蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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Depth011:「浦賀水道突破戦・後編」

 白鯨は、統制軍の最新鋭原子力潜水艦だ。

 設計当初から対霧を想定して開発されたと言う経緯もあり、想定され得るあらゆる状況に対応するため、一種の多用途(マルチロール)艦として建造されている。

 その最大の特徴が、ユニット換装システムである。

 

 

 発令所を含む中枢ユニットを中心に、攻撃・巡航・輸送等の用途に応じた追加ユニットに換装することで、多様な任務に対応できるようになっている。

 今は攻撃用モジュールと言うユニットを装備しており、全長200メートルに及ぶ巨艦の姿だった。

 そして白鯨が放った一発の魚雷も、対霧を想定して開発されたものだった。

 

 

「モーター燃焼完了と同時に魚雷発射、静音航行!」

『ロケットモーター燃焼終了まで3……2……1……燃焼、完了します!』

『魚雷発射まで3……2……1……発射!』

「良し、潜れ!」

 

 

 サウンドクラスター魚雷。

 それが、その兵器の名前だった。

 256個の小型スピーカーをばら撒き、それぞれが異なる周波数を発振、音の幕を作る。

 この音の幕には白鯨のみが使用できる覗き穴があり、他の艦艇の探査能力を制限しつつ、自分達のソナーは確保すると言う兵器だった。

 

 

「駒城艦長、来ます!」

「え?」

 

 

 ただ、それが通用しないだろうことは真瑠璃にはわかっていた。

 人類の組んだ周波数の変調は、多少の時間差はあれど解析されてしまう。

 いや、そうでなくとも相手はエリアを丸ごと押し潰す作戦に出ているのだ。

 ロケットモーターで海中を高速移動――スーパーキャビテーション航行――していた分、白鯨の位置は敵に知られている。

 

 

 そしてそれを証明するように、衝撃が来た。

 ミサイルと魚雷、キリシマ達の殲滅攻撃が直上に降り注いだのだ。

 時間差で爆発するそれらは白鯨の攻撃モジュールの装甲を確実に削り、徐々にその機能を奪っていった。

 ロケットモーターの燃焼が終わったばかりの白鯨に、それを凌ぐ力は残されていなかった……。

 

 

「何だ、もう終わりか。人類と言うのは無駄なことが好きなんだな」

「たまに良いこともするよ」

「……同意」

 

 

 つまらなそうに言うキリシマに、他の2艦が言った。

 ハルナは言葉、マヤは音楽。

 メンタルモデルを得て以後、人類の生み出した文化に興味を抱く霧の艦艇は少なくない。

 この場合、彼女達は人類を「文化を生み出すシステム」とでも見ているのかもしれない。

 キリシマ自身は、そうしたものにはさほど興味は無かった。

 

 

 キリシマにとっては、戦いこそが至上のものだった。

 それは正しく戦艦で、兵器としての本分であり、その意味でまさに彼女は霧の艦艇だった。

 より強い敵をより強い兵器とより優れた戦術で打ち倒し、充足感を得たいと願う。

 その意味では、彼女にとって人類など始めから眼中には――――。

 ――――キリシマ達の側にいた2隻の駆逐艦が、爆沈した。

 

 

「――――なっ!?」

「『ウミカゼ』、『スズカゼ』!」

 

 

 それは、キリシマにナノマテリアルとエネルギーを融通した駆逐艦だった。

 球体の形をしたエネルギーに艦体を抉り取られ、爆発、海底へ沈んでいく。

 その轟音は、キリシマ達のミサイルの発射音の中にあってもはっきりと聞こえた。

 

 

「侵蝕魚雷! 正面から!」

「――――来たか、401!」

 

 

 顔を上げた次の瞬間、海面に魚雷の航跡が見えた。

 艦側面に配置したレーザー砲が火を噴き、海面を薙ぎ払う形で全て防いだ。

 4発来たが全て通常弾頭だった、牽制か。

 立ち上る水柱がキリシマの身体を濡らす。

 白い飛沫が消えた時、キリシマは実に好戦的な笑みを浮かべていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「踏ん張れ、正念場だぞ……!」

 

 

 イ401――いや、イ404の発令所に、群像の声が響いた。

 もはや隠す必要も無いが、彼は今回の戦いで、ある策を講じた。

 それはイ404とイ401の誤認戦術、ようは入れ替わり作戦である。

 ナノマテリアルによって艦形を作り変え、お互いそっくりの姿になったのだ。

 

 

 つまり、イ401の姿をしたイ404に群像達が。

 そして、イ404の姿をしたイ401に紀沙達が。

 もちろん互いの艦の最重要部分にはプロテクトがかけられているが、元は人手の必要ない霧の艦艇。

 不慣れで不足であっても、姉妹艦でもあり、一戦なら何とか運用できるだろう。

 

 

「大規模な重力波を感知しました! 超重力砲です!」

「おいヤベぇぞ、()()()なんてあり得ねぇ!!」

「落ち着け、1隻も3隻も同じだ!」

 

 

 そして、そんな群像達の様子をスミノはじっと見つめていた。

 当然ながら、群像達は彼女の主人では無い。

 しかし主人である紀沙の命令でそうしているのは確かで、その意味では従順とも言える。

 ただ、腕は良い。

 

 

 指揮官である群像もそうだが、他のメンバーも紀沙のクルーと比較しても遜色は無い。

 スミノは良くわからないが、正規の訓練を受けた人間と同等と言うのは凄いのでは無いだろうか。

 確か群像達は、紀沙の卒業した学院の中途で出奔したはずだ。

 特に機関士だ、いおりと言ったか、初めて見る自分の機関(エンジン)を良く弄れるものだ。

 

 

『機関圧力上昇! ああん、もう! 何よこの適当な配線は~!』

 

 

 ……どうやら、そうでも無いらしい。

 イ404の機関は特にあおいが弄っている、あおいは感性で配線するので、機関室は正直スミノにも良くわからない状態だ。

 正直、静菜だけが頼りである。

 まぁ、それは今は良い。

 

 

「重力子反応、急速に増大中!」

 

 

 今、スミノの正面には3つの輝きが迫りつつあった。

 それはキリシマ、ハルナ、マヤの超重力砲による輝き。

 イ401、では無くイ404が攻撃したことで位置がバレた、そして超重力砲の照準を向けられている。

 大して広くも無い浦賀水道内で、3本もの光の道が逆扇状に自分に向かっている。

 

 

 霧の力に呼応でもしたのか、晴れていた青空はいつしか分厚い雲に覆われていて、低空の雲と海面の間に紅い雷が落ち、また這っていた。

 人智を超えた霧の力で引き起こされた雷、神鳴り(カミナリ)とは良く言ったものだ。

 余りにも濃密な重力子空間に、次元が断層を引き起こすのでは無いかと思える程だった。

 

 

(下手をしたら、横須賀湾が干上がるんじゃないかな)

 

 

 自分はどうでも良いが、人類にとっては色々と不味いのでは無いだろうか。

 まぁ、キリシマ達がやる気な以上はどうしようも無い。

 ロックこそされていないものの、海が3つ割れて身動きが取れない。

 このままでは、3つの超重力砲を受けてイ404は撃沈されてしまうだろう。

 正直、スミノと言えどコアを破壊されかねない状況だ。

 

 

「さぁ、どうする? どうするんだよ、401ぃ!」

 

 

 キリシマの好戦的な声が海に響く、スミノにもそれが聞こえるようだった。

 ただ、彼女はイ401では無い。

 そう、つまるところスミノは囮なのだ。

 要するに本命は他にいて、そして切り札を盤面に出すなら今しか無い。

 そんなタイミングで。

 

 

 ――――浦賀の海に、()()()の道が開いた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 勝利への予感が確信へと変わる瞬間。

 確かに感じていたそれが、急速に正反対のものに変わる瞬間。

 それを立て続けに経験したキリシマだが、彼女はそれを表現する術をまだ持っていなかった。

 

 

「なん……だと!?」

 

 

 その時、キリシマの胸中(コア)を駆けた全ての感情。

 どれひとつとして表現することの出来ないキリシマであったが、現実を認識することは出来た。

 今の自分の状況、その危険さを。

 拠るべき海水が足元――自艦の周囲に存在しないと言うその状況が、何を意味するのか。

 

 

「な、何故……!?」

<超重力砲発射シークエンス緊急停止、エネルギーライフリンク緊急切断>

「何故、お前がそこにいる? 何故、お前がその装備を持っている?」

<クラインフィールド緊急展開、側面方向以外へのエネルギー供給率80%カット>

「では正面のイ401は何だ? デコイなのか? いや違う、あれはイ404?」

<機関全速、現()()からの離脱を――――>

 

 

 イ401。

 もはや姿を偽る必要も無く、イ404としての衣を剥ぎ取ったイ401がそこにいた。

 正面のイ401――イ404だ――に向けて超重力砲を向けていたキリシマの側面に、装甲を展開させ、空間変異作用によってキリシマ達を捕捉(ロック)していた。

 

 

 臨界に向け収束しつつあるエネルギーの量は、キリシマを戦慄させるには十分だった。

 ここまで来れば、「予感」などと言うレベルでは無い。

 そして大小5つのエネルギー供給装置からなるそれを、キリシマは知っていた。

 だがその装備の持ち主はイ401では無く、そもそも潜水艦があの装備を持っているはずが無い。

 しかし、現実として。

 

 

「――――()ぇ!」

 

 

 イ401の発令所に紀沙の声が響くと同時に、それが放たれた。

 艦こそ霧だが、人類の指示で放たれた最初の一撃。

 イ401の艦体から放たれたそれは、蒼白く輝きながら一直線に進んだ。

 超重力砲の蒼白い輝きが半円状に抉れた海上を進み、まともに身動きの取れないキリシマを目掛けて――――。

 

 

「ん……!」

「マヤ!?」

 

 

 イ401の超重力砲がキリシマに直撃する直前、間に立ちはだかった者がいた。

 マヤ。

 霧の重巡洋艦の艦体が間に立ちはだかって、超重力砲を受け止めたのだ。

 何故マヤにそれが出来たのかと言えば、彼女だけがイ401とイ404の位置について疑念を持っていたからだ。

 

 

 この時、キリシマは「後悔」を得た。

 自身が敗れることへの後悔では無い、仲間(マヤ)の言動を聞き流したことへ後悔だった。

 マヤの直感は正しかった。

 キリシマが彼女の半分でもマヤの言葉にとりあって、タカオの戦闘経験情報を重視していたなら、そうしていたら。

 

 

「キリシマ! 合わせろ!」

「ハ、ハルナ。私は」

「クラインフィールド同調開始、マヤのコアを――――!」

 

 

 イ401の超重力砲が、マヤのクラインフィールドに直撃する。

 しかしすぐに臨界に達したクラインフィールドを突き破って、艦体そのものに達する。

 それは彼女を貫くと、マヤが作った時間でキリシマを押しのけたハルナに。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――恐ろしい。

 モニターに映るその光景に、紀沙は心底からそう思っていた。

 重巡洋艦が崩壊し、光の柱が曇天を突き破って立ち上るその光景に。

 

 

「マジかよ、マジでやっちまったぜ……」

 

 

 自分達の行動の結果が半ば冗談のように感じたのだろう、冬馬の呟きが耳に届いた。

 しかし無理も無い、それだけ、目前の光景は圧倒的だった。

 軽巡洋艦ナガラを撃沈し、重巡洋艦タカオをいなした。

 だが今回の戦いは、それとはわけが違う。

 

 

 重巡洋艦マヤ撃沈、大戦艦ハルナ大破及び大戦艦キリシマ小破。

 かつて人類が霧に対して得た戦果としては、それこそイ401の大戦艦ヒュウガ撃沈に次ぐものだ。

 統制軍、公的機関所属の人間による戦果としては、最大である。

 戦略モニターの中、艦尾を破損したハルナを自らの艦体で支えているキリシマが見える。

 怪我をしている仲間を支えているようにも見えて、霧にしては奇妙な行動とも思えた。

 

 

(ここまでは兄さんの、作戦通り)

 

 

 イ401とイ404の入れ替わり作戦、事の他うまくいった。

 霧がそこまでイ401に執着するとは思わなかったが、群像の読み通りと言うことか。

 群像のイ404が侵蝕魚雷を放ったのも、誤認させることに一役買った。

 艦形はサーチできたとしても、海中に潜む潜水艦の詳細を知ることは霧でも困難だ。

 

 

 そして、彼の切り札――――イ401の超重力砲。

 かつて戦った霧の戦艦からの鹵獲品だと言う、霧の超兵器。

 マヤを貫き、ハルナを削ったそれは、対岸の房総半島の浸水区画にまで達した。

 超重力砲は理論上射程が存在しない、紀沙はこの時それを実感した。

 だからこそ、自分達で使ったからこそ……恐ろしい!

 

 

(これが、霧の力)

 

 

 だから紀沙は、傍らに立つイオナから視線を外すことが出来なかった。

 霧の重巡洋艦撃沈の喜色など無く、そこには畏怖の色が見て取れる。

 だが、考えて見てほしい。

 人類を歯牙にもかけなかった霧の艦艇、しかも重巡洋艦以上の3隻を撃沈・大破させたのだ。

 それも、たった一撃で。

 

 

 しかも聞くところによれば、霧にはまだ霧自身も目にしたことの無い強力な装備がいくつもあるのだと言う。

 紀沙には想像もできない、超重力砲よりも強力な装備とはどんなものなのか。

 これが恐ろしくなくて、何が恐ろしいと言うのだろう。

 

 

「それで、どうする艦長。群像からは次の指示は受けていないが」

 

 

 そのイオナが、そう声をかけてきた。

 彼女からすれば艦長代理である紀沙に指示を求めるのは当然であって、そこに他意は無かっただろう。

 

 

「……敵は、まだ戦闘能力を有しています」

 

 

 マヤは撃沈したとは言え、キリシマはほぼ無傷で残っている。

 ハルナも移動は厳しそうだが、攻撃力は残しているだろう。

 周囲にはまだ駆逐艦も何隻か残っていて、戦力と言う意味では油断できない。

 特に今のイ401は浮上状態で、キリシマがその気になりさえすれば撃沈は難しくないはずだった。

 

 

「追撃を」

「どこを狙う?」

「……重巡『マヤ』の、()()を」

 

 

 そこで、イオナが紀沙へと視線を向けて来た。

 コアとは、言うまでも無く霧の艦艇の心臓部だ。

 霧の艦艇にとって艦体とは衣服に相当する、これをいくら破壊してもナノマテリアルがある限り復活できる。

 だがコアを消滅させてしまえば、それは――――人間で言う「死」を意味する。

 

 

「理由はわからないけど、キリシマはハルナを庇ってる。そしてマヤのコア反応は消えていない」

「そうだな」

「ならここでマヤに追撃をかければ、間違いなくキリシマはこれを防ごうとするはず」

「そうなれば、一方的に攻撃することが出来る。合理的だな」

 

 

 戦術として、間違ってはいない。

 敵の仲間に手傷を負わせ、助けさせたところを狙う。

 軍ではスナイパーが時に行う方法だ、仲間を餌に誘き寄せる。

 とは言え、心理的倫理的にそうした戦術は採用されにくい傾向にある。

 

 

「なるほど」

 

 

 じっと、イオナが紀沙を見つめる。

 感情の見えないガラス玉のような瞳は、見ていると吸い込まれそうな錯覚を覚えた。

 そして紀沙は、イオナから視線を逸らさなかった。

 逸らさなければならない理由など無いと、そう思っていた。

 

 

「お前と言う()()が少しわかった気がするよ、紀沙」

 

 

 他に、声を発する者はいなかった。

 そしてイオナは紀沙の命令を拒否したわけでは無く、火器管制の権限は梓に預けたままだ。

 けれど、何故だろう。

 場の空気が少し重くなったように、紀沙には感じられた。

 

 

 戦術論、あるいは軍事論で言うのであれば、より有効な戦術が実はあった。

 と言うより、むしろそちらの方が正しい。

 戦力が過小な状態で、しかも相手は戦闘継続を躊躇する程のダメージを受けているこの状況。

 もし相手が霧でなければ、紀沙とてそちらを……。

 

 

『キリシマ聞こえるか? こちらはイ404。艦長の千早群像だ。現在、貴艦は我が包囲下にある――――』

 

 

 その時、艦外放送を使用したのだろう、群像の声が周囲に響き渡った。

 海水が撒き戻る轟音の中、しかしその声は良く通った。

 そして、その声を聞いた瞬間、紀沙は全身から力が抜けるのを感じた。

 兄が、「もう1つの戦術」を採ったと思ったからだ。

 

 

 指揮シートの背もたれに寄りかかって、浅く息を吐いた後、大きく吸った。

 すると、あの日、浸水区画にある元自宅でのことを思い出した。

 何故ならそこは、普段ならば彼が座っているところだったから。

 

 

『――――我が管制下に、入られたし』

 

 

 兄の声を耳にしながら、目を閉じた。

 イオナの瞳を忘れようとするかのように。

 あの、ガラス玉のような霧の瞳を。

 

 

(……兄さんの匂いがする)

 

 

 戦いは、終わった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 衰えた目にも、その輝きは見えるような気がした。

 視覚補助用のバイザー越しに目を細めて、楓首相は湾の向こう側から伸びる不思議な輝きを見つめていた。

 柱のようにも翼のようにも見えるそれは、昼間にも関わらずはっきりと見て取ることが出来た。

 

 

『正直なところ、こんな日が来るとは思っていなかった』

 

 

 それは、楓首相の偽らざる本心だった。

 彼が中央管区の首相になったのは3年前のことで、その時、すでに日本は行き詰っていた。

 集団農場の形成と合成食料の開発が進んでいたとは言え、数千万以上の胃袋を満たすだけの食料は日本には無い。

 

 

 食料だけでは無い。

 エネルギーを始めとする資源も、生産量を支える工業力も、何もかもが不足した。

 食べてゆくために、抱えきれない人間を切り捨てることもしなければならなかった。

 いわゆる、棄民政策である。

 この時代、政治家は軍・警察と並んで自殺率が最も高い職業だった。

 

 

『現状維持が精一杯で、私の任期中に世界が変わるなどあり得ない。そう思っていた』

 

 

 彼方に見えるあの輝きが、いかなるものであるのかはわからない。

 しかしそれは、福音のように思えた。

 霧に封じられた人類にとっての幸運の報せ、反撃の狼煙、言葉では言い表せない。

 それは肉体的に感情を表現する術を失った楓首相だからこそ、より強く感じたのかもしれない。

 

 

『次の時代が、来たのかもしれない。新しい世界が、来たのかもしれない』

 

 

 かつて自分が、自分達がそうだったように。

 17年前に軍人としての自分は死に、北に誘われて政治家として生まれ変わった。

 自分達の前に権力の座にいた上役達に後事を託され、あるいは居座る者を蹴落として。

 そして今まで、とにもかくにも日本を支えてきた。

 

 

 もしかしたなら、それが終わる時が来たのかもしれない。

 日本が、いや、世界が変わる時が来たのかもしれない。

 それが吉と出るのか凶と出るのか、それはまだわからない。

 だが、酷く好ましいもののように思えた。

 

 

『そうは思いませんか?』

 

 

 車椅子に備え付けられたモニターを見やって、楓首相は言った。

 そのモニターは通信で外と繋がっており、洋館の室内を背景に、長い白髪の男の顔が映っていた。

 それは、いつか茶色の髪の少女に傅いていた執事に似ていて……いや、本人だった。

 楓首相は、彼が「ローレンス」と言う偽名を名乗っていることを知っていた。

 

 

『刑部博士』

『……そう、なのかもしれませんね』

 

 

 刑部藤十郎、それが彼の名前だった。

 振動弾頭とデザインチャイルド、2つの計画の立案者であり、日本にとっては救世主とも言える男だった。

 かつて黒かった髪は若くして白く染まり、表情は年齢よりも憔悴して見える。

 そして彼がそうなってしまった理由を、楓首相は良く知っていた。

 

 

『このままここにいても、あの子の展望は開けない。それならいっそ、この機会に、とも思います』

『群像艦長にしろ、紀沙艦長にしろ……駒城艦長にしろ。悪いようにはしないでしょう。今は、信じて待つしかありません』

『……そう、ですね』

『北さんも、そして上陰君も。きっとそう考えているでしょう』

 

 

 信じて待つ、それは楓首相達の世代にとっては日常と同義だった。

 だが、信じて待つ者達の時代は終わる。

 これからは、自分の道を信じて行動する()()()()()がやって来る。

 楓首相は、本心からそう信じていた。

 

 

 しかし一方で、彼は一国の首相だった。

 日本と言う国の利益が失われるようなことも、また他国の利益となるようなことも出来ない。

 かつて彼の前に立ち塞がった者達と同じことを、今は自分がやっている。

 そのことに苦笑じみた、あるいは皮肉めいた想いを抱きつつも。

 

 

『あの娘には、また重荷を背負わせることになるな』

 

 

 刑部博士との通信の前に、今回の件について北と話し合った。

 その時、北が言った言葉が思い出された。

 この時代、彼らの判断はいつも()()()()ものになる。

 ならざるを、得なかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 霧が、深くなっていた。

 太平洋のある地点に立ち込める霧の中には、鋼の巨体が浮かび上がっていた。

 それは1隻の戦艦であって、火が入っていないにも関わらず、3つの巨大な連装砲が発する威圧感は相当な物があった。

 

 

「…………」

 

 

 そして、無骨な巨艦に似合わぬたおやかな美女がひとり。

 ピュアピンクのドレスに身を包んだその美女は甲板にひとり佇み、足元でじゃれ合う海鳥を微笑ましそうに見つめていた。

 海鳥が何かに気付いて飛び立つと、彼女の視線も合わせて上がった。

 仲良く空へと吸い込まれていく2匹の海鳥を見て、その微笑はより柔らかなものになった。

 

 

「コンゴウは行ったの?」

「ええ」

 

 

 そんな彼女――霧の艦隊総旗艦『ヤマト』のメンタルモデルに、声をかける存在がいた。

 ()()は艦橋の屋根から甲板まで、ふわりと飛び降りた。

 重力を無視でもしているのか、あるいはそもそも重力を感じないのか、驚く程ゆっくりとした降下だった。

 

 

「コンゴウは硫黄島に向かうでしょう」

 

 

 そちらには目を向けず、ヤマトが言った。

 甲板に降りたその少女も、特に気にした様子も無くヤマトに近付いていく。

 これもまた、ゆっくりとした動作だった。

 

 

「ナガトはコンゴウを手伝うかしら?」

「しないでしょう。コンゴウは認めないでしょうし、ナガトもそれを望んでいないわ」

 

 

 それは、メンタルモデルを持つ以前であればあり得ないことだった。

 メンタルモデルを持つ以前であれば、コンゴウもナガトも己の管轄や領分を保とうとはしなかったろう。

 もっと力任せに、己の性能のみを頼りとして攻撃した。

 そして、破れていただろう。

 

 

 17年前の霧の艦艇であれば、そうなっていたはずだとヤマトは思う。

 あの大海戦で霧の艦艇が勝利し、以後に海洋を封鎖出来たのは、単に霧の艦艇の性能が人類側を圧倒していたからに過ぎない。

 最強の矛と最強の盾を以って、殴り倒したに過ぎない。

 そう言う意味で、あれは戦闘などと言う美しいものでは無かった。

 

 

「そのために、私達はメンタルモデルを手に入れた。コンゴウにはそう言ったんでしょ?」

「ええ、そう言ったわ。人類はいずれ我らを凌駕する。その時、戦略や戦術を持っていない我々は敗北する、と。イ401はそのモデルケースだ、とも」

「ふふ。私、あの子好きよ?」

「そうなの?」

 

 

 そこで初めて、ヤマトが振り向いた。

 そこにはヤマトと良く似た、あえて言えば少し幼い容姿の少女だった。

 たおやかなヤマトと並ぶとどこか快活な雰囲気を持つ少女で、笑顔の質も明るいものだった。

 ともすれば、母娘にも姉妹にも見える。

 

 

「あの子マジメだから、真剣に戦術を学んでるじゃない。そこが可愛くて」

「霧の艦艇にも、個性が出てきたわ」

「良いことじゃない」

「貴女にとって?」

「皆にとって」

 

 

 にっこりと明るく笑って、少女はヤマトと並んで立った。

 海面を這う霧は冷たく、それでいて太平洋の風は温かだった。

 無数の海鳥だけが、彼女達の周囲を舞うように飛んでいる。

 

 

「それで、どうするの?」

 

 

 少女もまた、超戦艦『ヤマト』のメンタルモデルだった。

 ナガトと同じく複数のモデルを持つ霧の艦艇、ただ2人のメンタルモデルの性格は対照的だった。

 どこか超然とした態度のヤマトと、そして少女めいた容姿と性格の……。

 

 

「『コトノ』」

 

 

 コトノ、それがヤマトのもう1人のメンタルモデルの少女の名前だった。

 彼女は、何故か白い女学生(セーラー)服に身を包んでいた。

 その制服には、ある国の軍直轄の海洋学校の校章が煌いている。

 片割れに今後のことを問われた彼女は、笑顔のまま、遠くを見るように目を細めた――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 浦賀水道での戦いは、思ったよりもあっけない形で終わった。

 キリシマは停戦、と言うより降伏を受諾、イ401とイ404の水道通過を認めた。

 紀沙にしてみれば霧に通過を許可されるいわれは無いが、スミノが言うには「相当に悔しそうだった」と言うことだから、それだけが紀沙の溜飲(りゅういん)を下げてくれた。

 

 

「やっぱり、何だかんだで404の方が落ち着くねぇ」

 

 

 そして、イ404は太平洋にいた。

 キリシマ戦からすでに3日が経過していて、当然のこと、紀沙達はイ404に戻っていた。

 それなりの期間を過ごした艦だけに、やはり慣れと言うものがあるのだろう。

 梓程では無いが、紀沙もイ401よりはしっくり来るものを感じていた。

 

 

 かく言う紀沙であるが、今は梓と並んで物資の入った箱を運んでいた。

 紀沙は両手で1つ、そして同じものを梓が肩と腰に抱えて2つ持っていた。

 キリシマ戦の直前、急いで搬入したため積荷の整理が済んでいなかったのである。

 魚雷などは流石にしっかりと積み込まれているが、生活品等は後回しにしていた。

 

 

「あれ以来、霧に遭遇もしないし。白鯨との合流も、案外何事も無く終わるかもね」

「そうですね」

 

 

 白鯨、それも紀沙にとっては嬉しいことのひとつだ。

 キリシマ戦でモジュールを損傷した白鯨は一度ドックに戻り――浦上中将曰く「出戻りだな! ガハハハ!」――装備を換装して、太平洋上でランデブーする。

 流石にモジュールの換装が終わるまでキリシマが待ってくれる保証は無く、一度別れた。

 

 

「白鯨の皆さん、喜んでくれてましたね」

「まぁねぇ、アタシら統制軍が霧をぶっ倒すなんて、夢のまた夢だったからね」

 

 

 実際、白鯨クルーの喜びようと言ったら、無かった。

 その喜びは紀沙には良くわかる、そしてだからこそ安堵もした。

 いつか、霧を打ち倒す。

 統制軍の、いやそれは17年前の大海戦以後の人類の共通の目標であったのだから。

 

 

(真瑠璃さんは、どうだったんだろう)

 

 

 ひとつだけ、真瑠璃のことだけが気にかかった。

 おそらく紀沙を除いて、最も兄・群像のことを()()()()()()だろう女性。

 彼女はあの勝利に、何を思ったのだろうか。

 

 

「ほい、ついたね」

「ええ、どうにかこれで最後ですね」

「荷物の運搬もナノマテリアルで何とかならないのかねぇ」

「あはは」

 

 

 霧の潜水艦とは言え、イ404は人が乗る艦だ。

 当然、食料品のための冷蔵庫や冷凍庫もあれば、生活必需品をまとめておく倉庫もある。

 紀沙と梓がやって来たのはそうした倉庫のひとつであって、常温で保管できる食料品を置いておく場所だった。

 便利なもので、スミノの力で温度・湿度共に一定に保たれていて割と快適……。

 

 

「……え?」

 

 

 ……なのだが、さりとて、住みたいと思う程に快適でも無い。

 例えばそう、お茶をするための休憩室でもなければ、茶髪のツインテールの小さな女の子の私室でも無い。

 だから正直、その光景は紀沙にとって不意打ち以外の何ものでも無かった。

 

 

 非常食の乾燥ブレッド、不味いが保存が効く、それは別に良い。

 例えばそれをわしゃわしゃと食べているのがクルーの誰かであったなら、注意はしても驚きはしなかっただろう。

 口の中のブレッドをごくりと音を立てて飲み込んで、見覚えの無い()()()は紀沙を見た。

 

 

「え、えっと」

 

 

 正直、反応に困った。

 しかし他にかける言葉も思い浮かばず、結局、最初に思った言葉を口にした。 

 

 

「ど、どちらさまですか?」

「…………」

 

 

 何も答えない女の子に、紀沙は半笑いのような表情しか作れなかった。

 それしか出来なかった。

 そんな紀沙を、女の子はじっと見つめていた。

 

 大きな瞳に、紀沙の情けない顔だけが映し出されていた。

 




最後までお読み頂き有難うございます。

兄妹の入れ替わりトリック、いかがでしたでしょうか。
霧の艦艇の特殊性を活かして、2隻いればこその戦術を考えてみました。
推理ものとかだと、割と良くある手だと思いますが……。

あ、今回突撃してない(え)

それでは、また次回。

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