蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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残酷描写を思わせるシーンがあります、ご注意下さい。


Depth018:「硫黄島包囲戦・後編」

 奇妙な共通項ではあるが、霧も人と同じように、海戦で海に投げ出されれば救助を必要とする。

 戦いの中で艦体を砕かれた者は、まだ無事な他の霧に回収して貰うのが基本だった。

 

 

「ふい~、助かったよぉチョウカイ」

「(ピコピコ)」

 

 

 スズヤとクマノもその内の一部であって、彼女達はチョウカイによって回収されていた。

 厳密に言えば、まず潜水艦に海底で――コアだけの場合は移動できず、メンタルモデルも人間と同じように溺れることもある。死にはしないが――拾い上げて貰い、それからチョウカイに乗せて貰ったのだ。

 後はナノマテリアルの補給さえ受ければ、いつでも復活が可能である。

 

 

 そして救助に戦力を割き始めたと言うことは、戦闘が終わりつつあることを意味していた。

 先程のコンゴウとイ404の衝突、あれが最後の攻防になった形だ。

 コンゴウも痛手を被ったようだが、イ404も大戦艦の主砲の直撃を受けて無傷では無い。

 今はナチを中心に、海底に沈んだだろうイ404を探索している所だった。

 

 

「いやぁ、こんな戦いは17年前の海戦以来だったね!」

「(ピコッ)」

 

 

 チョウカイの甲板に置かれた座布団とちゃぶ台、スズヤとクマノはそこで向かい合って座っていた。

 ついさっきまで海面を漂っていたと言うのに、衣服はすでに乾いてしまっている。

 元々ナノマテリアルで再現しただけの衣服だから、作り直せば乾きも湿りも思いのままだ。

 そして過去形で語るスズヤの言葉が、戦いの終わりを如実に表していた。

 

 

「いやぁ、チョウカイも大変だったね~、って。チョウカイ? チョウカーイ? 恥ずかしがって無いで出てきてよ~」

 

 

 コンコン、とスズヤが甲板を叩くも、それらしい誰かは出てこない。

 その代わり、子供程の背丈の、無骨な西洋鎧(プレートアーマー)がお盆にお茶を乗せてやって来た。

 どことなく、お茶汲み人形に見えなくも無い。

 頭のヘルムに番号が書かれているそれは、いわゆるメンタルモデルの「ちび」だった。

 それに、スズヤは呆れたように嘆息する。

 

 

「やーれやれ、メンタルモデル嫌いもここまで来ると強情って熱っ!? このお茶熱ぅいっ!?」

 

 

 そんな賑やかなチョウカイの甲板上ではあるが、周囲は穏やかでは無い。

 弛緩しつつあるとは言え戦場の海、そこかしこに緊張感が漂っている。

 実際、傷ついた仲間のメンタルモデルやコアを運ぶチョウカイの周囲を囲むように、チョウカイの直衛である軽巡洋艦4隻を中心とした艦隊が航行していたのだから。

 

 

「404かぁ……」

 

 

 そして回収班に含まれていた潜水艦イ15も、その1隻だった。

 潜水艦としてはイ400型と比べると一回り程小さく、今は潜行せずに水上を航行していた。

 そのため、メンタルモデルも艦の外にいる。

 光の当たり具合で紫に映える銀髪に、蒼の瞳の少女の姿で、遠ざかっていく戦闘海域を見つめていた。

 

 

 コンゴウ達のいる海域には、海底へと消えたイ404がいるはずだ。

 他の潜水艦の仲間も捜索しているのだろうが、出来れば自分もそちらに行きたかった。

 編成時には思わなかったが、今はそう思う。

 

 

「……か、かっくいい……」

 

 

 冷たい海風が、少女の熱を冷ますように吹き抜けて行った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 刑部蒔絵の世界は、とても狭い。

 と言うより、存在しないと言った方が正しいのかもしれない。

 何故ならば彼女は造られた存在であり、しかもすでに役割を終えた道具であったのだから。

 

 

「おじいさまは、どうして私に会ってくれないの?」

 

 

 そんなものは存在しない。

 最初から、蒔絵に家族など存在しない。

 どこにもいないものを探す、何と愚かで無意味な行為だろうか。

 

 

「私が、悪い子だから?」

 

 

 ありもしないものを求める、何と滑稽な行為だろうか。

 

 

「私が悪い子だから、ローレンスの言うことをちゃんと聞かなかったから? 皆に迷惑をかけたから?」

 

 

 ひとり。

 蒔絵はひとりきりだ、唯一の例外がローレンスだった。

 だがそのローレンスも、蒔絵の行動の多くを制限していた。

 それが蒔絵自身のことを案じてのことだったのか、蒔絵以外のことを案じてのことだったのかはわからない。

 

 

「でも、私、ちゃんと作ったよ? 振動弾頭、作ったよ?」

 

 

 蒔絵は天才だ、紛れも無く。

 そう造られたのだから当然だが、とにかく人類随一の頭脳を持っていた。

 他の誰にも出来なかった振動弾頭、霧に対して有効な兵器の開発をほぼ独力で行った。

 完遂した、ひとりきりで。

 

 

 辛くなかったと言えば嘘になる、苦しくなかったと言えば嘘になる。

 造りたくなかったと言えば、嘘になる。

 それでも造った、役割さえ終えれば明るい未来があると信じていた。

 けれど役割を果たして、その先にあったものはさらなる孤独だった。

 

 

「なんで? ねぇ、なんで? なんでこんなことになっちゃうのかなぁ……」

 

 

 ついには、蒔絵はボロボロと涙を零し始めてしまった。

 なんで、どうしてと、何かを恨み、嘆くように。

 寂しいと、全身で叫ぶように。

 我が身の理不尽の理由を求めて、蒔絵は泣いていた。

 

 

 けれどそれは、最初からそう定められていたことだ。

 定め――運命(さだめ)だ。

 決まっていること。

 それを知らないのは本人ばかり、何と愚かで、無意味で、滑稽で――――……。

 

 

「ぜったい」

 

 

 ……だからこそ、他人事には思えなかった。

 放っておけなくて、本当はいけないことだとわかっていても艦に置いた。

 兄が白鯨での送還を提案しても、消極的ながら反対した。

 

 

「ぜったい、大丈夫だから。貴女のおじいさまは、私がぜったい見つけるから」

 

 

 紀沙は、蒔絵を抱き締めていた。

 目を見開く蒔絵の顔は、自分の胸に抱き込んでいて見ることは出来ない。

 けれど、衣服越しに染み込んでくる涙の熱は感じることは出来た。

 

 

「おじいさまに、ぜったいに会わせてあげるから」

 

 

 蒔絵を抱き締めているようで、実は違うものを抱いていたのかもしれない。

 紀沙の目は目の前の床では無く、どこか遠くを見ているようにも思えた。

 

 

『兄さん、父さん、どこに行ったの? 寂しいよぉ、母さん……』

 

 

 抱き締めているのは、あの日の自分であったのかもしれない。

 あの時、誰にも抱き締めて貰えなかった、自分自身を。

 

 

「無理かもしれないけど。でも、信じて……いつか、ぜったい、貴女の大好きな人に会えるって」

「…………」

 

 

 蒔絵は、紀沙のことを良く知らない。

 信頼する理由は何も無かった。

 だが自分を抱き締める力強さと、それとは逆に震えている声を聞いて、何か感じる所はあったのだろう。

 

 

「信じて、お願い」

 

 

 ゆっくりと、蒔絵は紀沙の背中に手を回した。

 薄暗い、海の底で。

 そして、霧の艦艇による攻撃の爆発が、続いている中で。

 死が迫り来るその世界で、紀沙は蒔絵を抱き締め続けてた――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ナチがイ404の位置を特定したのは、コンゴウとの接触から10分後のことだった。

 もう逃がさない。

 耳に手を当てるような仕草をして、ナチは強くそう思った。

 

 

「この異音。エンジンに異常があると見て間違いない、艦隊旗艦の攻撃は確かに効いていたんだわ。だけど……」

 

 

 そこでナチは表情を弱めて、コンゴウ艦隊の中心を見つめた。

 黒煙が見えるのは、コンゴウの艦体が酷い損傷を受けているためだ。

 イ404の攻撃もさることながら、自分へのダメージを厭わずに放った主砲の威力のせいだ。

 あれは、苛烈と言う言葉でも足りないくらいに苛烈な対応だった。

 

 

「艦隊、本艦より距離を取れ」

 

 

 そしてナチから「イ404発見」の報を受けたコンゴウは、即座に衛星砲の発射体勢に入った。

 当然、周囲は止めた。

 ナチの報告が正確なら――当然、それは正確無比である――イ404は機関に不調をきたしている。

 何もわざわざ旗艦装備を使わなくとも、撃沈は容易いと思ったのだ。

 

 

「決闘なのだ、これは」

 

 

 焼けた甲板の上で、止めるヒエイにコンゴウはそう言った。

 外見だけでは無い、艦の内部にも深刻な損傷を受けているようだった。

 傷つくことの無いメンタルモデルの身体も、煤と油で汚れてしまっている。

 そしてコンゴウは、自分とイ404との戦いを決闘と表現した。

 

 

 イ404の突撃を受け止める最中(さなか)、コンゴウは不思議な感覚を得ていた。

 昂揚感、一言で言えばそうなるだろう。

 思いもよらない方法で自分に肉薄してきたイ404に、コンゴウは肌が粟立った。

 計算とも観察とも違う感覚に、コンゴウは戸惑っていた。

 

 

「だからこそ、私の手で討つ。それでこそ意味があるのだ」

 

 

 意味、以前であればそんなことは考えなかっただろう。

 以前の自分と今の自分、そのギャップにちりちりとした鈍痛を感じた。

 だがそれは、イ404との交錯でメンタルモデルが受けた衝撃の反動と決め付ける。

 その上で、コンゴウは手の中のグリップスイッチを掲げた。

 

 

「さぁ、今度こそ最後だ……!」

 

 

 天から、裁きの雷が落ちてくる。

 雷鳴にも似たその輝きは夜空を引き裂き、真昼の如く照らし出した。

 そしてイ404の側でも、スミノを通じてそれを察知していた。

 旗艦装備の発動、撃つ前からそれは伝わる。

 

 

「回避のしようが無いね」

 

 

 スミノは特に感慨も無さそうにそう言った。

 着底した状態のイ404に回避する術は無い、彼女としては事実を述べただけだ。

 命と言う概念を持たないスミノにとっては、己の消滅すら感慨が湧くものではないのだろう。

 しかし、当たり前だが他のクルーにとっては違う。

 

 

「く……!」

 

 

 蒔絵を抱き締めたまま、紀沙は呻いた。

 回避のしようが無い、避けようのない死がすぐそこに迫っているのを感じる。

 霧、結局は勝てなかった。

 ことここに及んでしまえば、もう出来ることは無い。

 

 

 永遠とも思える一瞬、紀沙はこの2年間を想った。

 兄が霧の潜水艦と共に出奔してからの2年間。

 学院を卒業し、統制軍に入り、北に拾われ、イ404の艦長になるまでの2年間。

 その終わりが、こんな形で訪れるのか。

 

 

「こんな、ところで」

 

 

 憎い。

 霧が憎い。

 自分から何もかもを奪い、今は仲間(クルー)も、そして自分自身すら奪われようとしている。

 視界が真っ黒になる程に憎く、憎く、憎くて――――ただ、悔しかった。

 

 

(……畜生)

 

 

 悔しさの中で目を閉じて、紀沙はただ蒔絵の温もりだけを掻き抱いた。

 やがて訪れるであろう衝撃と恐怖から、ほんの少しでも守ろうとするかのように。

 そして、その時が訪れる。

 ――――はず、だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 足元がぐらりと揺れるのを、コンゴウは確かに感じた。

 衛星砲を放とうとしたまさにその瞬間のことで、虚を突かれたと言って良かった。

 

 

「――――何?」

 

 

 メンタルモデルが疑問を口にする頃には、コアがすでに答えを得ていた。

 まず巨大な重力波を感知した、これまで感じたことも無い大きな物だ。

 次いで、海が割れた。

 重力子フィールドを応用した対物障壁だ、直下から浮力を得るべき海水が消えていた。

 

 

 コンゴウは落下しそうになる自身を、クラインフィールドの力場を形成して固定した。

 しかし、大戦艦の質量である。

 コンゴウは航空機のように飛行できるわけでは無い、空間に、つまりその場に自身を固定するのが精一杯だった。

 

 

「艦隊旗艦!!」

「私に近付くな!」

 

 

 ヒエイの絶叫、自分から離れるよう命じた。

 コンゴウのコアは、自分が陥っている状況を正確に認識していた。

 超重力砲による狙撃、狙いは自分だ。

 超重力砲を撃つ時に海が割れるのは、その間にあるものを全てを照準(ロック)しているためだ。

 いわゆるロックビームと呼ばれているもので、これに捕えられると厄介だ。

 

 

「超重力砲――401か? どこからだ!?」

 

 

 瞳の虹彩を輝かせて、コンゴウは彼方を見た。

 数十キロ先、反応を消してからずっと移動に費やしていたのだろう。

 だがそんな距離から超重力砲を撃ったところで、ここまでの出力は出せないはずだ。

 いや、そもそも衛星砲の直撃を受けて確かに撃沈したはずだ。

 

 

「あのタイミングで回避できるはずが。いや、それよりもこの超重力砲の出力は」

 

 

 だがコンゴウの眼は、自身に超重力砲を向けるイ401の姿を確かに捉えていた。

 どういう理由かは不明だが、イ401は健在だったのだ。

 間に合わない。

 コンゴウのコアは冷静に判断していた、この超長距離の重力砲は回避することが出来ない。

 

 

 だが、あれは何だ?

 イ401が超重力砲を展開しているのは当然として、左右に見たことも無い2隻の艦がいた。

 タナトニウム反応からナノマテリアルを使用した艦だとわかり、細長く中心に砲筒のような物が見える艦形から砲艦だとわかった。

 ――――重力子機関内蔵の砲(オプション)艦か!

 

 

「ヒエイ!」

 

 

 そしてそれに気付いた時、コンゴウは己の運命を悟った。

 この状況下でも、コンゴウは自分のすべきことを見失わなかった。

 側近とも言うべき艦に、姉妹艦(いもうと)に対して伝えるべきことを伝えた。

 

 

「私に万が一の時は、お前が艦隊の指揮を――――」

 

 

 そして次の瞬間、蒼の輝きがコンゴウの視界を焼いた。

 今度は、間違いなく。

 衝撃と共に、戦場が引き裂かれた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 完璧だ、ゾルダンはそう思った。

 ロムアルドの前で無ければ口笛を吹いて拍手していたかもしれない、それ程に見事な展開だった。

 

 

「結局、戦闘には参加せずに終わったねぇ」

「そう残念がるな、面倒事は避けられるに越したことは無い」

(1番残念がってるのは、自分のくせにさ……)

「何か言ったか?」

「いーえ、何も?」

 

 

 U-2501は、イ401・イ404とコンゴウ艦隊の戦いを少し離れた位置から観察していた。

 位置としては、硫黄島を挟んでイセの反対側である。

 もちろんそんな位置で戦況の全てを観察することは難しいが、U-2501には多くの「目」があるので、この位置からでも全体を見ることが出来る。

 

 

 だからこそ、ゾルダンには何が起こったのかを正確に知ることが出来た。

 逆にイ401側は、自分達の存在に気付いているかどうか。

 まぁ、気付かれていたとしても特に問題は無いし、気付いていないのであればそれはそれで良い。

 それでいて、気付いていて欲しいと言う思いはどこかにあった。

 

 

「ゾルダンなら、コンゴウとどう戦った?」

「仮定の話には意味が無い」

「あ、そ」

 

 

 そう言いつつも、頭のどこかではコンゴウとの戦いを想像してしまう。

 軍人の性だ、それも救い難い性質(たち)のものだ。

 

 

『艦長がコンゴウごときに敗れるはずがありません!』

 

 

 その時、幼い少女特有の甲高い声が響いた。

 スピーカーを通して聞こえたその声は、発令所の壁に埋め込まれた不思議な物体が点滅するのに合わせて聞こえていた。

 2つの突起物がついた、円形の宝石のようにも見える()()

 

 

「…………」

 

 

 返事を返さず、ゾルダンは目を閉じた。

 そして、過去をいくらか思い出す。

 ゾルダンが考え込む時にする癖のようなもので、こう言う時にはロムアルドも余計なことは言わない。

 

 

「……タカオの方は、どうなっている?」

「『ゼーフント』3隻で監視中、なかなかに面白いデータが取れてるよ。4隻分の重力子機関で合体超重力砲とか」

「あちらはあちらで、興味深くはあるな。霧の裏切り者と言うわけでは無いから、今の所は戦う予定も無い」

(やっぱ参加したかったんじゃん……)

「何か言ったか」

「いーえ、何も!」

 

 

 おどけたように両手を上げるロムアルドの背中に笑みを見せて、ゾルダンはふと何かを思い出した様子で時計を確認した。

 そして、そのタイミングでフランセットからの艦内通信が来た。

 

 

『ゾルダン、時間よ』

「ああ、わかっている」

『……聞く?』

「いや」

 

 

 ゾルダンは首を横に振った、今さら聞くことでも無い。

 それよりも彼は、今後の予定について思考を巡らせることにした。

 つまりイ401とイ404、彼らと次に相見えるべき時はいつか、と言うことについてだ。

 もちろん、彼らがそれまで撃沈されなければ、の話だが。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ヒエイが悲鳴を上げるのを、ミョウコウは聞いた。

 超重力砲発射後の巻き戻し――割れていた海が元も戻ろうとして、引き込まれる――を推力を上げて堪えながら、ミョウコウは顔を顰めた。

 

 

「ヒエイ!」

 

 

 ミョウコウの声は、ヒエイには届かなかった。

 何故ならヒエイは海水の巻き戻しも構うことなく、コンゴウが沈んだ場所へ直行したからだ。

 通信も切られていて、相当に錯乱している様子だった。

 あれでは、指揮の引き継ぎなど出来るはずも無い。

 

 

『ミョウコウ、どうすれば……!』

「ナチ、404と401はまだ捉えているか!?」

『ごめんなさい、さっきの超重力砲の影響で空間が変異していて。見失ってしまった』

「そうか……」

 

 

 イセに連絡を取るのが1番良いだろうが、巡航艦隊の指揮も執っているイセにコンゴウ艦隊の収拾を付けさせるのは困難だろう。

 他に旗艦資格を持つ大戦艦は近くにいない。

 こう言う場合にどうすべきなのか、ミョウコウ達にはわからなかった。

 

 

「……撤退する! 全艦一斉射の後、この海域から退避しろ!」

 

 

 苦虫を噛み潰したような顔で、ミョウコウは眼帯を外した。

 それはあたかもボードゲームにおける投了(こうさん)の仕草に似て、今の彼女達の心境を如実に表していた。

 旗艦の喪失と指揮権を引き継ぐべき艦の戦闘放棄、見失った敵。

 

 

 この状況下では、ミョウコウ達に他に選択肢は無いように思えた。

 ただ、ミョウコウに艦隊の撤退指揮経験など無い。

 だから他の艦に撤退ルートの指示など出来ない、個々にこの海域から離脱して貰うことになる。

 そこに付け込まれれば、相当の被害は覚悟しなければならないだろう。

 

 

「ナチ、(ハグロ)達を頼むぞ」

『ミョウコウは!?』

「私は……」

 

 

 ちらりと後ろを見やって、ミョウコウは言った。

 他の艦が牽制の一斉射を海面下に叩き込むのを横目に、ふと口元に笑みを浮かべる。

 

 

「私は、あの2人を連れていくさ。放って行くわけにもいかない」

 

 

 他の艦が対潜弾を放つ中で、一際強い輝きがあった。

 それはミサイルよりも遥かに長い射程距離を持っており、威力も比べ物にならない。

 海が割れるその一撃は、先程のイ401の一撃に酷似していた。

 

 

「ヒュウガちゃんったら、あんな物を組み上げるだなんて。お姉ちゃんも負けてられないわねぇ」

 

 

 イセが、超重力砲の発射体勢に入っていた。

 後方全体の指揮を担う彼女としては、味方の撤退を支援する意図もあったのだろう。

 超重力砲であれば、距離に関係なく撃つことが出来る。

 

 

 照準は、ナチが最期に捉えたイ404の位置だ。

 直撃するかはわからないが、完全に外れると言うことも無いだろう。

 ただこうも立て続けに大戦艦級の超重力砲を撃てば、空間に歪みの1つや2つ出るかもしれない。

 しかし、それも一興とイセは思っていた。

 

 

「1隻くらいは、沈めないとね……♪」

 

 

 だから地球への影響を省みることなく、イセは最大出力でトリガーを引いた。

 二度(ふたたび)、強烈な輝きが戦場を空を照らした。

 超重力砲の応酬、これも大海戦の時には見られなかった光景である。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 からくりは、こうだ。

 群像は、コンゴウを打倒するには超重力砲が不可欠だと考えていた。

 しかし撃とうとして撃たせてくれる相手では無い、油断させる必要があった。

 一度()()()()()と言うのは、最も有効な手段だ。

 

 

 そして、撃沈されたのはダミーだ。

 それもただのダミーでは無い、アクティブデコイを基に大量のナノマテリアルを使用して造った精巧な偽物だ。

 ユニオンコアを備えていないこと以外は、イ401そのものと言って良い。

 さらにイオナがコントロールすることで、見破られる可能性が著しく低くなる。

 

 

『ま、姉様自身がそれにかかり切りになるリスクはあったけれどね』

 

 

 『マツシマ』と言うのがその艦の名前だった、補給艦である。

 今もイ404と自身を接続して移動させると共に、ナノマテリアルを供給してイ404の修復を始めていた。

 ゆっくりと移動する感覚を足裏から感じながら、紀沙はヒュウガの言葉を聞いていた。

 

 

「た、助かったの……?」

 

 

 蒔絵の言葉は、発令所にいる全ての人間の気持ちを代弁していた。

 実際、死を覚悟しなければならない場面だった。

 そこから救われたのだから、弛緩するのが当然だった。

 

 

「あんなものを、どうやって」

『造ったのは私よ、艦長の妹さん。硫黄島で待っている間、とにかく暇だったしね』

 

 

 そしてイ401の超重力砲と連動していた砲艦、『イツクシマ』と『ハシダテ』。

 ヒュウガの重力子機関を分割して搭載した艦で、イ401と連結することで超重力砲の威力を飛躍的に高めることが出来る。

 その威力は極めて高く、あのコンゴウをも一撃で轟沈した。

 

 

 そしてヒュウガの話によれば、すでにコンゴウ艦隊は散り散りに逃げ始めていると言う。

 ヒエイとミョウコウだけが、コンゴウの沈んだ位置に張り付いている。

 戦いは終わった、紀沙はそう思った。

 心境は複雑だったが、全ては兄の作戦通りに進んだと言うことだろう。

 

 

「……彼は、まるで霧だね」

「一緒にしないで」

 

 

 スミノの呟きに、固い声を返す。

 その声の固さに、腕の中で蒔絵が小さく肩を竦めた。

 そんな蒔絵に笑みを見せて、誤魔化す。

 

 

 とにかく、戦闘は終わったのだ。

 今はそれで良い、それで良いと自分に言い聞かせた。

 今は自分のことよりも、未だ連絡が取れない他のクルーのことを気にかけるべきだった。

 そう思って立ち上がる、自分の足で医務室と機関室に向かうつもりだった。

 

 

「み……」

 

 

 スミノが、自分に触れた。

 立ち上がってクルーに声をかける、そのタイミングのことだった。

 肩を掴み、後ろに押す。

 たたらを踏んで、蒔絵の手を引いたまま紀沙はよろめいた。

 

 

 何を、と言う気持ちが大部分を占めていた。

 そしてスミノに触れられたのは初めてのような気がする、と、少しだけ考えた。

 警報が鳴るのと、横殴りの衝撃が来るのはほぼ同時だった。

 

 

「――――!」

 

 

 自分か、他の誰かが何かを叫んだような気がした。

 紀沙が考えられたのは、蒔絵を守らなければ、と言うことだった。

 衝撃があり、視界が揺さぶられ、その端で小さな爆発が起こった。

 自然と目はそちらを向く、スミノがそれに巻き込まれるのが見えた。

 

 

(……きれい)

 

 

 視界の中で、何かがキラキラと光っていた。

 全てがゆっくりと動いていく中で、紀沙はそれを綺麗だと思った。

 そしてその綺麗なものから、蒔絵を遠ざける。

 出来たのは、それだけだった。

 

 

 それ以上のことは何も出来ずに、紀沙は目を開いていた。

 強い揺れ、爆発、綺麗なもの、破片、左目、近。

 ――――ブツン、と、何かが破れる音がした。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 その放送は、全世界に同時生中継されていた。

 画面いっぱいに映る巨大戦艦を背景に、60代にさしかかろうと言う年頃の男が立っている。

 夕闇の赤色に染まるその姿は、まさに斜陽の世界を表しているかのようだった。

 

 

『この度、我がグレートブリテン及び北アイルランド連合王国は千早翔像(アドミラル・チハヤ)が率いる――――』

 

 

 イギリス首相の肩書きを持つその男は、マイクを前に淡々とした様子だった。

 目の前にずらりと並ぶマスコミ関係者やカメラに対して、聊かも気負った様子が無い。

 

 

『「緋色の艦隊(ザ・スカーレット・フリート)」と()()()()()()を締結致しましたことを、全世界に発表致します』

 

 

 安全保障条約。

 国家を軍事的脅威から守るために結ぶ条約であり、一般的に軍事同盟と同じ意味で認識されている。

 そして「緋色の艦隊」とは、霧の艦隊の一方面艦隊の名称である。

 つまりイギリスは、人類側でありながら霧の艦隊と単独講和したことを表明したのだ。

 

 

 そしてイギリス首相の隣に立つ男こそが、「緋色の艦隊」を率いる提督だった。

 バイザーで顔を隠したトレンチコートの男で、がっちりとした身体付きは英国人と並んでも遜色が無い。

 オールバックの黒髪に顎鬚、そして顔の左側に大きな傷痕があるのが特徴的な男だ。

 傍らに立つ()()()()()()の存在も、特徴と言えば特徴だったろうか。

 そして彼――千早翔像が語る言葉は、混迷の世界をさらなる混沌へと誘うこととなる。

 

 

『この度我が艦隊とイギリス政府との間に人類史上に残る条約を締結できたこと、非常に喜ばしく思います』

「……千早、お前は霧の王にでもなるつもりか?」

 

 

 ――――日本国、中央管区首相官邸。

 北は楓首相とその閣僚、そして上陰を始めとする官僚達と共にその映像を見ていた。

 最後に直に言葉を交わしたのは、もう何年前のことだろう。

 しきりにネクタイを撫でながら、北はかつてを想って呻いた。

 

 

『この安全保障条約に基づき、我が艦隊はここに誓う』

「……群像君」

 

 

 ――――日本国、伊豆諸島沖。

 横須賀を出航し、千早兄妹との合流を目指していた白鯨も、イギリスからの放送を傍受していた。

 当然のことながら、イギリスと霧が条約を結んだと言う前代未聞の事態を固唾を呑んで見つめている。

 ひとり、真瑠璃だけが掌サイズの携帯端末を神経質そうに操作していた。

 

 

『「霧の力」の下に、再び海を太平なるものにすることを。人類のさらなる飛躍を』

「何てことなの……何も起こらなければ良いけど」

 

 

 ――――東南アジア、マレー沖。

 千早翔像の演説は当然、他の霧の艦隊も見ている。

 霧の東洋艦隊に所属する巡洋戦艦『レパルス』もその1隻であり、そのメンタルモデルは実に不安そうにナノマテリアル製の箒を握り締めていた。

 

 

『今この時、この瞬間より。我が艦隊に背く者達、そしてイギリス政府とその領土国民を害する者達は』

「やれやれ、また面倒事か。イ401出現以後、霧には碌なことが無い」

 

 

 ――――オホーツク海、カムチャッカ半島沖。

 ロシア方面太平洋艦隊所属、大戦艦『ガングート』。

 メンタルモデルの彼女は甲板上に並べていたドミノの手を止めて、陰鬱そうに溜息を吐いた。

 

 

『人類、そして霧の艦隊の区別無く我が砲火の前に倒れるだろう』

「私達も標的、か?」

「レキシントン、大丈夫かしら……」

 

 

 ――――太平洋、カリフォルニア沖。

 北米方面太平洋艦隊所属、大戦艦『ミズーリ』及び海域強襲制圧艦『サラトガ』。

 彼方で霧の艦隊同士の激闘を繰り広げている仲間を案じつつも、千早翔像の演説に聞き入っていた。

 

 

『我が艦隊の最初の目的は欧州統一』

「え、嘘ぉ、やめてよ!? ミラコレ近いんだから!」

 

 

 ――――地中海、サルデーニャ島沖。

 地中海方面イタリア艦隊所属、重巡洋艦『ゴリツィア』。

 ファッションフォト雑誌を放り投げた彼女は、ナノマテリアル製のテレビ画面を掴んで文句を言った。

 千早翔像の欧州方面への介入は、彼女を始めとする欧州艦にとっては無関心ではいられないだろう。

 

 

『ヨーロッパ大戦に介入し、再びこの地に安寧を取り戻す』

「我々に出来なかったことがあの男に出来ると思うかね、中佐?」

「さて、アメリカ次第でしょうな」

 

 

 ――――ロシア連邦モスクワ、大統領宮殿(クレムリン)

 そして霧の艦隊や日本政府と同様、他の国々も様々な思惑で千早翔像とその艦隊の動向を見つめていた。

 ロシア戦略ロケット軍所属、トゥイニャーノフ中佐は、大統領の問いに淡々と答えた。

 モニターに映る霧の提督に冷ややかな視線を向ける彼に、大統領は肩を竦めた。

 

 

『「霧の力」に抑制されてこそ、初めて人類は永遠の平和を希求できるのだ!』

「あなた……」

「大丈夫、僕がついてるよ」

 

 

 ――――アメリカ合衆国ワシントン、ホワイトハウス。

 米国大統領は、大統領執務室(オーバルオフィス)で伴侶と共にそれを見ていた。

 世界最強の権力を持つ人物もまた、同盟国イギリスの状況には無関心ではいられないのである。

 最も、イギリスがはたして今もアメリカの同盟国であるのかは疑問が残るが……。

 

 

『この条約が、ひとえに我々人類の繁栄を保証するためのモデルケースとならんことを』

「……ほんとに」

 

 

 そして、いまひとり。

 おそらくは世界で唯一、全く緊張感を感じずにその放送を見ているだろうその女性は、呆れたように溜息を吐いていた。

 夜食代わりの菓子を齧りながら、気負った様子も無く。

 

 

「何してるのかしらね、あの人」

 

 

 千早翔像の妻にして千早兄妹の母、千早沙保里。

 人類を揺るがすだろうその放送を見て彼女が得た感想は、世の妻が夫に抱く感情と何ら変わるところが無かった。

 日本国北管区政府の監視と軟禁の下にありながら、彼女はそれを感じさせない、穏やかな笑顔を浮かべていた。




最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。
今回登場した読者投稿キャラクターにつきましては、以下の通りです。

大野かな恵様:イ15。

ありがとうございます。

なお最後のシーンで登場したキャラクターの内、読者投稿キャラクターにつきましては、後にちゃんとした形で登場した際に改めて投稿者等も含めて後書きにて掲示させて頂きます。
本当はもう少し登場させたかったのですが、冗長になってしまうため断念。
全ては、原作における翔像さんの演説が短いのが悪い(責任転嫁)


と言うわけで、今回で原作突破です。
近く「原作突破」及び「オリジナル展開」「オリジナル設定」のタグを作品情報に追加するつもりです。
もちろん、今後も拾える設定はなるべく拾っていこうと思いますが、たぶんどんどん乖離と言うか、飛躍していくのではないでしょうか。
ついでに言えば、原作が打ち切りにでもならない限り、僭越ながら原作よりも先に完結するだろうと踏んでいます。
※思えばネギまもインフィニットストラトスもそうでしたが。

そのため、今後は本格的にオリジナル展開に入ることになります。
今までを第一部とすれば今後は第二部になります、今後とも宜しくお付き合い頂ければ、嬉しく思います。

それでは、また次回。


P.S.
第二部構想のためと称して来週の投稿をお休みしようかと思いましたが、筆が乗ったので普通に投稿致します。
色々とやりたいこともあるので、頑張ります。

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