蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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挨拶と言っても、ホラ○ゾンのあれではありません。
(いや、近いか……?)


Depth012:「挨拶」

 蒼い艦と、灰色の艦。

 寄り添うように海中を進む2隻の潜水艦は、他に何者もいないかのように航行している。

 周囲には暗い海底と、そこに潜む僅かな生き物だけ……。

 

 

「何だか、気が引けるわね」

『何がだ、フランセット?』

 

 

 その空間は、卵を連想させる楕円の形をしていた。

 人が1人座るには十分な空間だが、逆に言えばそれ以上の広さは無い。

 柔らかなクッションシートとドラムにも似た円形の操作盤(コンソール)、頭上に配置された医療器具のような波長センサー……何とも、圧迫感のある空間だった。

 そして、そこに座る女性もまた独特だった。

 

 

 髪先を真っ直ぐ切り揃えたセミロングに、人種特有の白い肌。

 瞳が閉ざされているためか、まさに白面と言った風だった。

 潜水服をイメージしているのか、衣服は暗い色合いで、ベルトやボタンが多い上に肌にぴったりと張り付く造りになっている。

 

 

「何だか可愛くて。お兄ちゃんの後を雛鳥みたいについて行くんだもの」

 

 

 クスリと笑むその仕草は、からかうような声音と裏腹に上品に見える。

 ひとつひとつの挙動にそうした部分が見て取れて、教養のある女性なのだとわかる。

 少なくとも、口を開けて大笑いするような印象は持てない。

 

 

「そんな所にちょっかいをかけるんだもの、気も引けるとは思わない?」

『仕方ない』

 

 

 短く返って来た返答に、フランセットと呼ばれた女性は表情を変えずに眉だけを動かした。

 目は口ほどに物を言うと言われるが、実際、瞳を閉ざした彼女の心情を表情から読み取るのは難しい。

 

 

『これは我が艦隊から……我がアドミラルと、(ムッター)『ムサシ』から我らに下された至上命令』

「そうね」

 

 

 わかっている。

 一言に全ての感情を乗せて、フランセットはそう応じた。

 そしてそれだけで通じるのだと、疑うことすらしなかった。

 彼女達にとっては、それだけで互いの意思を確認し合うことが出来る。

 

 

「――――ゾルダン。イ401とイ404が減速、距離を縮めたわ。速力15ノット。何かあったのかしらね」

『……わかった』

 

 

 そう、フランセットにとっては。

 

 

『かかろう』

 

 

 フランセットにとっては、それで十分だった。

 彼女は身体を前に沈めると、4つある操作盤に手を触れた。

 

 

『――――()()()()()()

 

 

 ただ、彼女が信じた救世主(ゾルダン)のために。

 フランセットは、自分の力を振るおうと決めていた。

 だから、彼女はたとえ気が引けていたとしても――――……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 良治は、困惑していた。

 

 

「はーい、お口を開けて下さいねー」

「やだ」

 

 

 仏頂面で診断を拒否しているこの女の子はいったい誰なのだろう、と。

 場所は当然ながら良治のテリトリーである医務室、向かい合って座る2人の表情は対照的だ。

 女の子は仏頂面で、良治は笑顔こそ浮かべているが固さがあった。

 実際、彼は困惑していた。

 

 

 たまに換気と通信のために浮上することを除けば、いやそれを含めたとしても陸地に接舷しない以上、クルー以外の人間が入り込む余地は無い。

 例外は出航時だが、横須賀の地下ドックに、まして霧の艦艇に誰にも気付かれずに入り込むなど不可能だ。

 まぁ、そのあたりをどうにかするのは良治の仕事では無いが……。

 

 

「何で黙ってたっ!?」

 

 

 そして、医務室の外ではそんな声が響いていた。

 通路で向かい合うように立っているのは、紀沙とスミノだった。

 他のクルーはそれぞれの持ち場にいる、聞かせられる話では無いと判断した。

 まぁ、()()()がいる段階で予測は出来るだろうが。

 

 

 ただ、これは由々しき問題だった。

 軍艦に密航者がいたと言うこともそうだが、アメリカに振動弾頭を運ぶ特務中である。

 しかも、あんな子供を。

 太平洋上にいるこの状況で、どこに保護してどこに預けろと言うのか。

 それに、このことについてスミノを問い詰めてみれば。

 

 

「ああ、あの子かい?」

 

 

 などと、最初から知っていたことを隠しもしなかった。

 いつも通りの酷薄な笑顔を貼り付けて、スミノは平然と言った。

 全く悪びれていない様子に、紀沙も苛立ちを隠そうともしない。

 

 

「もう一度聞く。スミノ、どうしてすぐに報告しなかったの?」

「聞かれなかったからだよ?」

「……は?」

「だから、聞かれなかったからさ。知らなければ知らないままで、別に何の不都合も無いだろう?」

 

 

 一瞬、何を言われたのかわからなかった。

 それは、それ程に意味のわからないことだったからだ。

 艦と艦長の会話としては、致命的な程に。

 

 

「不思議なことを聞くね、艦長殿も。ボクは人間じゃないんだから、人間の艦長殿達にとって何が不味いのかなんて、わかるわけ無いじゃないか」

 

 

 ()()()()()()()()()()()()

 思えば、以前にも同じようなことはあった。

 振動弾頭のデータの時もそうだ、スミノは自分に報告をしなかった。

 ただ「聞かれもしないことは話さない」「散歩が趣味」などとのたまって、碌な説明をしなかった。

 しかし、無理も無いことではある。

 

 

 何故なら、スミノと紀沙の間には信頼関係が全くと言って良い程無い。

 仲間でも無ければ、友達でも無いのだ、主従ですら無い。

 そしてスミノは人類の間では日本の統制軍に属しているが、霧である彼女がそんなカテゴライズに縛られるはずも無い。

 だからこれは――――紀沙のミス、なのだろう。

 

 

「刑部蒔絵」

「……何?」

「あの子の名前さ、知りたかったんだろう?」

 

 

 だが薄ら笑いと共にそんなことを言われると、どうしようも無く苛立つのだった。

 相互理解など、出来るはずも無い。

 

 

「他には、何か知ってる?」

「さぁ、ボクも直接話したわけじゃないしね。ただあの子が艦内を徘徊している時に、「おじいさま」とやらを探しているって言っていたね。何でも、401に乗っているとか」

「念のために聞くけど、401のメンタルモデルに確認は?」

「していない」

「だろうね、()()()()()()()()

「そうだね、艦長殿。()()()()()()()()

 

 

 皮肉も通じやしない。

 もう一言二言、言ってやりたかった。

 だけど言ったところで無意味だし、スミノがそれで痛痒(つうよう)を感じるとも思えなかった。

 だから紀沙は睨むだけに留めて、スミノに背を向けた。

 

 

「今後は、クルー以外の人間が艦内にいたらその時点で報告して」

「ああ、わかったよ。艦長殿」

 

 

 言えば素直に聞くあたり、本当に苛々する。

 胸中の感情をどう消化すれば良いのかわからず、紀沙は悶々とした感情を抱きながら歩き出した。

 あの女の子――蒔絵はとりあえず良治に任せて、携帯端末を取り出した。

 

 

「……恋さんですか? 401に至急コンタクトを。確認しなければならないことが」

 

 

 そして、携帯端末で発令所に連絡を取るその背中を見送りながら、スミノは目を細めた。

 その表情は、どこか先程までと少し異なる色を浮かべているように思えた。

 

 

「艦長殿は、知らない方が良いと思うけどね」

 

 

 スミノのその言葉は、しかし、紀沙には届かないのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 結論から言うと、イ401に刑部蒔絵の「おじいさま」は乗っていなかった。

 

 

『と言うより、そんな話があれば横須賀で出ているだろう』

「まぁ、そうだよねぇ」

 

 

 イ401とイ404を有線ケーブルで繋ぎ、通信のラインを確保した。

 通信自体は、互いの艦長室で行うことにした。

 正直、クルーの前で兄と話す姿を見られることが恥ずかしかったのだ。

 艦長らしく話そうとすると今度は兄に対して恥ずかしいので、個室で話した方が結局は良いのだ。

 

 

 とは言え、芳しくは無い。

 正直、紀沙も期待していたわけでは無いのだ。

 実際、群像の言う通り、イ401なりイ404なり、あるいは白鯨に誰かを乗せるなら横須賀で北達がその話をしないわけでが無い。

 そして白鯨の乗船リストに、「刑部」の姓を持つ者はいない。

 

 

『いずれにせよ、このままと言うのは不味いな』

「でも、今から横須賀に戻るのは」

『白鯨に運んで貰うか?』

「これ以上、振動弾頭の輸送計画を遅らせるわけにはいかないよ」

『なら自然、一緒に乗せていくしか無いが……』

「うーん……」

 

 

 密航者・刑部蒔絵。

 困惑。

 想定外の困惑に、紀沙は眉間に皺を寄せる。

 艦長室――要は紀沙の私室である――の机に備え付けのモニターの中で、群像が苦笑を浮かべた。

 モニターの横にガラス筒に入ったサボテンがあって、それが妙にミスマッチだった。

 

 

『だが紀沙。艦内に密航者がいることに気付けなかったのは、どうにも不味いだろう』

「う」

『仮にこれが敵だったなら、クルーの誰かに被害が出ていた可能性もある』

 

 

 会話の流れがそれこそ何とも()()()、サボテンの針も尖っている。

 しかし、群像の言っていることは事実だった。

 最低でも3日間、密航者がいる艦内でのうのうと過ごしていたことになる。

 軍艦として致命的で、クルーの身の安全や機密保持の観点から見ればお話にならない。

 まぁ、それはそもそも密航を許した横須賀基地全体に言えることなのかもしれないが……。

 

 

『と言うより、404――スミノが気付かなかったのか?』

 

 

 そして、当然のように痛い所を突かれる。

 兄に相談した時点で規定路線ではあるが、群像で無くとも不思議に思っただろう。

 霧にとって艦内は体内に等しく、()()があればすぐに気付く。

 だからこそ、先程は紀沙もスミノを問い詰めたのであるが。

 

 

「…………」

『……まぁ、言いたくないなら別に良い』

 

 

 言えるわけが無い。

 自分の艦が艦長である自分に報告しなかったなどと、口が裂けても言えない。

 立場としても、そして個人としても。

 

 

 群像としても、統制軍に所属しているイ404の内情を細かくは追及したくなかったのだろう。

 しかし紀沙にとっては、それは群像の危惧の裏返しであるともわかる。

 そして同時に思うのは、この事実を北にどう報告したものか、と言うことだ。

 何となく北と群像の言うことに差が無いように思えるのが、不思議だった。

 

 

『とにかく――――』

 

 

 そして、紀沙は群像の言葉の続きを聞くことは出来なかった。

 理由は2つ、第1に通信が突如として切断された――2隻を繋ぐケーブルが物理的に切れた――こと。

 そしてもう1つ、突然襲い掛かってきた横殴りの衝撃に耐え切れず、紀沙が椅子から転げ落ちたことだ。

 固定されたサボテンだけが、変わらずに鎮座していた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――何が起こった!?

 しかし胸中に浮かんだその考えを、群像は押さえ込んだ。

 

 

「いおり、エンジン急速始動! 出力は出せるだけ出せ!」

『了解! ああ畜生、あの姉ときたら適当に弄りやがって!』

 

 

 何か学院の同級生がかつて聞いたことが無い程のドスの効いた声を返してきたが、あえて何も聞かなかったことにした。

 心なし、足元から感じるエンジンの振動がいつもより激しい気がした。

 艦長室を出て通路を足早に発令所に向かいつつ、艦内通信で指示を飛ばす。

 

 

「イオナ、左舷全力回頭! イ404と距離を取れ。それからアクティブデコイだ」

 

 

 何かが起こったことは確実だが、それが何なのかはわからない。

 しかしわからないと言って何もしないわけにはいかない、群像にはクルーの安全を確保する義務がある。

 何が起こったにしろ、このまま僚艦と接触した状態で止まっている方が危険だ。

 通常なら音響魚雷も使うが、それもこの距離ではイ404のソナー手を潰しかねない。

 

 

 狭い範囲で固まっていては、互いの艦の能力を活かし切れない。

 今も足元に感じる振動は、間違いなく爆発音だ。

 互いへの攻撃が一方へもダメージを与えるような状態では、余りにも危険だ。

 だからここはまず互いに距離を取って、体勢を整えるべきだ。

 ()が一方を追うなら、もう一方が逆に背後を追って挟み撃ちにすることも出来る。

 

 

『群像、少し不味い』

「何がだ?」

 

 

 と言う意図の指示だったのだが、当のイオナから懸念が来た。

 

 

『404が()()()()()()

 

 

 どうやら、状況は群像の想像を超えて不味いようだった。

 そして彼には未だ見えていないが、彼らに()()を加えているのは、紅い艦艇だった。

 暗い海底の中でそれは非常に目立つ、が、肉眼で知る術の無い潜水艦には意味の無い情報だった。

 

 

「さて、どうする401。放置すれば仲間が死ぬ」

 

 

 その中で、金髪碧眼の男――ゾルダンが囁くように言った。

 

 

「そして404。アドミラルの命令とは言え、余り女性に手荒なことはしたくないのだが」

 

 

 よく言うよ、と、幼げな少年の声をするりとかわして。

 

 

「さて……はたして彼女は、()()()になれるかな」

 

 

 冷たい声音と怜悧な瞳。

 言葉程には気が引けている様子も見せず、彼は正面を見据えていた。

 霧の艦艇『U-2501』艦長、ゾルダン・スタークは、前だけを見ていた。

 これまでも、そうして来たように。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 攻撃されていると気付くのに、そう時間はかからなかった。

 しかし、対処できない。

 何故ならばそれは完全に奇襲で、しかも()()()からの同時多発的な攻撃だったのだから。

 

 

「潜水艦に、包囲されてる……!?」

 

 

 そうとしか考えられなかった。

 いや、もしかすれば潜行した水上艦艇――霧の艦艇は、水上艦の形をしていても潜行することが出来る――の可能性もあるが、ここまで近付かれて気付かないと言うことは無い。

 この隠密性は、潜水艦以外にあり得ない。

 

 

『最初の攻撃で、エンジンに異常が発生しました。システムの10分の3がダウン。出力は60%保証、順次回復を試みます』

『大丈夫よ~、ほらこっちの線を繋げば』

『それで何で数値が2パーセント良くなるのかわかりませんが、余談を許さない状態であることには変わりありません。全力を尽くしますが、何とか状況の好』

 

 

 機関室との通信が、不意に途絶える。

 艦内に通っている通信のラインが途絶したのだろう、数秒だが、砂嵐に眉を顰めた。

 発令所との通信はまだ確保されているが、これもいつまで保つかわからない。

 すぐに発令所に向かうべきなのだが、これがなかなか思い通りには行かない状況だった。

 

 

 ぜぇ、と、想像以上に重い足に息を吐いた。

 足首まで覆う水溜り――いや、艦内に侵入した海水の香りが、鼻腔をくすぐる。

 海水、つまりは浸水である。

 艦長室と発令所はそれほど距離があるわけでは無いが、すでに足首程にまで浸水していた。

 

 

「……映画で見たことあるな、こう言うの」

 

 

 自分で言っていて、笑えない。

 

 

(なんて言ってる場合じゃない)

 

 

 実際、そんなことを言っている場合では無かった。

 床や壁、そして肌で感じる感覚として、徐々にだが深度が下がっている。

 着底して隠れようと言うよりは、単に浮力と推力を維持出来ていないのだろうと思う。

 つまり、すでにそれだけのダメージを受けていると言うことだ。

 

 

 全方位からの魚雷攻撃。

 しかし今の時代、霧であってもそこまでの数の潜水艦を揃えることが出来るだろうか。

 この広大な海で有力な潜水艦隊を、しかもピンポイントで展開することは非常に難しい。

 ならば、この状況はいったい何だと言うのか。

 音を立てて足元に滝を作る海水、その出所の壁を、苛立たしげに殴りつけた。

 

 

「うぁ……!」

 

 

 一瞬、身体が浮いた。

 それだけの衝撃――また魚雷か――が艦内を走り、鋼の軋む嫌な音が断続的に響く。

 次いで浸水の勢いが増した。

 床に腰を打った体勢の紀沙は、頭からそれを被ることになった。

 

 

「……ッ」

 

 

 耳鳴りがして反射的に頭を抑えた、気圧の維持に変調があったのかもしれない。

 その事実の深刻さに、紀沙の胸中に海水よりも冷たいものが突き刺さる。

 これは、もしかしなくとも――――不味いのでは、無いだろうか?

 

 

(これ、もしかして……撃)

 

 

 脳裏に嫌な陰が差した、その時だった。

 

 

「エンゲージ」

 

 

 こう言う時に、ある意味で一番聞きたくない声が聞こえた。

 その声の主はいつの間にか、紀沙のすぐ傍にいた。

 

 

「クラインフィールド飽和率88%」

 

 

 声の主(スミノ)は、瞳の虹彩と顔の紋章を輝かせながら、遠くを見るような眼差しでそこにいた。

 ばしゃばしゃと足音を立てて、目の前にまでやって来る。

 

 

「不急不要のライフライン・エネルギーをカット、確保したエネルギーを発令所、魚雷室、機関室、医務室及び主要区画(バイタルパート)通路に優先使用。使用不可能な部位を区画ごとパージ、再利用可能なナノマテリアルを回収、確保したナノマテリアルを強制波動装甲の修復に使用。リコントラクションスタート――完了。装甲修復率90%を超過。海水の浸水停止、艦内の海水を艦体下層へ排水開始。隔壁閉鎖、再気密、排気、艦内気圧再調整」

 

 

 呟きの間に、お尻と足に感じていた水気が失われていく。

 海水が床下に吸い込まれると共に、壁面を修復して浸水を止めた。

 心なし、浮力と推力も戻ったように思う。

 視界の中にキラキラとした粒子が見えるのは、それが艦を構成する物質(ナノマテリアル)だからだろう。

 

 

「――――とりあえず、艦内の人間の生命維持と最低限の攻撃・ソナー能力は維持しているよ」

 

 

 ふぅ、と息を吐いて。

 しかし、顔の紋章は消えることが無い。

 むしろ強弱の発光を繰り返し、人ならざる翡翠の瞳で紀沙を見下ろしていた。

 

 

「と言っても、それも長くは保ちそうに無いね。何しろエンジンの調子がすこぶる悪いものだから」

 

 

 とは言え、ボクも沈められたくは無い。

 そう言って小首を傾げながら、紀沙へと海水に濡れた手を差し出して来た。

 自分を助け起こすべく差し出されただろうそれを、紀沙はじっと見つめる。

 いつの間にか生じた恐怖心は消えて、胸中から冷たいものは消えて、そして。

 

 

「私だって、お前なんかと心中なんて嫌だよ」

 

 

 そして、意地だけが残った。

 今はそれが何よりも重要なのだと、無意識の内に理解していた。

 だから紀沙は、スミノの手を借りることなく、自分の足で立ち上がったのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「遅くなりました!」

 

 

 程なくして、発令所に駆け込んだ。

 その数分の間も攻撃は続いていて、発令所のクルーがその間も頑張ってくれているはずだ。

 だからこそ開口一番、紀沙は遅参を詫びた。

 そこは、息を吐く間も許されない緊迫した状況……。

 

 

 ……のはずだったのだが、まず飛び込んで来たのは良くわからない状況だった。

 具体的に言うと、恋と冬馬が重なり合うようにして発令所の真ん中に倒れている。

 攻撃の衝撃で倒れた風にも見えず、何だか「あっ……」と言うような顔をしていた。

 そしてそれを何やら両手でガッツポーズをした梓が見ていて、彼女達は紀沙の姿を認めるや否や。

 

 

「……侵入した海水を艦の下層部へ誘導します、しかし浸水区画なおも拡大中です!」

「……四方八方から撃ってくるね、いったいどいつから撃ち返せば良いんだい!?」

「……音紋反応はどいつも一緒だ、デコイに近いな。だが攻撃は本物だ、どうする艦長ちゃん!」

「え、ちょっと待って下さいそんな急に言われても」

 

 

 何事も無かったかのように持ち場に戻る3人に衝撃を受けつつも、紀沙は理解していた。

 真面目にやっても、もはやどうにもならないのだ。

 諦めるとかどうとか、そう言う状況では無い。

 何をどうやってもこれは無理だと、そう思っているからだ。

 

 

「これは、群狼戦術ですね」

 

 

 群狼戦術、要は潜水艦が集団で敵艦を攻撃する戦術のことだ。

 旧大戦以後、潜水艦の性能向上と海戦ドクトリンの変化に伴い、下火になった戦術だ。

 現在、これを採る海軍は存在しない。

 まぁ、そもそも今、海でそんな戦術を行えるのは。

 

 

「スミノ、相手は霧?」

「まぁ、そうだね。霧は霧だと思うよ」

「……どういうこと?」

 

 

 また「聞かれなかったから」などと言われても困るので、あえて重ねて聞いた。

 

 

「霧の戦術ネットワークには存在していないから、霧だと言うこと以外はわからないよ。名前くらいかな」

 

 

 霧の潜水艦、『U-2501』。

 それが今、自分達を襲っている敵だ。

 史実によればヨーロッパの艦艇のはずだが、それが何故太平洋にいるのか。

 いや、それも今は良い。

 

 

 問題は、どうしてU-2501が包囲・一斉攻撃が出来るのかと言うことだ。

 スミノが感知しているのはあくまでも1隻、だが一連の攻撃は明らかに10隻以上の潜水艦によって行われている。

 この隠密性、ほぼ魚雷に限定された攻撃手段、全てがそうだと示している。

 

 

「……U-2501の能力は、デコイ――と言うより、分身の多重操作?」

「そこまではボクにもわからない。ただ確かなことは、今は静かだけれど、こうしている間にもボクの鎧は少しずつ剥がされているってことだ」

「…………」

「何をするにしても、早めに決めることをお勧めするよ」

 

 

 早めに決めろとは、よくも言ってくれる。

 ズン、と、再度足元の揺れを感じながら、そう思った。

 間隔が開いてきていると感じるのは、別に状況が好転したからでは無い。

 単に、包囲が完成しつつあるからに他ならない。

 

 

 イ404の動きも、段々と単調になっている。

 操舵を担うスミノの判断は合理性の塊だ、その彼女が動きを単調にせざるを得ないと言うことは、少なくとも機械的な判断において選択肢を狭められていると言うことだ。

 そしてそれは、最終的には選択肢そのものが失われることを意味する。

 

 

「艦長、もはや前進も後退も困難です。敵は、我々が今いるポイントを中心に攻撃陣形を組んでいるようです」

「それでも、まだ私達が沈んでいないのは」

「ボクが頑張っているから?」

「……(なぶ)ってる、ってわけですね」

「どうでも良いけど、嬲るって漢字、どっち主体で見るかでイメージ変わるよな」

「はい、おそらくはそうでしょう」

 

 

 無視されたスミノは、「何だよー」とふてくされた。

 流された冬馬は、「何だよー」とふてくされた。

 正直こんな時に良くそんな余裕があるものだと思うが、状況は深刻だった。

 何故なら、敵の狙いは。

 

 

「スミノ、イ401に……!」

「いや、残念だけど艦長殿」

 

 

 発令所の隅でふてくされていたスミノは、顔だけをこちらに向けて。

 

 

「もう来たよ」

「来たか、やはり」

 

 

 スミノと同じタイミングで、U-2501もそれを捉えていた。

 艦長のゾルダンは感心したように声を上げて、レーダーに映った艦影を眺めた。

 

 

『良い人ね』

「良い人だねぇ」

「そうだな、好ましい。だが愚かだ」

 

 

 仲間への攻撃が自分を誘き寄せる罠だとわかっていながら、来た。

 それはイ401艦長の人柄を表すものではあるが、自分達の包囲下に飛び込んでくるその行為は愚かでしか無かった。

 イ401側からの攻撃が無いことも、彼らがこちらの意図をきちんと読んでいることの証左だった。

 

 

「どうする、ゾルダン?」

「そうだな、もう良いだろう。彼らを撃沈する時と場所が今この場で無い以上、ここで……」

 

 

 その時、ゾルダンの肌がぞわりと粟立った。

 直接的な兆候があったわけでは無い、しかし、感じた。

 

 

『艦長! 急速に膨張する重力子反応を感知しました!』

 

 

 甲高い()()の声と同時に、彼はU-2501に回避を命じた。

 次の瞬間、暗い海中を光の柱が駆け抜けて行った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「――――勘違いしないでよね」

 

 

 艦体(じぶん)の甲板の上に仁王立ちしながら、タカオは言った。

 青空の下、それよりもなお透けて煌く蒼い髪を靡かせながらの発言だった。

 そんな彼女の左右斜め後ろには、それぞれ洋服と中華服を身に纏った銀髪の少女達がいる。

 別に彼女達は何も言っていないのだが、タカオは明らかに彼女達に向けて言っていた。

 

 

 腰に手を当て胸を張っているタカオではあるが、その表情は複雑なものだった。

 人間で言えば、「いろいろな感情がない混ぜになった状態」だ。

 感情表現に乏しい霧の語彙(ごい)では、上手く表現出来ないのは無理も無いことだった。

 しかし、行動は明確だった。

 

 

「何故ですか?」

 

 

 だからこそ、小首をかしげてイ400が問うた。

 

 

「何故、貴女はイ404達を助けるような真似を?」

「言ったじゃない。()()()()()()()()()、って」

 

 

 展開した装甲に兵装――超重力砲用の光学レンズ体――を収納しながら、タカオは言った。

 

 

「私は別に、イ404を助ける気なんてこれっぽっちも無いんだから」

 

 

 情報の疎通に齟齬(そご)があります、と、イ400は思った。

 タカオは「助ける気は無い」と言ったが、しかし彼女の行動は明らかにイ401達の窮地(きゅうち)を救うものだった。

 あの謎の艦艇、U-2501の群狼戦術を跳ね返す術はイ401達には無かった。

 あのまま攻撃が続いていれば、少なくともイ404は最悪の事態も考えられたはずだ。

 

 

 それを覆したのは、タカオの超重力砲に他ならない。

 重力子兵器である超重力砲に理論上の射程は存在せず、そして自分達イ号400型潜水艦の探知距離は数百キロに及ぶ。

 故にこそ、U-2501に探知されずに狙撃することが可能だったのだ。

 

 

「だって、面白くないじゃない」

「面白くない、とは?」

「私達を出し抜いたイ404が、あんなどこの誰ともわからないような奴にやられるなんて」

 

 

 そう、面白くない。

 イ404がやられる、そう思った時、タカオの中に生じた焦りにも似た何か。

 胸をチリチリと焦がすその感覚に耐えることが出来ず、思わずタカオは超重力砲を撃った。

 直撃しなかったのは、もしかすれば「それはそれで何か嫌」とでも思ったのかもしれない。

 

 

「もしやられるなら、私にやられなさいよ」

 

 

 自分以外の誰かに倒されるなんて、認めない。

 タカオの言葉をまとめるとそう言うことになる、それもまたイ400には理解出来なかった。

 

 

「おかしな奴だな」

「五月蝿いわね、私の勝手でしょ」

 

 

 理解できなかったが、代わりに、呆れたように言うイ402に共感を覚えた。

 その感覚は、不思議と彼女の精神を落ち着けてくれる。

 それが何なのかは、やはりまだ言語化できない。

 いつか言語化できるのだろうかと、そんなことも考えた。

 

 

「それで、この後は予定通り?」

「浦賀までキリシマ達を迎えに行くわ、元々そのために移動してきたんだし」

「わかりました。総旗艦の次の指令があるまでは、私達も同行しましょう」

「それこそ勝手にしなさいよ」

 

 

 ふん、と鼻を鳴らす彼女の背中を見つめて、イ400は嘆息した。

 全く、このツンデレ重巡は。

 去り際に何か言いたい衝動に駆られたが、しかし思案がまとまらず、結局何も言わずにその場を去ることにした。

 まだしばらくは一緒に活動するのだから、まとまったら言えば良い、そう思って。

 

 

 そして一方で、タカオは2人が去るのを気配で察しながらも、視線は動かさなかった。

 変わらず、遥か水平線の向こう側の元()()を見つめる。

 今は静けさを取り戻しているそこには、しかしあの2艦がいたはずだ。

 もう探知していないから、何処(いずこ)に消えたか定かでは無いが……。

 

 

「……そうよ、アンタは私に沈められるべきなの」

 

 

 冷たい。

 イ404のことを話していた際には僅かにあった温かさが、そこには微塵(みじん)も感じられなかった。

 冷然と、冷酷で、そして冷徹で、そうした感情を煮詰めたかのように熱い。

 瞳も、機械的と言うには聊か熱を持ち過ぎている。

 

 

()()()()

 

 

 憎い、嗚呼、これが憎悪の感情か。

 怒り、嗚呼、これが憤怒の感情か。

 憎悪と憤怒、タカオが実装した2つの感情は、彼女を苛んで離れることが無い。

 その不快感を払拭する唯一の方法を、タカオは本能的に察していた。

 

 

「よくも、(マヤ)を」

 

 

 叩き潰す。

 完膚(かんぷ)なきまでに、完璧に、完全に、叩き潰す。

 撃沈し、轟沈し、蹂躙し、殲滅し、破壊し、掃滅し、この世界から消滅させる。

 そうして初めて、この不快感は雪ぐことが出来るのだろう。

 

 

 いや、イ401だけでは飽き足らない、乗せている人間(ユニット)もだ。

 確か、何だったか、イ404の艦長と併せて兄妹で艦を率いているのだったか。

 キリシマのアップロード情報によれば、イ404の艦長は()()()()()()()()()と言う。

 ならばイ401の艦長は、自然、残った1人と言うことになるだろう。

 そう、情報によれば、名前は。

 

 

「……()()()()……」

 

 

 その名前を、口の中で転がすように口にする。

 今は名前を口にするだけだが、今に見ているが良い、とタカオは思った。

 近い内に、喰っ(たおし)てやる。

 せいぜいそれまで、誰にも倒されずに生き残っていれば良い、と。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 超重力砲の出所がタカオだと知らされると、流石の群像も意外そうな顔をした。

 しかし納得もしたようで、何度か頷いていもいた。

 

 

「まさか、霧に助けられるとは思わなかったな」

「霧も一枚岩では無くなってきた、と言うことかもな」

 

 

 杏平にそう応じつつ、自分の言葉に自分で考える所もあった。

 霧も、一枚岩では無い。

 イオナのことを思えばそれは不思議なことでは無い――何故か、イオナは霧のネットワークに今も繋がっているようだが――が、今回はそれとは意味が違う気もした。

 

 

「艦長、敵艦よりメッセージです」

「何だ?」

「……『貴殿らの勇戦に敬意を表す。再戦の日まで壮健なれ』、以上です」

 

 

 静の読み上げたメッセージに、苦笑する。

 今の戦闘で勇戦の部分は碌に無かった、だからこれは過去の自分達の戦績に対するものだろう。

 要するに、「ずっと見ていた」と言う意味も含んでいる。

 自分達はそれに気付かずのうのうとしていたわけだ、そしてもう1つ。

 

 

「オレ達以外にも、霧を手にした者がいる」

 

 

 今回の戦いは、事実上の敗戦と言って良いだろう。

 奇襲を許したこともそうだが、イ404を餌に誘き出されたこともそうだ。

 今後のことを考えるのであれば、これは考慮しておくべきことだ。

 自分の甘さに付け込んでくる、そう言う敵もいるのだと言うことだ。

 

 

 そして今回の敵は、明らかに人間が乗っていた。

 過去の霧ならば、イ404はとっくに沈められていたはずだ。

 それをせずに自分を誘き寄せ、そして先のメッセージ。

 相手は、どうやら自分のことを良く知っているようだ。

 

 

「どうしますか、艦長」

「艦内の状況を確認してくれ。それからイ404の応急措置が済むのを待って、本拠地へ向かう」

 

 

 いったい、何者の意思か。

 こうまで自分の、自分達のことに詳しい者と言うと、そうはいないはずだが。

 考え込んでみても、埒の無いことではある。

 

 

「『ヒュウガ』と合流するぞ」

 

 

 しかしそれでも、考え込んでしまうのだった。

 いったい何者が、自分達にU-2501を差し向けたのか、と。

 いったい、何者が……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――その海は、曇天が多い。

 しかし灰色にも見える海においても、その()()は隠しようも無い。

 全長250メートルを超える暗い色合いの艦体が、曇天の海を進んでいた。

 

 

「……お父様?」

 

 

 その甲板の上を、1人の少女が歩いていた。

 ブーツを履いているようだが、不思議と足音は聞こえない。

 薔薇のコサージュを彩った白の帽子(シャープカ)とコート、小さな体躯を覆うそれらは、透き通るような白い肌を持つ少女を一層神秘的に魅せていた。

 未だ俗世の穢れを知らぬ、無垢なる乙女――――少女を一言で表現すると、そんなイメージだった。

 

 

「お父様」

 

 

 どこかこの世のものとは思えないような、超然とした雰囲気を持つ少女。

 しかしその声音はどこまでも優しく、それでいてからかうような、甘えるような雰囲気があった。

 そんな彼女の視線の先には、舳先に程近い甲板に立つ壮年の男性がいた。

 黒いコートを海風にたなびかせた、顎鬚とバイザーが目を引く男だ。

 

 

 少女の声は聞こえているだろうに、彼は振り向くことをしなかった。

 どこまでも続く曇天の空と灰色の海、その間に広がる水平線の彼方を見つめていた。

 何かを、考えているのだろうか。

 何かを考えているのだろう、何故ならば。

 

 

 

 ――――何故ならば、それが人間なのだから。

 




最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。

やはり兄を倒すには、妹を人質にするのが有効だと思います。
私も兄ですからね、兄の弱点は知り尽くしているのですよ(え)

それはそれとして、群像達の本拠地についたら、いよいよあれですね。
水着回です(コンゴウ様です)
……あ、本音と建前が。
ところで水着回を変換しようとしたら「見ず議会」になったんですけど、何の暗喩でしょうね。

それでは、また次回。

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