蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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今さらですが、本作に登場する国・組織・人物その他はフィクションです。
実在するものと関係はございませんので、ご注意下さい。


Depth001:「千早紀沙」

 ――――海。

 古来より、人類は水平線の果てに憧憬の念を抱いてきた。

 全てを包む込む程に広く、何もかもを受け入れる程に深く、あらゆる物を内包する程に大きい。

 海は、海洋は人類にとって、母なる揺り籠であり、発展の歴史を歩むパートナーだった。

 

 

 もちろん、海は人類に微笑みを向けてくれるばかりでは無かった。

 時に豊かさを与え、時に冒険を与え、時に災厄を与え、時に試練を与える。

 それでも海の持つ無限の富と可能性に憧れて、人々は大志大望を掲げて海へと飛び出していった。

 それが、人類の歴史。

 海は、人類に未来永劫の繁栄を約束する永遠の友人であり続ける……はず、だった。

 

 

「艦長。各艦、配置につきました」

「うむ……」

 

 

 旧横須賀市・水没地区。

 新世紀初頭の温暖化の進展に伴い、日本国を含む各国沿岸の諸都市・地域は海中へと沈んだ。

 横須賀市もそうした都市の1つであり、かつて数十万の人々で賑わった都市部の大部分が今は海の下だ。

 そして今、日本海軍所属のミサイル駆逐艦『はつゆき』が航行している場所でもあった。

 

 

「艦隊、単縦陣にて航行中。速力20ノット」

「パッシブ・オペレーション・システム感度良好。引き続き海中を探査中」

「後部対潜ミサイル装填完了……」

 

 

 『はつゆき』の艦橋には、オペレーターの声が次々と響いていた。

 それらは全て窓際に立つ壮年の男――艦長に向けられたものであって、彼はそれらの声を背中で聞きながらも、1つ1つに頷きを返していた。

 艦橋、つまり艦艇で最も高い位置――正式には指揮所は別の場所にあるのだが――から見えるのは、海面(みなも)だけでは無い。

 

 

 海面上昇時に孤島となった僅かな陸地と建造物の上層部、さらに遠くには内陸部の光と、反対側に外洋への出口を塞ぐ「壁」の線が見える。

 前方と左右の窓から見えるそれらの光景と、船舶特有の揺れ。

 それら全てが、艦長に自分が今どこにいるのかを実感させた。

 

 

「それにしても、1隻相手に駆逐艦4隻とは。狭い港湾区画内ですし、そう長くはかからないかもしれませんね」

「……そうか、キミは17年前の戦いには参加していなかったな」

 

 

 不審そうな顔をする若い参謀に視線だけを向けて、艦長は言った。

 それは、戒めるような声音だった。

 

 

「油断するな。相手は1隻で我々どころか、海軍全てを滅ぼせるのだぞ」

「は、はぁ」

「17年前。ただの水兵だった私は、()()を見た……見させられたのだ」

 

 

 今ひとつわかっていない様子の参謀に溜息を零して、艦長は首に下げた双眼鏡を手に取った。

 言葉で言っても伝わらないと感じたのだろう、雰囲気でそれがわかる。

 人は結局、実際に体験しないと理解できない生き物なのかもしれない。

 それに、どうせすぐにわかる。

 何しろ、自分達が相手をしているのは。

 

 

「相手は、()の……」

 

 

 その呟きは、最後まで続けられることが無かった。

 何故ならば、爆音と共に船体が大きく揺れたからだ。

 大きく傾く艦橋で、若い参謀達の悲鳴のような叫びだけが耳に届いた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 独特の薄暗さが、その空間を支配していた。

 潮流が鋼の艦体を撫でる音は鯨の鳴き声にも似て、海中と言う、外に出れば死を招くだろうその空間において、驚く程に優しく聞こえた。

 鋼の艦体、海中――――そこは、潜水艦の中だった。

 

 

「魚雷命中音2! 駆逐艦『はつゆき』『せとゆき』、共に機関停止だ」

 

 

 その空間には、数人の人間の気配がある。

 それぞれが操作卓(コンソール)を前にしているため、うっすらとした画面の光が、まるで幽霊のように彼女達の顔を照らしていた。

 

 

「2隻は沈黙させましたが、今の攻撃でこちらの位置もバレたでしょう」

「だろーなぁ~。……っと、来なすったぜ。対潜弾(アスロック)着水音――16だ!」

「1番2番、魚雷再装填完了。こっちもいつでも行けるよ」

 

 

 指揮所――正確には発令所と言う――の各所から、そんな声が響く。

 それぞれが目の前の画面を見ながら言っているので、一見、その言葉が誰に向けて発せられたものなの判別に困るだろう。

 しかしそれらの言葉は全て、1人の人間に対して向けられたものだ。

 

 

 それは海上で彼女らの「敵」となっている駆逐艦においてもそうで、当たり前の話ではあるのだが、どこか皮肉さを感じる光景だった。

 敵も味方も、基本的な手順は同じだと言う意味で。

 つまり、彼女らの言葉は全て自分達の「艦長」へと向けられているのだ。

 

 

「機関全速、行けますか?」

 

 

 対して返ってきた声は、思ったよりも若い。

 少なくとも一般的な艦長の声のイメージでは無かった、重厚でも無ければ低音でも無い。

 有体に言ってしまえば、それは年若い少女の声にしか聞こえなかった。

 

 

『機関全速、了解致しました』

『はいは~い。まっかせて~』

 

 

 座る位置は当然、艦長が座すべき中央のシート。

 背筋を真っ直ぐ伸ばし、椅子に両肘をつけて、足を揃えて座る。

 どこか固さが感じられる座り方だが、声に固さは無い。

 落ち着いた声音で、何かを確かめている様子も感じられる。

 

 

「イ404、右舷回頭。ビル群の中を抜けつつ、反転して下さい」

「その進路だと、敵駆逐艦に突っ込むことになりますが」

「構いません」

「構いませんか、了解致しました。イ404右舷回頭、反転の後に直進します」

 

 

 潮流の音が変わり、僅かに床が傾く。

 各画面の光量が一瞬だけ揺らぎ、また前方からシートに押さえつけられる感触を得た。

 加速に伴う圧力だ。

 それに伴い、体感できる揺れも大きくなっていった。

 

 

「1番2番、通常魚雷発射。目標は前方右舷側のビル群、起爆タイミングはお任せします」

「了解! 1番2番、目標ビル群……表面到達と同時に起爆するよ」

「次いで、5番6番に魚雷装填――――……」

「……発射!」

 

 

 直後、水中で轟音と土煙が立て続けに起こった。

 第1に魚雷が旧横須賀市のビル群の1つを崩壊させた音、第2に崩れるビル群の中を1隻の潜水艦が全速で突き抜ける音――艦体付近に瓦礫が降り注ぐ音はヒヤリとする――そして第3に、崩れたビル群に敵の対潜ミサイルが激突、爆発する音だ。

 艦体が、揺れる。

 

 

「突破してくる対潜弾――無しだ。ただ、雑音が多くてソナーの感度が落ちるぞ」

「大丈夫です、後は突撃するだけですから」

「何が大丈夫なのかわからんが、了解」

「艦長。敵駆逐艦、間も無く接敵します」

「わかりました」

 

 

 こほん、と咳払い。

 その仕草だけは、これまでの様子に比べて妙に幼く感じられて。

 

 

()()()

 

 

 しかし、それ以上に。

 

 

「機関いっぱい、両舷全速。深度の管理は任せる」

「――――了解」

 

 

 他にかける言葉に比べて、どこか冷たく聞こえた。

 その場が、不思議な灰色の輝きに包まれる。

 そして――――……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 横須賀港第3ドック、水没した旧横須賀市街が見通せる高台。

 陽の光を反射する水面は美しく、眩しさと相まって幻想的な美しさを持っていた。

 普段はほとんど人気の無いその場所には、今日に限って数百人の人間がやって来ていた。

 と言って、一般の見物客でないことは見ればわかった。

 

 

 都市戦用のグレーの迷彩服と同色のボディアーマーを着て、小銃を構えた一般人などいない。

 人員のほとんどはそうした服と銃を持った人々で、次いで黒いスーツ姿の屈強な男達の数が多い。

 しかし実際に重要なのは、中央に集まるほんの十数人程だった。

 晴れているとは言え海風は強い、上質なスーツとタイを身に着けたその十数人はそんな中、簡素なパイプ椅子に座っている。

 

 

『終わったようですね』

「……うむ」

 

 

 中央の十数人、さらにその中でも中心に座っている2人の間でそんな会話が交わされるのを、上陰(かみかげ)龍二郎(りゅうじろう)はすぐ傍で聞いていた。

 位置関係としては、彼は会話を交わした2人の真後ろの席に座っている。

 そこからでも、旧横須賀市街海上で動きを停止した4隻の駆逐艦を見ることが出来た。

 

 

(正規の訓練を受けた駆逐艦4隻が、10分と保たずに……か)

 

 

 腕時計を確認すると、思ったよりも時間が経っていないことに気付く。

 その割に身体が冷えているのは海風の強さによるものか、それとも冷や汗によるものか。

 (かぶり)を振って彼が気にかけたのは、会話を続けている正面の2人についてだった。

 理由は、主に2つある。

 

 

『やはり、こう言う機会があるのは良い。大海戦から17年。海軍の中にも緩みのようなものがありましたから』

 

 

 まず1人は、特殊な車椅子に座った男性だ。

 バイザータイプのディスプレイや喉を覆う呼吸器、視覚と発声は全て車椅子の機械に頼っているようだ。

 実際、彼の声と思われるものは全て電子音声だ。

 上陰の理由の1つは、そうした状態にある彼の体調を案じてのことだった。

 

 

 彼の名は(かえで)信義(のぶよし)

 一見するとそうは見えないかもしれないが、3人いる日本国の首相の1人である。

 そして、軍務省次官補(かんりょう)である上陰にとっては上司とも言うべき相手だった。

 もう1つは、彼と会話をしているもう1人の男に対しての理由――つまり、()()だ。

 

 

『もう、行かれますか?』

「申し訳ない」

『とんでも無い。結果のわかり切っている演習の視察など、むしろ幹事長に時間を取らせてしまったと恐縮していますよ』

 

 

 どちらが首相なのかわからない会話だが、この男なら納得もする。

 軍人上がりの楓首相は――生命維持装置じみた車椅子であることを除けば――がっちりとした逞しい身体つきをしているが、その楓首相より年上であるはずのこの老人は、輪をかけて肩幅が広い。

 老いてなお衰えない筋肉質な身体は、しかしきっちりとスーツを着こなしていた。

 赤いネクタイが、淡い色のスーツに良く映える。

 

 

 楓首相に会釈しつつ席を立った彼は、口調こそ相手を尊重しているように見えるが、政治家としての格は楓首相よりも上位の存在と見られている。

 名は北良寛(りょうかん)、与党の幹事長職にある政治家だ。

 海軍主流の軍務省職員である上陰にとっては、陸軍派の領袖である北は警戒すべき相手だった。

 ――――楓首相への影響力、と言う意味で。

 

 

「それでは、楓首相」

『ええ、明日の会議で』

 

 

 立ち去る際、上陰と北の視線が重なった。

 特に何かを話すわけでも無く、その視線は上陰が会釈することで自然と外れた。

 足音がある程度遠ざかったところで顔を上げようとした時、隣から囁く声があった。

 

 

「あんまり睨みつけてやるなよ」

「茶化すな。そんな度胸は無いよ、クルツ」

「良く言う」

 

 

 隣でくっくっと喉を鳴らして笑う男――クルツ・ハーダーは、名前でわかる通り日本人では無い。

 と言うより、この場では唯一の外国人だ。

 オールバックの金髪に白人特有の色素の薄い肌、白基調の軍服が日本人以上に様になっている。

 尤も外国出身というだけで今ではほとんど日本人と言って良いのだが、それは今は余り関係無い。

 

 

「ああ、そんな度胸は無いさ……」

 

 

 楓首相の一陣が席を立ち、慌しく動き出す兵士やSPを視界の端に収めながら、上陰はもう一度海の方を見た。

 そこには、演習に参加した4隻の駆逐艦が慌しくドックへと戻っていく様子が見えた。

 

 

「随分と(あわただ)しく戻るんだな」

「余り長時間海上にいると、()が来るからな」

「なるほど」

 

 

 そして、駆逐艦の4隻の後方に浮上したもう1隻。

 海に浮かぶ上がるそのシルエットを目にして、目を細める。

 ――――実際、北を睨みつけるような度胸は上陰には無い。

 無い、が……。

 

 

「……北代議士の秘蔵っ子、か……」

 

 

 そうして、席を立った上陰は再び海を見た。

 旧横須賀市街の水槽のように小さな海と、水平線をぶつ切りにしている「壁」。

 そして、その向こう側に広がっているだろう大海原を想像した。

 

 

 今、そこに人類の船舶はほぼ存在しない。

 ()()()()()()からだ。

 人類が全ての海洋から()()されてから、17年。

 17年もの歳月が、過ぎようとしていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 日本軍――統制軍の制服は、軍服だけあって質素かつ固い印象を受ける。

 肩章付きのジャケットにタイトスカート、色合いは白が基調で、タイとヒールの黒が映えている。

 しかしそうした服装も、年若い少女が着ると多少は印象が和らぐものだ。

 

 

「ミッション完了(コンプリート)。今日はこのままドックに艦を収容して、最終点検。その後解散とします。皆さん、有難うございました」

 

 

 潜水艦『イ404』の中に明るい声を響かせた少女は、まさにそんな人物だった。

 大きくて横長の穏やかそうな黒瞳に強く外に跳ねる黒髪、髪は腰に届く程長く、邪魔にならないように首の後ろで結んでいた。

 潜水艦と言う殺伐とした空間において、髪を彩る白いリボンが奇妙な清楚さを(かも)し出している。

 

 

 少女の名は千早(ちはや)紀沙(きさ)、シートのネームプレートにそう刻まれている。

 役職欄らしき場所には「艦長」と記されていて、彼女がこの艦の主人であることを意味している。

 幼げな雰囲気を残している少女だけに、とても軍艦の長には見えなかった。

 実際、その場にいる誰よりも若い。

 

 

「いえ、見事な指揮でした。シミュレーションや航行訓練は何度もこなしましたが、実戦訓練は初めてでしたので私も緊張しました」

「演習前と顔つきが変わらないように見えるんですけど」

「良く言われます」

 

 

 指揮シートから見て右隣のシート、つまり副長席に座る20代半ばの男性が、柔らかにそう応じた。

 ネームプレートによれば、彼の名は「本能寺(ほんのうじ)(れん)」。

 短めのシャギーカットの黒髪と、一重のためか開ききっていないように見える目が特徴的だ。

 白い統制軍の軍服をきっちりと着こなしているあたり、態度同様、彼の方がよほど艦長に見える。

 

 

「アタシは言われた通りに魚雷を撃ってるだけだからね、楽なもんだよ」

「いえ、起爆タイミングとかはお任せすることが多いですし」

「あんなのは適当だよ」

「え」

 

 

 ネームプレートは(あずさ)=グロリオウス、発言からするにいわゆる水雷担当。

 統制軍には少なくない外国人とのハーフの1人で、毛先が青みがかった黒髪が特徴の女性だ。

 年の頃は20代前半、どこかサバサバとした雰囲気を感じさせる。

 非常に恵まれたスタイルの持ち主で、身体を解すように伸びをすると、豊かな胸元が黒のインナーを大きく押し上げた。

 

 

「俺は耳を酷使して超疲れたぜ。艦長ちゃん、頑張った部下に膝枕オプション付き耳掃除サービスでも――――」

「ふざけたこと言ってるとアタシが鼓膜ブチ抜くよ」

「なにそれ怖い」

「あはは、冬馬さんは相変わらずですね」

 

 

 梓に脅かされて肩を竦めたのは、(いかり)冬馬(とうま)と言う青年。

 肩にかけたヘッドホンはソナー用のそれで、彼がこの艦の耳なのだろう。

 こちらは20代半ばの青年で、欠伸を噛み殺す姿からは真面目さはあまり感じられない。

 その割にシート周辺は片付いていたりするので、妙な所できっちりしているのかもしれない。

 

 

「静菜さんとあおいさんも、有難うございました」

『いえ。艦長もお疲れ様でした』

『適当にやってただけだから、大丈夫よ~』

 

 

 それから、指揮シート横のモニターに映る2人の女性。

 まず、いかにも固い返答を返して来た方が不知火(しらぬい)静菜(せいな)

 前髪が顔の左半分を覆う程に長く、表情が余り動く様子も無い。

 口調も淡々としているので、初対面の人間は少々とっつきにくいかもしれない。

 

 

 そしてもう1人は、どこか緩そうな雰囲気の女性だ。

 染めた金髪をぞんざいに背中に流し、眠たげに細めた目には欠伸の痕が見える。

 また無頓着な性格なのか、通信画面の枠内にも関わらず、緩めた着衣から肌色が微妙に見えていた。

 通信の名前欄によれば、彼女の名は四月一日(わたぬき)あおいと言う。

 彼女達は技術担当のためここにはおらず、機関室に常駐している。

 

 

「あーあ、そしてまた僕の出番は無かったわけで」

「良いことですよ、良治さん」

「それはそうなんだろうけどね」

 

 

 そして7人目、統制軍の軍服の上に白衣を着た青年。

 エアが抜ける音に振り向けば、指揮所に入って来た青年――御手洗(みたらい)良治(りょうじ)が、億劫(おっくう)そうに手を振っていた。

 彼はこの艦の軍医として乗船しているため、医療訓練でも無ければ医務室に篭っているだけになる。

 暇であることが望まれる、そう言う役職と言える。

 

 

「つーか、腹減ったよなー」

『どうせ今日もカツカレー1択でしょ~?』

「文句言ってんじゃないよ、食えるだけマシってね」

「あはは。まぁ良いじゃないですか、私も好きですよ、カツカレー」

 

 

 訓練を終えた直後だからか、艦内には和やかな空気が漂っている。

 会話は軽いが、楽しげな様子が伝わってくる。

 今も何か不味いことでも言ったのだろう、梓が冬馬を追い掛け回していて、発令所の狭いスペースが大変な騒ぎになった。

 

 

 本来なら注意すべき所なのかもしれないが、紀沙は口元に手を当ててクスクスと笑っていた。

 その笑顔は年相応なもので、やはり艦長と言う肩書きは不似合いに見える。

 しかし紀沙は、紛れも無くこの艦の艦長だった。

 副長以下6名と共に過ごす、この場所こそが。

 

 

「さぁ、カツカレーが無くなる前に艦を収容しないと。皆、艦の最終確認をお願いします」

 

 

 ここが、今の紀沙の居場所。

 ()()()とは違う、今の彼女の居場所なのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 横須賀港は、別名で要塞港と呼ばれている。

 それは現在の横須賀港――特に、「軍港」としての横須賀港――が、ほぼ全ての主要施設を地下に築いているためだ。

 外に艦艇を()()()()ための、苦肉の策である。

 

 

 だが、その規模は流石に壮大だ。

 例えばこの第3ドック、このドック1つだけを見ても20隻の艦艇が整然と並んでいる。

 色合いは灰色やネイビーカラーが多く、無骨な艦体や物々しい武装の数々と相まって、まさに海軍と言った風だ。

 ドックには海水が無く、艦艇はそれぞれ鋼鉄の腕(ハンガーアーム)によって固定されていた。

 

 

「あれが、霧の潜水艦か……」

 

 

 そんなドックの片隅で、駒城(こまき)大作(だいさく)は新たに降りてくる艦艇を見上げていた。

 物資の搬入作業の最中だったのか、彼の周囲には綺麗に梱包された積荷が山積みにされている。

 しかし今は、慌しく物資を運んでいた周辺の兵士達も手を止めて、駒城と同じように手を止めて顔を上げている。

 何しろ、今ドックに入ってきている艦艇は特別だから。

 

 

 艦艇用のエレベーターと言うのが、1番イメージしやすいだろうか。

 全長100メートルを超える巨体が鋼鉄のアームに固定されて、重厚な音を立てながら地下へと降下を続けている。

 灰色に輝く艦体の側面には、「I-404」の文字がペイントされていた。

 

 

「駆逐艦4隻を10分でやったらしいですよ」

「凄いな」

 

 

 そうとしか表現できずにそう言うと、話しかけてきた部下は肩を竦めた。

 駒城も困ったように苦笑して、顎鬚(あごひげ)をぞりぞりと指先で掻いた。

 

 

「本当に、凄いな」

 

 

 海軍士官である彼の心境は、複雑だった。

 それは味方があっという間に敗退――訓練であるし、そもそも相手も味方なのだが――したと言う事実よりも、根の深いものだ。

 説明するには少しばかり時間がかかる、そう言う類の。

 

 

「うん?」

 

 

 不意に、駒城は気になるものを見つけた。

 ものと言うよりは人間、それも女性だ。

 海軍の軍服を着ているので同僚だろうが、駒城の知らない顔だった。

 セミロングの黒髪で、額を露にする髪型が特徴的な女性だ。

 

 

(綺麗な子だな)

 

 

 別に変な意味では無く、単純にそう思った。

 年は一回り程も違うだろうか、男ばかりの中に若い女性は酷く目立つ。

 しかもそんな女性が、眉根を寄せてドックに入る潜水艦――イ404を見つめているのだから。

 

 

「駒城艦長? ちょっと宜しいでしょうか」

「え? あ、ああ! 今行く」

 

 

 部下の声に応えつつ、気になってもう一度振り向いた。

 その時にはもう、先程の女性はドックを行き来する人込みの中に消えてしまっていた。

 けれど、あの表情は頭から離れそうに無かった。

 何たって彼女は、あんな辛そうな顔でイ404を見つめていたのだろうか。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 紀沙は、18歳だ。

 しかも海洋技術総合学院――横須賀の軍直轄学校――を卒業したばかりの駆け出し、普通ならどこかの部隊で下働きをしている頃だろう。

 それが艦長の肩書きで1隻を指揮していることには、当然、何らかの意図が働いている。

 

 

「今日の所は概ね上手くいったと言える。海軍も擬似的とは言え霧の力を再認識しただろう」

「はい」

 

 

 すでに日が暮れた横須賀の道路を、1台の公用車が滑らかに走行していた。

 その中には運転手を含む数人が乗っているのだが、中で会議が出来るように配慮されているのか、後部座席はボックスタイプになっていた。

 そして今は紀沙と、演習を見ていた老政治家――北が、その座席に向かい合って座っていた。

 

 

 スーツ姿の屈強な老人と軍服姿の少女が向かい合っている様は、何ともミスマッチだ。

 腕を組んで座る北に対し、足を揃えて座る紀沙。

 両者のこの姿勢の違いが、互いの上下関係を何となく匂わせていた。

 

 

「だが、勝ち過ぎたのは不味かった。特に最後の2艦への突撃は必要なかった。あれでは海軍を余計に萎縮(いしゅく)させてしまうし、何よりお前への禍根(かこん)が残る可能性がある」

「はい」

 

 

 つまり、彼こそが紀沙にイ404を与えた男。

 北は海軍出身の政治家で、今は陸軍派と目されているが、軍人政治家だからこそ軍関係の人事にも一定の影響力を持っている。

 紀沙は彼の力によって、18歳で艦長と言う地位にあると言うわけだ。

 

 

「目の前の事だけを考えていれば済むのは一兵卒までだ。艦長である以上、目の前の戦闘が何に影響するのかを意識しなければならん。ましてお前はまだ艦長となって僅か2ヶ月だ」

「……はい」

 

 

 その点だけを見れば、2人の関係は酷く単純なものに見える。

 しかし紀沙の表情を見る限り、どうもそれだけでは無いようだ。

 

 

「それにお前は今日の演習の功で正式に少尉になる。士官たる者、軽々(けいけい)なことはしてはならん」

「はい……」

 

 

 北は呼吸を置かずに話し続けている。

 視線をどこに向けているのか、俯くようにして話していた。

 それに対して紀沙の表情は、苦笑を浮かべていた。

 そしてそれは、北が話し続ければ続ける程に深くなっていった。

 

 

「霧の艦艇を持ったとて、思い上がってはならん。あれは我々にとっても謎が多い、ことイ404は」

「……北代議士」

「イ401を失陥している今、イ404は我々が、いや人類が保有する唯一の霧の艦艇だろう。お前はそれを」

「北さん……」

「任されている以上、相応の責任が生じる。軍人としての責任を良く自覚して……」

 

 

 ほぅ、と、紀沙の小さな唇から溜息が漏れた。

 彼女は小首を傾げて眉根を寄せると、にこりと笑みを作って。

 

 

「北のおじ様?」

「……む」

 

 

 途端、北が口ごもる。

 その様子に眉をハの字にする紀沙、苦笑と言うか、苦笑いと言った方が正しい。

 咳払いひとつ、だが北はそのまま口を閉ざしてしまった。

 何か考え込んでいるらしいが、少なくとも表情は変わっていなかった。

 俯きがちに腕を組んで、そのままだった。

 

 

「北のおじ様」

 

 

 北を呼ぶ紀沙の声音は、どこまでも柔らかだった。

 温かい、と言い換えても良い。

 対して北は返事を返さないが、僅かに眉が動いたことを紀沙はちゃんとわかっていた。

 呆れたように息を吐いて、窓の外を見ながら。

 

 

「今日は遅くなってしまいましたけど、明日は私がお食事の用意をしますね」

「……別にお前がそんなことをしなくとも」

「大丈夫です。明日は非番で時間も取れるので、少し時間をかけて……」

 

 

 北は、じろりと紀沙の横顔に目を向けた。

 しかしやはり何も言わず――と言うより、何も言えず――視線を落とし、それ以後は目を閉じて黙り込んでしまった。

 紀沙もあえて北の方を見ずに、高速で流れていく風景を眺めていた。

 高速で移動してもなお変わることの無い、横須賀の海の景色を。

 

 

「……カツカレーでも、作ろうかと」

 

 

 紀沙は、見つめ続けていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 紀沙は統制軍の宿舎には住んでいない。

 横須賀に縁者がおらず、さほどの貯蓄も無い紀沙が基地の外に住居を持っているのには、当然ながら理由(わけ)がある。

 要するに、他人の家に住まわせて貰っているのだ。

 

 

「ふぅ……」

 

 

 傾けた風呂桶、小さな滝のように流れ落ちるお湯、洗い流され落ちていく泡。

 身体の表面を熱が滑り落ちていく感触に、紀沙は吐息を漏らす。

 湯気が立ち込める中、女性へと至りつつある少女の白い裸身が露になっていた。

 紀沙は今、()()で入浴中なのだった。

 

 

 (ひのき)を使用した純和風の浴室は、1人で使うにはやや広すぎる。

 しかしその分湯船に足を伸ばしてゆったりと寛ぐことが出来るので、紀沙はこの浴室が好きだった。

 シャワーノズルの傍に小物をしまうスペースがあるのだが、無骨な糠袋や手拭いの横に、薄桃のシャンプーの容器やスポンジが並べて置いてあるのは、どこかシュールだった。

 

 

「生き返る……」

 

 

 家の主人の好みに合わせているため、お湯の温度はやや高めだ。

 2分も入れば肌が赤らんでくる熱さ、しかし何度も入っている内に紀沙もこの温度が好みになっていた。

 結い上げた髪は水気を吸ってより艶やかで、上気した肌と相まって若々しい色香を放っていた。

 

 

「んっ」

 

 

 身体の芯まで熱が通る感覚に、湯船の中で伸びをする。

 すると豊かとは言えないが張りのある部分がお湯の上に来て、力を抜くと小波(さざなみ)を立たせた。

 この一連の動作で生じる脱力感は、何とも言えない心地よさを当人に与えてくれる。

 湯船の縁にもたれかかって息を吐き、その日のことを思い返すのが紀沙の日課だ。

 

 

 今日で言えばイ404での実戦を想定した訓練、つまり演習だ。

 北が言ったように艦長となってまだ2ヶ月余り、いろいろと考えるべきことは多い。

 クルーとの関係は悪くないが、まで心を開き合っているわけでは無いと思う。

 人見知りとまでは言わないが、紀沙と他の軍人との関係は色々と難しい要素を孕んでいる。

 だから慎重に関係を作っていくべきだと、そう思っていた。

 

 

(もう一度、あの海に出るために)

 

 

 そしてあの海の果て、あの水平線の向こうにいるものを掴むために。

 自分は今ここにいるのだと、紀沙はそう思っていた。

 だがここで、疑問が生じる。

 イ404、そして駆逐艦、いやそうでなくとも、人類は多くの海へと出る手段を有している。

 それなのに何故、今さら海へ出る努力などをしなければならないのだろうか?

 

 

 

『――――人間と言うのは』

 

 

 

 そしてその答えは、実はすぐ隣にある。

 横須賀に築かれた壁の向こう(すぐとなり)に、在る。

 人類は何故、海に出ようとしているのか。

 人が何故、海洋に再進出することが出来ないのか。

 

 

 

『本当に、良くわからないことをする』

 

 

 

 ――――海。

 古来より、人類は水平線の果てに憧憬の念を抱いてきた。

 全てを包む込む程に広く、何もかもを受け入れる程に深く、あらゆる物を内包する程に大きい。

 海は、海洋は人類にとって、母なる揺り籠であり、発展の歴史を歩むパートナーだった。

 だが、今、人類は海へと出ることが出来ない。

 

 

 何故? ――――追い出された。駆逐されたからだ。

 何時(いつ)? ――――17年前。突然、突如として、一気呵成に。

 誰に? ――――人類よりも遥かに強大な敵に。恐るべき脅威によって。

 どうして? ――――わからない。

 

 

「……わからないのは、お前達の方だろ」

『おや――――そうなのかい? だったら是非とも教えて欲しいな」

 

 

 空間に響くように声が届き、次いで実際に声が耳朶を打つ。

 湯船の嵩が上がったのは、紀沙以外の質量が増えたためだ。

 具体的には人体ひとつ分、淡い粒子と共に形成されたそれが、実際に重さを伴って湯船の中に現れた。

 無作法なことに、衣服を身に着けたままで。

 

 

「キミ達人類が、何を望んでいるのか」

「そんなのは決まっている、()()()……いや」

 

 

 その点を注意すること無く、湯船の熱を感じさせない声音で紀沙が言った。

 ゆっくりと、己の左隣へと視線を向けて。

 昼間の彼女からは想像も出来ないような、そんな眼と声で。

 

 

()()()()

 

 

 それは、人類の天敵。

 人類を全ての海洋から駆逐した、不倶戴天(ふぐたいてん)の宿敵。

 人間が全ての力を結集して相対している、人類史上最大最強の敵対者。

 ――――通称、<(きり)>。

 

 

「お前たち()()()()()()()()()()()()()

 

 

 その、()は。

 冷たく言い放つ紀沙に対して、にこやかな笑顔を浮かべたその()は。

 

 

「そうなのか」

 

 

 少女の姿で、そこに存在していた。




最後までお読み頂き有難うございます。
と言うわけで、第1話でした。
今話を描く上で私が悩んだのは、「日本海軍って海上訓練とかするのだろうか?」でした。
何しろ海洋に出ると霧に撃沈されるとなると、実際に船を動かす訓練が全く出来ないと言うことを意味するのですが……いや普通に考えて、そこまで徹底されると大反攻の準備なんて出来ませんし、そもそも海軍が維持できないだろう、と。

なのでここでは、極めて沿岸に近い場所で短時間なら、艦艇を動かせると言うことにしました。
外洋に出ると霧に撃沈される、と言う解釈で行こうと思います。
つまり瀬戸内海ならセーフ、太平洋ならアウト、そのようなイメージです。
まさか三国志の如く、琵琶湖でやるわけにも行かないでしょうしね(え)

最後に投稿キャラクターと投稿者様を紹介して、締めとさせて頂きます。
それでは、また次回。


投稿キャラクター:

副長:本能寺恋(幻想桃瑠様)
水雷長:梓=グロリオウス(畏夢様)
ソナー兼料理長:碇冬馬(車椅子ニート様)
技術:不知火静菜(月影夜葬様)
  :四月一日あおい(haki様)
軍医:御手洗良治(大野かな恵様)

以上6名を、イ404のクルーとして採用致しました。
たくさんのご応募、有難うございました。
また機会がありましたら、宜しくお願い致します。

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