで押し出されたのだ。
今にして思えば、紀沙はそれすらも計算に入れていたのかもしれない。
そして質量を大きく減らした艦体は、バラバラの破片になって真下へ降り注いでいる。
地球の引力か、あるいは
おそらく、両方であろう。
とにかく紀沙は、このまま墜ちようとしていたのだ。
スミノには、それがわかった。
「良し、墜ちてみよう」
触れただけで喰われる、
考えるだけでおぞましい、しかも真下の本体は惑星を一呑みにする程に巨大なのだ。
そんなところに降り立てばどうなるか。
それがわからないはずが無いだろうに、紀沙には気負いが見えなかった。
ならば、スミノも迷うことは無かった。
「このまま
降下では無い、これはただの落下だ。
墜ちる先がどこであれ、たとえ地獄であれ、スミノは紀沙と共に在る。
そうやって、イ404は
◆ ◆ ◆
何のつもりだ、と、群像は思った。
紀沙の行動を見てのことである。
『紀伊』――イ404の艦体が完全に崩壊し、内側から零れ落ちるように、紀沙とスミノが外に放り出されたのだ。
「生身で……!」
誰が驚いたのかはわからないが、誰かがそんな声を漏らした。
実際、紀沙は
普通なら、その時点で死んでいる。
だが彼女は生きている、スミノが守っているのか、あるいは……。
「見てください!」
今度ははっきりとわかった、静の声だった。
合わせて、モニターが紀沙達に焦点を合わせて拡大する。
笑っていた。
紀沙とスミノは抱き合うような形で、落下を続けていた。
落ちながら、はっきりとこちらを見て、2人は嗤っていたのだ。
「
だが静の「見て」は、そこを指してはいなかった。
紀沙達が墜ちていく先には
肉塊の表面が、不気味に蠢いた。
そして次の瞬間、肉塊の――背中とも言うべき部分に、巨大な穴が開いた。
否、縦に割れた楕円形のそれは、穴と言うより口だった。
縁、そして内側には、大小の触手が大蛇の群れのように蠢いていた。
それは目にしているだけで嫌悪感を抱く、おぞましさの極致だった。
「あ」
……っと言う間の出来事だった。
ばくん、と、そんな音が聞こえてきそうだった。
紀沙とスミノの姿が、いくらかの艦体の破片と共に
「いや、あえて中に入ったと考えるのが自然だろう。彼女は、最初からそれを狙っていたはずだ」
「ああ、その通りだな。だが……」
ゾルダンと群像の意見は一致していたが、一瞬、迷った。
追うか、どうか。
『追いかけるわよ、決まっているじゃない』
いや、その点では迷わなかった。
『タカオ』の言う通り、ここで待つことも退くこともするべきでは無かった。
しかし、問題がある。
動かせる艦体が無い、と言うことだった。
どうすれ良いのか、一瞬、それこそ途方に暮れた。
『尾張』を構成していた艦には、もう余力が無かった。
とは言え、丸腰の状態で
そう、考えていた時だった。
『艦体なら、ここにあるっスよ――――!』
何事だ、と思った時、『尾張』の破片が舞う中をぬっと小さな艦が頭を出してきた。
武装らしい武装も無い、実にシンプルな艦だった。
それは『尾張』の構成に参加せず、さりとてイ404に紀沙達と共に乗ってもいなかった者、つまり。
「トーコちゃん! 見惚れるぜ、その姿ぁよ!!」
イ15――トーコの登場に、発令所の外から、冬馬がガッツポーズと共に叫んだ。
そんな歓声に、トーコはイ15の発令所で「いしし」と笑ったのだった。
◆ ◆ ◆
この期に及んでトーコが艦体を維持できているのは、スミノから
武装を持たない彼女は、こと宇宙空間の戦闘においては無力に等しい。
しかし、だからこそ力を残していた。
『私と『イセ』姉さまの最後の力を、貴女に託すわ』
「了解っス! 任せてほしいっス」
後は、『ヒュウガ』と『イセ』のカバーによって、だ。
逆に言えば、2隻の大戦艦の演算力を貸与してなお、艦体の構成と維持で精一杯なのだ。
元々、そこまでの力がある艦では無い。
ただ『タカオ』達の艦体が崩壊した今は、唯一の存在だった。
『イオナ姉さまのこと、頼んだわよ』
「それから、スミノの姐さんのこともっスね!」
『いえ、そっちは割とどうでも』
「酷いっス!?」
問題は、誰が乗るのかと言うことだ。
イ15の艦体はさほど大きくない、しかもクルーが乗れば乗る程、そちらの生命維持等に力を割かなければならなくなる。
せいぜい、3、4人と言ったところだろうか。
「まず、オレが行く」
まず群像、こちらは異論が出なかった。
ゾルダンがちゃっかり群像側に歩いているが、こちらもわざわざ止める者はいなかった。
これで2人、そこで。
「当然、アタシが行くわよ。沙保里のためにもね」
『タカオ』が、まさに「当然」と言いたげな顔で群像側に立った。
トーコのサポートをすると言う意味でも霧の誰かが行くのは悪い選択では無く、『タカオ』ならまぁ良いかと、これも異論は出なかった。
ただひとり、意外な人物が声を上げた。
「私が行きたい! 行かせてほしいの!」
蒔絵だった。
人員がギリギリの中で、小柄な蒔絵はスペース的には悪くない。
ただ、危険だった。余りにも危険だった。
当然、周囲から諫める声が出たが、蒔絵は頑として聞かなかった。
「お願い! 紀沙お姉さんと話がしたいの!」
「そんなこと言ったって、なぁ」
「――――行かせてやれ」
そして、擁護したのも意外な人物だった。
誰も予想だにしていなかったその人物は、『ハルナ』だった。
『ハルナ』は何とも表現が難しい、澄んだ静かな目で言った。
「その子を行かせてやってほしい。それが必要」
「どうしてそう思うんだ?」
「……わからない」
ただ、と、
「そんな気がするんだ」
予感、『ハルナ』はそれを実装したのか。
あるいは、他の何かなのか。
わからないが、ただ、決まった。
何もかもが、これで決まるのだと。
◆ ◆ ◆
深くへ。
もっと深みへと、紀沙は自分自身を沈めていった。
周囲にはおぞましい触手が蠢いているが、そのいずれも紀沙に触れることは無い。
皮肉なことに、クリミアの経験が生きていた。
「あの触手のひとつひとつに、世界が一つ収まっている。そんな気がするよ」
感じていられるものがあるとすれば、スミノだけだった。
紀沙と腕を絡めているスミノの声だけが、まともな音だった。
他は、触手が奏でるおぞましい音ばかりだ。
挽き肉にでもされている気分だ。
だが、スミノの言葉はあながち間違いでは無い。
あの触手のひとつひとつは、いわば世界の成れの果てなのだ。
まるで膨大な情報が収められた小さなチップのように、あの触手のひとつひとつに世界の情報がひとつ、凝縮されているのだ。
「関係ない。目的は、この下だ」
「そうだね、艦長殿。ああ、そうだとも」
表層には、用が無かった。
紀沙の目的地は、もっと下……最奥部にある。
それは
最も、紀沙が
「ボク達の目的は、
そうして沈み続けていると、辿り着いた。
それは紀沙達には好都合だった。
少し前、
霧に『アドミラリティ・コード』というものがあるように、
そして霧以上に単一である
霧が『アドミラリティ・コード』に従う以上に、強制力のあるものであるはずだった。
そしてその考えは、間違いでは無かった。
「だって言うのに……」
ふぅ、と紀沙は大きな溜息を吐いた。
そして、そこで初めて上を向いた。
それまではずっと下を見ていたのだが、ここに来て上を見上げたのである。
「こう言う時だけ、追いかけてきてくれるんだから」
どん、と、鈍い音がした。
それはまるで、生まれようとする小鳥が殻を割ろうとしているかのような。
そんな、音だった。
◆ ◆ ◆
トーコは、イ404のすべてに憧れていた。
イ404の戦いを始めて目にしたのは硫黄島の戦い、
だから、イ15には武装が無い。
「しっかり掴まっててくださいっス!」
元々、メンタルモデルを形成できるような演算力は持ち合わせていなかった。
艦の構成を最小限に切り詰めて、ようやくメンタルモデルを形成したのだ。
おかげで、まともな戦闘ではほとんど役に立てなかった。
しかし、今だ。
今この時は、トーコは充実していた。
自分しかいないと言うこの状況は、最高に燃えるシチュエーションである。
問題があるとすれば、艦内に乗せた人間達はそうでは無いと言うことか。
何しろこのイ15、艦内の装備も最低限である。
『おい! 本当に大丈夫なのか!?』
「口は閉じといた方が良いっスよ! 舌千切れるんで!」
『千切れるの!? 怖っ!?』
ナノマテリアルを操作する余裕も無いので、各自、自分で身体を支えなければならない。
それでいて、トーコは最大加速で突っ込むのだ。
そうでなければ、あの
「行くっスよおおお~~……!」
甲板上で陸上選手のように身を屈めて、トーコが唇を舐めた。
そして、不気味に蠢く
吸って、吸って……止めた、その瞬間に。
「――――GO!!」
艦尾が、爆発した。
そうとしか感じられない程の、急加速だった。
小細工は無し、ただただ真っ直ぐに
イ15の動きに気付いたのか、
「――――!」
そしてそのすべてを、トーコは無視した。
警戒しようも無かった、対処する術も無かった。
トーコに出来ることは、ただ、突っ込むことだけだった。
触手の表面を掻い潜って、突っ込む。
艦体の表面がガリガリと削れていく、守らなくて良い部分は迷うことなくパージした。
それでも、
漏斗に入れられている、そう思った、出口はどんどん小さくなっていく。
(駄目か)
と、確かにそう思った。
このまま削られると、どんどん速度は落ちる、つまりパワーが落ちる。
パワーが落ちれば、
そうなれば、艦内にいる者達も巻き込んで自爆するだけ、と言うことになる。
「スミノの姐さんは、どうして」
『――――簡単な話だよ』
「簡単?」
ぶつぶつと、トーコは何事か呟いている。
彼女の目の前で、いよいよ道は閉ざされようとしていた。
速度も、これ以上落ちれば最悪の結果に繋がるだろう。
ガリ、と、嫌な音が確実に響いて。
「艦体は私が保たせる! そのまま突っ込みなさい!」
『タカオ』、トーコはにやりと笑った。
危機的な状況、
だからこそ、トーコはさらに加速した。
じ、と、瞳の輝きが線となって後ろに流れていく。
「突っ込むっスよぉ――――おっっ!!」
包まれながら、削られながら。
それでもなお、最後の一歩を強く踏み込む。
振り払うように、イ15は
そして――――……。
◆ ◆ ◆
本音を言えば、追いかけて来ないでほしかった。
こちらが追いかけるのをやめた途端に追って来てくれるのだから、おかしなものだった。
出来れば、黙って見ていてほしかったけれど。
「紀沙!」
――――そう言うわけにも、いかないようだった。
けれど、もうどうでも良かった。
例えイ15の艦体で追いかけて来たからと言って、何が出来るわけでも無い。
群像は、彼らは、艦体の外に出られはしないのだから。
「しつこいね、キミ達も」
スミノが、紀沙の気持ちを代弁した。
しつこい、そう、一言で言えばそうなってしまう。
だがそのしつこさがあったからこそ、群像達は霧の艦長たり得たとも言える。
しつこさ――諦めの悪さこそが、艦長には必要だった。
「紀沙、お前は
艦の内と外の会話だが、そんな違いも、紀沙にはもうどうでも良かった。
「
紀沙は、胸の前で手を合わせていた。
重ね合わせようとした掌の間に、蒼く輝く『アドミラリティ・コード』がある。
そして共鳴するように紅く輝いているのは、不定形の、
形は流動的で常に変わり、一面が輝くこともあれば全面に光がたゆたうこともある。
樹木の根のように、
「決まっているじゃないか、壊すんだよ」
また、スミノが紀沙の気持ちを代弁した。
「
「つまり、
「人間の言い方を真似るなら、そう言うことになるね」
「それは」
そこで、群像は苦しそうな顔をした。
彼は言った。
「それは、紀沙。お前もろとも、と言うことか。そうだろう?」
考えてみれば、不思議なことでは無い。
当たり前と言えば当たり前の、当然の帰結だった。
それは、自己犠牲なのか。
自分が犠牲になることで
「違うね、それは
薄ら笑いを浮かべながら、スミノはそう言った。
人類を救うのは、
「『アドミラリティ・コード』か」
ゾルダンが、ぽつりと呟いた。
どう言うことかと見つめる周囲に、彼は続けた。
「
霧は不死身だ、「死」と言う概念が無い。
もちろんコアを破壊されれば活動を停止するが、紀沙が与えようとしているものはより直接的な意味での「死」だった。
だからこれは、自己犠牲でも無ければ救世でも無い。
復讐だ。
霧への復讐を成し遂げるために、
すべての霧を道連れに、紀沙は自分もろとも
「そんなことはやめるんだ、紀沙! お前は、間違っている!」
「復讐に正しいも間違いも無いさ! いや、復讐だけじゃない。お前たち人間だって、正しいことばかりしてきたわけじゃないだろう?」
かつて、ゾルダンも言っていた。
霧と言う共通の大敵が現れてなお、人類は手を取り合うことは出来なかった。
助け合うことを知らず、自分だけが生き残ろうとする。
無理も無い。
生きると言うことに、
◆ ◆ ◆
そんなに哲学的な話では無い。
そんなに難しい話では無い。
「残念だわ、千早紀沙」
『タカオ』にとっては、そうだった。
何のことは無い、紀沙は――紀沙とスミノは、霧を滅ぼそうとしているのだ。
だったら、『タカオ』のやることは一つだった。
「アンタとは、もっとまともな形で決着をつけたかった」
「待て、『タカオ』」
「待つ? 待つ必要は無いし、
『タカオ』の身体から、ナノマテリアルが漏れ始めていた。
明らかな戦いの姿勢を見せていて、群像の制止も聞かなかった。
それだけ、『タカオ』には戦う理由があったのだった。
「お前と戦うつもりは無いよ、『タカオ』」
「アンタに無くても、こっちには……っ」
『タカオ』の発したナノマテリアルに誘われて、周囲の触手が蠢いていた。
足元から枯れ枝のように伸びてきた触手が、『タカオ』の足に絡みついている。
太ももにまで這って来たそれを不快げに見やり、『タカオ』は顔を上げた。
スミノの方は無事だ、
「幸か不幸か、ここで最も警戒すべきは『タカオ』だけだ。まぁ、まさかイ15を使ってくるとは思わなかったけどね……」
「ひっ。あ、姐さん……」
スミノがじろりと視線を向けると、トーコは艦体の陰に隠れてしまった。
まぁ、『タカオ』さえ抑えられていれば何だって良かった。
スミノには、『タカオ』と戦う必要が無かった。
ただ、このまま黙って時間が過ぎてくれればそれで良かった。
と、その時だった。
スミノは、『タカオ』の様子がおかしいことに気付いた。
いや、『タカオ』自身がどうと言うことでは無かった。
ただ……。
「……何が
「いやあ、別に? ただ、何て言うかね……」
笑っていた。
『タカオ』が笑っていて、それがどうしようも無く不快だった。
「
「――――!」
急いで、『タカオ』の視線を追った。
視界の端、何かが走ってる。
小さい、人間、女の子。
――――刑部蒔絵!
「やめ」
蒔絵が、駆けて、跳んだ。
跳んだ先に、紀沙がいた。
スミノが伸ばした手は、蒔絵の髪の端にも届かなかった。
◆ ◆ ◆
誰かにとって間違っていたとしても。
世界にとって正しくなかったとしても。
私は、この道を行くと決めた。
「そんなにおかしいこと?」
いつかお茶会さえ開くことが出来た、紀沙の内面世界。
そこはもはや面影すらなく、幾何学的に浮かび上がる光と影が入り混じる空間になり果てていた。
銀河のように、波紋のように、砂粒のように、寄せては返している。
まるで人の心のように歪で、まとまりが無く、規則性が無かった。
「私が霧を憎いと思うことって、そんなに変なこと?」
両親が、目の前に立っていた。
もちろん、生きてはいない。
ただ『アドミラリティ・コード』に残された
「おかしくはないわ。変なことでもない」
小さく首を横に振り、沙保里は言った。
それが貴女の出した答えならば、何の問題も無い。
人が霧を憎悪するのは、むしろ当然のこと。
問題なんてあるはずが無い、けれど。
「けれど、それならどうして……私達に「おかしいのか」なんて聞くの?」
「……気が、狂いそうなの」
皆が皆、霧と共存しようと、赦そうと言う。憎しみは何も生まないと言う。
そんな中でただひとり憎悪を叫び続ける自分が、自分だけがおかしいのかと、気が狂いそうになる。
誰でも良いから理解してほしかった、「お前は正しい」と言ってほしかった。
「艦長は孤独だ。ひとりきりで決断しなければならない。自分自身のことであれば、なおさらだ」
「父さんが、そうだったように?」
「そして、群像や……あるいは、ゾルダン・スタークがそうだったように」
イオナ、そして『U-2501』もいる。
紀沙が『アドミラリティ・コード』ごと取り込んだ娘達だ。
群像もゾルダンも自らの理で動いている。
それも、けして間違いでは無い。
「そう、誰も間違っていない。ならそれは、艦長殿の行いも正しいってことさ」
ふわり、と、細い2本の腕が紀沙の首に絡みついてきた。
良く知っている腕だ。
顔の前で合わされた掌に、蒼く、そして紅く輝く宝石が握られている。
心臓の鼓動と同じリズムで、それは輝きを明滅させていた。
今、
何もかもが終わる。
――――求め続け、縋り続けた
「ほんとうに、それでいいの!?」
全く別の声が、耳に届いて来た。
◆ ◆ ◆
どうしてここに入って来られたのかと、聞く者は誰もいなかった。
今は、何が起こっても何も不思議ではない。
ここは、そんな空間なのだ。
そして、蒔絵はそんなところに飛び込んできたのだった。
「わたしは嫌だよ!」
蒔絵は、叫んだ。
声よ届けと、大声を上げていた。
蒔絵がイ404に協力しようと――それこそ、刑部博士の反対を押し切ってでも――思ったのは、紀沙に恩があると感じていたからだ。
外の世界が知りたいと言うのは、二義的な理由に過ぎない。
少しでも恩返しがしたいと、そう願ったからだ。
力の限りに、そう決意していたからだ。
それは今だと、蒔絵は思った。
今、叫ばないでどうすると、そう思った。
「死なないで……!」
難しい話は知らない。
ただ、紀沙にいなくなってほしく無かった。
それだけなのに、どうしてこんなにも遠くなってしまったのだろう。
どうして、あの時間がずっと続いてくれなかったのだろう。
亡くしたくないものはいつだって、掌を擦り抜けていってしまうのだ。
「
もし、蒔絵の言葉が。
もし蒔絵の言葉が紀沙にだけ向けられたものだったとしたら、紀沙は顔を向けなかっただろう。
それほどまでに、紀沙は自分の命について勘定に入れていなかった。
しかし、
蒔絵が言うからには、それは群像やゾルダンや『タカオ』のことでは無い。
そこに思い至った時、紀沙は初めてその事実に気が付いたような気がした。
『アドミラリティ・コード』を破壊すると言うことは、それによって霧に死の概念を与えると言うことは。
「スミノが、死んじゃうってことじゃないか」
当たり前だろう、そんなことは。
もし紀沙が群像やゾルダンの立場であれば、絶対にそう口に出しただろう。
何を今さら、そんな当たり前のことを言っているのかと。
今の今まで、本当に気が付かなかったのか、と。
――――パリン。
その時、そんな音がした。
紀沙の目の前で、後ろから伸びてきたスミノの手が、蒼紅の宝石を握り潰していた。
想像していたよりも、ずっと、遥かに軽い音だった。
合わせられた掌の間から、砂のように細かな光が零れ落ちていた。
◆ ◆ ◆
現実の世界に意識が帰って来ると、紀沙は自分が膝をついていることに気付いた。
はらはらと頬に零れていたのは、涙だった。
血と泥を含んだ涙の雫が、顎先から滴り落ちている。
自分がなぜ泣いているのか、一瞬、紀沙にはわからなかった。
「最後の最後で、艦長殿は少しだけ迷ったね」
キラキラと、視界に輝くものがあった。
『アドミラリティ・コード』だ。
それら2つが砕けて、細かな光となって散っていた。
紀沙の手によってでは無い。
誰もが紀沙を見つめていた一瞬の、いや一刹那の隙に、スミノが砕いた。
自分自身の命とも言える『コード』を、まるで躊躇すること無く彼女は砕いたのだった。
まるで、路傍の小石でも投げ捨てるように。
そんなスミノに、紀沙はほんの少しだけ、微笑んだのだった。
「ああ、お前はほんとうに……最悪の霧の艦艇だよ」
「光栄の極みだね、それは」
床が――いや、全体が、揺れていた。
まるで断末魔だった、全体が戦慄き、立っていられない程だった。
「……崩れてる……?」
耳のあたりに手を当てて、『タカオ』は呟いた。
そう、崩れている。
それを喜ぶ間も無かった、何故ならこのまま脱出せずにいれば、間違いなくこの場にいる全員が巻き込まれる。
「うわっ」
すると『タカオ』の持つコアが輝き、ナノマテリアルが噴き出した。
それは人型になり、現れたのは、コトノだった。
外から干渉できるようにしていたのだろう、用意周到なことだった。
「ちょっ、アンタ何」
「群像くん!」
「わかっている。だが……」
脱出、群像はすでにその二文字に意識を切り替えていた。
だがそのためには、解決しなければならない問題があった。
それは、極論すれば2人の関係だ。
紀沙とスミノの、関係。
コアが破壊された直後から、紀沙は己の中が変わっていく感覚を得ていた。
何か、確固たるものが崩れていくような感覚。
嗚呼、と、紀沙は思った。
これが、死の概念――死ぬと、言うことか。
「でも、兄さん達を巻き込むのは忍びないかな」
「あっちが勝手に来たんだけどね」
「それでも、さ」
紀沙は、頭上を見上げた。
そしてコアも無い今、このままでは群像達は絶望的な状況になる。
コトノも、『ヤマト』から継いだ力のほとんどを失っているのだ。
「最後の、最後くらいは。誰も巻き込まずに、綺麗に終わりたい」
これ以上の我儘は無いだろう、と、紀沙は笑った。
顔中に罅が入り、陶器の人形のようになりつつあったスミノも、笑った。
乾いた音を立てて、スミノの欠片が床に落ちた。
そしてその床が、俄かに盛り上がった。
水上線型の、灰色の潜水艦。
イ404。
だが力を使い果たして、武装も無い、ただのハリボテだった。
もはや、イ15にすら及ばない程に弱々しい。
「結局、私達にはこの
けれど、それで良かった。
振動弾頭の完成前は、それこそ身1つで戦っていた。
元に戻っただけだと、紀沙は思った。
「出航」
足元の盛り上がりが、紀沙を乗せて、弾けるように上へと弾けた。
鋼の感触を足裏で感じながら、紀沙は後ろを見た。
「紀沙! 紀沙あ――――――――っ!!」
嗚呼、とても良い気分だった。
あの兄が、自分を呼ぶ、自分を追いかけている。
十分だった。
紀沙はそれだけで、ずっと欲しかったものを手に入れたような気持ちになった。
それだけで良い、それだけを持って行こうと、紀沙は上を見た。
「艦長殿。敵触手、右に3本、左に7本」
「避けられるだろう、スミノ」
「もちろん」
どんどん、
まるでイカロスだと、紀沙は思った。
しかし頼るのは蝋の翼では無く、鋼の艦体だ。
そしてこの艦は、必ずや天に届き、群像達の脱出路を開くだろう。
「突撃」
それが、紀沙の最後の指示だった。
ぶつかった。
衝撃が来る。
守るものは、何も無かった。
目の前で光が弾けて、足元が無くなった。
浮遊感、手を伸ばした、何も掴めなかった。
何も、掴めなかった。
死ぬ時はきっと、こんなものなのだろうと、紀沙は思った。
そして――――そして……。
――――艦長殿は、死なないよ――――
最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。
色々とありますが、とりあえずあと1話です。
次回エピローグです、もう少々お付き合いください。
それでは、また次回。