蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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Depth017:「硫黄島包囲戦・中編」

 また、艦が大きく揺れた。

 医務室で待機していた良治は、シートに座ったまま息を吐いた。

 外の様子がわからない――ナース姿の三頭身スミノ達に聞けばわかるが、特に聞いたことは無い――ため、衝撃がある度におっかなびっくりである。

 

 

「やれやれ、今回はいつもより長丁場になりそうだなぁ」

 

 

 実の所を言えば、戦場において良治の出番はあまり無かった。

 むしろ自分の出番がある時はクルーの誰かが負傷した時なので、出番が無い方が良いとすら考えていた。

 それには短期決戦が1番だ、長丁場の戦闘はそれだけ良治に緊張を強いる。

 何しろいつ何時呼ばれても最善の行動が出来なければ、クルーの生命に関わる。

 

 

 とは言っても、とにかく今の所は良治の出番は無い。

 そのため、彼は比較的落ち着いた時間を過ごせていた。

 今は医務室で待機すると共に、珍客と言うか密航者と言うか、保父よろしく1人の女の子の面倒を見ているところだった。

 

 

「蒔絵ちゃん、大丈夫かい?」

 

 

 実際、良治は本気で心配していた。

 何しろ、戦闘中である。

 なかなかのお転婆娘のようだが、流石に戦場の真っ只中と言うのは厳しいだろう。

 何と言っても、まだ子供なのだから。

 

 

「…………」

「蒔絵ちゃん?」

 

 

 そして当の蒔絵はと言えば、良治の隣で大人しくシートに座っていた。

 シートは床に固定されており、シートと身体はベルトで固定されている。

 最初はわーわーと騒いでいたのだが、今では黙り込んで俯いてしまっていた。

 いっそのこと睡眠薬で眠らせることも考えたが、健康な子供を相手にそんなことを躊躇無く行える程、良治は良識を捨ててはいなかった。

 

 

「……の……い……」

「蒔絵ちゃん、大丈夫かい?」

 

 

 良治の言葉にも顔を上げずに何かをぶつぶつと呟いているとなれば、心配にもなる。

 だから良治が蒔絵に近寄ったのは、医者と言う立場からしても自然なことだったろう。

 しかし、彼にとって不運だったことが3つある。

 

 

「蒔絵ちゃ」

 

 

 第1に、刑部蒔絵の調()()()()()身体が大人顔負けの瞬発力を備えていたこと。

 第2に、彼女自身が理化学分野の知識を豊富に持ち、睡眠薬や麻酔薬の扱いに長けていたこと。

 そして第3、おそらくはこれが最も重要であっただろう。

 

 

「ごめんね、お兄さん」

 

 

 蒔絵の行動を逐一見ているはずのスミノが、それらの報告を一切していなかったことだ。

 何故なら、蒔絵の行動を逐一報告するよう()()()()()()()()から。

 イ401ではまず起こらないだろうその事態は、残念ながら、イ404では起こり得るのだった。

 艦長と艦の間に信頼と献身が芽生えない限り、何度でも。

 だから今回の事態も、スミノは聞かれない限り報告などしないだろう。

 

 

 蒔絵がイ404の薬品棚や倉庫から麻酔薬をちょろまかしていたことも、そして良治を昏睡させて医務室を出て行ったことも報告しないだろう。

 そのくせ、蒔絵に「良治をベッドに」と言われればこれに素直に従っていた。

 そしてこの行動がイ404、そして千早紀沙の運命を決定付けることになるだなどと……。

 

 

 ――――この段階では、スミノですら予測し得なかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 イ401からの全ての信号が途絶した。

 その報告がスミノの口からもたらされた時、発令所は沈黙をもってそれを迎えた。

 そしてその沈黙は味方が撃沈されたと言う衝撃よりも、ある種の懸念、あるいは興味によってもたらされた部分が大きい。

 

 

「…………」

 

 

 すなわち、自分達の艦長(きさ)の反応である。

 イ401には当然のこと、紀沙の兄である群像が乗っていた。

 そのイ401の撃沈はとりもなおさず彼の死を意味する、水上艦と違い脱出の可能性は低い。

 そして紀沙は、兄である群像に酷くこだわっていた。

 

 

 それこそ軍規よりも使命よりも、理不尽よりも過去の行いよりもだ。

 何よりも優先していたと言って良い。

 より直截的に表現するのであれば、兄を霧から()()()()ことに全てを賭けていた。

 その紀沙がこの事実を前にどう言う反応をするのかが読めず、緊張が走ったのだ。

 

 

「艦長殿?」

 

 

 そして、最も関心を持って様子を窺っていたのがスミノだった。

 

 

「ボクはどうすれば良いのかな、指示をおくれよ」

 

 

 言いつつ、その両の瞳は見開かれて紀沙から離れない。

 紀沙は少し俯き気味で艦長のシートに座っており、前髪で隠れて表情を窺うことが出来ない。

 だがスミノの眼は人間の体温・発汗・動悸等を正確に見て取ることが出来る、異変があればすぐに察知することが出来る。

 

 

 だから紀沙の身体、そして心に動きがあれば、そこに如実に表れるはずだった。

 それを見逃すまいと、スミノは紀沙から視線を逸らさない。

 さぁ、この人間は次に何と言うのだろう?

 攻撃? 逃走? 気を失うのだろうか? 我を失うのだろうか?

 あるいはやはり、自分の存在を無視するのだろうか?

 

 

「――――艦長殿?」

 

 

 笑みを隠すことなく、ひょこっと自ら紀沙の前に回る。

 それはどこか子供じみているが、考えていることは子供とはほど遠い。

 

 

「…………」

 

 

 しかしそれに対して、紀沙は一切の反応を返さなかった。

 その代わり、左手をシートの肘掛けからゆっくりと上げた。

 震えも無く、極めてスムーズな動きだった。

 スミノだけで無く、発令所のクルー全員が固唾を呑んでその動きを見つめていた。

 

 

 そしてその手は、紀沙自身の髪に触れた。

 正確にはリボンに触れて、紀沙は器用に片手で髪をまとめているリボンを解いてしまった。

 いつか言ったように、紀沙の髪質は外への跳ねが強い。

 だからリボンを解いてしまうと、濃い黒色の髪はピンピンと立ってしまう。

 ハリネズミを思わせると言えば、言い過ぎだろうか。

 

 

(――――なんだ?)

 

 

 髪を解く、行動としてはそれだけだ。

 それだけのはずなのに、スミノはそれだけでは無い何かを感じた。

 身体的な異常は何も無い、いつもの紀沙がそこにいるだけだ、それなのに。

 それだけでは無い。

 

 

「――――どうすれば良いか、だって?」

 

 

 ()()()()()

 そんな気分だけの、立証不可能な感覚を抱いてしまう程に。

 スミノは、この世に生じて初めて肌が粟立たつ(ぞくりとする)のを感じた。

 長い前髪が鬱陶しげに揺れる中で見せる表情は、()()

 

 

「どうして、そんなことを聞くの?」

 

 

 そこには、何も無かった。

 

 

「イ401からの信号が全て途絶えた。これは状況の変化と言うやつじゃないのかな? ボク達は今、まさに敵中に孤立して」

()()()()

 

 

 ただし、声は固かった。

 

 

「関係ない、そんなこと」

 

 

 何が、関係ないと言うのか。

 にわかにはスミノには理解できなかった。

 だが彼女は、すぐにその言葉の意味を知ることになった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ナチがイ404の姿を捉えたのは、衛星砲が発射された1分後のことだった。

 その直後、彼女から通報を受けたアシガラとハグロが動いた。

 

 

「見つけたぞハグロ、404だ!」

「いちいちそんな大声出さなくても、わかってるよ」

 

 

 どちらも重巡洋艦、そしてメンタルモデル保有の霧の艦艇である。

 アシガラは長い黒髪に狼を模した髪飾りをつけた少女、ハグロは小柄な赤毛のツインテールの少女の姿をしていた。

 2人ともヒエイやミョウコウと同じデザインの制服を着ているが、ハグロが乾いているのに対して、アシガラの服は湿り気を帯びていた。

 

 

「ハグロ、もう一度仕掛けるぞ!」

「はいはい、攻撃のタイミングは任せるよ」

 

 

 呆れた顔でハグロが見送る中、アシガラは勝気な顔で海中へと飛び込んだ。

 文字通り、艦艇ごと潜行したのである。

 しかもフィールドも張らずに飛び込むものだから、海水をもろに全身に被っている。

 ちなみに霧の水上艦が潜行すると超重力砲と魚雷以外の武装が使えなくなるので、霧でも潜水艦以外が戦闘中に潜行することは稀だ。

 

 

 しかし、対潜水艦戦においては意外と理にかなった戦術だった。

 潜水艦との戦いで最も警戒すべきは見失うこと、だから自ら潜行して追いかけるのは悪い選択肢では無い。

 特にアシガラは1隻で戦っているわけでは無いから、成功する可能性は十分にあった。

 

 

「ぜんばんばっびゃっ!!」

 

 

 ガボガボと空気を吐き出しながら、アシガラは海中を直進した。

 夜の海は暗いが、彼女の「目」にははっきりと敵の姿が見えていた。

 海底を這いながら全速で航行するイ404、そこへ向けて撃てる魚雷を全て撃った。

 補給の心配はいらないので、遠慮なく撃てる。

 

 

 放たれた魚雷は寸分狂わずイ404に殺到し、命中するかに見えた。

 しかしその直前でわずかにズレ、直撃はせずに至近弾となった。

 何事が生じたかと思って良く目を凝らせば、アシガラのいる層とイ404のいる海底の層との間に、微妙な温度の差があることに気付いた。

 

 

「えんぼんべき!? ぢょうびゅう!?」

 

 

 余りイメージしにくいかもしれないが、海中と言えど単一の流れになっているわけでは無い。

 むしろ複雑な水の流れが幾重にも重なっており、それらの潮流がいくつもの層となっているのだ。

 だから魚雷を撃つ際にもそうした層を計算に入れる必要があるが、この計算は非常に難しい。

 今回、アシガラの魚雷が微妙に外れたのはそのためだった。

 

 

(アクティブデコイ!?)

 

 

 しかし至近弾は至近弾、ノーダメージとまではいかない。

 そう考えて追撃を、と言うところで、煙の中から飛び出て来るものがあった。

 数は2つ、アクティブデコイだった。

 しかも2隻とも、アシガラに向かってきていた。

 

 

 一瞬、アシガラが困惑の表情を浮かべる。

 普通、デコイを出すならアシガラの進行方向と逆方向に進ませるのではないだろうか?

 それを自分に向けてくると言うのは、いったいどういうことだろう。

 そうこうしている内に、2隻のアクティブデコイはどんどん増速している。

 

 

「ええいっ、べんぼうっ!」

 

 

 面倒だから、全て撃沈してやる。

 そう判断して自らも増速をかけた次の瞬間、アシガラは表情を引き攣らせることになる。

 何故ならば、破壊しようとしたアクティブデコイが全て自爆したからだ。

 具体的には、デコイの中に仕込まれていた侵蝕弾頭魚雷の爆発と言う形で。

 そして増速をかけた以上、その爆発と侵蝕反応の中に自分から――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 アクティブデコイの自爆戦法か。

 報告を伝え聞いただけだが、コンゴウはすぐにそう判断した。

 無為に自己を損失させる方法は、霧の考え付くところでは無い。

 

 

「先入観と言うやつだな、デコイだからと言って囮にしか使えないと決まったわけでは無い。千早群像と401の方が手強いかと思っていたが、思い切りの良さでは千早紀沙と404の方が上かもしれんな」

「千早紀沙? キリシマの報告では、404の艦長は千早群像の方では?」

「それはキリシマの勘違いだろう。あるいはキリシマとの戦いの時には入れ替わっていたかだ。2年前に401が活動を始めて以後、千早紀沙は日本国内にいた記録が残っている」

 

 

 奇抜な策だが、奇策はそう何度も通用しないからこそ奇策と言うのだ。

 今回のアクティブデコイの自爆戦術も、要はアウトレンジから撃ち抜いてしまえば良い。

 いくつかの対策を共有ネットワークに上げる――敵はおそらくイ404のメンタルモデルを通じてそれを知るだろう、それだけで牽制にもなる――と、コンゴウは空を睨んだ。

 

 

 軌道上にはコンゴウがコントロールする衛星砲があるはずだが、肉眼では流石に捉えることはできない。

 しかし、コンゴウの眼には確かに見えている。

 次のチャージの終了までの予定時間を正確に数えながら、コンゴウは対イ404の戦術を組み立てていた。

 

 

「404の過去の戦術から察するに、奴は格闘戦に長けている。こちらに肉薄するまでのタイミングの取り方が異常に上手い」

 

 

 思えば、ナガラの時もそうだった。

 あれがイ404が霧と戦った最初の例だったが、あの時もイ404はナガラに格闘戦を仕掛けた。

 霧として通り一辺倒の対応しか出来ないナガラでは、対処できなかっただろう。

 

 

「つまり奴は今、私に肉薄する隙を窺っている――――いや、来たな」

 

 

 ぎ、と瞳の虹彩を輝かせて、コンゴウは海を睨んだ。

 その水面下、彼女のソナーが2隻のアクティブデコイの姿を捉えたのだ。

 いずれも精密なコントロールがされているが、半プリセットの動きでは隠れきれるものでは無い。

 

 

「衛星砲射撃のために輪形陣を解いた所を狙ってきたか、だが」

 

 

 その次の瞬間には、コンゴウの対潜弾が海面に降り注いでいた。

 それらは寸分違わずに海中のイ404のアクティブデコイに直撃し、爆発した。

 やはり侵蝕弾頭を仕込んでいたのだろう、侵蝕反応を見せて爆発していた。

 そしてその爆発の陰に隠れて、また2隻。

 

 

「同じ手を何度も……アクティブデコイの残弾の数だけ繰り返す気か?」

 

 

 流石に呆れて、しかし迎撃の手は緩めなかった。

 あくまでもアウトレンジでデコイを破壊し続ける、近付けさせない。

 ただしここに来て、弊害も感じ始めていた。

 デコイの中に魚雷が仕込まれているため、海中が騒がしくなってしまっているのだ。

 こうなって来ると、流石に鬱陶しい。

 

 

「だが、我が包囲網はお前を捉えつつあるぞ?」

 

 

 一度ばらけたコンゴウの艦隊は、彼女の航路データに従って戻って来つつある。

 つまりコンゴウを中心に輪形陣を再編しているわけで、特にヒエイ・ミョウコウ・ナチの3隻の追跡をかわせるものではあるまい。

 時間が経てば経つ程、イ404は不利になっていくのだ。

 

 

 そして、その時だった。

 コンゴウは、己の真下から何かが急速に浮上してくるのを察した。

 それを察した時、コンゴウは艦体側面からエネルギーを噴射し、通常の戦艦では不可能な速度で艦を左へと横滑りさせた。

 高速戦艦の名は伊達では無い、この程度の動きは造作も無いことだった。

 

 

「スズヤを沈めた手か、不意を打ったつもりだろうがそうはいかんぞ」

 

 

 直前までコンゴウがいた場所の海面が盛り上がり、イ404の艦首が顔を覗かせた。

 それを視認するよりも早く、コンゴウの主砲がそちらへと向けられていた。

 そしてこのタイミングでコンゴウに格闘戦を仕掛けると言うことは、あれこそが本物のイ404。

 

 

「これで終わりだ、404」

 

 

 言葉の通り、コンゴウの主砲が轟音と共に放たれる。

 もはやビーム兵器と形容した方が良いだろうそれは、確実にイ404の艦体を貫き――――。

 そして、甲高い叫び声を上げた。

 

 

 音響魚雷だ。

 

 

 それもデコイだったのだ、しかも今度は音響魚雷を仕込んでいた。

 ただでさえ喧しい音響魚雷が目の前で炸裂すれば、いくら聴覚に頼らない霧と言っても顔を顰める。

 それが少女のヒステリックな叫びに聞こえたと思うのは、いささか詩的に過ぎるだろうか。

 つまり、コンゴウのソナーが一瞬とは言え切れる瞬間が生じたのである。

 

 

『アクティブデコイは全部撃ち尽くしたよ、コンゴウ』

「――――!」

 

 

 そして、今度こそ本物。

 艦尾のエンジンから炎を撒き散らしながら、本物のイ404が飛び出して来た。

 コンゴウの、()()()()

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 艦内の空気を外に泡に変えて艦体を覆い、海水との間の摩擦を極限まで減らす。

 そしてエンジンのリミッターを解除して最大出力、通常ではあり得ない速度で海面へと飛び出した。

 白鯨のスーパーキャビテーション航行システム、その真似と応用である。

 

 

「潜水艦が、飛んだ……!?」

 

 

 その様子は、コンゴウを直衛していたヒエイからも見えていた。

 まるで獲物を狙うシャチのように、イ404がコンゴウに飛びかかる。

 それは、ヒエイの考える格闘戦の範疇(はんちゅう)には入っていなかった。

 無音航行であそこまで高速で移動できるとは、イ404のスペックは霧側が持っているイ400型潜水艦とは、もはや根本的に違うと言うのか。

 

 

「――――驚いた?」

 

 

 発令所で、紀沙の呟きだけが響いた。

 潜水艦が宙を飛んでいるのである、他に音が無いはずが無い。

 そのはずなのに、不思議とその声は良く通った。

 

 

 コンゴウを直衛していたヒエイとミョウコウの間を抜けて、肉薄した。

 そのつもりが無くとも2隻の重巡の周回にはパターンがある、そこを突いた。

 発令所の中、戦略モニターに映る黒い巨艦を見下ろす。

 

 

「所詮、お前らは教科書(パターン)でしか戦術を練れない」

 

 

 だから、正面から不意を突かれる。

 その呟きは淡々としていて、何かの感情が乗っているようには見えない。

 一方で長くばらけた黒髪の間から、峻烈な色を浮かべた一対の瞳が覗いていた。

 

 

「でも、それで良い」

 

 

 お前達は、そのままで良い。

 そのまま。

 

 

「そのまま、沈め(しね)……!」

 

 

 足元から、鈍い衝撃が来た。

 イ404の艦体が、アクティブデコイの自爆と音響魚雷の至近での炸裂によろめくコンゴウに圧し掛かった。

 コンゴウもフィールドを張り、直接の体当たりを受けることだけは防いだ。

 フィールドの展開速度は流石に大戦艦、ナガラやスズヤ達とは演算力が違う。

 

 

 良し、と、それを見たヒエイは安堵した。

 演算力の勝負ならば巡航潜水艦では大戦艦の相手にならない、コンゴウならば押し切れる。

 だからヒエイは自らの艦体の装甲をスライドさせ、超重力砲の発射体勢に入った。

 コンゴウがイ404を弾き飛ばしたら、それに合わせて砲撃するつもりだった。

 旗艦装備を使用しているコンゴウは、元々持っていた超重力砲を外している状態だからだ。

 

 

「ヒエイ、違う! 下だ!」

「え……」

 

 

 コンゴウの周囲で、水柱が上がる。

 雷撃だ。

 足元を通り抜け、コンゴウの周囲に魚雷が殺到したのである。

 

 

「馬鹿な、どこから!?」

 

 

 完全に不意打ちだったが、それでもコンゴウは対応して見せた。

 クラインフィールドの展開範囲を広げ、艦底を狙った魚雷を全て防ぎきった。

 侵蝕反応を全て中和し、自分へのダメージを全て打ち消してしまった。

 だがそれは、イ404そのものに対する防御力を落とす結果になる。

 言うなれば、正面から組み合っているところで膝を打たれたに等しい。

 

 

 それでも、コンゴウの演算力はイ404のそれを上回っていただろう。

 だがコンゴウが全方位を防御しなければならない一方で、イ404は艦底――つまり、コンゴウとの接触部分以外のフィールドを全てカットしていた。

 一点集中、コンゴウのフィールドをこじ開けるためだけに自身のクラインフィールドを使う。

 

 

「――――今! 踏み潰して(フルファイア)!」

「艦長ちゃん! 流石にヤバい、ヤバいって!」

「今しか無いんです!」

 

 

 尋常で無い揺れの中、紀沙は叫んだ。

 その目には正面、時折砂嵐で見えなくなるモニターの中のコンゴウに向けられていた。

 ()()()は表情すら変えずに、こちらを睨め上げている。

 潜水艦に圧し掛かられると言う前代未聞の事態も、足元を穿つ魚雷も、気にも留めていない。

 

 

 ただこちらを見つめていて、紀沙はそこから目を逸らさなかった。

 その冷たい美貌に、頭の中で何かがちりちりと痛んだ。

 まるで人間のようなその姿に、胸の中で何かが焦がれるのを感じた。

 そしてそれが、今の紀沙を動かしている。

 

 

「艦長! 強制波動装甲、危険域です!」

「あと少し……あと少し!」

「魚雷発射管内の温度、急激に上昇! ヤバいよ……」

「1発で良いんです! 1発だけで……!」

 

 

 まさに全身全霊、コンゴウを潰しに来ている。

 敵中に孤立しているこの状況で、大将首を獲ることにどんな意味があるのだろう。

 それよりは、いっそ逃げることを考えるべきだ。

 普通はそう考えても良いはずだが、しかし紀沙はそう考えない、何故なら。

 

 

(それが、()()()()()()()()()()!)

 

 

 スミノは、口元が歪むのを抑えられなかった。

 コンゴウを押さえて艦隊を止める、それが群像の作戦の全てだ。

 それが、紀沙を支えている。

 それだけが紀沙の理性を支えている。

 

 

(いやぁ、それを理性なんて綺麗な言葉にまとめても良いのかな)

 

 

 興味深い行動ではある。

 群像への強い信頼が、そうさせているのだろうか。

 いいや違う。

 自分は確かに言った、イ401からの信号が全て途絶えたと。

 霧であるイオナからの信号の途絶、その意味するところを理解できない紀沙では無いだろう。

 

 

(なら彼女の理性は、どこへ消えてしまったんだ?)

 

 

 いや、消えたわけでは無い。

 言ってしまえば、目を瞑っているだけだ。

 気付いているくせに、気付きたく無いが故に見ないふりをしている。

 そうしなければ、何かが崩れてしまう。

 

 

 それがスミノには良くわかっていた。

 ただ、それがどうして無意識に、あるいは意識してコンゴウへの攻撃に向かうのかはわからなかった。

 はっきりと意味が無いとわかっているのに、そう行動する意味とは何なのだろうか?

 まるで痛みを堪えるように、傷口を押さえて這い進むように。

 

 

「理解できないね、だけど」

 

 

 だけど、そんな紀沙に従おう。

 自分は彼女の艦だから、どんな愚かな行為にもついて行こう。

 その先に何があるのか、あるいは何も無いのか、スミノはそれを知りたかった。

 イ401もそうだったのだろうか、と、そんなことを思った時。

 

 

 

「――――こじ開けたよ、艦長殿」

 

 

 

 罅割れの音と共に、クラインフィールドが割れた。

 イ404とコンゴウのクラインフィールドの接触点に穴が開き、互いが互いに対して無防備になった。

 紀沙は、すかさず叫んだ。

 同じように、ヒエイも叫んでいた。

 

 

「艦隊旗艦!」

「よせヒエイ、その位置からでは艦隊旗艦に当たる!」

「しかし!」

 

 

 こじ開けたフィールドの穴から放たれたのは、2発の魚雷だった。

 侵蝕弾頭では無い、ナノマテリアル製の振動弾頭魚雷だ。

 クラインフィールドを突破さえしてしまえば、中和される侵蝕弾頭では無く、物質の固有振動数を割り出して破壊する振動弾頭の方が有利だ。

 

 

「くたばれ、化け物……!」

 

 

 紀沙は、唸るように言った。

 

 

「404……!」

 

 

 コンゴウもまた唸っていた。

 自らの身体に杭を差し込まれる感覚に顔を顰めながら、コンゴウはイ404を睨み付けた。

 その瞳には霧の意思の他に、より苛烈な何かが見え隠れしていた。

 

 

「懐に飛び込まれれば」

 

 

 振動弾頭がコンゴウの艦体表面で爆発し、主砲の1つと艦橋に痛烈な一打を浴びせかけた。

 艦のバランスが崩れかけるのを流動的なナノマテリアル・コントロールで押さえ込み、それどころか残った砲門をイ404の艦底に向けてさえ見せた。

 しかしながら、当然、この位置での主砲による攻撃はコンゴウ自身にも危険を及ぼす。

 

 

「私が撃てないと、そう夢想したかッッ!!」

 

 

 しかし、コンゴウは躊躇しなかった。

 瞳に苛烈な輝きを放ち、残った主砲の全てをイ404に向けた。

 相討ち覚悟のその一撃は、イ404が次の魚雷を放つと同時に叩き込まれた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 どうやら、シートから投げ出されていたらしい。

 艦が傾いている、最初に気付いたのはそれだった。

 

 

「う……?」

「大丈夫?」

 

 

 頭痛がして、頭を押さえながら身を起こした。

 その時、スミノに身体を支えられていたことに気付いた。

 押しのけるようにして、シートの肘掛けに手を置いて立ち上がった。

 くらくらするが、気の強さがそうさせた。

 

 

「いっててて……」

 

 

 その時、他のクルーも似たような状態でいることに気付いた。

 スミノがカバーしたのか、目立った怪我は無さそうだった。

 ただ倒れていたり、膝をついていたり、突っ伏していたりしている姿を見ると、ぼんやりしていた意識もはっきりしてきた。

 

 

 ――――自分は、何をしていた?

 はっとして、そして蒼白になり、そう思った。

 

 

「あ……」

 

 

 アクティブデコイの全てを陽動と自爆に使い、敵の索敵能力を飽和させた。

 時間差で航走するよう設定した魚雷群で、不意打ちを喰らわせた。

 その上で、いわばシャチ戦法とも言うべき突撃を敢行した。

 結果としてコンゴウに致命打を与え、戦艦としての戦闘力を失わせた――――だが。

 

 

「痛ぅ……艦底部のソナーほぼ全損、側面は40%の損失。前部ソナーの一部でもエラー発生、探知(しごと)ができねぇ」

「……魚雷室は無事だよ、流石に壁が分厚いからね。注水装置がちょい心配だけど、装填もやれる。ただアクティブデコイを全部使っちまった上に、401から供与された侵蝕魚雷もほとんど残って無いよ」

「艦内、3ブロックに渡って隔壁を閉鎖しました。外郭に深刻なダメージを負っていますが、内郭の損傷を優先して修復します。浸水継続中」

 

 

 その代償に、イ404は重大な損傷を受けてしまった。

 硫黄島入港直前の状態よりも悪く、一時的とは言え、艦は深度を維持できずに海底へと沈んでいっていた。

 浸水は深度が深くなればなる程に勢いを増す、だから少しでも浅い深度で艦を固定しなければならないのだが……。

 

 

「艦長、機関室及び医務室と連絡が取れません」

 

 

 恋の声が聞こえているのかいないのか、紀沙は頭痛を堪えるような表情を浮かべていた。

 艦の傾きを身体で感じることが出来る状況の中で、思考が追いついていない様子だった。

 いやむしろ、加速した思考の余韻の中にいると言った方が良いだろうか。

 コンゴウに突撃を敢行した時の紀沙の指示は、果断かつ素早かった。

 

 

 コンゴウを踏み潰す、そのことだけを考えていた。

 だがここに至って、紀沙は艦の状況に思いが至った。

 自分が()()に導いたのだ、艦の皆を。

 その事実は、紀沙が自分で思っている以上に、紀沙を打ちのめしていた。

 

 

(あおいさん、静菜さん……良治君)

 

 

 気が付いたら、そんな状況になっていた。

 クルーの命を、自分の私憤のために使った。

 足元が無くなったような、浮遊感にも似た冷たい感覚を感じた。

 まさかと言う思いが、紀沙の胸中を占めていく。

 

 

「大丈夫だよ」

 

 

 そしてそんな紀沙を救ったのは、意外な存在だった。

 

 

「皆、生きてる。何のためにちび達がついてたと思ってるのさ」

 

 

 スミノだ。

 イ404はまさに彼女の体内、起きている事象は全て把握している。

 そしてちびスミノは、機関室にも医務室にも配置されていた。

 ちびスミノはナノマテリアルの集合体であって、緊急時には1番傍の人間を守るようになっている。

 

 

「ただ、機関室の損傷がちょっと酷いのかな。緊急措置で浸水は止めたけれど、出力が上がらない」

 

 

 スミノにしてみれば、ナイフで(はらわた)を抉られたようなものだろう。

 人間であれば苦悶の表情でのた打ち回っているだろうダメージも、メンタルモデルである彼女の表情を曇らせることは無い。

 一方で、だからこそ深刻なのだと言う意見もあるだろうか。

 

 

「どうしようか、艦長殿?」

 

 

 瞑目して、呼吸を整えた。

 兄さんは、と言う言葉をそうして呑み込む。

 コンゴウは、と言う言葉も同じように呑み込む。

 リボンに触れようとして、そこにリボンが無いことに気付いた。

 倒れた拍子に、どこかへ飛んでしまっていた。

 

 

 過去、繰り返し言われたいくつかの言葉が脳裏を過ぎる。

 それを、自分に言い聞かせる。

 霧に。

 スミノに心配されるなんて冗談では無い、その反骨心が紀沙の折れかけた心を支えた。

 

 

「……このまま、着底します。万が一に備えて、全員防護服とマスクを着用して下さい」

 

 

 今、紀沙にはそれだけしか言えなかった。

 浸水している中で深度を下げるのは危険を伴うが、浅深度は敵に発見される危険が高く、一度落ち着くためにも艦を固定した方が良いだろう。

 浸水については、今はナノマテリアル・コントロールで応急措置をするしか無かった。

 

 

 その時だ、発令所の扉が開いた。

 エア抜きの音と共に扉がスライドして、誰かが飛び込んで来たのだ。

 最初は良治か誰かがやって来たのかと思ったが、そこにいたのは別の人物だった。

 肩で息をして、よほど急いでいたのか髪もほつれてしまっていて。

 

 

「……蒔絵ちゃん?」

 

 

 良治に預けていたはずの蒔絵が、汗と涙でぐちゃぐちゃになった顔でそこにいた。

 その身体には、衝撃から彼女を守るために、着ぐるみのような姿になったちびスミノが巻き付いていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 大戦艦『イセ』とそのメンタルモデルは、思考していた。

 後方からコンゴウ艦隊の支援を行い、同時に日本近海の第一巡航艦隊の調整を代行しながら、ぐるりと戦場を()渡した。

 がろん、と、髪飾りの大きな鈴が音を立てる。

 

 

 メンタルモデルは長い茶色の髪に、黒地に青のフリルやリボンをあしらったゴシックドレスをまとった女性の姿をしている。

 他のメンタルモデル同様、美しいが、しかし海戦の現場には不似合いだった。

 イセは頬に指を当て、可愛らしく首を傾げた。

 

 

「……ヒュウガちゃんがいない?」

 

 

 彼女は、ヒュウガの姉妹艦(あね)であった。

 良く見ればメンタルモデルの顔立ちや雰囲気が、どことなくヒュウガに似ている。

 違う点があるとすれば目元がやや垂れ目であることと、どこか空とぼけたような表情だろうか。

 しかし緩さを残す一方で、今はやや真剣さが見え隠れする。

 

 

「401と一緒に沈んだ? まさか、そこまでお馬鹿さんじゃないわよね」

 

 

 元々、イセはヒュウガを霧に連れ戻す目的でこの戦いに参加していた。

 ヒュウガがイ401に敗れて霧を出奔してからと言うもの、イセは妹をずっと探していたのだ。

 艦体を失っている上、ヒュウガ程の大戦艦のコアが他の霧との交流を本気で絶ってしまえば、これを見つけるのは非常に難しかった。

 

 

 だからイセにしてみれば、この戦いは「非行に走った妹を家に連れ戻す」ぐらいのものでしか無かった。

 もちろん、コンゴウを始め他の霧への仲間意識もある。

 ただ、ヒュウガへの気持ちがそれよりも優先されると言うだけのことだ。

 理屈によらないこだわり、これもメンタルモデルを形成してから得たものの1つだ。

 

 

「まぁ、良いか」

 

 

 艦橋のさらに上、アンテナの上にぺたりとお尻をつけて、イセは相好を崩した。

 

 

「ヒュウガちゃんのことだから、きっと上手に隠れているんでしょう。姉さまが来ていることはわかってるくせに、本当にしょうの無い子なんだから」

 

 

 チョコレートの包み紙を開けながら――何故か、イセの周りには大量のチョコレートの缶が置かれている――そんなことを言って、イセはコンゴウの戦いの観戦へと戻った。

 実際、コアさえ無事ならどうとでも出来ると考えていたのだ。

 それに戦場に充満するナノマテリアルの回収や補給部隊の指揮も片手間に出来るようなことでは無く、彼女なりに忙しいのだった。

 

 

「あら?」

 

 

 その時、イセの横に着けてくる艦があった。

 大きな艦艇だがイセ程では無い、クラスとしては重巡洋艦に当たる。

 艦名は『アタゴ』、海中から突然に現れた彼女に対して、イセは目を丸くした。

 存在に気付いていなかったわけでもあるまいに、どこかわざとらしい挙動だった。

 

 

「『アタゴ』じゃない、ナガト麾下の艦がこんなところでどうしたの?」

「……挨拶に来ただけよ」

「挨拶?」

 

 

 アタゴ、コンゴウでは無くナガトの艦隊に所属する艦である。

 瞳の色合いが薄いことと髪が短いことを除けば、タカオに瓜二つの少女が艦橋の上に立っていて――もちろん、メンタルモデルだ――彼女は、つまらなそうな目でイセへと視線を向けていた。

 チョコレートの包み紙から目を離さずに、イセはアタゴに続きを促した。

 

 

「私は旗艦ナガトの命で貴女達の戦闘記録を取っていました」

「そう」

「でも、ナガトから命令の変更があった。だからここを離れなければならなくなりました」

「あら、そう。大変ね」

 

 

 関心が無い。

 そんな風なイセに僅かに眉を寄せて、しかし特に何も言う必要は無いと思ったのか、アタゴは目礼するだけに留めた。

 

 

「それで、どこへ何をしに?」

「東へ。……馬鹿な『姉』を迎えに」

「そう」

 

 

 そしてイセは、やはり関心を示すことなく。

 

 

「大変ねぇ」

 

 

 

 同じ台詞を、繰り返すに留めた。

 そして、包み紙を解かれたハート型のチョコレートに口付けたのだった。




最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。

うーん、今回はちょっと難しかったです。
紀沙の心理描写と言うか、内面の掘り下げが足りないのかな……?
入り込めるキャラクターの描き方はずっと課題ですが、ここ数作品は特に顕著ですね。
仕方ない、私はただ妹を優遇したいだけなんです……(え)

とにかく、今はとにかく原作突破を優先です。
それでは、また次回。

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