蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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日本語は国際公用語、良いですね?(え)


Depth022:「コロナド基地」

 バルコニーからは、白い砂浜とどこまでも広がる海が一望できた。

 水平線のあたりはまだ暗く、海の蒼は奥に行く程灰色に近い色合いに見える。

 早朝の海風は冷たく、ショールを肩にかけても肌寒さを感じらる程だった。

 

 

「リズ」

 

 

 室内から、ショールの女性に声をかける男性がいた。

 スーツ姿のその男性は、困ったような視線を女性に向けている。

 共に60代半ば程だろうか、髪には白いものが混じっていた。

 

 

 そんな男性に、リズと呼ばれたその女性も困ったような微笑を向けた。

 困っている。

 実際のところ、それが2人の共通の感情であったのかもしれない。

 これから彼女達が挑もうとしていることは、そう言う類のものなのだ。

 

 

「日本艦隊が来たよ」

 

 

 そう、と、女性の側が頷いた。

 大きく息を吸えば、朝の冷気が肺を満たす。

 嗚呼、と、吐息と共に呟く。

 

 

「いったい、どうするのが良いのかしらね」

 

 

 女性の問いかけに、スーツの男はやはり困ったように笑った。

 答えは誰にもわからない。

 けれど、信じて進んでいくしかない。

 いつだってそうだ、それしか無いと言うことを彼女達は知っていた。

 

 

「じゃあ、行こうかリズ」

「ええ。行きましょう、ロブ」

 

 

 だから、せめて2人で。

 今までそうして来たように、彼女達は今日も挑むのだ。

 この国(アメリカ)の、そして自分達の明日のために。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 サンディエゴ湾は米本土とコロナド半島の間に位置する狭隘(きょうあい)な湾であり、沿岸部は古くから海軍の町として栄えていた。

 アメリカ太平洋艦隊が誇る地下ドックへの入口は、そのサンディエゴ湾の下に存在している。

 狭隘な地形を利用して築かれたそれは、大型艦艇十数隻を同時に出撃・収容させることが出来る大規模なものだ。

 

 

「あれがアメリカ西海岸最大の軍港……」

 

 

 浮上航行しているため、生のカメラ映像でサンディエゴ湾と太平洋を隔てるコロナド半島の様子を見ることが出来る。

 現在はサンディエゴ基地側の管制(ビーコン)に従っている状態であり、入港まで秒読み段階と言った所だ。

 白の制帽を手の中で弄びながら、紀沙は少しずつ近付いて来る基地を見つめていた。

 当たり前だが、やはり横須賀基地とは雰囲気が違うと思った。

 

 

「現在、地下ドックには空母打撃群2個を中心に50隻前後の艦艇が収容されています。他に200機以上の航空機と250発以上のミサイル兵器を保有し、基地内人口は軍属・民間人を含めて約4万人を超えるとされています」

「それどこ情報よ」

「基地の公式ホームページですよ」

「さいで」

 

 

 冬馬が頷くと、基地の情報を説明していた恋が肩を竦めた。

 それを見て、紀沙はくすりと笑った。

 とは言え実際、紀沙達統制軍が持っているアメリカ海軍の情報は17年前の物がほとんどだ。

 サンディエゴ基地の公式ホームページの方が、情報の確度としてはまだ信用できるかもしれない。

 

 

 そして逆に、アメリカ側が保有している統制軍(こちら)の情報も17年前で止まっているはずだ。

 まして霧の艦艇となれば、存在そのものがブラックボックスと言っても良いだろう。

 振動弾頭も重要だが、そちらはおまけ程度に思われている可能性もある。

 良しにつけ悪しきにつけ、興味を抱かれないと言うことは無いはずだ。

 

 

「それにしても、ここに来るまで戦いらしい戦いも無かったねぇ」

 

 

 シートの上で伸びをしながら、梓がそんなことを言った。

 梓の言うように、ハワイからサンディエゴまでの道のりは比較的平穏だった。

 基本的に潜行中の潜水艦は見つかりにくいものだが――とは言え、途中何度か駆逐艦の巡回をやり過ごしたりはしたが――こうまでスムーズに進むと、少し気味が悪かった。

 霧の太平洋艦隊との戦いも覚悟していただけに、拍子抜けでもある。

 

 

「いずれにしても入港です。まずは遅滞無く、入港作業をお願いします」

「「了解」」

「了か……あ、俺って英語とかわかんねぇけど大丈夫だと思う?」

「じゃあ口を閉じてれば良いだろ」

 

 

 今度は梓と冬馬の会話に笑う。

 最近、冬馬はわざとやっているのでは無いかと思えてきた。

 

 

「楽しそうなところ、恐縮なんだけどね」

 

 

 そこで言葉を挟んで来たのは、スミノだった。

 彼女は紀沙の傍、つまり定位置にいるわけだが、珍しく渋面を浮かべていた。

 

 

「こっちの方も何とかしてほしいんだけど?」

「こっち?」

「いや、だからあれだよ。あのハワイを出たあたりからボク達にくっついて来ている」

『うッス! 404の姐さん、このトーコをお呼びですか!』

 

 

 キンッ、と耳鳴りがする程の声量だった。

 それはモニターのカメラ映像、もといカメラ映像を押しのけて表に出てきた通信画面から響いて来た。

 通信画面に映っているのは、見覚えの無い少女――メンタルモデルだ。

 

 

 光の当たり具合で紫がかって見える銀髪のショートヘアに、くりっとした大きな蒼い瞳。

 陽に焼けた小麦色の胸元にはサラシを巻いていて、衣装は何故か白の特攻服だった。

 顔全体で笑っている、と言う表現がしっくり来るような笑顔が画面一杯に映し出している。

 スミノに呼ばれた――と思っている――ことがそんなに嬉しいのか、むふーと鼻息も荒い。

 ちなみにトーコと言うのは、彼女の艦名『イ15』から来ているらしい。

 

 

『ところで姐さん、今日はどこに行くんですか? もしかしてあそこの基地に突撃ッスか!? だったら自分に先陣切らせて欲しいッス……!』

 

 

 どう言うわけか知らないが、東洋方面艦隊を出奔して来たらしい。

 何でもスミノの戦いぶりに感銘を受けたとかで、いてもたってもいられずに飛び出して来たそうだ。

 戦力が増えたと考えられれば良いのだが、この発言を聞くにどうにも不安だった。

 と言うか、突撃って何だ。

 

 

「……ついに艦長ちゃんの戦術論が霧にも評価され始めたのかね?」

「やめてください。まるで私が常に突撃思考みたいじゃないですか」

「「「…………」」」

 

 

 どうして誰も何も言ってくれないのだろう。

 

 

「ま、まぁ、しかし艦長。このままと言うわけにもいかないのでは?」

「そうですね……」

 

 

 恋の言う通り、このままサンディエゴ基地までついて来られても困る。

 アメリカ側から見れば霧の艦艇が増えているわけで、下手をすれば不信を招くことになるだろう。

 全く、何が哀しくて霧のために頭を悩ませなければならないのか。

 

 

「スミノ、そう言うことだから」

「何がそう言うことなのかわからないけど、わかったよ」

 

 

 渋面のまま、スミノは通信画面の方を向いた。

 

 

「イ15。どこか適当な所にいて。そのままついて来られると艦長殿が困る」

『え……ぼ、艦長(ボス)ですか? わ、わかったッス、大人しく待ってます……』

 

 

 冬馬が吹き出したのを軽く睨みつつ、紀沙は溜息を吐いた。

 たまにで良いから、問題なく何事かに取り組んでみたいものだ。

 最も、そんなことは今後も望めないであろうが。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 アメリカ海軍の軍楽隊が歓迎の演奏を奏でる中、駒城は緊張していた。

 何しろ艦を出た瞬間の万雷の拍手と共に音楽が始まり、テープや紙吹雪を投げ込まれた上にドックいっぱいに居並んだアメリカ兵に出迎えられたのだ。

 まさに大歓迎と言った風で、しかも明らかに自分に年上で、勲章まで下げた軍人と握手したりするのだ。

 

 

「ようこそ、アメリカへ」

「あ、あはは、どうも……」

 

 

 こう見えて、駒城は士官学校出身のエリートだ。

 外国への派遣艦隊に選ばれるだけあって、英語の心得もある。

 ただ流石にサンディエゴの英語は聞き取りが難しく、また緊張もあって、聞き取りで精一杯だった。

 

 

「おーう、おーう! いえーすいえす! ガハハハハッ!」

 

 

 と言って、浦上のようにひたすら笑い飛ばすと言う高等テクニックも使えない。

 良くも悪くも日本人らしく、愛想笑いを浮かべて握手を繰り返すばかりだった。

 それでいて、クルツとその海兵隊が別の場所で海軍とはまた違う軍服に身を包んだ集団を話しているのを見つけた。

 緊張の割に目ざとい、と言うより、彼の場合は気遣いが出来ると言った方が正しいだろう。

 

 

(ああ、そうか。アイツらは……)

「駒城艦長、次の方が」

「おっと、いかんいかん。な、ないすとぅみーとぅ」

 

 

 駒城が真瑠璃に促されてまたアメリカ側の人間と握手している時、紀沙もまた同じようなことをしていた。

 ただ紀沙の場合、少し事情が違う。

 と言うのも、他と違って相手が自分のことを知っている人物だったのだ。

 ただし、紀沙は相手のことを知らなかった。

 

 

「良く、良くぞ、おいで頂いた……!」

「え、ええと、顔を上げてください。私は別に、そんな大それたことはしていないので」

 

 

 日本語、である。

 周囲のほとんどが英語である中で、日本語で声をかけられるとは思わなかった。

 しかも両手で手を掴まれて、半ば拝まれるようにして、である。

 見たところ40代くらいの、髪に白いものが混じり始める年齢の男だった。

 

 

「もう18年前になりますか。北先生の……当時は北大佐でしたが、その下で働かせて頂いた時期もありました」

「……!」

 

 

 日本人、それも統制軍の軍服を着た男。

 そこで、紀沙はその男の軍服に自分の物とは違う飾緒(かざりお)を見つけた。

 視界で揺れるそれは――飾緒、つまり軍服の飾り紐は所属や役割によって異なる――両端に錨の形をした金具を取り付けた、黄色の打紐(うちひも)を三つ編みにしたものだった。

 

 

()()()()?」

「はい。貴女のことは北先生から聞き及んでおりました。私は、アメリカ合衆国駐在武官の……」

 

 

 駐在武官とは、一般的に大使館や領事館等に所属する軍人のことを言う。

 軍事的視点から外交官を補佐することが任務であり、合法的に軍事情報の収集等を行う。

 正直驚いた、と言うのも。

 

 

「……南野、と申します」

 

 

 紀沙はこの時まで、アメリカにも日本政府の関係者がいることを完全に失念していたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 良く良く考えてみれば、当たり前のことだ。

 17年前の段階で各国に日本の在外公館や企業はいくつもあったわけで、それに取り残された旅行者も含めれば、むしろ日本人が全くいない地域を探す方が難しいだろう。

 紀沙としては味方が全くいない場所に飛び込む心積もりだったので、その分だけ気恥ずかしさは増したのだった。

 

 

「……どうした?」

「何でもない……」

 

 

 黒塗りの高級車――造りは北が普段使っている車と似ている――に乗って、紀沙は顔を両手で覆って群像の訝しげな視線から逃げていた。

 相当に恥ずかしい勘違いで、回復までそれなりに時間が必要そうだった。

 車は緑豊かなゴルフ場とサンセットパークの間を抜けて、右手にビーチを見つつ東へと進んでいた。

 

 

 紀沙達が入港したのは、正確にはサンディエゴ基地では無い。

 入港を許されたのはコロナド半島北端のコロナド海軍基地であり、言ってしまえば予備のドックだった。

 マツシマを含めて6隻もの艦船が湾内に入ると目立ってしまうためで、作戦の秘匿性を守るための処置でもある。

 もちろん、虎の子のサンディエゴ基地に霧の艦艇を入れることへの抵抗もあっただろう。

 

 

「大海戦での人類敗北。そしてその後の霧の海洋封鎖によって、我々は日本への帰国の道が絶たれました」

 

 

 同じ車には、浦上と駒城が乗り込んでいる。

 彼らがいるのはむしろ当然だが、群像が単身でついて来たことは意外だった。

 群像達との契約は、振動弾頭をアメリカ側に引き渡すまでだ。

 引渡しはまだ行われていないが、仕事はほぼ終わっていると言っても良い段階である。

 

 

 まぁ、最後まで筋を通すと言うことなのかもしれない。

 この兄は義理堅いところもあるので、仕事の内とでも思っているのか。

 あるいは単純に、アメリカと言う国に興味があるのかもしれない。

 

 

「ロサンゼルス総領事館の警備対策官として赴任して、大海戦はその直後でした。その惨敗ぶりは、サンディエゴ(こちら)でも衝撃的に伝わっておりました」

「あん時ぁ、横須賀(こっち)も大騒ぎだったからな。苦労しただろ、お前さん」

「いえ、細々とですが日本政府からの連絡もありました。もちろん、苦労が無かったわけではありませんが……」

 

 

 そして、南野だ。

 紀沙はもちろん、この男のことを知らない。

 ただ元軍人の北は、紀沙の知らないネットワークを軍の内外に持っている。

 海外の事情にも明るかったのは、南野のような人材が外に何人もいたからだろう。

 特にアメリカとは1世紀以上も同盟を結んでいた間柄だ、深いところまで潜り込んでいて不思議は無い。

 

 

「北先生から振動弾頭輸送艦隊のことを聞き、それまではと思っておりました」

 

 

 薄い笑みを浮かべて、南野が紀沙を見た。

 何となく北の屋敷の運転手や家政婦に「紀沙お嬢様」と呼ばれる時のような心地になって、居住まいを正した。

 そう言う風に扱われると、北に恥をかかせたくないと言う気持ちが強くなるのだ。

 

 

 南野が北とどう言う関係にあるのかは、良くわからない。

 警備対策官から駐在武官へ、ロサンゼルス総領事館付きから在アメリカ日本大使館付きへ。

 その変遷と17年と言う時間の間も、北と日本への思いは切れなかった。

 そして北と日本政府も、南野のことを忘れてはいなかった。

 ()()()()()、そう伝え続けることの強さを、紀沙は目にしたような気がした。

 

 

「あれは?」

 

 

 その時、駒城が窓の外を見ながら声を上げた。

 そこには変わらずビーチが広がっていたのだが、少し様相が違っていた。

 一言で言えば、「青い」。

 青いシャツや青いタオル、青い横断幕――身体や手に青い物を身に着けたり持ったりしている無数の人々が、酷く興奮した様子で何事かを叫んでいた。

 

 

「うわ……」

 

 

 思わずと言った風に、紀沙の口からそんな声が漏れた。

 人が、違う。

 日本人とは違う、様々な髪や肌の色を持つ人々の姿に驚いたのだ。

 日本にも僅かに外国人の姿を見ることはあるが、外国人しかいないと言うのは初めての経験だった。

 

 

「ここでは、オレ達の方が外国人だ」

「あ、そっか」

 

 

 群像の言葉に、言われてみればと思った。

 アメリカの中では自分達の方が外国人で、珍しい存在になるのだ。

 しかし、だとしても印象的な光景であることには違いない。

 髪や肌の色は本当にバラバラで、特定の人種が多数を占めているわけでは無いように見えた。

 人種のるつぼとは、まさにアメリカのためにある言葉だと実感した。

 

 

 ただ人種は様々だが、青いと言う部分だけは共通している。

 一見すると、デモのように見える。

 ただ何かを抗議すると言うよりは、仲間内でシュプレヒコールを上げていると言った方がしっくり来る気がした。

 何を言っているのかはわからないが、妙な活気を感じる。

 

 

「ああ、もう集会が始まったのでしょう」

「集会?」

「はい」

 

 

 紀沙が首を傾げると、南野は笑っていった。

 

 

()()()()()()()()()()()

 

 

 西暦2056年は、アメリカの大統領選挙の年である。

 それもまた、紀沙が失念していたことの1つだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 その空間は、言いようの無い熱さに満ちていた。

 気温が高いと言うわけでは無く、詰め掛けた人々の熱がそう感じさせるのだろう。

 白人、黒人、中南米系に欧州系、果てはアジア系まで、様々な顔立ちの人々がそこにいた。

 

 

 木造のドーム天井に幾何学模様の描かれたカーペット、半円を描くように設置された架設の座席。

 普段はレストランに使用されていると言うクラウンルームは、集会所へと姿を変えていた。

 料理は無く、代わりに人々の熱狂だけがそこにあった。

 

 

「これは……?」

「ええ、今から始まります」

『レディースエンドジェントルメン! お前ら、今日は良く来てくれたな!』

 

 

 不意に、マイクを持った司会者らしき男が声を張り上げた。

 演壇の一段下で叫ぶ彼に、数十人の――いや、もしかすれば数百人の人々が、応じるように声を上げた。

 正直、紀沙の語学力では聞き取れないような言葉も混じっていた。

 人々は同じ名前が刺繍された青いタオルを手に、シュプレヒコールを上げている。

 

 

『何!? 俺じゃない!? 何て奴らだ、俺だってボランティアでやってるんだぜ! だが気持ちは同じだ、俺も早く彼女に会いたいぜ!』

「「「大統領(マダム)大統領(マダム)大統領(マダム)!」」」

『お前ら、彼女に会いたいか! 彼女の声が聞きたいか! 彼女の微笑みを見たいか!』

「「「エリザベス! エリザベス! エリザベス!」」」

 

 

 大統領、エリザベス、人々は同じ言葉を口にしていた。

 腕を振り上げ声を張り上げて、その音量は耳鳴りがする程だった。

 そうまでして、彼らが待ち焦がれている「彼女」とはいったい誰なのか。

 この熱狂、ちょっとしたアイドルよりも人気があるのでは無いだろうか。

 

 

『よぉし! お前らの気持ちはわかった、俺も同じ気持ちだぜ! んん? 待て、何か聞こえないか……!?』

 

 

 聊か演技じみた仕草で、司会の男が耳に手を当てる。

 するとどうだろう、どこかから音楽が聞こえてきた。

 徐々に音量を上げるそれは、まるで誰かがここに近付いて来ていることを知らせるかのようだ。

 そしてそれは、集会所の出入り口近くにいる紀沙達に近いようだった。

 

 

「わっ……」

「大丈夫か?」

「う、うん。へーき」

 

 

 まず屈強なスーツ姿の男達が何人か入ってきて、紀沙を含む出入り口周辺の人々に丁寧かつ有無を言わせずに道を開けさせた。

 そのまま壁になるように道沿いに立って、規制を張っていく。

 その際に紀沙も多少よろめいたが、群像が支えてくれた。

 兄との急な接近に顔を赤らめつつ、自分よりも頭ふたつは背が高い男達の向こうに視線を向ける。

 

 

『喜べお前ら、彼女が来てくれたぞ! 第60代! アメリカ(マダム)合衆国大統領(プレジデント)!』

 

 

 女性だ、輝くブロンドの髪の女性。

 青いスーツに身を包んだその女性は、柔和な微笑を浮かべて人々に手を振っていた。

 化粧のせいかそうは見えないが年齢はそれなりに重ねているのだろう、物腰も柔らかそうだ。

 小走りで演壇に向かう彼女の登場に、会場の人々が叫び声を上げていた。

 

 

 大統領、エリザベス、同じ言葉を繰り返す、中には失神している人もいるようだった。

 これだけの熱狂は経験が無く、紀沙は自分を支える群像の手に指先を触れさせた。

 その時だ、軽快な音楽と共に登場した女性がちらりとこちらを見たような気がした。

 一瞬のことで確証は無いが、確かに目が合った。

 彼女はそのまま走り去ってしまったので、確かめようも無かったが。

 

 

『エリィィザベスッ! ジャクソン! ホォールデェ――――ンッッ!!』

 

 

 その女性は、熱狂の中に颯爽と現れたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「諸君に聞きたい、アメリカの富は誰のものか?」

 

 

 静まり返る聴衆を前に、男は言った。

 白髪の精悍な顔つきの男性で、年の頃は50を幾許か過ぎたあたりだろうか。

 グレーのスーツを着込み、髪と同じ色合いの眉を深刻そうな形に動かしている。

 口調は静かで、右手の指を一本立てていた。

 

 

「そう、答えはわかっている。アメリカの富はアメリカ人のものだ。では諸君に聞きたい、アメリカ人とは誰のことだ?」

 

 

 聴衆の中から、「俺だ!」と言う声が上がった。

 男はそちらをじろりと見やると、にやりと笑みを浮かべた。

 

 

「そう、あなたのことだ。そして、あなたのことだ。それから、あなた。あなたも、あなたも……そう、我々こそがアメリカ人だ」

 

 

 男は演壇から、聴衆のひとりひとりの顔を指差して言った。

 指差された者は白い顔を紅潮させて、大きく何度も頷く。

 男が指を立てた手を上げると、聴衆も同じように人差し指を立てた手を頭上に上げた。

 この集団では、このサインが共通の何かなのかもしれない。

 

 

「では諸君に聞きたい、アメリカの富はアメリカ人のものだ。そしてアメリカ人とは我々のことだ。だが我々の手に富はあるか?」

「「「NO! NO! NO!」」」

「そう、我々の手に富は無い。何故か? 我々が悪いのか? これは我々に与えられた神の罰なのか?」

「「「NO! NO! NO!」」」

「そう、我々に罪は無い。我々の富は、奪われているのだ! アメリカ人では無い者達によって!」

 

 

 聴衆がヒートアップしていくのに合わせて、男の語調も強くなっていく。

 

 

「今の大統領にはこの問題は解決できない! 私が変える、私がこの国をあるべき姿に立ち返らせてみせる! だから諸君、私を支えて欲しい。私と共に、真のアメリカン・ドリームを再興しようではないか!」

「そうだ!」

「ウィリアムを大統領に!」

「有難う、諸君! 今こそ私は、諸君のことを家族(ファミリー)と呼ぼう。そして私は家族を大事にする男だ。諸君の期待を決して裏切らないと、改めて誓おう!」

 

 

 熱狂が渦となって集会所を席巻する。

 演壇の男は満足そうに頷くと、興奮冷めやらぬ集会所から足早に退場した。

 手を振りながら歩き去る彼に、聴衆の叫びはいつまでも続いていた。

 

 

「今日の聴衆の反応はどうだった、大統領(プレジデント)?」

「いつも通りだよジャン、どいつもこいつも平凡な顔をしていた。反吐が出るね」

 

 

 集会所の裏口から外に出た男は、そこで待っていた男と共に車――でかでかと「ウィリアム・パーカー」と名前が塗装された高級車(キャデラック)――に乗り込むと、うんざりした顔でそう言った。

 SPの車に前後を挟まれて車が発進し、集会が行われていた建物が遠ざかっていく。

 ネクタイを緩めて溜息を吐くウィリアムに、ジャンと呼ばれた男が喉の奥で笑った。

 

 

 男の名はジャン・ロドリック、全米有数の財団のトップを張っている男だ。

 190センチの身長には、車の座席は聊か窮屈そうだった。

 ウィリアムより一回り程も年下の男だが、10年来のビジネスパートナーで、互いに互いの事業のスポンサーになったことも何度もある。

 もちろん互いに利益あればこそのことで、そう言う意味ではビジネスライクな関係ではあった。

 

 

時間が惜しい(タイムイズマネー)、今日は何の用だ? 見ての通り、私は今が正念場でね」

「何、例の件だ。海軍省の友人が教えてくれてね――サンディエゴに到着したそうだ」

「ほう、耳が早いな。するとあの女も知っているはずだな、どうすると思う?」

「さて、僕は政治のことにはさっぱりでね。僕が関心があるのは、日本艦隊が持ってきた振動弾頭とか言う()()のことだけさ」

「相変わらずな奴だ、人の気も知らないで」

 

 

 肩を竦めるジャンに苦笑を向けつつも、ウィリアムは携帯端末を手に取った。

 どこかに連絡するのだろう、それを横目にジャンは視線を車の外に向けた。

 そこには赤いタオルや横断幕を持った人々の姿が見て取れて、ジャンはこう思った。

 ――――自分達がこんなにも時間を惜しんでいる(忙しい)のに、時間(マネー)があって羨ましいことだ。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 まさか艦を無人にも出来ないので――最も、霧の艦艇は無人でも十分過ぎる程に稼動するが――当然、クルー達はイ404に残ることになる。

 そもそも白鯨は人数が多いし、アメリカ側としても外国の部隊を自由にさせるわけも無い。

 おまけに日本艦隊の存在は一般には秘匿されているから、ますますもって自由にさせられないのだった。

 

 

「ここをこーしてー」

「あらあら、蒔絵ちゃん。凄いわねぇ」

 

 

 ただ、それは蒔絵にとっては好都合だったのかもしれない。

 元々外に出すことは出来ないので、艦内に人が残っていても不自然の無いこの状況は悪いものでは無かった。

 ただ、流石に機関室に入れて計器を触らせることには静菜が良い顔をしなかった。

 

 

 蒔絵はあおいの膝の上に座って、カタカタと端末を叩いている。

 イ404の機関室ではハード面は静菜が、ソフト面はあおいが担当している。

 互いの領分を侵さないのが暗黙のルールなので口にこそ出さないが、保護している子供を機関室に連れて来るばかりか、データに触らせると言うのは褒められた行為では無いだろう。

 

 

(とは言え、この子)

 

 

 作業着姿の静菜は、油のついた頬を手の甲で拭いながら蒔絵を見ていた。

 タイピングの指が止まらない。

 微妙なデータの動きを見逃すことも無く、最適の数値を見つけては調整していく。

 まさかとは思うが、イ404の機関についてもう理解しているとでも言うのか。

 

 

「本当に凄いわねぇ。蒔絵ちゃんは、将来はエンジニアさんになるのかしら」

「んー、わかんないよそんなの」

「あらあら、じゃあ他になりたいものでもあるのかしら」

「んー……わかんない」

 

 

 しゅんとして、蒔絵が手を止めた。

 蒔絵は祖父に会うことを目的に、イ404に潜り込んだ。

 それが果たせないとなれば、他にしたいことなど無かった。

 能力はともあれ、そう言うところは子供だった。

 

 

「うふふ、大丈夫よ~」

 

 

 そんな蒔絵を、あおいはぎゅっと抱き締めた。

 驚いた顔をして、蒔絵があおいを見上げる。

 

 

「小さい内は、好きなことをたくさんすれば良いのよ。その内、本当にやりたいことが見つかるわぁ」

「本当に、やりたいこと……」

「だから、焦らなくても良いのよ~」

 

 

 良し良しと蒔絵を抱き締めるあおいを、静菜は少し意外そうな目で見ていた。

 あおいは普段はふざけていたり掴み所が無かったりと、他者に気遣いをするようなイメージは無かった。

 イ401にいると言う妹とも不仲と聞くし、そう言う面では残念な人物なのだと思っていた。

 それが蒔絵にはまるで姉か母のように接していて、正直別人じゃないかと思った。

 まぁ、正直「観光」とプリントされたシャツのデザインはどうかと思うが。

 

 

「……私の、やりたいこと……」

 

 

 ぽつりと呟いて、蒔絵は目を閉じた。

 胸の内であおいの言葉を反芻しながら、自分のやりたいことは何だろうかと、そう考えながら。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 アメリカ合衆国大統領選挙は、4年に1度行われる一大政治イベントである。

 つい先日に与党と野党の大統領候補を選ぶ党大会(予備選挙)が終わり、今は両陣営共に11月以後の本番に向けて選挙運動を展開している時期だ。

 先ほど集会所で見た現職の女性大統領と、野党の候補が争う構図になっているらしい。

 

 

「4年前に今の政権になってから、在米外国人への待遇も随分と良くなりました」

 

 

 大統領との面会のため、紀沙達は大統領SPの案内でホテルの中を歩いていた。

 ビーチを一望できる赤い屋根のホテルで、燭台やシャンデリアを模した照明に照らされた木造の建物は、それだけで高級感があった。

 ここまでの規模のホテルは、横須賀でもお目にかかったことは無い。

 

 

「……良く無かったのですか? その、アメリカの日本人の状況は」

「ええ、まぁ」

 

 

 駒城の言葉に、南野は短く答えた。

 多くは語らないが、外国に取り残された日本人がどう扱われるかと言うのは、日本に取り残された外国人がどう扱われているかを見ればわかる。

 クルツ達のような例は、あくまでも例外なのだ。

 

 

 外国に取り残された日本人が、この17年どんな想いで生きていたのか。

 本国の保護も十分に受けられず、自国民のことで手一杯の外国政府の庇護も期待できず。

 それは、紀沙の想像を絶する時間であっただろうと思う。

 そして南野が「良くなった」と評する大統領に、紀沙は改めて興味を持った。

 

 

「……!」

「…………!」

 

 

 ホテルの通路を歩いていると、奥から声が聞こえてきた。

 最上階の1番奥、いかにもVIPがいそうな場所だが、どうやら部屋の扉が開いていたようだ。

 無用心だなぁと思っていると、紀沙達を案内していたSPの男性が慌てたような顔をした。

 何だろうと思っていると。

 

 

「ロブゥ~~! やっぱり私に大統領なんて無理なのよぉ~~っ!!」

 

 

 何か、聞いてはいけない類の声が聞こえた気がした。

 

 

「大丈夫だよハニー! キミはこの4年間立派に大統領をやって来たじゃないか! 国民の40%がキミを支持しているんだよ!」

「60%の国民に嫌われてるってことじゃないっ!」

「この間の党大会だって、過半数の代議員を獲得できたじゃないか。皆がキミを必要としてるんだよ!」

「残り半分は私を支持してくれなかったじゃないっ! 新聞だって皆して私の悪口しか書いて無いし!」

「大丈夫だよリズ、僕がついてるじゃないか! 一緒に頑張ろう、メディアの批判なんて気にしちゃダメさ!」

 

 

 紀沙は、助けを求めるように兄を見た。

 だが流石の群像もこれは予想していなかったのか、何とも言えない表情を浮かべていた。

 正直、兄のそう言う顔を見れただけで良しとしたい気分になった。

 たとえそれが、現実逃避に過ぎないとわかっていても。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「ご、ごめんなさいね。つい緊張の糸が切れちゃって」

「ガハハハッ。いや気にせんで下さい、我々も貴国に到着した時は嬉し泣きで抱き合いましたからな」

 

 

 謙遜なのか事実なのか判断のつきにくいことを言って、浦上が大統領――エリザベスと握手を交わした。

 日米の首脳――多少、肩書きに格差があるが――が握手を交わしたのは17年ぶりのことで、非公式ながら歴史的な瞬間ではあった。

 ただ先程の光景の印象が強すぎるせいか、どうにもしっくり来なかった。

 

 

 ちなみにエリザベス大統領を励ましていた男性は、エリザベス大統領の夫であるらしい。

 名前はロバート、いわゆるファーストレディー役なのだそうだ。

 ブラウンの髪の優しそうな男で、笑顔を絶やさない男性だった。

 今もエリザベス大統領の隣に立って、ほわほわとした雰囲気を振り撒いている。

 

 

「それで、振動弾頭引き渡しの件なのですが……」

 

 

 そして、浦上の方から本題を切り出した。

 そう、大統領夫妻の仲や大統領選挙のことはあくまで二の次だ。

 重要なことは任務、アメリカへの振動弾頭のサンプルと設計データの引き渡しだ。

 紀沙達はそのために太平洋を渡ったのであり、後はどうやって日本に帰るかと言う問題だった。

 

 

(それから……)

 

 

 ちらりと兄の横顔を見て、紀沙は右目に憂いの色を浮かべた。

 道中は考えないようにしていたが、ことここに及べば考えなくてはならない。

 群像とイ401が、この後にどう行動するのかを。

 

 

「ああ、貴女ね!」

「え?」

 

 

 その時、声の近さに驚いた。

 眼帯で塞がれている左側からだったので、気付くのが遅れた。

 見れば、大統領が目の前に立っていた。

 浦上達もぽかんとした表情を浮かべていて、話の途中で紀沙の方に来たらしい。

 エリザベス大統領は紀沙の顔を見つめると、人懐っこそうな笑顔を浮かべていた。

 

 

「日本政府から送られて来たプロフィールを読んだわ。貴方がキサね?」

()ええ(イエス)。お会いできて光栄です、大統領閣下(プレジデント)

 

 

 突然のことに目を白黒させていると、エリザベス大統領は紀沙の手を取って言った。

 

 

「貴女、政治家の……ミスター・キタの養女なのですってね? ミスター・キタのご高名はアメリカにも届いているわ」

「い、いえ、確かにお屋敷に置いて貰っていますが、養子縁組をしているわけでは無いので」

「あら、そうなの? まぁ、私も似たようなものだったのよ。政治家だったお義父さん(パパ)が私を引き取ってくれて、育ててくれたの」

 

 

 紀沙が思っていたよりも、北の名前は知られているようだった。

 何となく嬉しく思うが、楓首相の後ろ盾とまで言われる政界の長老の存在は、アメリカが把握していてもおかしくは無いのかもしれない。

 エリザベス大統領が養女だと言うことは素直に驚いたが、それとこの態度に何の関係があるのかはわからなかった。

 

 

「ねぇ、キサ。貴女はこの国(アメリカ)をどう思うかしら」

「ど、どう、ですか」

「ええ。貴女の目から見て、私達の国はどんな国かしら」

 

 

 どう、と言われても、紀沙がアメリカに来たのは今日が初めてだ。

 だから感想を問われても困ると言うのが正直なところで、何を言うことも出来なかった。

 適当に良いことでも言えばと良いのかと言うと、エリザベス大統領の顔を見ていると、そう言う場面でも無いような気がして、何も言えないのだった。

 

 

「……わからない?」

 

 

 だから優しげにそう言われて、紀沙は小さく頷くことしか出来なかった。

 するとエリザベス大統領は「そう」と頷いて、笑顔を浮かべた。

 

 

「なら、このサンディエゴを見て回りなさい」

「え?」

「カリフォルニアはアメリカの縮図、そしてこのサンディエゴはカリフォルニア第二の百万都市よ。今の時代のアメリカを知るには、良いところでしょう」

 

 

 紀沙の手を握ったままそう言って、エリザベス大統領は顔を上げた。

 表情は柔らかく、そして掌は温かかった。

 そして、エリザベス大統領は言った。

 

 

「振動弾頭の引き渡しに関するお話は、その後にしましょう」

「……え?」

「サンディエゴを見て回って、貴女が何を思うか。その答えを聞いてから、振動弾頭の引き渡しに応じるかどうかを決めたいと思います」

「え? ……え?」

 

 

 一瞬、何を言われたのかわからなかった。

 振動弾頭の引き渡しは日米政府間の契約であって、そこに紀沙の意思は関係が無いはずだ。

 それなのに、自分がサンディエゴを見て何を思うかで、振動弾頭――つまり人類の今後を決める?

 エリザベス大統領の言葉の意味を理解していくにつれて紀沙は顔を蒼くしていき、最終的に。

 

 

「えええええええぇぇぇ――――っ!?」

 

 

 

 紀沙の叫び声が、コロナドのホテルに響き渡った。

 




登場キャラクター:

ジャン・ロドリック:車椅子ニート様。

有難うございます。


最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。

私も気付いた時は「おお」と思ったんですが、作中の2056年の夏って大統領選挙の真っ只中だと思うんですよね、計算上。
タイムリーと言うこともあって、それ関連のお話にしてみました。
アメリカ編は霧対人と言うより、人対人、みたいな要素を入れてみたいと思います。
なお繰り返しますが、実在の組織・人物とは以下略です。

それから外国が舞台の物語特有の問題ですが、この世界は日本語が国際公用語と言うことにします(え)
冗談はさておき、時折外国語要素を入れつつも、基本は登場人物は意思疎通できる程度の語学力を有するみたいな設定で行こうと思います。
と言うか、そんな国際色豊かな作品にしても何も楽しくないですし(え)

それでは、また次回。
次はサンディエゴを観光しましょう。

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