ボッ、とロケットブースターの火線が視界を走り、瞬く間に空の彼方へと吸い込まれて行った。
ゾルダンはハッチから上半身を出したまま双眼鏡を手に取ると、U-2501の発射管から飛び立った8つのミサイルの行き先へと目を向けた。
潜水艦発射型の
『着弾まで、3、2、1……目標に着弾、2つの
「良し。この海域を離脱する、急速潜行! 進路を北へ向けろ」
『了解致しました』
U-2501の返答に頷いて、双眼鏡を下ろした。
足裏から鈍い音が響き、エレベーター式の足場が艦内へと降りていく。
遠目に見える黒煙の柱に目を細めて、ゾルダンは帽子を深く被り直した。
『首尾はどう? ゾルダン』
「聞いての通りだ。パナマ運河はしばらく使えん」
U-2501は現在、パナマ湾に進出していた。
彼らは硫黄島の戦い以後、イ401を含む振動弾頭輸送艦隊を追尾していた。
そして日本艦隊がサンディエゴ・コロナド基地に入港するのを確認した後、ゾルダン達は南へと船首を向けた。
目的は今ゾルダンが言ったように、パナマ運河の破壊である。
艦対地タイプの潜水艦発射型巡航ミサイルでパナマ運河太平洋側の閘門――水位の異なる位置間で船舶を移動させる設備のこと――を破壊し、艦船が通過できない状態にしたのだ。
閘門設備を破壊してしまえばパナマ運河は船舶の移動が出来ず、いわゆる「階段」が使用できなくなる。
そしてこれは、太平洋側と大西洋側の霧の艦隊間で戦力の融通することが困難になることを意味する。
「パナマ運河は霧にとっても重要拠点だ。今、太平洋方面の艦隊に大西洋に出られては困るからな」
霧は基本的に、陸地を攻撃しない。
しかしそれは不可侵を約束するものでは無く、パナマ運河のように国際航路上必要な場所には出没したり、あるいは通過したりする。
当然、人類側がこれを撃退・妨害できたことは無い。
『それから、イ401とイ404にも?』
「まぁ、そうだな」
フランセットの言葉を、ゾルダンは特に否定しなかった。
彼としては、とにかく今は大西洋方面に何者かが介入することを防ぎたかった。
ゾルダンの
「今のパナマ政府に運河の修復は不可能だ。霧が工作艦を派遣してくる可能性もあるが、一度壊れた運河を使用可能な状態にするには相当の時間を要するはずだ」
『アメリカが介入してくる可能性は?』
「無いとは言えんが、少なくとも来年の1月までは難しいだろう。何しろ今は選挙に忙しい、選挙期間中は国としての動きが鈍るのは民主国家の宿命だな」
現在、アメリカは新大陸の盟主として地域を引っ張っている。
霧の海洋封鎖で相応のダメージは受けたが、アジアやその他の地域で失った市場を中南米に求めて国力を回復させた。
その点、流石は世界最強の大国だ。
ただそこには強引さもあり、現在、アメリカ以外の新大陸の諸国家は概ね反米的な空気が強かった。
最も、ゾルダンはそうした政治的な話には関心が無かった。
ただし、振動弾頭を手にしたアメリカが――人類が今後どう動くのか、については関心があった。
霧に対する人類の地位を押し上げるだろうこの一件は、霧優位の世界の軍事バランスに影響を与えるだろう。
『それは、千早兄妹の功績と言えるのかしら?』
「それは後世の歴史家が決めることだな。もしかしたら、振動弾頭の量産は決定打にならない可能性もある」
『厳しいのね』
「ただ、まぁ、それくらいのことはして貰わなければな」
『甘いのね、意外と』
数瞬、互いに笑みを浮かべるための間が空いた。
『それで艦長、私達の次の目的地は?』
「北だ。もう1つの国際運河、ニカラグア運河の太平洋側出入り口を破壊する。その後はさらに北進し、そうだな」
制帽の唾に指を添えて、ゾルダンは言った。
「――――霧の裏切り者、潜水艦『イ15』。少々小粒だが、見せしめにはちょうど良いだろう」
パナマ湾の海は今日も穏やかで、海の生き物達の楽園だった。
しかしそれは、新たな火種を孕んだ微妙なバランスの上に成り立つ、砂上の楼閣に過ぎなかった。
◆ ◆ ◆
からりと晴れた空の下、やけにカラフルなショッピングモールに紀沙はいた。
フード付きの7分丈パーカーにスカートを合わせた、カジュアルな
ドリンクの入った容器を片手に、赤白黒の縞模様の壁に背中をつけて立ちながら、がやがやと目の前を通り過ぎていく人々を見つめている。
「良く良く聞いて見ると、英語以外も普通に聞こえてくるなぁ」
そう呟いて、ずずず、とドリンクを飲む。
容器がやたらに大きく、1番小さなサイズで紀沙の顔程もあった。
そしてそんな紀沙の前を歩いているのは、金髪だったり赤毛だったり白人だったり黒人だったり、アジア系だったりアフリカ系だったりと言う人々だ。
もちろん、日本人の姿を見ることは無い。
そして思うのは、アメリカ人――と言うか、外国人は大きな人が多いな、と言うことだった。
見るからに子供、と言う容貌の者以外は女性であっても紀沙よりも頭1つ分は大きい。
それから、色だ。
今飲んでいるドリンクの色もそうだが、このモールの建物は赤、青、緑、さらに黄色とカラフルだ。
こう言う色合いは、横須賀ではちょっと見ない。
「お~い」
その時だ、日本語が聞こえた。
こんなところで日本語を聞くのは稀だが、その相手が紀沙の連れであれば不思議なことでは無い。
そしてその相手と言うのは、冬馬だった。
軍服を脱ぎカジュアルな服装になった冬馬は、流石に外国人に囲まれると小さく見えた。
「待った~?」
「いや、待ったも何も。冬馬さんトイレ行ってただけじゃないですか」
「馬っ鹿だなー、こう言うのは様式美ってのがあるだろ」
「何の様式美ですか、それ」
苦笑して、紀沙はまた周りを見渡した。
日本人と日本語は珍しいと思うのだが、特にこちらを気にしている者はいないようだった。
自分と異なる人種や言語が聞こえることに、慣れているのかもしれない。
異質な物を当然として生きている人々、とでも言おうか。
これが、アメリカか。
確かに懐の大きな国民性だとは思うが、エリザベス大統領の言う「この国を見て、何を思うか」とは意味が違うような気がした。
いったい、エリザベス大統領は自分に何を見て欲しいのだろうか。
自然、紀沙の表情は深刻なものになっていた。
「そぉい!」
「ひゃっ……って、うわ、何するんですか!?」
冬馬に、フードの紐の片側を思い切り引っ張られた。
結果、もう片方が内側に入ってしまって、紀沙は慌ててフードの紐を通す部分を揉み始めた。
奥に入り込んでしまうと道具なしでは戻せなくなるので、地味に嫌だった。
「やれやれ、艦長ちゃんはどこ行っても艦長ちゃんだな」
「いや、ちょっと何言われてるかわからないです」
「艦長ちゃんは考え過ぎなんだって、こう言うのは自然体で楽しめば良いんだよ」
「いや、そうは言っても……」
「少しはあおいの姉さんを見習ってみろって」
「ああー! たくさん買っちゃったわ~」
紀沙が立っている横には、ブティックがある。
ガラスの扉が開いて中から出てきたのは、あおいと良治だった。
2人とも外行きの私服姿で、特にあおいは上機嫌そうだった。
ただその後ろで、良治がそれこそ漫画のように大量の紙袋と箱を持っていた。
また随分とベタな役割分担だなぁと思いつつ、ふと気付いた。
「え、あおいさん? そんなに買ってお金はどうしたんですか?」
「大統領がカード貸してくれたわぁ」
「嘘でしょ!?」
「う・そ♪」
嘘で良かった、大統領がクレジットカードを貸すとかどんなスキャンダルだ。
あと、あおいの素敵な笑顔に若干イラッとした。
「ちゃんと大使館に領収書送ってもらったわぁ」
「ああ、それなら……いやダメですよね!?」
「あらぁ、でもこれ全部紀沙ちゃんのよ~?」
「何でそうなるんですか……!」
ただ、あおいと話している内に――話の内容はともかくとして――紀沙の表情から深刻さが消えていた。
多分あおいにはそんなつもりは無いのだろうなと、彼女と一緒になってフェミニンからガーリーまで、お姉さん系からゴシック系まで、さらにアウターからインナーまでを揃えた良治は思った。
軍医として紀沙のサイズを押さえている彼は、ブティックでは優れた戦力と言えた。
――――サンディエゴのダウンタウンの一角に、日本語が姦しく響き渡っていた。
◆ ◆ ◆
コロナド基地の対岸は、意外なことに民間に開放されている。
国定公園にも指定されている高台に登れば、サンディエゴの港や高層ビルが建ち並ぶ街並み、赤い土を露出させた海岸と背の低い植物、浜辺に寝そべる海生生物等の光景を目にすることが出来る。
公園と言っても日本のそれとは違い、自然そのままに維持していると言う場所だった。
「あの、艦長。艦長の妹さんって、どんな人なんですか?」
群像が静にそう聞かれたのは、彼らがコロナド基地対岸の国定公園で休憩を取っていた時だった。
クロッシェ編みのカーディガンを羽織った静は、やや肌寒いのか緊張しているのか、自分の腕を撫でるようにしていた。
ただし、目だけは興味と好奇心でキラキラと輝いている。
「以前、後で話してくれるって言いましたよね?」
そんなことも言ったかもしれない。
正直覚えていない群像だったが、そんなことで静が嘘を吐く理由も無いので、多分言ったのだろうと思う。
だから彼は、顎先を指で撫でながら「そうだな」と言った。
「紀沙は、そうだな。一言で言えば……お転婆、だな」
「そうなんですか? とても真面目そうな方に見えますけど」
静の「真面目そう」と言う評価は、群像の苦笑を誘った。
確かに一見すると紀沙は真面目な少女に見えるだろうが、あれはそんな大人しい性格をしていない。
そもそも、真面目で大人しい少女が突撃戦術など編み出すわけが無い。
そして群像にしてみれば、あの戦術はむしろ
「紀沙は昔から手が早くてな、良く近所の子供と喧嘩していた」
「そうなんですか!?」
「ああ、毎日のようにボロボロになって帰って来ていたよ」
そして、大体は勝って帰って来るのだ。
海軍の士官の家に抗議に来る親もいないので、幸い大事にはならなかった。
ただ、友達は多かったように思う。
自分は幼い頃から人付き合いが苦手だったが、紀沙は喧嘩っ早い割に人に好かれていた。
ただし、父が出奔してからは変わった。
自分もそうだが、紀沙は外に対して壁を作るようになった。
いや逆か、周りが自分達に対して壁を作った。
それまで仲良くしていた子供達とも疎遠になり、学院の中でも孤立しがちになった。
「学院に入ってからは、多少は大人しくなったかな」
ならざるを得なかった。
そんな中で紀沙は明らかに自分に傾斜するようになったし、自分も意識はしていたつもりだった。
ただ完全に孤立せず、周囲全てが敵と言う最悪の事態だけは避けることが出来た。
幸運、と言うべきなのだろう。
「元々そう言うのが性に合っていたんだろうな、格闘や柔道は得意だった。そのあたりは、オレはからきしだったが」
「ああ、艦長ってそう言うの苦手そうですよね」
「そうはっきり言われると、流石に傷つくな」
「あ。す、すみません!」
天羽琴乃。
幼馴染の少女の存在が、自分達を救ってくれた。
命も、そして心も。
自分が今ここに立っているのも、彼女のおかげなのだと群像は思っている。
(……琴乃、オレはとうとうアメリカに来たよ)
琴乃のいない日本を飛び出して、群像はアメリカまで来た。
閉塞感に溢れるこの世界を変えるために、振動弾頭を運んで来た。
ただ、その先に何をすべきなのかの答えは、まだ群像も持っていなかった。
琴乃が見たかった、自分に見せたいと言っていた海は、世界は、どこにあるのだろうか。
◆ ◆ ◆
駒城は未だに、自分がアメリカに来たと言う実感を持てないでいた。
いや、それは少し表現が違う。
実感を持てないと言うよりは、達成感が湧いて来ないと言った方が正しかった。
「いや、サンディエゴに入港して肩の荷が降りた心地ですな」
「ああ……」
白鯨の通路を歩きながら、駒城は興奮したような副官の言葉に曖昧に頷いた。
ただ、その興奮を共有する気にはどうしてもなれなかった。
何故なら駒城には、自分達が何か仕事をしたと言う感覚が無いからだ。
浦賀水道でこそ少し働いたが、それ以外は千早兄妹の後を海底を這ってついて行っただけだ。
それも硫黄島で千早兄妹がコンゴウ艦隊を壊滅させていた――紀沙に至っては、片目まで負傷している――から可能だったことで、白鯨は何もしていない。
我侭だと承知しているが、命を賭す覚悟で出撃しただけに肩透かしを食らったように思ってしまうのだ。
「大の大人が、子供の尻を追っかけて喜べるか……」
「え? 何か仰いましたか?」
「いや、何でも無い。それよりクルーの様子はどうだ、水や食事に当たったりしていないか?」
「は、今のところは体調に問題のある者はいないようです」
「そうか、だが最後まで何が起こるかわからん。気を抜かずに……ん?」
その時、駒城は陽気そうな顔で通路を歩いてくるクルツを見つけた。
何とは無しに足を向ければ、クルツもこちらに気付いて手を挙げてきた。
「よ、駒城艦長」
「お前! どうして」
「どうしても何も、白鯨のクルーは艦内待機を命じられてるじゃないか」
「いや、それはそうだが」
言うまでも無く、クルツ達在日米軍組の故国はアメリカだ。
その彼らがアメリカまで達した時に何を望むのか、駒城は理解しているつもりでいた。
侮辱しているわけでは無い。
ただ、17年ぶりに故国に戻れた人間の気持ちを汲んでやりたかったのだ。
「気持ちは嬉しいがね、駒城艦長。オレ達はもう統制軍に組み込まれた日本の軍人だ、アメリカ軍じゃないのさ」
17年――17年だ、それだけの時間を日本で過ごしてきた。
元在日米軍の中には故国で過ごした時間以上に日本で過ごした者も少なくない、また日本で家族を作った者も多い。
今さら白鯨を離れてアメリカに戻ることなど、出来ることでは無かった。
失われた時間は、取り戻せないのである。
「強いて言えば、オレの部下達が孫をアメリカの実家に連れて行けるようになれば良いと思うよ」
「……ああ、そうだな」
だから、駒城もそれ以上は何も言えなかった。
そしてクルツの言うようなことが現実になれば良いと、本心から思った。
群像が言う「人と霧の共存」が成れば、そう言うことも出来るようになるだろう。
(ただ、それも……紀沙艦長次第か)
紀沙は今頃、サンディエゴを散策している頃だろう。
エリザベス大統領が何故あんなことを言ったのかはわからないが、紀沙が大統領の納得する答えを見出せない限り、振動弾頭引き渡しへの道には暗雲が垂れ込めたままだ。
そして駒城は、紀沙と話したことがあまり無い。
(あの子は、どんな想いでこの作戦に参加しているんだろうか)
もう1人の霧の艦長、北議員の縁者と言うことで避けていたところがある。
だが今、駒城は後悔していた。
事ここに及ぶまで、紀沙と対話の場を持たなかったことを。
◆ ◆ ◆
やはり、良くわからなかった。
サンディエゴは文化と学問の町でもあり、市内にはいくつもの学校や博物館がある。
そして紀沙達が午後にやって来た都市公園には、10以上の博物館や美術館が隣接していた。
「あー、やっぱ俺こう言うのダメだわ~」
「僕的には、人類博物館とか面白かったけど」
性に合わなかったのか、冬馬がベンチに座ってぐったりとしていた。
紀沙個人としては、アメリカ・アートや近代美術等が面白かった。
飛行機や自動車、それから歴史博物館も面白くはあったが、どうも自分は美術の方が好きらしい。
とは言えそれを見たからと言って、サンディエゴやアメリカのことが理解できるわけでは無い。
エリザベス大統領の言った意味がわからず、紀沙は困り果てていた。
とりあえずサンディエゴを理解すべく観光などしてみたが、理解が進んだとは思えない。
まぁ、1日で国を理解しろと言う方が無茶な話だ。
ここに来て足踏みなど洒落にならないが、ここは急がば回れの精神で行くしか無いのかもしれない。
「しっかし、あおいの姉さん遅ぇなー」
「あ、私ちょっと見てきますね」
3人はトイレに行ったあおいの帰りを待っていたのだが、紀沙は様子を見に行くことにした。
時刻はすでに夕方に差し掛かっており、そう間を置かずに夜になるだろう。
流石に夜のサンディエゴを散策するつもりは無いので、早めに港に戻りたいところだった。
そしてじっとしていると考え込んでしまうので――もちろん、女性が自分だけと言うのもある――何かと理由をつけて、動いておきたいのだった。
「それにしても、綺麗な公園だな……」
紀沙の言う通り、サンディエゴの都市公園は綺麗に整備されていた。
芝生はきちんと刈り込まれているし、建物は白く傷みが無い、中の展示物も良く管理されていた。
きっと、国に余裕があるのだろう。
少し肌寒くなって来た並木道を歩きながら、紀沙はそう思った。
今日1日サンディエゴを見て思ったのは、思っていたよりも物資が豊かだと言うことだ。
元よりアメリカはエネルギーや食糧のほとんどを自給できる国だが、それでも海洋の権益と交易路を失ったことで国力は落ちたはずだ。
自給できない物もあるはずだが、サンディエゴの国民が窮乏している様子は無い。
日本とは大分違うなと、そう思った。
「あ、いた。あおいさ……ん?」
トイレまで行くまでも無く、道すがらにあおいの姿を見つけた。
ただ、少し様子がおかしいことに気付いた。
あおいが、2、3人の外国人に囲まれていたのである。
◆ ◆ ◆
はっきり言えば、あおいは困っていた。
お手洗いから出てきたところ、3人の外国人――多分、アメリカ人が近付いて来たのだ。
それ自体は特に気にしていなかったが、その3人の男が道を塞ぐとなると話は別だった。
おまけに、である。
(……銃は、予想外だったわねぇ)
胸元に突きつけられた
そう言えば、アメリカは民間人が銃を所持できるのだった。
まだ明るいからと1人で行動したのが不味かったか、やはり紀沙も連れてお手洗いできゃっきゃうふふした方が良かったか。
しかも男が銃口の先を胸にムニムニと沈めて来るものだから、正直、痛い。
下卑た笑みと合わせて、女性の扱いがなっていない連中だと思う。
しかも不味いのは、この男達が自分をどこかに連れて行こうとしているらしい、と言うことだ。
あおいとて統制軍の軍人である、取り乱したりはしない。
ただ戦闘スキルをほとんど持っていないため、抵抗の術が無いのはどうにも……。
「何をしているんですか?」
聞き覚えのある声が聞こえた。
それは銃持ちの男の背中から聞こえて、男が振り向くと予想通りの顔が見えた。
左目を眼帯で覆った少女が、右目で冷たく男のことを見上げている。
男は一瞬、紀沙の眼帯に驚いたようだった。
しかしすぐに何事かを言って、銃口を紀沙の眉間に押し当てた。
「銃を下げて下さい。さもないと」
男が何事かを叫び、引金に指を添えた。
それに対して、紀沙は目を細めた。
「――――そうですか、では」
次の瞬間、男の口から声にならない呻きが漏れた。
たまらず銃を下げて両手で押さえたのは股間、見れば紀沙の足が上がっていた。
靴先で、思い切り蹴り上げたのだ。
男の身体がくの字に折れたのを利用して頭を掴み、そのまま膝を上げる。
嫌な音が、紀沙の膝に吸い込まれた男の顔から聞こえてきた。
「制圧します」
びゅんっ、と、紀沙の姿が一瞬あおいの視界からも消えた。
気が付いた時には、あおいの後ろの男の傍にいた。
紀沙はあおいを押して隙間を開けると、身長差を利用して真下から拳を振り上げる。
右掌が男の顎を打ち上げ、もう片方の手で相手の手首を掴み、足で相手を刈り倒した。
倒された男は、背中を打った時にくぐもった声を上げた。
肺の空気を強制的に排出させられて、息が詰まって動けない様子だった。
一瞬の出来事で、あおいが瞬きする間に全てが終わっていた。
「どうしますか? こちらも出来れば大事にはしたく無いのですが」
そして、まごついていた最後の1人にそう言った。
2人の仲間が地面に倒れて呻いている姿を見て、彼は困惑と恐怖に駆られたようだった。
見るからに自分より弱そうな少女が、大の男2人を瞬く間にのしてしまったのである。
彼は何事か悪態のような言葉を吐くと、仲間を引き摺るようにして駆け去って行った。
その背中を見送りながら、紀沙は全身から力を抜く。
「あおいさん、大丈……わっ」
「ん~、ありがとう紀沙ちゃん。怖かったわ~」
「あ、はい。無事で良かったです。でも、あの、変なところ触らないで下さい」
「え? 変なところって?」
「いや、あの……」
かいぐりかいぐりと抱きついてくるあおいに怪我は無いようで、紀沙はほっとした。
「でもね、紀沙ちゃん。ああ言う場合は、自分でやるんじゃなくてトーマ君達を呼ばないとダメよ~」
「ああ、はい。ごめんなさい」
「良いのよ。わたしこそごめんなさいね、迷惑をかけてしまって」
とにかくあおいが無事で良かったと、紀沙は思った。
それにしても、見た目は豊かだが治安はそれ程良くは無いようだ。
これ以上妙なチンピラに絡まれる前に、艦隊に戻った方が良いのかもしれない。
すぐ側に立つ博物館の白い建物を見上げながら、紀沙はそう思った。
◆ ◆ ◆
ふむ、と男は頷いた。
彼は、とある博物館の窓から紀沙達とチンピラの騒動の一部始終を見ていた。
「なかなか過激なお嬢さんのようだね、イ404の艦長と言うのは」
足早に公園の道を去っていく2人の女性を目で追いながら、ジャンはそう言った。
長身にきっちりとスーツを着込み、髪を整髪材で整えている姿はまさに出来るビジネスマンと言った風だった。
最も、細かく言うなら彼は実業家あるいは財団の代表である。
アメリカには数多くの財団やシンクタンク、ロビー団体や圧力団体が存在するが、彼の率いるロドリック財団はその中で新興の部類に入る。
父が設立してジャンが引き継いだ、保守系団体の1つだ。
古く大きな財団が海外権益の喪失で衰退していく中で台頭し、今では多くの政治家や機関と繋がりを持ち、大統領候補に近付けるまでになっている。
「日本の女性はお淑やかと聞いていたけれど、あれなら今の妻の方が可愛く見えるな。……おっと、今のは妻には言わないでくれよ?」
「…………」
傍に立っている男に冗談めいたことを言いつつ、ジャンは携帯端末を取り出した。
「ああ、そうそう。
当然のようにそう言って、ジャンは携帯端末を耳に当てた。
どこかに連絡を取っているようで、そして相手はすぐに電話に出た。
「やぁ、
電話をしながらも、ジャンの目は窓の外を見たままだった。
その目は、手をつける事業の採算を計算している事業家の目そのものだった。
いくらの投資とリスクで、いくらの利益とリターンが手に入るか?
ハイリターンはハイリスクでしか手に入らない、負ければ何もかもが終わりだ。
ジャンは、そう言う賭けが好きだった。
これまでのリターンは私腹を肥やすためにあるのでは無く、より大きな賭けにベットするための原資であるべきだ。
それが、未だ実業界では若輩の自分を全米有数の財団の代表たらしめている素質なのだと信じていた。
「ああ、宜しく頼むよ。……さて、これでウィリアムの希望通りにはなったのかな。レディとのディナーのセッティングなんて、久しくやったことが無いから緊張してしまうね。……良かったら、キミも同席するかい?」
電話を切り、ジャンは傍らに立っていた男に視線を向けた。
「――――ミスター・南野」
大使館付きの武官の制服に身を包んだその男は、無言のまま、何も答え無かった。
何かに耐えるように目を閉じたまま、唇を引き結んで。
何も、答えなかった。
◆ ◆ ◆
艦隊に戻る前に、最後に寄ったのは1隻の空母だった。
より厳密に言えば、博物館として航海されている航空母艦だ。
ハワイで見た戦艦と同じくらい古そうだが、こちらは手入れが行き届いているのだろう、綺麗に展示されていた。
「飛行甲板にも上がれるみたいだけど、どうする?」
「いえ、流石にそこまでしてる時間はありませんから」
博物館の入口から少し離れた桟橋に立って、300メートル級の飛行甲板を持つ空母の威容を見上げた。
日本海軍にもヘリコプター運用のための艦船はあるが、航空母艦と言う意味の艦船は保有していない。
だから前時代の記念品同然の状態とは言え、空母を見たのはこれが始めてだった。
ただそれは紀沙だけでは無く、アメリカ渡航が初めてな他のクルーにも言えることだった。
「機関室とか見てみたいわねぇ」
「当時の医務室ってどうなってるのかな、たぶん今と大差無いんだろうけど」
技能持ち組は、やはりそれぞれの部署の様子が気になるようだった。
紀沙としても発令所等には関心があったが、単純に夕焼けに照らされる灰色の空母が美しいと思った。
無骨な中に数十機の航空機を運用するための機能美を追及した跡が見て取れて、当時の人々のこだわりが見えるようだった。
海水が空母の艦体を打つ音が、子守唄のように心地良く聞こえる。
桟橋だけに足元は濡れているが、それも気にならなかった。
かつて国のために戦った艦が静かに眠り、まどろみの間に人々と触れ合う。
そんなセンチメンタルな気持ちが、紀沙の胸中には生まれていた。
「アメリカは今も空母を運用しているみたいですから、乗ってみたいとは思いますけどね」
今は水上艦は霧に完全に負けている状態だから、どこの国の海軍も潜水艦の開発に注力する傾向がある。
だから今は、アメリカ以外に空母を運用しているような国はほとんど無い。
アメリカの空母にしても、使いどころがあるのかどうかはわからなかった。
いつかあるだろう人類の<大反攻>も、各国が分断されている今、国家間の連携がどこまで取れるか。
「お? あれってイ401の艦長とソナーの子じゃね?」
その時、冬馬があるものを見つけた。
空母――つまり博物館の入口から、お土産用の小さな袋を持った2人の男女が出てきたのだ。
見間違えるはずも無く、群像と静である。
中でのことでも話しているのか、2人はとても楽しそうにしているように見えた。
「なぁなぁ、やっぱあれって艦長ちゃんの兄貴……おおぅ」
実の所、紀沙は今日の散策を群像と共にするつもりだった。
したかった、と言った方が正しい。
振動弾頭の引き渡し交渉の条件となれば群像も無関係では無いし、紀沙に近しい視点で一緒にエリザベス大統領の期待する答えを探してくれると思ったのだ。
ところがである、群像は紀沙の誘いを固辞した。
何でも「問われているのはお前」とのことで、自分はむしろ邪魔になるだろうと言うことだった。
それにやっておきたいこともあるとのことだったので、紀沙もそれならと引いたのだ。
それを、である。
(なるほど、ソナーの娘と、2人で、散策、したかった、のね?)
目を見開き、真顔で、口角を吊り上げる。
それを同時にすると言う矛盾、目の当たりにすると言う脅威、間近で見ることになった冬馬は表情を引き攣らせた。
そんな冬馬に気付いたのか、紀沙は努めて温厚な笑顔を浮かべて見せた。
ただし、「にこっ」と言うよりは「にこぉ」と言った方が良い笑い方だったが。
「あ、艦長ちゃん。その、どちらへ?」
「――――帰ります!」
「ア、ハイ」
紀沙は肩を怒らせながら冬馬に背を向けて、ずかずかと歩き出した。
桟橋は濡れているので足を滑らせやしないかと思うものだが、不思議とそんなことは無かった。
(何よデレデレと鼻の下伸ばしちゃって、兄さんは昔から美人に弱いんだから!)
群像の名誉のために言っておくと、別に彼はデレデレもしていなければ鼻の下を伸ばしたことも無く、むしろいつもと同じ淡々とした雰囲気のままだった。
なのでこれは完全に紀沙の色眼鏡――表現が正しいか微妙だが――であって、朴念仁の癖に美人ばかり引き寄せる兄に対する昔からの評価だった。
幼馴染だった琴乃、同級生の真瑠璃、クルーのいおり、そしてソナーの静と言ったか、いずれも美人だ。
学院にいた頃も、ほぼ孤立していた割に女子の人気は高かった。
そのほとんどが顔しか見ない勘違い――実際、群像は彼女達の多くが抱いていた王子様のイメージとはほど遠いわけだが――であって、紀沙はそうした女子達の対処に苦労したものだ。
……何か、いおりが「私は違うよ!?」と憤慨する様子が見えたが、それはそれとして、である。
「……ああ、もう!」
何だか無性にむしゃくしゃして、紀沙は海側に寄った。
何か一言叫んでやろうと思った、この位置なら群像の耳にも届くだろう。
だから紀沙は、桟橋の端にずだんと踏み込んで。
「兄さんの」
その時、紀沙は信じられないものを見た。
桟橋の端と言うことで海面が見える、当たり前のことだ。
ただ、そこにいるはずの無いものを見つけたのだ。
――――全身をフルフェイスマスクとダイバースーツで覆い、武装した十数人の人間を。
(――――
気が付いた時には、海面から飛び出して来た男に抱きつかれた。
海水に濡れた生暖かい感触に顔を背けた次の瞬間、抵抗することも出来ずに引きずり込まれた。
こちらに気付いたらしいクルーの声を最後に、紀沙は温かな海水の中に全身を沈められた。
無論抵抗するが、水中装備の相手に海中で出来ることには限界がある。
いつかは息も続かなくなる、全身を押さえ込まれては口に手を当てることも出来ない。
突然のことに息を吸えなかったことも影響して、最後の呼気が泡と消えるのに時間はかからなかった。
海面の輝きが、どんどんと遠ざかっていった――――。
最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。
パナマの皆さん、ごめんなさい(え)
と言う訳で、サンディエゴを観光しました。
もちろんこれでサンディエゴの全てが描写できたわけでは無いですが、少しでもアメリカを感じて頂けたらな、と思います。
まぁ、私もサンディエゴは行ったこと無いのですが。
やはりこういう話を描くのに、「地球○歩○方」は重宝しますね(え)
そして、このまま主人公が無事に帰れるわけがありませんでした。
ところで関係ないのですが、私の手元には拷問関係の資料が何冊かありましてですね(え)
主人公ヒロインを追い詰めることに定評(?)のある私ですが、この後どうなることやら。
それでは、また次回。
P.S.
艦これ始めました。